新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その5・最終回)

2016-11-30 23:03:05 | 旅行記

「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その4)」のつづき、いよいよ最終回です。

今回の奈良旅行のきっかけになったのは「Misia Candle Night」で、その「Misia Candle Night」のきっかけとなったのは「春日大社 第60次式年造替」です。

右に載せたパンフレットによれば、

神護景雲2年(768年)の創建以来1200年にわたって
御殿の建て替えと御神宝の新調がほぼ20年に一度
繰り返し奉仕され続けてきました。
造り替え、御修繕を行うことによって、
神様のお住まいを新たにし、神様の尊さを認識し更に次世代へとご存在を伝え継ぐ行事であると共に人造りの叡智でもあります。

だそうです。

20年に一度「御殿の建て替えと御神宝の新調」を行うといえば、伊勢神宮「式年遷宮」同じです。
それでは、「造替」と「遷宮」とはどこが違うのでしょうか?

答えはリーフレットに書かれていました。

「式年」とは「定まった一定の年限」「造替」とは「社殿を造り替える」という意味。
神さまがお引っ越しされることを「遷宮」といいますが、
春日大社では本殿の位置は変えず
建て替え、あるいは修復をおこなうため「造替」といいます。

なるほど。文字通りですな。

パンフレットに載っている「第60次式年造替に伴う諸儀式」を見ると、

今回の式年造替は、昨年3月「木作始式」に始まり、去る11月6日「本殿遷座祭(正遷宮)」クライマックスを迎え、11月8日から「奉祝祭」も昨日・11月29日「小川流献茶式」を最後に終了したっぽいのですが、こちらで書いたように、私が初めて春日大社にお参りした2012年1月には既に「第60次式年造替」始まっていました

何年がかりの事業なんでしょうかねぇ

   

春日大社への参拝を終えた私は、路線バスに乗って帰途につきました。

そのままJR奈良駅前まで乗っていく手もあったのですが、時間余裕がありましたし、昼時だったので、近鉄奈良駅前でバスを降り、 これまでに何度も出かけたレストラン昼食を摂りました。

そして、汗グショTシャツの替えを買える店はないか物色しながら、タラタラ徒歩JR奈良駅を目指しました。
その途中で見かけたLAWSONの建物が凄い

街並みに溶け込んでいますぞ

JR奈良駅駅ナカのスーパーで、Tシャツとボディーシートを購入したあと、今朝チェックアウトしたホテルに行って荷物を引き取り、JR奈良駅のトイレ(個室)に入ってボディーシートで上半身の汗を拭ってTシャツを着替えるうちに、京都に向かう列車の発車時刻になりました。

我ながら、ムダのない行動です

京都駅の新幹線改札内で、旅行恒例になっているアイスクリームを食して時間を調整したのち、予めチケットを取っていた新幹線東京駅へ…。

東京駅からは、仕事を終えた善男善女混雑平日の夕方ですから)する京浜東北線赤羽駅埼京線最寄り駅と、無事に帰宅しました。

今回の奈良旅行は、アクシデントもなく、至極順調かつ快適かつ楽しい旅行でございましたとさ。

めでたし、めでたし。

ふぅ~、完結した…

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Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その4)

2016-11-29 23:47:51 | 旅行記

気がつくと、今週金曜日には、最後の「THE TOUR OF MISIA」となる(という)「the tour of MISIA 2016-2017 Love Bebop」開幕します

私は仙台での開幕初日&2日目に参戦予定で、1泊2日仙台遠征を決行します。

ということは、またもや遠征記ネタができるわけで、9月初旬奈良遠征記がまだ終わらない現状に、ちょっと焦り気味

というわけで、「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その3)」のつづきです。

「第60次式年造替」が佳境に入っていた春日大社、ホント、色鮮やかでした。
このとき、御本殿の修復の間、御祭神たちは 本殿脇の「御仮殿(移殿=うつしどの)」に仮住まいされていたそうで、

「特別参拝」すると、この時期だけの特典として、物理的にかなぁ~りお近く数m)から参拝できます。
もっとも、神様から近ければそれだけご利益が大きいという保証はありませんけれど…

春日大社御本殿といえば、丹塗りの柱が印象的な廻廊をイメージしますが、御本殿全体が同じように囲われているかといえば、そうじゃない ってことを今回知りました。

廻廊の外側、北東に「御蓋山浮雲峰遙拝所」があります。

ここは、

武甕槌命様が白鹿の背にお乗りになり天降られた神蹟 御蓋山の頂上 浮雲峰の遙拝所
神護景雲2年(768)に御本殿が創建される以前に鹿島・香取・枚岡の神々様が御鎮まりになる神奈備として崇められ現在も禁足地として制限されている

という神聖な場所。
ただ、ここから御蓋山(三笠山)の頂上、浮雲峰を拝見できるかというと、、、、

目の前には原生林が広がるのみ…

もっとも、神様(ご神体)見えず、そのいらっしゃると思われる方向にお参りするのが、普通の神社での参拝なわけで、「御蓋山浮雲峰遙拝所」もその基本通りと言えるのでしょうねぇ

ところで、二つ上に載せた「御蓋山浮雲峰遙拝所」写真を見て何かに気づきませんか?

春日大社御本殿の周りには、「丹塗りの柱」が目に鮮やかな廻廊がめぐっているのですが、この塀は…

実にシンプルというか地味築地塀です。

説明板がありました。

春日大社の大宮は東・西・南・北廻廊に囲まれているが、この東北角だけが板葺の築地塀になっている。
正倉院御物の『東大寺山堺四至図』にあるように古代春日大社の大宮は四囲を築地塀で囲まれていたが、平安時代の治承3年(1179)に築地塀は現在のような廻廊に改築された

ただ東北(丑寅)の方角にあるこの部分は鬼門にあたるため廻廊への改築を免れたと伝えられている
尚、この築地塀は御本殿に属するもので 御蓋山浮雲峰遙拝所は御本殿から東南東となり鬼門とは関連しない

だそうで、でたぁ~ 鬼門丑寅 

このブログでは「お馴染み」ネタの登場です 

と、盛り上がったところで、今夜はおしまい
明日あさって「その5」で、「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記」完結させるぞ

つづき:2016/11/30 Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その5・最終回)

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近所で国際芸術祭 (その3)

2016-11-28 22:23:05 | 美術館・博物館・アート

「近所で国際芸術祭 (その2)」のつづきは、「近所で国際芸術祭」というタイトルにはそぐわない岩槻駅周辺」会場の見聞録です。

去る11月4日、私は初めて岩槻駅に降り立ちました。

かつて私の友人岩槻に住んでいて、彼の家に出かけたことや、東北道岩槻ICを使ったことは何度もあったものの(現在の場所に引っ越すまでは岩槻IC東北道では最寄りのICでした)、電車で行ったのは初めてでしたし、岩槻駅駅舎を見るのも初めてでしたし、止まっている 前の時計を見るのも初めてでした

駅前ショッピングビル区役所が入っているのが物珍しいかった(旧岩槻市役所はどこにあったんだろ)のですが、 それよりも何よりも驚き だったのは、人形屋さんの多いこと

そりゃ、岩槻「人形のまち」であることは知っていましたけれど、あれほどまでに人形屋さんメーカー販売店も)が集中 しているとは…。

岩槻「人形のまち」になった理由は、こちらのサイトの説明を転記すれば、

約370年前の寛永年間(1634年~1647年)三代将軍徳川家光公が、日光東照宮の造営にあたって全国から優れた工匠を集めました。当時岩槻は、日光御成街道の江戸から最初の宿場町であったため、東照宮の造営や修築に携わった工匠たちの中にこの土地に住み着いた者も多く、その人々が付近に数多く植えられている桐を使って箪笥などの製品を作るようになったと言われています。その中には人形づくりをする者もいて、その技術を広めたといわれます。
新版風土記によると、元禄10年(1697年)京都堀川の仏師恵信が岩槻で病に倒れ、時の岩槻藩主小笠原長重氏の藩医の治療を受けて回復後も岩槻にとどまり、付近で産出される桐粉に着目し、しょうふ糊で練り固めて人形の頭を作り始めたと言われています。岩槻周辺は桐の産地だったので原料の桐粉が豊富で、しかも人形頭の塗装に使用する胡粉の溶解、発色をよくするために重要なに恵まれていました。こうして恵信の残した桐塑頭の技法は、藩の武士や農家の人々の内職・趣味・兼業等によってその後も受継がれ、幕末には岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業となり今日に受け継がれております。

とのこと。
ただ、東照宮の造営のために全国から集められた「優れた工匠」たちが、東照宮の竣工後に、なぜ地元に帰らず、また、日光に残らず、また、江戸にも行かず、 正直言って中途半端岩槻に住みついたのか、かなり不自然な気がします。

また、Wikipediaによれば、

岩槻人形は伝統産業のひとつとして知られているが、その起源については諸説あり定かではない

だそうで、さらに、

日光東照宮帰りの工匠や京都の人形師によりもたらされた説については、いずれも伝承であり、『岩槻市史』では十分な資料はないとしている。

と、にべもない…
それでも、岩槻「人形のまち」である現実はいかんともしがたく(?)岩槻駅周辺を歩けば、人形屋さん多さはハンパじゃありません

そして、岩槻の人形屋さんとしては随一の知名度を誇る「東玉」旧社員寮が、「さいたまトリエンナーレ2016」の会場の一つになっていました。
この建物、見かけは冴えないのですが、

東玉旧社員寮

展示もさることながら、

室内の佇まいがなんとも懐かしい気にさせられて、印象深いものがありました。

ということで、中味が薄いのですが、今夜はこれまで。
「岩槻編」「その4」につづきます。 

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Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その3)

2016-11-27 09:45:12 | 旅行記

「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その2)」のつづきです。

「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記」というシリーズ名から明らかなように、この奈良遠征の一番の目的は「第31回 JTB世界遺産劇場 春日大社 第60次式年造替奉祝 -Misia Candle Night-」2daysに参加することでした。

そしてこのLiveは、「春日大社 第60次式年造替」「奉祝」するという意味を持っていたわけですが、2泊3日奈良遠征最終日、ここまで私、春日大社お参りしていませんでした。

これじゃマズかろう ということで、興福寺の次は春日大社にお参りしました。

興福寺から登大路園地を抜けて、奈良国立博物館を右折して、

一之鳥居をくぐり(この鳥居3日連続してくぐった)、敢えて最短距離ではなく、浅茅ヶ原園地を通り抜けました。

一夜明けた「飛火野特設会場」を見ておこうと思った次第。 

前夜、数え切れないほどのキャンドルが並んでいた飛火野、(写真を撮るのに夢中で、鹿ちゃん落とし物を踏んづけた人数知れず、、だと思う)どうなっていたでしょうか?

ステージPA照明装置などはそのままの様子でしたが(翌週にはさだまさし、その次の週には薬師丸ひろ子ライヴが予定されていましたから)、キャンドルはすっかり片付けられて、いつもの芝生が広がっていました。

9月12日11:55の飛火野

一夜の夢、いや、二夜の夢ってやつですか…

   

興福寺から春日大社本殿までのルートは下図のとおりでした。

ひたすら外国語ばかりが聞こえる参道を歩き、二之鳥居をくぐり、もうすぐ本殿 というところにある着到殿で、「古都祝奈良(ことほぐなら) 時空を超えたアートの祭典」の参加作品が展示されていました。

紫舟+チームラボ」の「まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」です。

本作では、壁に映し出された象形文字(山、木、鳥など)に鑑賞者が触れると、文字はその意味に形を変え、生き物たちが動き始めます。文字から変化したものたちはそれぞれが知能を持ち、「鳥」は「木」の枝にとまり、「雨」が降ると「土」からは命が芽吹きます。

という説明だけでは判らないかもしれませんので、チームラボ「営業資料」をご覧くださいませ。

アートとテクノロジーの融合というか、アート作品と鑑賞者とのコラボレーションというか、かなり面白い
上から降りてくる文字に触れると、文字はが吹き込まれたかのように生き物に姿を変えて動き出すのですから、まるで自分が神様になったような気分になれます。 
映像自体も美しくて、ホント、楽しい 
ついつい、それ自体が応永20年(1413年)に再建された重要文化財だという着到殿の写真を撮るのを忘れてしまいました

   

そして、春日大社御本殿(広義)に到着。

せっかくなので、500円初穂料をお納めして、「特別参拝」しました。
右の写真は「特別参拝」 のリーフレット「御参拝の証」。 

このリーフレットから春日大社の由来を冒頭だけ転記しますと、

春日大社は奈良に都が遷された今から1300年程前、平城京鎮護のため、国譲りを達成された最強の武神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)様(鹿島神宮)を神山御蓋山(みかさやま)の浮雲峰(うきぐものみね)に奉遷したのが始まりです。

という次第で、武甕槌命常陸から白い鹿に乗ってやっていらして、その鹿(神鹿)の子孫が、今、奈良公園周辺で暮らしている鹿ちゃんたちだと伝えられています。(下の写真は、東京国立博物館で拝見した竹内久一「神鹿」

この記事を書きながら、「そういえば、常磐線の『大甕(おおみか)駅』武甕槌命に由来するのかも…」と考え、そして、『武甕槌命』が奈良に来てしまったあと、鹿島神宮のご祭神はどうなったのだろう?という疑問がわいてきました。

まず、最初の疑問、「大甕」は、そのまま読めば、「大きな甕(かめ)」なわけで、「甕」「かめ」ではなく「みか」と読むこと、常陸国の地名だから、という理由だけで武甕槌命と結びつけるのはちょいと無理がある気もするのですが…。

ネットで調べても情報がほとんど見つかりません。こちらのサイトによれば、

神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたか、あるいは「大甕」をおいて祭祀が行われた地であったと考えられます。

という至極無難な説明なんですが、この説にも納得できる根拠はありません
研究者や郷土史家の皆さんにがんばっていただいて、「大甕」の由来を解明してしていただきたいものです。

次の「鹿島神宮のご祭神はどうなった?」は、鹿島神宮HPを見ればよいわけなんですが…。

鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。

となれば、創建以来、ずっと武甕槌命ご祭神でいらっしゃるとな…

う~む、、、判らない

もっとも、こちらの疑問疑問のままでおくのが良いのかもしれません。
詮索し過ぎるのはヤボってものかも… 

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きのうは年休だったので…(後編)

2016-11-26 10:30:24 | 美術館・博物館・アート

「きのうは年休だったので…(前編)」のつづきです。

ホントは前・後編1本の記事にするつもりだったのですが、「できたぁと、記事をアップしようとしたら、「文字数オーバー」だそうで、アップできませんでした

こんなことは初めてですし、そもそも、1本の記事に「30,000文字」の制限がかけられていたことすら知らなかった…

ということで、「後編」です。

   

他の作品では、「大判錦絵5枚続き」という大作「吉原妓楼の新年」も素晴らしかったのですが、私が「お持ち帰りしたい」と思った作品はこちらでした。

肉筆画「ほととぎす聞く遊君図」です。

花魁が空飛ぶほととぎすを眺める絵で、蜀山人(大田南畝)による

 君ハゆきわが身ハのこる三蒲団 四ツ手をおふてなく郭公(ほととぎす)

というが添えられています。
「三蒲団」についてはリンク先をご参照くださいませ。 

この作品は、2005年秋東京国立博物館で開催された「北斎展」凄まじい人混みで観た気がしなかった)にも出品されていまして、左の図はその「北斎展」図録から載せました。
図録の解説によりますと、

黒い仕掛(=打掛を着た兵庫髷花魁を描いている。その面貌は宗理時代に確立した特徴をそのまま伝えており、「若衆図」(フーリア美術館蔵)をはじめ、たびたび描かれているものである。
帯や蒲団などをみると滲みが生じており、ほとんどを引かない本紙へ一気呵成に作画した感が強い。おそらく席画になるものと考えられるが、仕掛や 郭公(ほととぎす)の向こうに見える雲は刷毛によって描かれている点が興味ぶかい。即席の淡彩画ながら、北斎の技量の一端を窺わせる作例として、また情趣豊かな作品としても、この年代において欠くことのできない一作とできよう。

とあります。
説明文の中に「宗理時代」「この年代」と出てきますが、 「宗理時代」とは北斎俵屋宗理(二代目)を名乗った寛政6年(1794=34歳)頃から文化元年(1804=44歳)年頃のことで、「この時代」とは享和初年(1801=41歳頃)から文化初年頃を指します。

難しい話はさておいて、描かれた花魁のなんとステキなこと

端正な横顔といい、肩を抜いた仕掛の着こなしといい、左膝を立てて蒲団に寄りかかるポーズといい、構図自体が見事ですし、解説文に一気呵成に作画した感が強いとあるとおり、勢いのある筆致がこれまたイイ

ホントに北斎が、酒席か何かで、周りを人に囲まれながらスラスラっとこの作品を描いたとしたら、「観客には北斎魔法使いのように見えたことでしょうなぁ。
そんなに立ち合ってみたいゾ

ということで、私は心豊かになった気分すみだ北斎美術館を出て、両国駅に向かいました。

と、ここで気がつきました

すみだ北斎美術館の開館を報じるTVニュースで観た北斎親子の動く人形江戸博にあるジオラマとほぼ同じっぽかった)とか、NHK「ロスト北斎『幻の巨大絵に挑む男たち』」で取り上げていた「須佐之男命厄神退治之図」復元作品観ていない

っつうか、常設展観ていない

帰宅してから、持ち帰ったすみだ北斎美術館のリーフレットフロアマップを見ると、

4階にある「北斎の帰還」展第1会場を出た私は、そのまま階段を降りて3階第2会場に行った…

何ということを…

更に、夜のNHKニュースによれば、

先日、「すみだ北斎美術館」も開館し、江戸文化の発信地として盛り上がる東京・墨田区で、JR両国駅の旧駅舎がリニューアルされ、江戸の食文化をテーマにした商業施設が新たにオープンしました。

ですって

知らなかった… っつうか、気づかなかった

帰りも、JR両国駅では、いつも使うレトロ感&相撲風情漂う西口ではなく、地味&無個性東口を使ったのですよ

あ~あ、、、です…

二つの見落としにちょっと凹んだでしたが、「戦国時代展-A Century of Dreams-」(2016/11/22~2017/1/29)を観に江戸博に出かけるつもりですから、少なくともリニューアルしたJR両国駅はその時のお楽しみにとっておくことにします。

   

ふう… 書き終えた…。

自宅インターネット環境不具合(相変わらず光接続できず、今もモバイルルーターで接続中)といい、ブログ記事の文字数オーバーといい、私の運気はちょっと下降気味かもしれません。

【追記】NTTに電話したら、マンションの親機には異常がないということで、宅内機器(VDSL装置)を交換するとのこと。新しいVDSL機器を配達に来た人に古い機器を渡し、新しいVDSL装置交換したら、、、、繋がりましたぁ~

良かった、良かった…

それにしても、朝、電話したら、さっさと当日中に新しい機器を届けてくれるとは、素早いぞ、NTT

 

厳しい競争に晒されているからなんだろな…。電電公社時代だったら、こうは行かないだろうと勝手に想像しています。(2016/11/26 15:58)

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きのうは年休だったので…(前編)

2016-11-26 10:19:57 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きのう、私は年休をとりました。
来週金曜日も年休をとりますので(仙台遠征)、2週連続です。
来週の年休は当初から予定していた一方、きのうは私の勘違いに端を発して2週間前に急遽取得を決めたものなんですが、まぁ、今年度上期には年休取得目標半日足りませんでしたから、そこんとこは大手を振ってお休みです。

で、きのうの行程は以下のとおりでした。

自宅⇒徒歩⇒最寄り駅⇒埼京線新宿駅小田急線下北沢駅⇒徒歩本多劇場⇒徒歩 下北沢駅 小田急線新宿駅総武線両国駅⇒徒歩すみだ北斎美術館⇒徒歩 両国駅総武線秋葉原駅京浜東北線南浦和駅武蔵野線⇒最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

きのうの年休の目的は、本多劇場加藤健一事務所「誰も喋ってはならなぬを観劇することだけだったのですが、せっかくの平日休み、どこに行こうか… と考えた結果、思いついたのが、今週火曜日(11月22日)開館したばかりのすみだ北斎美術館でした。

「なんちゃってiPhone」こと iPodTouch & 無線ルーターで調べると、すみだ北斎美術館両国駅から近い し、下北沢から両国までは、電車の乗り換え1回で行けます。
そして、時間的にも問題ない 

   

ということで、行動予定を決めたのち、カトケン「誰も喋ってはならぬ!」を観劇

平日のマチネーだというのに、結構な客の入りで御同慶にたえません。ただ、もともと観客の年齢層が高いところにもってきて、平日の昼間とあってか、ますます年齢層は高く、観客の平均年齢は70歳を超えているって感じ。

でも、こんなにテンポの良い、ちょっとのある、それでいて上質コメディーを見物するのは、脳の活性化というか精神衛生上、かなり健康的なことだと思います。

ストーリーは、

フランスのとあるアパルトマンの一室。
ある日、長年探し求めていた貴重なレコードを遂に手に入れたミッシェルは、大興奮のうちに帰宅する。
念願のレコードを堪能するという夢にまでみた一時に胸を弾ませ、早速ステレオのプレイボタンに指を掛けるミッシェルだったが、こんな時に限って次から次へと邪魔が入る。

深刻な面持ちで「話があるの。」と詰め寄る妻のナタリーを何とかなだめすかし、再び腰を落ち着けようとするが、今度は工事に来ていた配管工のレオが、水漏れしてしまったと大騒ぎ。

さらに離れて暮らす息子のセバスチャンは、妻に呼ばれて帰って来るなり常軌を逸した発言を繰り返し、水が漏れてきたとやって来た階下の住人パヴェルは、空気を読まずに居座る始末。
ついには愛人のエルザまでもが「大事な話がある!」と押しかけて来る。

よりによってどうしてこんな時に?? 僕は今それどころじゃないんだっ!!

やがて親友のピエールが現れ、事態は修羅場へと転じる!?
果してミッシェルに待ち受けていた結末とは・・・??

というもので、作りようによってはドロドロな話になりそうなところ、楽しいコメディーになっているところが作者フロリアン・ゼレール・翻訳家中村まり子・演出家堤泰之出演者のなせる業だと思いました
キャストでは、配管工レオ新大久保鷹さんがチューバッカみたいでかわいい(?)し、パヴェル渡辺徹さんはとにかくうざったくって傍から見るだけなら最高でした。
カトケンを始め、他の出演者の皆さん(島田歌穂さん、天宮良さん、常連・加藤忍さん、中村龍介さん)も言わずもがなで、 さすがは「加藤健一事務所公演」であります。
この作品、TVで放映するのは不可能でしょうから、で観るしかありませんぞ

   

 15:00ちょい前に芝居がはねると、予定どおり、下北沢駅 小田急線新宿駅総武線各駅停車の電車を乗り継いで両国駅へ。

江戸東京博物館に出かけるときはもっぱら西口を利用している両国駅ですが、今回はすみだ北斎美術館に近そうな東口を出ました。
ところが、駅構内にも、東口付近にもすみだ北斎美術館の案内がなく「なんちゃってiPhone」Google Mapを見ながらすみだ北斎美術館へ向かいました。 

そして、美術館前に到着。
美術館が面している通り(実際は引っ込んでいる)の名前「北斎通り」 、私は「北斎生誕の地・墨田区だから」の命名だと思っていたのですが、北斎が生まれた「武蔵国葛飾郡本所割下水」の、その「本所割下水」の(南割下水)跡に作られたのが「北斎通り」だったんですな。

すみだ北斎美術館無料配布されている秀逸「北斎ゆかりの地マップ」(PDF)では古地図の上に現在の状況がプロットされておりまして、こんな具合です。

本所南割下水北斎通りの位置が一致しています。

それにしても「古地図」って楽しいなぁ。両国橋が現在より下流側にあったこととか、国技館江戸博「御蔵」こと江戸幕府の資材置き場御竹蔵)の跡地に立っていることなんぞが判ります。
すみだ北斎美術館へお出かけの際には、忘れずにこの「北斎ゆかりの地マップ」を入手されることをお薦めします。 

さて、夕陽に輝くすみだ北斎美術館に到着

意表を突く現代的な建物と、富嶽をモチーフにしたジャングルジムの取り合わせがイイじゃありませんか。
ジャングルジム東京スカイツリーとの取り合わせもまたオツなもの 

   

さて、すみだ北斎美術館では開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-」が開催されています。

この展覧会のタイトルについて、公式HPにはこんな説明があります。

本展のタイトルには、二つ「帰還」の意味が込められています。一つ目は、約100年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻【すみだがわりょうがんけしきずかん】」が、平成27年に再発見され、海外から日本へ里帰りしたことを意味します。二つ目は、世界に散逸した北斎の名品が、生誕の地すみだに再び集められ、それが北斎専門の美術館で展示される、つまり北斎が名品とともにすみだに帰ってきたことを意味しています。

「隅田川両岸景色図巻」は、「舟で吉原へ向かうコースとなっていた柳橋から山谷堀までの隅田川の両岸、日本堤、吉原遊郭、そして遊郭の室内を描いた肉筆画」で、縦28.5cm、長さ633.5cmという大作

1892年に上野での浮世絵展に出品された後、海外に流出して、1902年にパリ林忠正が売りに出したという記録を最後に消息不明…。
そして、100年以上の時を経た2008年にこの作品がロンドン競売にかけられたという情報から、 墨田区調査・鑑定の上で購入した(お値段は1億4900万円)のだとか。
かねてから北斎の作品を蒐集していたという墨田区北斎の出生地は葛飾区ではなく墨田区だぁという思いもあるのではなかろうかと邪推)、「隅田川両岸景色図巻」真筆だと確認して、それを購入できたときの喜びはいかほどのものだったかと、まったくもって御同慶の至りであります。 

さて、「隅田川両岸景色図巻」、私の北斎に対するイメージとは違って、柔らかな筆致隅田川両岸の風景が描かれていました、吉原に繰り出すべく、を仕立てて、景色を楽しみながら隅田川(大川)を遡るのんびりとした空気が感じられました。
保存状態も極めて良好で、 すみだ北斎美術館の良い目玉ができましたなぁ。

と、ここで、とある事情により休憩を入れます。

つづき:2016/11/26 きのうは年休だったので…(後編)

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近所で国際芸術祭 (その2)

2016-11-25 07:37:24 | 美術館・博物館・アート

「近所で国際芸術祭 (その1)」のつづきです。

さる9月25日、開幕したばかりの「さいたまトリエンナーレ2016」「武蔵浦和駅~中浦和駅周辺」会場に出かけた私、

そのときは「さいたまビジネスマン」の存在しか知らなくて、その近くにある「旧部長公舎」という妙な名前のエリア(「その1」で書いた鈴木桃子「アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト」が行われているエリア)のことはまったく予備知識がありませんでした。

JR新幹線埼京線)の高架沿いにある「花と緑の散歩道」から案内看板に従ってR17方面に向かって坂道をちょっと登ると、その「旧部長公舎」があります。

かつては「モダン」と言われたであろう4棟戸建て住宅からなるこの「旧部長公舎」は、から埼玉県に出向した幹部職員用の官舎だったそうで、使われなくなって久しいのだとか。
ちょっと話は逸れますが、Wikipediaによれば「主に台地上は関東大震災後に浦和画家を代表とする文化人や官僚・医師の移住が進み、現在でも高所得層の居住率が高く、閑静な高級住宅地として知られている」地に立つ、6LDK(だったと思う)の戸建てが、築45年とはいえ、空き家のままでいるなんて、もったいない話
ちなみに、元厚生労働事務次官とその奥様が殺害された事件の現場はこのすぐ近くです。 

それはさておき、この「旧部長公舎」のうち、髙田安規子+政子さんの「土地の記憶を追って」が展示されている「旧部長公舎8号棟」(上に載せたマップでは「j-4」)のキッチンは、スタンプラリーのポイントになっているほか、グッズの販売コーナーがあって、そこで商品を手にとっていますと、妙な冊子を目にしました。

「さいたまBハニワ研究ノート」と題するこの冊子、表紙には埴輪

中を見ると、さいたまBから出土したという、埴輪好きの私がよだれを垂らしそうになる魅惑的埴輪の数々が載っています
値段500円と手頃ですんで、公式ガイドブックと併せて購入しました

この犀の埴輪「犀形埴輪」(そのまんま)は、2014年さいたまBの別所沼古墳から発掘された破片から復元されたもので、埴輪研究家の川埜龍三さんによれば、

特徴的な角などの部位と装飾品の玉などから、「さいたまB」の名称由来が動物のサイであることが判明しました。

だとか

実寸大で復元された「犀形埴輪」は、「さいたまBハニワ研究ノート」に載っている他の埴輪ともども、「さいたまトリエンナーレ2016「岩槻駅周辺」会場で展示されていることを知った私は、去る11月4日岩槻に出かけて現物を拝見してきました

初めて降り立った岩槻駅から無料シャトルバスに乗り換えて約15分、会場の旧民俗文化センターに到着しました。

他の展示にも目もくれず、まず向かったのは、「犀形埴輪」が展示されている川埜龍三「犀の角がもう少し長ければ歴史は変わっていただろう」の部屋

犀の角がもう少し長ければ歴史は変わっていただろう

そして、「犀形埴輪」の現物、、、

大きい… そしてカッコイイ

お尻もかわいい。

また、「犀引く埴輪」(左)と「犀引かない埴輪」(右)もイイなぁ

できることなら「犀形埴輪」お持ち帰りしたいところですが、いかんせんデカ過ぎます
一緒に展示されていた1/10模型で我慢しておきましょうか…

「犀形埴輪」の1/10模型

また、さいたまB 見沼区蓮沼公園から出土したという「UFO形埴輪」なかなかです。

それはそうと、日本にがいたのか? とか、UFOの埴輪なんて観たことがない! とか、「さいたまB」Bとは何? と、いくつもの疑問がわいてきますよねぇ。
その辺りのお話は「その3」で書きます。

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秋の上野は芸術の秋 (その9・最終回)

2016-11-22 23:19:44 | 美術館・博物館・アート

「秋の上野は芸術の秋 (その8)」のつづきも、東京国立博物館(トーハク)総合文化展の見聞録。 

今のトーハク総合文化展、かなりの面白さです。

本館2階 8室「暮らしの調度-安土桃山・江戸」で展示中の仁阿弥道八の陶芸作品は、どれもこれも楽しい

こちらの狸(三彩狸置物)、いいなぁ~

説明板も、

狐が女性に化けることが多く、狸は僧侶に化けるのが得意という。いかにもユーモラスな狸の姿をとらえた大香炉。衣の袈裟の表現に対して、狸の毛並みは実によく質感をとらえている、彫塑の技に優れた仁阿弥道八の作で、その技が見事に発揮されている。

と、作品同様に、どこかとぼけた感じがよござんす

そして、小さな小さな「色絵於福香合」も可愛らしい

どちらの作品もステキですが、もらって帰るなら、こちらかなぁ~

寿老人大香炉

七福神のメンバー、寿老人が上を向いて大笑い

作品名は「寿老人大香炉」ですから、を焚くための器具なわけで、焚いた香の寿老人の口から立ち上るのでしょうか?

この作品を観て思い出したのは、何かの展覧会で拝見した平櫛田中「禾山笑」でした。
明治~大正期の禅僧、西山禾山(にしやま・かさん)が、 上を向いて大笑いしている作品なんですが、田中(でんちゅう)さんは、道八の「寿老人大香炉」を意識したのかなぁ…

それにしてもこの3作品素材感がそれぞれ異なりつつも、その特徴が発散されているし、細工細かい一方で、全体のプロポーション安定ぶりときたら見事としか言いようがありません。

   

この隣の第7室「屏風と襖絵-安土桃山~江戸」には、この日の総合文化展で最も観客注目を浴びていた作品が展示されていました。

狩野山楽「車争図屏風」です。
源氏物語「葵」に材を求めた作品で、 

賀茂の斎院の御禊の行列に加わった光源氏の姿を見ようとひしめく群衆の中で、葵の上の一行と六条御息所の一行とが、牛車の置き場所をめぐって争いをおこす。

というシーンが描かれています。ほら、喧嘩してるでしょ?

戦場シーンならともかくも、喧嘩のシーンだなんて、傍から見ると楽しい
躍動感に満ちた群衆の描写がイイです

   

最後は、平成館1階の考古展示室にあるレプリカを紹介します。

大判・小判裏側って、どうなっているか御存知でしょうか?

は、米俵を模したかのような、畳表のような意匠ですが、

そのはといいますと、

なんともヌメッとしていて、完成品には見えません

この「傾向(?)」小判一緒です。

大判・小判がこんな風だったとは初めて知りました。
TV映画だと、これでは「絵」になりませんな… 

ちなみにこの大判・小判のレプリカ(のレプリカもあり)は、大判・小判重量感を自分の手で感じられる展示で、なかなかの趣向です。

そこはトーハクですから、ホンモノ大判・小判もケース内に展示されていますよ。

ということで、長々と書いてきましたが、この「秋の上野は芸術の秋」完結です。
明日の午後からは真冬並みの気候になるということですし 

そろそろトーハクの庭園の紅葉見頃を迎えていることでしょうから、今週末にまた行こうっと

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Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その2)

2016-11-21 23:06:25 | 旅行記/ニュース

昨夜のNHKニュース要撃的なできごとが伝えられていました。

奈良市の興福寺で国宝の仏像などに液体が付着しているのが見つかり、警察は、何者かが意図的に液体をかけたとみて、文化財保護法違反などの疑いで調べています。
20日午後2時ごろ、奈良市の興福寺「仏像などに液体がかけられている」と警察に被害の届けがありました。
警察が調べたところ、興福寺の境内にある国宝館に保管されている国宝の「華原磬」という奈良時代の楽器や、国宝「千手観音菩薩立像」の台座、それに、東金堂にある国宝の「持国天像」の台座など5点に液体が付着しているのが見つかったということです。
警察によりますと液体は無色、透明で、いずれの仏像も見学者が立ち入ることができる場所の近くにあり、20日午前9時に寺の関係者が見回ったときには異常はなかったということです。
警察は、何者かが意図的に液体をかけたとみて、文化財保護法違反などの疑いで詳しい状況や液体の成分などを調べています。

ですって

2009年以降、毎年奈良に出かけ、ほぼ毎年のように興福寺を拝観している私にとって、まさしく衝撃的な話です。

なんてことをしてくれるんだぁ~ って感じ。

液体をかけられた仏さまや仏具が無事に復旧することはもちろん、お堂に並ぶ仏さまだけでなく、「展示施設」の国宝館でも、ほとんどの仏さまがガラスケースに入れられることなく、肉眼で直に拝観できる現状が変更されることがないことを願っています。

そういえば、去年、全国の寺社や仏像のようなものがかけられるという、今回とよく似た事件が発生しました。こちらの一連の事件は、容疑者(米国在住の帰化日本人)が特定されて、には逮捕状が出ていますから、仮に彼が日本に入国しようとすれば、その場で逮捕されるはず。

 

ですから、が今回の興福寺の事件の犯人とは考えづらいのですが…
でも、逮捕状が出ていて、システムに登録されている容疑者をうかつにも出国させてしまったマヌケ出入国管理官もいることですし、再犯の可能性が皆無とは言い切れない気もします。
いずれにしても、早く犯人が捕まって欲しいぞ

   

ということで、「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その1)」のつづきは、その興福寺の見聞録です。

私が興福寺を訪れたとき、「国宝特別公開2016」として、三重塔五重塔内陣が公開されていました。

当然ながら両塔の内部を拝観したのですが…、3年半前北円堂&南円堂の特別公開に比べると、インパクトは小さい…

っつうか、北円堂&南円堂インパクトデカ過ぎ 
こちらに書いたように、 北円堂外部・内部はもちろんのこと、あれほど好きじゃない外観南円堂が、内部にあれほど素晴らしい仏さまたちをお収めしていたとは…
ホント、目ウロコ極みでした。
これと比べてしまうと、申しわけない話ながら、三重塔五重塔の内部は…  でした。

でも、今回の興福寺も、国宝館に収蔵されている仏さまたち(もちろん大好き天燈鬼&龍燈鬼も)は相変わらず感動モノでしたし、しばらくご無沙汰していた東金堂仏さまたちも素晴らしかった
また、全体のプロポーション好きじゃない東金堂の建物も、よくよく観ると面白いし。

やはり奈良に出かけたら、東大寺大仏殿を差し置いても興福寺には行かねば と、改めて思いました。

「平成30年落慶予定」中金堂再建工事も順調に進んでいるようで何よりです。

落慶まであと2年楽しみです

つづき:2016/11/27 Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(3日目・その2)

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近所で国際芸術祭 (その1)

2016-11-20 10:10:21 | 美術館・博物館・アート

2か月ほど前の休日、自宅最寄り駅近くをブラブラ歩いていると、JR武蔵野線橋脚変身していることに気づきました。

いつものコンクリート製の無骨な橋脚が、、、

どした JR東日本 と思ったのですが、これはダニエル・グェティンさんの「STATION TO STATION」というアート作品の一部でした。

今、さいたま市武蔵浦和駅中浦和駅周辺」「与野本町駅大宮駅周辺」「岩槻駅周辺」を会場として、国際芸術祭「さいたまトリエンナーレ2016」が開催中(9月24日~12月11日)でして、JR武蔵野線の橋脚もその出品作品の一つで、かつ、その一部分だったのですよ。

私の「お花見スポット「花と緑の散歩道」のところどころに休憩所が設けられていて、

さらに、別所沼公園につづく歩道橋

説明板によれば、

武蔵浦和駅高架下から始まり、花と緑の散歩道から別所沼公園にかかる歩道橋までをつなぐインスタレーション。朱赤と水色に彩られた「門(GATE)」、「駅(STATION)」、「橋(BRIDGE)」が配置されることで環境にリズムを生み出し、日常の風景に驚きと新鮮さをもたらす祝祭的空間を出現させました。「門」は、ここから始まる空間の起点を表し、ベンチ機能在る木製のパーゴラ型の「駅」は、腰をかけて、周囲の風景や、行き交う人々を眺めることができる休息の場、そして「橋」は場と場をつなぐ役割です。《STATION TO STATION》は、過去、現在、未来との時空をつなぎ、本トリエンナーレのテーマ「未来の発見!」をシンボリックに表現した作品となりました。

だそうです。

ここまで載せた写真は、「さいたまトリエンナーレ2016開幕翌日の9月25日「武蔵浦和駅~中浦和周辺」に出かけたときに撮ったもので、西南さくら公園のんびりする「さいたまビジネスマン」はひときわ人目を惹いていて、近くを通り過ぎるクルマのほとんどがスピードダウンしていたのがおかしかった…

   

きのう、約2か月ぶりに、「さいたまトリエンナーレ2016「武蔵浦和駅~中浦和周辺」を観てきました。
天候がすぐれない中、出かけたのには目的がありまして、それは、鈴木桃子さんの「アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト」再見することでした。

この作品は、 

「BECOMING」というテーマのもと、鉛筆によるドローイングで構成されたインスタレーション作品。真白な壁から始まったドローイングはやがて壮大な宇宙の生命のサイクルとなり、最後に何もない空間「形のない宇宙」に帰っていく。

というもので、鈴木さんが会期中に制作したドローイングを、観客消しゴム消すまでが「作品」になっています。
そして、

11/20 鈴木桃子X芹沢高志トークイベント
11/20のトークの日を封切りにドローイングが消えてゆく事になりました。トーク前/中が最初で最期の完成度が高い瞬間を見るチャンスです。

というわけで、きょう、11月20日が、ドローイング頂点となるんだそうな。
すでにトークイベントは「満席」 だそうで、これは消される前に観ておかねば と考えた次第です。

会期前から制作が開始されたという、2か月前はこんな具合でした。

ここから作品はどのように「成長」したのかドキドキしながら、会場の「旧部長公舎」へ…。

入口で係員さんから、「今、作家さんが制作中です。作家さんには話しかけないでください」と注意を受けた後、いよいよ作品とご対面 
階段を昇り、作品と対面しようとしたとき、若い女性から「こんにちは」と挨拶されました。
この女性が鈴木桃子さんでした。

話しかけないでください」と注意されていたとはいえ、挨拶されたら挨拶を返すのがマナーなわけですからねぇ
挨拶を返したあとは、沈黙を守りました。

で、作品はこうなっていました。

ぐあぁ~ 細胞か何かに包みこまれるような感じです。
うねりというか、波動というか、目に見えない、耳にも聞こえない何か押し寄せてきます

鈴木さんは、ひたすら、米粒のような楕円を描いていました。

う~む…、これが今日以降、消しゴム消されていくのか…(会場の旧部長公舎の玄関脇には大量の消しゴムが用意されていました)
生命体は、いずれ死ぬのが定め、この作品の最期大量消しゴム屑(下の写真は制作中に生じた消しゴム屑)と白い壁なんですな…

会期末が近づいたら、もう一度出かけて、「アンタイトルド・ドローイング・プロジェクト」最期を見届けねば

   

「武蔵浦和駅~中浦和駅周辺」の他の作品のことや、11月4日に出かけてきた「岩槻駅周辺」の作品ことはまた後日。

武蔵浦和駅の改札を出て、東口に降りると、「さいたマムアンちゃん」がお出迎えしてくれます。

機会がありましたら、わが街までお出かけくださいませ。 

つづき:2016/11/25 近所で国際芸術祭 (その2)

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