新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(2日目)

2011-04-30 23:16:18 | 旅行記

二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(初日)」のつづきを鹿児島のホテルからお送りします。

熊本のホテルをチェックアウトした9:00から、鹿児島行きの新幹線に乗った18:50頃までの約10時間、ほとんどムダなく熊本市内を動き回っていました。
今日の行程は、

ホテル⇒徒歩熊本駅(荷物をコインロッカーに投入)⇒市電無料
水前寺公園電停徒歩水前寺成趣園徒歩ジェーンズ邸・日赤記念館
⇒夏目漱石旧居⇒徒歩市立体育館前電停市電無料)⇒通町筋電停
徒歩⇒昼食徒歩花畑公園徒歩熊本城徒歩
熊本県立美術館本館永青文庫展示室徒歩旧細川刑部邸熊本城周遊バス
熊本駅⇒駅ナカで夕食新幹線鹿児島中央駅徒歩⇒ホテル

というもの。
いやはや、満腹です

水前寺成趣園は、薫風が心地よかったし、

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ジェーンズ邸はワクワクだったし、

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熊本城は予想を遙かに上回る楽しさだったし、

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熊本県立美術館本館永青文庫展示室で観た「九州新幹線全線開業記念 細川コレクション 永青文庫の至宝展」は、ちょうど1年前に東京国立博物館で観た「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」で気に入った作品と再会できたり、東博では観客が多すぎて良く観られなかった作品を独占して楽しめたりと、こりゃ来た甲斐があったというものでしたし、

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旧細川刑部邸は、天井から電灯が下がっていない建物を初めて体験することができた気がします。

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天気予報どおり、午前中の好天が嘘のように夕方からが降り出しましたけれど、それでも、よくもってくれたと思います。

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明日も午前中は雨が残るようですが、なんとか急回復してくれることを願っています。

旅行記本編:2011/05/30 南九州旅行記(その1:水前寺公園の巻①)

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九州新幹線♪

2011-04-30 18:53:16 | 旅行記

110430_1_1 九州新幹線は、かなぁ~りWoody! [携帯]

【追記】写真をデジカメで撮ったものに入れ替えました。

鹿児島のホテルにチェックインして、TVのスイッチを入れるとNHKの「検索 de ゴー! とっておき世界遺産」が放送されていまして、その番組に書家・武田双雲さんが出演されているのにビックリ

なにせ、きょう行ってきた熊本城で武田さんの書を観てきたばかりでしたから

110430_1_2 「そうか、武田さんは熊本出身だったんだ…」なんてね。

で、展示されていた武田さんの作品はこちら
何という字でしょうか?
右は「」であるのは確実としても、左は「」?

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ということで、今日の見聞録は記事を別にします。(2011/04/30 20:45)

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二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(初日)

2011-04-29 23:55:15 | 旅行記

今、熊本のホテルで記事を書いています。

熊本空港から満員のリムジンバスに乗り、ホテルにチェックインすると、もう22:00を遙かに過ぎていました。
ホントはもっと早い時間に「九州入り」したかったのですが、チケット争奪戦に敗れて、こんな時間の便しかとれませんでした

   

それはともかく、今回の旅行では、自宅~羽田空港の「足」をクルマにしてみました。私のクルマは、しばらくの間、羽田空港の駐車場でお休みいただきます。
さすがにゴールデンウイークだけあって、首都高はスムーズに流れていて、電車なら優に1時間半はかかるところ、1時間で羽田に着いてしまいました。駐車料金はかかりますけれど、こりゃ楽です。
特に、今回の帰りは遅い時刻に羽田に着く予定なもので、こりゃ良い選択だったかもしれません。

しかも、今日の午後、テレ朝系列が放送していた特別番組「つながろう!ニッポン~テレビが伝えたこと 伝えたいこと~」のエンディングを、羽田空港の駐車場に駐めた愛車(アナログTVです)で観られたのはありがたかった…。
MISIA復興応援メッセージソング明日へ」は、ホント、浸みました…
これから旅行、それもレジャーに出発するというのに、空港の駐車場に駐めたクルマの中で涙目になっているなんて、ハタから見ればさぞかし滑稽なことでしょう。
でも…、デス
絶妙のタイミング(私のクルマのTVは自動車メーカー純正なもので、走行中は画面が映りませぬ)で駐車場にクルマを駐められたというのは、「何かを持っている」と感じざるをえませんでした。

   

熊本に来て、もう一つ「絶妙のタイミング」のことがありました。

ホテルの自室で一服したあと、熊本駅前のコンビニに缶ビールを買いに行きました。
そのついでに、観光パンフレットや無料地図を物色していると、このチラシが目に止まったのです。

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4/29・30は市電が終日無料運行

おぉ~ 私のために、なんというありがたいお心づかいか
そういえば、2年前のゴールデンウィークに瀬戸内&高知旅行をしたときも、高知の路面電車100円均一で歓迎してくれましたっけ

上の写真は2年前のとでん土佐電鉄都電ではありませぬ)の車内。
たった数時間の高知旅行記はこちらです。

それはさておき、う~む、ありがたや、ありがたや
明日はしっかりと市電 を活用させていただきます。

ところで、初めて見る熊本駅、なんとなく「ちょいと古めの野球場風でした。

KUMAMOTO STATIONならぬKUMAMOTO STADIUMでも違和感がないかも(これで駅舎が弧を描いていたら間違える人がでてきそうです)…。

ダイジェストつづき:2011/04/30 二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(初日) 

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小樽のウミネコはホバリングしていた(その2)

2011-04-29 14:22:11 | 旅行記

小樽のウミネコはホバリングしていた(その1)」のつづきです。

小樽での一番のお楽しみ日本銀行旧小樽支店金融資料館」に向かって歩く途中、心ときめく建物に出くわしました。

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110429_1_01 切妻造りのようでいて、寄せ棟造り(を真ん中で切った)のようでいてなんとも面白い形をしています。

旅行後に調べたところ、この建物は林業関係の商社&メーカー(らしい)の新宮商行という会社の本社だそうな。
創業は1906年(明治39年)、この本社社屋は現在の場所に移転した1919年(大正8年)に新築したものだといいますから、築90年の年代物です。

それにしては、「かなり程度の良い物件」ですな。

100年を越える歴史を誇りとして、丁寧に手入れして使っているのでしょう。

白い壁がいかにも北海道の歴史的建造物らしくてよろしゅうございます。

この新宮商行本社から旧手宮線跡を挟んだ隣りの建物が、これがまた…

110429_1_03

壁の面積に比べて異常に大きな四角い窓、インターナショナル・スタイルってヤツです

地図によればこの建物、市立文学館・美術館とのことですが、とてもそうした施設として建てられたものとは思えません。
案の定、2つの看板に合計3つの施設名が書かれていました。

110429_1_04

市立小樽文学館」と「市立小樽美術館」、そして「小樽地方貯金局

やはり元は郵政系の建物だったんですな。

こちらのサイトによりますと、

旧小樽地方貯金局は、1952(昭和27)年に建設された。日本の近代公共建築を牽引してきた郵政建築の第一人者・小坂秀雄が手がけた戦後小樽の最初の鉄筋コンクリート造の建物。地上3階・地下1階。この後、各地の郵政建築・公共建築の基本となったといわれている。

だそうです。

日本銀行旧小樽支店(金融資料館)の中の話はまたまた後回しにしまして、次の建物にまいりましょう。
でも、外観の写真を1枚だけ載せておきます。

110429_1_05

やはり、いい

   

次にご紹介するのは、旧小樽地方貯金局と「その1」で紹介した旧北海道銀行本店との間にある三井物産旧小樽支店です。

110429_1_06

べつやくれいさんによれば「白と黒なら、だいたいパンダ」だそうですから、これは間違いなくパンダビルと言えるでしょう(上野にはこちらの記事で書いたように「パンダ石」がある)。

1937年(昭和12年)に建てられたこのビル、仮に黒御影石白タイルパンダではなく、コンクリート打ちっ放しだったら、さぞかし陰気な建物になっていたことでしょう。
つくづく、パンダは偉いと思う今日この頃です。

   

旧北海道銀行本店旧北海道拓殖銀行小樽支店との間に、小樽郵便局があります。

110429_1_07

レトロモダンな街並みに溶け込んだたたずまいですが、意外なことに竣工は1956年(昭和31年)かなり新しい(もちろん、相対的に)建物です。

この交差点に向き合う小樽郵便局(1956年)、旧北海道拓殖銀行小樽支店(1923年)、旧第一銀行小樽支店(1924年)、旧三菱銀行小樽支店(1922年)のうち、前者3つでは交差点に向いた角に入口がつくられているの対して、旧三菱銀行小樽支店だけが異色の存在になっています。一番古い建物が仲間はずれにされた感じで、ちょっとかわいそうな気がします。

   

つづいては旧越中屋ホテル

1931年(昭和5年)に、越中屋旅館が外国人専用に建てた別館だそうで、時節柄、アールデコしています(時代の最先端)。

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この建物はちょっと前まで「小樽グランドホテルクラシック」として役だったようですが、本体の小樽グランドホテルともども、経営不振のため、2年前に廃業してしまった由(こちらをご参照方)。

地方都市の悲哀を感じます…

110429_1_11

   

気分を変えて、明るい建物を観てみましょう。

110429_1_12_2 この日の朝に観たばかりの札幌の豊平館記事はこちら)を思い起こさせる明るいブルーの建物は、旧通信電設浜ビルです。
こちらのエントランスにもアールデコの装飾がありました。

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1933年(昭和8年)の竣工と、旧越中屋旅館よりも3年新しいだけに、アールヌーボーの残り香が消えて、もろにアールデコしています。

次は、旧荒田商会

110429_1_14_2

一見、煉瓦造りのようですが、説明書きによれば「木造」とのこと。
木造・煉瓦張り」ってやつでしょうか。
ちなみに竣工は1935年(昭和10年)です。

続いては、数多い倉庫の中から旧大家倉庫

110429_1_15_2

1891年(明治24年)に建てられた「木骨石造り」の倉庫で、小樽市指定歴史的建造物第1号です

かなり古い倉庫ですが、何度も修復を重ねて現在に至っているようです。

放っておくと、こんな風になってしまうんですな

110429_1_16

できることなら、小樽の建物の話は今回でおしまいにするつもりだったのですが、まだ終わりません

もしかすると日本銀行旧小樽支店(金融資料館)の話は次の次になってしまうかもしれません。

すみませんねぇ、だらだら続いてしまって…

   

実は、今夜から南九州旅行に行ってきます。
一応3泊4日なんですが、往路が夜の飛行機しかとれなかったため、実質2泊3日です。
そろそろ旅支度をしなければなりませんので、この辺で失礼します。

つづき:2011/05/04 小樽のウミネコはホバリングしていた(その3)

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MISIA「明日へ」をダウンロードしましたゾ

2011-04-27 22:57:53 | MISIA

MISIA渾身の復興応援メッセージソング「明日へ」の配信が始まりました
さっそく私はmoraからダウンロードいたしました。
前代未聞の個人情報大流出(報道記事はこちら:リンク切れゴメン)を引き起こしたソニー系だけに、クレジットカード情報を入力することにはちょいと抵抗がありましたけれど、仮に私の個人情報が外部流出したら補償してもらえるものと解釈して、決行デス

MISIAの公式HPによりますと、

110428_1_1_2

大震災により被災された多くの方々や、余震、天候などの影響により様々な要因で不安をかかえていらっしゃる方へ、“少しでも安らぎの瞬間を…明日へ向かって一緒に生きていきましょう”という気持ちを込めて、「Everything」の作曲をした松本俊明氏とMISIAが作詞をした「明日へ(Live Ver.)」。

だそうです。
作曲は松本俊明さん(こちらの記事をご参照方)ですかぁ。
なるほど、納得…

ちなみに、「明日へ」は、

この売上金の一部を復興支援のための寄付金として、一般財団法人mudefが主催する復興支援プロジェクト「HOPE FOR JAPAN」を通じ、被災地及び被災者の支援活動団体に寄付いたします。

です。
皆様、YouTubeの動画に満足することなく、ふるって有料ダウンロードいたしましょう

110428_1_2

私は明日からクルマの中でヘビロテです

それはそうと、MISIAの公式HPには、

なお、この楽曲は4月8日(金)東京 NHKホールにて行われたライヴで収録し、配信限定にてリリース。

とありますが、拍手の入るタイミングからして、4月9日(土)のライヴのバージョンではなかろうかと…

【追記】昨夜、iTunesで「明日へ」を探したものの見つからなかったのですが、今朝になって見つけました(こちら)。(2011/04/28 05:45)

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小樽のウミネコはホバリングしていた(その1)

2011-04-26 21:49:11 | 旅行記

唐突ながら、先々週の週末に決行した北海道遠征のお話です。

4月17日の記事「手袋を持ってくるんだった…」の最後に書きましたように、北海道遠征2日目は小樽に行ってきました。

私が小樽に行くのは、約8年ぶり2度目のこと。
前回の小樽訪問(札幌記念観戦ツアーからの流れでした)は「晩夏」だったのに対して、今回は4月だというのに、まだまだでした。
小樽行きのエアポート快速の車窓から見える日本海は大荒れで、ウミネコ(カモメ?)は強い風の中でホバリングしていました。

110424_1_00

まったくもって、冬の日本海、「冬のエトランジェ」の世界ですな。

海猫【DVD】
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発売日:2011-06-01

今回の小樽での一番のお目当ては、金融資料館

私の場合、金融に興味があるというよりも、興味の対象は金融資料館の建物そのものです。
かの辰野金吾さんの設計になる旧日本銀行小樽支店の建物を観たいっつうのが最大の理由でした。

ところが、やはり旧日本銀行小樽支店も良かったものの、それ以上に、「北のウォール街」とも呼ばれたさまざまな銀行の支店の建物が群れとして見どころたっぷり

銀行の旧支店以外にもトキメキの建物がわんさかありましたが、それは「その2」に廻して、今日は「銀行の旧支店」特集をお送りします。

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現在の「北のウォール街」は、こんな風になっています。

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日銀通り」を挟んで、かつて札幌よりも人口が多かったという「北の商都 小樽」を偲ばせる旧銀行群を観ることができます。

ちょっと考えた末、建物の並びの順ではなく、現在のグループ/まとまりで括って紹介することにしました。

   

まずは、銀行の銀行=中央銀行に敬意を表して、日本銀行から。

110424_1_02boj

威厳を押し出し過ぎたり、技巧に走り過ぎることもなく、それでいて観る人に安心感を与えてくれる建物だと思います。

   

旧日本銀行小樽支店の内部や詳細は後回しにしまして、次は三菱UFJフィナンシャルグループ旧三菱銀行小樽支店

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1922年(大正11年)の竣工だそうな。

   

続いては、恥ずかしいニュースが多いみずほフィナンシャルグループに行きましょう。
こちらは旧第一銀行小樽支店、1924年(大正13年)の建物です。

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ちょっと陰気な感じがします。

一方、こちら(旧安田銀行小樽支店)は、正統派といった感じ。

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1930年(昭和5年)の竣工だそうですから、「好況期に計画されたのに、完成したら世界恐慌のまっただ中だった」という暗い過去をお持ちの建物です。

   

次は三井住友フィナンシャルグループから旧三井銀行小樽支店

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真正面から観てみましょう。

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いかにも元銀行の建物です。
約9年前まで「三井住友銀行小樽支店」として使われていて、小樽市内で最後まで営業していた都市銀行になったそうな。
確かに、銀行の臭いが残っている気がするもの無理はありません。
ところがこの建物、後ろから見ると…、

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ずるい」と言いたくなるような二面性を見せてくれました

   

次はほくほくフィナンシャルグループを観てみましょうか。

こちらは旧北海道銀行本店

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1912年(明治45年)竣工といいますから、最初に紹介した旧日本銀行小樽支店と同じ年です。
交差点を挟んで日銀と向き合う地元銀行の本店、小樽の人たちはさぞかし誇らしかったことでしょう。

ところで、現在の北海道銀行のHP会社概要を見ますと、「設立:昭和26年3月」と書かれています。あれ?ですな。

この辺りの事情はWikipediaに記述されています。

前身は1891年(明治24年)、札幌に設立された屯田銀行と1894年(明治27年)余市に設立された余市銀行(後に小樽銀行)。後に合併して北海道商業銀行となるが、第二次世界大戦中の金融統制(一県一行主義)により北海道拓殖銀行(拓銀)に統合され、一旦は消滅
戦後の経済復興で高まる資金需要に応えるべく、1950年(昭和25年)、旭川市で行われた全道中小企業者大会及び全道商工会議所大会において新銀行の設立が決議され、1951年(昭和26年)3月、株式会社北海道銀行(道銀)が発足。いわゆる戦後地銀として営業を開始した。

これでもよく判りません

もうちょいと調べると、こちらのサイトに行き当たりました。
それによると、旧北海道銀行は、小樽銀行(旧余市銀行)が1906年(明治39年)に北海道商業銀行(旧屯田銀行)を吸収合併して発足(改称)した由。Wikiではこの部分がすっぽりと抜け落ちています。

旧北海道銀行を統合した北海道拓殖銀行ほくほくFGではありません)の旧小樽支店旧北海道銀行本店のすぐ近くにありました。

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この建物で、プロレタリア文学の第一人者・小林多喜二が銀行員として働いていたんですねぇ…。

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正直なところ、恥ずかしながら私、この記事を書く準備をするまで、「ほくほくフィナンシャルグループ」なる金融グループを知りませんでした

知るきっかけになったのは、こちらの建物の由来を調べたことです。

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落雪注意」の貼り紙が痛々しい(ぱっと見、「落雷注意」と読んでしまって、意味不明…でした旧第四十七銀行小樽支店です。

この「旧第四十七銀行」とは何ぞやと調べてみますと、こちらのサイトで、現在の北陸銀行であることが判りました

更に調べていくと、Wikipediaによると北陸銀行は、

北陸3県(富山県・石川県・福井県)と北海道が主な地盤。
総資産5兆8743億52百万円(2009年3月期)
北陸地方では知名度も高く、本店を置く富山県及び県内市町村の指定金融機関となっている。明治期の北海道移住者には富山県出身者が多かった縁もあり、北海道にも営業地盤を持つ(北陸銀行を取引銀行に含める道内企業は数多い。また、道内の自治体では釧路町が指定金融機関としている)。

だそうな

Wikiでは「明治期の北海道移住者には富山県出身者が多かった縁もあり」と書かれていますが、私の友人の説では、「北前船の縁でしょう」とな。
私としては、友人の説を支持したいところです。

それはさておき、「ほくほくフィナンシャルグループ」の「ほくほく」というのは、じゃがバターを形容したものではなく、「北陸銀行」と「北海道銀行」の名前のアタマを並べたもの。
いつの間にこんな金融グループができていたのでしょうか?
ま、私としては、さほど興味を持つ話題ではありません…

   

小樽にはこの他にも銀行がいくつもあったようですが、私が写真に撮ったのは以上です。
いやはや楽しい

でも、小樽のレトロ建築の見どころは旧銀行だけではありません
近いうちに、旧日本銀行小樽支店金融資料館)の内部と併せて紹介するつもりです。

つづき:2011/04/29 小樽のウミネコはホバリングしていた(その2)

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ガ~ン!?

2011-04-23 05:56:05 | 旅行記

110423_1_1

昨夜から、久しぶりの「温泉競馬」に来ています。

いつもの旅行同様に、モバイルPCを持ってきていて、勝ち馬投票(=馬券購入)もブログ書きも準備万端と思っていたら、FOMAデータ端末を忘れて来ていました

参りました… [携帯]

【追記】宿泊先のロビーで無線LANが使えました
ちょいと不便ながら、無いよりはマシです。 (2011/04/23 06:28)

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祝! 記事1000本!

2011-04-18 06:21:58 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の1本目の記事「さすがに北海道は寒いぞ」は、当ブログ1000本目の記事でした
サイバースペースを浪費し、検索してたどり着いてしまった人たちの時間までをも浪費させるという、罪深い当ブログではありますが、ここまで来てしまいました。
今後も、世の中の迷惑を省みず、ちびりちびりと書き連ねていく所存でありますので、
ご贔屓のほどを、御願い奉りまするぅ~

1000本目までの「節目」をたどってみますと、

100本目
200本目
300本目
400本目
500本目
600本目
700本目
800本目
900本目
1000本目
09/04/05
09/06/19
09/09/02
09/11/16
10/01/29
10/04/24
10/07/23
10/10/16
11/01/16
11/04/17
73日間
74日間
73日間
74日間
73日間
85日間
89日間
83日間
90日間
91日間
  花見に行ってきました
イントゥザライト、出走!
「火の鳥」第1・4巻を持ち帰った
エゾシカの寿司!?
J.D.サリンジャーの訃報
あれ? 「のだめ24巻」がきょう届く?
「空頭」って?
大宮を出発
アールデコの楽園であ~る
さすがに北海道は寒いぞ

となります。

で、1000本記念企画」をちょっとだけ考えました。

そして、たどり着いた結論は、「気に入った写真をプレゼント」です。

秘蔵写真集」の収蔵品だけでなく、当ブログで使った写真のうち、明らかに私に著作権があるものであれば、「HDDに余裕があることだし、もらってやってもいいかな」と思われた写真を「ほぼフルサイズ」でダウンロードしていただけるようにします(さすがに、プリントアウトして額装するようなことまではできませぬ)。

期限は今月末。m(_ _)m
○月○日の○枚目の『△△』の写真をもらってやってもいい」といった風にコメント(当然、メアド必須)いただければ、何とかします。

まるっきり応募がなかったりして…
【追記】終了いたしました。

   

ま、それは置いといて、恒例のカテゴリー別の記事本数を。

まず、1~1000本目が、

 1位:日記・エッセイ・コラム (277本、27.7%)、2位:MISIA (251本、25.1%)、
 3位:美術館・博物館・アート (216本、21.6%)、4位:旅行記 (134本、13.4%)、
 5位:ニュース (116本、11.6%)・・・・16位:トイレからの脱出 (14本、1.4%)

で(構成比はいらなかったかも…)、
901~1000本目が

 1位:美術館・博物館・アート (30本)、2位:日記・エッセイ・コラム (28本)、
 3位:MISIA (20本)、4位:旅行記 (18本)、5位:ニュース (15本)、
 ・・・・16位:トイレからの脱出 (0本)

でした。上位に目立った変化はありませんですな。
この傾向(私の嗜好)は、今後もあまり変わらなさそうな気がします。

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手袋を持ってくるんだった…

2011-04-17 10:30:14 | 旅行記

朝食後、ホテルの近くにある中島公園を散歩してきました。

いやはや寒かった…
110417_2_1 天気予報どおり、粉雪がちらほらしていました。
あちこちに残雪があるのはもちろんのこと、すぐ近くの山も雪景色です。

一方で、カラスカァカァとやかましいし、カモも飛んだり、池で浮いていたり、散歩したりと、野生動物は元気でした。

110417_2_2

私が中島公園を歩くのは数十年ぶりのこと。
前回観て、おぉときめいた(そして館名入りの割り箸を一膳いただいてきた豊平館を訪れてみました(今回は外から観ただけです)。

110417_2_3

相変わらずステキ
白ペンキ塗りの下見板が、いかにも札幌です。

ちょっとアップしましょう。

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う~ん、パステルカラーの色合いがまたよろしおす

豊平館は明治13年(1880年)に、開拓使(かつての北海道開発庁のような国の組織)直属の貴賓用ホテルとして現在の札幌市民ホールNHK札幌放送局がある位置(時計台のすぐ近く)に建てられた建物だそうで、いわば北海道版というか官営の「帝国ホテル」みたいなもの。

110417_2_5

豊平館」の扁額は三条実美さんの揮毫によるものだそうです(かつて私がいただいてきた割り箸の箸袋も同様)。

   

ほんの30分ほどの散歩でしたが、完全に手がかじかんでしまいました
こりゃ、早めに手袋を調達する必要がありそうです。

そんなことを考えながらホテルに帰ってくると、ロビーに人が群れています。
実は私が泊まったホテルは、

110417_2_6

北海道日本ハムファイターズとの対戦にやって来た千葉ロッテマリーンズの宿舎になっていたのでした。
エレベーターの中に、こんな貼り紙がありましたが、

110417_2_7

マリーンズ御一行様は、「2階和食からまつ」で朝食を摂られるんですな。

それにしても、私、どうもマリーンズと縁がありそうです(こちらの記事をご参照方)。

さて、そろそろホテルをチェックアウトして、とりあえず小樽まで行ってみましょうか。

つづき:2011/04/26 小樽のウミネコはホバリングしていた(その1)

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さすがに北海道は寒いぞ

2011-04-17 07:43:48 | MISIA

天気予報では、札幌の最高気温が10℃以上だというので、かなり薄着で北海道にやってきてしまった私、着陸ちょい前に眼下の平地にが残っているのを見て、少し後悔しました。そして、新千歳空港から札幌駅に向かう電車の車窓から、線路沿いのあちこちに残雪が見えて、かなり不安になってきました。ただでさえ、先週一週間、風邪気味だったというのに(相変わらず食べ物の味がよく判らない状態)、寒さで風邪をこじらせてしまうのではなかろうかと…。しかも、いかにも冷たそうな雨が降っています。

折りたたみ傘は持ってきていたものの、とりあえず札幌駅のKIOSKでビニール傘を購入し、ホテルに向かいました。すると、すぐにこの決断が正しかったことが判明。風が強く、私が持ってきていた「超軽量三段折りたたみ傘」では使い物にならなかったであろうことが明らかでした。

札幌の市街地にも、あちこちに黒く汚れた残雪が(下の写真は大通公園の西端にある札幌市資料館

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MISIAのライヴが終わった頃には、ますます雨と風が強まっていて、私が着ていた薄手のブルゾンは寒風を前に、あまりにも無力でありました

そして、きょう4月17日の天気予報を見ると、

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札幌に「雪だるま」が

しかも、日中の予想最高気温は、たったの6℃前日比-6℃だそうですから、昨日は12℃まで気温が上がっていたんですな)

念のためにセーターを持ってきていて良かった…

思い出してみれば、数年前、4月末~5月初めに出張で札幌にやって来たとき、市内で残雪を見て驚いた経験がありました今になって思い出すなんて、役に立たない記憶です…

   

ところで、昨夜のTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST 札幌公演MISIAの調子が今ひとつでしたが(会場内が乾燥しすぎだと感じたのは私だけ?)、それでも十二分に楽しめました

開演前の場内の雰囲気が、余震に対する不安や何やらで重い空気が立ちこめていた先週のNHKホール 2daysとは違い、かなりフツーの「THE TOUR OF MISIAの開演前」で、「所変われば…」を実感しました。
場外の寒さを忘れるほど熱く盛り上がって、もう、汗だく

そして、恒例のアレが復活 

アレがないと、MISIAのライヴを楽しんだぞという気持ちの整理がつきません。

110417_1_2 右の小さなセットリストの画像は、クリックすると大きくしてご覧いただけます。

そうそう、昨夜の「アンコール・タイム」が楽しかった

MISIAにも負けないくらいの、超ロングトーンMISIA~~~~~~」コールが何度も送られて、場内が激しく盛り上がりました。この「風習(?)」が全国に広がると、かなり楽しいかも…。

札幌公演が終わり、私が持っているTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTのチケットは、あと1枚だけ(横浜2日目)になってしまいました。かなり心細い…でも、どうやら今回のツアーはずっと続くようですし、できることなら遠征もしたい(特に仙台公演追加されたら絶対に行きたい)と思っています。

   

きょうは夕方のフライト(MSAエアラインズの777便ではありません)で帰宅します。

それまでどこに行こうか、何を観ようか、まったく予定無し
これから朝食を摂りながら考えます。

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