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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-2

2025-05-31 18:02:21 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-1」のつづきです。

一昨日、この「#1-2」を書いていて、記事の終盤、「日本国宝展」の展示についてあれこれと復習がてら調べて、さぁ、いよいよ完成だ と思った時、ついついマウスの「戻る」ボタンを押してしまい、書きかけの記事が消えました

ブログサイトの「自動バックアップ機能」で、記事の前半は復活しましたが、一番労力を使った部分は消滅したままで、そこを書き直す気力が薄れてしまいました それでも、なんとか体裁を繕って「#1-1」をアップした次第です

そんなわけで、気を取り直して、「日本国宝展」の見聞録を書きます。

   

「大阪・関西万博開催記念 大阪市立美術館リニューアル記念」と銘打った「日本国宝展」、フライヤーには、

教科書で見た、あの国宝が一堂に!
大阪・関西万博が開催される令和7年(2025)春、大阪市立美術館は昭和11年(1936)の開館後初めて二年以上に及ぶ全面改修を経て、リニューアルオープンを迎えます。この二つの事業を記念し、大阪で初、また公立館としても初となる国宝展を開催します。
何百年あるいは何千年もの時を越えて今に伝わる、日本文化の結晶とも言うべき国宝。本展ではこの類い稀なる宝を通じて日本の美の歴史を辿り、併せて大阪ゆかりの国宝もまとめてご紹介します。また、今に守り伝えてきた先人の想いとたゆまぬ努力を継ぐべく、文化財を未来へ伝えていくことの意義についてもお示しします。「国宝」という至宝との<出会い>が、国や地域を超えた日本文化への理解につながることを期待しています。
展示されるのは約130件の国宝のみ(*参考出品を除く)。大阪ではかつてない規模かつ贅沢な構成で、日本の美の真髄に迫ります

と、どやぁ~ という感じが伝わってきます。

そして最初の展示室「日本美術の巨匠たち」へ…。

最初っから凄い

円山応挙「雪松図屏風」に、長谷川等伯「楓図」、伊藤若冲「動植彩絵」から「芦雁図」「群鶏図」「秋塘群雀図」の3幅、岩佐又兵衛「洛中洛外図屏風(舟木本)」など、まさに どやぁ~ でした

久しぶりに京の喧噪が伝わってくるような「洛中洛外図屏風(舟木本)」を間近に観て単眼鏡を持ってこなかったことを後悔 でも、細かい所を観るなら、うちには「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(2013年10~11月@東京国立博物館)の立派な図録がありますから…

面白いと思ったのは、「動植彩絵」のうち展示されていたのが、雁が1羽の「芦雁図」鶏が12羽の「群鶏図」雀が70羽以上の「秋塘群雀図」と、どれもが描かれている作品だったこと。お馴染みの「群鶏図」もさることながら、の実に殺到する雀たちがなんともかわいらしい しかも1羽だけ白いっつうのが(吉祥を意味しているとか…)、オシャレでもあります。

なお、名前を挙げた4作品のうち、6月1日まで展示されている「楓図」を除き、みんな東京の自宅(?)に戻られています。
代わって、「唐獅子図屏風」や、雪舟「天橋立図」「慧可断臂図」「山水長巻」などが展示されているらしい。
「唐獅子図屏風」を初めて観る人は、あのデカさにのけぞるだろうな…

それにしても、見事な「掴み」だったと思います。

最初にこんなクライマックスがあって、あとは尻すぼみになるんじゃないかとちょっと心配でしたが、いやいや、これでもか とばかりに名品が惜しげもなくくりだされます。

薬師寺の聖観音菩薩立像(見聞録)興福寺華原磬などは、今回のように出張中でない限り、薬師寺東院堂興福寺国宝館で簡単にお目にかかれますが、鑑真和上坐像 (私は2年ぶりの再会)とか、東京国立博物館所蔵の「孔雀明王像」なんて、なっかなか拝見することはできません (右の写真は、「孔雀明王像」の高精細レプリカ@東京国立博物館)

また、如拙「瓢鮎図」は、今年1月に妙心寺模本を拝見したものの(記事)、現物とは15年ぶりの再会でした。

   

美術館・博物館の企画展は、通常、撮影禁止ですが、それでも、「フォトスポットを設けていることが増えてきていまして、この「日本国宝展」でも、1点だけ「撮影可でした。
それが、薬師寺東塔の水煙

この水煙は、2009~2020年にかけて行われた薬師寺東塔解体修理を期に引退したもの。
ですから、1300年の長きにわたって、東塔のてっぺんで風雨に耐えてきた現物です。
見た目は時を超えて見事なものですが、劣化しているということで、引退されたそうです。

水煙は、精巧に鋳造された4枚の水煙十字型に組み合わされていて、その1枚の重さは100kgあるんですと

水煙の上に二つのアンティチョーク状のものが見えますが、下が「竜車」、上が「宝珠」というものだとか。

現在の薬師寺東塔に取り付けられている相輪は、最上部の水煙・竜車・宝珠のほか、その下の九輪の一部が新調されたと聞きます。

つまり、新しい東塔の相輪には、1300年前のもの新品とが共存しているのですが、素人目で見上げるのでは、その違いが判りません
こちらのサイトを読むと、その「再現」の奥深さ、技術たるや…

   

この展覧会の出品目録を眺めると、出品作品の所蔵・収蔵者は、実に多様なことが判ります。
やはり東京国立博物館が所蔵・収蔵している作品が多いのですが、同時期にかなりの規模・内容の特別展を開催中の京都国立博物館奈良国立博物館からやってきた作品も少なくないのには驚きました。
きっと、開催準備の中で、大阪市立博物館京博奈良博の3者に東博が加わって会議と調整を繰り返して、「日本国宝展」、「超国宝」展、「日本、美のるつぼ」展の出品作品を決めたのだろうなと想像に難くありません。

なお、雪舟天橋立図」は、5月27日~6月8日に大阪市立美術館で展示されたあと京都に戻り、6月10~15日には京博で展示されますし、如拙「瓢鮎図」は4月26日~5月18日に大阪市立美術館、5月27日~6月15日には京博で展示されるという、売れっ子タレントのような「掛け持ち出品」です。

こうして私は、約1時間半にわたって「日本国宝展」を楽しんだのでした。

つづき:2025/06/01 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-3 

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大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-1

2025-05-29 18:58:33 | 旅行記

「大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #0」のつづき、ようやく5月13~15日関西旅行の旅行記のスタートです。

今回の関西旅行の東京⇔関西の交通手段は、往路が飛行機復路が東海道新幹線というものでした。
運賃が両者でさほど違わないことに加えて、大阪⇒奈良の移動を考慮して上本町にとったホテルの場所を考えれば、新幹線より飛行機&リムジンバスの方が楽そうだという理由がありました。

   

さて、5月13日(火)の朝(6:00)、自宅最寄り駅前から乗った羽田空港行きのリムジンバスは、戸田橋を渡って東京都に入るなり、さっそく首都高速の渋滞にはまりました。でも、10年近くも首都高速を使って自動車通勤していた私ですから、そこは想定の範囲内でした。
ところが、いつもの自然渋滞に加えて、中央環状線(山手トンネル)で事故発生だそうな 「私なら中央環状線(C2)ではなく都心環状線(C1)を使うな…と思っていたら、リムジンバスも熊野町JCTで5号線を選択して都心へと向かいました。

そして、5号池袋線⇒竹橋JCT⇒C1(外回り)⇒芝浦JCT⇒11号台場線

⇒有明JCT⇒湾岸線⇒空港中央とルートをとり、定刻から30分近く遅れ羽田空港に到着しました。

空港でバスを降りると小走りの人もいましたが、こちらはかなり時間的余裕がありましたので(バス便が少ないせいもある)、涼しい顔で荷物を預け、そしてのんびりと朝食のそばを食べました(車内では、バスに乗る直前にコンビニで慌てて買ったおにぎり1個を食べた)。

   

4月の髙松遠征の往路では、機体の左側の席をとっていて、こちらで書いたように、過去一番に大きな富士山を見ることができたのですが、今回は右側の席。さて、どうだろうと思ったら、、、

おぉ、今回も富士山席

ただ、今回はちょっとが多く、霞んでもいただので、眺めイマイチ
それでも、セントレアが見えて、4か月前を思い出したりいたしました

大阪空港にはほぼ定刻に到着。

大阪・関西万博が開催中なんですよねぇ

手

でも、私、ほんっっとに興味が湧かないのですよ。
なんでだろ…

   

大阪空港から乗ったリムジンバスは、途中、渋滞に遇うことも無く、阪神高速をスイスイ走り約20分上本町駅に到着しました。

近くにあるホテルに行って荷物を預け、さぁ、行動開始です。

時刻はちょうど12:00だったんですが、せっかく大阪まで来て、全国チェーンの飲食店で食事するのには抵抗があります

というわけで、大阪でのメインイベントの地、天王寺に移動しました。
そして、「大阪に来れば…」串かつ定食(ちょっと高級っぽい)を食べました。

美味しかったのですが、でも、やはりソースどっぷり浸けたいな…
それと、漬け物といっしょに塩昆布が添えられていたのですけど、この塩昆布はどうやって食べるものなのでしょうか? 
ご飯にまぶして食べればよかったのかな??
ちなみに近所のラーメン屋では、味変用に塩昆布が取り放題です。

   

塩昆布はともかくとして、お腹が満ちたところで、「日本国宝展」開催中の大阪市立美術館に向かいました。
と、

行列ぅ~~
平日の昼だというのに、なんじゃこりゃ

でも、この行列は当日券を購入する人たちの列で、前売券を持っていればすんなりと入館できるみたい。

奈良・京都・九州各国立博物館の特別展では、私が持っている東京国立博物館「友の会」会員証を窓口で提示すれば、団体料金(前売券と同額)で入館できますので、私は、日本国宝展@大阪市立美術館前売券で、「超国宝」展 @奈良博「日本、美のるつぼ」展@京博には当日券を買って入館するつもりでした。

そんなわけで、私は、事前に購入していた前売券(電子チケット)ですんなり大阪市立美術館に入館できたのですが、でも、当日券を求める行列を見て、奈良博・京博はどうなんだろう? とちょいと不安に…

   

「日本国宝展」のフライヤーの表紙には、10点の国宝の写真が載っています。
4月26日~6月15日の会期中ならいつでも全部観られるかというとそんなことはありません。
他の展覧会でも展示品の入れ替えは行われるものですが、国宝ともなれば、彫刻・陶芸・刀剣などを除き、年間の展示日数や移動回数などに制限が加えられていますので、「日本国宝展」の場合、6期に分けて展示作品の入れ替えが行われます。

実際、この日、私が拝見することができたのは、この10点のうち、長谷川等伯「楓図」「火焔型土器」「信貴山縁起絵巻」野々村仁清「色絵雉香炉」4点だけでした。

まぁ、私はこれまで、「日月四季山水図屏風」「山水長巻」除く8点を直に拝見したことがありますから、「この辺にしといたる」って感じです

という流れで「#1-2」につづきます。

つづき:2025/05/31 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1-2 

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福岡遠征2025 #0

2025-05-29 11:03:06 | 旅行記

「福岡遠征2025 #M」のつづきみたいなもので、5月24~26日に決行した福岡遠征のダイジェストです。

けさの NHK「あさイチ」 (明日はMISIAがプレミアムトークで生出演) が福岡特集なもので、尻を叩かれた感じです

で、3日間の旅程と主な訪問場所は以下のとおり。

【初日】5月24日(土)

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅京浜東北線浜松町駅東京モノレール羽田空港飛行機福岡空港地下鉄空港線博多駅地下鉄七隈線櫛田神社前⇒徒歩ホテル(チェックイン) ⇒徒歩マリンメッセ福岡 A館(THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES)⇒徒歩夕食⇒徒歩ホテル

【2日目】5月25日(日)

ホテル⇒徒歩櫛田神社⇒徒歩祇園駅地下鉄空港線中洲川端駅地下鉄箱崎線貝塚駅西鉄貝塚線香椎花園前駅⇒散策香椎花園前駅西鉄貝塚線 貝塚駅地下鉄箱崎線箱崎宮前駅⇒徒歩筥崎宮⇒徒歩箱崎宮前駅地下鉄箱崎線千代県庁口駅⇒徒歩崇福寺⇒徒歩千代県庁口駅地下鉄箱崎線中洲川端駅⇒徒歩昼食⇒徒歩キャナルシティ⇒徒歩ホテル⇒徒歩呉服町路線バス国際会議場サンパレス前⇒徒歩マリンメッセ福岡 A館(THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES)⇒徒歩夕食⇒徒歩ホテル

「かしいかえん」

筥崎宮

崇福寺

【3日目】 5月26日(月)

ホテル(チェックアウト)⇒徒歩櫛田神社前地下鉄七隈線博多駅地下鉄空港線福岡空港路線バス太宰府⇒徒歩太宰府天満宮⇒徒歩観世音寺&戒壇院⇒徒歩西鉄五条駅西鉄太宰府線西鉄二日市駅西鉄天神大牟田線福岡(天神)駅⇒徒歩天神駅地下鉄空港線福岡空港(昼食)飛行機羽田空港リムジンバス最寄り駅前⇒徒歩自宅

太宰府天満宮

観世音寺戒壇院

初日は前週土曜日同様にがザンザン降っていましたが、2日目と最終日はなんとかもってくれて、傘の出番はありませんでした

一方、気温は、「半袖だとちょっと寒い」程度で、予備のTシャツの出番はなく、散策には絶好といってもよかったと思います。
ただ、最終日の昼食として福岡空港内で食べた「もつ鍋」の威力が強力で、

食後は汗がドバドバ状態。
ハンドタオルがグショグショになりました
ハンドタオルも予備を持って行っていたのですが、それを入れたバッグは既に航空会社に預けていたのは痛恨だったなぁ

今回の遠征では、「ここに行くと事前に決めていたのは「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」2 days太宰府天満宮(仮本殿を見たかった)だけで、他は現地でバタバタと決めたもの。
崇福寺なんかは、地下鉄に乗っている最中、最寄り駅の 2駅手前で決めたもので、予習もなにもまったく無し。予習していれば、ぜったいにもっと楽しめたと思っています

ということで、ダイジェストはこの辺にして、旅行記本編は、関西旅行記完成した後に書き始めます。
いったい、いつになることやら…

つづき:2025/06/17 福岡遠征2025 #1

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福岡遠征2025 #M

2025-05-27 13:43:46 | MISIA

5月24日(土)~26日(月)の 2泊3日で福岡旅行を楽しんできました。

その旅行記は、「#M」と題して、この旅行のメインイベント「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」福岡 2 daysのことから書き始めることにします。
もちろん、いつものように「ネタバレ僅少」です。

この「福岡 2 days」は、最初にツアーの日程が発表された時点では「ファイナル」扱いでした。
私は「福岡でファイナルは無いと思うけどなぁと、半信半疑というか「追加公演があるだろう、K.I.T」と思いつつ、チケットを申し込みました。
そして、大方の予想どおり、6月6~7日「日本武道館 3 days」が追加され、結局「まぼろしのファイナル」となってしまいました

よく知られているように、MISIAにとっての「福岡」は、中学3年生からデビューするまで住んで、現在は実家がある地元です。

この「福岡 2 days」でのMISIAは、いかにも「帰省してきた」感に溢れていました。
もちろん、やパフォーマンスはいつもどおり、ビシッと決まっていましたが、そこかしこにリラックスしきったみたいなMISIAが顔を覗かせていました

初日の序盤、ある曲が終わり、「次はあの曲だな…と思ったのに、曲のイントロは始まらないし、ステージ上は暗いまま で、MISIAはステージ中央でウロウロしているみたい…

トラブル発生か? と、場内がざわつき始めたところで、MISIAがMCを始めて、ピンスポットがMISIAに当たりました。
どうやら、MISIAが進行(福岡初日スペシャル?)を勘違いしたみたい… 

また、MCでは、

というのはほほえましいのだけれど、

とは、なかなかな言い間違い
もっとも、前週の宮城公演でも同じ言い間違いをしそうになっていた気がします

でも、

という「おことば」は、福岡長崎、さらには九州のファンにはうれしかっただろうな…

   

ここで、2 daysのセットリストです。
3月末に開催された福岡市民ホール こけら落とし公演のものと並べてみました。

セットリストを眺めたり、「こけら落とし公演」に行った人(私は参加していません)の「X」のポストを見る限り、「こけら落とし公演」は、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」とは違うタイトルにするべきだったのではなかろうかと思います

「こけら落とし公演以来 2度目」の「TJE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」だった人「こりゃ別物だと思ったんじゃないかな
そもそも、タイトルの「LOVE NEVER DIES」歌わなかったみたいだし…

   

ところで、明日 5月28日には、MISIA 3年半ぶりのオリジナルアルバム「LOVE NEVER DIES」がリリースされることもあってか、MISIAはあちこのTVやラジオに出演しています。
昨夜は日テレ「しゃべくり007」で、私にとって何度目かになる「持ちネタ(「MISIA」の由来、「緊張」について)と共に、初耳の映像や情報が披露されていました。
この「しゃべくり007」のコーナー「クイズ! わたしこと覚えていますか?」に関連して、MISIAからこんな「おことば」を賜りました。

「人名を覚えられない」(私も)と、「ギター⇔キーボード」とはちょっと性格が違うと思うのですがMISIAバンドのバンマスが重実徹さんだった頃のことを思い出させていただきました

そんなこんなで、福岡 2 daysも、聴衆の大歓声拍手と共にお開きになりました。
「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」は、残すところ「武道館 3 days」だけになってしまいました
早くもロスになりかけていますが、きょう届いた「LOVE NEVER DIES」を聴くと、ライヴのあんな場面やこんな場面が頭の中によみがえりますので、ライヴBD/DVDが出るまで(武道館 3 daysに収録が入ると信じてる)なんとか繋げそうです。

ということで、ネタバレ僅少「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」のことを書くのもこれが最後です。
武道館 3 daysに行ってきたら、ネタバレするぞ

つづきのようなもの:2025/05/29 福岡遠征2025 #0

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あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-3 (完結編)

2025-05-23 14:52:07 | 旅行記

「あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-2」のつづきです。

東北大学片平キャンパスを出て、来た道を戻って一番町通に入ると、「すずめ踊り」

「T字型」に連なる仙台のアーケード街、前日は「T」の縦棒に当たる名掛丁から一番町に繋がる部分で「すずめ踊り」が披露されていましたが、この日は横棒にあたる一番町通がメインのようでした。

この時間(12:00頃)は、山鉾たちはまだ出番待ちで、一番町通に点々と駐車中
前日と違うのは、山鉾の側に、いかにもスポンサー企業のお偉いさんっぽい方々が紋付袴の正装でいらしたことで、見るからにご立派な方々だなぁと思った次第。

仙台観光国際協会「正宗公山鉾」には、その名にふさわしく、中央部にお馴染みの甲冑が鎮座していました。

ちょっと判りづらいので、もう1枚

仙台市章1枚目の写真の左側に写っている提灯には、仙台市の市章が描かれています。
この市章は、こちらで書いたように、「十六葉菊」「五七桐」「蟹牡丹」「竪三つ引両」「竹に雀」「九曜」「鴛鴦の丸」「ナズナ」「雪に薄」といくつもある伊達家の家紋のうち、「竪三つ引両」をもじって、「仙」の字をかたどったもの。
以前から、なかななかなもの… と思っておりました。

そうそう、この家紋にリンクを貼るため、こちらのサイトのお世話になったのですが、その「家紋名一覧」のヘッダー画像に使われているこの写真

これは、竿燈提灯(恐らく秋田駅に飾られているヤツ)ではありませんか
したがって、提灯に描かれているのは「家紋」ではなく「町紋」なんですが、そんなことはどうでも良くて、わたしゃうれしい

それはともかく、日専連さんの「政宗公兜山鉾」のてっぺんにも政宗公

これは「兜」というよりも、仙台城本丸跡にある騎馬像の頭部がモチーフですな

初代伊達政宗騎馬像の頭部

さすがは仙台の町をつくった伊達政宗公、今も仙台市民に愛されていますなぁ

と、かなり雰囲気の違う白装束御一行がやって来ました

日月幡を掲げて厳かな雰囲気です。

でも、先導する天狗様は妙に愛想が良くて、周りの人たちに手を振ってる

そしてやって来たのは、御神輿でした。
でも、浅草の三社祭のような威勢の良さは皆無で、厳かに厳かに進みます。
この御一行は青葉神社の皆様でした。
青葉神社(明治初めに創建された新しい神社)の御祭神「武振彦命」こと伊達政宗公だそうですから、御神輿には政宗公の魂が宿っているわけで、そりゃ手荒なことはできませぬ

ところで、私、青葉まつり青葉神社の祭礼かと思っていたのですが、調べると、元をたどれば仙台東照宮のお祭りに行き着くらしい
青葉まつりの公式サイトによると、

仙台東照宮建立の翌年、明暦元年(1655)に二代藩主伊達忠宗公の命により東照宮例祭「仙台祭」が始まりました。藩主在国の年に限って祭を開催し、 神輿渡御の先導として18町組、23町の商人町に命じて山鉾を出すこととしたもので、これが仙台・青葉まつりの起源となります。

だそうです。

仙台東照宮は、私が大学2~4年の3年間住んでいた街にあります。

私が住んでいた頃は「例祭」といっても「縁日」くらいのイメージだったのですが、江戸時代には大きなお祭りだったんですなぁ。

遠征から帰ってきて、「ブラタモリ」(桑子時代)の仙台回を見直すと、仙台の町の軸の話をしていました。

仙台市の軸

青い線赤い線とで30°ズレているというもの。
青い線伊達政宗最初に仙台の城下町を作ったときのもので、赤い線が政宗が若林城に隠居したあとで作った新たな城下町の名残だそうな。
そして、放送では触れられませんでしたが、その赤い線に延ばしていった先にあるのが、仙台東照宮

学生の頃、仙台東照宮につづく宮町通り延々と真っ直ぐだな とは思っていましたが、こんな仕組みになっているとは です。

このブログのごく初期の記事で、東京の軸のズレについて書いたことがありましたが(記事)、東京(江戸)の場合は江戸城の堀がズレの原因でしたっけ…

ブラタモリついでに書きますと、私はずっと、名掛丁クリスロードとの境界は愛宕上杉通りだとばかり思ってきたし、クリスロード側の町「新伝馬町」「しんてんまちょう」と読むのだと思ってきたのですが、この2015年に放送されたブラタモリで共に覆されました

まず、名掛丁とクリスロード(新伝馬町)との境は、それまでクリスロードだと思っていた地点にありました。

アーケード街の地面を斜めに横切る帯のようなもの、江戸時代にはここをが流れていて、名掛丁と新伝馬町の境界になっていたのですと。

名掛丁がこんなディスプレイしているのは、

「ここから先は新伝馬町じゃなく名掛丁だぞアピールしているのでしょう。

そして、「新伝馬町」の読み、「しんてんまち」です。
学生の頃、なんどかATMでお金を下ろしたことのある七十七銀行新伝馬町支店の名前も、

七十七銀行新伝馬町(してんままち)支店

しんてんまちしてん」です。

どれだけ私が学生時代をボーッと過ごしていたのかを突き付けられている感じです

なお、仙台では「町」「丁」が、前者は「町人のまち」後者が「武士のまち」と使い分けられていたことは存じておりました

   

さて、一番町通を歩き抜いて、青葉まつりのパレードの舞台、定禅寺通(じょうぜんじどおり)に行き着きました。
が、すっっげぇ人

こんなんじゃ見物もあったもんじゃない と、そそくさに退散東二番丁通りをしばらく歩いて広瀬通との交差点で地下鉄南北線広瀬通駅にもぐって反対側に渡りました(東二番丁通りは、北行きの車道が閉鎖され、歩行者は横断禁止)。
すると、閉鎖された車道を「すずめ踊り」の皆さんが練り歩いている

私はさらに東二番丁通を進むと、クリスロードに入り、前述の「境界」を横断して、ハピナ名掛丁を通過して仙台駅前まで戻りました。

そして、なんども行った牛たん屋さんランチ と思ったのですが、待ちが40組弱と知って断念
それでも、仙台駅の駅ナカで、ちょっと待って、牛たん定食を食べられました。

でも、大宮でも十分に美味しい牛たんが食べられるな…と思いましたとさ

ということで仙台の観光を終えた私は、いざ、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」へ出発

   

ライヴが終わり、シャトルバス仙台駅前に戻った私は、期限が今月末に迫っている株主優待券(金券)を使って夕食をとりました。

あいかわらず見事ビールの注ぎ方です
そして、あいかわらず美味しいポテサラでした

こうして、濃厚な2日間を過ごした私は、仙台駅21:31発の「はやぶさ・こまち(満席)に乗って帰路につきました。
大宮駅には定刻の22:39に到着したのですが、22:41発埼京線に際どく乗れず22:42発京浜東北線にも際どく乗れませんでした

次の電車が20分後埼京線よりも10分後京浜東北線の方がイイだろと、京浜東北線武蔵野線ルートをとったのだけれど、よくよく考えれば、埼京線の方がだし、時間的にも大差ないと反省しました

ということで、奈良での大アクシデントをよくぞ克服して宮城遠征完遂したものだと、自分を誉めたのでありました。(完) 

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あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-2

2025-05-22 22:38:36 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-1」のつづきです。

東北大学史料館に行ってみようと思ったきっかけは、仙台に向かう新幹線の中で読んだ車内誌「トランヴェール」5月号だったことは、「#1」で書いたとおりです。「トランヴェール」を読んだのがきっかけで出かけたといえば、山形市の旧済生館本館(山形市郷土館)山形県旧県庁舎(山形県郷土館「文翔館」)なんぞがありました(記事:ダイジェストのみ)。

この魅惑的な建物は、

1924年東北帝国大学附属図書館の閲覧室として建てられた、ネオ・ルネッサンス様式の建物。図書館が川内地区に移転した後の1986年に往時の雰囲気を残したまま改修され、東北大学の歴史資料を保存公開する一般公開施設「東北大学史料館」となりました。2011年の東日本大震災で損壊を受けましたが、その後耐震補強を兼ねた復旧工事等を経て現在に至っています。

だそうで、法的な位置づけとしては内閣総理大臣の指定を受けた「国立公文書館等」というものだとか。
そんな施設ですから、「東北大学の歴史公文書や関係者の個人資料など」「東北大学や他大学の歴史に関する参考文献」を、教職員・学生以外の一般人でも閲覧できるのだそうですが、私の興味の対象はもちろんこちらではなく、2階の「展示」です。

入口でカウンター(数取器)をポチッと押して入館し、旧閲覧室だという2階の展示フロアへ上がりました。

おぉ、時代物だけあって雰囲気があります

「大学アーカイブスとは何か」みたいな展示を眺めたあと、「魯迅記念展示室」へ。

魯迅こと周樹人は、1902年、20歳のときに官費留学生として来日、東京の留学生向けの学校で2年間学んだのち、1922年9月仙台医学専門学校(東北大医学部の前身)に入学、その1年半後「医学より文学だ退学し、東京に移り住んだのだとか。

この超略歴で私がへぇ~と思ったのは、仙台医専が「9月入学」だったことと、魯迅が仙台にいたのは1年半に過ぎなかったことでした。

魯迅が途中で編入したわけではなく、展示パネルによれば、

1904年(明治37) 9月12日、明治37年度の入学式が片平キャンパスで行われ、周樹人は医学生としての生活をスタートする。同級生は前年度からの落第生を含めて145人。翌日からは授業が開始された。

とありますから、新学期は9月からだったようです。

だから、魯迅の入学願は(下の写真は復元資料)「6月1日」付けなんですな。

また、面白いと思ったのは、魯迅の「学業履歴書」(これも復元資料)。

本国の学校(江南陸師学堂)の入学・卒業は清国の元号(光緒)、日本の学校(弘文学院)の入学・卒業は日本の元号を使っています。
そりゃそうだろうと思いつつも、「光緒27年っていつ?」混乱しそうです
なお、光緒27年=1901年=明治34年です。

私が魯迅に興味が無いこともあって、展示はお隣の常設展示「歴史のなかの東北大学」の方が面白かった

まず、真ん中の通路をふさぐように展示されていたボート

ボート

なんでも、1960年ローマオリンピックのボート競技(エイト)に、東北大クルーが出場したんですと
ボートといえば、私のかつての所属部署の部長が東大ボート部OBだったな…

また、こんなのもありました。

大きな金庫みたいなのですが、その中がちょっと変わっていて、なんと、御簾(みす)が下がっています。

これは「御真影奉安庫」

天皇の写真などを収める戸棚で、戦前は尊厳なものとして特別の扱いが要求され、火災等に際しては写真を移し避難するための器具も用意されていた。
戦後に事務局の1室に人知れず保管され、昭和40年(1965)に受け入れられた。

全国の学校に「奉安殿」という祠のようなものがあったと聞きますが、こういった金庫型のものもあったんですねぇ

ドラマや映画で、戦前の学校が描かれることがありますが、現在の6-3-3制とは違っていて、なかなか理解が難しかったりします
そんな戦前の学制を説明したこちらのパネルが判りやすかった

これを見てまたまた私が「へぇ~」と思ったのは、男女それぞれに「師範学校」「高等師範学校」があったこと。

文科省のHPによると、

明治19年4月10日「師範学校令」が公布された。(中略)
師範学校令は (中略) 師範学校を高等・尋常の二つに分け、高等師範学校は文部大臣の管理に属して東京に一か所設置することとし、尋常師範学校は府県に各一か所設置し、地方税でその経費を支弁するものとした。また尋常師範学校の卒業生は、公立小学校長および教員に任ずべきもの高等師範学校の卒業生は尋常師範学校の校長および教員に任ずべきものと定め、ただし時宜によっては各種の学校長および教員に任ずることができるとし、それぞれ卒業後の服務の義務を負わせ、かつ在学中の学資を支給することとした。

要は、尋常師範学校を出ただけでは小学校の先生にしかなれないということのようです。

ところで、上に載せたパネルを見て、「戦前に旧制高校卒業生以外も帝国大学に行けたのか?」と思われるかもしれませんが、そこには、1913年に帝国大学として最初に女子学生の入学を認めた「門戸開放」政策の東北(帝国)大学のドヤ顔が見え隠れします

ここからは「珍品」
とは言ってもあまり珍しくなさそうですが、こちら。

モンロー計算機 年未詳
1914年に世界で初めてキーボード式計算機を発売した、米国モンロー計算機社の製品。天文学教室(昭和9年発足)の旧蔵。

現代の常識からすればかなりデカい計算機ですが、それでも初期のワープロ(机みたいなデカさ)よりはそうとう小さい

お次は、花魁の高下駄よりも高さがありそう下駄

これは、

尚志会応援団の高下駄
応援団長のみが履くことができる高下駄。対部ボートレースなどの行事では弊衣破帽バンカラスタイルにこれを履いた団長が、応援パレードで市中を歩…(読み取れず)

だそうな。
「尚志会」というのは、こちらの東北大学史料館紀要によれば

二高(現在の東北大につながる旧制二高)における校友会は、1893年(明治26) 5月に結成され、初代校長の吉村寅太郎によって命名された(出典は孟子)。構成員は教職員と生徒、さらには卒業生が加わり、単なる親睦を超えて、二校精神の継承が図られた。

だそうです。
ここで「尚志会」でググると、広島大学のOB会「一般社団法人 尚志会」がヒットするのですが、そちらの「沿革」にはこうあります。

尚志会は、明治35年(1902)に開校された広島高等師範学校の卒業生をもって創設され、明治41年(1908)初代の北条時敬校長によって、「尚志会」 と命名され、その後、昭和4年(1929) 社団法人として認可され今日に至っている。

この北条時敬さん、広島高等師範学校の校長を務めたあと、1913年から東北帝国大学総長に就任していらっしゃいます。
北条さんは仙台に赴任して、「あちゃぁ~、かぶってた鳥肌を立てたんじゃなかろうか

下の写真は旧制二高の校章(蜂章)です。

こんなところで東北大学史料館の見学は終了。
まぁ、そこそこ面白かったけれど、せっかくの東北大OB唯一のノーベル賞受賞者田中耕一さんをもっとアピールするべきなんじゃないかと思ったし、同じ東北大の「博物館」としては、2016年12月に見学した東北大学総合学術博物館(訪問記)の方が楽しかったな…。

あ、そうだ
私がここに来ようと思ったきっかけとなった「トランヴェール」も展示されていました
「5月は土日も開館」というのは、「トランヴェール」が関係しているのか??

で、「#2-3」につづきます。これを完結編にするつもりです。

つづき:2025/05/23 あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-3 (完結編)

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あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-1

2025-05-21 20:07:13 | 旅行記

「あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #1」のつづき、宮城遠征 2日目、5月18日(日)のお話です。

前日と打って変わって朝から良い天気

気温も上がるとのことですので、予定どおり半袖シャツで過ごせそうです。

ホテルで朝食を摂った後、ビールが染み込んだウインドブレーカーを他の「要洗濯」と一緒にビニール袋に入れ、一応持ってきた長袖シャツと共にキャリーバッグに詰め込みました。

そして、10時ちょい前にホテルをチェックアウトし、まずは仙台駅へ。

仙台駅の新幹線改札口(帰りの新幹線はこまちなので、北側の中央口改札)近くのコインロッカーにキャリーバッグを投入して、さて、行動開始です

まずは仙台駅から地下鉄東西線に乗って青葉通一番町駅に移動しました。

ここからの徒歩ルートはこんな感じ。重複するルートはで色分けしました。

前日と同様に、山鉾が駐車している一番町アーケード街に歩いて、前日には断念した「東北大学史料館」へと向かいました。

七十七銀行の山鉾は「七福大太鼓山鉾」だそうで、どこまでも「七」にこだわるところがお茶目でもあります

アーケード街を抜けた私は、南町通り五ッ橋(いつつばし)通りを横断し、東北大学の片平キャンパスに到着しました。

私が入った「北門」は、「門」とはいいながら扉のようなものはなく、365日・24時間、クルマ自由に入れます

北門を入ってすぐ右手には、スクラッチタイル貼りステキな建物があるのですが、

この建物の名前は「WPI-AIMR本館」ですと
なんじゃそりゃ

旅行後に東北大のHPを見たのですが、「WPI = World Premier Inernational Recerch Center Initiative:世界トップレベル研究拠点プログラム「AIMR = Advanced Institute for Materials Reserch:材料科学高等研究所」ということだそうで、ますます、なんじゃそりゃ です
まぁ、私のような凡人には縁の無い施設なのだろうと解釈してを進めます

東北大学史料館に行く前に、現在、東北大学出版会が使っている「東北大学本部棟3」なる建物を外から眺めました。

白ペンキ塗り下見板貼り瓦屋根と、和洋折衷のこの建物は登録有形文化財だそうで、説明板によると、

旧仙台医学専門学校
博物・理化学教室

六号教室
明治37(1904)年建築 木造平屋建
旧仙台医学専門学校の多くはキャンパス内の整備に伴い取り壊されたが、この2棟の建物は大正13(1924)年頃に東西に切り離されながらも、外壁や建具・戸当りなど建築当初の状態を残し、木造の大学校舎という明治時代の雰囲気を今に伝えている。
これらの建物は、中国の文豪魯迅こと周樹人が仙台医学専門学校に留学した際に学んだ教室でもある。
(以下略)

とのこと。
この「六号教室」は、「東北大学魯迅の階段教室」として、祝日を除く水・金曜日には内部参観もできる(要予約)みたいです。

 width=

これらの建物の裏手に、正門からの「目抜き通り」に面して、東北大学史料館はす向かいに、現在は「東北大学本部棟1」として使われている建物があります。

この建物も登録有形文化財で、

旧東北帝国大学 理学部化学教室棟
昭和 7. 9 (1932, 34)年建築 鉄筋コンクリート造り3階建
3期に分けて建設され、昭和2(1927)年に東側部分(現在は改築)、昭和7(1932)年に南東角部分、さらに昭和10(1935)年に南側部分が完成し現在の形となった。建設当初は教授室、会議室の他、実験室が設けられた。昭和48(1935)年の理学部の青葉山移転に伴い1階部分は医学部、理学部、文学部等の標本類を収蔵する標本室として使用、その後さらに改修され平成23(2011)年以降は東北大学本部が使用している。(以下略)

だそうです。

この建物の前では、仙台らしくハギが葉を繁らせていました。

別邸の庭のハギも生長しているのかな?

その向かいには、

若い頃、この地で医学を学んでいた魯迅の像がありました。

仙台市博物館の裏にも魯迅の像記念碑がありましたっけ…
加えて、中国江沢民国家主席(当時)お手植えの紅梅も…
1998年11月に来日した江沢民は(このとき、仙台にもやって来た)、その言動で、日本国民の「嫌中派」一気に増やした記憶があるなぁ

ということで、いよいよお目当て東北大学史料館

よしよし、開館してる

というところで、「#2-2」につづきます。

つづき:2025/05/22 あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-2 

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あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #1

2025-05-20 19:13:01 | 旅行記

現在、フェイドアウトしているものを除けば、それぞれダイジェストかMISIA編しか書いていない関西旅行記とこの宮城遠征記の2本が同時並行している形になっています。そのどちらの旅行記本編から書き始めようかと考えました。
今、gooブログのサービス終了に備えて、過去記事のハードコピー化作業をしていまして、過去に複数の旅行記を並行して書いた記事を読むと、なんだかしっくり来ません
やはり、一つずつ旅行記を完結させるべきだなと思った次第です。

しかも、今週末は福岡遠征があるわけで、来週以降は3本の旅行記「書きかけ」になってしまう可能性もあります。
できれば、関西旅行記と宮城遠征記のどちらかを今週金曜日までに完結したいところ。で、関西旅行記を短期に完結させるのはかなり難しいと思われることから、時間的には前後しますが、まずは宮城遠征記を書き上げることにしました。

   

ということで、「あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #M」のつづきです。

5月17-18日の両日、仙台では青葉まつりが開催されることは知っていました。
仙台での大きなイベントといえば、七夕まつりSENDAI光のページェント、そしてこの青葉まつりが挙げられると思います。
実は私、仙台で学生生活を送ったのですが、このうち、実際に観たことがあるのは、七夕まつりだけで、それも一度だけなのです
そんなわけで、初めて観ることになる青葉まつり楽しみにしていました。

大宮駅を10時半ころに発車する東北新幹線に乗って、いざ、仙台
自宅を出発するときからが降るあいにくの天候

と、車内に掲げられた広告が…

NETFLIX「新幹線大爆破」
1975年のオリジナル版「新幹線大爆破」では国鉄の協力が得られなかったのに対して、リメイク版のこちらにはJR東日本全面協力したのだそうですが、「大爆破されるかも知れない新幹線(しかもはやぶさ)の車内に広告を載せるとは…
しかも、仙台駅では、巨大なバナー3本・6面が、乗客を出迎え・見送りしてくれるという…

ちなみに私、オリジナル版「新幹線大爆破」お気に入りの一本です。ただ、ラストのワーグナーを使った劇判酷く「画竜点睛を欠く」のが残念極まりない…

さて、車内誌トランヴェールを見ると、表紙が、どこかで見たことがある建物のイラストです。
中を見ると、

やはりそうでした。東北大学史料館の建物でした。
2014年3月の「MISIA 星空のライヴⅦ」で仙台に日帰り遠征(記事)したとき、まだ10時前ということで、行くあてもなく東北大片平キャンパスに入り込んだときに建物をしげしげと眺めましたっけ

そして、東北大学史料館「土日閉館」だと知ってがっかりした一方、構内でミニチュアホースを散歩させている人を見かけてホッコリしたんでしたなぁ

開館日はこの頃と同じか? とスマホで調べると、なんと、基本は「月~金曜日開館」と変わっていないものの、5月土日も開館しているとのこと
よしよし、時間があったら行ってみよう などと思っているうちに、新幹線は仙台に到着しました(なにせ大宮~仙台ははやぶさ・こまち1時間10分ほど)。

まずは予約してあるホテルに行って荷物を預け、そして、の中、行動を開始しました。

初日の私の歩行ルート(電車利用区間を除いています)はこんな感じでした。

結局この日は、時間の関係から東北大学史料館には行かず、アーケード街を歩きながら「青葉まつり」の一部を楽しみました。

せっかくのお祭りなのに、あいにくの雨だぁ~ と思いましたが、仙台にはT字型大アーケード街があります
東一番丁通りでは、翌日にパレードを控えた山鉾が点々と「駐車していて、勝山酒造さん(勝山ボウリングセンターにはよく行った)の「唐獅子山鉾」とか、

「萩の月」(美味しい)で有名な菓匠三全さんの「青葉駒山鉾」などを見物しました。

そして、青葉通りを駆け足で横断し、藤崎の角を右折してマーブルロードおおまちに入ると、

わぁ、すずめ踊り

いくつものグループが、太鼓・鉦・笛のお囃子の下で、それぞれの踊りを披露していました。
お囃子の音と、お囃子や踊り手さんたちの掛け声がアーケード街に轟いて、その賑やかなこと

私は、このアーケード街を西から東へと、マーブルロードおおまちクリスロードハピナ名掛丁と、仙台駅まで歩きましたが、その間、次々とすずめ踊りのグループとすれ違い、お祭り気分を味わいました。

そこで気づいたのですが、この「仙台すずめ踊り」と、「七夕まつり」で、伊達家の紋「竹に雀(仙台笹)」になるんですねぇ

それにしても、なんと明るく楽しいんでしょ

「七夕まつり」もきれいで、和紙製の吹き流しに触れながら歩くのも楽しかった(一度だけの体験)のですが、基本的に「静」のお祭りです。
一方、「仙台すずめ踊り」は、対称的に「動」のお祭りで、この対比が面白いと思いました。

   

ところで、昼食は、「久しぶりに…」と行ってみた東一番丁の牛たん屋さん無くなっていて、スマホで「この近くに牛たん屋さんはないか?」と探した結果見つけた店で食べました。

この店で驚いたのは、店内に飾られたサイン色紙でした。

ドリカムゆずレミオロメン、日ハム時代の大谷翔平、この写真には写っていませんが、野村克也さん、EXILEのサインもありました
営業中なのかそうでないのか、路上からは判らない地味な小さな店でしたが、いやはや驚いた…。

   

さて、アーケード街を歩いて仙台駅前まで戻った私は、ショッピングビルのレストランフロアにある喫煙ルームで一服し、

カフェでくつろいだあと、仙台駅西口の住宅展示場前にある乗り場からセキスイハイム スーパーアリーナへのシャトルバスに乗り込みました。

仙台駅前から、いつもより長めの50分を要してセキスイハイム スーパーアリーナに到着すると、さっきまで小康状態だったがかなり激しくなっていました。
折り畳み傘をさして物販売場に並んでいると、傘の生地を通して雨水がポタポタ落ちてくる有様

そんな天気だったのですが、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」が終演となり、外に出ると、雨は上がっていました

さすがはMISIA 「明日晴れるといいな」効果てきめんでした

   

シャトルバスで仙台駅前に戻った私は、ホテルに行ってチェックイン
そして、バッグからペンライトや買ったグッズを取り出すと、オフ会の待ち合わせ場所の仙台駅に踵を返しました 疲れた

オフ会は、初めてお目にかかる方だらけでしたが、料理美味しいし、会話楽しかった
ちょっとしたアクシデント余計でしたが…

こうして、遠征初日の夜は更けていったのでした。

つづき:2025/05/21 あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #2-1 

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あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #M

2025-05-19 21:43:45 | MISIA/旅行記

5月17日(土)~18日(日)の1泊2日の旅程で宮城県に出かけてきました。
メインの目的は、言わずもがなの「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」宮城公演です。

いつもの旅行記なら、旅程などを「ダイジェスト」として書き始めるのですが、ちょっと趣向を変えて、「THE TOUR OF MISIA 2025」のことから始めます。

私は、「THE TOUR OF MISIA 2025」神戸・札幌・広島の6公演には、「ハイシーズンの遠征はコスパが低い」という理由でパスしておりまして、4月5~6日の髙松公演(記事)以来、1か月半ぶりの参加となりました。
この間、行かなかった6公演のセットリストは見ずに、関連する「X」の投稿も敢えて読まないようにしていました。
それでも私の頭に忍び込んでくる情報もありましたが、それは仕方のないこと…
私の記憶を髙松公演直後の状態にリセットして、初日の席に着きました。

セキスイハイム スーパーアリーナ椅子って、こんなに小さかったっけ? 

ここのアリーナ席はこれで4回目になるのだけれど、両となりの人肩が触れ合った記憶は無かったような…
でも、ライヴが始まり、スタンディング状態になると、この日の席からだと「体を左45°に向ける」体勢になりますので(バンドメンバーはホーンセクションのあの方とストリングスのあの方しか見えない)、椅子の小ささは感じませんでした

さて、ライヴ本体のこと。

いやはや、客席ステージ上熱かった

バンドメンバーが登場した時点から歓声が飛び交い、序曲(?)が始まると歓声が高まりダンサーさんたちがせり上がると歓声がさらに高まり、そして、MISIAが登場すると、書くのもヤボなほどの盛り上がり

肝心のMISIAの歌声は、安定の素晴らしさでした

1曲目からあんなに飛ばして大丈夫か? と、思う人がほとんどなのでしょうけれど、あの高いクオリティをライヴを通じて維持+α するのがMISIAなんだよねぇ
そしてMISIAご本人も、満面の笑みで、ホントに楽しそう

「手を抜いている」という意味ではなく、次の曲や翌日に悪影響を残さない範囲で、しかも本人が楽しみながら、あれほど会場内を幸福感で満たすライヴを作り上げていくのですから、なんという才能なんだろね?
手を合わせて拝みたくなってしまいます

ここで、このツアーのここまでのセットリストです。
3月29-30日の福岡公演@福岡市民ホールは、ちょっと特殊(ホールライヴ)ですので省いています。

公演数が増えてきて、JPG画像では読み取りづらくなってきましたので、今週末の福岡公演@マリンメッセ福岡の感想からは、セットリストをPDF化します。

   

ライブ中盤の、名曲2連発っつうか大曲2連発は、どこの会場でも場内を感動の渦に巻き込んでいるのですが、とりわけセキスイハイム スーパーアリーナでは、そのレベルが違う
この会場にまつわる歴史とか、多くの聴衆の記憶とか、そんな目に見えないものが、MISIAの体と心に影響を及ぼして(MISIAが感じ取って)特別な歌声・歌唱昇華しているようにしか思えません。

今、この記事を書きながらも、あの歌声を思い出すだけで、胸がいっぱいになる感じ…
曲が終わると、スタンディングオベーションするしかありませんでした

2日目の「MISIAのおことば」を載せたので、今度は初日の「おことば」です。

MISIAの公式サイトから、5月30日放映の NHK「チコちゃんに叱られる!」にMISIAが出演することが発表されましたが、それに関連するMISIAのおことば
これだと、MISIAチコちゃんから「ボーッと生きてんじゃねぇよと叱られたのか、「つまんねぇヤツだなぁとなったのか判りませんが、2日目のMCでは、

でしたから、こりゃ、正解してしまったな…

お次は2日目のこちら。

最近は配信やサブスクが主流になって、「ここ数年は、いつも、CDの形でリリースするのはこれが最後かな とアルバムを制作してきました」という話につづいて、このMCが出ました。
私としては、ずっとCDというメディアを残して欲しいと思っていますので、うれしい「おことば」でした
加えて「パンフレット」ネタまで…
初日はかなりMCが少なめだったのですが、美味しいのを拾えました

   

「おことば」といえば、2023年12月の「MISIA星空のライヴ XII Starry Night Fantasy」@セキスイハイム スーパーアリーナ の終演後に私が「X」にポストした「おことば」が、1年半近くの時を超えてゾンビのようにバズりました

上の画像はきょうの21:00頃のキャプチャですが、「異変」に気づいた17日19時頃からさらに表示件数が13千も増えてるんですから、もう…

羽生結弦さんが、アイスショー「notte stellata 2023」のフィナーレMISIA「希望のうた」を使った群舞をやられて、それが大評判になっているのは知っていますけれど(録画を持ってます)、ファンの方々の熱量が凄いなぁ
今回の「THE TOUR OF MISIA 2025」宮城公演には羽生さんからの花が届いていまして、この縁はますます深まっている気がします。

羽生さんクラスタからは、notte stellataでのMISIAの生歌唱を期待する声も…。

私も、実現すれば凄い(さらに北京冬季五輪でのエグジビションを再現するように鍵山優真さんがMISIAによる「明日へ」生歌唱で滑ってくれたらとんでもなく凄い)とは思います。
でも、私はMISIA「カラオケ」で歌う「明日へ」を聴いたことがありませんし、そのときの気分のままにテンポを変えて「明日へ」を歌うMISIAのことを考えると、「カラオケ」じゃ歌いづらいだろうし、仮に生バンドが伴奏するとなれば、MISIAのテンポに合わせてのスケーティグもまた難しい気がします。

ま、は持ちましょう

といったところでライヴの「ネタバレ僅少」の備忘録はこんなところで…。

つづき:2025/05/20 あれほど賑やかな仙台は初めてだった旅行記 #1 

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大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #0

2025-05-16 11:19:45 | 旅行記

「怒濤のお出かけがつづく今月、その第2弾として、2泊3日の関西旅行に出かけてきましたので、その旅行記のダイジェストから。

今回の関西旅行は、「日本国宝展」@大阪市立美術館「超国宝 祈りのかがやき」展@奈良博「日本、美のるつぼ」展@京博ハシゴして観てしまおう という趣旨でしたので、各館の休館日の月曜日を避けるべく、5月13日(火)~15日(木)の日程を選びました。

3展とも、期待にそぐわない、いや、予想のはるか上を行く質実とも素晴らしい展覧会で、心の栄養をたっぷりと補給できました
その一方で、日頃の運動不足がたたって筋肉痛がキツかった こともさることながら、

という大アクシデントに見舞われ、これにはまいりました

この「わが人生で最大級のピンチ」のことはおいおい書くとして、まずは、例によって3日間の旅程です。

初日 [5月13日(火)]

 width=

自宅⇒徒歩最寄り駅前リムジンバス羽田空港飛行機大阪(伊丹)空港リムジンバス大阪上本町駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩谷町九丁目駅谷町線天王寺駅⇒徒歩あべちか⇒徒歩大阪市立美術館(日本国宝展)⇒徒歩四天王寺⇒徒歩ホテル(チェックイン)⇒徒歩大阪上本町駅近鉄大阪線鶴橋駅夕食鶴橋駅近鉄大阪線大阪上本町駅⇒徒歩ホテル

2日目 [5月14日(水)]

ホテル(大阪)⇒徒歩大阪上本町駅近鉄奈良線近鉄奈良駅⇒徒歩ホテル(奈良) 徒歩JR奈良駅前⇒路線バス氷室神社・国立博物館 徒歩奈良国立博物館(「超国宝」展)徒歩下御門商店街徒歩奈良公園バスターミナル徒歩興福寺(国宝館)徒歩ホテル(チェックイン)[大アクシデント(詳細は旅行記本編で)]ホテル

3日目(最終日) [5月15日(木)]

ホテル(奈良)⇒徒歩JR奈良駅JR奈良線京都駅⇒徒歩京都国立博物館(「日本、美のるつぼ」展)徒歩博物館三十三間堂路線バス烏丸七条徒歩京都ポルタ徒歩京都駅東海道新幹線東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

   

3日間を通じて、天候に恵まれて、、、っつうか、暑いくらいで、初日の自宅⇒最寄り駅前のバス停留所の区間だけウインドブレーカーを着たものの(なにせ朝の6時前)、ずっと半袖シャツで通せました。
念のため、Tシャツを着替え用に2枚余分に持っていきましたが、着替えが必要になるほどの暑さではありませんでした。そこは、まだ5月ですから

コロナ禍が治まって以降、どこの観光地も外国人観光客であふれていますが、今回の関西も例外ではありませんでした。
とりわけ、奈良の外国人比率の高さときたら凄いものでした。しかも、かつては聞こえてくる言葉は中国語ハングルばかりだったのに、もう色々な言語が飛び交っていました。加えて、修学旅行の中高生多いこと
外国人観光客と修学旅行生がいなくなったら、奈良の街はスカスカになってしまうのではないかと思うほど…。
「オーバーツーリズム」心配ネタになりつつありますが、とりわけ路線バスの混み方は、奈良も京都も相当なもので、路線バス普段使いしている奈良や京都の人たちが気の毒に思えました

なお、私が観てきた展覧会は、どこも日本人が観客の大部分を占めていたように感じます。

さて、冒頭に、『怒濤のお出かけがつづく今月」と書きましたが、5月6~11日の帰省ドライブ、5月13~15日のこの関西旅行につづいて、あす16日から1泊2日で宮城、来週24日から2泊3日の予定で福岡に出かけてきます。
宮城・福岡への旅行は、私にとって約1か月半ぶり「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」メインです

関西旅行で補給した心の栄養に加えて、次は「ビタミンM」をたっぷりと補給してきます

そんなわけで、関西旅行記の本編を書き始めるのはいつになるか不明ですので悪しからず

つづき:2025/05/29 大阪・奈良・京都のハシゴ旅 #1 

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