新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年二度目の関西旅行記(その4)

2015-10-30 23:00:32 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その3)」のつづきです。

まずは、南海なんば駅から御堂筋線天王寺駅までのルートマップ。

なんばパークスからでんでんタウンを抜け、通天閣に上り、天王寺公園の隅っこを通って御堂筋線天王寺駅まで歩きました。

このルートを歩いてみると昭和の匂いがプンプン・・・

例えば、でんでんタウンの一角のこの風景。

これほど多くの電線が路上を横切る風景なんて、都会では電線の地中化が進みつつある今時分、なかなかお目にかかれるものではありません。

そして、段ボール集めのおじさん
最近は秋葉原にぜんぜん行っていませんけれど、今もアキバには段ボール集めのおじさんがいるのでしょうか?

それはそうと、上の写真に写っている、仮設風の建物気になります

日本橋(にっぽんばし) 五階百貨店

とありますが、五階? 百貨店?
店を覗くと、複数の電気関連のパーツ屋さんが同居していて、さすがは“西のアキバ”の風情です

それにしても、どうしてこれが「五階百貨店」なんだ?

帰宅してから調べると、、、、Wikipediaによれば、

五階百貨店(ごかいひゃっかてん)とは大阪市浪速区日本橋4丁目の堺筋から一つ西隣の筋にある電器商の集まる地域名。通称「五階」。

だそうで、五階百貨店は店舗の名称ではなく、地域名なのだそうで、

北にある「五階百貨店」ビルの周辺から南にある平屋の「日本橋五階百貨店」ビルにかけて類似した雰囲気の商店群が並んでいる。

だとか。

私が見た「日本橋五階百貨店」とは別に、「五階百貨店」があるとは、なんともややこしい

   

さて、3年半ぶりでんでんタウン(前回の記事)を抜けると、こんな道路標示板がありました。

「杭全」という地名が私の目を捉えました

この読みが「くいぜん」だとしたら、ブログに取り上げる意味はないわけで、ローマ字によるふりがなは、

Kumata

「くまた」ですって>

「全」「また」と読む例を知っている私としましては、「くいまた」だったらまだ納得できるところですが、「くまた」ですか・・・

こちらの記事によれば(アクセスできない場合はご容赦を

大阪市の東住吉区役所市民協働課によると、語源には諸説があるという。一つはくい(杭)をすべて(全て)打ってほかの土地と区別した。といういきさつから「くいをまったく打った」が「くまた」に変わった、というものだ。もう一つは古来住んでいた人が百済(くだら、現在の朝鮮半島)から来た渡来人で、くだらがなまったという説だ。

だそうです。
「くいをまったく打った」とは、時節柄、ビミョーですなぁ

   

さて、この道路標示板のある恵美須交差点を横断すると、「新世界」エリア

通天閣目前に迫ります

このあと、通天閣に突入したわけですが、その前に、以前から不思議に思っていたこと。

それは、通天閣の展望台の下にある物干し竿のようなものの役割です。

物干し竿のようなもの」というのは、展望台下の虎柄のさらに下から四方に突き出している部分です。

これはなんのためにあるのでしょうか?

いつかどこかで、そのを見た気がするのですが、この記事を書くにあたって改めて調べたもののわからずじまい・・・

どなたか、御存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示くださいませ

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今年二度目の関西旅行記(その3)

2015-10-27 22:45:44 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その2)」のつづきです。

今から20年ほど前のこと、読んでいた宮部みゆき「火車」のこんな記述にんん となりました。

火車 (新潮文庫)
宮部 みゆき
新潮社

アップにして、初めてわかったんですよ。この照明灯のライト、ひとつひとつが、この家の方を向いているでしょう? ということは、、外を向いているんだ。野球場のなかに家があるわけないんだから

「野球場の中に家がある」、、そんな場所を私は知っていたのですよ。

この数年前、大阪に出張で出かけたとき、週末の出張だったので、そのまま土日も大阪に居座って、当時、大阪に住んでいた高校~大学時代の友人の案内でなんば&新世界観光しました。
そして、「野球場の中に家がある」だったのが、なんばの元大阪球場でした

既に野球場としての役目を終えた大阪球場(正式には「大阪スタヂアム」らしい)は、グラウンドは住宅展示場として、そしてスタンドの一部はWINSとして使われているという状態で、南海ホークスファンだった父親に、この「惨状をどう伝えたらよいのか混沌とした思い出があります。

そんな大阪スタヂアム跡地は20年以上の時を経て、激しく変わっていました

とても野球場跡地とは思えません

もう一枚

なんばパークス

Wikipediaに、

なんばパークスの広場内にはかつて本球場のピッチャーズプレートホームプレートがあった位置に記念のモニュメントとプレートが置かれ、

とあるのはこれでしょうか?

記念のモニュメントとプレート?

ピッチャーズプレートのモニュメントらしきものをアップすると、、、

やはり、ここが大阪球場の内野だったんだ・・・

南海ホークスがあったころ
---野球ファンとパ・リーグ
の文化史
(河出文庫 な 26-1)
永井 良和,橋爪 紳也
河出書房新社

なんて感慨に耽りながら、次の目的地・通天閣を目指して南へと進み、ヤマダ電機でトイレをお借りして外に出ると、通天閣が見えました

いや、通天閣だけではなく、住宅展示場

「なんば住宅博」と通天閣

この光景を見て、再び「火車」に描かれた20年以上前のこの界隈に思いを馳せたのでありました。

つづき:2015/10/30 今年二度目の関西旅行記(その4)

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今年二度目の関西旅行記(その2)

2015-10-26 22:32:37 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その1)」のつづきは、当日の記事「今年二度目の関西遠征 初日のダイジェスト」で、

詳細は本編で書きたいと思いますので、この辺でまでにしておきます

と思わせぶりにとどめておいた道頓堀の看板のお話です。

道頓堀を彩る「3D看板」は、「ダイジェスト」に載せた有名どころにとどまりませんで、あるはあるは・・・

まずは、

ダイジェストに登場したづぼらや以外にも「ふぐ」を掲げているお店がありました。
でも、これは、「どこかで見た」感が強くて、インパクトに欠けますが、逆に首都圏でも見かけるこの回転寿司の店道頓堀では見違えるようなインパクトを発散していました

凄いなぁ~
でも、大阪ならにぎり寿司よりも粉もんだろう
と、真っ赤な大ダコが登場

いやいや、負けてられますかいな

餃子ど~ん

 

じゃっかましいわい

オヤヂまで登場。

串カツ屋のオヤヂ

さらに、宙を漂い

牛

ついには、架空の生き物であるはずのが、ラーメン屋の壁を突き抜けて、金の玉を咥えた上目づかいなのがなんともいえませぬ)を出していました

これだけ飲食店密集していると、これほどまでにアピールしないと目立たないんですな、K.I.T

さすが「食い倒れの街」大阪、それも、その聖地ともいうべき道頓堀です。

ただタウンウオッチングしているだけでも楽しいのに、食べたら安くて旨い ってのがさすがだと思いました。

つづき:2015/10/27 今年二度目の関西旅行記(その3)

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今年二度目の関西旅行記(その1)

2015-10-25 20:51:01 | 旅行記

7月の信州旅行記を書き始めていないのですが、記憶に新しい先々週関西旅行のことを先に書きます。

先にアップしたダイジェスト版初日2日目最終日)も適宜ご参照くださいまし。

さて、今回の関西旅行、天気予報がコロコロと変わって気が気でなかったのですが、気にしても私の天候を変えられるわけもなく、運を天に任すっつうか、天気を雲に任せて出発しました。

東京駅から新幹線に乗り込むと、私が荷物を棚に乗せる作業中だというのに、前の席に陣取ったオヤヂが、ヨイショッといわんばかりにシートリクライニング

シートの網バッグ(というのか?)に挟んだアイスラテがこぼれるかと思いましたよ

まだ電車が動き出してもいないのに、そして、有無を言わさず最大限までシートを倒しますか

幸い、このオヤヂは次の停車駅・名古屋で降りてくれたのですが、シートを最大限まで倒す姿勢って、ホントに快適ですか?
でも、まぁ、なんとか富士山が見えたことですから、許してあげます

   

私が乗った新幹線は、定刻新大阪駅に到着し、私は地下鉄・御堂筋線に乗って心斎橋まで行き、2連泊するホテルに向かいました。
荷物を預けるためだったんですが、、、、

おぉ立派なホテル

ここはどこ ヨーロッパ? ってな感じですが、大阪・心斎橋であります。

   

ホテルに荷物を預けて身軽になった私は、翌日使う「高野山・世界遺産きっぷを買うべく、南海・なんば駅へと向かったのですが、きっぷよりまずは昼食

ちょいと遅い昼食は途中の道頓堀界隈で摂ることにして、心斎橋筋を南下したのですが、中国人旅行者のなんと多いこと
に入ってくる会話のほとんどは中国語です

前の週に出かけた銀座通り界隈ともども、東西のメインストリート中国人旅行者席巻されている感じです
もっとも、中国人の人たちは、一般的に声がデカいので、必要以上に目立つ、という事情もあるでしょうけれど・・・。

そんな、中国語とキャリーバッグを引きずる音が充満する心斎橋筋を抜けると、、、、

やって来ましたぁ~ 大阪のランドマークともいうべき戎橋
私にとって、2004年「THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES」 で遠征して以来です

この2004年1月戎橋の写真、私のお宝1枚です

このあと、私は昼食を摂るお店を求めて道頓堀をブラブラとさ迷ったのですが、そのお話は次回

つづき:2015/10/26 今年二度目の関西旅行記(その2

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MISIA星空のライヴVIIIのこと(後編)

2015-10-24 21:14:25 | MISIA

「MISIA星空のライヴVIIIのこと(前編)」のつづきです。

思い起こせば、4月咲く名古屋で開幕した「MISIA星空のライヴVIII -MOON JORNEY-」

初日には、1曲目が「桜ひとひら」なのは、季節といい、最新シングルCD収録曲だし、と、至極自然な流れだったのですが、梅雨も、も、初秋も、セットリストトップを飾り続けたのは、結局、「桜ひとひら」でした。

でも、季節外れ なんてことはなくて、ライヴの初っぱなから倍音盛り盛り「桜ひとひら」ってのは、心に浸みました・・・
そして、日常から一気にMISIAワールドへ引き込まれて行きました。

そしてそして、追い撃ちをかけるように「陽のあたる場所」コール&レスポンス

見事な「つかみ」だったと思います。

  

約半年間にわたり、37公演開催された「MISIA星空のライヴVIII -MOON JORNEY-」、私が参戦したのは、以下の6公演でした。

  4/11 (土) 名古屋 記事
  5/ 5 (祝) 東京 記事
  5/ 6 (休) 東京 記事
  7/ 7 (火) 東京 記事
  7/11 (土) 大阪 記事
  7/18 (土) 上田 記事

私としては低い参戦率です。

しかも、前半と中盤に集中していて、終盤「お留守番」に終始していました

できることなら仙台公演(6/11, 12)には行きたっかったのですが(元仙台市民)日程が合わない

もっとも、仙台公演ツアー中盤だったんですが・・・

でも、やはり、仙台公演に行けなかったのは残念です。
というのは、「前編」に載せたツアーのセットリストを眺めると、1公演でしか歌われなかった曲2曲あるんですが、そのうちの1曲が仙台公演2日目で歌われた「明日へ」
聴きたかったなぁ~

ちなみに、もう1曲の「1公演でしか歌われなかった曲」は、7月8日東京公演での「What a Wonderful World」で、こちらも聴けませんでした

このように、私にとっては、ちょっと間が悪い「MISIA星空のライヴVIII -MOON JORNEY-」だったわけですが、良いツアーだったなぁと思います

特筆したいのは、ギターツインになって、吉田サトシさんが加わったこと。
良い意味で、安心感があるんですよねぇ~(周平クンのギターって、ハラハラドキドキなんだもの
私としましては、ギターは吉田さん一人でもOKです

   

7月7日バースデーライヴの時(そしてその後の大阪公演でも)、MISIAMCで、ライヴを録音しているという話をしていました。
どうやら今回は映像ソフトとしては残らないようで、残念なんですが、ライヴCD期待してしまいます。

どうか、「星空のライヴ SONG BOOK」の中の数曲にならず、単独のライヴCDで発売されますように

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MISIA星空のライヴVIIIのこと(前編)

2015-10-22 23:19:30 | MISIA

気がつくと、前回、ブログを書いたのは先週の土曜日で、ほぼ一週間更新していませんでした

決してブログからフェードアウトしようとしているわけではございませんで、単に、先週日曜日から多忙な日々が続いて、心身とも疲れていただけのこと。

元気を回復したら、ペースを上げて、たまってしまった旅行記を書き出しますぞ

詳細は省略しますけどこの1週間をふり返れば、とても高松⇒鳴門⇒大阪とつづいた「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」参戦することなんぞ、到底無理でした

泣いても笑っても、20日の大阪公演「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」ツアーファイナルだったわけですが、なんだか「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」が終わった気がしない・・・

なぜなのか考えてみると、

ということのようです。

   

と、ここで、「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」全公演のセットリストを載せましょう。

これじゃ小さすぎて、さっぱりわけがわからないですな。

クリックすると、PDFが開きますのでお試しください。

このネタ、つづきます

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私の場合はJewelryよりも「はにわ」

2015-10-17 23:03:08 | 美術館・博物館・アート

1か月ぶりに東京国立博物館(トーハク)に行ってきました。

今、トーハク表慶館はこんな装いをしています。

東博・表慶館

「みどりのライオン」とも相まって、某百貨店のイメージですが、特別展「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」開催中でございます。

宝飾品はもとよりブランド品に対する関心が極めて低い私ではありますが、「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」を見物してきました。

宗旨替えして宝飾品ブランド品に興味を持ちだしたわけではありませんで、私の「東京国立博物館パスポート」有効期限が、

来週に迫っているだけでなく、もう一つだけ特別展に行けるのに、このまま有効期限切れを迎えるのはもったいない・・・という、かなり「なんというか・・・」な理由でした。

で、「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」、なんともゴージャスっつうか、やはり私には不似合いな展覧会でした。

そりゃ、表慶館のドームの内側にプロジェクトマッピングしたり、いったいいくらがかかっているんだ と思うほど立派展示ケースに度肝を抜かれました。
でも、これでもか とばかりに散りばめられたダイヤモンドガラス玉との見分けがつかないし、本物の金貼り金メッキとの見分けができなくて、、、、そもそも私の生活とはかけ離れすぎていてふ~ん・・・と思うのが関の山。

ただ、サファイアには、ちょっとだけ心を動かされたかもしれません

  

実はきょうのお目当て「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」よりもこちらでした

先週半ば、平成館1階の「考古展示室」リニューアルオープンしたのですよ。

私にとっては、宝飾品よりこちらがお好みです

まずは、「考古展示室」入口

フライヤートーハクくん「トーハクのプリンスだほー」とおっしゃっている国宝「埴輪 挂甲の武人」がお出迎えしてくれました。

は、ホント、365度 どこから観ても見事

この作品はガラスケースに入っているのですが、

展示ケースに低反射フィルムを貼ったり、低反射ガラスを使用したり。また、LED照明や有機EL照明器具を導入し、細部まで一層見やすくなりました。

との触れ込みどおり、とても見やすくなりました

加えて、「体験コーナー」的な企画が加わって、お楽しみも増えました。

例えば、おなじみの遮光器土偶

レプリカに触ることができて、重さを実感することができます(想像に比べて軽かった)。

この他にも大判・小判(もちろんレプリカ)を手にとったり、

 

こんな新企画だけでなく、お久しぶりにお気に入り埴輪に再会できて、私はにっこにこ

いいなぁ~

リニューアル前は、いつも閑散としていた考古学展示室ですが、さすがにきょうは結構賑わっていました

特別展平成館にお出かけのときにでも、是非、考古展示室にも足をお運びくださいまし。

けっしてムダになりませんぞ

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その15・最終回)

2015-10-16 23:11:36 | 旅行記

今年7月関西旅行の旅行記が終わらないままに、次の関西旅行まで終わってしまったもので、ちょいと慌てて「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その14)」のつづき、最終回を書きます。

やって来ました、大徳寺 私にとっては、高校の修学旅行以来、うん十年ぶり 2回目の訪問です。

勅使門は、私がイマイチだと思っている唐破風で、ここもやはりイマイチ

お次は、私が高校生だった時に撮った写真が実家のアルバムにも残っている三門

「大徳寺の三門」とくれば、頭に浮かぶのは、やはり千利休豊臣秀吉との確執です。
「大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた」と秀吉が難癖をつけた、というお話があります。
直接的には、これが利休切腹の理由になったかもしれませんが、このことだけで秀吉が利休に切腹を命じたとは考えづらい・・・

豊臣家滅亡のきっかけとされる「方広寺鐘銘事件」と同様、ただの口実で、大徳寺三門の一件がなかったとしても、秀吉は利休を排除したかったのだろうなと思います。

   

大徳寺といえば、三門と並んで有名なのが大仙院枯山水だと思うのですが、こちらが今回の私のお目当てでした。

が、大仙院に向かう途中、「拝観謝絶という札を掲げた三玄院の前で、こんな石柱を見かけました。

大徳寺・三玄院「石田三成公御墓地」とあります。

へぇ~~ です。

三玄院前に京都市が立てた説明板によれば、こちらの塔頭は、

天正17年(1589) 浅野幸長石田三成森忠政(蘭丸の弟)・春屋宗園(大宝円鑑国師)を開祖とし、創建した。

のだそうです。

ちなみに、先日の高野山探訪で、石田三成供養塔を拝見しましたです。

高野山の「石田三成墓所」

話が時間を前後してしまいました

で、大仙院に到着。

大仙院内は撮影禁止ですので、写真はありませんので、そこんところはご容赦

超久しぶり大仙院の枯山水は、うん十年の感想と同様、やはりこぢんまりとしていました。

でも、あれほど狭い空間の中に、自然が、世界が、さらには宇宙が閉じこめられているというのは、ちょっと信じがたい密度の高さで、煩悩の塊ともいえる私にとっては、息苦しくなるほどでした。

こんな私にも、ガイドしてくださる方がついてくださいまして、非常にありがたかったのですが、、、、時間に追われていた私としましては、自分なりにあの空間を体験する余裕がなくなってしまったことがちょいと残念・・・

この日、尾関宗園閑栖(かんせい≒ご隠居)がお出ましになられていらっしゃいまして、拝観券代わりのリーフレットに、揮毫いただきました

大仙院のリーフレット

一生の宝物かも・・・(私の名前はベルで隠しました

閑栖のお言葉、

気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく

もいいですなぁ~

こうして、うん十年ぶりの(くどい?)大仙院探訪を終えた私は、大徳寺から京都駅へと向かったわけでございます。
そのある意味痛恨大徳寺⇒京都駅の移動は、当日のダイジェストに書いたとおりです。

それにしても、京都って見どころがめちゃくちゃ多い
さすがは千年を超える都です。

ということで、ようやく今年7月の関西旅行記完結

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今年二度目の関西遠征 3日目(最終日)のダイジェスト (後編)

2015-10-14 22:20:13 | 旅行記

「今年二度目の関西遠征 3日目(最終日)のダイジェスト (前編)」のつづきは、唐招提寺開山堂のお話から再開しようかと思ったのですが、このお話を始めたらダイジェストが終わりそうもないので、次の目的地元興寺のことから再開することにします

と、その前に、これだけは書いておきたい ことがあります。

それは、西ノ京界隈の落ち着いた空気

外国語ばかりが耳に飛び込んでくる大阪・ミナミ雑踏や、何組もの団体旅行客がゾロゾロと群れをなして行き交う高野山とは打って変わって、西ノ京界隈は、行き交う観光客はまばらで、頭上には青空が広がり、聞こえるのは鳥のさえずりのみ・・・

これですよぉ~

やっぱり、奈良が好きです、私・・・

   

さて、元興寺といえば、去年のGW紀伊&奈良旅行の際に行ったのですが、どうも雰囲気が違っていてどうしたことか? と思ったら、元興寺二つあることを知ったんでしたっけ・・・(記事はこちら

そんな過去を持つ私は、奈良市街地に移動して、もちいどのセンター街昼食を摂った後、迷うことなく「真言律宗 元興寺」へと向かいました。

そして、無事に到着

元興寺・極楽堂

ひやぁ~、ステキ (写真は国宝 極楽堂、左にチラリと見えるのは国宝 禅室

さらに法輪館(収蔵庫)(観覧料は元興寺の参観料に含まれます)では、国宝 五重小塔再会

私としては超満足でした

   

奈良での最後の目的地は、もうお約束 ともいうべき、ここ数年、毎年訪問している興福寺国宝館です。

何度訪れても、すんごい国宝群

阿修羅像を始めとする乾漆八部衆立像とか、乾漆十大弟子像とか、山田寺仏頭とか、金剛力士像とか、みどころは数々ありますが、私一番のお気に入り天燈鬼・龍燈鬼立像です

天燈鬼・龍燈鬼立像

ホント、cute で、お持ち帰りしたい

この天燈鬼・龍燈鬼立像をしげしげと拝見して、重大問題を発見したのですが、これは本編で書きましょう

そうこうするうちに残された時間あっという間に過ぎ、私は、近鉄特急に乗って、東海道新幹線に乗り換えるべく京都へ・・・。

京都駅が目前に迫る頃、左の車窓からは、東寺五重塔が見えました。

東寺といえば、空海・弘法大師が達筆でしられる嵯峨天皇から賜ったお寺で、真言宗京都支社ともいう施設です(本社はもちろん高野山)。

今回の関西旅行を締めくくるにはふさわしい風景でございました。

「重大問題のことはこちら:2015/12/31 今年二度目の関西旅行記(その26)完結編

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「高野山開創1200年記念 Misia Candle Night」のこと

2015-10-13 23:53:02 | MISIA

「今年二度目の関西遠征 3日目(最終日)のダイジェスト (前編)」つづき書きかけだったんですが、考えてみれば、今年の「Misia Candle Night」は一昨日の高野山壇上伽藍公演で全日程を終えたわけで、ネタバレもありゃしないものですから、記憶新しいうちに、「第28回世界遺産劇場-高野山- 高野山開創1200年記念 Misia Candle Nightのことを書くことにします。

先週月曜日の記事で、

でも、もう一つ気になることがあります。
それは、コンサートの前に根本大塔とか、ご本尊が特別開帳されている金堂を参拝できるのかということ。

と書きました。
実際どうだったかといいますと、私がライヴ当日、高野山に着いて、まず金剛峯寺を参観したあと、壇上伽藍に行ってみますと、

パイプ椅子が並ぶ「ライヴ会場」にも立入自由でした

こんなことって、初めてです

しかも、TOMOさんサウンドチェックまで始まるし (わおっ、音がイイ と思いました)

でも、ライヴ開始時刻の16:00まで3時間半しかありませんでしたので、お楽しみは後にとっておいて、私は奥之院へと向かったのでした。

   

今年の「Misia Candle Night」、私は河口湖初日(ネタバレを極力排した記事はこちら)と、最終日高野山2日目2夜の参戦でして、行っていない河口湖2日目高野山初日セットリスト封印しておりました。
ちょっとしたこだわり、ってヤツです。

で、奥之院探訪記旅行記本編に廻しまして、一気にライヴのお話。

16:00過ぎお坊さんたちがステージに出ていらっしゃいまして、始まったのは声明(聲明) 声明(しょうみょう)というのは、大胆に言い換えれば「アカペラで歌うお経」でして、これがまた滲みる
高野山ですなぁ・・・

声明が終わり、お坊さんたちがステージから去ると、マイクの片付けとかなんとかで、20分ほどの待ち時間があり、じらすじらす・・・

空はどんよりと曇り、そして、かなり寒い・・・

レインコート使い切りカイロが配られてはいるけれど、どちらも使いたくないよなぁ・・・

と、ようやくバンドメンバー & コーラス & ストリングス隊が登場して、「第28回世界遺産劇場-高野山- 高野山開創1200年記念 Misia Candle Nightがスタート

MISIA金堂の堂内から登場

うぉ~~ だったんですが、MISIA全身を拝むことができたのは、この夜、これが最初で最後でした・・・

観客席のほぼ真ん中だった私の席からは、ステージ上を動き回るMISIAのお姿は、椅子に座った状態では前の人たちの隙間からチラチラ拝見することができるだけで、スタンディングになると、まったく見えない

自宅を出発するとき、双眼鏡を持っていこうかと悩んだ末、結局、双眼鏡は持っていきませんでしたが、持っていったところで何の役にも立たなかったはず・・・
これほどMISIAを観ることができないライヴって初めてのことでした。

でも、MISIA歌声は、、、、いわゆる「至高ってやつ・・・

最初の曲「あなたにスマイル:)」から発散する幸福度の高さときたら、なんなんでしょ
会場にいる観客、Cast、Staffの全員スマイル:)していたのではないかと思うほどでした。

そして、次の曲は、、、、おおっと、来たぁ~~「つつみ込むように・・・」

この日、「つつみ込むように・・・」を口ずさみながらホテルを出発したことを思い出して、まさしくワォでした。

でも、昨日も「つつみ込むように・・・」「陽のあたる場所」を歌ったのかもね・・・

ここで「Misia Candle Night4公演セットリストを整理して載せましょう。

ご覧のとおり、初日の記事で、

「あの方が大々的にフィーチャーされたJazzy(ある意味deepな) 3連発は、うぎゃぁ~状態でございました

と書いた、「真夜中のHIDE-AND-SEEK」⇒「Chandelier」⇒「Nocturne」の3連発は、「真夜中のHIDE-AND-SEEK」単発になった代わりに、最終日のみ「つつみ込むように・・・」「陽のあたる場所」とが来たわけです

そして、小休止なしで最後まで突っ走る構成(アンコールなし)というのも珍しい、、、っつうか、私の記憶にはありません。

でも、アンコール無しの「1部構成」でも、物足りなさを感じた観衆はほとんどいなかったのではないかと思うくらい、密度の濃い、満足度の高いライヴだったと思います。

そして極めつきは、東日本大震災被災者の方々への応援メッセージソング「明日へ」

改めて「Misia Candle Night」が、東日本大震災の犠牲者の方々への鎮魂の思いを込めたライヴであることを思い出させていただきました。

東北人のはしくれたる私としては感無量であります・・・

そんなこんなで、「第28回世界遺産劇場-高野山- 高野山開創1200年記念 Misia Candle NightSpiritualで、Excellentなライヴでした。

合掌。

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