新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

特大連休をふり返ってみる #9

2019-05-28 22:21:42 | 旅行記

「特大連休をふり返ってみる #8」のつづきです。

4月30日の昼下がり、2カ月半ぶりに秋田の別邸(実家)に帰省した私が、仏壇にお参りしたあとにやったことは、台所と洗面所水道の栓を開いて、出てくるをきれいにすることでした。
2月の前回の帰省の際は、こちらで書いたように、台所の蛇口からつららがぶら下がっている状態で、なんとか水道を使えるまで氷を解かしたのですが、それでも帰省Uターンする直前になっても、台所の水道は、かつての水量を取り戻すことができませんでした。

そして、2カ月半経ち、普通に使えるはず と考えていたのではありますが、ありゃぁ~~ 2カ月半前と同様、水はチョロチョロと出てくる状況ではありませんか

いくら北国・秋田でも、の季節が終わるような時季になっても水道が凍っているなんて、ありえない

蛇口の先端の構造

もしや… と思って、蛇口の先端からストレーナーを外してみると・・・、やはり、大きなサビの塊とかいろいろな異物がたまっていました

恐らく、水道管の中のが解けたとき、いろいろなモノを一緒に流し出したのでしょうな

で、その異物洗い出したのは良いのだけれど、ストレーナーの構造は複雑(右の図はこちらのサイトから拝借)、いくつもの部品の順番とか、その向き判らなくなってしまい、再組み立てできなくなってしまいました

まぁ、高価なモノでもないし…、ということで、今回の帰省のメインテーマであるところの、「網戸の張り替え」グッズと一緒に、ホームセンター新品ストレーナーを買ってこよう ということになり、帰省初日は、何とも不自然水の流れ方をする蛇口で我慢しました。

そして、張り替える網戸サイズを測ったり、TV「退位礼正殿の儀」を観たり、持ち帰ったBDを再生して「MISIA平成武道館」を鑑賞したり(やはり、実家・自室のスピーカーいい音を出す)、そして、NHK FM平成最後の放送「MISIA星空のラジオ」を聴いて、平成終わり令和始まりを迎えたのでありました。

つづき:2019/06/08 特大連休をふり返ってみる #10

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スマホを機種変更

2019-05-26 21:00:24 | 日記・エッセイ・コラム

きょう、2年3カ月使った XPERIA X Compact (SO-02J) から機種変更しました。

「2年3カ月」という期間は、私としてはかなり短い部類に入ります。

前回買い換えのときのことは「ついに私もスマホユーザーの仲間入り」でも書きましたように、私にとって「最後のガラケー」になった「FOMA P-905i」7年半以上も使い続けましたから…

で、今回の機種変更には、2つの要因がありました。

一つは、今年初めにまちなかの業者さんバッテリー交換したものの、それでもバッテリーの持ちが良くない こと。

もう一つは、こちらが重大だったんだけど、最近、USB Type-C コネクタの具合がおかしくて(ケーブルを差し込むと、クリック感がなくて、簡単に抜けてしまう )スマホPCにつないでデータ転送するのにも、それどころか、充電するのにも不自由する始末。

自宅では、クレードルに立てて充電していますから、充電できないことはないのですが、PCとの接続とか、横置き充電する場合には、すぐにケーブルが外れてしまって、まったくはかどらない…

そんなわけで、先週金曜日の昼休みに、職場からオンライン新機種発注した次第です。

そして、きょうの昼下がりゆうパックで新しいスマホが届きました

ここまでは順調…だったのですが、ここからが難関でした。

ずっと使っていたいくつものアプリを、一つずつ Google Play からダウンロードして、前のスマホからデータを引き継いで…、っと、何とも面倒くさい

IDパスワードが判っていれば、新機種からの手続でデータを引き継げるアプリが多い中、旧機種から機種変更の手続をしなければならないアプリもあって、もう大変

おかげで、2つの銀行ワンタイムパスワードしばらく使えない状況にあります

それにしても、このご時世、たかがスマホの機種変更が、これほどまでに大変だなんて…
なんとかなりませんか? 

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特大連休をふり返ってみる #8

2019-05-23 22:16:28 | 旅行記

「特大連休をふり返ってみる #7」のつづき。
4月30日帰省ドライブのこの話から、実家編が始まります。

この日の私のクルマETC走行履歴はこんなものでした。

約600km約7時間で走行したわけで、天候は悪かったものの、順調なドライブでした。
いやいや、順調などころか、途中、順番待ち込み昼食(牛たん定食)を摂ってこれですから、

長者原SAで食べた牛たん定食

「かなり順調」といっても良いでしょう。

加えて、那須以北では、東北道~秋田道の沿道で、何度も満開サクラを観ることができて大満足でした。

   

ここで、ちょっと混んでいた某PAに入るときに撮った写真をご紹介します。
これはでしょ?

製図用具のデバイダが並んでいるように見えますが、これを、走行車線から見ると…

中央分離帯の上にあったもの

「左カーブ」を示す表示でした。
こんな風になっているなんて、初めて知りました

   

で、実家には14:30にもならない時刻に到着しまして、玄関口で咲き誇るドウダンツツジツルニチニチソウに出迎えられて、

ほっこりしたのは「別邸(実家)の庭は花盛り」に書いたとおりです。

平成最後のNHK FMの放送、「MISIA星空のラジオ」生放送を聴ければいいや…という、かなり低いハードル を課していた帰省ドライブは、余裕綽々で無事に済ますことができ、仏壇お参りして、Blu-rayディスクに落として持ち帰った「生中継 MISIA平成武道館」を観て、さらに、「退位礼正殿の儀」をリアタイでTV中継をみることもできまして、これ以上望むべきもない見事「移動日」になったのでございました。

唯一の誤算は、らじるらじるタイムラグのことを忘れていて、

tweetする準備をしている最中、いつのまにやら「平成」から「令和」変わっていたことかな…

つづき:2019/05/28 特大連休をふり返ってみる #9

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特大連休をふり返ってみる #7

2019-05-21 22:45:56 | MISIA/日記・エッセイ・コラム

「特大連休をふり返ってみる #6」のつづき、4月29日編です。

4月26日から始まった私の「春の11連休は、「MISIA平成武道館」3 days華々しく始まりました。

もし「春の11連休」最後「MISIA平成武道館」3 daysがあったとしたら、とてつもない「終わってしまった…」感に襲われて、仕事に戻れなくなっていたかもしれなかったのですが、幸い序盤3日間が終わっただけで、まだ1週間以上休みが残っています。
しかも、天皇代変わりという大イベントも控えていましたし…。

さて、4月28日の夜日本武道館から帰宅した私は、風呂に入ってザッと汗を流したあと、録画していたWOWOW「生中継 MISIA平成武道館」(6月23日 14:00から再放送ですよ)をチラ見しながら、「『MISIA平成武道館』千穐楽のこと」をアップ
そして就寝

   

私は、「春の11連休」には、「MISIA平成武道館」3 days参戦のあと、別邸(実家)帰省することにしていました。
ただ、いつ実家に帰りいつさいたまに戻るのかについては、ぼ~っとしか考えていませんでした。この辺り、クルマでの往復ですから自由自在です

そして、29日の朝、目覚めたとき、この日は一日、「MISIA平成武道館」反芻帰省の準備に当てて、平成最後の翌30日の朝に帰省ドライブに出発することに決めました。

そんなわけで、4月29は、外出近所だけにとどめて、実家に持ち帰るためにWOWOW「生中継 MISIA平成武道館」トリミングして、Blu-rayディスクにダビングして、そして、Blu-rayディスク用のレーベルづくりに精を出しました
できあがったBlu-rayディスクは、その中味もちろんレーベルもなかなかのデキだと自負しております

そうそう、この日は、Twitterを眺めたり録画 & ダビングしたのをリピートしながら、「MISIA平成武道館」余韻浸りまくったのは、いうまでもありません。

まさしく、「春の11連休最初の句読点の一日でございました。

つづき:2019/05/23 特大連休をふり返ってみる #8

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「ブラジル先住民の椅子」展は:)(スマイル)でした

2019-05-20 22:29:19 | 美術館・博物館・アート

きのう観てきた「ブラジル先住民の椅子」@ 埼玉県立近代美術館(MOMAS)のことを書きます。

昨夜は、この展覧会のことをブログに書き始めたのは良かったのだけれど、チラ見していたNHK大河ドラマ「いだてん」森山未來演じる美濃部一族(志ん生馬生志ん朝)すべて持って行かれてしまい「短編」になってしまいました
私、志ん生さんの現役時代は知りません(ビデオと録音は持ってます)馬生さんと志ん朝さんは現役時代も知っていますし、志ん朝さんに至ってはCDを数枚持っているほどですので、ご勘弁いただければ幸いでございます。

   

さて、「ブラジル先住民の椅子」@ MOMAS、きのうが最終日だというので、慌てて 出かけたわけですが、ホント、行って良かった

もう、観ている間ぢゅう、ずっとニコニコしっぱなし
こんな展覧会は、そうそうあるものじゃありません

この展覧会は、

南米大陸、ブラジル北部のアマゾン河やシングー川流域で暮らす先住民の人びと。彼らの作る一木造(いちぼくづく)りの椅子は、動物のかたちや機能的なフォルムに独特な幾何学模様が施されており、ユニークな造形作品としてみることができます。先住民にとっての椅子は、元々は日常生活の中で使用したり、シャーマンによる儀式や結婚式等の特別な機会に用いたりするなど、彼らの生活や伝統、独自の神話と結びついており、コミュニティ内の文化的・社会的なシンボルでもありました。今日、彼らはコミュニティの外との繋がりから刺激を受けて、自然を眺める眼に自らのアイデンティティを求め、用途や伝統に縛られない、より多様で自由な表現を生み出しています。 
 本展ではベイ・コレクションによるブラジル先住民の椅子約90点を紹介し、独自の感性から生まれた造形に、人間の豊かな想像力の発露を読み取ります。

というもの。
欧州からの移民や、アフリカから連れてこられた人たちの末裔ではなく、ブラジル土着の人たち(ビデオで観たお顔立ちは、まさにインディオ)が、現在も作り続けている「一木造りの椅子」どばぁ~っと展示されておりました。

椅子というよりは、腰掛け(ベンチ)なんですが、そのや描かれた模様楽しさときたら、もう…

おっと、この展覧会では、映像展示除いて、すべて写真撮影可でした。
会場で、係員さんに、

どうして座れないのよ?
座れなきゃ椅子の意味がないでしょ?

(軽い)抗議をしていらっしゃるおばさまがいらっしゃいましたが、「椅子の美術館」を標榜して、所蔵する椅子には自由に座れる MOMASならではのできごとかと思いますが、さすがに「借り物」の椅子に座らせるのはねぇ…

で、こうした 幾何学模様(キース・ヘリングを彷彿とさせるところがあります)の椅子もステキなんですが、

やはり、何といっても、動物をモチーフにした椅子たちかわいい ことといったらありませんでした
もいれば、

ワニもいるし、

コウモリもいるし、

アメリカ大陸最強ネコ科ジャガーもいるし(ブタではない)

カエルもいるし…、

そうとは見えない ながら、カピバラさんもいました。

造形的には、アリクイ良さげ

そんな中でも、何なんだ、これは だったのが、

スーパーマン ならぬ、スーパーモンキー

ほ~んと、楽しかった

ところで、この記事の上の方に、「一木造りの椅子」と書きましたが、これらの椅子は、別々に削り出した座面組み合わせて作ったものではなく一切れ(?)の木材で削り出し、ヤスリで滑らかにして、そして、文様を書き込んで作ったもの。

なぜ、ブラジル先住民の人たちは、パーツを組み合わせるのではなく、木材を削り出して椅子を作るのか、その辺りの説明はありませんでした

でも、ひとかたまりの木や石から、形のあるものを彫り出す(掘り出す)という行為は、まさしくアーティステックな行為だと思うわけで、その辺りの才能も技能もない私は、ただただ感嘆するだけなのでありました。

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「ブラジル先住民の椅子」展のことはまた後日

2019-05-19 20:58:10 | 美術館・博物館・アート

現時点で観に行きたい展覧会2つありまして、それは東京国立博物館(トーハク)「美を紡ぐ 日本美術の名品」展と埼玉県立近代美術館(MOMAS)「ブラジル先住民の椅子」展でした。

で、それぞれの会期はどうだっけ? と調べると、、、おわぁ 「ブラジル先住民の椅子」展はきょうが最終日 (「美を紡ぐ 日本美術の名品」展は6月2日まで)

こりゃMOMASにを観に行くしかない

と、ここで、NHK大河ドラマ「いだてん」での森山未來凄まじさ圧倒されて茫然自失

んなもんで、「ブラジル先住民の椅子」展の話はまた後日…

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特大連休をふり返ってみる #6

2019-05-18 19:14:27 | タウンウオッチング

「特大連休をふり返ってみる #5」のつづきです。

今から4年半前2014年12月2日、「東京」気象観測地点が、大手町気象庁本庁舎(#2で書いた旧江戸城「鬼門消し」和気清麻呂像とは内堀通りを挟んだ目と鼻の先)から北の丸公園引っ越しました。

なんでも、気象庁本庁舎自体が、来年2月虎ノ門引っ越すのだそうで、2014年10月の日経の記事によれば、

現在の大手町の観測点は1964年から現在の場所に置かれている。庁舎が港区内に移転するが、「大手町との距離が近く、将来も周囲の環境が変わる可能性が低い」との理由で、観測点は約900メートル離れた北の丸公園に置くことにした。

のだそうな。
コンクリートとアスファルトに囲まれた大手町と、に囲まれた北の丸公園とでは、気温とか結構違うんじゃないかと思いますが、

アスファルトの道路やビルに囲まれた大手町に比べ、北の丸公園の方が気温が低い傾向があり、年間の平均気温16.3度から15.4度に下がる。夏より秋や冬の方が差が大きいという。

ですって。
ほんの900m離れるだけで、年間の平均気温1度近く違うなんて、ビックリするような、さもありなん… と納得するような…

で、TVやラジオの天気予報で紹介される「東京」の気象データ、その観測地点がこちらです。

ここでは、気温、湿度、気圧、降水量、感雨(降水の有無)、積雪の深さを観測しています。

だそうですが、気象観測といえば、決められた時刻に、観測員百葉箱を開けて、最高&最低気温とか気圧や湿度を読み取りメモる…、なんてイメージだったのですけど、百葉箱は無く、あるのはたくさんのカメラを始めとする機械のみ…。
今や、気象データは、機械が自動的に観測して、その結果を自動的に気象庁へ送る仕組みになっているんですな。

そして、「現地」には観測したてのデータが表示されておりました。

2019年4月28日17:05の「東京」n気象

ちなみに、日本国内に約1,300か所アメダス(AMeDAS:Automated Meteorological Data Acquisition System:自動気象データ収集システム)の観測地点があります。
右に載せた東北北部の気温データは、アメダス(「雨だす」という意味ではない)のデータを1時間おき画像化しているわけで、なんとも進歩したものです…。
これだけの多くの観測地点定時観測するなんて、やってできないことはないだろうけれど、NHKラジオ「ひるのいこい」ふるさと通信員(いつのまにやら「農林水産通信員」から名称が変わり、そして、なくなってしまったらしい)のような「意識高い系」ボランティアを活用しないと、精度とコスト問題が生じるのは確実ですぞ、K.I.T

   

とかなんとか感慨にふける うち、この日一番目的地日本武道館に到着しました

ちょうどこのタイミングだったと記憶しているんですが、ミー友さんから気になる情報が寄せられました。

なんでも、Googleモバイル版冒頭の「おすすめサイト」に、このブログが表示されているのだとか

え"、え"、え" です。

ところが、私のスマホGoogleのトップページを見ても、何のへんてつもないページ。そもそも「おすすめサイト」すら表示されていません
ウラはとれないまでも、何かが起きているのは確かなようです

そして、武道館前でお会いした別のミー友さんからも同じ情報をいただきました
実際にミー友さんのスマホを見せていただくと、確かに、Googleのトップページには、「『MISIA平成武道館』初日のこと「『MISIA平成武道館』2日目のこと」サムネールが並んで表示されていました

ミー友さんから教えてもらって、私のスマホを操作してみても、私のスマホでは、Googleのトップページは、いつもの「何のへんてつもないページ」です

どうやら、スマホ「MISIA」Google検索する頻度の高い人にだけ、私のブログ「おすすめサイト」に載っているみたいでした。
そして、翌朝私のブログへのアクセス状況を見ると、、、

私のブログへのアクセス状況

あれまぁ~

実は、前日4月27日から妙な状況に陥っていたようです
Google検索の上位に表示されるよう、怪しいテクニックを駆使する向きもあることは存じておりますが、私の場合、手練手管を駆使してアクセスを増やす必要はありませんので、ただただ思うがままに記事を書いているだけなんですけど、これはどうしたことでしょ

こんな「アクセス過多に慣れていない私にとっては、極めて居心地が悪いものだったのですが、4月30日には、いつものアクセス状況に戻り、私も一息 ついたのでありました。

   

さりげなく「MISIA平成武道館」Finalのことをすっ飛ばしましたが、その話は「『MISIA平成武道館』千穐楽のこと」で書きましたので、気になる方はそちらをお読みくださいませ。

で、4月28日は、「MISIA平成武道館」Finalの終演後、た~らた~ら飯田橋駅まで歩き有楽町線に乗って帰りました。

ということは、東京駅から皇居東御苑北の丸公園を経由して飯田橋駅まで歩いたということでございまして、私としてはかなり歩いた一日になりました。
スマホの万歩計を見ると、歩数は「20,642歩」、およそ13km歩いたらしい…。
と、数字にすると大したことはありませんな…。
でも、大変に有意義かつ楽しい一日でございました、とさ。

つづき:2019/05/21 特大連休をふり返ってみる #7

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特大連休をふり返ってみる #5

2019-05-16 23:01:03 | タウンウオッチング

「特大連休をふり返ってみる #4」のつづきも、4月28日(日)旧江戸城散策のお話です。

旧江戸城・本丸平川門から出た私は、江戸城の「艮(うしとら)=北東」角の「鬼門消し」堪能したあと、この日のメイン目的地 日本武道館のある北の丸公園へ移動しました。

ランニングする人たちに次々に追い越されながら内堀沿いを歩き、北桔橋門を過ぎたところからから歩道橋を渡り北の丸公園へ…。
そして、平日はほぼ毎朝クルマで走っている首都高・都心環状線北の丸トンネル手前を歩道橋で横切り、まだ一度も入場したことのない 科学技術館の前を通過しました。
この科学技術館の建物、映画「シン・ゴジラ」では「ヤシオリ作戦」司令部になってたな… なんて思い出しながら…。

科学技術館を通り過ぎたところからに曲がり、吉田茂像の前を通り過ぎ…って、今、この吉田茂像をググったら、なんと、この銅像の作者は、舟越保武さん

このときは写真を撮らなかったので、慌てて2014年1月(「MISIA星空のライヴVII」@日本武道館に参戦の際)に撮った写真を探し出して、載せておきます

舟越保武さんは、このブログでは何度も何度も取り上げているくらいお気に入り彫刻家でありまして、直近では、昨年11月盛岡遠征の際、岩手県立美術館ウルウルさせていただきました。

この銅像(改めて写真を観ると、、イイ…)、近いうちにじっくりと鑑賞してこようと思っています。

   

さて、これまた2014年1月以来となる清水門

これまた(2度目)、今回初めて知った話ですけれど、北の丸公園には重要文化財3件あって、それは、九段下駅から日本武道館に向かう途中にある田安門

東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)

そして、この清水門

この清水門イイ…

構造的には、他の旧江戸城の城門と同様、四脚門(高麗門)枡形渡櫓門で構成されているのですが、城内から渡櫓門に向かう下り坂イイ…

ただの坂道ではなくて、なだらかな石段になっているのですよ
下から見上げるとこんな具合。

なんだか江戸時代タイムスリップしたように気分になります

ところで、田安門・清水門、と来ると、田安家・清水家、そして一橋家「御三卿」を連想します
「御三卿」というのは、将軍宗家に跡取りがいない場合に、次の将軍を送り出す役割を担った徳川一門で、水戸・尾張・紀伊の「御三家」と違って「藩」を持っていません。
江戸中期以降、時の将軍と血縁が薄れてしまった御三家に代わって、「跡継ぎ」を用意することが御三卿の存在意義になっていたんですな
最後の将軍、徳川慶喜が、御三家水戸徳川家から御三卿一橋徳川家に移り、そして将軍に就いたことが思い出されます。

で、私は、田安門・清水門という城門の名前は、田安家・清水家家名に由来するものだと思っておりました。
が、実は、一橋家も含めて、でした。

田安門・清水門・一ツ橋門の内側に、それぞれ屋敷を構えたから、それぞれの家名がつけられたのだとか。
なんとなく、キーウィキウィフルーツの関係を思い出したりして…。

なかなか終わらない 皇居東御苑&北の丸公園のお話、まだ続きます。

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特大連休をふり返ってみる #4

2019-05-12 21:59:08 | タウンウオッチング

「特大連休をふり返ってみる #3」のつづきも4月28日皇居東御苑散策のお話です。

気がつけば、この日から2週間過ぎていますので、現時点の花模様とは変わっているかと思いますが、サクラの時季は過ぎたものの、皇居東御苑では様々なを見ることができました。

本丸跡で見たこちらの花何の花だと思います?

花や葉の様子から、ウメ・サクラ・モモと同様、バラ科だと想像はつきますが、これは「カガハン ザイライ(加賀藩在来)」というな名前のワリンゴ、つまり、リンゴの花。

私、リンゴの花を見たのは初めてかもしれない…
この場所は、本丸大広間前の広場跡の辺り、「果樹古品種園」と名づけられておりまして、

ここには、かつて食用として栽培されていた古い品種の果樹が植えられています。江戸城の跡に江戸時代の果樹の品種を植え、入園者が楽しめるようにとの天皇(現・上皇)陛下のお考えから古い品種の果樹園をつくることになりました。

だそうです。
リンゴの花ってかわいらしいものだ…と思ったら、こちらは、

ハナニラですって
確かに細長い葉っぱニラっぽい…
でも、野菜のニラとは、「同じ亜科に属するが、別属」(Wikipedia) だそうです。

この日、皇居東御苑「我が世の春」を謳歌していたのは、

シャガと、、、、、

なでしこ…って、え"?
なでしこ「秋の七草」の一つじゃないの

と、調べると、この「なでしこ」(カワラナデシコ)開花期「5~8月」だそうで、今咲いていてもなんの不思議もございませぬ。
しかも、「8月」は、昔の季節感でいえば「秋」でもあります

このカワラナデシコが咲いていたのは、旧本丸から急な汐見坂を下った

旧二の丸でして、二の丸庭園では、ツツジ咲き誇っていました

この時季、あちこちで目を楽しませてくれる ツツジですが、皇居東御苑でも、大勢の人たちがカメラやスマホをツツジに向けていました。

一方、こちらの花は、ツツジのような派手さは無いけれど、旧江戸城とは縁の深い花

ヤマブキです。

ちょいと無粋ですが、なぜヤマブキが「旧江戸城とは縁の深い花」なのかを書いておきましょう

室町時代末期(15世紀後半)関東管領上杉氏に連なる扇谷上杉家の家臣に、太田道灌という人がいました。

この太田さん川越城とか江戸城を築城した人物なんですが、若かりし頃の逸話として「山吹伝説」と称されるものがあります。

こちらのサイトから引用しますと、

ある日の事、道灌鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

上に載せた川越市役所前の太田道灌像も、東京国際フォーラム(旧都庁跡)にある太田道灌像も、なぜか鷹狩りスタイルなのは、この「山吹伝説」に寄ったものなのでしょうな

こうして皇居東御苑を楽しんだ私は、「その2」で書いたように、平川門から退出しました。

私が平川門を通るのは、これが初めてでしたが、この石垣隙間の無さときたら何でしょ

ここまで徹底しなくてもよろしいのではなかろうか…

それはそうと、平川門の枡形には、上に載せた渡櫓門と城外に通じる高麗門(四脚門)の他に、

渡櫓門と並んで、もう一つ、四脚門があります。

「帯曲輪門」というもので、この門から、どこにつながっているのかといいますと、

細い「帯曲輪(おびくるわ)」という土手が、竹橋門へと通じています。

上の写真で、右上隅東京国立近代美術館(MOMAT)竹橋ごく一部が写っていますが、写真の左側に見える石垣が、「帯曲輪」

この帯曲輪=土手道何のためにあったのでしょうか?
こちらのサイトの説明では、

城郭における帯曲輪の役割は本丸に近く最も防備を必要とする地点に帯曲輪を設けて平川濠を二重に分断し、両門が帯曲輪の走路で通じ合う。それは有事の際に相互の番兵が火急な城門の応援に駆けつけるためである。

だそうで、かなり説得力があります。

と、旧江戸城を楽しむうち、時刻は16:30を過ぎ、「MISIA平成武道館]FINAL開場まで1時間を切りました

当初の目論見では、皇居東御苑を楽しんだあと、MOMATを観に行くつもりだったのですが、そんな余裕はなさそうです。

そんなわけで、MOMATの前を通り過ぎ北の丸公園に入っていった私でございました。

つづき:2019/05/16 特大連休をふり返ってみる #5

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特大連休をふり返ってみる #3

2019-05-09 22:40:43 | タウンウオッチング

「特大連休をふり返ってみる #2」のつづきです。

「#2」で書いた城外からの「艮(うしとら)」見物のあと、私は竹橋を渡り、北の丸公園の中を通って日本武道館に向かったのですが、話は皇居東御苑に戻ります。

この日、4月28日皇居東御苑は、大型連休中で、好天で、そして、天皇の代変わりという皇室の大イベントを控えていることもあってか、国内外の観光客でかなり賑わっていました。

上に載せた写真は、天守台から大奥跡方向を眺めたものですが、ふり返ると、、、

この夜お楽しみ「MISIA平成武道館」の会場、日本武道館の特徴ある屋根が見えました。

   

天守台から降りた私は、本丸休憩所へ行き、なかなかのグッズ2点購入。

一つ目は、

現在の皇居東御苑を描いたイラストのクリアフォルダーなんですが、これをひっくり返すと、

寛永15(1638)年、大天守明暦の大火(1657年)焼失する前の江戸城の二の丸と本丸復元イラストが描かれています。

いやぁ~、こりゃイイ
こんな秀逸なグッズが500円だなんて、これまたイイ

これはお薦めグッズですぞ

そして二つ目は、

皇居東御苑 セルフガイドブック「皇居東御苑 セルフガイドブック」です。

A5サイズで50ページほどのハンディガイドブックでして、

このガイドブックは、平成14年春、皇居東御苑にガイドポスト(見どころ標識)を設置すると同時に編集、制作されました。
本書は見出しと、ガイドポストの表示内容を同じにして、現地と対応するよう構成されています。

というもので、写真イラストきれい

もうちょいと深い記述が欲しい… と思わないでもないですが、この内容で800円というのは、かなりコストパフォーマンスが高いと思います。
現地でチラ見しながら楽しむ or 学習するのも良し帰宅してから復習する参考書にするのも良し って感じです。

このガイドブックの中で最も 私の目を惹いたのは、こちらのイラスト

私、以前から不思議に思っていたことがありまして、それは、一般観光客にとって皇居東御苑への3つある入口の一つ「北桔橋門(きたはねばしもん)が、余りにも簡素なこと。

いくら「跳ね橋」があって、いざとなれば橋を外せる構造だったとはいえ、また、城外からは竹橋門を通って二つ目の門だとはいえ、高麗門(四脚門)一つ通れば、目の前には天守
こんな防御で大丈夫なのか? と思っておりました。余計なお世話かもしれませんが…

ところが、上に載せた「皇居東御苑 セルフガイドブック」掲載のイラストによれば、北桔橋門も、他の江戸城の主要門と同様に、高麗門だけではなく枡形渡櫓門を備えた堅固な門だったんですなぁ。

上に載せた写真は、高麗門・枡形・渡櫓の佇まいがよく見える北の丸にある清水門でして、この清水門魅力については後日書きたいと思っています。

おっと、清水門の前に、が咲き乱れる二の丸庭園のこととか、初めて通った平川門のことを先に書かねば…

つづき:2019/05/12 特大連休をふり返ってみる #4

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