新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

廣重が現代を生きていたら…

2016-04-30 22:26:15 | タウンウオッチング

好天に誘われて、お出かけしてきました。

モチーフ(テーマ)はこちら

歌川廣重「江戸名所百景」から「亀戸天神境内」です。

亀戸天神には一度も行ったことがなかったし、ちょうど「藤まつり」が開催中(5月5日まで)だというので、これだ と出かけたわけです。

初めてJR亀戸駅で電車を降りて、あらかじめイメージしていたルートで亀戸天神を目指しました。

もっとも、ルートを知らなくても、人の流れに沿って歩けば、自動的に亀戸天神にたどり着ける、それほど結構な人数の人たちが亀戸天神に向かって歩いていました。

そんな状況から予想していたとおり、亀戸天神も出て、大変な賑わいでした。

ところが、肝心のは盛りを過ぎていまして、かなり寂しい

見頃は先週末だった模様です。

それでも、藤の花を観賞し、

そして、お参りしてきました。

普通、天神さんにお参りするのは、梅が咲く季節受験シーズンでもある)なんでしょうけれど、亀戸天神に限っては、今の時期も「旬」のようです。

ところで、亀戸って、初めて訪れたわけですが、その名のとおり、多い し、デカい

 

そして、もう一つ、印象的だったのは、東京スカイツリー近いこと

もしも廣重が現代を生きていて、「名所東京百景」を描くとしたら、現在の亀戸天神も選んでいただろうな…

例えば、こんな構図とか…

そういえば、私、まだ一度も東京スカイツリーに登ったことがない

「どうせ登るなら、視界のクリアなだろう」と思いつつ今日に至っていますが、初登頂はいつになるのでしょうか?

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世間より一足早くゴールデンウィーク(後編)

2016-04-29 11:10:05 | 美術館・博物館・アート

「世間より一足早くゴールデンウィーク(前編)」のつづきも、「生誕300年記念 若冲展」を観ようとしたものの、東京都美術館前のあまりの人混みビビって、代わりに行ってきた東京国立博物館(トーハク)での見聞録です。

迫力満点の300インチ大型スクリーンに超高精細(ハイビジョンの約4倍)4K映像が映し出されます。ナビゲーターによるライブ上演でVR作品をお楽しみください。

というトーハクのミュージアムシアター「総合文化展(平常展)なら有効期間中はフリーパス」東京国立博物館パスポートを持っていても別料金500円が必要となりますが、わたしはちょくちょく観に行っておりまして、昨日も観て参りました。

現在「上演」されているのは、

「国宝指定決定記念 特別VR上演 洛中洛外図屏風 舟木本」の「前期 京散策四条河原から方広寺編」です(5月29日まで)。

これが面白かった

これまで何度も実物複製トーハクで拝見して、その「見どころあり過ぎに感嘆してきた「洛中洛外図屏風 舟木本」で、ミュージアムシアターでも「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」を観たのですが、何度接しても新発見があるし、何よりも楽しい

「162.7cm×342.4cm×1双」の特大画面に、恐らく東寺の五重塔から見下ろす視点から描かれた17世紀初頭京の街並みと、2500人もの「生きている人々」

いったいどれだけのドラマが閉じこめられた作品なのか、呆然としてしまいます。

そして、大スクリーン超拡大してもクリアな画像にも感心
美術作品デジタル化して保存することの意義深さにも感じ入ったのでありました。

「ドラマ」といえば、「洛中洛外図屏風 舟木本」の作者・岩佐又兵衛は、2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも、「絵の上手な男の子」として登場していましたっけねぇ…
岩佐又兵衛の父親は、戦国武将・荒木村重。村重は織田信長謀反を起こし、その結果、数百人もの一族郎党が信長によって殺害されたという人物なのですが、数少ない生き残りの「一族郎党」が、村重本人岩佐又兵衛だったというのですから、凄いお話です。
村重の妻岩佐又兵衛の母親(実際のところは不明らしい)だしを演じていた桐谷美玲がむちゃくちゃキレイでした…

「国宝指定決定記念 特別VR上演 洛中洛外図屏風 舟木本」の「前期 京散策四条河原から方広寺編」の上演は5月29日まで6月1日から7月10日まで「後期 京散策寺社めぐりと二条城編」が上演されるそうで、こちらも行こうっと

そうそう、「国宝指定決定記念キャンペーン!」として、GW期間中(4月20日~5月8日)は、小・中学生は無料(通常300円)だそうですぞ。

   

「洛中洛外図屏風 舟木本」の現物は、 「平成28年新指定国宝・重要文化財」の一つとして、本館8室(2F)で展示されていました(国宝指定名は「紙本金地着色洛中洛外図 岩佐勝以筆 六曲屏風 一双」らしい)。

今年、国宝や重要文化財に指定(格上げ)された作品は、彫刻が本館11室(1F)、その他が本館8室(2F)に展示されていまして、私が最もときめいたのは、[彫刻の部]「重要美術品に文化財を追加して重要文化財に」なった宝山寺所蔵の「木造不動明王及び脇侍像」から選抜展示(?)されていた矜羯羅(こんがら)童子制多迦(せいたか)童子像でした

杖に肘をついた物憂げな矜羯羅童子とやや腰をかがめて合掌する制多迦童子、どちらもステキなポーズで、活き活きとしていて、そしてかわいらしい

作者は江戸時代の仏師院達(いんだつ)だそうですが、これほど見事江戸時代の彫刻作品を拝見したのは初めてでした

こちら「1089ブログ」には院達「小野篁像」について、

小野篁像は元禄2年(1689)、当時の六道珍皇寺住職、大昌院塔主(たっす 塔頭の主)で建仁寺首座( しゅそ 修行僧の筆頭)である石梯龍艮(せきていりょうこん)が仏師院達に注文して造らせたものであることがわかりました。篁・冥官・獄卒の3躯ともなかなか優れた出来栄えで、一見鎌倉時代の作のようにも見えます。院達は江戸時代屈指の巧匠と言えます。

と書いていますが、矜羯羅童子像制多迦童子もまさしくそのとおり でした。

今度関西に行くときには、宝山寺に出かけて再会せねば

ところで、現物が大きすぎパネル展示だった「作品」もありました。

それは、[歴史資料の部] 「文化財を重要文化財に」なった氷川丸233号機関車
さすがに蒸気機関車トーハクで展示するのは難しい氷川丸の場合は不可能

233号機関車は、めでたくきょう開館する「京都鉄道博物館」で所蔵されていますが、私は、2014年1月閉館が間近に迫った交通科学博物館(記事はこちら)で現物を拝見いたしました。

もう1枚、233機関車の運転席。

「交通科学博物館」の説明板によれば、

明治36(1903)年、大阪汽車製造合資会社の初期の製品で、当時の短距離列車用汎用機として大量に輸入された英国製A8系、軸配置1B1形のラジアル・タンク蒸気機関車(先従輪が線路の曲線に従って左右に移動できる構造で、急曲線の通過が容易)を忠実に模倣した設計であった。ただし、当時の日本では鋼材の生産能力がなかったためにそのすべてが輸入であり、とくに車輪、車軸、煙管などは完成品を輸入して組み立てられた。

だそうです。「忠実に模倣しつつも、重要部品どころか鋼材も自作できずに輸入品に頼ったなんて、今は昔のお話ですなぁ~
ちなみに、日本で最初に高炉を使った近代製鉄が始まったのは釜石鉱山田中製鉄所1886年日清戦争で得た賠償金をもとに建てられた八幡製鉄所(当時は「製鐵所」という名称だったらしい こちらの記事をご参照方)の操業開始は1901年ですからねぇ~

「京都鉄道博物館」にも出かけてみねば

   

ところで、この記事の最後の部分を書くにあたって、八幡製鉄所の流れを汲む新日鐵住金HPを覗いてみたんですが、「沿革」の記述が酷い 1950年「八幡製鉄株式会社発足」から始まっているんですから

投資家から集めたお金土地や設備を買い工場を建てて操業を始めたわけでないのですから、この記述はあまりにもお粗末だと思うのですが…
もしかして知られたくないのでは…と勘ぐられますぞ

   

さて、昨日と打って変わって、何とも気持ちの良い天気

きょうも外出するとしますか…

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世間より一足早くゴールデンウィーク(前編)

2016-04-28 22:51:54 | 美術館・博物館・アート

世の中一般的には、明日、4月29日からゴールデンウィークに入るわけですが、私の場合、一足早く、きょうからゴールデンウィーク突入しました

初日のきょうは平日ですから、どう使おうか考えた結果、まずは貯金箱に貯まった1円玉と5円玉を銀行口座に入金して(土日祝日ATMから現金の入金ができない)、次に、上野に向かいました。
混雑必至「生誕300年記念 若冲展」を観ようというわけです。

ところが、上野駅に着いて、ホームから公園口に向かって歩いて行きますと、コンコースの展覧会チケット売場長い行列が…
もしや… とちょいと不安に感じつつ、上野公園に足を踏み入れると、「平日」にもかかわらず、かなりの人出
そして、多くの人たちに向かう先は、「若冲展」が開催されている東京都美術館でした

あれまぁ~ です。

私はあっさりと萎え、急遽予定を変更して、行きつけ東京国立博物館(トーハク)へ向かいました。
トーハクでは、この時期恒例の「新指定国宝・重要文化財」が開催中ですし、特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」が始まったことですしね。

そしてトーハクの構内に入ると、 閑散

最初に観た本館18室「近代の美術」(まずトイレを目指しました)なんて、

ほとんど独り占め の境地でした。

しかし、というか、しかも、展示されていた上村松薗「焔(ほのお)」が素晴らしかった

女性の怨念を象徴するかのような蜘蛛の巣藤の花をあしらった着物が見事です。

この季節にぴったりの「藤の花」、本館10室の浮世絵の展示は、「藤づくし」といった風で、さすがはトーハクだと思いました。

左の作品は鈴木春信大好き)の「浮世美人寄花(うきよびじんはなによす)・南の方松坂屋内野風(みなみのかたまつざかやのかぜ)で、説明板によりますと、

南の方、すなわち品川の遊郭松坂屋の遊女、野風を描いている。雲形内には「君が代の松にかヽれる藤なれば 千たび咲べき花かとぞ思ふ」(宝治百首)とあり、壁には藤の花が飾られている。野風藤の花に寄せている。

だそうで、「遊女・野風さん」といえば、「JIN -仁-」を思い出します

もう1点、藤の花絡みの作品を。

今、もっとも「旬な文様「市松紋」に見えるチェッカー模様は、「石畳文」だそうで、

斜めに配した石畳文をで型染にし、桐の葉を紅の鹿の子絞りで、桐の花を金糸や紅の絹糸で刺繍する。背面の左腰にやや空間を残し、前身に華やかな王朝風の模様を表した、いわゆる「元禄小袖」である。桐の花「踊り桐」とも称される。

と、、、、あれ? これは藤の花ではなく桐の花ですか…

締まりの無いお話ですが、きょうはここまで

つづき:2016/04/29 世間より一足早くゴールデンウィーク(後編)

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祝 記事2400本!

2016-04-23 07:41:07 | 日記・エッセイ・コラム

気がつくと、先週日曜日の記事「FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)」が、このブログ通算2400本目の記事でした。

と、なれば、恒例「キリ番」記事です。

まずは、2400本目までのキリ番一覧から。

100本目
200本目
300本目
400本目
500本目
09/04/05
09/06/19
09/09/02
09/11/16
10/01/29
73日間
74日間
73日間
74日間
73日間
  花見に行ってきました
イントゥザライト、出走!
「火の鳥」第1・4巻を持ち帰った
エゾシカの寿司!?
J.D.サリンジャーの訃報
600本目
700本目
800本目
900本目
1000本目
10/04/24
10/07/23
10/10/16
11/01/16
11/04/17
85日間
89日間
83日間
90日間
91日間
  あれ? 「のだめ24巻」がきょう届く?
「空頭」って?
大宮を出発
アールデコの楽園であ~る
さすがに北海道は寒いぞ
1100本目
1200本目
1300本目
1400本目
1500本目
11/08/05
11/12/11
12/03/28
12/07/22
12/11/26
108日間
126日間
107日間
114日間
124日間
  頼朝さんはかっこよかった!(その4:完結編)
これから帰ります
今日の通勤"も"往復とも散々…
フェルメールの2点の「真珠」が上野に来訪中(その6)
予定を変更して…
1600本目
1700本目
1800本目

1900本目
2000本目
13/03/25
13/07/31
13/12/14

14/04/01
14/08/11
119日間
126日間
134日間

107日間
130日間
  MISIA星空のライヴVII 東京2days(ネタバレ大あり)
相変わらずコメントスパムがやって来る
MISIA 星空のライヴVII 秋田公演は実質的に「アレックス追悼公演」でした
きょうにうってつけのニュースを発見
徒然煙草@「徒然草」展 (後編)
2100本目
2200本目
2300本目
2400本目
14/12/31
15/06/04
15/11/22
16/04/17
140日間
156日間
166日間
145日間
  MISIAのプレイリストをつくってみた
名古屋旅行記(その17)
今年二度目の関西旅行記(その12)高野山編⑤
FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)

そして、ジャンル別の記事本数、通算のランキングに変動がありました。

1位:美術館・博物館・アート 598本、2位:旅行記 584本、
3位:MISIA 576本、4位:日記・エッセイ 552本、5位:ニュース 255本

と、「美術館・博物館・アート」が初めての1に上昇し、1~2300本目でトップだった「MISIA」3位ダウン また、ずっと「MISIA」首位を競ってきた(?)「日記・エッセイ」はさらに順位を下げて4位

一方、2301~2400本目の直近100での順位はほぼ予想どおりで、

1位:旅行記 61本、2位:美術館・博物館・アート 30本、
3位:
日記・エッセイ 8本、4位:タウンウォッチング & MISIA 7本

となり、ほぼ3本に1本旅行記だったという寡占ぶりでした。
そりゃそうですよね、「半年前の信州旅行記」シリーズ全47本+番外編が、ここに集中しているのですから…

さて、気がつくと、来週末から1週間半にも及ぶゴールデンウィークが始まります(ちょっと焦ってもいる)
今のところ、「MISIA星空のライブIX」@河口湖遠征(2泊3日)しか予定がないのですが、この11連休がブログのジャンル別順位にどのような影響を与えるのか興味津々、、、、、でもなかったりして…

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祝 16万km突破!

2016-04-22 22:50:16 | 日記・エッセイ・コラム

きょう、帰宅したときの私のクルマ積算走行距離は、

160,035km

でした。

予想どおり、きょうの帰宅時に16万kmの大台を超えたのですが、「そのとき」R246川崎市高津区赤信号に引っかかることなく走行中でして、梶ヶ谷交差点赤信号で停まったときには既に「160,001km」になっていました

そこで、その直前、信号待ちした宮崎小入口交差点で撮った写真(159,999km)を載せておきます。

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デジカメではなく、使いこなせていない「なんちゃってiPhone」で撮ったもので、デキの悪さはご容赦くださいませ m(_ _)m

このブログでは、私のクルマ積算走行距離ネタを何度も書いてきました。

例えば、「77777km」とか、「99999km」と「100,000km」とか、「123456km」とか…

でも、この記事最後なんだろうな…

私のクルマは、2ヶ月後6月末9年目車検を迎えます。

総走行距離16万kmを超えてもなお、エンジンを始め、車体はまだまだ元気一杯、かつ、スムーズこの上ないのですが、シートへたりを感じるようになってきました。

生真面目に1万km毎にエンジンオイルを、2万km毎にオイルフィルターを交換してきたほか、欠かさず12か月点検を受けて、丁寧に乗ってきたものですが、ここから先はどの部品が悲鳴を上げるのか判らない頃合いですから、そろそろ乗り換えのタイミングかと思うわけで…

   

私、これまで、給油するたびに、走行距離記録していました。
そこで、約300回の給油を記録したデータからグラフを作ってみました。

横軸が「日」で、縦軸が「積算走行距離」です。

線の「傾き」が、2011年4月を境にしてまるで違っていることが一目瞭然です。

東日本大震災から間もない2011年4月からクルマ通勤を開始して、コンスタントに「年間3万km」ペースで乗り続けたことがくっきりと現れておりますな。

さらにじっくりとこのグラフを眺めると、めちゃくちゃ傾斜の緩い2007年7月から2011年4月までのラインが、ところどころでぴょこんと上に跳ねているのが見てとれます。
これは、帰省ドライブを示しているわけでございまして、ただの数字の並び(デジタル)グラフ(アナログ)にしてみると、デジタルでは判らなかったものがアナログでは実感できるという面白さを感じたりして…

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FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (後編)

2016-04-21 23:58:51 | 美術館・博物館・アート

「FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (中編)」のつづき、先週末の埼玉県立近代美術館(MOMAS)見聞録の完結編です。

「御八歳」にして写真に魅入られたジャック=アンリ・ラルティーグですが、

60年以上の間、外部に写真を発表したのは数えるほど、自分の楽しみのために写真を撮っていたラルティーグがアメリカ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で写真家としてデビューを飾ったのは、69歳のときでした。(図録より)

そして、

アメリカで初めて紹介されたその写真を見た人々が驚嘆したのは、輝かしい、しかし既に失われてしまった20世紀前半のフランス、そして、確かに生きていた人々の姿でした。

だそうです。

二種類あるこの展覧会のフライヤーからも引用いたしますと、

幸せな瞬間がすぐに目の前から消え去ってしまうのを幼いころから恐れていたラルティーグは、そうした瞬間を残していけるカメラという新しい“魔法の機械”に夢中になり、生活のあらゆることを毎日写真におさめました。なかでも、スポーツやジャンプ、自動車、飛行機といった様々な動きをとらえることへのひときわ高い関心や、心霊写真のような写真ならではの表現へのあくなき探究心は、ユニークで鋭い視点の作品を生みだしました。また、家族や友人、恋人の幸せに満ちたすがたを愛情深くとらえた作品も多くのこしています。

とあります。

展覧会のタイトルそのままに、家族や友人、恋人の「幸せ」に満ちた「瞬間」をとらえた写真を観るのは、「御同慶の至り」というか、こちらもニコニコしてしまいます。

で、私のお気に入りになった作品をご紹介

まずは、一押ししたいこちらの作品

「ラルティーグの家族と自動車『イスパノ・スイザ』 ルルー通り、パリ 1922年」という作品です。

写っている自動車「イスパノ・スイザ」は、現代の感覚からすればクラシック・カーですが、この写真が撮影された当時は、最新式高級車

その辺の時代感覚がグシャグシャになる感じが、めまいのように頭の中をかき混ぜるのも、ある意味、快感でした。

人や動物が空中に止まっている「瞬間」だけでなく、こんなスナップ写真も、時代の「瞬間」を切り出しているんじゃなかろうか…

そういえば、上に引用した図録のからの文章に、

輝かしい、しかし既に失われてしまった20世紀前半のフランス、そして、確かに生きていた人々の姿

というのがありましたっけ…

例えば、「101匹わんちゃん」のクルエラを連想してしまう、こちら

「『アンナ・ラ・プラドヴィナ』」と呼ばれたアルレット・プレヴォ、連れている犬はシシとゴゴ」という長いタイトルのこの写真は、1911年1月15日パリの「ブローニュの森通り」で撮影されたのだとか。

もう一丁、

1911年6月23日にパリのオートゥイユ競馬場で撮影されたそうですが、「マイ・フェア・レディ」の一場面みたい
ちなみに、時代としてはほぼ一致しています。

そして最後に紹介するのは、カラー写真

妙に惹かれてしまいました。
数人目の奥様フロレットを撮った作品です。

うん、うん、良い

   

ところで、「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」を観ていて、ふと頭に浮かんだのは、植田正治さんの作品群でした(こちらの記事をご参照方)。

基本的に「アマチュア・カメラマン」を通したこと、家族を撮り続けたこと、スナップではなく意図を持った写真を撮ったこと、そして、またまたMISIA「Escape」のジャケ写を連想したことなど、なんとなく共通点が多いような気がしたのです。

そして、「ラルティーグ」「植田正治」でググってみると、、、あれま2013年11月~14年1月にかけて、東京都写真美術館「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」が開催されていました
知りませんでした…

それはともかく、企画展「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」5月22日まで開催されていますから、もう一度行ってみたいと思っています。

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FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (中編)

2016-04-19 22:48:49 | 美術館・博物館・アート

「FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)」のつづきは、当然ながら埼玉県立近代美術館(MOMAS)で開催中の企画展「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」のお話です。

私が初めてラルティーグという写真家を知ったのは、2008年末に千葉市美術館で開催された「国立美術館所蔵による 20世紀の写真」で観たこの作品でした。

「20世紀の写真」展のフライヤーにも使われたこの作品(Automobile Delage, grand prix de I'A.C.F., Le Tréport, 26 juin 1912)、なんてカッコイイ写真なんだろうか と感服いたしました。

傑作ぞろいの「20世紀の写真」展の中でもひときわを放っていたのが、ジャック=アンリ・ラルティーグのこの作品でした。

ちなみに、私が、当時は休日にしか乗っていなかった愛車を運転して、はるばるま千葉で出かけたのは、「20世紀の写真」展一番のお目当てだったわけではありませんで、2008年12月13日幕張で開催された「THE TOUR OF MISIA DISCOTHEQUE ASIA」(アリーナツアーの)公開ゲネプロに出かけるついででございました

   

さて、こんな出会いのきっかけになったこの作品ラルティーグの代表作の一つとして、「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」展でも展示されていました。
それはいいとして、驚いたのは、ラルティーグ生年月日と、Automobile Delage, grand prix de I'A.C.F., Le Tréport, 26 juin 1912が撮影された日、「1912年6月26日」との関係でした。

ラルティーグが生まれたのは1894年6月13日ですから、引き算をすれば、ラルティーグ18歳になったばかりの頃に撮ったことになります

なんと早熟

と驚きますが、ラルティーグ「写真家としてのキャリアは18歳の時点でも短くなくて、父親から「15cm×18cm 木製カメラを買ってもらって、写真を撮影して、現像までするようになったのは8歳の時だというのですから、驚きです。
落語の「雛鍔」の一節を借用すれば、「御八歳」ですぞ

右の写真は、1903年ラルティーグ8~9歳の頃のもの(撮影者はラルティーグのパパ)ですが、最前列で、その木製カメラを大事そうに抱えてニコニコしているラルティーグかわいいですなぁ~。

もう、カメラ大好きで大好きで という感じが伝わってくる笑顔です。

いい写真だなぁ~

   

この記事の完結はになるのですが、とり急ぎ、印象的だったこちらの写真を載せておきましょう。

地上でアイドリングしている飛行機の右側に立っているジスー(ラルティーグのお兄さん)の姿を撮った写真(1911年)だそうですが、この写真を観て連想したのが、こちら

MISIA「Escape」ジャケ写であります。

「MISIA星空のラジオ」の時間が近づいていることでもありますので、今夜はここまで。

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FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)

2016-04-17 22:24:37 | 美術館・博物館・アート

昨日、埼玉県立近代美術館(MOMAS)に出かけてきました。

北浦和公園での新緑八重桜コラボ気持ち良かったのですが、もちろん、お目当ては先週、4月5日に始まった企画展「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」でした。

実は、先週観に行こうかとも思ったのですが、ほぼ常設展「MOMASコレクション」がこの土曜日から展示替えになるというので、1週先延ばしにした次第です。

そんなわけで、まずは「MOMASコレクション 第1期」から鑑賞いたしました。

と、これが、楽しかった

今期の「MOMASコレクション」3部構成になっていまして、MOMASの誇る近代洋画の名品が勢揃いカミーユ・ピサロ「エラニーの牛を追う娘」上野に出張中)した「1. モネとかピカソとか」は、私にとってはお馴染みの作品ばかりでしたが、それでも、やはり良いなぁ~と思ったし、一つ飛ばして「3. 小村雪岱の版画」は、私の大好きな画家の作品ですから、これまた眼福 ってやつでした。

そして、「一つ飛ばし」た「2. re-presentaiton イメージの継承と創造」極めつき

HPでは簡単に、

見立て、引用、オマージュなど、美術史の中で受け継がれるイメージの展開を紹介します。

とあるだけですが、これがまた、ボリューム内容とも、かなり面白い 大満足 です

例によって「お持ち帰りしたい」作品を選びますと、まずは、福田繁雄(私は「名人として尊敬しています)の「円柱鏡に映ったミロのヴィーナス」

こりゃ楽しい
現物をご覧いただかないことには、この楽しさは判らないだろな…

そして、きのう、最も「お持ち帰りしたい」と思ったのは、初めて拝見した濱野年宏「風神」「雷神」でした

俵屋宗達の名作「風神雷神図屏風」から、衣のたなびきだけを抽出して、それをグラフィカルに、そして軽やかに、でも琳派よろしく金地の上に描いた作品で、ただの「ブラッシュ・ストローク」でありながらも、ホント、「風神」「雷神」なんですよ

私にとって初めてお聞きする「濱野年宏」さんというお名前、この記事を書くべく、ネットで調べてみたところ、あれ これは…
と思い至るイメージがありまして、私の写真コレクションをガサゴソ(音はしない)さがしてみたところ、ありました

in 2014

2014年9月に、「Misia Candle Night」さぬき公演を追っかけて四国に行った際(良い旅行でした…)、

高松から琴平へ向かう途中、坂出駅を通過するときに撮った写真です。

讃岐富士(飯野山)を背景に、金色に輝くオブジェが「濱野年宏」さんの作品らしい。

いやぁ~、奇遇ですなぁ~

ところで、宗達の「風神雷神図屏風」は、右隻に風神左隻に雷神が描かれているのですが、濱野さんの作品は、「風神」が左、「雷神」が右に展示されていました。

この並びで良いのかなぁ…

濱野さん「風神」「雷神」の下に並べて展示されていた笹島喜平さんの「風神」「雷神」の配置(こちらは「拓版」ですから、宗達の配置で間違いはない)に合わせたのかなぁ…

つづき:2016/04/19 FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (中編)

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半年前の信州旅行記(番外編)

2016-04-16 22:45:15 | 旅行記

昨夜、延々と3か月半にわたって書き続けてきた「半年前の信州旅行記」「その47」をもって完結しました。

なかなか先に進めなくて「半年前の信州旅行記」改め「もはや1年前になってしまった信州旅行記」タイトルを変える必要があるかもしれないとまで心配していましたから、ホント、ホッとしています

それにしても、47本の記事3か月半の期間を要した旅行記なんて、このブログ最長なのではなかろうか
そんなことから、過去をふり返ってみたところ、案の上、記事の本数執筆期間とも、最長のシリーズでした

ちなみに、記事の本数第2位2014年のゴールデンウィークの「紀伊半島旅行記」第1回こちら)で33本執筆期間22013年のゴールデンウィークの「肌寒かった関西旅行記」第1回こちら)で3 か月ちょっとでした。
やはり心身とも充実した旅行の思い出話は長くなってしまうようですな

   

ところで、この「信州旅行」往復乗った上田電鉄別所線を除けば、鉄道のルートは見事に「一筆書きになっていました

ルートをおさらいしますと、こんな具合。

最寄り駅⇒埼京線⇒大宮駅⇒北陸新幹線⇒上田駅⇒上田電鉄別所線⇒別所温泉駅⇒上田電鉄別所線⇒上田駅⇒北陸新幹線⇒長野駅⇒篠ノ井線(ワイドビューしなの)⇒松本駅⇒中央本線(あずさ)⇒茅野駅⇒中央本線(あずさ)⇒立川駅⇒中央線⇒西国分寺駅⇒武蔵野線⇒最寄り駅

う~む、、、我ながらお見事

   

この「半年前の信州旅行記」は、4つの章で構成されておりますので、ご参考までに、それぞれの章の最初の記事にリンクを貼っておきます。

2016/01/01 上田編(その1)
2016/01/11 善光寺編(その1)
2016/02/02 松本編(その1)
2016/03/09 茅野編(その1)

あ、そうだ
旅行当日「ダイジェスト版」にもリンクを貼っておこう

2016/07/18 ダイジェスト(初日・前半)
2016/07/18 ダイジェスト(初日・後半)
2016/07/19 ダイジェスト(2日目)
2016/07/20 ダイジェスト(最終日・前半)
2016/07/22 ダイジェストのダイジェスト

   

結構印象的な旅行を決行してきたゴールデンウィーク(去年は地味帰省していました)今年は、今のところ「MISIA星空のライヴIX」河口湖 3daysしか予定していません。

で、ゴールデンウィークまっただ中富士周辺というのはホテルをとるのが大変なわけで、私は、自宅に帰るよりはマシといった程度の、1泊目:甲府2泊目:長泉のホテルを確保(というか、河口湖周辺では予約できなかった…)しました。

ただ、3days2日目は、甲府から茅野までドライブして、再び尖石縄文考古館に出かけよう と算段していたのですが、実は5月4日は、諏訪大社上社御柱祭里曳き当日(2日目)で、中央道・諏訪IC出口付近は渋滞必至とのこと。

なんとか尖石縄文考古館に行けたとしても、ライヴ(2日目)が始まるまでに河口湖ステラシアターに行けなければ、本末転倒なわけで…

さて、どうしようか… という状況です。

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半年前の信州旅行記(その47・最終回)

2016-04-15 21:58:47 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その46)茅野編 16」のつづきです。

尖石縄文考古館では、「縄文教室」という体験学習が行われています。

尖石縄文考古館では、粘土を使った土器や土偶づくり体験ができます(有料)。また、縄文時代のものづくりを体験する講座も企画・開催しています。縄文時代の暮らしぶりを知ることのできる映像や体験型の展示も用意しています。

だそうで、私が訪問した時には、「縄文教室3『国宝「土偶」を作ってみよう』」が開講中で、結構な数の人たち実物大「仮面の女神」を製作していました。

私も体験してみたいところでしたが、「仮面の女神」の場合、「本体製作」「模様付けと磨き上げ」、そして「野焼き」3回に分けて開講される上に、事前の申し込みが必要なんだそうで、「一見さんの私には到底無理な話でした
それにしても楽しそう「教室」です。

「有料」とありますが、受講料「800円(入館料含む)」ですから(ちなみに尖石縄文考古館の入館料は500円)、気軽に尖石縄文考古館に出かけられる人たちにとってはかなり「お手軽価格」で、ますますもってうらやましい

   

私に与えられた尖石縄文考古館での滞在時間は、「その42」で書いた路線バスのダイヤの都合で、1時間ちょっと

そそくさと「その44で書いたように「尖石・与助尾根遺跡」を見物すると、もうタイムアップ

やって来た路線バス(車内は八ヶ岳帰りっぽい乗客が乗っていらっしゃいまして、結構汗臭かった…)に乗って茅野駅に戻りました。

そして、特急「あずさ26号」に乗って帰路についたわけですが、「3連休最終日の夕方の上り」だけに、「あずさ26号」の指定席満席
あらかじめ指定席をとっておいて良かった…

そしてそして、日没前に、最寄り駅に帰り着きました

最寄り駅から自宅までの道すがら見えた夕焼けのなんとキレイだったことか

信州旅行の最後の写真

この「半年前の信州旅行記」を書き始めたのは今年の元旦で、全編で47本、完結まで約3か月半もかかってしまいました。
わずか「2泊3日」小旅行だったのにネ…
これほど濃密かつ印象的な旅行って、そうそうありませんゾ

そもそものこの旅行の主目的だった「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOUNEY-」上田公演も含めて、大満足の旅行でございました。

めでたし、めでたし

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