新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2016年師走の仙台旅行記(その13)

2016-12-31 15:13:34 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その12)」のつづきです。

瑞巌寺本堂を拝観したあと、6年前にも拝観した庫裏に向かったのですが、、、、

瑞巌寺・庫裏

庫裏の内部は非公開でした

6年前は、本堂修理中だったことから、その代わりとして庫裏臨時に公開されていたようです。
う~む、残念 ということで、庫裏の真向かいにある宝物館へ…。 

瑞巌寺のHP 「沿革」に、

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は110余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、ようやく維持されていたのですが、明治9年(1876)、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。

とあります。

またもや登場しました、廃仏毀釈

瑞巌寺宝物館(拝観料のみで観覧できます)では、企画展「明治維新と瑞巌寺 〜仏教の灯を守り抜いた禅僧達」が開催されていまして、廃仏毀釈の嵐と庇護者だった伊達家の「降板によって存亡の危機に瀕した瑞巌寺で、寺の伽藍人材の存続に奮闘した当時の住職太陽東潮禅師を始めとする人々の奮闘が紹介されていました。

瑞巌寺窮乏を脱し、再興のきっかけとなったのが、明治9年(1876)御巡幸の際に明治天皇から賜った内帑金(天皇のポケットマネー) 1,000円だったというのは、明治初期熱病廃仏毀釈が公式の国の政策ではなかったことを如実に示しているような気がします。

それにしても、中国の文化大革命のように10年間廃仏毀釈が続いていたら、今の日本はどうなっていたのだろうかと考えたりして…もっとも、易姓革命の名の下に、繰り返し文明や歴史スクラップビルドされてきたお隣の国と、日本とは感覚がまったく違いますから、日本では徹底的に旧文明破壊し尽くすことはあり得なかった気がします。

ところで、瑞巌寺宝物館(青龍殿)では、企画展以外にも常設の展示品を拝見することができました。

伊達政宗甲冑椅像例えば、11月中旬まで東京出張「松島 瑞巌寺と伊達政宗」展 @三井記念美術館)から「帰宅」されたばかりの「伊達政宗甲冑椅像」は宝物館きってのお宝です。

この像は、

政宗公17回忌にあたり、正室陽徳院が1652年に制作させたもので、公27歳、朝鮮出兵時の雄姿を再現した等身大の木像です。
政宗の遺言により、両眼が備わっています。

というもので、木像とは思えないほど、甲冑素材感が表現されていますし、 等身大だけに、伊達陸奥守政宗という戦国武将の存在感が伝わってきました。

それにしても、弦月前立デカいこと…
こんなにデカい前立だと、あちこちに引っかかって動きづらそうな気がします。
翌日、仙台市博物館で拝見した政宗所用の「黒漆五枚胴具足(複製)」はといいますと、

実際、前立はデカいのですが、やはり、「伊達政宗甲冑椅像」「記念品」としてちょいとデフォルメして制作した感がありますな…

瑞巌寺宝物館(青龍殿)を楽しんだ私は、杉林再生工事が行われている表参道を通り、

松島シンボルとも言える五大堂に向かいました。
何度か松島に来たことのある私ですが、五大堂を間近に拝見するのは、これが初めてでした。
そして、とんでもない思い込みをしていたことを知ったのは、このあとのこと。

そのお話は、来年書くことにいたします。

ということで、これが今年のブログの書き納めです。
一年間、拙文にお付き合いいただきましてありがとうございました。 m(_ _)m 

つづき:2017/01/03 2016年師走の仙台旅行記(その14)

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2016年の美術館・博物館めぐりの振り返り

2016-12-30 07:33:23 | 美術館・博物館・アート

2009年1月に始めたこのブログ、その翌年から、どうしたことか毎年12月30日には、その年の美術展の振り返りを書き続けています。(2010年2011年2012年2013年2014年2015年) 
なぜ大晦日でもなく12月29日でもなく12月30日なのか、書いている私にも理由が判らないのですが、敢えてその「習慣」を壊す必要もなく、今年も「2016年の美術館・博物館めぐりの振り返り」を書くことにします。

    

例年、TOP3 と、次点 7展(これで BEST 10)を選んでいますが、今年は、TOP2はすぐに選べたものの、次点候補からTOP3に引き上げる展覧会が見つからず、どうしようかと考えました。
そして思いついたのは、ピンで足りないなら、ユニットで」という作戦。
意味不明でしょうから、さっさとTOP3 の発表デス 

 土木展 @ 21_21 DESIGN SIGHT [記事]

テトぐるみまさか、土木工事/建設をテーマにした展覧会が開催されて、それがアートとしてもこんなに面白いとは、からウロコというか、青天の霹靂というか、衝撃でした。
残念なのは、 この秀逸な展覧会の見聞録完結できていないこと…
ちなみに、帰り際に購入したテトぐるみは、私の自宅のPCの傍らに定位置を得て、鎮座しております。

 石橋美術館物語 1956 久留米から始まる @石橋美術館 [記事]

昨年のTOP3の一つ「ベスト・オブ・ザ・ベスト」@ブリヂストン美術館 につづいて、石橋コレクションの登場です。石橋コレクションの質の高さだけでなく、久留米という地と石橋家&ブリヂストンとの強いつながりを感じつつ、どことなく寂しさが感じられる展覧会でした。

そして、3つ目は、以下の3展ユニットしてのTOP3入りです。

 黄金のアフガニスタン @東京国立博物館 [記事]
バーミヤン 大仏天井壁画
 
@東京藝術大学大学美術館 陳列館
いま、被災地から
@東京藝術大学大学美術館

ほぼ時を同じくして、また、近隣地域で開催されたこの3つの展覧会自然によるもの、人為によるものの違いはあれ、美術品破壊とその保護を巡る「物語」として胸が熱くなるものがありました 文化伝わるものではなく、意志を持って伝えるものなのだと痛感しました。

   

つづいて、次点 は以下の7展でした。

ようこそ日本へ 1920-30年代のツーリズムとデザイン
                                                                           @東京国立近代美術館
ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像 @東京国立博物館
日本におけるキュビスム-ピカソ・インパクト @埼玉県立近代美術館
原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし @埼玉県立近代美術館
さいたまトリエンナーレ2016 @さいたま市内各所
本橋成一 在り処IZU PHOTO MUSEUM
平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち @東京国立博物館 

こうして並べてみると、ここ数年、欠かさず出かけている東京国立博物館(トーハク)平成館で開催された特別展が、2年連続してBEST 10 に入っていません
黄金のアフガニスタン」「ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像」「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」とトーハクで開催された特別展が入ってはいるのですが、去年の「みちのくの仏像」も含めて、そのいずれも、本館・特別5表慶館で開催された展覧会ばかりで、トーハクメイン特別展会場である平成館で開催された特別展は全滅です。
そもそも、テーマからして、私の食指が動きづらい特別展が続いている気がして、どうしちゃったんだろ…と思っています。

一方で、埼玉県立近代美術館は、特別展の企画ポスター/フライヤーのデザインもかなりイケてる 特別展を連発しているし、東京国立近代美術館も、去年の「大阪万博1970 デザイン・プロジェクト」に続いて今年もワクワクする特別展を開催してくれました。
両館には来年も期待していますよ 

最後に、常設展各種施設目を惹いたものは以下のとおりでした。

井戸尻考古館
宗像大社神宝館 [記事]
秋田県増田町の内蔵 [記事]
法隆寺 [記事]
東大寺戒壇堂 [記事]
江戸東京博物館 [記事]
江戸東京たてもの園 [記事]
六義園
瑞巌寺

ここに挙げた美術館・博物館・寺社・施設の所在地は、秋田・宮城・埼玉・東京・静岡・長野・奈良・福岡1都7県に渡ります。来年もあちこちにお出かけしたいと思っています。
そのためには、まずは健康第一 ですな。

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2016年師走の仙台旅行記(その12)

2016-12-29 12:26:48 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その11)」のつづきは、松島・瑞巌寺本堂のお話です。

瑞巌寺本堂

外観立派なのですが、凄かったのはその内部でした。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成しております。

という瑞巌寺、さすがは伊達男伊達政宗公による造営だけあって、安土桃山時代の残り香が漂うような、豪華絢爛なものでした。

残念ながら内部は撮影禁止のため、写真はありませんが(下の載せた写真は公式HPから拝借したもの)、まず、本堂デカい

お寺の本堂というよりは、内装の華麗さもあって、まるで御殿のようでした

「文王の間」はまさに大広間ですし、

瑞巌寺本堂・文王の間

その奥にある「上段の間」は、床・違い棚・帳台構え(但し戸ははめ殺し)を備えた書院造です。

瑞巌寺本堂・上段の間

床(とこ)には豪華絢爛火灯窓が設えられていて、上には仙台藩第5代藩主・伊達吉村公の筆になるという「圓満」の額
どうしてこの場に「圓満(円満)」なのでしょうか?

勝手に想像するに、先代藩主・綱村公の時代に発生したお家騒動伊達騒動)や藩財政の逼迫の中、仙台藩の立て直しに尽力して「中興の英主賞賛されている吉村公にとって、藩運営の秘訣「圓満(円満)」だったのかもしれません。

それはそうと、瑞巌寺本堂の「上段の間」の向かって左手、普通の書院造では付書院のある場所が、一風変わっていまして、小部屋になっていました。

「上々段の間」と呼ぶのだそうで、明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際には、この部屋が行在所(あんざいしょ)になったのだとか。
6畳間ですが、壁が屹立していて、それでいて天井が高く、かなり狭苦しい感じ…。 
寝室としては、もうちょっと広い部屋か、逆に天井が低い部屋の方が快適ではなかろうかと思いました。

   

ところで、毎年7月の第3月曜日は国民の祝日「海の日」です。
「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」というこの「海の日」は、毎年7月20日「海の記念日」が元になっています。
そして、「海の記念日」は、 こちらの資料によれば、昭和16年(1941)に国が制定したものだそうで、

明治天皇明治9年の東北・北海道御巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」で、青森から函館を経て、横浜に御安着された日にちなんだものです。
軍艦以外の汽船で、当時の最優秀新造船であった「明治丸」を御召し船とされたことが、将来の海洋国家日本を予言するものとして、国の記念日とするにふさわしい日とされたわけです。

なんだとか。

こんな理由で定めた記念日をで「国民の祝日」にしてしまって良いものだろうかと思いますが、ことしから「国民の祝日」になった「山の日」に至っては、

2013年6月30日に山の日制定議員連盟が開いた総会にて、6月上旬、海の日の翌日の火曜日、お盆前、日曜日を祝日とする案の中から、お盆休みと連続させやすい利点があるとしてお盆前の8月12日を祝日とする案が採用された。

と、かなり酷い

そもそも『海の日』があるなら『山の日』も」の感覚が濃厚で、この調子だと、「川の日」「湖の日」「森の日」「木の日」「花の日」・・・、はたまた「雷の日」とか「虹の日」なんてのも出てくるかも…。
もっとも、森羅万象神性を感じて「八百万の神」を崇める日本人らしい感覚といえなくもありませんな。

話が逸れたところで、きょうはお終いです。

つづき:2016/12/31 2016年師走の仙台旅行記(その12)

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いつも赤信号な交差点 2016年4Q

2016-12-27 23:22:05 | タウンウオッチング

めでたく、きょうで今年の勤務が完了しました。

明日から8日間冬休みです

と、なれば、恒例の「いつも赤信号な交差点 2016年4Q」です。(前期の記事はこちら

実は、きのう出勤時も帰宅時も年末渋滞が酷くて、高速道下道(したみち=一般道)も酷い渋滞で、それに懲りた私は、きょうは電車で出勤しました。
しかも、昨夜は、高速道経由で帰宅したことから(それでも2時間かかった…)、「2016年4Q」は先週金曜日までの実績です。

まずは、主役「いつも赤信号な交差点 2016年4Q」ランキング

いつものように、( )内は前期[ ]内は前年同期2015年4Q(2015年10~12月)(記事はこちら)のランキングです。

上位安泰なのですが、一桁ランク後方組相撲でいえば「前頭」ワースト10から脱落していることと、上位の「赤信号度」低下していることに気づきます。

この変化の理由としては、まず、年末の時期にあたることが挙げられるでしょうが、もう一つ、職場「定時を過ぎたら早く帰れ徹底して、私も、渋滞突入覚悟で、早い時間に帰宅したことが挙げられます。

上のランク表「赤信号率」渋滞分子と分母の両方から除外して算出しておりまして、渋滞を加味した「交差点を1回で通り抜けられなかった」ランキングと、渋滞率は下表のとおりでした。

環八通り渋滞が酷かったことが一目瞭然ですな。

川南交差点を先頭とした渋滞が、毎晩のように発生していたのですよ
昨夜などは、交通情報で見たところ、渋滞は、環八世田谷通りが交差する三本杉陸橋まで伸びていました。
まったくもって、なんとかして欲しい…。

年が明ければ、この渋滞もちょっとは緩和するはずですが、2月も半ばに入れば、こんどは年度末渋滞が発生するはずで、鬱陶しいったらありゃしない…

   

一方、2012年10月後半からのオールタイムのランキングは、n=779と標本数が増えれば、大きな変動が起こるはずもなく、あまり面白くない結果がでました。

、オールタイム・ランキング

というわけで、2016年のクルマ通勤は、大過なく無事に終えることができたのでありました。

めでたし、めでたし。

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今年の私のギャンブル成績

2016-12-25 14:58:12 | 日記・エッセイ・コラム/競馬

今月15日、「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」という長ったらしい名前の法律が成立しました。

これじゃ長すぎるので、いくつか略称が使われています。

まず、この法案推進派「IR推進法案」と呼び、反対派(例えばこちら)は「カジノ解禁推進法案」とか、左系野党は例によって「下層民にも判り易くしてやろう」とばかりにもっと直裁的に「カジノ法案」と呼んでいますし、NHK 「カジノを含むIR=統合型リゾート施設の整備推進法」と呼んでいます。

現行刑法では、

第185条
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

と、賭博は禁止されています。

しかし、現実的には、特別法で認められた競馬・競輪・競艇・オートレース・宝くじの他、どう考えても違法としか考えられないパチンコが公然と行われています。
いわば誰でも簡単賭博(ギャンブル)に参加できる状況なわけで、いまさら新法でカジノが合法になったとしても、そのカジノは、「地方公共団体の申請に基づき国の認定を受けた」「特定複合観光施設区域」内に設置されたものに限定されることから考えて、ギャンブル依存症の問題が悪化するとは思えないんですけどねぇ…
一方で、なぜ複合リゾート施設カジノが必要なのかも、イマイチ腑に落ちないけど…

   

ところで、私、ブログを始めるまでは、結構、競馬にハマっておりまして、毎週のように馬券を買っていました。
当時の目標は、「回収率80%と、かなり控えめなものでして、「競馬で大儲けしようなんて気はさらさらありませんでした。

他のギャンブルは、数ヶ月に1回ジャンボ宝くじを買ったり、似たような頻度でパチンコを嗜む程度で、ギャンブル依存症とは無縁の私です。

で、この記事のタイトル、「今年の私のギャンブル成績」ですが、とんでもない状況にあります。

家計簿から成績を抜き出しますと、こんな具合です。

まさしく前代未聞です

パチンコ「勝ち逃げ」は過去にもあった気がしますが、競馬がこれほどプラス収支なのは、競馬を始めて十数年来初めてのことです。
もっとも、単月で収支を見ると、プラスだったのは、5/1の天皇賞(春)から5/8のNHKマイルC、5/14の京王杯スプリングS、5/22優駿牝馬(オークス)まで怒濤4連勝を飾った5月だけ、この時期の貯金が今も残っている状態です。 

そして、きょうは中央競馬オーラス有馬記念の開催日。
だけ手を出して、今年の競馬のフィナーレにすることにしまして、以下の様に印を打って、馬券を買いました。

◎ ①キタサンブラック
○ ⑪サトノダイヤモンド
▲ ⑥サウンズオブアース
△ ⑩アドマイヤデウス
△ ⑯マリアライト
? ⑬デニムアンドルビー

BOXで買っていたら、当たり損のケースが増えそうですので、①キタサンブラック⑪サトノダイヤモンドから各馬への馬連 & 3連複と、下位指名4頭BOXの3連複に絞り込んで、購入総額は7,300円
これまた控えめだなぁ~

さて、どうなりますか

【追記】今さらながらではありますが、結果報告。
有馬記念での私が印を打った馬たちの成績は以下のとおりでした。

1着 ○⑪サトノダイヤモンド
2着 ◎①キタサンブラック
3着 -②ゴールドアクター
 <略>
8着 ▲⑥サウンドオブアース
9着 ?⑬デニムアンドルビー
10着 △⑯マリアライト
11着 △⑩アドマイヤデウス

単勝1~3番人気の馬たちがそのまま1~3着だなんて、こんなの有馬記念じゃない なんて苦笑いです。
②ゴールドアクターには最後まで印を打とうかどうか迷ったのですが、結局無印にして(最大の理由は高い人気)、 3連複は取れずじまい…
合計7,300円買って、回収は4,400円と、当たり損でした。

それでも、今年は私の競馬人生初のプラス収支お開きになりました。
残るタスクは宝くじの年間収支をプラスにすることで、「年末ジャンボ宝くじ」の結果次第でありまして、これは、、、期待しておりません (2016/12/29 09:19)

 

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2016年師走の仙台旅行記(その11)

2016-12-23 23:12:09 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その10)」のつづきです。

6年前瑞巌寺にやって来たとき、本堂ほか中門・御成門「保存修理真っ最中でした。

修理の期間は、当時の看板には「平成28年3月頃まで」とあり、その間、東日本大震災もあったのですが、

今春、本堂は無事に修理を終えて、4月5日から公開されていました

でも、中門と、

御成門では、

修復工事が現在進行形でした。

やはり工期が伸びていましたか…

そりゃ、仕方ないよな…
工事期間中に、あれほどの自然災害が発生して、松島津波に襲われ、瑞巌寺「その10」で書いたように、表参道杉並木塩害にやられてしまったのですから…

瑞巌寺にとっては、創建間もない頃と思われる貞観地震(869年)以来の大災害だったんだろうな…

そんなことをしみじみと思いながら、修復工事の終わった本堂へ…。

つづき:2016/12/29 2016年師走の仙台旅行記(その11)

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2016年師走の仙台旅行記(その10)

2016-12-22 22:00:52 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その9)」のつづきです。

きょう、ネット「おさい銭も電子マネーの時代 愛宕神社で1月4日限定」というニュースが流れていました。

江戸幕府を開いた徳川家康ゆかりの愛宕神社(東京都港区)は来年1月4日限定で、電子マネーで初詣のさい銭を受け入れる。小銭を持たない人が増えたためで、2014年から仕事始めの日に試験的に読み取り機を設置してきた。さい銭の電子マネー決済を認める神社は珍しく、利用者の反応を見ながら今後、本格的な導入を検討する。

お賽銭楽天Edyで受け入れるんだそうで、Twitterで反響を見ると、どちらかといえば、否定的な感想が多いような感じです。
電子マネーだと、お賽銭を「お納めする」というよりも、「支払う」イメージが強いからなのでしょうかねぇ…。

でも、お賽銭として、「2,951円」(福来い)のような、縁起の良さそうな金額を記入した小切手賽銭箱に入れる人は以前からいらしたわけで、私は、それと大した違いはないと思いますが、どうでしょう?

   

さて、本塩釜駅から仙石線下りに乗ると、小さなトンネルをいくつもくぐり抜け、10分たらず松島海岸駅に到着しました。

松島湾青い海が目に鮮やか

そして、まずは瑞巌寺に向かうと、参道は閑散といってもよい状況…

まぁ、平日ですから、仕方ないと言えば仕方ない

で、瑞巌寺拝観券を買おうとしますと、

Suicaが使えるんですなぁ、これが。

6年前瑞巌寺に参拝したときにも、既にSuica拝観券を買うことができまして、なるべく現金を持ち歩いたり、馴染みのない街でATMを探したくない旅行者としては便利ですぞ、これは

しかも、自販機で拝観券を購入しても、自販機で印刷した味気ないチケットではなく、有人の窓口で買うのと同じような、しっかりと印刷されて記念になるチケットが出てくるところが偉い 

一方で、瑞巌寺表参道は、6年前から様変わりしていました。

私のイメージに比べて、見通し良すぎますし、工事中です(上の写真は、の養生シート越しのため、ピントがです)。

傍らにあった看板によれば、

この度、東日本大震災による津波被害を受けた参道の杉林再生工事を行っております。
塩害による被害木、枯損支障木等の伐採、土壌の入れ替え、排水、新たな杉の植栽、参道通路の整備等の工事を行っております。

だとか…

東日本大震災から5年半経っても、未だに「現在進行形」なんだなぁと感じ入りました… 

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2016年師走の仙台旅行記(その9)

2016-12-20 23:21:26 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その8)」のつづきです。。

本塩釜駅に向かいつつ、昼食を摂れる場所を探していたところ、駅近くできれいなレストランを見つけて入りました。

メニューを見つめながら、何を食べようかしばし検討した後、選んだのはこちら

ご当地モノカキフライでございます。

美味しかった

当日、

カキ本体の形が舌で感じられるようなプリップリのカキフライでした。さすがは本場だ。

Tweetしたように、決して固くはないのに、「カキ本体の形が舌で感じられる」というのは、新鮮な証拠なんだと思います。
塩竃で食する昼食としてはBESTの選択だったと思っています

   

ところで、この日(平日です)、私の職場では防災訓練が予定されていまして、私は、送られてくる写メールを、防災本部の重鎮各位に転送するという任務を帯びていました。

ところが、食事中、わざわざ持ってきた「会社スマホをテーブルの上に置いて待ち構えていたのですが、その写メールが届かない

いぶかしく思ううちに、職場の昼休み時間に突入してしまいました。

後で判ったことですが、私に写メールを送る役割の人が、本来は私の会社スマホへ送るべきところ、私のPC用のメアドに送ってしまったのだそうな。

ある意味、良い訓練になりました。

   

不完全燃焼の状態でレストランを出た私は本塩釜駅へ。

駅に着いて時刻表を見ると、仙石線下り電車がやって来るまで、結構時間がありましたので、駅周辺をブラブラしました。

そして、本塩釜駅海側の出口で見かけたのが、この表示。

3・11津波は、この高さまでやって来た

駅の陸側のビルにも「津波到達」の表示がありました。

お風呂にお湯を張るようにジワジワと海水面が上がってきたのではなく、津波勢いを持って押し寄せたわけで、それがこんな高さまで来たなんて…

恐ろしい…

5年半前の出来事が信じられないような、この日の平和本塩釜駅前でした。

電車がやって来る時刻が近づいてきたので、改札を通ってホームに向かいました。

改札内の貼り紙によれば、「改札内にはありません」ですって。
場合によっては、困る人がいるんじゃないか?

と思ったら、

仙石線の電車トイレ完備なんですな

やがて、そのトイレ付き電車がやって来て、

ボタンを押してドアを開けて乗り込み(仙石線の電車は、駅に到着しても自動でドアは開きません)、6年ぶり松島を目指したのでありました。

つづき:2016/12/22 2016年師走の仙台旅行記(その10)

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2016年師走の仙台旅行記(その8)

2016-12-19 23:05:34 | MISIA/旅行記

「2016年師走の仙台旅行記(その7)」のつづきも「塩竃編」です。

と、その前に、きょう、こんなトゥウィート(MISIA)が目にとまりました。

2年ぶりの新アルバム、4年ぶりのTHE TOUR OF MISIA……。そして、15年ぶりのドラァグクイーン登場!(笑)
横浜アリーナと大阪城ホールでの公演に出演します。今回はドラァグクイーン増量マシマシよ!

という、あのマーガレットTweetです 

そっかぁ~、久々のドラァグクイーンの登場ですかぁ~
「THE TOUR OF MISIA」集大成にして千穐楽の今回のツアー、やはりドラァグクイーンは欠かせませんな

さて、御釜神社への参拝を終えて、まだ正午だというの腹ぺこ状態になった私は、昼食を摂る場所を探しつつ、本塩釜駅へと向かいました。

と、すぐにこちらの建物に目惹き付けられました

この建物は、清酒浦霞の醸造元、佐浦さんのものでした。

いかにも「年代物」に見えるこちらの入口、

法

佐浦さん「違い大根」紋ではなく、伊達家「竪三つ引き両」紋軒丸瓦が使われているからにはいわくありげです

傍らの説明板によると、

向拝(こうはい)とは、神社仏閣の本堂の正面階段上などにあって、屋根がせり出した部分をいい、ここから参拝者が本尊に向かい礼拝したことからこう呼ばれた。
ここ浦霞醸造元㈱佐浦の社屋玄関の向拝は、かつて鹽竈神社の別当寺として大きな勢力を誇った法蓮寺の向拝を移築したものである。

なるほど… 

法蓮寺は、鹽竈神社の神宮寺として室町時代に創建され、江戸時代には、仙台藩の祈願寺として広大な伽藍を有していた。(中略) しかし、明治維新の廃仏毀釈によって法蓮寺は廃寺となり、勝画楼を残して諸堂はとり毀され、仏像、仏具、経巻など共に悉く分散、散逸してしまった。

また出た、廃仏毀釈 

この時、法蓮寺の向拝は、南宮(多賀城市)の慈雲寺が譲り受け、同寺の本堂玄関として移築されることになった。その後この向拝は本堂とともに存続してきたが、平成18年に本堂が建て替えられることになり、向拝も一緒に解体、廃棄されることになった。
我々(NPOみなとしほがま)はその歴史的価値に鑑み、これを保存すべく、慈雲寺のご同意を得て、この向拝を譲り受けることにした。そして塩竃市民グループのボランティア支援を受けて、解体された部材を塩竃に移送、保管した。

ふむふむ…

その後我々は、向拝のよりよい保存活用法を検討し、かつて法蓮寺があった裏坂を望む本町中心部において多くの人々の目に触れ、江戸時代中期から御神酒酒屋として鹽竈神社とも関わりが深い佐浦酒造新築社屋の玄関として移築活用するのが最もふさわしいとの結論に至った。そして同社のご賛同とご協力を得て、130年余の歳月を超え、法蓮寺の向拝が再びここ塩竃の地に甦ることになった。
 平成20年10月               NPOみなとしほがま

へぇ~~

と、まだ終わらない塩竃編… 

つづき:2016/12/20 2016年師走の仙台旅行記(その9)

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またまた階段を昇った日

2016-12-18 09:24:30 | MISIA/タウンウォッチング

「江戸博の特別展は当たり外れが大きい」のつづきのようなお話です。

私はガッカリ感を胸にいだきながらも江戸東京博物館ミュージアムショップを冷やかしたあと、

両国駅総武線秋葉原駅京浜東北線(快速)有楽町駅

と電車を乗り継いで銀座にやって来ました。

お目当てはこちら

ソニービル8F「OPUS」で開催中の「サウンドプラネタリウム Voyage」です。
このイベントは、

プラネタリウム「MEGASTAR-Ⅱ」と高音質ハイレゾリューション・オーディオ(以下、ハイレゾ)音源を融合させたイベント

で、

イベントのイメージに相応しい、国内外アーティストの人気楽曲を集め、ソニーの高品質なスピーカーとアンプにより再生し、きめ細やかで美しいサウンドをご体感いただけます。高音質のハイレゾサウンドに美しいプラネタリウムの映像が重なり、まるで壮大な宇宙を旅しているかのような感覚が味わえます。 

というもの。
「国内外アーティストの人気楽曲」 にはMISIA「Everything」が含まれていることから、名古屋に行けない(行かない)寂しさを少しでも補おうという算段でした。
加えて、 1000万個を投影できるという「MEGASTAR-Ⅱ」にも興味津々でしたし…

で、有楽町駅からソニービルに向かって歩いていますと、有楽町マリオンの前あたりに行列ができていました。
そう、西銀座チャンスセンター年末ジャンボ宝くじを買おうという、に満ちた庶民の皆さんの行列です。 
そういえば、5年前ソニービル「OPUS」にやって来たとき(記事はこちら)も、この行列に遭遇しましたっけ…

他にいくらでも売場があるのに、わざわざ1時間以上も行列に並んで宝くじを買うなんて、もともと行列が嫌い な私(こちらの記事をご参照方)には到底理解できない心情です。

   

それはともかく、ソニービルに到着。

title=""ソニービル数寄屋橋交差点ランドマークソニービルは、竣工から50年を経て、

2017年4月1日からこのビルの解体が始まります。
50年もこの地でみんなと出会ってきたビルです。
言葉にならない気持ちで一杯です。
でも、戻ってきます。
2018年の夏までお待ちください。
Sonyプロダクトを展示していた建物から、
思い切って、この土地を“Park”にします。 

なのだそうで、ほんの1年たらずリニューアルオープン? 公園? と驚くのですが、2020年秋から新しいビルの建設を開始して、2022年秋竣工予定なのだとか。
この計画、2020年東京オリンピック/パラリンピックと関連しているのかなぁ? 
オリンピック後建設不況を見越して、安い資材・安い工賃新ビルの建設を計画したとか… 

それはさておき、ソニービル惜別イベントとして、It's a Sonyが開催されていました。

これが面白かった

2階から4階まで、

1946年のソニーの前身である「東京通信工業」の誕生から70年の歳月を経て、過去の歴代のアーカイブを6つの時代に分けて、一同(「一堂」の誤り?)に展示します。今回初公開の掘り出しモノも。

ということで、「花びら構造」のフロアを昇るにつれて、創業期から現在へと時代を下っていきます。

昔の録音機(テープレコーダー)のなんとデカかったことか とか、ウォークマンに聴き入るお猿さんのCMが懐かしかったり(初めてウォークマンで音楽を聴いたとき、その高音質驚愕したものでしたっけ…)、私が初めて買ったケータイソニー製だったことを思い出したりと、感慨深いものでした。

伝説の「ソニータイマー」辟易して(さほど持っていないソニー製品が2台同時サービスステーション「入院」したこともあった)、ここ十数年来、ソニー製品を買っていない私でさえそうなのですから、「ソニー信者」にとっては涙モノなんでしょうねぇ・・ 

で、ソニー製品の歴史を下ってきて思ったのは、PlayStation以降の製品群に魅力が感じられないということ。
見かけからして、かつてのドキドキするような姿形から、タダの白い箱に変わってしまって、物欲わかないのですよ。 
アナログからデジタルへ、メカトロニクスからICTへ、モノからコトへ、といった時代の変化が、ソニー唯一無二的な存在感、いわば「It's a Sony」薄めている気がしました。 

   

「It's a Sony展」が終わってもなお階段を昇って8階に到着。

サウンドプラネタリウム Voyage

あれまOPUSは予想に反して「満員」 盛況でした。

約20分待って、OPUSに入場できました。

内部は、おざぶが並んでいて(後方にはソファーあり)、前面には白い壁を背景に1本90万円近くするスピーカー「SS-AR1」が、そして後方にはメカ感ハンパない「MEGASTAR-Ⅱ」が鎮座していました。

このプラネタリウム「MEGASTAR-Ⅱ」の開発者、大平貴之さんは、元ソニーのエンジニア、っつうか、元々アマチュアのプラネタリウム開発者がソニーに就職したのだそうで、そのいきさつはかねてより存じておりました。
その世界最高峰とも謳われるMEGASTAR-Ⅱの実力を拝見できると、ドキドキものでした。

で、「サウンドプラネタリウム Voyageは、、、、 映像の詳細さ・美しさ格別のものがあったのですが、いかんせん、直方体の内部にプラネタリウムを投影することには無理があるわけで、天井に映った星は楕円形に変形していて、ちょいと興ざめ
また、実際の天体の動き再現しているのか、ただ星を模した光の点を投影しているのかが判らず(おそらく前者でしょう)、この点でもう~む…でありました。

でも、超高級オーディオシステムで聴くMISIA「Everything」にはうっとりでした

艶やか伸びのある歌声、それぞれの楽器の音の輪郭クリアなサウンド、良い環境で、良い装置MISIAの歌を聴くって、贅沢だよなぁ~と、つくづく思ったのでした。

「Everything」は途中でフェイドアウトして(最後まで聴かせてよ)、次のペンタトニックス「ハレルヤ」超分厚いハーモニーを堪能し、プログラムは約15分で終了。

次の予定を控えていた私は、そそくさと

有楽町駅山手線東京駅上野東京ライン赤羽駅

のルートで戻ったのでありました。

なお、「サウンドプラネタリウム Voyage」「Everything」を聴けるのは12月27日までですので、行こうかなとお思いの方はお早め

【追記】「ここ十数年来、ソニー製品を買っていない私でさえそうなのですから」と書きましたが、去年1月にヘッドホン「MDR-1A」を買ったことを思い出しました (2016/12/18 09:42)

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