新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

古墳に興奮!(その7:完結編)

2010-11-30 06:23:01 | 美術館・博物館・アート

古墳に興奮!(その6)」のつづき、完結編です。


埼玉県立さきたま史跡の博物館の前の眺めはこんな風になっています。


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長閑な農村に紛れ込んだみたいですなぁ。古墳と古い民家とどういう関係なのか判りませんが、埼玉県内にあった民家が2棟、移築されているんです。


ひとつは幸手(さって)市から移築された「旧遠藤家住宅」


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江戸時代末期に建てられたもので、建屋面積は222.453㎡(67.41坪)といいますから、かなり堂々たる民家です。

内部も広々としていて、思いのほか明るい。


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この写真は台所(土間)から撮ったもので、左後方には厩(うまや)があって、それに隣り合わせで下男部屋がありました。夜中でもなんでも、必要に応じて馬の面倒を見られるようにそんな配置になっているのだとか。下男にとっては(現在の価値基準では)過酷な住環境です…


もう一棟は、行田市内から移築された「旧山崎家住宅」です。


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明治時代初期に建てられたもので、説明書きによれば、


この地域の典型的な大きさと間取りをもった農家で、明治初期に建てられました。右手に土間がひろがり、左手に田の字型の四つの部屋があります。


だそうで、「旧遠藤家住宅」をちょっと小ぶりにした感じ(レイアウトは基本的に同じ)でした。

こちらは、土間に昔の農機具も展示されていました。


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恐らく、左手前が脱穀機、その後ろが縄綯い機、右が籾すり機だと思います。
うん。この記事を書くためググったところ、これで間違いないようです。


こういう展示って、私、好きなんですけれど、やはり古墳とは時代が違いすぎる気がしてなりませぬ…


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古墳に興奮!」シリーズ最後は、「せっかく行田に行ったのだから」と食べたゼリーフライです。


ゼリーフライというのは、ゼリー(ジェリー)のフライではなく行田市観光協会のサイトにありますとおり、「じゃがいも、おからをベースに小判型に整えて油で揚げた食べ物」です。


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こちらのゼリーフライは1個80円安いです
でも、食べてみると、コロッケをコロモ無しで素揚げした感じで、コロッケよりも粉っぽい…
小腹が空いたときには安上がりでしょうけれど、私はもう結構です…


   


さきたま古墳公園は、私のように古墳見学する人たちだけでなく、「公園で遊ぶために来た」といった家族連れもたくさんいて、かなりいい雰囲気でした。
都心からはもちろん、私が住んでいるさいたま市(この市名制定にあたって、「『さいたま』の本場はこちらだ」と行田周辺の住民からクレームがあったとかなかったとか…)からも結構遠い場所ですが、日帰りドライブにはお薦めです。


101130_1_8 最後の最後、さきたま史跡の博物館の展示に関東の古墳地図がありました。


私は知っていましたが、東京の都心にも古墳があるんです
ほら


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この「芝丸山古墳」のことは、いつか書きたいと思っています。

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古墳に興奮!(その6)

2010-11-29 06:47:40 | 美術館・博物館・アート

古墳に興奮!(その5)」のつづきです。


さきたま古墳公園の駐車場を出て、もしかすると埼玉県内で最も有名かもしれない土産物屋さん「はにわ処 さかもと」の前の横断歩道を渡り、広い通りを進んで行くと、

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その先にあるのが、埼玉県立さきたま史跡の博物館です。


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どこがどのように、というのはよく判りませんが、なんとなく自治体が運営する宿泊研修施設(「○○市立 青少年の家」みたいな)の雰囲気が漂う建物です。


101129_1_1 正面の入口を入って左側が企画展示室で、きのうまで企画展「祈りとまじないの考古学」が開催されていました。
主に埼玉県内で出土した土偶とか、人面が描かれた土器などが展示されていましたが、私としてはイマイチの印象…
まぁ、常設展の観覧料(200円)で観られるのですから、贅沢は言えますまい。

それでも、焼き物製の巨大な耳飾り(細かな細工が施されていました)とか、骨卜(こつぼく:動物の骨に小さな穴を開けて焼き、そこから生じたひび割れで占う)に使われた卜骨池子遺跡からの出土品)には、ちょっとときめきました


   


さきたま史跡の博物館の常設展示室には「国宝展示室」と、なんとも大仰な名前がつけられています。

101129_1_2 もちろん、稲荷山古墳から出土した国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が展示されているであろうことは想像に難くありませんでしたが、正直、「鉄剣一本を展示して『国宝展示室』なんて…」とタカをくくっていました。


ところが、、、、、


お見それしておりました。m(_ _)m デス。


さきたま史跡の博物館が管理・展示している国宝は「金錯銘鉄剣」だけではなかったのですよ。

直径15cmほどの銅鏡「画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)」とか、ベルトの豪華な金具「竜門透彫帯金具(りゅうもんすかしぼりおびかなぐ)」とか、馬具の数々とか、国宝があるある


また、個人的に、工具萌え上がりました

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1500~1600年前からプライヤーピンセットのような金属製の工具が使われていたんですなぁ。

そして、目玉の国宝「金錯銘鉄剣」は、さすがに目玉らしく特別扱いでした。


窒素ガスが封入されているといわれる特製ケースに収められていて、剣の両面に象限された金文字をくっきりと観ることができました。
東京国立博物館(東博)に所蔵されていて、平常展でも観ることができる江田船山古墳出土の国宝「銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)」では、刀のの部分(刃と反対側)に文字が小さく象眼されていますが、「金錯銘鉄剣」は「剣」というくらいですから当然「両刃」で、「峰」はありませんから、刀身の真ん中にデカデカと銘文が象眼されています。

1500年も前に書かれた文字が、全部とまでは言えないにしても、特別な教育を受けたわけでも私にも読み取れるなんて、文明がつながっていることを感じます。


   


101129_1_5 さてさて、国宝「金錯銘鉄剣」のことですが、埋蔵されていた稲荷山古墳を発掘したこと自体が、「壊れかかっているし…」という理由だったことは、「その3」で書きました。

1968年に発掘された鉄剣はサビサビで、剣を収めていた鞘がこびりついて散々な状態だったようです。
それでも、5~6世紀の遺跡から出土した鉄剣ですから、大事に保存されていたらしいのですが、発掘から10年も経つと、かなりやばくなってきて、、、、、ここからはさきたま史跡の博物館ガイドブック(お値段は300円。お薦めデス)を引用します。


奈良にある研究所で鉄錆を落とす作業中、たまたま金色に光る部分があるのを発見。そこでX線にかけてみたところ、文字があることが判明したのです。現在では、出土した錆びた鉄製品をX線にかけることは常識となっていますが、当時としては初めての試みでした。

115文字が輝く金錯銘鉄剣を、今こうして見ることができるのは、さまざまな偶然が重なり合った結果だったのです。


この「奈良にある研究所」というのは、元興寺文化財研究所のこと。
研究所の沿革にも1978年のところに、


埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣に「辛亥年」等の金象嵌115文字の銘文を発見


と誇らしく書かれています。


ここで、「あれっ? もしかして…」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
そうです。元興寺文化財研究所は、今年、またもや大発見を成し遂げました

先月末、1907~8年に東大寺の大仏さまの膝元から発見されて、長く東大寺金堂(=大仏殿)鎮壇具だと考えられていた「金銀荘大刀二振」が、実は、正倉院から運び出されたまま行方不明になっていた「陽寶劔」「陰寶劔」と判明したニュース(リンクが切れていたらご容赦を)がありました。
東大寺からの依頼を受けて大刀の保存修理を行っていた研究所がX線撮影したところ、サビサビの中から象眼された銘文が見つかり、その結果、1250年間も行方不明だった正倉院宝物の大刀だったこことが判明したというのです。


歴史は書き換えられるものだということを痛感したニュースでした。
ちなみに、東博で開催中の「東大寺大仏-天平の至宝-」(訪問記はこちら)には「陽寶劔」「陰寶劔」の現物展示はなく(まだ保存修理中なのでしょう)、映像で紹介されています。


金錯銘鉄剣」の銘文にしても、「通説」だけでなく「異論」もあるようです。
またまた歴史が書き換えられることがあるのでしょうか?
結構楽しみであったりもします。

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古墳に興奮!(その5)

2010-11-28 06:40:11 | ニュース

古墳に興奮!(その4)」のつづきです。


今、世界中に論争を巻き起こしているニュースといえば、こちらではないでしょうか?


<script src="http://jss.afpbb.com/sdata/newsdelivery/blogzine/js/utf8/6475000/5d2c96a3ff540ce4c6a83edf384ce087.js" type="text/javascript"></script>


空港の全身透視スキャナーです。着ているものを透視して、危ないものを隠し持っていないかを調べるのだとか。
かなりくっきりと体型が判るようです。
このニュースを見て思ったのは、造られてから1500年以上も経ち、木が生い茂って、ただの小高い丘にしか見えない古墳スキャンすれば、くっきりした墳丘が見えるものだろうかということ。

例えば、国立歴史民俗博物館(訪問記はこちら)の展示のようにネ。


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と、ネットを彷徨ってみたところ、実際に古墳をスキャンする実験が行われたのだそうですよ。


それは、奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)アジア航測㈱が共同で実施した「古墳測量における航空レーザー計測の適用に関する研究」というもの。
橿考研が今年6~7月にその成果を一般向けに披露した展示「新時代を迎えた大型古墳測量」のリーフレット(クリックするとPDFが開きます)から引用しますと、


航空レーザ計測とは、ヘリコプターなど小型の航空機に搭載したレーザ計測システムから発射されるレーザ光により、地表面を立体的に高密度かつ高精度で計測する技術です。レーザ光は樹木の葉の隙間から地盤に到達して地形を計測するため、現地に立ち入ることなく、安全かつ迅速に作業を遂行することができます。レーザ計測システムにより収集した点群データは、樹木等を除去するフィルタリング処理をおこない、地盤だけのデータとなります。この点群データを赤色立体地図に加工することで、初めて地形形状がより判読し易い画像となります。レーザ計測データは、等高線図や断面図、任意の視点からの鳥瞰図の作成や樹高の測定が容易なことから、現地への立ち入り困難な古墳の計測に最適な手段です。


どんな風になるのかを、アジア航測のサイトの写真(奈良市にあるコナベ古墳)で見てみましょう。


101128_1_2_2


すごいです
宮内庁が意固地になって天皇陵コナベ古墳のような「陵墓参考地=被葬者を確定できないものの皇族の墓所の可能性が考えられるもの」の学術調査を拒んでも、研究者は頭を絞って研究を続けていくものなのですなぁ。たいしたものです。


   


さて、私がさきたま古墳公園で見た最後の古墳は、全長53mの小さな前方後円墳でした。


愛宕山古墳


駐車場のすぐ隣りにある古墳で、表示がなければ見落とすのは確実です。


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傍らには、「古墳に登らないこと」の杭が打たれていますが、柵があるわけでもなく、きっと近所の子どもたちや昔の子どもたちは遊び場にしていることでしょう。


反対側に廻ってみると、

101128_1_4


ふもとが駐車場(おそらく住民用)になってる…

どこまでが古墳で、どこから駐車場なのかも判りません


う~む、これでいいのか? と考えつつ、古墳の見学を終えました。


次回はさきたま史跡の博物館をご紹介します。

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古墳に興奮!(その4)

2010-11-27 11:16:44 | 美術館・博物館・アート

古墳に興奮!(その3)」のつづき、「登れる古墳」第2弾です。


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丸墓山古墳


6世紀前半に造られたと考えられている、直径105m、高さ18.9mの日本最大の円墳「丸墓山古墳」です。


101127_2_2 北東側と南側に階段が二つありまして、私は北東側の階段をくねくねと登りました。
この「丸墓山」という名前、単純に「丸いお墓の山」なのかと思ったところ、さきたま史跡の博物館のガイドブックの説明では、


「丸墓山」という名の由来については、「麿墓」(まろはか)が訛って「丸墓」になった、あるいは丸い墳丘からその名が付いたなどの説がありますが、いずれにしても江戸時代の書物に「丸墓山」が登場することから、当時からすでにその名で知られていたことが確認できます。


だそうで、そう簡単ではありません。
ところで、丸墓山古墳はまだ発掘調査が行われていないんだそうな。もしかすると、国宝級の遺物が埋まっているかもしれません。
でも、逆に、盗掘されていなかったとすれば、遺体が収められたお墓の上を、私たちは土足で歩き回っているということか
なんだか罰が当たりそうです…


さて、さきたま古墳公園の最高地点からの眺めは見事でございました。


さっき縦走(?)してきた稲荷山古墳や、

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後円部の内部を観てきた将軍山古墳とか、

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遠くには富士山まで見えました

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一最後の障害だった北条氏を攻略しました。この戦(小田原の役)、北条氏の本拠地の小田原城攻めと並行して、北条系諸将への攻撃も行われました。
その一つが、成田氏が本拠地とする忍城(おしじょう)でした。

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忍城攻略戦の大将は石田三成。三成は、大谷吉継長束正家のほか、佐竹義宣(右の写真は秋田の佐竹史料館のパンフレットに載っていた義宣公の毛虫の鎧)、真田昌幸ら東国の蒼々たる大名ら総勢2万3千余の大軍を率いて忍城を攻めました。
その時、三成が陣を敷いたのが、丸墓山古墳だったのだとか。


丸墓山古墳から忍城方向(行田市の中心部)を眺めるとこんな具合。

101127_2_7


三成は、秀吉の備中高松城攻略戦にならって、忍城を水攻めしたものの、大失敗
以降、三成には「戦下手」の評価がついて回ることになります。


ですが、「忍城の水攻め」は、三成の考えた戦法ではなく、主君の秀吉からの指示だったという説があります。詳しくはこちらのサイトをご覧いただくとして、実際に丸墓山古墳から忍(行田)の街を眺めると、ほとんど真っ平らな地形です。これを水攻めするなんて、普通は考えないでしょう。


と思ったら、備中高松城忍城ほどではないにしろ、平坦な場所にありました。


<iframe scrolling="no" height="300" frameborder="0" width="400" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=h&amp;brcurrent=3,0x3554005c3c770ca9:0xc77ad5b1f8177b26,1&amp;ll=34.692333,133.82163&amp;spn=0.010586,0.017123&amp;z=15&amp;output=embed"> </iframe>

大きな地図で見る


101127_2_8 う~むです…。


右の写真は丸墓山古墳南側の通路なんですが、周りよりも微妙に高くなっているのが見て取れると思います。
これは、三成が忍城の水攻めのために築いた石田堤=いしだづつみ)の跡なんだそうです。

そんないわくつきの道だったにしては、普通の道でした。

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突然、Everything

2010-11-27 06:19:52 | MISIA

昨夜、ちょっとしたきっかけから、YouTubeEverythingのPVを観ました。


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何度も観ているのに、何度観てもいい


MISIAがいいのはもちろんのこと、曲もいい歌詞もいいアレンジもいいPVだって、ストーリーがいい演出がいい


これほどいいがそろったPVなんて、そうそうあるものではないと思います。


PVの後半、大人たちが子どもになって雪の中を走るシーンがありますが、このPVに出演した子どもたち、今は「大人にもどっている」んでしょうなぁ、K.I.T。
このPVが制作されてから、もう10年も経ってしまいましたから…。
彼女たち&彼たちは、どんな思いでこのPVを観るんでしょうか…。


ところで、2002年7月6~7日の両日、EverythingのPVの撮影現場となった横浜赤レンガ倉庫に"メロンパンダ カフェ"がオープンしました。


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せっかく「御招待状」をいただいたものですから、私も行ってまいりましたョ


THE TOUR OF MISIAのステージセットの模型なんぞと一緒に、EverythingのPV撮影に使われた衣装も飾られていました。
数十㎝の距離からMISIAの衣装を見て、改めて、MISIAは小柄な人なんだということを痛感いたしましたです。


グッズ


上の写真は、「メロンパンダ カフェ」グッズのかなり大ぶりなマグカップ
私、このカップはカプチーノ専用として愛用しています。
これだけ大きいと、ミルクをどれだけ泡立てても大丈夫ですから…


   


Everythingといえば、フジテレビの月9ドラマ「やまとなでしこ」(台湾&中国で放映されたときのタイトルが「大和拝金女」っつうのは凄い)の主題歌です。
2年前までは、今の季節になると、毎年のように再放送されていましたっけねぇ。
私は、2008年7月にBlu-rayレコーダーを買いまして、その年の暮れの再放送をしっか録画しまして、Blu-rayディスクに保存いたしました。


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まさか、まさか、これが最後の録画のチャンスになろうとは思いもよりませんでした…。


こちらのディスクは、最高レベルの保存版(盤)です。


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久しぶりに「やまとなでしこ」を通しで観ようかな(そして研修医の花房センセブーたれようか)と思っています。

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古墳に興奮!(その3)

2010-11-26 06:23:54 | 美術館・博物館・アート

古墳に興奮!(その2)」のつづきです。


さきたま古墳公園」の駐車場にこんな観光案内図がありました。

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埼玉県名発祥の地 行田」と書かれています。
行田市のHPに載せられている説明を引用しましょう。


およそ1200年前の奈良時代にできた『万葉集』の中に「前玉(さきたま)の小埼の沼(おさきのぬま)」「佐吉多万(さきたま)の津」の歌があります。この「さきたま」は、現在の行田市埼玉周辺をさす地名であり、今も神社や字名は「さきたま」と読みます。
また、1100年前の平安時代にできた『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』 には、より広い郡名として「埼玉・佐伊太末」とあり、埼玉県の東部地域を「さいたま」郡と呼んでいたことがわかります。
このように、小さな地名、「さきたま」が変化して、より広い郡名「さいたま」として用いられるようになっていったのです。
そして、長い歴史を経て、明治4年(1871)11月14日、現在の北埼玉郡、南埼玉郡と葛飾郡の一部がまとめられて「県」となり、そのときの管 区内のもっとも広い郡名が採用され、「埼玉県」が誕生しました。


101126_1_2 一方、埼玉県のHPには「県章」(公園の歩道には県章をあしらったタイルが敷かれていました)の説明としてこのように書かれています。


まが玉16個を円形にならべたもの。まが玉は、古代人が装飾品などとして大切にしたもの。埼玉県名の由来である「幸魂(さきみたま)」の「魂」は、「玉」の意味でもあり、まが玉は、埼玉県にゆかりの深いものとなっている。


行田市の説明と微妙に違います
行田市の説明の方が説得力を持っている気がしますが、いかがでしょうか。


   


後日ご紹介する予定の「さきたま史跡の博物館」に、稲荷山古墳の約40年前の写真が展示されていました。


101126_1_3何の先入観もなくこの写真を見ると、象潟(きさかた)かと思ってしまいます。


稲荷山古墳

稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳なのですが、1937年に前方部が崩されてしまい、写真のような状態になってしまったのだそうです。


その2」で紹介した将軍山古墳といい、この稲荷山古墳といい、なんとも手荒な扱いを受けたものです。

これだけボコボコと前方後円墳があると、そのありがたみが薄れるものなのでしょうか?


さらに、残っていた後円部も、その後、崖崩れが起こって存亡の危機に

ところが、1968年に起死回生のできごとが起こりました。「古墳群の性質を知り、展示資料を収集するために、古墳を1基だけ調査することになり(「さきたま史跡の博物館」のガイドブック)」、その対象に選ばれていたのが、崩壊しつつあったこの稲荷山古墳でした。
そして、発掘してみると、予想外のことに盗掘にあっておらず、ザクザクとお宝が発見されたのだそうな。
この「お宝」のことは、後日、「さきたま史跡の博物館」と合わせて紹介します。


さて、歴史の教科書にも載っているという稲荷山古墳は、復原工事が行われて、2004年に造営時の姿(と思われる)を取り戻しました


101126_1_4


しかも、登ることができます


前方部から階段を昇り、

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一旦下って、登れば、(中山競馬場のバンケットか?)

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筑波山も見えるし(送電鉄塔が邪魔…)、

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後円部の頂上に再現されたお棺の置き場所も見られます。

101126_1_8 このお棺の土台(礰槨=れきかく)は、もちろん複製で、実物はこの後円部の地中に埋まっているそうです。


古墳に登るなんて、そうそう体験できるものではありませんよね。
さきたま古墳公園」でも、こんな杭を何度も見ました。


101126_1_9 ですが、「登れる古墳」がもう一つあるんです。


そちらのお話は次回。


つづき:2010/11/27 古墳に興奮!(その4)

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古墳に興奮!(その2)

2010-11-25 06:33:12 | 美術館・博物館・アート

古墳に興奮!(その1)」に引き続いて、「さきたま古墳公園」の探訪記です。


その1」の最後に登場した「プチプチ付き」の古墳、近づいてみますと、


101125_1_1


と、やはり埴輪が並べられていました。


将軍山古墳


6世紀後半につくられたと考えられている全長90mのこの古墳、外見が派手なだけではなく、東側に廻ると、


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なんじゃこりゃ~ です。生身の人間だと思っていたら、実はサイボーグだった…ってな感じです。


将軍山古墳は、1894年に地元の人たちの発掘によって横穴式石室が発見され、副葬品が見つかったのだとか。ところが、さきたま史跡の博物館制作のガイドブックによると、


豊富な遺物が出土して、前方後円墳の終末を考えることのできる一級資料として知られていましたが、その後、墳丘は約半分が削り取られてしまいました


だそうです。「一級資料」と知られていたのに、なぜ「削り取られて」しまったのか、この辺の経緯がかなり「意味不明」です。

それでも1991年から発掘と修復作業が行われ、1997年には、壊れていた後円部に「将軍山古墳展示館」が開館したという次第です。


展示館の中には、横穴式石室の床の実物再現された壁と天井、埋葬時の様子が再現・展示されていました。


101125_1_3


おぉ~デス。


101125_1_4 ところで、東京国立博物館(東博)平成館1階にある考古展示室に、「蛇行状鉄器」という摩訶不思議な鉄器が展示されています。
展示されている場所からして、馬具らしいのですが、説明がまったくなく、観るたびに「いったい、これは何に使ったものなのだろうか」と不思議に思っていました。
この疑問を解消する展示が、「将軍山古墳展示館」の中にありました。

101125_1_5 鞍の後ろに取り付けて、ソケットにを差し込めるようにした金具なんだそうな

行田市酒巻14号墳から出土した馬型埴輪によって、この用途が判明したとか。


ガイドブックには、「旗ざお金具」と色気のない名称とともに、


∩形の部分に鞍をつけ、ソケットに旗をさします。用途がわかっていなかったころに「蛇行状鉄器」とも呼ばれていました


と、「東博の展示プレートは古い表現だぜ」と言わんばかりに書かれています。
いいですねぇ~
どうする、東博?


将軍山古墳展示館」は、さきたま史跡の博物館の分館のようなもので、両館共通の観覧券はたった200円


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これはお値打ちですぞぉ~(観覧券の裏側は稲荷山古墳から出土した鉄剣の写真)


将軍山古墳展示館」には、かなり満足いたしました


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しかも、復原された将軍山古墳は、ちょっと離れて真横から観ると、かなりかっこいい


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まだまだつづきます。

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古墳に興奮!(その1)

2010-11-24 06:13:06 | 美術館・博物館・アート

きのう、午前中に雨が上がったことから、クルマおでかけしてきました。
でかけた先はこちら。


<iframe scrolling="no" height="300" frameborder="0" width="400" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=k&amp;brcurrent=3,0x601f2d0384cf7959:0x1256abcc9b222fba,1&amp;ll=36.127407,139.477401&amp;spn=0.010399,0.017123&amp;z=15&amp;output=embed"> </iframe>
大きな地図で見る


埼玉県行田市埼玉(さきたま)と、何ともややこしいというかくどい地名(「神奈川県横浜市神奈川区神奈川」よりはましかも…)の場所にある「さきたま古墳公園」です。
5~6世紀につくられた大型古墳が群れをなしている埼玉(さきたま)古墳群を公園にしたところ。


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これまで、奈良~大阪南部の古墳群を飛行機から眺めたことや、去年の暮れに奈良・西ノ京で垂仁天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東凌:すがわらのふしみのひがしのみささぎ)を間近に見たことがありました(記事はこちら)が、今回はハンパなく近くから見る、いやいや、古墳に触ることも、昇ることも、中に入ることだってできました。

埼玉県立さきたま史跡の博物館の展示ともども、楽しむことができましたゾ


ということで、埼玉古墳群さきたま史跡の博物館の訪問記を始めましょう。


瓦塚(かわらづか)古墳


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さきたま史跡の博物館のすぐ手前にある古墳で、6世紀前半のもの(全長73m)だそうな。

きのう最初に見た古墳がこちらで、後円部ぎりぎりまで民家の敷地が迫っていることや、むちゃくちゃ接近できることにビックリでした(これはまだまだ序の口だった…)。

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101124_1_x1 手前の「出っぱり」は、前方部と後円部をつなぐくびれの左側に突き出している部分で、「造出し(つくりだし)」と言われるもので、埋葬の儀式を行うための場所という見方があるそうです。
これまで私は、前方後円墳といえば、右の図をイメージしていたのですが、左右対称ではないのですねぇ。
勉強になります。

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きれいに色づいた木々の下を通っていきますと登場したのが、


奥の山古墳


6世紀中頃のもの(全長70m)だそうで、現在、発掘調査と堀の復原整備が行われている最中とのこと。


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くびれ」に沿って遊歩道もカーブを描いているのが、なんとも微笑ましい


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ここから後円部の上にあたるを抜けると、


鉄砲山古墳


6世紀後半のもの(全長109m)で、名前の由来は、この古墳の周辺一帯が江戸時代に忍(おし)藩の砲術練習所だったことだそうです。


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自転車に乗った警備員さんが巡回されていきました。
雨が上がってよかったですね、警備員さん


石材屋さんの敷地の横を抜け、県道を渡ると、武蔵国(埼玉&東京のほぼ全域+神奈川東部)で最大の規模を誇る前方後円墳


二子山古墳


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武蔵国最大ということは、当然ながら埼玉古墳群でも最大(全長138m)の前方後円墳です。6世紀初頭前後につくられたものとか。

二重の堀に囲まれていて、現在は水堀になっている内堀は、造営当時には水が張られていなかったと見られているのだそうな。ちなみに外堀は、花菖蒲畑になっているようです(私は稲の切り株かと思った…)。初夏に来れば、ずいぶんと趣が違うことでしょうなぁ。

二子山古墳」の名前の由来は、前方部と後円部がそれぞれ「」に見えたからだとか…。単純です。

私なんぞが心配しても仕方のないことですが、水に浸かったままになっている古墳の周縁部は、崩れたりしないのでしょうか?
よくよく見ると、周縁部が水でえぐられているようなんですけれど…(格好の休み場所にしている鳥には好都合かも…)


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と、ここで私の目に飛び込んできたのは、


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なんだか派手な古墳 縁にプチプチと何かが並んでいます

もしかして「プチプチ」は埴輪か?


と、気分を高めたところで、きょうのところはこれでお終いでございます。
すまんこってす…。m(_ _)m

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検索ワードを「分析」してみる

2010-11-23 09:57:40 | 日記・エッセイ・コラム

今年6月7日の記事「検索ワードっておもしろい」以来、約半年ぶりに検索ワードネタです。
このブログにやってきた人たちは、どんな検索ワードでググってここにたどり着いたのかを探ってみようという企画(ってほどでもないか)です。


OCN Blogzineブログ人の機能に「アクセス解析」というのがあって、「訪問者がどこから来たのか確認をしたり、検索エンジンは何を使用し、検索ワードやフレーズは何を使ってアクセスされたのかを確認」できます。
そして、検索ワードランキングのTOP 30を見ることができるのですが、問題は、人間の感覚として同じワードだと思うワードも、ほんの微妙な違いがあると、「別のワード」として集計されてしまうこと。
例えば、「MISIA」と「misia」も別のワード扱いです。
このまま集計したら「多種少量」になってしまうものですから、似たようなワードを大胆にくくってみました。


前置きはこの辺にしておきまして、ここ3か月(2010/8/25~11/22)の検索ワードランキング、っつうか、構成比です。

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1位は「MISIA系」で44% この中には、「SATOYAMA BASKET LIVE」「life in harmony」といった検索ワードも含みます。


2位は「エコポイント系」で22%。こちらのバリエーションはかなり面白いものになっていて、「エコポイント」というワードに、「封筒」「サイズ」「切手」「郵便料金」といったワードが組み合わされています。


3位は、このブログのごく初期(記事はこちら)から根強い人気を誇る(?)「光ファイバー+工作系」で9%


4位は「東大寺大仏展系」で7%。この内訳を見ると、「フィギュア」を組み合わせてググっている人が圧倒的に多いことに驚かされます。「阿修羅像フィギュア」は購入した私ですが、こちらで書きましたように、東大寺大仏展の公式フィギュアに対してはテンションが低いもので、なんとなくビミョーな感覚です。


つづいて、直近1か月(2010/10/24~11/22)のランキングと構成比を見てみましょう。


101123_1_2おおぉ~、「エコポイント系」がぐ~んと増えて(29%)、「MISIA系」(38%)に迫っています


私が冷蔵庫を買いに家電量販店に出かけたのは2週間前でした。その時も、エコポイント半減前の駆け込みで、店内は大盛況 まるで銀行の窓口のように、番号カード発行機が置かれていて、客が店員さんの順番待ちをするのですよ

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私は20分ほど待ちましたでしょうか…。


きょうとか今週末は、もっと凄いことになっているかもしれません。

買い物の予定がなくても、家電販売店のTV・エアコン・冷蔵庫の売り場を覗いてみてはいかがでしょうか。「一生の思い出」になるかもしれませんぞ


   


ランキングだけでなく、「参照URL」を見るのもなかなか楽しい


夏休みになると「光ファイバー+工作系」が増えたり、「東京都現代美術館+駐車場」(「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展を観に行こう」という人たちでしょう…)が増えたりとか、NHK ブラタモリ丸の内をブラタモリ」(2010/10/14放送)でJR東京駅の丸の内駅舎煉瓦積みが紹介された時は「覆輪目地」をキーワードにこちらの記事にやって来る方が増えたりと、時事ネタの少ないこのブログではありますが、「同時代性」みたいなものを感じます(かなり大げさ)。


今後もひっそりと楽しみます…

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エコポイント申請も3度目ともなれば…

2010-11-22 06:39:45 | ニュース

きのう、新しい冷蔵庫が届きました。
これまで使っていたのが、もう19年目に突入していまして、いつ壊れても、誰も同情してくれない状況にありました。


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家電エコポイント制度が続いているうちに買い換えようと思っていたのですが、なかなか決心がつかずに、日ばかりが過ぎていったわけですよ。

そうした折りに飛び込んできたのが、「家電エコポイントが12月から半減」というニュースです。
詳しくはこちらのサイトをご覧いただくとして、要点を整理しますと、


2010年12月1日以降の購入分からエコポイントを半減
2011年1月1日以降の購入分から対象商品を絞り込む
   加えて、買い替えをしてリサイクルする場合のみエコポイントがもらえる
         (新規や追加購入は対象外
   加えて、「リサイクル分」のエコポイント廃止
エコポイントの申請受付は2011年5月31日(当日消印有効)
但し、予算が足りなくなれば「早いもの順


といった具合。
こりゃ急がねば」と思いました。そんでもって、先々週、注文してきたという次第です。


家電販売店で店員さんの話を聞いて知ったのは、現在のエコポイントをフルにもらうためには、今月中に対象商品を購入すれば良い(領収書の日付が今月中)ということ。
   法人の場合は納品(検収)基準らしいです。
私は、今月中にエコポイント申請書が受理されなければならないと思いこんでいました。
過去の経験からして(例えばこちら)、申込書を郵送してから申請が受理されるまでには3週間程度の時間がかかっています。と、なれば、11月初めには買い替えないとまずいだろと…。
エコカー補助金は、申請書の受理ベースでしたしね…。
でも、店員さんの話を聞いて、かなぁ~り気楽になりました。
これなら、使っている冷蔵庫の中(特に冷凍庫の中)を整理(≒食べる)する余裕をみて、配達は2週間後に、となったわけです。


   


それまで使っていた冷蔵庫の中の整理はおぞましいものでした。
賞味期限が数ヶ月切れているくらいはかわいい方(よくある話)で、数年前に賞味期限が切れたものとか、いつからそこに存在していたの判らない(手持ちの瓶に移し替えた)塩辛とか、ザクザクと発掘 ほとんど「入れ食い」です


101122_1_1 そんな困難を乗り越えて、きのうの朝にはここまでこぎ着けました

もちろん、新旧の冷蔵庫の搬出入通路の確保も万全

(実は、冷蔵庫の下部にある水受けパンのことをすっかり忘れていて、がぁ~~んでした)


冷凍庫に残った餃子アイスクリームは、夏の帰省ドライブに重宝している発泡スチロール製のクーラーボックスに、保冷剤や「氷の塩まぶし」と一緒に閉じこめて、その他の調味料牛乳は「段ボール箱の中で半日だけがんばって」デス。


そんなハードな作業けなげな努力を経て、新しい冷蔵庫が所定の位置に納まりました。

下の写真は新しい冷蔵庫のラベル。


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で、冷蔵庫の入れ換えが終われば、次の作業はもちろん、、、、、疎開していた旧冷蔵庫の住民たちの引っ越しなわけで…


そして、そのまた次の作業が、エコポイントの申請であります。


これまで2回もエコポイントの申請をしたこともあって、すらすらと作業は進行しました。
そうだ 今回は冷蔵庫を買ったお店から「申請書」とマニュアルをいただきました。またネットから申請するつもりだったので、不要ではあったのですが、まぁ、そこは好奇心旺盛な私ですから、くれるというものをいただかないのも…です。


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このマニュアル(目新しい点は無し)をひっくり返しますと、おぉっと、封筒が付いてるぅ~


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これを切って、貼れば、長3サイズ(定形郵便物)の封筒ができあがるという寸法のようです。


このブログにやって来るきっかけになったキーワードには、「エコポイント 封筒」というのが相変わらず上位をキープしています(対象の記事はこちら)。
エコポイント制度の初めの頃(昨年度)は、定形外の「角2サイズ」の封筒でなければダメっぽい雰囲気が漂っていて、一般市民を悩ませていたわけですが、これで長3サイズの封筒でも良いことが確定です(って、前回の申請書を長3サイズの封筒で送って、無事に図書カードをgetしていますけど…)。


101122_1_6 相変わらず、あれは現物だこっちはコピーだ、と紛らわしいところは変わっていませんが、それでも申請書に必要書類を貼り付けて、サインして、手持ちの長3封筒に封入


そして、大事な計量です。


右の写真のとおり、切手を貼る前の段階で24gちょっとですから、郵便料金は80円


ここでご注意


私の場合、25g未満で、料金が80円でしたが、申請書やコピー用紙の種類とか、現物を貼り付ける領収書の紙質や大きさによっては25gを上回る可能性もあります。
ですから、投函する前に、必ず計量してくださいね。
自分で計量できない場合には、郵便局の窓口に持って行きましょう。郵便料金不足で再申請なんて、捺印/サイン漏れで再申請する以上につまらないことですから。


初回&2回目と、引き換え商品に図書カードを選んだ私ですが、今回は某ホテル・グループのギフト券にしました。
OCN Presents THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」の遠征の時に活用したいという算段です。


さぁ、きょうの通勤途中に投函しますゾ

コメント (2)
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