新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2021年春のドライブ旅行記 #2-2

2021-05-19 20:47:08 | 旅行記/美術館・博物館・アート

新潟日帰り遠征記を書き終えたところで、「2021年春のドライブ旅行記 #2-1」のつづき、「テオ・ヤンセン展」@山梨県立美術館の見聞録です。

以前から「なんとなく」程度ではあるけれど気になる存在だったテオ・ヤンセン「風で歩く物体」、初めて「現物」にお目にかかれるというわけで、ワクワクドキドキ でした。

フライヤーからテオ・ヤンセンのご紹介を転記してしまいましょう。

オランダ出身のテオ・ヤンセンは大学で物理学を学んだ後、画家に転向し、その後1990年よりストランド・ビースト(オランダ語で「砂浜の生命体」)の制作を開始しました。ストランド・ビーストは、プラスチック・チューブやペットボトル、粘着テープといった身近な材料を組み合わせ、物理学による計算に基づいて形作られた、風力で砂浜の上を歩く生命体です。
ヤンセンの制作をとおして、生物同様に様々な進化を経ることで色々な種類が生みだされ、自然との共生、芸術と科学の接点など、さまざまなことを私たちに伝えてくれます。

まず拝見したのはこちら (この展覧会は撮影でした)

右にあるクランク軸時計回りに回すと、左下にある「脚先」が持ち上がり、前方(右側)に移動し、着地すると真後ろ(左方向)に移動する、という「歩く仕組み」です。

そして、この機構の基本となるのが、「ホーリーナンバー(聖なる数)」だそうで、

ビーストの脚を構成するために、チューブの長さと位置関係を割り出す13個の基本となる数字。ヤンセンはコンピュータ上で幾通りもの組み合わせを試し、数ヶ月かけて理想とする動きにたどり着いた。ホーリーナンバーを用いたの各部が往復運動円運動をすることでビーストは歩き出す。特に重要なのが脚先の軌跡である。脚先が前に出る時に描く上方向に膨らみながら回転する軌跡が、生き物らしい滑らかな動きを生みだしている。

と説明板にありましたが、チューブ10本長さと、クランク円直径と、、あと2個の数字はどこにあるんでしょ?????

   

さてさて、最初に拝見したビーストは、セレブラム期(2006-08)「アニマリス・ペルシピエーレ・プリムス」(2006)

かなりデカい 体長 7.5mだそうです。

パッと見右方向(長辺方向)に動きそうですが、脚部を良く見ると

アニマリス・ペルシピエーレ・プリムスの脚部

回転軸固定の車輪がついていて、短辺方向に動くことが察せられます。
館内では動画を観られるようになっていて、さらに、スマホ用に動画サイトにリンクしたQRコードが表示されていました。
で、(アニマリス・ペルシピエーレ・プリムス)はこんな風に動きます。

ワサワサっと動き、上部の背びれみたいなのがヒラヒラと動き、ホントに生命体みたいです

説明板によれば、

セレブラム期に生まれたペルシピエーレ族の最初のビースト。
「知覚する」という意味を持つ「ペルシピエーレ」のことばが示すとおり、特定の対象を感知するためのホースがたれている。前方にある扇状の構造物は、圧縮空気を溜めるための予備のペットボトルで構成され、風にとばされないようおもりの役割を果たす。

だそうです。
ここに「感知」「圧縮空気」二つのキーワードが出てきます。
まず「感知」について、公式ガイドブックに載ったヤンセンのことばに、

水の感触器は、地面に垂れたホースでできている。通常、それは空気を吸入する。しかし水を吸入した場合、抵抗が増加し、ビーストはそれを感知する。
そして神経細胞方向転換を指示し、ストランドビーストは向きを変えるのである。

とあります。
また「圧縮空気」は、と共にビーストの動力源になるのですが、ビーストのスゴいところは、を受けた羽根ピストンを動かして、ペットボトルに空気を貯めることができるということ
エレクトロニクス完全に排除したメカニズム

   

ここで公式ガイドブックからビーストの進化を整理してみましょ。

前グルトン期(~1990):コンピュータ内の仮想生物
グルトン期(1990):自立も歩行もできずに仰向けで脚を動かすだけ
コルダ期(1991-93):塩ビ管+結束バンドで歩行可能
カリダム期(1993-94):風力で自力歩行が可能に
タピディーム期(1994-97):塩ビ管のパーツを規格化(遺伝子化)
リグナタム期(1997-2001):木材や鉄板の身体を得て巨大化
ヴァポラム期(2001-06):動力源が自然風から貯め込んだ圧縮空気
セレブラム期(2006-08):神経細胞を獲得
スシディーム期(2009-11):より少ない圧縮空気で効率よく走ることを実現
アスペルソリウム期(2012):自発的に尾を振ることが可能に
アウルム期(2013-15):微風でも歩くための大きな帆を装着
ブルハム期(2016-):脚を持たない新系統「キャタピラ型」誕生

まさしく「進化」としかよべないこの過程で、脇道に逸れた感のあるのがリグタナム期ですな。
今回の展覧会では同期のビーストは1頭も展示されていませんでしたが、公式ガイドブック付録のDVDを観ると、「アニマリス・リノセロス・トランスポルト」動きスゴい 私は、「20世紀少年」ロボットを連想してしまいました。
YouTubeを探したところ、彼を見つけました
画質が悪くかつ風の音がデカいことはご愛敬ということで…

どうしてもテオ・ヤンセンのストランド・ビーストは、「塩ビ管の骨格をむき出しにして自律歩行する生命体」のイメージが強くて、リグタナム期パネルの「皮膚」を持ったビーストには違和感を持ってしまいます。

と、まだ展覧会のほんのさわりしか書いていませんが、「#2-3」につづきます。

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新潟まで日帰り遠征してきた (後編)

2021-05-18 13:10:05 | 旅行記

「新潟まで日帰り遠征してきた (前編)」のつづきです。

新潟到着からライヴ会場行きのバスが出るまでの3時間弱手持ち無沙汰になりそうなところで思いついた訪問先が、白山公園にある新潟県政記念館でした。

この記念館は、18年前にこれまた白山公園内にある新潟県民会館での「MISIA星空のライヴⅡ」に来たとき、名称も来歴も知らぬまま、その佇まい興味を惹かれたたという過去がありました。その後、調べると、この建物は、明治初期新潟県会議事堂として建てられた由緒あるもので、現在は史料館として一般公開されていることを知りました。
今回は、2007年1月(朱鷺メッセでのTHE TOUR OF MISIA 2007 ASCENSIONへの遠征) 以来となる万代島美術館に行ってみようかと思ったところ、ちょうど展覧会の端境期休館中ということで、それならば、新潟県民会館との再会を兼ねて、新潟県政記念館に行ってみよう と思い立った次第です。

   

白山駅で撮った近隣地図を頼りに、

クルマも人通りも少ない妙に広い道をテクテクと歩くこと約20分白山公園に到着。
県民会館工事中ということで、ぐるりと回り道して、でも、「What's NiiGATA」のモニュメントにマイケルを見つけるなどして、

さらにりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を回り込むと、ありました

新潟県政記念館です ただし裏側

いそいそと正面に廻り、写真を撮って、入場

と、その前に、入口前にあった案内板を転記しましょ。

重要文化財 新潟県議会旧議事堂
この建物は、新潟県会議事堂として明治16年(1883)3月に建てられ、昭和7年(1932)までの50年間、ここで県政の審議が行われました。
設計監督は大工棟梁星野総四郎で、正面玄関の両翼に大きな切妻屋根の棟を張り出し、屋上中央に八角尖塔を構えた堂堂たる建物です。西洋の建築技術や様式を意欲的に取り入れた、いわゆる洋風建築の代表的なもので、建物の隅や窓枠の石組み、軒回りの垂飾り、棟端の擬宝珠形の妻飾りや破風板の刳形などの意匠にその特色がうかがわれます。
内部は、正面の二階が知事室・議長室、向かって右側の棟が議場、左側の棟が議員控室・傍聴人控室などとなっていました。
明治初めの府県会開設期の議事堂としては現存唯一の遺構で、わが国の建築史上極めて貴重な洋風建築として、昭和44年(1969)年3月、重要文化財に指定されました。

なるほど~。これを読んだだけでも、現地にやって来た意義を感じます。

と、議事堂が建てられたのが1883年ってことは、帝国議会開設の7年前から現在でいうところの地方議会があったということ?

Wikipediaによると、

廃藩置県以後、各府県で府県会・民会・区戸長会などの名目で地域代表による諮問機関が設置されるようになっていたが、1878年(明治11年)府県会規則が制定されると、翌年より同法に基づいた府県会が各地に設置された。府県会の設置は、大阪会議の際、木戸孝允が要求した政綱の一つであった。したがって府県会は1890年(明治23年)に設立された帝国議会よりもに設置されたのである。

だそうな。

さて、最初の展示室(旧 傍聴人控室)には、主にこの建物に関する資料が展示されていました。

そして、「新潟県会議事堂の創立者」として紹介されていたのが、1875~1885年に3代目新潟県令としてご活躍された永山盛輝さんでした。
そしてそして、「永山盛輝の治績を語る 明治洋風建築」と題するパネルの右上に載っているのが、

松本市にある開智学校です
擬洋風建築代表格で、2019年10月には国宝に指定された開智学校の写真がどうしてここに載っているんでしょ。

2015年7月の信州遠征(MISIA星空のライヴVIII -MOON JORNEY- 上田公演からのハシゴ)で旧開智学校を見物したさい(記事)に入手したリーフレットによれば、

現存する重要文化財(当時)の校舎は明治8 (1875)年4月に工事が始まり、翌9年4月に完成しました。教育を(筑摩県の)立県の指針とし、文明開化政策を推し進めた筑摩県参事(知事) 永山盛輝が計画し、地元松本の大工棟梁立石清重が設計・施工しました。

とありまして、竣工時には既に新潟県令として転出していた永山さんが、開智学校「計画」したのだそうな。

【ご参考】松本市の旧開智学校は、耐震工事のため、来月(21年6月)から24年秋頃まで休館するそうです。

   

展示の中で新潟に土地鑑の無い私にとって一番面白かったのは、明治~昭和初期の新潟市の地図でした。
まずは明治23(1890)年

つづいて昭和5 (1930)年の地図の復刻版。

新潟駅周辺は閑散として、信濃川左岸が新潟の中心部であることがよく判ります。
(ブラタモリ「#45 新潟~新潟は“砂”の町!?~」(16/7/30放映)も勉強になりました)
そして、現在の白山公園信濃川に囲まれた「小島」みたいな地だったことも。

そして、新潟駅の北東側にもまとまった街があります。
この地区は「沼垂」「沼垂」と書いて「ぬったり」と読ませるのは、けっこうな難読地名です。
帰ってから調べてみると、この「ぬったり」という地名は、さかのぼると、日本書紀「大化三年(647年)渟足柵を造りて柵戸(きのへ)を置く」とある「渟足柵(ぬたりのき)」に至るらしいのだとか。
飛鳥時代にこの地域にまで大和朝廷の権威が及んでいるとは、根拠無しながらも 疑ってしまうのですが、かなりかなり古い地名であることは確かですな

   

さてさて、旧新潟県会議事堂のメイン、議場見ものでした

まずは、傍聴席だった2階から議場を見下ろします。

 リーフレットによると、

東京府京橋区木挽町の明治会堂に範を取ったという。
屋根裏はクイーンポストトラスという洋風小屋組みが施され、幅広い空間を支えている。

だそうです。
「木挽町の明治会堂」って、寡聞にして初めて聞く名前の施設が登場しました。
木挽町といえば、私が長らく働いていた地区なのに…
明治会堂について、こちらのサイトから、中央区銀座3丁目14番に中央区教育委員会に設置している説明板を転記すると、

明治会堂は、明治14年(1881)福沢諭吉の発案により建設された演説会場です。瓦葺き木造2階建て、建坪約620㎡の擬洋風建築で、福沢の親戚である藤本寿吉により設計されました。(中略)
左の錦絵「明治会堂之図」の説明文に「会場の広間は3千人を容れ、食堂には2百人の席を設くべし。講義室あり事務室あり結構至らざる所なく実に東京一の会堂なり」とあり、当時としては、会食もできる東京随一の演説会場で、政策演説をはじめ、各種演説・行事が頻繁に行われました。(中略)
明治15年末に福沢の所有から農商務省の手に渡り、明治17年には厚生館と改称されて使用されましたが、明治23年(1890)に民間に払い下げられた後、大正12年(1923)関東大震災で焼失しました。

だそうです。
「関東大震災」で思い出しましたが、旧新潟県会議事堂は、1964年6月の新潟地震(新潟市は震度5)にも耐えたんですな…

で、1階に降りて議場に入ります。
まずは、議長目線からの眺め。

つづいて、知事目線からの眺め。

現在の一般的な議場と違って、自然光がたっぷりと室内に入って明るい
そして、傍聴席を支える鋳鉄柱けなげに美しい

すごく開放感にあふれた気持ちの良い議場なんですが、ふと、デモ隊が議事堂前でシュプレヒコールをあげたらやかましいのではなかろうか? と思いました。

でも、議事堂前の広い道の「一番堀通り」という名前から想像できるように、かつてはこの道はだったのだそうで、堀の対岸から叫ばれる分には、議事にはさほど影響が無かったのかもしれません

ということで、約30分間にわたって新潟県政記念館を見学して、今回の遠征唯一「観光」を終えたのでありました。
いやぁ、楽しかった

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新潟まで日帰り遠征してきた (前編)

2021-05-17 11:33:24 | MISIA/旅行記

きのう、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」新潟公演を聴きに、新潟まで出かけてきました。
15時からのライヴでしたので、日帰りです。

今回の遠征にあたっての一番の「課題」は、新潟駅に着いてからライヴ会場行きのバスが出発するまでの3時間弱をどう過ごすのか、でした。
結論から書きますと、このライヴ前の時間無駄なく過ごすことができ、逆に、ライヴ後から帰りの新幹線までの約2時間手持ち無沙汰になってしまいました
早い時間の新幹線で帰ってくれば…というところですが、私は「2週間前までに予約・購入すれば35%引き「お先にトクだ値を購入しておりまして、

当該列車以外の新幹線には自由席であっても乗れないし、払い戻しには手数料がかかりますので、早い時間の新幹線で帰るには、2~3千円の追加出費が必要になります。
結局、大したことのない焼き鳥ビールを飲んで時間をつぶしました

   

さて、肝心MISIAのライヴは、きのうも素晴らしいものでした

MISIAの歌声は、毎度のことながら、厚く深く美しく響き渡り、聴く側の体の芯にまで染みわたります
バンドとのコンビネーションも、河口湖で聴いたときより更に馴染んだ感じでした。
そして、この日のライヴの白眉は、私の大好物「あの曲」でした
河口湖3日目でも歌った「あの曲」でしたが、この日のアレンジたるや…
これまでBEST だと思っていた「東京JAZZ」ver. (こちらの記事をご参照方)更に斜め上を行く、スゲー ものでした。
演奏が終わったときは、至福のひとときを味わった喜びやら、声を挙げられない悔しさやらで、グチャグチャ感情爆発しそうでしたぜ、まったく…。

また、立体感に満ちた照明美しさ特筆もので、やはり生(LIVE) はイイ

というところで、これまでの「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」セットリストを載せます。
灰色の部分をクリックすると、セットリストをご覧いただけます。

   

ようやく、ここで、きのうの行程です。

本宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大宮駅上越新幹線新潟駅越後線白山駅⇒徒歩白山公園⇒徒歩新潟県政記念館⇒徒歩新潟駅バス新潟テルサ(MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE)バス新潟駅⇒徒歩新潟駅前⇒徒歩新潟駅上越新幹線大宮駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒本宅

そして、新潟市内での行動マップがこちら。

いまやMISIAのライヴを聴きに日本全国を訪れることが楽しみになっている私。
その「最初の一歩」が、新潟でした。
2003年7月「MISIA星空のライヴⅡ」バースデーライヴのチケットが抽選でハズレまくりネットオークション転売サイトでの価格高い
こんな高い転売チケットに手を出すのだったら、当時存在していたチケット交換サイト(お世話になりました)定価で入手可能な6月の新潟公演に出かける交通費&宿泊費の方が安いではないか

ということで初長距離出撃した新潟県民会館約18年ぶりのご対面

おやぁ? 養生幕に覆われていますな。
どうやら改修工事の真っ最中のようです。

18年前には、時間的に余裕があったことから、新潟駅から徒歩萬代橋を渡り、古い街並みを抜けて、(あとから思えば) 遠回りしてやってきた新潟県民会館、今回はJR越後線白山駅からのルートです。

なぜ私が休館中新潟県民会館にやってきたのか? その話は後編で書きます。

つづき:2021/05/18 新潟まで日帰り遠征してきた (後編) 

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2021年春のドライブ旅行記 #2-1

2021-05-10 20:57:25 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2021年春のドライブ旅行記 #1-2」のつづきは、旅行2日目4月30日(金)のお話しです。
行程「ダイジェスト #1」で書きましたので、ここでは省略します。

山梨県中央市のホテルで目覚めると、前夜ののように晴れ上がり、窓からは南アルプスがキレイに見えました

正面に見える雪山は、「白峰三山(しらねさんざん)」の一つで、国内で3番目の高さを誇る間ノ岳のようで、この左側に農鳥山、右側には富士山に次ぐ3,192mの高さの北岳があるはずなんですが、ここからは間ノ岳しか見えませんでした。

また、朝食を摂るべくエレベーターに乗ろうとすると、エレベーターホールの目隠し付きの窓から、富士山も見える

さて、「MISIA 星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」河口湖 3 days中休みのこの日、宿泊する諏訪市のホテルまでの行程が未定でした。
数日前までは、前回、諏訪大社上社にお参りしたときに素通りしてしまった諏訪市博物館と、大好物土偶たちに逢いに尖石縄文考古館に出かけるつもりだったのですが、両館のHPを見ると、どちらも4月30日(金)休館日

年末年始と月曜日がお決まりの休館日で、月曜日が祝日の場合は翌日が休館日」というのはよくある話ですが、両館は「祝日の翌日」休館日だそうな
これは長野スタンダードなのでしょうか?

「それならどこへ行こうか」と、起きるなり、ネットで調べると、甲府にある山梨県立美術館「テオ・ヤンセン展」をやっているではありませんか
もともとテオ・ヤンセンの作品に興味を持っていた私は、すぐさま「10:00~10:30」観覧予約しました
これがホントの「朝飯前」

また、甲府城趾を歩いてみよう と思い立ってネットで調べると、舞鶴城公園には、一般車用の駐車場無い
二つある駐車場は、どちらも「バス・お身体の不自由な方に限ります」で、かつ、事前予約が必要な由。
まぁねぇ~、JR甲府駅とは目と鼻の先、つうか、1903(明治36)年に、すでに廃城されていた甲府城趾横切って 中央本線が敷かれたような位置関係で、駅至近一等地でしょうから、団体旅行客とハンデを持った人用の駐車場だけをなんとか確保したのでしょう

でも、まぁ、駐車場がまったく無いことはなかろう と、舞鶴城公園周辺を走ってコインパーキングでも探してみることにしました。

   

このあと朝食を摂り、9:30にホテル出発

ホテルの駐車場からも富士山が見えるじゃありませんか

エレベーターホールからの眺めと違って、電線が多い
でも、4月初め練馬区立美術館で楽しんだ「電線絵画展」キャッチコピー

富士には 電信柱も よく似合ふ。

とか、再放送でハマっているNHK連続テレビ小説「花子とアン」じいやん自説であるところの「こっちが富士の表側を思い出したりして…。

それはともかく、目的地山梨県立美術館にセットしたナビに導かれるままに、広い道はもちろん、妙に狭い道をクネクネと走るうちに、山梨県立美術館に到着しました。

時刻は9:57

「テオ・ヤンセン展」の観覧予約は10:00からですから、ものの見事ジャスト・タイミング

というところで、「#2-2」につづきます。

つづき:2021/05/19 2021年春のドライブ旅行記 #2-2 

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2021年春のドライブ旅行記 #1-2

2021-05-09 18:18:45 | MISIA/旅行記

「2021年春のドライブ旅行記 #1-1」のつづきです。

富士急ハイランドの駐車場にクルマを駐めた私は、降りしきるの中をとぼとぼと歩いて河口湖ステラシアターに戻りました。

これまでの河口湖ステラシアターでのMISIAのライヴでは、開場1時間前までは、ステラシアター前の広場に設けられた物販エリアに自由に出入りできるけれど、開場の1時間前になると物販を中断して、聴衆はいったん広場から追い出されるのだけれど、今回は違っていました
いつもならモギリ地点の広場の入口に張られたテントは、今回は検温ポイントになっていて、広場はずっと開放されていて、そして、モギリは、「入場口」と表示された会場入口前のテントで行うようでした。

そんなわけで、開場時刻前から広場に入ることはできたものの、このの中、開場までの30分あまりをどうやって過ごそうか… と思ったら、定刻の15分くらい前に開場を早めてくれました

これはありがたかった
そぼ降るの中で開場時刻を待つのと、屋根の下に入れるのでは、ぜんぜん状況が異なりますから…。

入場した私は、には聞きながら、まだ観たことのなかったMISIAの壁サインを鑑賞したり、

(このサインが書かれた2016年5月5日は、私も参加した「MISIA星空のライヴIX PREMIUM LIVE」3日目記事)
入場待ちの列を眺めたりしたあと、

自分の座席につきました。

この日の座席は、久しぶりのアリーナ席
ステージが近ぁ~い
しかも、アリーナ席の左側一番後ろでしたから、スペースもたっぷりです
(傘を広げて乾かしたかった)

ここで「河口湖ステラシアターあるある話」

開演を待つ間、私の席のちょいと前で、「そこの席、私の席だと思うのですけど」風のやりとりがあって、先に座っていた二人組が立ち上がり、あとから来た二人組に席を明け渡すできごとがありました。

これはもしかして… と、先に座っていた二人組の移動先を目で追うと、彼らが座ったのは、予想どおり、「1Fブロック」でした。
つまり、「1F」「1階席=アリーナ」勘違いしていたんですな。
実は、私も勘違いしかかった経験があります

   

さて、この日のライヴ中身のお話後日に廻しまして とにかく肌寒かったことだけを書いておきます。
私はネルシャツの上にペナペナブルゾンを羽織ってライヴに臨んだのですが、河口湖ステラシアターのアリーナ席すり鉢の底のような位置で、空気が澱みそうなものなのに、風通しが良くて、寒いったらありゃしない
風通しが良いのは、コロナ禍のご時世、好ましいことではあるのですが、ホント、寒かった

MISIA「私は3~4枚着ています」MCで言っていたし、オープニングアクトのLittle Black DressのRYOちゃんカイロを忍ばせていると言っていたのに、私がこのドライブ旅行に持ってきた衣類は、寒さに対して無防備極まりない…
あと2 daysこの会場でのライヴに参加するとなれば、パーカーか何かを調達した方が良いかもしれない、と考えました。

   

初日のライヴ終了後、再びの中をとぼとぼと歩いて富士急ハイランドの駐車場に戻り、ふぅ~~ と大きな(安堵の)ため息をつき、お茶をグビリと飲み、加熱式タバコを吹かして、そして、この日の宿泊地であるところの山梨県中央市に向かってクルマを走らせたのでした。

ナビの目的地にホテルをセットすると、中央道R137県道719号と、3通りのルートが呈示されまして、

私が選んだのは、最短距離になる県道719号ルートでした。

ところが、実際に走ってみると、が降る中を走るには、暗いし、狭いし、カーブだらけだしで、キツかった

有料でも、中央道を使うのが楽ちんだったろうなぁと振り返っています

それでも無事にホテルに到着し、途中で買ったケンタを食べながらビールを飲んで、

そして大浴場お風呂に入り、いろいろあったドライブ旅行初日を終えたのでありました。

つづき:2021/05/10 2021年春のドライブ旅行記 #2-1 

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2021年春のドライブ旅行記 #1-1

2021-05-08 15:19:45 | 旅行記

先週末に3泊4日で決行した「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」河口湖公演絡みのドライブ旅行、その旅行記本編を書き始めます。

昨夜、寝ているとき、なんとなく旅行記本編を書いている気になったのですが、ただのでした

行程ダイジェスト(#1, #2, #3)で書きましたので省略いたしまして、代えて4日間のルートマップを載せておきます。

そして、4日間の移動距離(走行距離)はこんな具合でした。

   

初日4月29日は、15時頃までに河口湖ステラシアターに到着することを目標に、10:30に、小雨の中、本宅を出発しました。

30日が平日だからなのか、道路交通情報をみると、まったく渋滞無し

さて、中央道を使うか、東名を使うか、ほんのちょっと迷った結果、東名を使うことにし、さらに、横浜町田ICまではかつての通勤ルートを走ってみることにして、高島平ランプから首都高速5号線に乗りました。
首都高速はめちゃくちゃスムーズに流れていて、中央環状線経由で東京料金所通過までの所要時間はわずか31分
通勤のときは、高島平⇒東名・東京料金所の所要時間は、45~55分が標準で、30分台で走れるのは年に1~2回程度しかありませんでしたから、これはレアでした。

そして、ほぼ毎日立ち寄っていた港北PAでトイレ休憩

その後も東名スムーズ極みで、12時ちょい過ぎ御殿場ICを降りて、R138を北上しました。
毎度のことながら、R138の信号機って、ほとんどすべての交差点ごとクルマの流れを止めようとしてないか? などと毒づきながらクルマを走らせて行き、ぐみ沢辺りの丁字路を直進すると、あれ? もしかして新東名に乗ってしまった????
ナビを見ると、「道なき荒野」を走っていることになっています
これはヘタをすると、沼津まで連れて行かれてしまうのか? と思ったところで、「静岡方面」と「山梨方面」の分岐を示す看板が出てきて一安心し、迷わず「山梨方面」へ進むと、今度はとりあえずの経由地&昼食場所にしていた「道の駅 すばしり」の看板が出てきた

ということで、須走ICで下道に降りて、「道の駅 すばしり」の駐車場にクルマを駐めました。

昼食にトンカツ定食を食べたあと、「道の駅 すばしり」でブラブラしていると、こんなポスターを見つけました。

さっき走った「ナビに載っていない道」は、「国道138号 須走道路・御殿場バイパス(西区間)」という長い名前の、4月10日開通したばかりの新しい道路でした
そりゃ、ナビには載っていませんって…

さて、この時点で時刻は13:20
須走ICから東富士五湖道路に乗れば、河口湖ステラシアターには30分ほどで着いてしまいますので、ちょっと早すぎる と、「ダイジェスト#1」で書いたように、あとにして思えば完全な判断ミスを犯して、そのままR138をたらたら走って行くことにしました。

はどんどん強くなって、山中湖の眺めは、これが山中湖なのか他の湖なのか判らないものでした

さらに「道の駅 富士吉田」でも時間調整して、14:45河口湖ステラシアターに到着すると、専用駐車場その30分前には満車になっていて、係員さんから富士急ハイランドの駐車場を使うよう、指示されてしまったのでした。
好天なら臨時駐車場として開放される町民グラウンドは、この天候でクルマを入れるのは無理ですもんね…

かくして、私は、14回目河口湖ステラシアター出撃にして初めて富士急ハイランドの駐車場を使うことになったのでした。

ステラシアターの専用駐車場なら無料なのに、駐車料金が2000円かかるし、遠い(徒歩20分は優にかかる)濡れるし、足元を雨水が流れて靴も靴下もグショグショだし、加えてライヴ後は辺りが真っ暗で、とにかく単調な眺めだし…

今にして思えば、「道の駅 すばしり」昼食を摂った後、東富士五湖道路を使えば、余裕ステラシアターの専用駐車場を使えたと思われますが、私は15:00までに着けば良い」思い込んでいたわけで、これは教訓として記憶に刻み込んでおくことにします。

ちなみに、富士急ハイランド駐車場のちょいと手前に「富士山パーキング」がありますが、この駐車場は営業時間が短いため、河口湖ステラシアターでのライヴ参戦の際には使えませぬ

というところで、「#1-2」につづきます。

つづき:2021/05/09 2021年春のドライブ旅行記 #1-2 

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MISIA星空のライヴ絡みのドライブ旅行ダイジェスト #3

2021-05-03 13:08:01 | MISIA/旅行記

「MISIA星空のライヴ絡みのドライブ旅行ダイジェスト #2」のつづきは、3泊4日で決行したドライブ旅行最終日のダイジェストです。

朝、ホテルの窓のカーテンを開けると、、、

前夜の雷雨が嘘のように晴れ上がり富士山ドーン とそびえています
こりゃ良い一日になりそうだ と、いそいそと朝食を摂り、9時にホテルを出発しました。

過去2日の河口湖ステラシアターの駐車場の状況からして、13:00には現地に到着することを目標に掲げて向かったのは、富士山本宮浅間大社でした。

と、ここでドライブ旅行最終日の行程です。

ホテルR246川島田地方道R469大野路パノラマロード十里木南R469⇒山宮北⇒県道180号富士山本宮浅間大社県道180号⇒登山道入口⇒R139⇒朝霧さわやかパーキング⇒地方道県道71号⇒ひばりが丘⇒R139道の駅 なるさわR139⇒船津登山道入口⇒MISIA Ave. (←勝手に命名) ⇒河口湖ステラシアター (MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE)地方道⇒スバルライン入口⇒R139河口湖IC中央道富士吉田線大月JCT中央道⇒(高井戸)⇒首都高4号線⇒西新宿JCT⇒首都高中央環状線⇒熊野町JCT⇒首都高5号線⇒高島平ランプ⇒新大宮BP⇒本宅

ここまで3日間、ほとんど渋滞遭うことはありませんでしたが、さすがは連休初日4日目の267kmのドライブでは、合計4区間渋滞に巻き込まれました。

このうち最後の中央道渋滞(上野原IC付近⇒小仏TN内)は、帰って寝るだけですし、ビタリと停まることなくじわじわと進んでいましたから、精神衛生上「だんない」でしたし、鳴沢村役場辺りを先頭にしたR139の渋滞 は毎度のことですし河口湖ステラシアターまでもうすぐの地点ですから、さほど気にしなかったのですが、富士宮市内から始まったR139の渋滞は、どこまで行けば流れるのか、渋滞通過にどれだけ時間がかかるのかといった情報がなく、13:00までに河口湖ステラシアターに着けるのか不安でした。

きっと富士芝桜まつりに向かうクルマが多かったんでしょうな

また、パノラマロードが、途中からジワリ動いたり停まったり渋滞で、これまた情報皆無。あまりに流れが悪いので、片側交互通行でもあるのか? と思ったら、R469との再合流する十里木南交差点ボトルネックでした。
ナビの指示のまま、R469から大野路交差点を右折してパノラマロードに入ったのですが、R469を走り続けた方が良かったのかもしれません

   

さて、きのうの観光は、富士山本宮浅間大社だけでした。

富士山本宮浅間大社に出かけるのは2018年8月「MISIA星空のライヴX」河口湖公演のとき以来、2度目です。

前回は、楽しみにしていた富士山まったく見えず (どの辺りに富士山があるのかも判らず仕舞)

がっかりしたのですが(記事はこちら)、今回はどうでしょう

前回と同じ駐車場(200円/h)にクルマを駐め、やたらと屋台で賑わうエリアを横目に二之鳥居まで行ってみますと、

おぉこの富士山を観たかったのだぁ~

山頂付近こそに囲まれていましたが、今回はしっかりと拝ませていただきました。

実は、こそ全容を観ることができた富士山ですが、それ以降はずっと山頂付近がに包まれていました。
河口湖ステラシアター専用駐車場からも、

ステラシアター2Dブロック中程からもこんな具合。

なかなか見えないところが、富士山奥ゆかしさなのかもしれません。

ちなみに、今朝は、本宅最寄り駅のペデストリアンデッキから富士山の山頂がしっかりと見えました

   

さて、途中の渋滞ヤキモキしながらも、河口湖ステラシアターには13:00ちょうどに到着し、専用駐車場絶好な位置に駐車することができました。
もっとも、終演後の規制退場やトイレの混雑のおかげで、そのメリットを十分に享受できたわけではありませんでしたけど…

現地に13:00に到着したということは、開場まで3時間開演まで4時間もあります。
さて、どうしようか? 

1時間ほどクルマの中でマッタリと過ごしたあと、14:00物販開始の頃合いを見計らって、河口湖ステラシアターへ行ってみました。

おぉ、3公演目にして初めて屋根がオープンしています

そして、リハーサルの音ビシバシ響き渡っています
さすがにこちらは会場の外ですから、ちょっと籠もった感じはあるものの、それでも、「音洩れ」などというレベルではなく、低音たっぷり かつ 各パートの音の分離も聞き分けられる音質
そして、バックバンドの音を突き抜けて響くMISIAの歌声

リハーサルですから、同じ箇所を繰り返したりMISIAもところどころ歌を飛ばしたりもしているのですが、でも、こりゃ楽しい

これが初日なら、ネタバレを避けるべく、そそくさとクルマに戻るところですが、すでに初日・2日目を楽しんでいますし、天候も良いので、そのまましばらくリハの音に耳を傾けました。

と、初日・2日目には聴けなかった「あの曲」、私のお気に入りの曲が始まった
さらにもう1
この曲では、いつもなら地声で歌うフレーズを、MISIAファルセットで歌っています
歌い方を変えて披露するのか、それとも、リハだからとセーブしているのか、どっちなんだろ?
それよりも、この2曲を今夜歌うのか?

それにしても、リハの「音洩れ」でこれだけ聴かせて楽しませてくれるなんて、このバンド、そしてMISIA実力たるや…

というところで、旅行記ダイジェスト完結です。

「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」ツアー始まったばかりで、ネタバレせずにどこまで書けるか、検討&工夫して、そして、旅行記本編を書き始めます。

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MISIA星空のライヴ絡みのドライブ旅行ダイジェスト #2

2021-05-01 23:39:24 | MISIA/旅行記

「MISIA星空のライヴ絡みのドライブ旅行ダイジェスト #1」のつづきです。

「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE」河口湖公演2日目が終わり、私は御殿場のホテルでまったりしております。

ということで、3泊4日ドライブ旅行3日目ダイジェストでございまして、まずはきょうの旅程

ホテル(諏訪)⇒ナビの指示する地方道諏訪大社上社本宮⇒県道16号⇒R152⇒諏訪大社上社前宮⇒R152⇒山寺上⇒県道17号⇒南大塩⇒縄文の道⇒尖石縄文考古館⇒縄文の道⇒南大塩⇒県道17号ほかナビの指示する地方道⇒諏訪南IC中央道双葉SA中央道大月JCT中央道富士吉田線河口湖IC⇒R139⇒スバルライン入口⇒県道707号⇒富士吉田IC西⇒名も知らぬ地方道⇒河口湖ステラシアター専用駐車場⇒徒歩河口湖ショッピングセンターBELL⇒徒歩河口湖ステラシアター専用駐車場⇒徒歩河口湖ステラシアター(MISIA星空のライヴ)⇒徒歩河口湖ステラシアター専用駐車場⇒名も知らぬ地方道⇒富士吉田料金所東富士五湖道路須走IC⇒[内緒]⇒ホテル(御殿場)

きょうは、観光サイドでは、2015年7月(記事はこちら)以来の諏訪大社上社の本宮

前宮に参拝し、

2016年5月以来、3度目となる尖石縄文考古館愛しの土偶さまに再会したことくらいで、

目新しさありませんでした

なにせ、きょう一番のタスクは、一昨日の轍を踏むことなく、河口湖ステラシアターの専用駐車場にクルマを駐めることでしたので

そして、きょうは13:25には河口湖ステラシアターに到着し、専用駐車場に駐めることができたのでした

ところが誤算がありました。
「#1」で、

開場の2時間前までに河口湖ステラシアターに到着すれば専用駐車場を使える」が正しいみたいです。

と書いたのですが、きょうは14:00前専用駐車場が満車になり、町民グラウンドにクルマを入れ始めました。
私の仮説1日にして覆されるとは、MISIAの公式HPが、「駐車場が満車になる可能性がある」警告を発したのも影響しているのかもしれません。

私の記述を信じて「話が違うお怒りの方がいらっしゃいましたら、衷心よりお詫び申し上げます。

   

さて、メイン中のメイン「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE 」河口湖2日目は、ネタバレを回避しつつ端的に表現すれば、

サプライズアクシデントてんこ盛り一期一会究極ライヴ

あるいは、

雷鳴とどろき稲妻天を駆ける中で繰りひろげられたを噴くセッション

とでもなりましょうか…

一昨日の初日素晴らしかったのですが、きょうのライヴは、それに輪をかけて、、

ん~~~書きたいけど書けない
明日以降のライヴを楽しみにしている人たちのことを思えば書けません。

でも、これだけ書かせてほしい。
生の音楽生のMISIAは、やはり最高です

つづき:2021/05/03 MISIA星空のライヴ絡みのドライブ旅行ダイジェスト #3 

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