新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

二日続けて東博に出かけた話(その1)

2014-06-30 23:50:20 | 美術館・博物館・アート

土曜日(記事はこちら)に続いて、昨日も東京国立博物館(東博)に行ってきました。
お目当ては土曜日に観た特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」ではなく、二つありまして、まず、ミュージアムシアターの、

140630_1_01 「伊能忠敬の日本図」です。

いやぁ~、面白かった そして勉強になりました。

齢(よわい)50にして隠居するや、20歳近くも年下の高橋至時に弟子入りして天文学や暦学を学び、56歳から17年をかけて日本全国を歩き回って測量し、日本で初めて実測による日本地図を完成させたという伊能忠敬は、「シニア世代の星として有名な方。

その伊能忠敬が作り上げた「日本地図」は、その縮尺によって、「大図(1/36,000), 214枚」「中図(1/216,000), 8枚」「小図(1/432,000), 3枚」の3種類があって、それぞれについて、忠敬から幕府に提出された「正本」、「正本」の公式複製本の「副本」、模写された「模写本」があることが丁寧に説明され、その実物大とか超拡大をスクリーンで観ることができ、そして、肝心の伊能測量隊測量方法を知ることができました。

これだけでも目を見張るしかなかったのに、「副本」(ちなみに「正本」はすべて焼失しているとのこと)の現物が展示されているのは東博ならではの趣向です

   

140630_1_02 さっそく、平成館1階の企画展示室に特集陳列「伊能忠敬の日本図」を観に行きました(前日、特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」を観に行ったときには、同じ平成館でこんな魅力的な特集陳列が行われていることに気づきませんでした

すると、この特集陳列の冒頭に展示されていたのは、

140630_1_03 「日本沿海輿地図(中図)」「東北」でした

もちろん、私の「地元」をしげしげと観たのですが、書かれている文字があまりにも小さくて、肉眼では良く見えません

そこで、撮ってきた写真拡大して、回転しますと、、、

140630_1_04 おぉ~ おなじみの地名が書かれているではありませんか

お城のある「久保田」はもちろん、土崎相染(母の実家のある地域。現在は土崎エリアに入っています)、飯島寺内牛島仁井田御所野戸島(父方の祖母の実家のある地域)、和田浜田などなど…

現在とは表記が違っていると思われる地名もありまして、「谷橋」八橋(やばせ)「新谷」新屋(あらや)なんだろうと思います。

また、伊能測量隊が海岸線を連続的に地形を記録していくのと併せて、誤差が大きくなるのを防ぐために測量点とランドマークとの角度を測った(伊能図では赤の直線で示されています)とのことでしたが、秋田市(久保田)近辺では太平山ランドマークになっていたこと、秋田市の北、南秋田郡秋田市のに南秋田郡があるのは、やはり変だよな)のランドマーク森吉山だったことが判りました。

いやぁ~、凄い凄い

さらに、伊能忠敬の性格をうかがい知ることができた(気のする)のは、こちらの伊能図でした。

140630_1_05 これはどこの地図でしょうか?

これでは判りづらいと思いますので、上下ひっくり返しましょう。

140630_1_06 そう、九州の中~南部です。
でも、筑前・筑後(福岡)、肥前(佐賀・長崎)が妙なことになっています。

説明板によりますと、

文化6年(1809)から8年にかけての第一次九州測量の成果に基づく小図(縮尺43万2千分の1)。その時点で未調査の肥前、筑前、筑後の3か国分を欠いている

由です。

測量していなくても、過去に作られた地図を参照すれば、おおよその地形は想像できるでしょうに、忠敬「測量していない部分は描かないという考えだったのでしょう。

「忠敬は、科学者だったんだなぁ~」と感嘆した私でございました。

   

特集陳列「伊能忠敬の日本図」では、関東地方、

140630_1_07

中四国伊能図も展示されていました。

140630_1_08 ズラリと並ぶ伊能図を、観衆の皆さんは私同様に食い入るように見つめていたのが印象的でした。

おっ、千葉の英雄

という、とある観客のひと言が妙にウケたりして…

伊能図に加えて、地図づくりの教科書とか、

140630_1_09 伊能図以前の地図なんぞも展示されていまして、こちらは、「行基図」として知られた地図

140630_1_10

 

ところが、説明板によれば、この本は百科事典「拾芥抄(しゅうがいしょう)の江戸時代に発行された活字版で、

『拾芥抄』は鎌倉時代に編纂された百科全書。江戸時代中期に刊行されたこの版本には、中世に普及した日本図が掲載されている。奈良時代の僧行基の制作とされ「行基図」の名があるが、実際は平安時代以降に作られたもので。中国や朝鮮にも伝わった。

のだそうで、いわゆる「目からウロコ」ってヤツでした。

完全に特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」の陰に隠れている感じのミュージアムシアター「伊能忠敬の日本図」と特集陳列「伊能忠敬の日本図」ですが、これを見逃すのは、ぜぇ~~ったいにMOTTAINAI 断言いたします。

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「白菜」を観るなら閉館間際がよろしいかと・・・

2014-06-29 12:04:06 | 美術館・博物館・アート

昨日、東京国立博物館(東博)で開催中の特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」を観てきました。

こちらで書いた「國立」問題は、日本側が「國立なし」看板・ポスター・前売り券「國立あり」に差し替えることで、なんとかクリアして、無事に開催にこぎ着けたようです。

東博に出かけて不思議だったのは、どうして東博にこの展覧会のフライヤーが置かれていないのだろうかということでした。
特別展が始まってしまえばフライヤーを置かない美術館・博物館もありますが、東博の場合は必ず会期中はフライヤーを置いているのに(お土産になります)…
この記事を書くべく、先に入手していたフライヤーをスキャンすると、、、

140629_1_02 あれっ、「國立」が無い

でも、今年初めに入手した東博展九博展が表裏になった1枚ペラのフライヤーは、こちらに載せたように、

140629_1_03 「國立」入りです
もしかすると、本番用のフライヤー「國立」入りに差し替えの真っ最中?

ちなみに、前売り券は、

東京国立博物館では、「國立」表記のないチケットについて、ご入場の際に、表記のあるものと交換の上ご使用いただけます。なお一部報道において、「國立」表記のないチケットが無効とされていますが、そのような事実はありません。

だそうで、なんとも手間のかかる話で…

   

東博での「台北國立故宮博物院―神品至宝―」展の開催は9月15日までの3ヶ月弱ですが、

『翠玉白菜』展示期間[6月24日(火)~7月7日(月)]は無休毎日夜8時まで特別開館

だそうです。
但し、「6月30日(月)、7月7日(月)は特別展会場のみ開館。総合文化展(本館、東洋館、法隆寺宝物館、平成館)は閉室」だそうですので、ご注意ください。

公式Twitterによれば、超目玉「翠玉白菜」の展示には連日長蛇の列ができているようで、昨日の朝10時頃には、なんと4時間待ち

140629_1_01

なんとまぁ…
せっかくの休日に4時間も並んでいるなんて、とても耐えられません。

でも、6年振りに「翠玉白菜」で観たい

というわけで、閉館間際を狙ってみることにして、夕方4時を過ぎてから出撃しました。

   

東博に到着したのは17:40
こんな時刻でも、

140629_1_04

80分待ち

う~む…です 平成館の本会場を観ている間に行列が短くなっていてほしいものだと思いつつ、入門しようとすると、私にとって東博では初めて手荷物チェック
コンサート会場での手荷物チェックのような簡単なものでしたが、普通の展覧会ではないことを実感して、ちょっと緊張

入門した際に配られたフライヤーによれば、「翠玉白菜」が展示されている本館 特別5室のレイアウトはこんな具合でした。

140629_1_05 たかだか30cm弱の高さしかない「白菜」だけを、あの大きな空間に展示するなんて、いったいどんなレイアウトなのだろうかと思っていたのですが、要は、展示室の大部分を行列に使ってしまおうという算段だったんですな。
最後の部分だけでも空調の効いた空間で待てるというのはありがたい…

で、本館の外の行列はどんな具合かといいますと、、、あれ?

140629_1_06 意外なほど行列は短くて、本館の外周の「第4コーナー」辺りが最後尾です。

「キトラ古墳壁画」展のとき(こちらの記事をご参照方)に比べれば、かなぁ~り短い行列です。これでも本当に「80分待ちなのでしょうかねぇ…

いぶかしく思いながら、混んではいるものの結構しっかりと平成館2階本編を観覧した後(こちらのお話は後日書きます)、

140629_1_07

19:00ちょい過ぎ、本館での「白菜」の展示に向かいました。
すると、、、、またまたあれ

140629_1_08

行列が無い

140629_1_09

と思ったら、私の直前で本館入館の行列が始まりました。
そして係員が掲げたのは、「待ち時間 70分」のプラカード

実は、本館前の行列は、本館 特別5室に直接繋がっているのではなく、一旦、特別4室に「通されて」、そこで列をなして特別5室への入室を待つことになっているのでした。
展示室ほぼ2室観覧待ちの列のために用意されているとは、なんとまぁ…

「70分待ちのはずが、サクサクと行列が進み、私は「40分待ち「白菜」に再会できました

「白菜」の現物は、写真で見る以上に艶やかで、美しいものでした
しかも、思いのほか、じっくりと観られたのがうれしかったなぁ。

140629_1_10 「白菜」の展示コーナーは円形の壁の中なんですが、この壁が何カ所かくり抜かれていて、列をなして待っている間にも、立ち止まっている場所によっては、現物をチラ見できましたし、間近に拝見する際は「進みながらご覧ください」と連呼されますが、1列目を約1周したあとは、2列目から思う存分、いろいろな角度から眺めることができました。(右は自作の模式図)
ですから、「何時間も待ったのに、ほんの数十秒しか観られなかった」なんてことはありません。

この展示方法、拍手モノです

今日以降、「翠玉白菜」を観に行ってみようか…、でもなぁ~と思案中の方の参考になれば幸いです。

   

140629_1_11 しっかりとを拝見して満足した私、自立してしまうくらいどっしりと分厚い図録(平成館2階の本編を観る途中で買わない方が良いです。第1会場と第2会場を見終えてから買うべきです。手にぶら下げて展示を観るには重すぎます。本館1階のミュージアムショップではSuicaも使えます)と、

140629_1_12_2 「台灣設計 中國製造」だという白菜のストラップを購入し、ほんのちょっとだけ鎌倉期の仏像を眺めて一息つくと(中国美術に満腹感を覚えて、日本美術に飢えていた感じ)、もう閉館時刻になっていました。

蛍の光に送られて東博を出るのは初めてでした。

140629_1_13

そうそう、「閉館の30分前である19:30以降も入場規制を実施している場合」

19:30以降も入場規制を実施している場合、いずれの入場待ち列も閉館時間の20:00までにお並びのお客様までのご案内となります。20:00以降、新たに入場待ち列にお並びいただくことはできません

だそうです。

ふぅ~、書き終えた…。
東博のサイトめちゃくちゃ重くて、大変でした

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紀伊半島旅行記(その25:奈良?)+α

2014-06-28 13:35:18 | MISIA

「紀伊半島旅行記(その24:伊勢2日目編 最終回)」つづきは、今回の旅行の最終目的地・奈良でのお話、その1です。

「ムダな動きが多かったけど収穫もあった一日」で書いたように、私は、

宇治山田駅伊勢志摩ライナー大和西大寺駅近鉄奈良線近鉄奈良駅

の経路で、奈良の街に降り立ちました。

乗換駅の大和西大寺駅は、一部の「鉄ちゃん」から「聖地扱いされているのだとか。
その理由がこちら

140628_1_01

線路が凄いことになっています。
奈良線京都線橿原線平面で交差している上に、車庫機待線(きまちせん)まであるものですから、もうグシャグシャです。

140628_1_02

Wikipediaによれば、ポイントが28器もあるのだとか。
以前から、ホームから見た線路の写真を撮りたいと思い続けてきたのですが、なかなかシャッターチャンスに恵まれませんでした
短い乗り換え時間を利用して撮ろうにも、ひっきりなしに電車が行き来するものですから…。

でも、ようやく写真に撮ることができました

140628_1_03

なんだか火事場のホースみたい…
どこをどうすれば、どの電車がどこに行けるのか…
ポイント切り替えゲームなんてのがあったら、ディープなファンにはウケるかもしれませんな。

   

翌朝、見事な青空に誘われて、ホテルの周りを散歩しました
まずは、街の真ん中にほっこりと佇む古墳

140628_1_04

この古墳、「春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)」という「の」連発の名前を持つ開化天皇陵です。

   

と、ここで「開化天皇」を調べていると、

140628_1_05

「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」のライヴDVD & Blu-rayの広告が出ていました。
発売まで1週間を切ったんですなぁ。

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発売日:2014-07-02

15秒スポット映像は、短すぎるくらい短いけれど、かなり良いデキだと思います。

MISIAといえば、昨日の朝の通勤時思いがけないことがありました。

私、毎週金曜日の通勤時は、J-WAVE「~JK RADIO~TOKYO UNITED」を聴いています(月~木は、B所T也氏の口調Englishの発音すべてが不快なので別の局を聴いています)。その中で「朝食を中心に、国内外、世界中の食卓と、そのメニューに込められたストーリーを紹介します」という「Cleansui MORNING TABLE」のコーナーが特にお気に入りで、毎週、ハンドルを握りながら想像の翼を広げて、そして空腹感を募らせています。

昨日、このコーナーで紹介されたのは、長崎県島原のそうめんでした。
そうめんのおいしさが増す季節が近づいてきたなぁ…なんて考えていたら、流れてきたのは、MISIA「Escape (DJ Watarai Remix)」

このコーナーでは、その週に紹介された地方や国の出身ミュージシャンの曲がかかるのですが、私は「Escape (DJ Watarai Remix)」のイントロが流れるまで、「MISIA:長崎県出身」をすっかり忘れていました まったく私としたことが…

それにしても、「Escape (DJ Watarai Remix)」をかけるなんて、さすがはJ-WAVE
TOKYO FMとはセンスが違うよなぁ~ と改めて思いましたデス。

話が逸れまくりなので、ここで区切ります

つづき:2014/07/07 紀伊半島旅行記(その26:奈良②)

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徒然煙草@「徒然草」展 (前編)

2014-06-23 22:31:14 | 美術館・博物館・アート

今日の私は「車検休暇」
せっかくの「平日休み」なのですが、平日ならではのやるべきことが結構あって、忙しいったらもう…
でも、行ってまいりました、サントリー美術館

140623_1_01

「徒然煙草」なるHNを使っている手前、「徒然草」を無視することはできませんから
というか、私自身、「徒然草」は好きな作品でして、というよりも、高校の古典の授業では唯一楽しみにしていたのが「徒然草」でした。

それにしても、物語文学の「源氏物語」ならいざ知らず、随筆集の「徒然草」をテーマとした「美術展が成り立つものなのか、かなぁ~り疑問でした。

140623_1_02 ところが、「徒然草」展、観ると、楽しいったらありゃしない
観て廻る間ぢゅう、頬が緩んでしようが無い私でございました。

鎌倉時代末期、兼好法師(生没年未詳)によって書かれた『徒然草』は、名文の誉れ高く、『枕草子』・『方丈記』とともに日本三大随筆に数えられます。「つれづれなるままに」の序段で始まる『徒然草』は、今や古典文学のなかでも最も親しまれた作品の一つといえるでしょう。
しかし『徒然草』は、成立後100年あまりもその鑑賞の歴史をたどることができません。『徒然草』の本格的な享受は慶長年間(1596~1615)に始まると考えられ、江戸時代になると、『徒然草』は研究、鑑賞、そして創作への応用など、さまざまな分野で多様な展開を示すようになりました。そうした『徒然草』流布の過程で、〈徒然絵〉とも呼ぶべき絵画作品が登場するようになります。近年館蔵品に加わった海北友雪「徒然草絵巻」二十巻もその一つです。そこで本展では、この新収絵巻を初公開するとともに、屏風や絵本などの美術作例を通して、一度は読みたい、今こそ知りたい『徒然草』の名場面をたどります。

とありますが、その〈徒然絵〉が良かったんですよぉ~

展示作品に一番多く登場していたのは、例の仁和寺の法師お話(第53段)
お稚児さんを楽しませようと、を頭に被って踊ったものの、が取れなくなってしまった坊さんの悲惨なお話です。

140623_1_03

この場面・お話はいくつもの作品になって展示されていたのですが、一風変わっていたのが、英一蝶のこちらの作品(「徒然草・御室法師図)でした。

140623_1_04

を被ったなんとも情けない様子の坊さんと、そんな状況に目もくれず、神妙に脈をとるお医者さん、、、いいなぁ~

仮に、お医者さん笑い転げて治療もなにもできない なんて絵だったら、薄い笑いで終わるところ、お医者さんが職業意識全開で「治療」に専念しているからこそ、おかしみに深みが加わっていると思います。
さすがは英一蝶

というところで、「後編」につづきます。

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紀伊半島旅行記(その24:伊勢2日目編 最終回)

2014-06-22 18:32:16 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その23:伊勢2日目編 その6)」のつづきは、「伊勢2日目編」最終回です。

140622_2_01

賓日館の1階では、「甦る布展」という展覧会が開催されていました。

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できることなら、お部屋と古布アートをゆっくりと鑑賞したいところでしたが、「先を急ぎますんでと、ドタバタと賓日館を歩き回ります。

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こぢんまりした中庭もよござんす
そして、こちらの帳場古風で、江戸の残り香が漂う明治時代にタイムスリップしてしまった気がしました。

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おっと、時間が無い
庭を散策してみたいという思いに後ろ髪を引かれる思いで、バス停へと急ぎました

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でも、結果として、バス乗り遅れてしまったんですから、目も当てられません…
次のバスを待つ間を利用して、「二見浦表参道」バス停近くの喫茶店で遅めの昼食を摂ることにしました。
食べたのは、焼きそば

140622_2_06

喫茶店では、近所の人たちらしい常連さん達が談笑を楽しんでいて、なんとも長閑でございました。
バスの時刻が近づいてきたので、喫茶店を出てバス停に向かいました。
と、あれは何?

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神宮徴古館から内宮を経由して二見に向かった際、バスは途中で「伊勢・安土桃山文化村」バス停に寄ったのですが、その伊勢・安土桃山文化村の目玉、「資料に基づいて忠実に再現された原寸大(43m)の安土城」です。

それは良いのですが、どうして「安土桃山時代の歴史、文化を扱うテーマパークWikipediaより)が伊勢にあるんだろうか…

   

定刻にやって来た路線バスに乗って伊勢市の市街地へと向かいました。

考えてみれば、伊勢神宮お守りお札の類をまったく買っていません。
お賽銭をちょっとだけ納めたけれど、ちょっとこれはマズいだろ

ということで、外宮前で下車して、外宮に2度目の御参拝。
そしてこちらの木守を購入しました。

140622_2_09 木守の形は、神宝「御楯(おんたて)」を模したものとお見受けしました。
「神宮神宝図録」には2種類の「御楯」の写真が載っていまして、

140622_2_10 左が外宮別宮の多賀宮、右が内宮別宮の荒祭宮にそれぞれ納められていたものだそうです。
そして図録の解説によれば、

頭部が三山形になり、皇大神宮とその別宮、豊受大神宮とその別宮とで形状に二種の形式がある。

そうですから、内宮木守の形が容易に想像できますな。

   

こうして無事に伊勢神宮への参拝を終えた私は、徒歩で近鉄・宇治山田駅へ。
途中、こんな建物を見かけました。

140622_2_11

「看板建築」亜種って感じですな。

そして、宇治山田駅に到着。

140622_2_12

と、駅の向かいにこんな看板を発見(っつうか、結構目立つ)

140622_2_14

澤村榮治 生誕の街

とありますが、どれだけの人が「澤村榮治」さんと聞いてピンとくるのでしょうか

「澤村榮治」さんは、沢村賞(沢村栄治賞)」にその名を残す、伝説のプロ野球選手です。

私の知識では、「創生期のプロ野球で剛速球投手として鳴らしたものの、戦死された」程度のものですが、Wikipediaによれば、澤村さんは、

徴兵⇒復員⇒オーバースローできなくなりサイドスローに転向⇒2度目の徴兵⇒復員⇒サイドスローもできなくなりアンダースローに転向⇒巨人から解雇⇒引退⇒3度目の徴兵⇒戦死

と、何とも悲惨な後半生を送られていました。
TVドラマ「JIN -仁-」では、

神は乗り越えられない試練を与えない

というフレーズが繰り返されていましたが、澤村さんに限っては、どうしてここまで厳しい試練が、それも何度も立ちはだかったのか…
酷すぎやしませんか?

と、こんなコトを考えたのはついさっきでして「澤村榮治 生誕の街」の看板を見たときは、そんなことはつゆ知らず、「読売ヂャイアンツの選手には興味な~いと、先を急いだのでありました。

ふぅ~、、、、ようやく「伊勢編」が終わった…

つづき:2014/06/28 紀伊半島旅行記(その25:奈良?)+α

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久しぶりの日本橋

2014-06-22 08:21:52 | タウンウオッチング

きのう、3回目の車検を迎える愛車を自動車ディーラーに持ち込んだ後、バス&電車を乗り継いで日本橋へ繰り出しました。

140622_1_01 目的は、三井記念美術館で開催中の特別展「超絶技巧! 明治工芸の粋(すい)」を観ること。
この展覧会のことは(予想以上に混んでいたけれど満足)後日に廻すことにいたしまして、きょうは約2年振りの日本橋(2年前の記事はこちら)のことを書くことにします。

私にとって「日本橋」というエリアは縁遠い感じを持っていて、めったに出かけることはありません。
東京駅の日本橋口から街に出て、「3・11」から間もないあの日以来久しぶりにプロメテウス像を横目に見ながら、まずは日本銀行本店

140622_1_02

このブログのごく初期にこちらの記事で採り上げて以降、何度も日銀ネタが登場しておりますが、それだけ日銀は支店を含めて印象的な建物が多いということでしょう。
但し、この日銀本店(本館)地べたから観たのは、今日が初めてでした。クルマや電車の車窓からは何度も眺めたことがあったんですけど…

で、実のところ、建物がデカいことに加えて、街路樹があって、グラウンド・レベルからは良く観賞できないことがよく判りました。

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ちょいとがっかりしたものの、日本橋三越本店では面白いものを見つけました。

140622_1_04

それは、上に載せた金色に輝くマーキュリー像どっしり構えるライオン像ではなく、このちょうど裏側(日銀側)にある搬入口

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そこに掲げられているのは「朱引線(SHU-BIKI-SEN)」なる表示です

「朱引」といえば、江戸幕府江戸の範囲を示すために地図に引いたを思い出すわけですが、日本橋三越本店では、

商品・先地品は許可なくこの朱引線を越えて持出(持込)することを厳禁します。
この場所からの従業員出入は禁止されています。

だそうで、いわゆる「結界」のようなもののようです。
すごいですなぁ~。さすがは三井越後屋呉服店の流れを汲む超老舗三越だけのことはあります。

   

ところで、下に載せたのは、私が敬愛する歌川廣重の作品。

140622_1_06

「東都名所 駿河町之図」です。
この絵を描いた廣重の視点から現在の風景を眺めると、こうなります。

140622_1_07

140622_1_08 「江戸橋通り」から富士山を望むのは到底無理な状況です (「江戸橋通り」の道標は12代目 市川團十郎さんの筆によるものらしい)
でも、江戸時代から現代まで、繋がる部分は繋がっていることが感じられるというのは、楽しいものです。

   

あ、そうだ

日本橋ではなくの方)の麒麟像が、阿吽になっていることに、きょう初めて気づきました。

橋中央部の柱には、2頭の麒麟が背中合わせで鎮座しています。
東側のペアは、

140622_1_09 北向きの麒麟が「阿形」で、南向きの麒麟が「吽形」になっていますな。

一方、西側のペアは当然の様にで、南向きの麒麟が「阿形」です。

140622_1_10 つまり、日本橋を渡るべく、真正面から向き合うと、左に「阿形」、右に「吽形」の麒麟が待ち構えているというしつらえです。

橋の両端で、東京の紋を(現在のものとは微妙に違う)支えている獅子も同様で、が阿形で、

140622_1_11 が吽形

140622_1_12 2009年10月の記事「ライオン、狛犬、獅子、そしてAmazon」で書いた(引用した)ように、獅子&狛犬の配置は、「向かって右側が口を開いた角なしの『阿像』で獅子、左側が口を閉じた角ありの『吽像』で狛犬」が一般的なはずなのですが、この日本橋の配置(向かって左側が「阿形」、右側が「吽形」 )はどうしたことでしょうか?

ググって調べてみましたけれど、日本橋の麒麟が「阿吽」になっていることは、こちらのサイトでも書かれていましたが、「阿吽」の配置「常識とは逆になっている理由は判りません…

御存知の方がいらっしゃいましたらご教示くださいませ

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「國立」の有無が問題になっているようです

2014-06-21 06:56:41 | ニュース

きのうの昼頃(14:30以降)から、このブログの2つのページにアクセスが急増しました。
それは、今年の第9週のページと、この週に含まれる「『今年の秋は九博に行くぞ!』宣言」のページです。
そして、どちらも、「参照元のURL」空白のアクセスが多いものの、判るもののほとんどは、「facebook」https://www.google.com.tw/からのアクセスばかり。
台湾でこのページが話題になっているんでしょうか…

   

昨夜、日本経済新聞の電子版を見ていると、かなり気になる記事をみつけました。

140621_1_01 「台湾が『国立』削除に抗議 故宮展ポスターで日本側に」だそうで、

東京国立博物館(東京都台東区)で24日から始まる「故宮展」を前に、台湾総統府と台北の故宮博物院は20日、日本側が正式名称の「台北国立故宮博物院」から「国立」を削除したポスターを作製し、都内に掲示しているとして抗議する声明を発表した。

そして、

日本側に22日午前0時までに修正するよう求め、応じない場合「一切の展示活動を取り消す」と主張

だというのですから、穏やかではありません。

記事によれば、

展覧会の名称は「台北国立故宮博物院―神品至宝―」だが、日本は台湾を国と承認していないため「国立」の文言を使用するかどうか日本側関係者の間で議論となった経緯がある。

なんだとか。
昨夜私が読んだ更新前の記事によれば、東博「『國立故宮博物院』は固有名詞と解釈してフルネームのポスターやフライヤーを作成したものの(だから「國立」旧字体なんですな…)、

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問題となったポスターは主催者として名を連ねるメディア各社が独自に作製

なのだとか。

へぇ~、駅で見かける展覧会の看板やポスターって、美術館ではなくて主催者・共催者(スポンサー)が作っているんだ…と妙なところに感心したものの、それどころではない状況です。
このトラブルが原因で、「開梱式」だかなんだかも中止されたそうで、週明けの火曜日から開幕できるのか心配です。

それにしても、大陸の某国台湾それぞれと日本との微妙な関係を考えれば、台湾側の対応は大人げない気がする一方で、日本側は「これくらいなら見逃してくれるだろう的に台湾側をなめていた節が感じられて、「どっちもどっち」というか、要はコミュニケーション不足だったということなのでしょう。

東博九博で開催される「台北国立故宮博物院―神品至宝―」は、多くの人々が心待ちしているはずです。
なんとか無事に開催されますように

   

私のブログへのアクセス急増は、このトラブルが関係しているのかもしれませんな。

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紀伊半島旅行記(その23:伊勢2日目編 その6)

2014-06-18 23:37:15 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その22:伊勢2日目編 その5)」のつづきは、二見での「掘り出し物賓日館(ひんじつかん)のこと。

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まず、「順路の矢印に沿って、いかにも「貴賓の館の風が漂う階段を昇り2階へ。

140618_1_03 この階段の親柱に彫られた「カエル」よりも、

140618_1_04 階段に使われているケヤキ(だと思う…)の美しい杢目に目を奪われた私でした。

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ちなみに親柱に彫られたカエル、説明板によれば、

階段親柱に彫られている「二見かえる」の作者は板倉白龍です。
白龍は有名な彫刻家「橋本平八」の弟子で、倭姫命像を千体以上彫ったことで知られ、院展でも入選しています。
この蛙は親柱と同じ楠の一木に彫られていて、後で取り付けたものではありません。(中略)ちなみに「二見かえる」は縁起のよい「無事かえる」との語呂合わせから二見興玉神社祀神・猿田彦大神のお使いのように扱われ、二見のシンボルともなっています。

だそうですが、板倉白龍さんも、橋本平八さんも、私にとっては初めてお聞きする名前です…

さて、2階での最初の見学ポイント「翁の間」こと中広間でした。

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「中広間」にしてこの広さ「大広間」はどんな広さなんだろうか…と思っていたら、その「大広間」は、広さもさることながら、その豪華絢爛さ(趣味が良いとは言えないかもしれないけれど…)に圧倒されたのは、「ムダな動きが多かったけど収穫もあった一日」に書いたとおりです。

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いわゆる「折上格天井」ってヤツです

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そして、温泉ホテルなどの大広間にはつきもののステージがまた…

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「松」の図が能舞台を彷彿とさせますが、それだけではなく、

この舞台の下には、多くの能舞台がそうであるように、6つの大きな甕(かめ)が据えられています。これには、必要な音だけを反響させる効果があります。また、床板には檜天井板には反響した音が柔らか味を増すようにが使われています。

だそうです。
このステージの対面には、上に載せた写真でもお判りのとおり床の間があったのですが、ちょいと幅がありすぎて、間が持たないって感じでした。
でも、違い棚に使われている金具を観ると、細かなところまで気合いを込めて建てられたものであることが察せられます。

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それでいて、廊下にもシャンデリア

140618_1_11 もう何が何やら判りません

   

この記事を以て「伊勢2日目編」完結させようと思ったのですが、終わりません
心ならずも、もう1編、書き続けることにします。

そうそう、この賓日館の大広間を含む各部屋は、会合などで利用することができるようです。

140618_1_02 もっとも、大広間宴会ができるかどうかまでは調べておりません
気になる方は、直接、賓日館へお問い合わせくださいませ

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紀伊半島旅行記(その22:伊勢2日目編 その5)

2014-06-15 21:38:29 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その21:伊勢2日目編 その4)」のつづきは、神宮徴古館からCANばすに乗って、内宮を素通りして、

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向かった二見のこと。

当日の記事「ムダな動きが多かったけど収穫もあった一日」で書きましたように、二見観光のメインだったはずの夫婦岩は、私にとっては、なんともパッとしませんでした

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二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)鉄筋コンクリート造り風情は皆無だし、

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案内看板なんとも…色遣いだし…。

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でも、この「日の出遙拝案内図で初めて知ったことがありました。
それは、夫婦岩の間からが昇るのは、4月~8月の間だということ
何となく、「夫婦岩の間から昇る初日の出を拝む」なんてイメージだったんですがねぇ…

さらにこの記事を書くにあたって調べると、っつうかWikipediaにこんな記述があります。

夫婦岩の沖合約700mの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。

さらに、

夫婦岩は日の大神(天照大神)興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。

なるほど…。
二見興玉神社で拝むべき対象は、社殿の中ではなく、夫婦岩の先にあるということなんですな…

   

さて、夫婦岩に代わって私の二見観光の目玉になったのが、賓日館(ひんじつかん)でした。

リーフレットから引用しますと、

賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設されました。
明治天皇の母であられる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工。(中略)
明治24年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。

だとか。

ようやく賓日館にたどり着いたところですが、このお話は「その23」で。

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紀伊半島旅行記(その21:伊勢2日目編 その4)

2014-06-14 22:13:24 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その20:伊勢2日目編 その3)」のつづきです。

ここんとこ、何かと忙しくてなかなか記事を書けずにおりました。FIFA World Cup 2014も始まってしまいましたし…
今朝なんぞは、いつもと同じような時刻に出かける必要があったものですから、意識していたら、いつも以上に早く起きてしまい、おかげでスペインvsオランダ戦の後半をフルに観ることができました。
オランダ、強かったなぁ~
前回チャンピオンスペインがあそこまでボコられるとは思いませんでした
この後、チリオーストラリア2点差で勝ったことで、まだ緒戦を終えただけとは言え、得失点差▲4点スペイン苦しいだろうな…

   

サッカーのことはともかく、神宮徴古館のお話です。

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神宮徴古館の近くには、

人間と自然の産物との関わりをテーマとした日本最初の産業博物館です。 伊勢神宮のおまつりで神様に進める神饌(しんせん)を始め、お供え物を調える施設の工夫をこらした展示や、 明治時代に開催された内国勧業博覧会などに出品された産業資料、 またサメの剥製・蝋細工の植物模型といった自然科学系の資料も多く収蔵・展示しています。

という神宮農業館と、

20年に一度、正宮に隣接する御敷地に新宮を建て、大御神をお遷し申し上げる神宮式年遷宮。 この遷宮を奉賛して、当代最高の美術・工芸家から奉納される絵画・書・彫塑・工芸を展示しています。 遷宮が行われるたびの、20年毎のきめ細かい美術工芸のあゆみを展望することができる画期的な特色を持つ美術館として注目されています。

という神宮美術館があります。

っつうか、あるそうです。
私、勢い「三館共通券を買ったのですが(700円)、上に載せたチケットの写真でお察しのとおり、神宮農業館神宮美術館には行かずじまい…
伊勢から奈良に向かう特急電車を予約してたもので、先を急がなくてはならなかったんです…
でも、この「三館共通券には「当日限り有効」とは書かれていませんから、次に伊勢に行ったときに使えるかもしれません (保証はありませんが…)

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さて 「その19」で書いたように、神宮徴古館には伊勢神宮に関する史料のほか、伊勢神宮が祀る神々のために作られて、20~40年のお務めを終えた「御神宝類現物が展示されています。
つまり、せんぐう館「見本」を観るだけもいたくときめいた「御装束神宝(記事はこちら)の、その本物が展示されているってわけです

んでもって、拝見して思ったのは(ありきたりかも知れませんが…

伊勢神宮、恐るべし

ということ。
やはり、

20年前(or 40年前)に製作されたモノ を、そのままに再現することに専念した職人さん達の技能プライド意地炸裂

なんですよ

Originality(型破り)炸裂させるためには、寸分違わず再現する技能(型)がなければ、「かたなし(型無し)」なんだよなぁ、と改めて思ったのでありました。

140614_1_03 【追記】神宮徴古館では、図録を買ってきました(1500円)。

この図録を読むと、なかなか興味深いことが書かれていました。
例えば、「神宝には多くの武器武具(太刀60振、弓59張、47腰、鉾55竿、楯55枚)が含まれる一方で、文具(すずり)1点だけだということ。

また、遷宮のたびに、まったく同じ「神宝再現してきたのかと思ったら、

皇大神宮には24竿のがある。奈良時代の鉾の形式といえば正倉院宝物にその例があるように、鉾身の元が筒状になり柄に覆いかぶさるように取りつけてある。いわゆる袋穂(ふくろほ)の形式だが、平安期にはこれが太刀の場合のように鉾身の元を扁平に細くして柄の中に差込む中子の形式になる。(中略)
このように神宮の神宝装束はわが国固有の文化を伝承するといいながら変遷を遂げてきたのであり、またそうした性質を持っていた。

だそうな
う~む…

それにしても、振・張・腰・竿・枚…と、日本語での数え方って難しい (2014/06/15 06:43)

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