新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

首里城炎上のニュースにことばを失う

2019-10-31 21:42:30 | 旅行記/ニュース

けさ、いつものように5:30起きて、いつものようにネットニュースを見ると…、

え" 首里城燃えている

を見ているのかと思いましたが、私は確かに起きていました

   

私、沖縄に旅行したのは、2012年のGW(旅行記)から始まって、MISIA 星空のライヴⅦ -15th Celebration-絡みだった2013年9月(旅行記)、そして、世界遺産劇場 MISIA Candle Night at OKINAWA絡みだった2014年11月(旅行記)の3

2012年の旅行のとき、首里城に行き、

守礼門 (2012)

本殿外からも、

内からもしげしげと見物しました。

この旅行の最終日、の中、首里城近くのホテルから斎場御嶽方面にレンタカーを走らせたとき、首里城北側を挟んで見上げる首里城素晴らしい眺めに、あ" あ" あ" となったのですが、クルマを運転していて駐める場所が判らなかったし、が降っているしで、そのまま走り抜けました。

そして、2013年の沖縄旅行のときは、首里城正殿には入りませんでしたが、2012年にしっかりと観ることのできなかった、池(龍潭池)越しの首里城を目に焼き付けました。

この眺めが、けさは…

これですもの… (産経新聞のサイトより拝借)

そして、正殿は完全に燃え尽きました

来年の春にでも、久しぶりに沖縄に出かけてみようかな? と思っていたのに…

私のような、沖縄3回しか行ったことのないやまとんちゅでもこれだけショックを受けているのですから、沖縄の方たちにとっては、どれだけ辛い出来事なのか…

今回焼失した建物は、恐らく、あちらこちらからの支援も受けて、再建されるものと信じていますが、あの鮮やかな建物群が一日も早く蘇ることを願っています。

ちなみに、最後に載せた写真は、沖縄戦大激戦地となった「慶良間チージ(シュガーローフ)」跡から2014年に撮った首里城方向の写真です。

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東京で正倉院のお宝を拝見

2019-10-30 22:13:08 | 美術館・博物館・アート

京都日帰り旅行翌日に控えた先週土曜日(10/26)約2カ月ぶり東京国立博物館(トーハク)に出かけてきました。

お目当ては、

10月14日~11月24日に開催の御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」でした。

正倉院お宝東下するのはめったにないことですから、このチャンスを逃すまいゾ という次第です。

ところが、私がトーハクに着いた11:00頃、トーハクの入口に掲げられていたのは、

 入場までの待ち時間 20分

という掲示

そして、会場の平成館前には、私の大嫌い行列が…

11:00AMのトーハク平成館前の行列

でも、こんなシチュエーションは「想定内(特別展が一番混むのは開館から数時間)でしたので、本館総合文化展(平常展)と、ミュージアムシアターのを観た後、どこかで昼食を摂った上で、「正倉院の世界」展にチャレンジしてみようと考えました。

結論から書きますと、この作戦は大成功 でした。

総合文化展(この日は1階のみ)では、特集展示「平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」が、とにかく「あひゃぁ~で、

しかも、翌日に拝見した京博「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展ともつながっていた という展で興味深かったし、ミュージアムシアターVR作品「正倉院 時を超える想い」は、

外観しか観たことのない正倉院正倉の内部に、(バーチャルながら)入ってみる体験ができて、私としましては、「正倉院の世界」展を観る前から大興奮 状態でした。

とりわけ、屋根の瓦を除けば、ほぼ完全木造正倉院正倉が、1200年余りの時を経て、戦火自然災害を乗り越えて、お宝を現在に伝えたという「偉業」に、感動しまくりでした

   

13:00過ぎに入場した「正倉院の世界」展は、相変わらず混んではいたものの、じっくりと拝見することができました

前期展示の目玉の一つ、螺鈿紫檀五絃琵琶(下の写真は撮影可だったレプリカ)はもちろんのこと、

展示されている宝物の品々素晴らしさと、こんなお宝1250年の時を超えて存在していることに打ち震えました

この展覧会で、展示されていること自体が想定外で、また、思いがけないそのお姿に、目が点になったのは、

かの有名な香木「蘭奢待(らんじゃたい)こと「黄熟香(おうじゅくこう)でした
(上の写真はWikipediaから拝借)
「蘭奢待」って、こんなにデカかっ(全長1mくらい)んだ~

「蘭奢待」は、こちらで書いたように、2ヶ月前に、尾張徳川家のお宝として、

「マイクロSDカードくらいの大きさ」の現物を拝見したばかりなものですから、「本体」大きさには唖然とするばかりでした。

こんな感じで、正倉院のお宝を拝見していると、これらは、「日本の宝」というだけでなく、「人類の宝」ではなかろうかと思ったわけで…

月並みなお恥ずかしいのですが、後期展にも行くつもりですので、そちらの探訪記では、もっとマシなことを書きたいと思っています。

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令和初の関西旅行は、京都日帰り (ダイジェスト)

2019-10-27 22:58:21 | 旅行記/美術館・博物館・アート

先々週に計画していた「今年初の関西旅行」が、「台風19号から避難した3連休 (前編)」で書いたように台風19号来襲断念した私、そのリベンジマッチ第一弾を、きょう、決行しました。

本格的リベンジマッチは、来月にとっておいて、今回は京都までの日帰り旅行です。

京都での滞在時間5時間弱と、慌ただしい旅行でしたが、中味はかなり濃くて、かなり疲れました
小さなアクシデントがいくつも発生しましたし…

きょうの京都での行動マップは下図のとおり。
青い線歩いたルートで、オレンジの線地下鉄に乗ったルートです。

さすがに、狭い範囲ですなぁ。

それはともかく、最初のアクシデントは、東京駅新幹線改札口で発生しました。

EX予約していたのに、自動改札を通れないのです

駅員さんに相談すると、今年1月にスマホ機種変更した際、モバイルSuica関連付けうまくできていなかったらしいのですよ
そっかぁ~、最後に東海道新幹線に乗ったのは、去年12月「MISIA星空のライヴX」大阪公演(記事はこちら)に出かけて以来で、今のスマホに変えてからは、今回が初めてでした。
窓口に立ち寄る手間はかかったものの、往復とも無事に新幹線に乗れましたから、まぁ、ホントに小さなアクシデントでありました。

次なるアクシデントは、今回の旅行の目的地であるところの京都国立博物館(京博)に着いたときに発覚しました。

なんとなんと、財布無いのです

思い起こせば、自宅を出発して京博に到着するまで、1回も財布に触れることはありませんでしたから、きっと自宅に忘れてきたはず…

幸い、「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展前売券電子チケットとして購入して、スマホに入っていましたし、非常用千円札×3とめったに使わないクレカを入れた手帳を持ってきていましたから、財布が無くてもなんとかなるでしょ と自分を慰めました。

   

さて、きょうの日帰り旅行のメイン「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展は、濃くて濃くて、もう満腹って感じ…。

いやぁ~、全部で37枚ある佐竹本三十六歌仙絵のこれほど多くの作品を一覧できるなんて、はぁ~~眼福 でございました。

あまりに濃くて、後期観に行くのを止めようかな? と思ったほど…。

日本画/洋画を問わず、私が絵画を観るとき、表装とか額縁には注目を払うことはないのですが、この佐竹本三十六歌仙絵の場合は、表装ガン見させていただきました。
なにせ、佐竹本三十六歌仙絵を入手したお歴々は、それぞれ自分のお宝最大限活かされるよう、趣向を凝らして表装したのですから…。

あ、そうだ 
後期展(11月6日~24日)には、きょう観られなかった「藤原敦忠」「山部赤人」「大中臣源基」「源順」そして、この展覧会のメインビジュアルになっている「小大君」が出陳されるのだそうで、やはり観に行かなきゃもったいないかも…

きょうの詳しい感想は「旅行記 本編」で書くことにして、京博を観終わったあとのお話。

私、方広寺に行ったことがありませんで、きょうはようやく訪問することができました。
こちらの記事に書いたように、京博平成知新館は、方広寺大仏殿回廊跡内側に立っています。

京博正門から豊国神社に向かって、巨大な石で構成された石垣が続いていて、こりゃスゲぇ

そして、かつては洛中洛外図屏風なんかで、西(左隻)二条城対峙するように東(右隻)に描かれていた方広寺大仏殿は、その面影皆無の中で、大坂の陣発端となった「いちゃもんの元、梵鐘を拝見しました。

いやぁ~、デカい

と、梵鐘の一部に、白く囲われたところが2か所あります。
拡大しますと、、、

例の「国」「君臣豊楽」の部分がハイライトされています

教科書だったか副読本だったかで、この梵鐘の写真を見たことはありましたが、実際にこうしてハイライトされていたんですな…

方広寺の見どころはこの梵鐘だけでして、かつてはここに大仏殿が何度も建て直されたという駐車場記念撮影

このあと、豊国神社超立派唐門を拝見したのですが、なんとも腹が減って

さりとて、手頃なお食事処がない…
とりあえず、繁華街を目指して歩こうか…となりまして、その辺以降は「本編」の方で書きたいと思います。

疲れたんで、今夜はここで寝ます

旅行記本編:2019/12/06 令和初の関西旅行は、京都日帰り #1

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台風19号から避難した3連休 (後編)

2019-10-22 22:54:23 | 旅行記

「台風19号から避難した3連休 (前編)」のつづきです。

私が実家でやり過ごした感のある台風19号1週間経って、その威力被害の大きさ愕然としてしまいます。
きょう夕方時点で、死者が84人行方不明が9人ですと…
東海~関東~東北にこれだけ甚大な被害をもたらした台風を、何気なくやり過ごしてしまった私は、我が身の幸運と、少なからぬ忸怩たるものを感じています

   

さて、台風19号が三陸沖に抜けた10月13日、朝こそ風雨が強かったのですが、台風一過で天候はみるみるうちに回復して行きました。
「前編」で書いたとおり、台風19号が来なければ、関西に出かけて、京都国立博物館「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を楽しんでいたはずの私、ここでちょっと逆襲してやろう と思い立ちました。
「佐竹本三十六歌仙絵」を観られないなら、その名前の由来となった佐竹氏ゆかりの場所を訪ねてみよう というわけです。

そして、やって来ました、江戸時代を通じて佐竹氏の居城だった久保田城趾(千秋公園)

写真は、二の丸に通じる松下門跡
幼少のみぎり、祖母や叔母、いとこたちと千秋公園お花見に来たとき、この坂の両側にビッシリ露天商が軒を連ねていたっけなぁ~と、物思いに耽ったりして…

で、二の丸の入口にあるのが、秋田市立佐竹史料館です。

10月からの消費税率引き上げに伴って、佐竹史料館入館料も変更されたそうですが、変わったのは年間フリーパスだけ(200円⇒210円)で、一般観覧料:100円変更なし
よしよし… です。

で、佐竹史料館は、指定のあるものを除いて撮影可なんですが、私が撮ったのは、「旌旗(せいき)」という巨大な旗(軍旗)だけでした。

説明板によれば、

佐竹氏の代表的な本陣の旗である。
五本骨扇紋の金箔は現在でも色あせず、古文書「御甲冑」に「三幅紺地金扇紋九ツ付乳金革但右二流の扇紋は慶長金製ナル由」と記述され、金の純度が高いことを示している。
旗に竿を通す乳(ち)は革製に金箔とし、白糸で陰陽道護身の秘術に使われる安倍晴明印「★」(臨兵闘者皆陳(陣?)列在前)の九字を表した縦四線、横五線「叶」「×」など呪印で縫いとめられている。
旗に関する種々の作法に則り作られたものである。

だそうで、しげしげと、その「乳(ち)」を見ると、おぉ、

「縦四線・横五線」五芒星「✯」「×」
そして、こちらは、

五芒星「✯」「叶」

ひやぁ~、旗指物の竿を通すところが、こんな風につくられているなんて知らなかったぁ~
この日一番「掘り出しモノ」は、この旌旗の乳(ち)ですな…

   

佐竹史料館あっさりと観終わってしまったので、本丸まで登り、秋田市を一望

久保田城「平山城」に括られるだけに、全然登った気はしないけれど、結構な高さがありますな。

と、そういえば、私のライフワークともいえる「艮(北東=鬼門)がどうなっているか、久保田城確認したことがなかったぁ~
私としたことが…

で、本丸の北東角にある帯曲輪門跡を降りてみると、

う~む、、、はっきりしない
弥高神社横のこの凹み久保田城の鬼門除けなのかなぁ。

なんだかモヤモヤする…

ということで、全然、「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を観に行けなかったことへの逆襲にはならなかったのでございました。

「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展は、前期・後期とも観たいので、来週末日帰り京都まで行くことにしました。
今度こそ、台風なんぞが来ませんように…

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台風19号から避難した3連休 (前編)

2019-10-14 21:13:29 | 旅行記/ニュース

体育の日(10月14日)絡みの3連休、私は、京都国立博物館10月12日に開幕する「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を観に行くべく、新幹線ホテル予約し、展覧会の前売りチケット購入済みでした。

流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美 

「佐竹本三十六歌仙絵」についてこのブログで何度となく触れてきた私(例えばこちら)としましては、前期・後期2回京都まで遠征して観てこようと思っていました。

そんな楽しみな遠征が近づいてきたところで出現したのが、超大型猛烈台風19号でした。
当初の予想では、10月12~13日首都圏を直撃するらしい厄介な台風で、鉄道各社は計画運休を検討するといいます。
さて、どうしようか…

でも、JR東海10月10日(木) 16:00に発表したところによると、

台風19号の接近に伴い、東京駅~新大阪駅間で昼前から通常よりも列車の本数を減らしての運転や運転を取りやめる予定です。

だそうで、12日(土)の朝8:00台京都に向けて東海道新幹線に乗る予定の私にとっては、ギリギリセーフっぽい

期待を抱いたのですが、翌11日(金)10:00になると、

東海道新幹線は、台風の進路が西寄りになり、12日(土)朝から東海道新幹線管内が暴風域に入る予報となったことを踏まえ、東京~名古屋間で初列車より終日運休いたします。

という発表が…

13~14日の1泊2日に短縮してでも、関西遠征を決行しようかとも思いましたが、12日(土)昼頃から計画運休するというJR運転再開が、13日(日)の午後頃になるという発表と考え合わせると、台風が去った後に出発しても、関西にいられるのは丸1日程度しかなさそうです

ここで私は決心しました

関西旅行中止して、2泊3日プチ帰省しよう と。

台風19号直撃ほぼ確実で、3連休中日の昼過ぎまで電車止まってしまう首都圏に留まっているよりも、秋田の別邸(実家)に帰ってしまう方が有意義では無かろうか と思い至り ました。

そして、12日(土)の朝の、計画運休前秋田新幹線に乗って、帰省

別邸(実家)で、TVニュースを観て、こりゃ予報どおりの酷い台風だ… 特に多摩川付近は大変だ などと思いながら、台風秋田にも近づきつつあるなか、就寝

   

翌朝、いつもどおりに5時台に起床。

そういえば、本宅(さいたま)辺りはどうだったんだろ と思い当たり、さいたま市HPを見ると、、、、

私のtweet

え" 「警戒レベル4 直ちに避難」ですって

私の本宅(マンション)荒川から結構離れているし(そのわりに標高は低い)、自室は2階なので、部屋は大丈夫だろうけれど、立駐地下に駐まっているクルマは大丈夫か

結局、荒川は氾濫することなく、本宅クルマ無事だったんですが、まさか、ホントに「避難」のプチ帰省になってしまうとは…

地球温暖化の影響があるのかないのかよく判りませんが、自然災害がどんどんエキセントリックになっているのは確かなようです。

いつ、どんな自然災害が起こっても対応可能なように、準備を怠ってはならない のだと、痛感した3連休でした。 

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中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #3

2019-10-03 22:57:58 | 旅行記

「中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #2」のつづきです。

羽黒山五重塔もう一度、羽黒山五重塔を眺めたあと、出羽三山神社本殿(三神合祭殿)を目指して石段を登り始めました。
時刻は、写真のタイムスタンプによれば、12:11

「#2」で書いたように、

中学2年の遠足のとき、この五重塔を観たこととか、三神合祭殿にお参りしたことは覚えているんだけど、石段を登った記憶はない

だった私としては、ちょいと登れば本殿に着くだろう軽い気持ちで登り始めたのですが、、、これがキツかった

そもそも、石段の段差適正と思われる高さの2/3くらいのもので、一段一段登るの細かすぎるし、かと言って1段飛ばしで登るのはキツい というなんとも中途半端 なもの。
それでいて、ところどころ、石段が目の前にのように連なっているのですよ

 日頃運動不足の私には苦行としか言いようのない「山登り」です。

1年前に広島・宮島弥山に登って以来(記事はこちら)「苦行でしたが、弥山のときは、頂上までのおおよその所要時間を知っていたし、「まだ上がある」ことが見て判りました

でも、今回は、随神門前にあった案内図(所要時間が50~60分)しっかりと読まなかったし、中学2年の遠足のときは「苦行」体験した記憶が無いし、見通しが利かないし、という状況。
次のカーブを曲がれば本殿があるかもしれない という期待を抱いては、目の前に現れる新たな急な石段愕然とすることの繰り返しでした。

考えてみれば、出羽三山修験道の山、この石段を登るのも修行だったわけで…
しかも、この時の私の場合、ゴールどこにあるか判らないまま、ひたすら石段を登りつづけたのですから、これは肉体的にも精神的にも厳しかった…

日本の山登りの「風習」として、上りの人下りの人がすれ違うとき、「こんにちはと挨拶を交わします。
このときも、ヒーヒー言いながら石段を登るに、下ってくる人たち「こんにちは~」と軽く声をかけてくれるのですが、こちらは「ごんにぢは搾り出すように挨拶を返しました。
そのたびに、「下り だろうけれど、こちらは大変で、挨拶するのも辛いんだよ」毒づきたい気分でございました。

それはともかく、途中に「茶屋があって、木々の間から庄内平野が見えました。

に載せた写真は、下りのときに撮ったもので、上りのときは写真を撮る余裕さえありませんでした
とにかくこのときは、随神門から五重塔に向かって継子坂を下ったときのような「マイナスイオンを浴びて…」なんて悠長なことは言っていられなくなっていて、ひたすら登り続けていました。

そして、ふと思いついてスマホGoogle Mapを開いて「現在地」を見ると、まだ2/3しか登っていないことがわかって、またまた呆然

いまさらここから引き返すわけにもいかず、ゴールを目指して登り続けました

そして、

赤い鳥居
ついに本殿に到着か?

ホントに到着しましたぁ~~

時刻は13:02
ということは、約50分かけて登り切りました

はぁ~~~、疲れたぁ~~

さっそく、月山神社湯殿山神社、そして、出羽神社にお参り…。

神社だというのに麓に五重塔があったように、本殿(三神合祭殿)の前には鐘楼がありました。

茅葺き素朴鐘楼(重文)は、

元和3年(1617)台風で倒れたのを翌年山形藩主最上源五郎
家信
が再建する。

だそうで、中の梵鐘(重文)は、

建治元年(1275)年8月27日の刻銘・高さ2.85m・口径1.67m
厚さ21.5cm・重さ10t足らず(口伝)
社伝では、文永11年(1274)10月の蒙古襲来の折、幕府より所望され祈願したところ、鏡池より九頭竜王の光影が出て酒田の湊に飛行した。すると蒙古の船は残らず海中に没したという。これによりを寄附されたと云う。

 と、かなり歴史いわくのある梵鐘らしいですな。

上に載せた説明文に出てくる鏡池は、本殿(三神合祭殿)目の前にあります。

 

鏡池(御手洗池)前に建てられた「羽黒山鏡池玉垣奉献建立之碑」と題する、とにかく字数の多い石碑によれば、

海抜414mの羽黒は 出羽三山を行場とする羽黒派古修験道の中枢として古より繁栄した御山である 歴史書には 平安時代修験者が広く諸国を教導したことを伝え 鎌倉以降は山伏の代表的霊場と仰がれる大峰山や熊野山をも凌ぐ権威を誇るまでに隆盛したことが記載されている この御手洗池より出土しだ600面近い銅鏡はこれらを裏付けるものである

とな。
この出羽三山神社の鏡池(御手洗池)から出土した銅鏡は、東京国立博物館(トーハク)拝見したことがあります

この銅鏡見聞録こちら

どういう経緯で、羽黒山から出土した銅鏡トーハクに渡ったんでしょうねぇ

と考え込んだところで今夜はおしまいです。

つづき:2020/01/07 中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #4

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いつも赤信号な交差点 2019年3Q

2019-10-01 23:05:42 | タウンウオッチング

きょうから10月に突入して、今年もあと3カ月となりました。

と、なれば、恒例「いつも赤信号な交差点」シリーズなんですが、このシリーズも第4コーナーを回った感じです。
おっと、その話は後日に廻しまして2019年第3四半期(3Q=7~9月)「実績」を整理しましたので、そのお話を…。
「いつも赤信号な交差点 2019年2Q」のつづきのようなものです。

まずは、「いつも赤信号な交差点」ランキングから。
( )内は前期=2019年2Q、[  ]内は前年同=2018年3Qのランキングです。

いつも赤信号な交差点 19 3Q

 笹目通り「土支田(笹目)は、安定(100%)首位維持でしたが、「土支田」と共に「御三家」ともいうべき「千歳台(環八)「世田谷清掃工場前(環八)は、伏兵(?)「江田駅前(R246)と「谷原3丁目(笹目)に割り込まれるような感じで、共にランクダウン

いや、「千歳台(環八)「世田谷清掃工場前(環八)ランクダウンに限らず、いつもとちょいと違うランキングになっていると言っても良いでしょう。
ワースト10がすべて「3回に2回は信号という、かつて例を見ないほどハイレベルの中での下剋上の2019年3Q」だったと言えそうです。

では、なぜ「下剋上」が起こったのか? なんですが、正直、よく判りません

ただ、その原因の一つと思われるのは、この3か月間の渋滞が酷かったことです。

そのことは、「渋滞ランキング」をみれば、それが察せられるかもしれません。

渋滞ランキング 19 3Q

例年、3Q(7~9月)は、夏休み渋滞から期末渋滞が続いて、クルマ通勤者としては面白くない季節ではあるのですが、「何? これ?です。
ワースト10のうち、8つ環八で、しかも6つまでもが杉並区内だという…
元杉並区民の私としては、納得できるような、ビミョーなような…

今年の3Qが、ちょいと変だったということは、R246区間(東名入口~瀬田)、環八区間(瀬田~観蔵院入口)、笹目通り区間(観蔵院入口~笹目) 各区間の走行時間過去と比較すると明らかです

3区間の走破所要時間比較

何でしょうねぇ~、これ?

私の感覚では、「年末渋滞」が年間を通じて一番酷い だったんですが、上のデータを見ると、4Qのほうがまだマシって感じ。
ちょっとはになるのかな? と期待しつつ、最終章に入ります

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