きょうは墨田区へおでかけしてきました。
目的地は二つありまして、一つは東京スカイツリーで、もう一つはたばこと塩の博物館。
もともと、「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展を開催中のたばこと塩の博物館に行きたかったのですが、この博物館は、
と、「4駅利用可」、つまり、どの駅からも遠いという、なんとも交通の便の悪いところにあって、この博物館単独で訪れるにはなんとも非効率です。
それならば、まだ登ったことのない東京スカイツリーにも行ってみよう ということで、東京スカイツリーの予約
をして、きょう出かけてきたわけです。
で、きょうの行程はこんな具合でした。
自宅⇒徒歩
⇒最寄り駅⇒武蔵野線
⇒南越谷駅⇒新越谷駅⇒東武スカイツリーライン
⇒曳舟駅⇒東武スカイツリーライン
⇒とうきょうスカイツリー駅⇒東京スカイツリー
⇒徒歩
⇒たばこと塩の博物館
⇒徒歩
⇒錦糸町駅⇒総武線快速
⇒東京駅⇒上野東京ライン
⇒赤羽駅⇒埼京線
⇒最寄り駅⇒徒歩
⇒自宅
帰りは、往路と逆のルートをたどるのが一番楽だったのですが、それは無粋
と、真っ平らな墨田区内を歩いて、錦糸町からJR
に乗って帰ってきました。
その結果、重複無しの一筆書きルート
東京スカイツリーの見聞録は後回しにしまして、まずは本日のメイン
だった「杉浦非水 時代をひらくデザイン」展 @たばこと塩の博物館のお話から。
杉浦非水のことは、このブログでは一度だけ触れたことがありました。
それは、杉浦非水のふるさと、松山への旅行記(こちら)で、愛媛県美術館の常設展で「三越呉服店 春の新柄陳列会」と「爽快美味滋強飲料カルピス」を観て、いたく萌え上がったという記事です。
で、なぜに「たばこと塩の博物館」で杉浦非水展を? ということは後回しにしまして、フライヤーからこの展覧会の概要を転記します。
日本におけるモダンデザインのパイオニアとして知られる杉浦非水(1876~1965年)は愛媛県松山市に生まれました。東京美術学校入学後は円山派の川端玉章に師事して日本画を学んでいましたが、在学中にフランス帰りの洋画家・黒田清輝がもたらしたアール・ヌーヴォー様式の図案に魅せられたことで、以降は図案家として活動しました。
(中略) 非水の単なる「宣伝」の枠を超えた図案家としての幅広い活動から生みだされた作品の数々は、現在でいう「グラフィックデザイン」の原点といえます。
本展覧会は、非水の故郷・愛媛県美術館所蔵のコレクションを中心に、その作品を振り返ることで、近代日本のデザイン史に刻まれた意義を考えようとするものです。今も色あせない魅力的な作品をお楽しみください。
いやぁ~楽しかった 素晴らしかった
そして面白かった
「面白かった」という点はいくつかありまして、日本画を学びながらも基本的な模写・臨画よりも写生に精を出したこと、
洋画家・黒田清輝邸に入り浸って黒田が持ち帰った「お土産」に熱中したこと、
黒田清輝とは馬が合わなかった藤田嗣治とも親交を持ったこと、
会社(三和印刷店)勤務の傍ら大阪商船(現・商船三井)の意匠図案嘱託を兼任したり、新聞社(中央新聞社)勤務の傍ら三越呉服店(現・三越伊勢丹)の夜間勤務嘱託を兼任したり、日本美術学校講師の傍らラクトー(現・カルピス)の顧問を務めたり、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)教授の傍ら大蔵省専売局(現・JT)の嘱託を務めたりと、二足のわらじを履き続けたこととか…。
このうち、の黒田清輝との関係については、図録に載っている非水の自伝からの抜粋によれば、
私が期待してゐたのは(黒田)先生が新しく齎(もたら)される芸術品のサンプルに外ならぬのである。巴里の万国博のあらゆるものが、新興の意気を持つて満飾されたそれ等の装飾美術の片鱗に触るゝこと。当時新進作家の傑作の複製品、書籍に、カタログに、写真に、雑誌に。私の待つていたお土産とは、これ等の先生に依って持ち帰へられた作品を鑑賞する欲望に外ならぬのであつた。(中略) 私が日本画科を出て、先生から洋画に対する多くの知識を与へられたのであつたが、断然図案の方面に進出して行かうとい云ふ心が動いたのは、黒田先生のこのお土産品の到来が最大の動因であつたことは事実なのである。
だそうで、黒田清輝先生の教えよりも、黒田先生がパリから持ち帰ったお土産の方が大きな影響を及ぼしたって… 黒田先生には直接言えない話ですな
ここで話題を非水の作品に戻しまして、レトロモダンなポスターや装丁に人知れず顔をほころばせ続けていた私が、ほわぁ~
と声を漏らしそうになったのは、上記の
とも関連しますが、まるで図鑑
のような植物や鳥や昆虫の写生と、繊細なタッチで描かれた「非水百花譜」でした。
「非水百花譜」は、大正9年(1920)3月から同11年(1922)9月まで、1輯5点として全20輯100点を老舗版元・春陽堂より刊行、600名の会員を募って頒布された。非水が原画を描いた100種に及ぶ花卉図が、彫りを大倉半兵衛、摺りを西村熊吉、田口菊松、桃瀬巳之吉といった当代きっての一流職人たちが担当し、大判の多色摺木版画として仕立てられた。
だそうで、超豪華本です
この「非水百花譜」を観ていると、やはり日本画を学んだ人なんだなぁと思います。
一方で、非水が傾倒したアール・ヌーヴォーの影響も感じられて、
写生を常に創作の基盤に据えていた非水にとって、多様な手法を用いて植物の本質に迫ろうとしたと言える本作は、非水の全ての仕事の中でも究極渾身の一作である。
という図録の説明に納得です。
ここで、前に書いた「なぜに『たばこと塩の博物館』で杉浦非水展を? 」ですが、これは非水の職歴をざっと書いた
にあるように、大蔵省専売局の嘱託を務め、
大蔵省専売局のデザインワーク全体の指導者的立場として活躍した。自らデザインしたパッケージは「響」が最初で、その後、「PALOMA」、「Momoyama」、「光」、「扶桑」、「NIKKO」を手がけている。
というわけですから、「たばこと塩の博物館」を運営するJTとも浅からぬ縁があります。
ところで、買ってきた図録を眺めると、きょうたばこと塩の博物館では観ていない作品がどっさり
と載っています。
前期(9月11日~10月10日)のみの展示だった作品とか、東京展では展示されない作品もあるようですが、きょう観ただけでも十分満足できました。
わざわざ出かけて良かった…
ただ、バッグに鈴をぶら下げていて、チャリチャリと音を館内に響かせ続ける若者がいたことだけはいただけなかった…
財布とかバッグに鈴をぶら下げるのはおばちゃんたちだけかと思っていたんですけどねぇ
ということで、東京スカイツリーの見聞録と、たばこと塩の博物館の常設展示のお話はまた後日。