新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

HDDのケースはかなりハードだった

2015-03-30 05:57:10 | 日記・エッセイ・コラム

先々週辺りから、外付けHDDの調子がおかしくなっていました。

私は、撮った写真のオリジナル微妙な露出やピントの写真を含む)を、まずNASに保存して、同じモノを外付けHDDに保存しているのですが、NASから外付けHDDにコピーできたりできなかったりしていたのです。
そして、やがてPCに表示されたのは「認識できません」のメッセージ・・・

それ以降は、何回トライしても、何回PCを再起動してもダメ

クラッシュしてしまったようです。

写真や音楽、そして文書といったデータ類は、PC本体NASのどちらか、または両方に保存してありますから損害はありませんでしたが、ダウンロード購入したソフトウエアは完全に閉ざされた扉の先にあります

この外付けHDDは、買ってから3年弱ですから、それほど古いものではありません。
なのにどうして

ネットで「HDD 寿命」をキーワードにググると、5年以上使っても大丈夫の人もいれば、購入早々にクラッシュした人もいて、「標準寿命」みたいなものはないみたい。
やはり「機械もの」ですから、当たり外れがあるのは仕方ないのでしょうなぁ・・・

その辺、あきらめの良い私は、損害ダウンロード購入したソフトウエアだけなこともあり、さっさと新しい外付けHDDを買ってきて、すぐさまNASPC本体に保存してあるデータをコピーしました。いつNASPC本体がクラッシュしても良いように・・・。

   

つづいての作業は、壊れた外付けHDD物理的な破壊です。
このまま「燃えないゴミ」で出した場合、特殊な技能を持つ人に拾われて、保存したデータが読み取られる可能性は皆無ではありませんからねぇ。

というわけで、外付けHDD分解を開始

外から見えるネジや、ゴム足とかラベルの陰に隠されたネジを外して、HDD本体にたどり着くのはさほど難しいことではありませんでした

HDD

ところが、ここから先は特殊な工具ダビデの星のような先端を持つドライバー)が必要でした。

電子工作なんてしない私が、こんな工具を持っているはずもありません。
高価なものではなそうですけれど・・・。

AC6088A 38in1特殊ドライバーセット トルクス ヘクスローブ 六角棒 Y型 三角ネジ 五角 ペンタローブ プラス マイナス iphone5 アイフォン ハッピーセット コンパクト
アカウント株式会社
アカウント株式会社

そこで、次善の策として、ケースにを開けて、中のディスク破壊することを試みることにしました。

先がつぶれかかった古い安物ドライバー鏨(たがね)代わりにして、ディスクがある辺りに見当をつけて、ガンガンと叩き込みました

ところが、いくら安物ドライバーガンガン叩き込んでも、HDDのケースは、ちょっとへこみはするものの、穴が空く気配は全くなし

なんという頑丈さでしょうか

鏨作戦をあきらめて、今度は大型プライヤーを使ってケースを捻り破る作戦に出ました。
テコの原理を応用しつつグニグニすることで、なんとか一部だけ開封できました

ここが行き止まり

ところが、そこから先は、ケースはびくともしません
薄っぺらい鉄板なんですけどねぇ・・・

とりあえず、壊せる部分は壊して、HDD破壊作戦はこれで投了

こんな状態のHDDを読み取ろうとする人なんてそうそういないだろうし、仮に読み取られたとしても、実害はないはずですから。

というわけで、大事なデータは、PC外付けHDDがいつ壊れても良いように、複数のメディアにバックアップしておくことをお勧めいたします。

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「若冲と蕪村」展のこと

2015-03-29 09:23:09 | 美術館・博物館・アート

きのう出かけてきた「若冲と蕪村」展@サントリー美術館のことを書きます。

「生誕三百年 同い年の天才絵師」という副題が掲げられたこの展覧会、

正徳6年(1716)は伊藤若冲と与謝蕪村が誕生し、江戸時代の画壇にとって、ひとつの画期となりました。(中略)
若冲は彩色鮮やかな絵や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人がの技法による山水図や簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕三百年を記念して開催するもので、伊藤若冲筆《象と鯨図屏風》や92年ぶりにその存在が確認され、展覧会に初めて出品される与謝蕪村筆《蜀桟道図》をはじめ、若冲と蕪村の代表作品や関連作品を展示いたします。

というものなのですが、私としてはちょっと・・・という印象でした。

まず、思いのほか、というよりも、サントリー美術館の展覧会としては「いつものように」という感じでかなり混んでいて、展示ケースの下側に置かれた説明板を読むのもやっとという状況にちょっと心が萎えました
東京国立博物館が特別展でやるように、透明シートに印刷したものを展示ケースのガラスに貼りつける方法だと見やすいと思うのですけれど、この展覧会のように巡回展(2015/7/4~8/30 @ MIHO MUSEUM)がある場合は仕方ないのかもしれません

まぁ、それは些細なことでしょうけれど、そもそも若冲蕪村「二人展」にどれだけの価値や意味があるのか、私には理解できませんでした

確かに二人は同時代に活躍して、しかもご近所同士だったそうですが、直接的な交友は確認されていないというし、そもそも画風や活動領域がかなり違う

図録の冒頭に辻惟雄さんがこのように書かれています。

若冲、応挙、大雅、蕪村という、18世紀京画壇の巨匠たちは、互いに身近にありながら、というよりそれゆえに、互いに他と異なる新しい画風の工夫に余年がなかった。ライバル関係だったゆえの疎遠さは当然ありえただろう。だが実際に、応挙と蕪村の間には付き合いがあった。応挙は若冲に興味をもち、天明大火直前に、伏見の石峰寺の石彫「五百羅漢」の見物かたがた、若冲と面談している。(中略)一方、若冲と蕪村との間には何も残されていない。なぜか。その理由は定かではないが、興味をそそる問題には違いない。これについて小林忠氏は「蕪村は文の人、若冲は画の人」という、含蓄ある言葉だ。細かくいえば、蕪村は文と画の両刀遣い、若冲は画一本の人ということになるだろうか。

そんな二人の作品を一緒に並べることで、若冲と蕪村との関係があぶり出されるのならば意味も価値もあったのでしょうけれど、この展覧会は、ただ異種の作品が混じり合って展示されているだけの感じでした。

純粋に「二人の絵師」の二人展して観れば、格が違っていて異種格闘技にかりだされた蕪村がかわいそうな気がしました。

たしかに、「鳶・鴉図」とか、

「山水図屏風」を観ると、

蕪村相当な画力をお持ちだとは思いますが、若冲外連味たっぷり「雪中雄鶏図」とか、

無数の梅花月光を浴びて画面から飛び出してくるような「月夜白梅図」を観ると、

もしも蕪村が生前にこの展覧会の企画を持ちかけられたら、素直に賛同したのか、はなはだ疑問です

というわけで、個々の作品を取りだしてみれば見どころは多かったのですが、ちょっと期待ハズレ「若冲と蕪村」展でした。

なお、記事中の画像図録から拝借しましたが、現物とはちょっと違う印象です
現物の方が遙かに心に響いてきたのは、いうまでもございません

   

帰りがけ、美術館併設のカフェ気になる商品を目にしました。

サクラの花びらの形をした「ふやき」をお椀に入れてお湯を注げば、「春のお吸い物」ができあがるという、その名も「宝の麩 ひとひら」

こちらを連想したのはもちろんのことです

 桜ひとひら
 MISIA

Sony Music Labels Inc.

「宝の麩 ひとひら」を買おうか買うまいかしばし迷ったのですが、6個詰めで1,480円、つまり一杯200円以上というご立派なお値段でして、直前に図録 3,000円也を購入したこともあり、結局購入を断念しました。

こちらからオンラインショッピングできるようですので、ご興味を持たれた方はどうぞ

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春ですなぁ~の六本木に行ってきた

2015-03-28 21:25:46 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

「この春は楽しみな美術展が密集」で挙げた、この春に観たい5つの展覧会の先頭を切って、会期末が一番近い「若冲と蕪村」が開催中のサントリー美術館に行ってきました。

私がサントリー美術館に着いたのはちょうど昼食どきで、展覧会を観る前に昼食を摂ろうと、サントリー美術館のある東京ミッドタウンガレリアをウロウロしてみました。

窓越しのミッドタウン・ガーデンきれい

サクラがボチボチと咲いていて、芝生のと共に、いかにも咲き初めらしいピンクが目に飛び込んできます。

気分よく昼食場所を探し始めたのですが、、、ガレリアのレストランはどこもかしこも混んでいるか、ド高いか、ド高いのに混んでいるのいずれかで、適当な場所が見つかりません

ガレリアをウロウロするうち、あれは何だ

もしかして、「サモトラケのニケ」?

近づいて見ても、やはり「サモトラケのニケ」です

やはり

「サモトラケのニケ」といえば、私が一度だけ訪れたルーヴル美術館で、一番「お持ち帰りしたいと思った作品です

ちなみにルーヴル美術館から「お持ち帰りしたい」と思った作品の第2位フェルメールの「レースを編む女」極めて小さな作品で、物理的にはお持ち帰り可能でした)、第3位は名前のないトルソでした。

それはともかく、「サモトラケのニケ」が、どうして東京ミッドタウンにあるのでしょうか?

説明板によりますと、

ルーヴル美術館が所蔵するギリシャ彫刻の至宝、サモトラケのニケは、2013年から修復が施され、2014年7月、大理石本来の輝きを取り戻し、ルーヴル美術館の元の展示スペースに戻りました。日本テレビではこの修復作業を支援してまいりました。
このニケ像は、日本テレビとルーヴル美術館のパートナーシップの象徴です。
日本テレビとルーヴル美術館は、長期的な展望にたった協力関係を築き、2034年までの20年間にわたり、6回のルーヴル美術館展を日本で開催いたします。

だとさ。

なるほど、東京ミッドタウンからほど近い国立新美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」の広報活動の一環なんですな。

確かに、8年半前の段階でも「サモトラケのニケ」ちょっと汚れておりますな(今、改めて写真を見てそう思うだけで、当時は気になりませんでした)。

どうでも良いことですが、下の写真は、きょう、私が着ていったブルゾン「ツレヅレタバコのNIKEです

そうだ、そうだ、「サモトラケのニケ」翼の「外側」は、本物もこんなに「質素な造り」なのでしょうか?

  

結局、東京ミッドタウンで昼食を摂ることを断念した私、一旦、東京ミッドタウンから外に出て、近くのラーメン店昼食をいただきました。
まぁ、味はそこそこって感じでしょうか・・・

そして、サントリー美術館に向かうにあたりましては、せっかくですので、ちょっと前にガレリアの内側から見てとてもきれいだった、ミッドタウン・ガーデンを散策してみました。

見頃までもう一息って感じですな(プリウスのタクシーが余計だった)。
もう一枚

ガレリアのガラスに映ったサクラウルウルで面白かった

そして、ようやく「若冲と蕪村」展に向かったのですが、こちらのお話は稿を改めます

つづき:2015/03/29 「若冲と蕪村」展のこと

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祝 「ブラタモリ」復活!

2015-03-27 23:13:02 | 旅行記/テレビ番組

TVで「ブラタモリ 京都・完全版」を横目で見ながらこの記事を書いています。

NHKのHPによれば、

街歩きの達人・タモリさんが、“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」。
3年ぶりに4月からレギュラー番組として復活します。

だそうで、めでたいことこの上もございません

今年の1月にパイロット版的に「京都編」が放送されると聞いたときには、狂喜乱舞していたのですが、放送当日のそのタイミング、来客があったもので、リアルタイムには観ることができませんでした。
でも、しっかと録画予約しておりまして、後日、その録画を観ることができました。

すると、、、おおおぉ~

「徒然煙草の咄嗟日記」で書いたネタがいくつも出てくるではありませんか

まずは、琵琶湖疎水

南禅寺の境内にある水路閣とか

インクラインとか、

は、2011年4月の京都旅行重点的に見物して「いったいいつの話だ?の京都旅行記」シリーズ(例えばこちらとかこちら)で書きましたし、タモリさんが「初めて見た」とおっしゃっていた犬釘も、

九州鉄道記念館で実物を観て、「『福岡・北九州 新春の旅』覚え書き(その6)門司港篇」で書きましたっけ・・・

さらに「御土居」も、「新装『ミュージアムシアター』を楽しんだ!(後編)」北野天満宮にある遺構を取り上げましたなぁ

こんな風に、「おぉ、知ってるの連発で、激しく盛り上がってしまったのでありました。

いよいよ復活する「ブラタモリ」初回&2回目長崎だそうで、またまた私が観たことのある場所/モノが登場するのでしょうかねぇ・・・

ちなみに3回目&4回目金沢は、私は列車で通過したことがある(はず)だけですので、こちらは今後の勉強のために拝見することにいたしましょう。

井上陽水書き下ろしの新テーマソング楽しみデス。

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この春は楽しみな美術展が密集

2015-03-24 23:56:16 | 美術館・博物館・アート

先週末の私は、美術館・博物館4館に出かけてきました。

なんとも窮屈な感じなのですが、これというのも、この「MISIA 星空のライヴVIII MOON JOURNEY」が始まるというのに、

MISIA星空のライヴVIII

バカのカベ~フランス風~また、GW直前にはカトケンさん(加藤茶&志村けんではない)の「バカのカベ~フランス風~」を観に行く予定だというのに、観たい展覧会目白押しで、休日を有効に使わないと、辛いことになってしまうのですよ

まず、開催中のところでは、

「ベスト・オブ・ベスト」@ブリヂストン美術館

改築のために長期休館に入るブリヂストン美術館「ベスト・オブ・ベスト」

実は私、「いつかは行くぞ」と思いつつ、ブリヂストン美術館には行ったことがありません
「いつか・・・」と思っているうちに長期休館に入ってしまったら、今後数年は行けなくなってしまうわけで、この春は是非ともブリヂストン美術館のコレクションを拝見したいものです。

また、サントリー美術館「若冲と蕪村」魅力的な展覧会です。

若冲と蕪村

 若冲蕪村が、正徳6年(1716年)生まれの同い年だとは、この展覧会絡みで初めて知りました。
与謝蕪村といえば、俳人としてのイメージが強いのですが、この展覧会を通して、画家(絵師)としての蕪村を再認識できるのではないかと、期待が高まります
もちろん、若冲は、いつ観ても、どの作品を観ても眼福以外の何ものでもありませんし

先週末出かけた美術館・博物館の一つ、東京国立博物館では特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」が開催中で、ガンダーラ仏目がない私としては、是非とも行かねば と思っています。

   

燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密これから始まる展覧会では、まず、4月18日根津美術館で始まる「尾方光琳300年忌記念展『燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密』」

尾形光琳の代表作、「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」一堂に会するというのですから、これは見逃すわけにはいきますまい

この国宝2作品、私、まだで拝見したことがないのですよ
せいぜい、「紅白梅図屏風」を収蔵するMOA美術館で、その複製を観たくらいのもの・・・(記事はこちら)。

実はこの、「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」の共演は、今年2月初めから今月初めまで、MOA美術館で開催されていた「『燕子花と紅白梅』光琳アート -光琳と現代美術-」で実現していたのですが、さすがに熱海まで出かけるのは・・・ というわけで、今回の「尾方光琳300年忌記念展『燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密』」に期待しております。

もう一つは、4月7日から東京国立近代美術館で開催される「生誕110年 片岡球子展」です。
こちらも観に行きたいゾ

   

ちょっとここで300年前のこと。

上に、

若冲蕪村が、正徳6年(1716年)生まれの同い年

と書きました。
一方、「燕子花と紅白梅」展は、「尾方光琳300年忌記念展」と銘打たれていて、根津美術館のHPでは、

2015年は、享保元年(1716)に59歳で没した尾形光琳の300年忌にあたります。それを記念して、当館が所蔵する「燕子花図屏風」とMOA美術館が所蔵する「紅白梅図屏風」、光琳が描いた2点の国宝の屏風を中心とする特別展を開催します。

と紹介されています。

若冲蕪村正徳6年(1716年)生まれで、光琳享保元年(1716年)亡くなった、、、

元号こそ「正徳」「正徳の治」を思い出す)と「享保」「享保の改革」を思い出す)と異なりますが、若冲蕪村が生まれたのと光琳が亡くなったのは同じ1716年だったというわけなんですな。

299年前光琳若冲蕪村の人生が微妙に重なっているというのは、なかなか感慨深いものがあります。

   

ここまで、私が観に行きたいと思っている展覧会5つ挙げたのですが、それぞれの千穐楽を並べてみますと、

「若冲と蕪村」 @ サントリー美術館 ~5月10
「ベスト・オブ・ベスト」 @ ブリヂストン美術館 ~5月17
「インドの仏 仏教美術の源流」 @ 東京国立博物館 ~5月17
「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」 @ 根津美術館 ~5月17
「片岡球子展」 @ 東京国立近代美術館 ~5月17

と、どうしたことか、この5つの展覧会の千穐楽は、5月10日と5月17日のいずれかなのですよ

こりゃ厳しいスケジュールです。
5月17日までの間に、MISIA星空のライヴVIII参戦とか、「バカのカベ~フランス風~」の観劇とか、GWには今年3.5回目の帰省を予定しているしで、5つの展覧会全部を観に行けるのだろうか・・・ う~む・・・ です。

つづき(その1)2015/03/29 「若冲と蕪村」展のこと
つづき(その2):2015/04/05 たしかに「ベスト・オブ・ザ・ベスト」なんだろう
つづき(その3)
:2015/04/08 きょうは「花まつり」なので

コメント (2)
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「東宝スタジオ展」で、あ~~~!!!

2015-03-23 22:05:47 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きのう、世田谷美術館で開催中の「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」を観てきました。

館内に入るや、ななななぁ~んと東宝が(「東宝」って、塚」を意味しているって知ってました?)誇る国際的大スター大暴れしていました

ゴジラです。
もう一枚、こんどは空撮です

写真撮影OKなのはここだけでした

   

最初の展示コーナーは、「第2章 東宝映画の黄金時代 1954年の『七人の侍』と『ゴジラ』」だったんですが、まず私の目に飛び込んできたのは、「七人の侍」

6と、「た」です。

6人の侍(島田勘兵衛、岡本勝四郎、片山五郎兵衛、七郎次、林田平八、久蔵)、「=田」は百姓たち、そして七人目の侍自称:侍菊千代を意味しているでしたっけ・・・

そこまで覚えていたのに、あれを観たときにはこのリンクできなかった・・・ 痛恨です

その「あれ」とは、、、、

3月8日の記事「久しぶりの水戸(その2:山口晃展編)」で、

調べてもこの×4 △ た」が意味しているところが判りません
どなたか御存知でしたらご教示くだされ
こちらのツイートによると、これは山口さんの作品っぽい・・・)

と書いた「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」開催中の水戸芸術館の正面に下がる垂れ幕

この垂れ幕「七人の侍」の幟インスパイアされているのは明らかです

でも判らない・・・

「山口晃 + 七人の侍」ググると、KANSAI SUPER SHOW『七人の侍』」がヒットするのですが、それでも、やはり判らない・・・

このは、4月に刊行予定だという「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」図録に期待を託して、先に進みましょう

   

「「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」は、「開催概要」に、

世田谷区砧(現・成城)の東宝スタジオは、トーキー前夜の1932年に設立された写真化学研究所(通称P・C・L)に始まり、P・C・L映画製作所として本格的に映画作りを開始。1937年には写真化学研究所、P・C・L映画製作所、東宝映画配給、J・Oスタヂオの4社が合併し、東宝映画株式会社が誕生。1943年に東宝株式会社となります。そして、この創造の現場は“東宝砧撮影所”の呼び名で親しまれるようになりました。1971年には現在の東宝スタジオへと改称、近年では業界随一の最新設備に改築されました。

とあるように、世田谷美術館にしてみれば「ご当地ネタ」なわけで、至極自然な企画展ではあります。
(右に載せたチケットの他、ポスターフライヤー、そして図録の表紙は、信藤三雄さんのデザインだそうな)

この弁でいえば、練馬区立美術館「東映東京撮影所展」神奈川県立近代美術館「松竹大船撮影所展」、また、調布市美術館「大映撮影所展」「日活調布撮影所展」を開催しても良いのではなかろうかと思うわけで、個人的には「大映撮影所展」大魔神を見たい

   

また話が逸れた・・・

「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」に戻りまして、展示の中心は台本セット案ロケハン写真などで、映画撮影に使われた小道具系のものが少なかったのはちょいと残念でした。
でも数少ない小道具系の展示に、初代ゴジラを退治した「オキシジェンデストロイヤー」があったのには興奮いたしました。

また、三船敏郎への黒澤明追悼文(直筆)とか(泣けた・・・)、映画法に基づく古川緑波「(俳優)登録証」とか、展示室の壁に実際に描かれた「空とか、柳生悦子さんによる素晴らしいスタイル画の数々とか、オープンセットの配置図とか、なかなか見どころがありました。

加えて、「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」に合わせて、世田美の収蔵作品で構成された常設展示「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」気の利いた、そして、かなり質の高い展示だったと思います。

この展示では、高峰秀子から世田美に寄贈されたご本人の肖像画群とか、宮本三郎による「東宝ゆかりの女優の肖像画」は、ホント、魅力的な作品ばかりで、とりわけ後者「お持ち帰りしたい作品の連発でした。

   

何か書き忘れたものがあるような・・・と、しばし考えて、思い出しました

市川崑監督の「東京オリンピック」音楽スコア(総譜)のことを書くつもりだったんだ

展示されていた黛敏郎自筆のスコアには、音符が一つも書かれていなかったんですよ
楽器というより、音を出す素材の名前が書かれているだけなんですから驚いた

「東京オリンピック」を観ると、ちゃんと音楽にはなっているんだけどね・・・
(下の映像は「日本語が不自由」な方がつくったっぽい)

ちなみに「東京オリンピック」「音」がとても印象的な作品です。
競技する選手の息づかいとか雄叫び風の音、そして極め付きは、風にあおられた旗ざおのポールを叩く音

機会がありましたら、ぜひを「東京オリンピック」ご覧くださいませ。
50年前普通の日本人を見るだけでも価値があると思いますゾ。

なんだか締まらないのですが、「東宝スタジオ展」の見聞録をこれにて、

「懸案」のこと:2015/04/27 判ったような判らないような…

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改装中の国立科学博物館はバリアフル

2015-03-22 09:50:15 | 美術館・博物館・アート

きのう、先週購入した「UENO WELCOME PASSPORT」(先週の記事:前編後編)を使って上野公園にある「国立3館」国立西洋美術館(西美)国立科学博物館(科博)東京国立博物館(トーハク)ハシゴしてきました。

パスポートのデザインにあわせて、3館の敷地内には、入国審査をイメージしたスタンプを設けました。3つのスタンプを集めると先着1万名様にオリジナルグッズをプレゼント

というスタンプを揃えまして(西美東博のスタンプを捺す場所を間違えた)、

東博で開催中の「博物館でお花見を」のスタンプラリーの成果と併せて、2つの缶バッジをいただいて来ました。

西美は別として、科博トーハクは、各館の常設展だけで1日を費やせるだけの規模ですから、「1日で国立3館の常設展を全部観るのは不可能に近いと思います。「東京旅行の合間に『UENO WELCOME PASSPORT』を使おうとお考えの場合はご注意あれ
ちなみにきのうの私は、科博地球館(旧新館)トーハク本館(日本ギャラリー)だけに留めました。

それでも、科博地球館(旧新館)常設展を観るのは体力的にキツかった・・・

これというのも、科博地球館(旧新館)では一部で改修工事が行われていて、動線がズタズタ しかもエスカレーターが使えないときたもんで、1Fから地下3Fまで階段を上り下りして、さらに1Fから3Fまで階段を上り下りしなくてはなりません。

しかも、科博の建物は各階の天井が高いですから、1階分の高さが普通のオフィスビルの1.5~2階分はありそうで、階段を上り下りするのはかなり厳しいものがありました
(一応エレベーターもありますが、お年寄りやお子ちゃま優先

でも、最上階の「大地を駆ける生命」の展示を観ると、そんな苦労も吹き飛びました

目の前に、活き活きとした動物の群れ(もちろん剥製)が広がります

「ノアの方舟」の中はこんな様子だったのかねぇ・・・

お気に入りの巨大なヒグマと久々にご対面

思わずニコニコしてしまいました。

   

国立3館をハシゴして感じたのは、3館の客層がかなり違うこと。

西美は、地方の美術館を訪れた感じと似ていて、美術好きの人がの~んびりと鑑賞している感じですし、科博は4年半前の「科博は楽しい♪ でも、やかましい」シリーズこちら)で書いたように小さな子どもを連れた親子が多くて、とっても賑やか
そしてトーハクは、外国人が多い。そして、日本人の観客もどことなく旅行中の人が多い感じです。
確かにトーハク東京名所の一つといって間違いはないでしょ。私もお薦めしたいし・・・

久しぶりに科博に出かけて、「こんな博物館に気軽に来られる首都圏周辺の子どもたちがうらやましい」しみじみ思いました

むちゃくちゃ幅広い科学入口だけをさらりと見ることができるし、興味を持った分野を深く勉強することができるし、もしもが小中学生の頃に科博に通うことができたら進路が変わっていたかもしれません

はやぶさ小惑星・イトカワから持ち帰った微粒子本物)を顕微鏡で観られるなんて、こんな機会は田舎ではあり得ませんから

技術立国・日本の未来の一端を担う人々の何人かは、科博でそのきっかけを得ているのかもしれません。

そうそう、科博のミュージアムショップ(下の写真は「看板恐竜テラちゃん)も楽しい

数あるグッズの中でこれはと思ったのは、ダイオウイカぬいぐるみ

イカぬいぐるみなんて初めて見ました

ですが、調べてみると、結構あちこちで売られているんですな

リアルぬいぐるみ ダイオウイカ Mサイズ
カロラータ株式会社
カロラータ株式会社

しかも、2年前に科博で開催された「特別展 深海」では、ダイオウイカ実物大(全長6m)ぬいぐるみ販売されたのだとか
こちらのサイトによれば、

売店では全長6メートルの実物大ダイオウイカぬいぐるみを20万円で販売。販売担当者は「売り上げの予測は全く立たない。1個も売れないか、たくさん売れるかどちらかでは」と話す。

とのこと。
実際の販売結果はどうだったのでしょうか?

  

ところで、「UENO WELCOME PASSPORT」もトーハクの「博物館でお花見を」さくらスタンプラリーも、缶バッジ引き替え済みの目印として、係員さんがスタンプを捺してくれます。

「博物館でお花見を」の方は、右に載せたように無難に「サクラ」の図柄(引き替え済みスタンプの図柄は毎年違う)だったのですが、「UENO WELCOME PASSPORT」の方は、、、、

  これは

 見当もつきません

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あの事件から20年か・・・

2015-03-20 23:07:31 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは3月20日、あすは春分の日です。

20年前の3月20日春分の日前日でしたっけ・・・

このブログを始めてから最初の3月20日(2009年)3年後2012年3月20日と、2回、地下鉄サリン事件のことを書きました。
途中、中抜けしていますけれども、やはり、あの朝銀座・晴海通りの様子は、20年前のできごととは思えないほど、しっかりと記憶に残っています。

もういちど以前の記事(2009年の記事2012年の記事)を読み返して、あの朝のことを反芻してみることにしましょう。

そして、地下鉄サリン事件で亡くなられた方々に合掌すると共に、今も後遺症に苦しむ方々に心からお見舞い申し上げます。

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私のクルマのナビは発狂寸前

2015-03-16 22:08:35 | タウンウオッチング

きょうの夕方、クルマで職場から横浜へ出かけ、そこから自宅に直帰しました。

これをチャンスとばかりに、横浜から自宅までは、約1週間前に開通したばかりの首都高中央環状線・山手トンネルの大井JCT~大橋JCT区間初走行

そして、Wikipediaによれば、

日本で最も長い道路トンネル、道路トンネルとしては世界で2番目、高速道路のトンネルとしては世界で最も長いトンネル

という山手トンネルの全区間大井JCT熊野町JCT)を走り抜けてきました

もっとも、夕方のラッシュに巻き込まれて西新宿JCT板橋JCTトロトロ走行で、「走り抜けてきました」とはほど遠い状況だったんですけど・・・

それはさておき、開通したばかり山手トンネルの大井JCT~大橋JCT区間ですから、当然ながら私のクルマナビには入っていません
ナビが認識していない道路を走ったらどうなるか・・・?

これまた当然ながらナビは想像の翼に任せて自車位置を表示するわけで、地上ならばGPSからの絶対位置情報を頼りに、それらしい場所を表示してくれるのでしょうが、山手トンネルの場合、GPSの電波はクルマに届きません

そして、私のクルマのナビは、、、といいますと、予想どおり、大混乱

大井JCTから山手トンネルに入ると、ナビの表示は品川区内をウロウロ・・・
渋谷区に入っても、新宿区に入っても、中野区に入っても、豊島区に入っても、ナビの表示は品川区内をウロウロ・・・

ついには、西池袋出口を過ぎた頃には、私のクルマ現在位置の表示は、羽田空港滑走路上にありました

ナビは、もう発狂寸前でしたが、板橋JCT付近でが見えた辺りから、ようやく正しい位置を表示するようになりました。
よかった、よかった・・・

   

ここで、初めて走った首都高中央環状線・山手トンネルの大井JCT~大橋JCT区間の感想を書いておきましょう。

まず感じたのは、同じ山手トンネル板橋JCT大橋JCTと比べて、かなりクネクネしていること。しかもカーブがキツい
大橋JCT3号線~中央環状線らせん部分円形になっていなくて細々とハンドル操作が必要なことと並んで注意するべき点だと思いました。

もう一つは、あのらせん部分が印象的な大橋JCTが、中央環状線を走り抜けるだけならば、何の変哲もない普通の合・分流地点でしかないこと
あまりにもあっけない・・・

どちらかと言えば、後者の方が印象深かったかな・・

    

毎朝の私の通勤では、通常、高島平ランプから首都高速5号線に乗り、志村料金所5号線板橋JCT中央環状線5号線熊野町JCT中央環状線大橋JCT3号線東京IC東名高速・・・というルートを通っています。

けさ、いつものように自宅日本道路交通情報センターのサイトで最新の交通情報を見て、とりあえず「オール・クリアなことを確認してから出勤したのですが、まず、志村料金所付近に大型トレーラーが故障で止まっているとかで、美女木JCTまで渋滞との情報が入りました。
ここ数ヶ月、志村料金所高島平ランプの渋滞がキツいときには、しばらく下道(したみち)を走って中台ランプから乗ることにしているのですが、今朝の場合は、中台ランプも混んでいるのが必至ですから、板橋本町ランプから乗ることにして、R17(中山道)に出ました。

そして、思うのほか混んでいたR17(中山道)を走っていると、首都高速は志村料金所から先はスムーズに流れているかと思ったところ、その先、中央環状線西池袋付近を先頭に事故渋滞とな

ちょっと・・・、、、、です。

ラジオの交通情報によれば、いつもの朝ならば所要時間が50分前後美女木~竹橋2時間だと言ってるし

結局、しばらく山手通りを走り、渋滞ポイント事故現場)のちょい手前になる西池袋ランプから中央環状線に入りました。

事故現場では、左車線で軽の1BOXが、ものの見事に横転して、1車線を塞いでいました
何のへんてつもないほぼ直線の場所で、どうすれば横転できるのでしょう

場所こそ違え、たった2台のクルマの粗相のおかげで、どれだけの人が迷惑を蒙ったことやら・・・

ところで、現在、首都高速では「いたくま」の工事が行われています。

「いたくま」というのは、首都高速・中央環状線の内回り・外回り問わずに最大のボトルネックになっている板橋JCT~熊野町JCTの改良工事のこと。

現在は「2+2=3となっている板橋JCT~熊野町JCT(いたくま)1車線増やして「2+2=4にするという工事です。
「言うは易く行うは難し」で、現在、3車線づつの2層の高架道路を、どうやって1車線づつ増やすというのでしょうか

安易な方法としては、1車線の幅を狭めて、従来3車線だったスペースに4車線を詰め込めば良いわけですが、首都高速は、上下線それぞれの幅を広げるつもりだそうな

首都高速道路上では、毎週末ほかの深夜に車線規制して工事が行われていたことは知っていましたけれど、久しぶりに下道=山手通りを走ってみて、実は下道の方が工事の影響を受けていることを知りました。

工事期間中のほぼ全期間山手通りは車線が一部規制されているんですから・・・

首都高速のいたくま区間の一利用者の私ではございますが、「いたくま」で迷惑を蒙っている皆様に、お詫びとお礼を申し上げます。

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華やぐ上野に行ってきた(後編)

2015-03-15 09:12:18 | タウンウオッチング

「華やぐ上野に行ってきた(前編)」の後編です。

先週金曜日の朝日新聞デジタルに、「ソメイヨシノ元祖『上野に』 千葉大、遺伝子解析し推定」という記事が載っていました。

記事をところどころ抜粋しますと、

 ソメイヨシノは東京・上野公園にある1本が原木となり、全国に広まったと考えられる、とする遺伝子解析などによる研究成果を千葉大のチームがまとめた。
 原木の候補は、上野動物園の表門に近い「小松宮親王像」の北側にある。一帯は江戸時代から桜の名所で知られ、親王像の場所は寛永寺の鐘楼だった。
 中村教授らは今回、親王像を囲むソメイヨシノコマツオトメ1本、エドヒガン系5本の計7本の遺伝子の型を調査。7本は同じ親木から生まれた「きょうだい」だと判明した。
 「きょうだい」が一定の間隔で並び植えられていることから、中村教授らは「品種改良で人為的な交配で生まれたソメイヨシノや他の桜を並べて植樹した可能性が高い」とみている。

という次第。
ちょっと判りづらい記事ですが、現場に行ってみました。

小松宮彰仁親王銅像

「小松宮彰仁親王銅像」の説明板裏のカンザクラは既に満開

カンザクラ

一方、ソメイヨシノよりも遅く咲くカンザンはもちろん、

カンザン

そして、朝日新聞の記事にあったコマツオトメは、まだまだの状態でした。

コマツオトメ

ソメイヨシノ(これが「ソメイヨシノの元祖」の木かも・・・)ゴツゴツしたを見ていると、もしかしてゴジラのイメージはコレなのかもしれないと思ったりして・・・

ソメイヨシノ

ところで、小松宮像の裏側に、気になる木が立っていました。

 

「枯れ木」と言われたら納得してしまうような寂しい樹勢です。

「ろうそんひのき」という名札がつけられたこの木、1879年に来日したグラント将軍(第18代米国大統領)が植樹したものだそうですが、近くにあった説明板によれば、

グラントヒノキ(ローソンヒノキ)、グラント玉蘭(タイサンボク)は植えてから126年になります
この数年樹勢の衰えが著しいので、樹木の健康診断と治療を行います

とかで、療養中の由。
この説明板は「平成17年3月」に立てられたものですから、もう10年間も療養の身なんですな。

グラント玉蘭(タイサンボク)一方のグラント夫人お手植えのタイサンボクは、葉っぱがちょいとよれていますが、まだまだ元気なご様子。

梅雨時になったら、タイサンボクの花を拝見しに来ましょう。

   

ところで、きのうの上野訪問の一番の目的だった「UENO WELCOME PASSPORT」、無事に購入できました。

冷静に考えれば、東京国立博物館(トーハク)パスポートを持っている私、国立科学博物館(科博)国立西洋美術館(NMWA)と合わせた3館の常設展を観ようとすると、科博NMWAの合計1,050円で足りるわけで、「UENO WELCOME PASSPORT」を購入しても50円の得にしかなりません。

でもまぁ、縁起物(?)だし と購入いたしました。

すると、ありゃまかなり手の込んだパスポートではありませんか

UENO WELCOME PASSPORT

対象3館以外の「おすすめスポット」の紹介も、いかにもパスポートの風情

UENO WELCOME PASSPORT

さらに、オマケの「上野双六名所図会(うえのすごろくおすすめマップ)」Excellent

上野双六名所図会

やはり、こりゃお買い得です

但し、NMWAの常設展は、

国立西洋美術館

3月16日まで閉室中ですし、トーハク恒例の「博物館でお花見を」「春の庭園公開」3月17日(火)からと、「UENO WELCOME PASSPORT」活躍できるのは今度の火曜日からです。
また、科博の常設展示のうち地球館の一部では大改修工事(今年7月頃まで)が行われているとかで、観られない展示があるそうです。詳しくは科博のお知らせをご参照くださいませ。

「UENO WELCOME PASSPORT」有効期限は5月31日ですから、科博の常設展示全制覇するのは不可能ながら、のんびりと楽しむのがよろしいでしょ。

ただ、

パスポートのデザインにあわせて、3館の敷地内には、入国審査をイメージしたスタンプを設けました。3つのスタンプを集めると先着1万名様にオリジナルグッズをプレゼント。スタンプラリーを完成させて、ここでしか手に入らないグッズを手に入れてください。

だそうですから、オリジナルグッズの入手を目指す方はお早め

「華やぐ上野に行ってきた」2編の締めくくりはこちらの1

華やぐ上野駅コンコース

【追記】この記事を読み返していると、あることに気づきました。

記事に載せた「UENO WELCOME PASSPORT」の写真のこの部分にご注目

UENO WELCOME PASSPORT

拡大しましょう。

UENO WELCOME PASSPORT(部分)

「上野の森美術館」の紹介なんですが、同館の英文呼称「The Ueno Royal Museum」とは知りませんでした
どこから出たRoyalなんでしょうか?

同館の運営団体の公益財団法人日本美術協会が、

公益財団法人日本美術協会は、明治12年に設立された龍池会を前身とする美術団体で、1883年(明治16)有栖川宮熾仁親王殿下が龍池会総裁に就任され、現在は常陸宮正仁親王殿下が総裁をつとめられています。

とあるように、皇族とちょっとしたつながりがあるということくらいしかRoyalを名乗る理屈が見つかりません。

ちなみに、私は「上野の森美術館」で展覧会を観たのは10年以上前MOMA展の一度きり。
もうずいぶん昔のことになってしまいましたが、
MOMA展で観たベン・シャーン「Silent Music」のことは一生の思い出です
この辺りのことは、このブログで一番のデキだと自負する(一方で最近のデキ忸怩たるものを感じる)こちらの記事をお読みくださいませ。 (2015/03/15 20:31)

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