新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

別邸自室のAVルーム化計画 (中編)

2019-08-31 10:04:54 | 日記・エッセイ・コラム

「別邸自室のAVルーム化計画 (前編)」のつづきです。

秋田の別邸(実家)の自室をAVルーム化しようという計画、80インチのロールスクリーンの取付けが終わり、朝食を摂った後、アンプその他の配置換えを実行しました。

まず、配置換え前自室の平面図(東半分)を作ってみると、、

別邸の自室(東半分) Before

こんな感じ。

アンプなどを収めたオーディオラックリスニングポジション近くて、この点だけは扱いやすいのですが、

 1) ブルーレイ(BD)プレーヤーが、アンプやリスニングポジションから遠い
 2) プリンター(兼 スキャナー)が、PCの定位置から遠い

という点がかなり不便でした。

そこで、下図のように配置を変更してみました。

別邸の自室(東半分) After

う~む… 平面図じゃ判りづらい
そこで、セコセコと、オーディオラックとテーブル回り Before & After立面図を作りました。

オーディオラック回りの立面図

図の右側に、PCの定位置となるがあります。

ちょっとここで説明しよう
自室のレコードプレーヤーは、専用のアンプ専用ケーブルで繋がっている変なヤツ(父親がどこからかもらってきた)でして、アナログレコードを聴こうとすると、メインのAVアンプと、プレーヤーの親にあたるアンプ両方を使わなければならない面倒さ

そこで、これまでのレコードプレーヤー(RCAケーブルには非対応)とその親アンプには御引退いただくことにして、階下のリビングからレコードプレーヤー2階に運び上げ、フォノイコライザーを介して(このAVアンプにはPhono端子ない)、AVアンプに接続しました。
アナログレコードを視聴してみると、無事に音が出ました

ということで、上図のように配置を変えると、すこぶる使い勝手良くなりました

ただ、これまでTVBDプレーヤーをつないでいたHDMLケーブル長さが足りず、また、BDプレーヤーにはHDML端子一つしかないため、

TV (音声) ⇒ AVアンプRCAケーブル
BDプレーヤープロジェクター(購入予定):HDMLケーブル
BDプレーヤー (音声) ⇒ AVアンプRCAケーブル
BDプレーヤー (音声&映像) ⇒ TVRCAケーブル

という接続にしました。

ちなみに、購入予定プロジェクターは、オーディオラックの上プリンター左隣りに設置するつもりです。

と、気がつけば、もう10時ではありませんか

クルマ給油して帰ってきて、電車NHKホール出撃するにはかなりギリギリ

そんなわけで、後編につづきます

【追記】安全策をとって、クルマへの給油は今夜に延期することにしました。(2019/08/31 10:05)

つづき:2019/09/02 別邸自室のAVルーム化計画 (中編)

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別邸自室のAVルーム化計画 (前編)

2019-08-24 08:01:27 | 日記・エッセイ・コラム

さぼってばかりのブログ書き、せっかくの11連休にも、書いたのはたったの2本
なにせこの11連休法事だ、同期会だ、雑草取りだ と妙に忙しく、それに加えて、とある計画を思いついて、それに着手したもので…

その「計画」というのは、、、、お察しだと思いますが、この記事のタイトル、「別邸(実家)自室のAVルーム化計画」でございます。

まずは、「別邸(実家)自室」現状から書きますと、以前、さいたまの本宅で使って、その後、別邸に持ち帰った古いAVアンプと、父親がどこかからかもらってきたシステムステレオアンプ&レコードプレーヤー&スピーカーと、帰省のつど連れて帰るPC + これまた以前さいたまの本宅で使っていたDACを加えた妙な音響システム(一応、ハイレゾ対応)と、Blu-rayプレーヤー & 19ちんけなTVの組み合わせです。

この基本的に「お下がり」音響システムが、ほんと、妙にイイ音を出すんです
恐らく、スピーカー素性が良いのだと考えております…

ところが、Visualがなんともしょぼい
画面は小さいし、Audioセット40°ズレてるし…

今後、ちょくちょく別邸に帰省しようと考えている私としては、もうちょいと大きなTVに買い換えたいところですが、部屋の構造からして、「もうちょい大きなTV置く場所がない

と、作り付けの書棚スクリーンを設置して、プロジェクターで映像を投影したらどうだろう… と思いつきました。
書棚の幅は2m強ありますから、80inchスクリーンは設置できそうです。
さらに、スピーカーを追加して、5.1chシステムにしてみようか と…

このアイデアを思いつくと、さっそくネット機器の物色を開始しました。

その結果、金銭面では、遊休中の中古品を活用すれば、十数万円でなんとかなりそうだと判りましたが、問題は、書棚に設置できるスクリーンが存在するのか ということ。
上に載せた写真でも判るとおり、書棚の中央下には石油ファンヒーターが設置されていて、温風をまともに受けることになるスタンド式のスクリーン問題を起こしそうです。

となれば、壁掛け式のスクリーンに絞られます。
当初、私は、太目のネジで巻き取り式のスクリーンを書棚に固定すればよかろうと簡単に考えていたのですが、候補となるスクリーンの取説をダウンロードして読んでみると、壁掛け&スプリング巻き取り式の80inchのスクリーン重さが7kgほどあって、その据え付け方法も、単純にネジ止めするのではなく、壁面に直径9mm×深さ55~60mmの穴を空け、そこにアンカーボルトを差し込んでスクリーンを固定するというもの。

取説では、電動工具必須っぽく書かれているし、なによりも、「本製品を取付ける場合は特別な技術が必要ですので、必ず専門の取付け工事業へご依頼ください」みたいな事が書かれていて、さらに「お客様による工事は一切行わないでください」と念押しまで…
でも、専門の業者にお願いすれば、お金がかかるし、第一、面倒くさい

なんとか自分で取付け作業ができないものか…と、ホームセンターに出かけて、工具物色しました。

値段によっては、電動工具を買ってもいいか、とも思っていたのですが、値段(1万円強から)許容範囲だったものの、どれも重くて、これを扱ってまっすぐな穴を空けられる自信がないし、今後電動工具を使う機会なんてそうそうあるものではないし、電動工具を買うのはもったいないと思えてきました。

さて、どうしようか… と、店頭の直径9mmドリルビットをしげしげと見ながら考えるうち、このドリルビットをY字レンチラチェットドライバーに取り付けて、手動で穴を空けられるかもしれない と思いつきました
一旦、これを試してみて、やはり電動工具が必要であれば出直そうと考えて、ドリルビットY字レンチラチェットドライバーセット(もともと別邸用に欲しかった)購入して帰宅すると、ネットで壁掛けタイプのスクリーン注文しました

   

発注から2日もたたずにスクリーン到着

やはり、荷姿からしてデカい 重い
2階の自室に運び込むだけでも大変でした。

この日はこのあと外出する予定があったため、翌朝、開梱して作業を開始しました。

取説には、スクリーンを壁に当てて、穴の位置を決めるように書かれていますが、7kgものスクリーン本体を書棚に押し当て穴の位置を書棚にプロットするなんて、一人作業では到底無理ですので、梱包材(段ボール)穴の位置を書き取って

それを書棚に転写しました。
そして、まずはY字レンチを使って右側の穴にチャレンジ

すると、思った以上にスルスル穴を開けられるではありませんか
ほんの数分で穴開け(その1)完了

開けた穴にアンカーボルトを差し入れるとこんな感じ。

これなら、電動工具どころか、Y字レンチさえも不要だったかも知れませぬ
そこで、左側の穴開けにはラチェットドライバーを使ってみました。

右利きの私にとって難関のはずの左側簡単に穴開け(その2)完了

左の穴にもアンカーボルトを入れ、どっこいしょスクリーンを持ち上げて、スクリーンの取付け穴ボルトにひっかけてふぅ~と一息…。

そして、六角ナットラチェットドライバーで締めて、完成
取り付けたスクリーン本体を揺すろうとしても、ビクともしません

スクリーンを下ろすとこんな感じ。

う~ん、イイ感じ
ただ、右側(東側)の窓のカーテンは遮光カーテンに換えた方がいいかな…
7:00直前ということから、特段明るいんですけど…。

作業時間1時間弱(後片付けを除く)でここまでできてしまうとは、我ながらお見事 です。

こうして「AVルーム化計画」最大のタスク完了したことで大満足のうち、朝ご飯を食べたのでありました。 

つづき:19/08/31 別邸自室のAVルーム化計画 (中編)

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尾張徳川家のお宝を拝見

2019-08-13 20:55:10 | 美術館・博物館・アート

旅行に出かけたり、帰省すると展覧会を観に行くのが「お約束」の私、今回の帰省でも、一昨日、秋田市立千秋美術館で開催中の「徳川美術館名品展 尾張徳川家の至宝」を観てきました。

「尾張徳川家の至宝」展のフライヤー徳川美術館には、2006年8月「MISIA星空のライヴIII」名古屋公演に出撃したとき、一度だけ行ったことがあります。
でも、その時観た常設展示あまりパッとせずこちらに書いたように、

徳川美術館は期待はずれむちゃくちゃやかましいガキがいて、気が散って困りました)

というものでした。
また、2015年4月「MISIA星空のライヴVIII」名古屋遠征のとき、徳川美術館再訪しようかと思ったのですが、この時は、レンタカーで移動していて、あいにく徳川園駐車場が満車だったのであきらめた という過去があります。
そんなわけで、徳川美術館と聞くと、あの、くそやかましいクソガキが思い出されて、それがトラウマになっている感じです。

   

さて、秋田市立千秋美術館での「尾張徳川家の至宝」展は、くそやかましいクソガキなんておらず(これが普通の美術館)、じっくりと楽しめました

のっけから、フライヤーのメインビジュアルにもなっている家康が着用したという「熊毛植黒糸威具足」

甲冑は、桃山~江戸時代初期のものが一番 だと思っている私ですし、保存状態もすこぶるイイ
それもそのはずで、図録の解説によれば、

家康から尾張徳川家初代義直に譲られた甲冑で、同家では別格扱いされ、名古屋城小天守内で他の具足と区別して、二畳の上畳(あげだたみ)の上に白木脚付の台を置き、その上に具足櫃を載せ、布を懸けて保管していた。

だそうで、それは大事に扱われていたのだそうな。
そうそう、この具足は、前期(7月20日~8月8日)のみの展示の予定だったのが、どうしたことも後期も展示されることになり、そのおかげで拝見することができました Lucky でございました
Lucky といえば、これまた前期のみ展示だったのが、後期にも展示されていた「梨子地糸巻太刀拵 with 豹皮尻鞘」も拝見できて幸せぇ~~ でした。
こちらは18世紀のものでしたが、さすが御三家筆頭・尾張徳川家所用のもので、精緻華麗な造りが見事でした。

ところが、不思議なことに、「豹皮尻鞘」図録載っていませんでした
この「尻鞘」なるもの、こちらのサイトから引用すると、

鞘の下端部を保護し、馬上において馬の腰に鞘が直接触れることをさける目的で、猪・虎・豹等動物の毛皮を尻尾に似せて被覆した装飾をいう。主に鎌倉南北朝頃の兵杖太刀の鞘に被せて用いたが、その異様な風体は人の目をひくものであり武張って猛々しい為、復古思想の強い江戸後期にこれを写した拵が多く用いられた。また鞘を包み込むことにより雨露を凌ぐ等、刀身保護の目的もあったと思われる。

騎馬武者像だそうですが、教科書に載っていた某武者の肖像画に、その「尻鞘」が描かれていました

右の画像は、多くの人が「足利尊氏像」習ったものの、今はただの「騎馬武者像」と扱われている肖像画(重要文化財)です。
この武者が佩いている太刀モフっているのがお判りでしょうか?

拡大しましょう。

騎馬武者の太刀と尻鞘

 

ね? モフってますでしょう?

この騎馬武者尻鞘虎皮のようですが、展覧会の説明板によれば、尻鞘には「格」があって、持ち主の位によって、

豹>虎>その他

と決められていたのだそうな。
とすれば、「豹皮尻鞘」を所用していた尾張家9代 徳川宗睦の方が、「騎馬武者」よりも位が上だったということになりますな。

そこで調べると、徳川宗睦「従二位」で、「騎馬武者像」のモデルと目される高師直は確定できないけれど最高位が「従五位上」と、その差は明らかです。
ちなみに、かつて「騎馬武者像」のモデルとされていた足利尊氏は、生前には「従二位」まで昇進しましたが、この肖像画は、鎌倉幕府の倒幕に立ち上がったときの姿と言われていましたから、そうであれば「従五位上」

なるほどぉ~ です。

でも、どうしてより格上だったんでしょ?
たしか、昔は、同じ動物で、オスが虎メスが豹だと考えられていたんじゃなかったでしたっけ? (名古屋城本丸御殿障壁画の説明にもそう書かれていた)

名古屋城本丸御殿の復元障壁画

だとすれば、女性の方が男性よりも格上ってこと?

この仮説への論評は差し控えさせていただいて、刀剣の展示へ…。

ここでかなり気合いの入った刀剣女子に遭遇しました。

ガイドブックを手にした若い女性3名が、「本作長義 天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住国広銘打 長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日小田原参府之時従 屋形様披下置也」なる超長い銘(重要文化財)の前で動かないのですよ。

仕方ないので、「本作長義…」後回しにして、次の展示を観て、そして、もういいだろう と戻ったら、刀剣女子は、まだ「本作長義…」の前にいる

どうして隣りに展示されていた国宝「国宗」ではなく「本作長義…」を延々と鑑賞しているんでしょ?
もしかして彼女たちは「国宗」延々と鑑賞したあと、「本作長義…」も同じように鑑賞している?
これほど一作品の前から動かない観客に遭遇したのは、これほど博物館・美術館に通っている私でも初めてのことでした。
確かに、「長義…」は、唯一無二っぽく変わった刃紋の刀でしたけど…

   

1300年の時を経て正倉院に伝えられる宝物の中でも、何人もの時の権力者魅了(惑わして?)してきたとびきりのお宝といえば、香木「蘭奢待(らんじゃたい)」でしょう。
その「蘭奢待」をこの展覧会で拝見できるとは思いもよりませんでした

蘭奢待

図録から拝借した写真に「0.4g」とあるとおり、小さな小さな木片で、マイクロSDカードくらいの大きさでした。
できることなら、匂い「聞かせて」いただきたいところですが、蘭奢待は、当然ながらガラスケースの中に収められていまして、クンクンしても(ムダな努力)感じることができませんでした

   

この展覧会を観て思い出させていただいたのは、日本美術の名品中の名品「源氏物語絵巻」を収蔵しているのは、五島美術館とこの徳川美術館2館だということ

残念ながら、徳川美術館所蔵の原本出陳されていませんでしたが、田中親美氏ほかによる模本現状模写と、林功氏を始めとする画家の皆さんによる復元模写が展示されていました。

「橋姫」の現状模写と復元模写

「現状模写」というのは、

平成17年(2005)から23年にかけて、東京藝術大学美術学部絵画科・日本画第三研究室の修了製作の一環として、徳川・五島両美術館に収蔵される国宝「源氏物語絵巻」の現状模写の事業が行われた。古典技法および材料研究を習得し、そこで得られた技術や経験を、各画家たち自身の絵画製作に活かすことを目的として推進された。

というもので、「復元模写」は、

別に継続して実施された科学的分析調査によって特定されたさまざまな顔料や不明瞭となった図様の確認などの成果をふまえ、できうる限り原本と同一素材・同一技法で製作するという基本理念のもとで推進された。さらに図様や文様の確認顔料の粒子の大きさ塗りの厚み色のかさねなど、丹念な原本の観察、とりわけ顕微鏡を用いての画家自身の読み込み有職的な知識が復元模写を行う上で重要なポイントとなった。

だそうです。

凄いなぁ~ と感嘆しながら、ふと、思い出しました

以前、NHKが、この「源氏物語絵巻」の復元模写の話を番組として放送していて、私はそれを録画してBlu-ray Discに落として保存しているのですよ

 帰省からUターンしたら、もう一度見かえさなくては

ということで、同窓会までの時間つぶしのつもりで見始めた「尾張徳川家の至宝」展かなり楽しむことができました。
自宅のBlu-rayコレクションを見かえすだけでなく、クソガキトラウマを乗り越えて、徳川美術館再訪しなくては でございます。

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一足お先に夏休みに突入

2019-08-09 08:43:01 | 旅行記

私は、きのう、8月8日(木)から夏休み突入して、別邸(実家)のある秋田にやって来ました。
勤務先所定の夏休み8月10日(土)~18日(日)で、9日(金)は間接業務のほとんどの社員が年休をとりますので、同僚たちより1日早い夏休み入りです。

例年だと、夏休みに入ると、初日帰省の準備をして、夏休み2日目帰省ドライブというのが常でしたが、今回は、数日前から、ビールやら新調したカーテンやら段階的にクルマに積み込み始めて、前日の帰宅時クルマ給油を済ませ(連日の猛暑渋滞酷い燃費…)夏休み初日の朝から帰省ドライブを敢行しました。

これというのも、きょう8月9日には、母の一周忌法要を行う予定で、その準備もあって前日のきのう別邸に戻って来たという次第です。

高速道渋滞予測によれば、私が帰省ドライブに使う可能性あるルートで、きのう渋滞が予測されていたのは、平日朝お約束外環道のみで順調なドライブが見込まれていました。

毎朝の通勤ドライブと同様、アイスコーヒーを作って、5:40頃自宅を出発

ナビによれば、秋田までの590km約8時間で走り、別邸には13:30頃に到着する見込とな。

で、浦和中心部を抜け、通行料収入では収受人給料も賄えないのではないかと思う新見沼大橋有料道路(普通車:150円)を通り、浦和料金所から東北道に乗りました。
時刻はちょうど6:00
いつもの通勤同様、FM NACK5「Good Luck! Morning!」を聴きながらクルマを走らせていると、番組の進行から、「いつもならあの辺を走っている頃だ」なんて、なかなか趣き深い…

FM NACK5の電波が届かなくなった栃木県北部にさしかかった辺りで、お腹が空きトイレにも行きたくなって、この日最初の休憩は、那須高原SA
ここまで、渋滞皆無で、快適なドライブをしてきたのですが、那須高原SA駐車場結構な混み様で、駐車場所を探すのが大変でした。
那須高原SAには、高齢者ドライバー専用の駐車スペース(初めて見た)何台分もあって、きのうみたいに混んでいるときは、ちょいと鬱陶しい…

それはさておき、那須高原SAコンビニメンチカツパン牛乳を買い、クルマの中で朝食を摂りました。
時刻は7:40頃でしたから、これもまた、いつもの通勤ドライブと一緒
ほんとは普通の牛乳で良かったのですけれど、那須という場所柄か、180mlで267円という高級な牛乳しか売られていなくて、プチ贅沢しました。
(ちなみに、メンチカツパン150円でしたから、牛乳の方がメインディッシュっぽい)
でも、この価格に見合うだけの味だったかといえば、疑問…ではあります。

   

その後も順調なドライブを続け、福島県内を通過し、9:30頃には一番の難所(村田~泉)を無事に通過して、2回目トイレ休憩は、基本的にトイレしかない泉PAで。

ここまで、クルマのオートクルーズ頼り切りで、アクセルペダルほとんど踏まずブレーキペダルに至ってはSA/PAに入るときにしか踏まない(踏む必要がなかった)運転をしてきたせいか、フロントウインドには激突するもほとんどおらず、窓拭きは不要でした。

至極順調東北道を走って思ったのは、

この2点でした。
この「山田」「今泉」って、ほんとに存在するのか と調べてみると、ほんとにありました
ただし、私が走っていた東北道ではなく、仙台南部道路のお話でした。

「山田⇒今泉 渋滞5km」だけじゃ判らないって…。関係ないし…

山田⇒今泉 渋滞5km ⇔ 仙台南部道路

交互に表示してくれたら良いのにね…

   

この辺りで、ナビが示すところの「目的地到着予定時刻」は、最初の表示から1時間繰り上がって12:30になっていまして、その後もストレスフリーな帰省ドライブが続きました。

ただ、途中で、仕事の電話が入りました(会社支給のスマホを、電源OFFのときは私用スマホに自動転送されるよう設定)
先方は、会社受付の数十m先にいるものと思って話している私が、実は岩手県内の秋田道を走っているなんて、信じられないだろな…

   

最後のトイレ休憩最初で最後の窓拭き休憩を、ゴミ箱もない山内PAでとり、

本線に戻ったら、あらま 2台後ろパトカーが走ってる

秋田道は、対面通行の区間が長く、70km/h速度制限がかかっています。
でも、前ががらぁ~と空いた道を制限速度を守って走るのは、結構辛い…。
でもでも、行け~ とスピードを上げたら、パトカーはスピーカーで私の後ろのクルマをどかせて、追跡を開始するかもしれません。

横手JCTまですぐだし、しばらく我慢するか… と思いつつも、ジワジワと、ほんとジワジワと後続を引き離し、結局、パトカー振り払いましたとさ

残念だったのは、天候が良ければ見事横手JCTからの鳥海山勇姿見られなかったこと。
どピーカンながら、湿気が多いのか、遠くがかすんで鳥海山はまったく見えませんでした

その後は、パトカーにも、やんちゃなクルマにも遭遇することなく秋田南ICから出てR13に入りました。

秋田南ICから別邸までは、クルマならすぐでして、12:30には別邸到着
荷物を降ろしたあと、メーターを記念撮影しました。

いやぁ~、快適帰省ドライブでした。
めでたしめでたし。

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Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-3

2019-08-03 21:53:02 | 旅行記

「Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-2」のつづきは、河口湖遠征2日目のお話です。

7月14日の朝、起きて、外を見ると、期待はしていませんでしたが、やはり

この天候では、風景を愛でるたぐいの観光は期待できません
それなら、例によって15:00頃河口湖ステラシアターに到着するまでの間をいかに過ごしたら良いのだろうか…
とりあえず、チェックアウトギリギリまでホテルで過ごすことにして、まずはホテルの大浴場で朝風呂に入り、ひげを剃りました。実は、シェーバーを忘れてきておりまして…

そして、部屋に戻って、途中、朝食タイムを挟んで、ブログ記事「Misia Candle Night Reiwa 初日のこと」を書くことにを出しました。

そしてそして、予定どおり、チェックアウトギリギリ手前でブログを書き終えて、河口湖遠征2日の行動を開始しました

   

ところが、ホテルの駐車場に駐めていたクルマに乗り込んでも、まだこの日の行動が決まりませんでした。
クルマの運転席から見える外の様子は、が降りしきっていて、ますます観光とは縁遠い天候なのだなと思い知らされます

でも、いつまでもホテルの駐車場で時間を過ごすのはアホなので、あてもなく、富士山の裾野時計回りに回って、富士五湖(山中湖除く)を巡ってみようか、ということで、R246西へ走り出しました

通勤ドライブほぼ毎日走っているR246、東京の三宅坂(最高裁のある丁字路)起点なのは知っていましたが、終点どこなんだろ? と思いつつも調べることはなかった私、この日、R246の終点までやって来ました

R246の終点沼津で、R1ぶつかっておしまい
そして私はR1を、あてもなく西に向かってクルマを走らせました。

と、道路沿いに、「原」と書かれた表示板を見かけました。

「原」って、あの東海道宿場町「原」じゃないか?

歌川広重「東海道五拾三次」「原」は、

歌川広重「東海道五拾三次之内 原」

富士山フレームを突き破る構図が極めて印象的です。
ちなみに、広重は、「掛川」を、

「関」関札を、

それぞれフレームからはみ出して描いています。

ここでふと思い出したのは、たしか静岡のどこか広重の名を冠した美術館があったはず…ということ。

もし、河口湖まで行く経路を大きく逸れないのなら、その美術館に行ってみようか… と思いついた私は、R1から左折して横道に逸れると、クルマを駐めて、スマホで検索…。
すると、その美術館「静岡市東海道広重美術館」は、静岡市内とはいえ、清水よりもっと手前由比にあります。

ナビで見る限り、往復で10kmほど余計に走れば「静岡市東海道広重美術館」に行けます

ほぼ毎日、片道65km通勤ドライブをしている私にしてみれば、往復10kmなんて、ホンの寄り道です

といことで、「静岡市東海道広重美術館」通過地点としてナビにセットして、R1に戻りました。

   

そして、11:30ちょい前由比川の河川敷にある無料駐車場に到着しました。

旧街道沿いの、もっと美術館に近いところにも無料駐車場があることをあとになって知りましたが、日頃の運動不足の繕いも私の遠征では重要なテーマの一つでもありますから、まぁ、そこは良しとしましょう。

いかにも旧街道っぽい (でも、人通りが少なすぎる…)

一方で、近代建築も楽しめるのが、私にとってはうれしい

左の写真は、清水銀行由比支店本町特別出張所で、説明板によれば、

この建物は、明治35年(1902)創業の庚子銀行本店として、大正14年(1925)竣工したが、昭和3年(1928) 金融恐慌のおり駿州銀行に吸収合併された。昭和23年(1948)には清水銀行と改称され、同行由比本町支店となった。

だそうです。(西暦表記は私の加筆)

そういえば、先日、埼玉りそな銀行川越支店が、

来年夏を以て営業を終了(移転)するというニュースを耳にしました。
この建物は、こちらで書きましたように、大正7(1918)に旧・八十五銀行の本店として建てられたそうで、清水銀行由比支店本町特別出張所ちょっと先輩

銀行の古い建物って、ホント、魅力的

埼玉りそな銀行川越支店機能移転後も、この建物は残されるんだそうで(国の登録有形文化財)一安心です。
清水銀行由比支店本町特別出張所も、営業終了したとしても、建物は残して欲しい (こちらも国の登録有形文化財)

清水銀行由比支店本町特別出張所のすぐ近くに、古い学校のような建物がありました。

何の建物なんでしょ?

通り(旧東海道)に面した側は、これまた趣き深い

でも、側面学校然とした風情とはずいぶん違います。

と、看板が掲げられていました。

「株式会社 由比缶詰所寄宿舎第三寮」と読めます。
でも、とても「現役の寮」とは思えない佇まいです

しかも、「株式会社 由比缶詰所」なる会社は今も存在するのでしょうか?

調べると、「株式会社 由比缶詰所」現役の会社でした
大変、失礼いたしました m(_ _)m

会社のサイトを覗くと、

収穫の時期に大量に製造加工するため、 県外からも季節従業員をたくさん受け入れていました。その頃に使っていた趣のある社員寮が今でも残っています

とありますので、その「社員寮」この建物なのでしょう

   

こちらの「粋な黒塀 見越しの松」も、目を惹きますなぁ。

白いペンキ塗りの下見板張りの壁と寄棟瓦葺き、、、これはただものではない

と思ったら、静岡市が設置した説明板がありまして、それによると、

江戸時代、文書の送達は飛脚便によって行われ、由比宿では朝日麟一氏によってその業が行われ、飛脚屋と呼ばれています。
明治4年(1871)3月、郵便制度の創設により、飛脚屋は由比郵便取扱所となり、さらに明治8年(1875)1月、由比郵便局と改称されました。
明治39年(1906)5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41年(1908)1月より郵便局を移転しました。この局舎は昭和2年(1927)7月まで使用され、現在は平野氏私邸となっています。

だそうで、写真バシャバシャ撮るのは気が引けます

   

なかなか東海道広重美術館行き着きませんが、最後にこの一棟

 「正雪紺屋」と染められたのれんが見えます。

正雪??? もしかして由井正雪と関係がある??

この建物にも説明板がありました。
曰く、

この紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶(あいがめ)等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができます。
慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれていることから、正雪紺屋の屋号がつけられています。

へぇ~~ です。

でも、Wikipediaによれば、

河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、慶長10年(1605年)、駿河国由井(現在の静岡県静岡市清水区由比)において紺屋・吉岡治右衛門の子として生まれたという。

だそうで、裏付けとしては苦しいなぁ~

でも、由井正雪由比宿繋げて考えることは無かったなぁ~、と思ったりして。

ということで、東海道広重美術館の見聞録は「河口湖-4」で。

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