新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

何十年ぶりかで田沢湖を半周 [後編]

2020-09-29 18:31:11 | 旅行記/美術館・博物館・アート

そういえば、「何十年ぶりかで田沢湖を半周 [前編]」のつづきを書いていなかった ということで、そのつづきです。

御座石神社でお参りをして、駐車場に戻り、クルマを走らせること10分ほどで「たつこ像」までやって来ました。

ところが、湖畔に「たつこ像」立つあたりに駐車場がありません
いや、あることはあるのですが、そこにはでかでか■■商店 お客様専用駐車場」と書かれていて、そのお店で買い物も食事もする気のない私にとっては「駐車禁止」同義です

そのちょいと先にある駐車場はホテルの専用駐車場で、これも使えそうもない

でも、手前にあった案内標識には、駐車場トイレの表示があったよなぁ (下の写真はGoogle Mapのストリートビューより)

と思って、スピードを落としてちょっと先に行くと、、、ありました 公衆トイレ(潟尻園地公衆トイレ)と、乗用車6~7台駐められそうな小さな駐車場

これ幸いとクルマを駐め、もと来た道を歩いて たつこ像まで戻りました。

基本的に静かな湖畔なんですが、途中の土産物屋兼食堂からフィンガー5の曲が流れています。ちなみに戻るときには沢田研二古い曲が流れていました。昭和タイムスリップした感じ…。
そういえば、私が前回、田沢湖畔に来たのは「昭和」でしたっけ…

そして、たつこ像です。

金ピカですが、下品さはなく、田沢湖湖畔に見事にマッチしています。
1968年に設置されてから50年以上経っていますが、できたばかりのように「永遠の美を誇っていますなぁ。

定期的に手入れしているんでしょ、K.I.T

「たつこ像」の作者は、このブログでは何度もご登場いただいている舟越保武で、「たつこ像」試作品は、今年3大川美術館で拝見したばかりだし(記事はこちら)、

5年前には、練馬区立美術館での「舟越保武彫刻展 -まなざしの向こうに」でも拝見しました(記事はこちら)。

この記事を書くにあたって、「舟越保武彫刻展 -まなざしの向こうに」図録をパラパラめくって年譜を読んでいると、

秋田がらみ二つワオッに出くわしました。

まず一つ目は、

1966(昭和41年) 54歳
《たつこ像》の制作準備のため、田沢湖に出掛け、十和田湖にも回って高村光太郎《乙女の像》を見る(5月)。

やはりそうでしたか…。
田沢湖畔に立てる像をつくるにあたっては、微妙に青森県側とはいえ、十和田湖畔の「乙女の像」と被らないようにしないとね…

で、二つ目は、

1963(昭和38年) 51歳
第27回新制作展(東京都美術館、9.22-10.10)《鳩をもつ少年》出品。同作品を秋田市の秋田県民会館前に設置(11月3日)。

これは知りませんでした
もしかしたら、県民会館前のロータリーの真ん中にあったヤツかな? と思ったら、当たりぃ~

秋田県民会館は、何度も何度も出かけ(MISIAのライヴにも2回行きました)、何度もステージに立った(ブラバンをやってたもので…) 思い出深いホールでしたが、2018年5月閉鎖取り壊し新施設を建設中です。
新施設は、2022年6月「あきた芸術劇場」としてオープン予定だとか。

「鳩をもつ少年」は、室内(ホワイエ)に設置されるのかな?想像しております。

   

話が逸れてまいりました

たつこ像の見物を終えた私は駐車場に戻り、さぁて、帰りましょうか… だったんですが、案内標識にある「かたまえ山森林公園」とやらに寄ってみることにして、坂道を登りました。

クルマを駐め、展望台に登ろうとすると、足元に、、、、

展望台からの眺め良かったのですが、

あっちにも

こっちにも

だらけではありませんか

これだけでなく、かたまえ山から下りて、R105からR46に向かってクルマを走らせると、集落の案内標識まで

別邸に帰着してから調べると、この仙北市西木町は、「日本一大きい栗」西明寺栗の産地なのだとか。

子どもの手のひらくらいの大きさの栗が秋田の名産品だったなんて、これまた知らなかったぁ
でも、かたまえ山で見た普通の大きさでした。

ときおりに遭い、抱返り渓谷角館「後日」となってしまいましたけれど、再見あり新発見ありと、なかなかのドライブとなりました。

めでたしめでたし。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少しずつ大切に…

2020-09-21 18:41:43 | MISIA

昨日&一昨日「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020 ~Support for Medical Professionals~」出撃してきました。

MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020

私にとって、MISIAのライヴ約1ヶ月ぶり(記事はこちら)ですから、ぜんぜん久しぶりではないのですが、200席(に絞り込まれていたはず)だった前回のブルーノート東京とは異なり、定員の半分だとしても約2500席と、これでも大ホールクラス東京国際フォーラム ホールAですから、少しずつですが、「新型コロナ後」に近づいている感じです。

私が参加した19日(土) & 20日(日)の1st Showは、どちらも「15時開場 16時開演」でしたので、19日(土)は、余裕を持って様子見旁々、15時15分頃国フォに行ってみますと、あれま 長ぁ~い行列ができています

定員の半分のはずなのに、いつもの国フォの入場待ち列と変わらないじゃありませんか

こりゃ並んでおいた方良いだろ ということで、私は最後列につけて入場の順番を待ちました。

東京国際フォーラム ホールAそして、ホールAの入場口では、こんな「御作法」が待っていました。

立ち止まって検温
チケットをモギリ係員さんに呈示
チケット自分でもぎって箱に入れる
アルコールで手消毒
消毒マットを踏む
妙なを浴びる

ちなみに、19日(土)は、開演直前になっても、ガラス棟の前に行列ができていましたが、20日(日)は、KAIZENが実施されたのか、行列はできていませんでした

ブルーノート東京公演のときには忘れていた「WORLD OF MISIA」チェックインをして、

19日(土)は、事前予約していた「好いとっとラーメンどんぶり」とか、

キーホルダーほかを受け取って、

そして、入場
客席は、予想どおり、一つおきになっていて、前後左右の4席空席になっていました。

私、国フォとは相性が最悪で、ここ数年、1階席のめちゃ後ろとか、2階席の後ろ(≓天井桟敷)とかばかりで、なんでこんなバカでかいホールを作ったんだ とブツクサいっていたのですが、今回の2 daysは、初日が9列目2日目が6列目(両日とも1~3列目は存在していなかった)と、信じがたい好位置Keepいたしました

   

入場が滞っていた19日(土)定刻の10~15分遅れくらい、20日(日)ほぼ定刻にライヴが始まりました。

セットリストは、JAZZ CLUBライヴほぼ同じで、こんな風。

MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020のセットリスト

ライヴは1時間15分くらいと短く「声援禁止」&「着席」という制約付きだったのですが、はやぁ~~、良かった…

MISIAというと、いわゆる「歌唱力」ばかりがクローズアップされる傾向があります。
そりゃ、MISIAは、間違いなく、卓越した「歌のうまさ」をお持ちなんですけど、私としましては、「歌のうまさ」以上に「歌声の美しさ称えるべきではなかろうと常々思っていまして、今回のセットリストでいえば、「君の背中にはいつも愛がある」とか「アイノカタチ」なんかは、「歌声の美しさだけでご飯3膳はいけそうです

また、TBS「音楽の日」「一部再現」となった、松本俊明さん作曲作品の「さよならも言わないままで」「明日へ」「Everything」3連は、ズカズカと胸に入り込んできて、「明日へ」では涙腺が決壊しました…

「声援禁止」&「着席」という制約付きでも、十分に楽しめたライヴだったのですが、2日目の「Mercy Mercy Me」は、「声援禁止」でした
MISIA自身も、「まだ2曲目なんですけど、振り切ってしまいました(意訳)みたいなことを言っていたように、とんでもなく盛り上がってしまい、ちょっとは声をだしてしまったような…

国フォでの音楽イベントは、無観客配信を含めても半年ぶりだったそうで、今後は、じわじわとフルスケールに近づいていくのだろうと思われます。
MISIAが、先頭を切るリスクを負いつつも、あれほどのライヴを開催できたことは、日本の音楽業界に与えたインパクトは小さくないだろうな…

新型コロナウイルス感染症は、まだ制圧できたとは言えない状況ですから、今後どうなるか予断はゆるされませんけれど、「コロナ後」希望が見えたような気がする「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2020 ~Support for Medical Professionals~」2 daysだったと思います。

そうだ
2日間とも、会場には複数台のカメラが入っていました。
両日見かけられた固定カメラレールカメラに加えて、2日目にはクレーンカメラまであって、映像化される可能性が高そうです
期待しましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと秋田にも競馬場があった!?

2020-09-16 18:43:48 | タウンウオッチング

先日書いた「近所の重要文化財を見学してきた 前編」で、旧黒澤家住宅で展示されていた古地図を見て、

南大通りのちょい北に、東西に伸びるがあり、秋田市民市場の通り沿いに南北に伸びる堀があったとは、きょうまで知りませんでした

と驚いた話を書きました。
このは、明治時代に入って早々に埋められたものだと、なんの根拠もなく思い込んでいたのですが、きょう、こちらの地図を見つけて愕然としました

この地図は、1945年米軍(いわゆる進駐軍)が作成したもの。
秋田駅前のかなり部分を大日本帝国陸軍歩兵第17聯隊が占めていたことは知っていましたが、1945年時点でも「東西に伸びる堀」残っていたとは
(「南北に伸びる堀」第17聯隊の敷地内なので、19世紀のうちに埋められたと推察)

/p>

このことをもっと早く知っていれば、詳しい話を両親(この至近の会社での職場結婚)から聞けたはずなのに残念 です。

   

この米軍作成の1945年の地図はかなり面白くって、0~10歳の私が住んでいた街付近を見て、喜んでいたのですが、、、、(私の母校・旭南[きょくなん]小学校が、「Asahi-nimami Grade School」になってる)

しげしげとこの地図を見ていると、八橋(やばせ)妙なものを見つけました

地図に「RACE TRACK」と書かれているこの楕円状のモノ????

陸上競技場にしてはかなりデカい
もしかすると、秋田にも競馬場があったのかもしれない

と考えて、調べると、確かにありました 秋田競馬場

Wikipediaによると、1948年10月から県営秋田競馬が開催されたものの、赤字続きで、1955年3月31日をもって廃止だそうで…。
6年半短い運命でした。

でも、1945年の地図に載っているということは…?

と、更に調べると、県営秋田競馬に先立つ1914~39年にも秋田県畜産組合主催の競馬が開催されていて、県営秋田競馬は、秋田県畜産組合からこの八橋競馬場を買い取って改装したらしいです。

この競馬場跡地はどうなっているかをGoogle Mapで見ると、、、

おぉ~、コースの一部が道路形状に残っています
第1回東京優駿(日本ダービー)が開催された「目黒競馬場」も、道路形状にそのなごりの一部を残していますけど、

秋田にもこんなところがあったとは

あ~、ビックリした…

まだまだ知らないこと多すぎます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何十年ぶりかで田沢湖を半周 [前編]

2020-09-15 21:24:28 | 旅行記

ここ数日、曇ったりが降ったり曇ったりが降ったり、たまぁ~に晴れたりと、鬱陶しい天気が続いている中、きょうはちょっとマシっぽかったので、田沢湖までドライブに行ってきました。

JR田沢湖駅は、秋田新幹線の停車駅ですから、なんども新幹線に乗った状態で通過していますが、の方は、とんとご無沙汰です。
実家で暮らしていた頃は、何度もの運転するクルマ家族ドライブしたものですがねぇ~、としみじみ

きょうのルートは下図のとおり。
往復とも通った道で、往路帰路です。

秋田自動車道ができるまでは、クルマでの帰省ルートは、「首都圏⇒東北道⇒盛岡IC⇒R46⇒R13⇒実家」でしたので、秋田南IC以南R13R46は、なんだか懐かしい

基本、片側1車線なのは昔ながらですが、角館付近ではBPとして自動車専用道ができていて(無料)おぉ~ でした。

   

当初のもくろみでは、まず、田沢湖3/4周半周して、帰る途中、角館に寄ってみよう だったのですが、結論から書きますと、角館訪問は別の機会にしました。
天気イマイチでしたし、出発が遅かった(11:00ちょい前)ことから、時間余裕がありませんでしたので…

で、最初にクルマを駐めたのは、田沢湖高原黒森展望台

白樺越しに、何十年かぶり田沢湖が見えました

角度を変えてもう一枚

田沢湖は、琵琶湖はもちろんのこと、浜名湖とか霞ヶ浦とか猪苗代湖なんかよりかなり小さな湖なのですが、深さ423.4m日本一
Wikipediaによれば、

湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。

だそうで、断面図を想像すると、なかなかなサイフォン状態です

それはともかく、乳頭山(烏帽子岳)を眺めたかったものの(中学生の頃だったか、田沢湖高原スキー場から見えた乳頭山は、真っ白で、ホント、おっぱいでした)、東側にはが垂れこめていましたので断念して、田沢湖畔へと下りました。

そして、湖畔春山駐車場にクルマを駐めてトイレ休憩

トイレには「砂を落としてお入り下さい」の掲示がありました。

これというのも、この辺りは砂浜になっていて、海水浴ならぬ湖水浴ができるんです。

でも、気温が25℃では、泳いでいる人は一人もいませんでした

クルマに戻り、いざ、湖畔周回ドライブを開始

だったのですが、すぐ近くにレストランがあったので、そこで昼食

    

お腹が落ち着いたところで、本格的に湖畔周回ドライブを開始しました。
そして、御座石神社近くの駐車場にクルマを駐め、ちょいと辺りを見物しました。

湖畔に立つ鳥居は、、、、この鳥居の正面湖側

そりゃそうだ 御座石神社の社殿は陸側にあるのですから…

この御座石神社由緒書きを拝見しますと、

いろいろと書かれていますが、抜き書きしますとこんな具合。

室町時代に熊野権現を信奉する修験者が、湖岸にある畳のような岩頭で修行して、湖の主である竜神に神通しようと「水想観の蘊奥を究め」社を創建したのが、この御座石神社の縁起。

そして、「主な御神徳」として掲げられているのが、

開運厄除 勝利成功 美貌成就

3つ。
最後の「美貌成就」は、たつ子姫伝説由来のものでしょうけれど、こういう「御神徳」というのは珍しいのではないでしょうか?
でも、「美人で名高い秋田の、それも仙北ですから、御座石神社にお参りすれば、霊験あらたかかもしれません
保証はいたしませんけど…

というところで、ひと休みをいただきます。

つづき:2020/09/29 何十年ぶりかで田沢湖を半周 [後編] 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の重要文化財を見学してきた 後編

2020-09-11 20:55:21 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「近所の重要文化財を見学してきた 中編」のつづきです。

旧黒澤家住宅の玄関を入って右手には、庭に面した陽当たりの良い廊下がありまして、その長押が掛けられていました。

練習用のたんぽ槍で、長さは2間強(4m)ほどでしょうか?
見るからに重そうで、これを振り回すのは相当に大変そうです。

それにしても、槍掛けの位置が高くて、簡単に手が届きそうにありません 

そういえば、この家、寸法が現代の家とほとんど同じ感じだ
古い家って、当時の標準的な日本人の身長に合わせているのか、床から鴨居までの高さ(内法高)が低い場合が多いものですが、旧黒澤家住宅の寸法には現代の住宅としても違和感がありません

でも、19世紀中頃に増築されたという「小座」は、

部屋自体が狭い(6畳間)こともあってか、つつみ込まれるような安心感というか落ち着きに満ちているというか、書斎に使いたい風情でした。

   

「小座」西側には、浴室・トイレ・台所が並んでいました。
まずは浴室

ありゃ 傾斜のついた板張りの床と、たらいがあるだけで、湯船はありません

説明板によれば、

浴槽(湯船)はなく、オケにお湯をくんで来て湯あみをしておりました。

だそうです。
はともかく、はかなぁ~り寒そう
調べると、自宅の湯船で、首までどっぷりとお湯に浸かるという入浴スタイルが一般化したのは、昭和の中期以降のことのようです。
燃料を存分に使えなきゃ「首までどっぷり無理ですからねぇ…
それにしても、床に傾斜をつけて、湯水溜まらないようにした造作セレブ感に溢れています

   

浴室の隣には、真っ暗な家族・家人用のトイレがありまして、

その隣は台所でした。

流し低~い
これは、床に座って炊事していたからなのだとか。

そして、その隣には、立派な竃(かまど)

焼き魚は、こちら囲炉裏で焼いていたのかな?

黒澤家一族家人を加えて、何人分の食事を作っていたのでしょうか…
「500石取り」という高給と、このお屋敷の規模からして、奥方一人で切り盛りするのは不可能で、数人の下男・下女を雇っていたに違いないでしょ。

その下男・下女どこで暮らしていたんだろ? 通いかな? なんて考えながら先に進むと、土蔵の入口。

土蔵1階は、管理者(佐竹史料館らしい)物置として使われているのか、折りたたみテーブルなんぞが収納されていまして、土蔵2階に昇ってみると、あれま 1階の天井=2階の床(Paul Simonの曲「君の天井は僕の床(One Man's Ceiling Is Another Man's Floor)」っぽい表現) の一部が、スリット状になっていることに気づきました。

これはもしかすると、明かり取り用のスリットか? と考え、1階に降りて、このスリットから見上げてみました。

予想どおり、2階にしかない窓を開ければ、このスリットを通して外光1階に差し込む仕組みになっていました

これこそ「智慧だよなぁ~感服いたしました。

現代なら、電灯を灯せば良い、となるところ、電灯存在しない状況で、どうしたら灯りをとれるかを工夫する「智慧」
旧富岡製糸場のとてつもなく明るい繰糸場を見たときにも思いましたが、

技術の進歩は、その恩恵に与るだけの人たちにとっては、智慧を発揮する余地を減らしているのではなかろうか? とは、考えすぎでしょうか?

そんなことを考えながら、主屋から退出し、

黒澤家がこの屋敷に引っ越してきたときに旧屋敷から移築したという「氏神堂」(文政10年=1827?年築)を拝見し、

最後に、長屋門形式表門の内部を拝見しました。

黒澤家下男たちは、ここで暮らしていたのかもしれません…

んやぁ~楽しかったぁ~

大満足のうちに、表門から退出しました。
それにしても、最初から最後まで、見学者私一人だったというのは… でございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の重要文化財を見学してきた 中編

2020-09-10 15:30:03 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「近所の重要文化財を見学してきた 前編」のつづきです。

観覧料100円をお支払いし、表門をくぐって旧黒澤家住宅の敷地に入りました。

屋内に入る前に、建物の裏側に回ってみますと(さして意味はない)

おぉ広いお家だこと

そして、土蔵があって、その奥には物置?

物置の中を覗くと、説明板がありまして、

木小屋
万延元年(1860)に建てられたもので、物置と作業場として使われたところです。

だそうで、足踏み式の臼(唐臼と呼ぶらしい)が展示されていました。

そして、木小屋の隣には、高床式の小屋が建っていました。

そして、この小屋の中には、、、

米俵

説明板によれば、

 米蔵
 文政13年(1830)に建てられ、高床式
 になっております。

 こけら葺き(切妻造)、桁行4.5m、
 梁間3.6m

だそうです。

「前編」で、黒澤家「石高500石」だったことを書きましたが、米500石とは、1石=約150kg、1俵=約60kgですから、1,250俵分、75tにもなります

もっとも、「石高500石」というのは、米500石が収穫できるだけの知行地を与えられる or それ相応分の給料がもらえるということで、実際の収入は、その4~5割くらい相当だったらしいです。
当然ながら、米をつくるお百姓さんの取り分がありますから
それでも、上級武士だけあって高給取りですな

   

屋内の紹介の前に、旧黒澤家住宅平面図

長屋門形式の表門、座敷棟と台所棟からなる主屋18世紀前半に建てられたもので(19世紀中頃に増築されたと考えられる「小座」を除く)土蔵嘉永4(1851)年移築されたものだそうな。

石置き板葺」の表門

石置き杉皮葺」の土蔵を除いて、

他はすべて「こけら葺」です。

冬の寒さ積雪を考慮してなのか、昔も今も、秋田では瓦葺きが少ないのですよ。

久保田城の建物として唯一残る御物頭御番所(探訪記こちら)こけら葺です。

   

さて、ようやく、玄関から主屋の中に入ります。

驚いたことに、玄関から上がると、すぐ左手に客用のトイレがありました

玄関すぐ隣トイレがあるなんて、臭いが気になるところですが、

来客用の便所で、脱衣所があります。また大便所の下には砂箱があり、用がすむと外側から引き出して処理するようになっています。

だそうですから、「常設のおまる」みたいなものなんですな

で、各部屋を見渡せる眺めは、いかにも日本家屋で、心の中をそよ風が吹き抜けるような心地よさを感じます。

は、ただの空き地っぽいですが、昔はとして使われていたのかもしれません。

リーフレットによると、

庭を茶畑に利用しており、お茶の木が今も植栽されております。

とな。
秋田の栽培って、初めて聞きました

埼玉(狭山)以北でのの栽培って聞いたことがないぞ と調べると、伊藤園さんのサイトにこんな見出しが

日本では、北は秋田から南は沖縄まで、広範囲でお茶が栽培されています。

そして、日本茶インストラクター協会のサイトによれば、

チャの樹は、亜熱帯地方に多く分布するもので、日本の栽培の北限は秋田県の檜山ですが、経済的な栽培の北限は、新潟県(村上市)と茨城県(大子町)を結んだあたりが北限といわれています。

だそうな。
茶栽培の北限檜山」って、あの和製ラップの古典:秋田音頭

秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ぶりこ (あ~それそれ)
能代春慶 檜山納豆、大館曲げわっぱ

檜山か?

と思ったら、やはりそうでした
「秋田ふるさと検定対策」「檜山納豆」のページでは、

「秋田ふるさと検定対策」の「檜山納豆」の説明

秋田音頭にも歌われ、能代市檜山で作り続けられている歴史ある納豆。わら苞(つと)に入れた物が主流だ。現在一般に食べられている小粒で柔らかなものと違い、地元産大豆を使用した大粒で堅い昔風の納豆である。なお、檜山地方は「北限の茶」として有名な檜山茶の産地でもある。

と説明されています

いやぁ~、勉強になるなぁ、復習って大事だなぁ、と思いに浸りつつ、つづきは「後編」で。

つづき:2020/09/11 近所の重要文化財を見学してきた 後編 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の重要文化財を見学してきた 前編

2020-09-09 21:01:27 | 旅行記

明日から天気の悪い日が続くという予報の下、別邸の近所にある重要文化財を見学してきました。

一つ森公園の中にある「旧黒澤家住宅」です。

この住宅は、約300年前に建てられた武家屋敷で、久保田藩(秋田藩)上級武士が暮らしていたお屋敷。
芳賀家⇒赤田家⇒吉成家⇒平井家と主が変わり、文政12(1829)年から黒澤家が住んで、明治維新を迎えた由。

「石高五百石、山奉行、寺社奉行の要職を務めた上級武士」だった黒澤家のお屋敷が、お城(久保田城)からかなり離れた林の中にあるのは、奇妙なわけで、「昭和60(1985)年に黒澤家から秋田市へ寄附され、その後、昭和63(1988)年に一つ森公園内に移築された」のだとか。

お城旧所在地現所在地をプロットするとこんな具合。

私が秋田で暮らしていた頃は、このお屋敷はまだ旧所在地にあって、その前の通りは、高校&予備校時代の私はしょっちゅう自転車で走っていました。

でも、この通り沿いに古いお屋敷があったという記憶は、あるようなないような… 
あったとは断言できないし、見たことがない とも断言できないし…。
当時の私には、タウンウオッチング趣味も習慣もなかったからなぁ~

   

ところで、「黒澤」という苗字から、巨匠黒澤明監督を連想します。
Wikipediaをみると、こうあります。

父・勇の生家は秋田県中仙町(現在の大仙市中仙町豊川)の士族の家で、先祖は安倍貞任の三男・黒澤尻三郎である。

と、久保田藩の士族に繋がるわけでして、もしかすると、旧黒澤家住宅の主の黒澤家を遡り、一方で黒澤明監督のルーツを遡ると、どこかで繋がるかもしれませんな…

   

前置きが長くなりましたが、まだ前置き続けま

お屋敷内に、江戸時代の地図(のコピー)が展示されていまして、これが秋田市ネイティヴの私にとっては興味津々でした

現在のGoogle Mapと並べると、こうなります

赤の□は、旧黒澤家住宅旧所在地です。

南大通りのちょい北に、東西に伸びるがあり、秋田市民市場の通り沿いに南北に伸びるがあったとは、きょうまで知りませんでした

無くなったとは言え、通りとか町割り江戸時代からさほど変わっていないんですなぁ~

それと、この地図を見て推察されるのは、佐竹の殿様参勤交代のときに大名行列を行ったのは、現在は一方通行になっている区間も多いルートだった、それも、私が採用している「街の中心部から別邸への帰り道ルート」らしいとうこと

まだ長屋門もくぐっていませんが、ここまでかなり手間をかけてしまったので、「前編」はここまで。

つづき:2020/09/10 近所の重要文化財を見学してきた 中編 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びPC×2台体制に戻った

2020-09-03 18:39:56 | 日記・エッセイ・コラム

「再びPC×2台体制に戻る」のつづきです。

予定では9月2日に到着予定だった新PC「再びPC×2台体制に戻る」をアップした1日の午後に届いてしまいました。

もちろん、早いに越したことはないわけで、さっそく新PC (愛称:GV-X)のセットアップを開始しました。

Windowsをセットアップし、宅内LANに接続し、MSNのアカウントでログインし、さぁ、セットアップ完了 と思ったら、デスクトップが見慣れた光景になっているではありませんか

え" です。

かなり手間が省かれたわけではありますけれど、Microsoftって、「このアカウントのPCの壁紙はこの写真とか、しっかりと把握しているってことですか?
なんとなく怖い気がしないでもありません

また、既定のブラウザとしてGoogle Chromeをインストールして、Googleのアカウントでログインすると、これまた見慣れたデザインとトップページが目の前に展開されます。
そして、「お気に入り」メインPC (GV-IX)まったく同じ

アカウントで紐付けすることで、Google Chromeの設定を複数のPCで共用できることは知っていましたけど、MicrosoftといいGoogleといい、どこまで「個人の情報」を把握しているんでしょうねぇ…

それはさておき、OfficeATOKを始め、Adobe Photpshop ElementsAcrobat ReaderMicrosoft Moneyなど、日常遣いのソフトをインストール。

ここまでは順調だったのですが、難関だったのが、Outlookの設定と競馬ソフト「TARGET frontier JV」でした。

とくに、Outlookは、「ファイルが開けません」とかなんとかと文句を言って、立ち上げることすらできません

ネットで調べて探し出した「修復ツール」「Outlook.pst」「修復してもダメ
何度修復しても、Scanすると「矛盾が発見されました」的なコメントが出てきて、ダメ…

結局、GV-IXからの「Outlook.pst」継承断念して(GV-IXからもOutlookは使えなくなっていた)、「昔懐かし」コントロールパネルからメールアカウントを新設し、過去1ヶ月分の受信メールでOutlookリスタートさせました。
未読だった大量のメール無かったこととします
もっとも、大勢に影響は無いはずですが…

   

そして、もっとも時間を要したのが、「TARGET frontier JV」でのセッティングでした。
GV-IXからコピーした膨大な量のファイルを参照ファイルに指定して、最新のファイルをダウンロードしたら、あれま、使えるではないか だったのですが、よく見ると、今年4~8月の成績データ登録されていません]

やはりフルセットアップしないとダメなのか…と、1日の夕方からフルセットアップを始めたところ、それが終わったのは、昨夜の22時過ぎ 

所要時間 約30時間とは、さすが過去35年分競馬データともなると、とんでもないものです

でも、これで、GV-IX修理に出しても不自由なくPCライフを送れる体制が整いました。

   

さて、今回 Sub PCを購入するきっかけとなったGV-IXですが、サポートセンターからのアドバイスをもとに、Windowsをリセットしても、やはり熱い

やはり修理かなぁ…

でも、Sub PCが稼働を開始したことで、ちょっとは気が楽になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びPC×2台体制に戻る

2020-09-01 12:13:55 | 日記・エッセイ・コラム

先週末、新しいノートPC発注しました。
今年1月に、モバイル用のレッツノート(CF-AX2BENBP、愛称:Minira-V)ソフマップに売却して以来、8ヵ月ぶりに「PC×2台」体制復活

私が初めてPCを購入したのは、1998年秋のことで、JRA電話投票システムPAT権利が当たったのがきっかけでした。つまり、競馬をやるためにPCを初導入したわけです
そして、翌99年夏には、モバイル用レッツノート(CF-C33EJ8C)を購入して、ここから「PC×2台」体制が始まりました。

当時のA4ファイルサイズのノートPCは、分厚く重く、気軽に家の外に持ち出すのに躊躇するし、持ち出し&帰還のたびに、ケーブル類を脱着するのは面倒でしたので、メインとモバイル(サブ)使い分けていました。

ところが、現在のメイン、ThinkPad X1 Carbon (記事はこちら、愛称:GV-IX)になってからは状況が激変しました。

Minira-Vよりも薄い軽いし、ドッキングステーションも併せて購入したので、ケーブルの脱着もほぼ不要で、Minira-VをGV-IXに同調させて持ち出す理由がなくなったのです。
そして、Minira-VOS (標準だったWin8ではなくWin7にダウンコンバート)サポート期限を過ぎたこともあって、今年1月、ソフマップに売却しました。
買取価格は11,200円
Minira-V購入価格は23万円だったのですが、もう7年近く経っているわけで、それでも1万円以上も値がついたのは、レッツノートだからなのかもしれません。
GV-VII (EPSON NJ3300)なんて、たった1年4ヵ月で、10.6万円⇒1.2万円でしたから…

   

さて、こんな風に手軽に外に持ち出せるGV-IXを使っていながら、どうして今さら 2nd PCを買ったのか?

それは、最近、GV-IX調子が悪いのです

もともとを持ちやすいモデルだったのですが、最近はその傾向が極端で、キーボード右側にある排気口周辺がメチャクチャ熱くなり、そして、PCの動作が遅くなったり固まったり頻発するようになってしまいました。

特にこのブログは、書くのには時間がかかりますので、この「熱」妨害を受けまくりです
興が乗ってきた と思ったら動きが鈍くなったり固まったりで、イライラしっぱなし

電源モードを

電源モード

「最も高いパフォーマンス」から「高パフォーマンス」に下げても 効果はないし、レノボのサイト「簡単ハードウェア診断」をやっても異常なしだそうで…

先週火曜日、レノボにWebから問い合わせしたところ、すぐに、

お問い合わせいただいた内容を確認し、翌営業日内に担当者よりご返信をいたします。

とメールが来たのだけれど、翌営業日も翌々営業日も、、、、、「ご返信」は来ませんでした。

そして土曜日、やはり「PC×2台」体制に戻そうかと思い立ちました。
この分だと、GV-IX修理に出す必要がありそうで、修理に出したら、1~2週間PC無しの生活を送らなくてはなりません。
スマホがあるとはいえ、私の生活はPC切っても切れない感じになってしまっていまして、それは辛い…

そしてそして、GV-Xを発注しました

ある程度のスペックは必要ながらも、購入からまだ2年も経たないGV-IXおシャカにするのはもったいなさ過ぎますので、修理後はメインPCとして使い続けたいので、価格と納期重視で選択しました。
その結果、私史的には最も安い 86,000円弱(税込)のDell Inspiron 13 5000を発注
財政的には、特別定額給付金から充当することといたしました

そしてそしてそして、土・日曜日の2日間は、GV-Xに格納するデータや設定GV-IXから外付けHDDバックアップ
併せて、インストールするソフトファイルと認証関係のデータもチェックしました。

   

そんな準備を進めていると、ようやくレノボから「ご返信」が届きました。

それによると、

  1. Windowsをリカバリ(初期化)すること
  2. これで改善がない場合、リペアセンターで診断・修理

だそうな。
厄介なのは、Windowsをリカバリすると、

Microsoft Officeを含め、コンピュータ内のデータはすべて消失します。

ということ
つまり、私の場合、少なくとも2回は、PCの(再)設定をしなければならないんですな

ちょっと気が重くなりました

ですが、気を取り直して、明日到着する予定のGV-Xのセッティング用に、テーブルのスペースを空けることにします。

つづき:2020/09/03 再びPC×2台体制に戻った 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする