気分がすぐれず(イヤなことがあった)ことから間が開きましたが、「東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その3)」のつづきです。
東京藝術大学大学美術館・陳列館で開催中の「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」には、今度、アフガニスタンに帰国することになった「文化財難民」や復元されたバーミヤン大仏天井壁画のほか、ドーン と目を惹く作品が展示されていました。
それは、ゼウス神像の想像再現石膏像です。
アイ・ハヌム遺跡から出土したという「ゼウス神像左足」をもとに、他の資料を参考にしつつ、全体像(顔はない)を再現したものです・
「ゼウス神像左足」は、東京国立博物館で開催中の特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」の方で展示されておりまして、これが私の心に響きました
断片の大きさは28.5×21.0cmといいますから、丈六仏にはかなわないけれど、かなりデカい
そして、その存在感と安定感ときたら、東大寺南大門の金剛力士像のおみ足と肩を並べるかもしれません。
ところで、どうしてこの断片がゼウス神像(ギリシアの神様)だと判るのでしょうか?
頂いてきた「アフガニスタン流出文化財報告書」によると、
サンダルの革帯の中央にはナツメヤシの樹冠部分をモチーフにしたパルメットの装飾が見られる。その外側には、開花文に続いて翼のついた雷霆(稲妻文)が描かれている。これは鍛冶神ヘーパイストスがゼウスのために鍛えた武器で、これにより、この足がゼウス神のものであることがわかる。
だそうです。
再現された「ゼウス神像」は、まさしくギリシア でした。
それにしても、アフガニスタンの北東部から、なぜギリシア風のものが出土したんでしょうか?
Wikipediaによるとアイ・ハヌム遺跡は、
アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後のエウクラティディア(ギリシャ語版、英語版) (Eucratidia) の可能性もある。"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意。オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とコクチャ川が合流する地点にあり、インド亜大陸への玄関口だった。アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した。
だとか。
ホント、アフガニスタン北東部は、西洋とアジアの結節点だったんだなぁと、改めて思い入りました。
文化・文明の交流・融合なら大歓迎ですが、文化・文明の衝突点になっている現状が淋しい…
そういえば、今、東京国立博物館で開催中の「平成27年度新収品展Ⅰ」(きょうまで)に、素晴らしい塑像(頭だけ)が展示されていました。
男性像頭部
伝アフガニスタン・ハッダ、タバ・エ・ショトール出土
塑像彩色 4~5世紀
ハッダはアフガニスタンのジェララバード南方に位置し、多くの仏教寺院跡が残る。
タバ・エ・ショトールは、2~6世紀におよぶ寺院跡。戦乱により壊滅したが、写真によればギリシア文化の影響が顕著な写実性の高い尊像が残されていた。本像はそこからの発見と伝えられる男性像の頭部。
だそうで、う~んん…、イイ
「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」のを観に行かれるなら、「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」と「平成27年度新収品展Ⅰ」もお見逃しなく
「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」からのハシゴならば、「平成27年度新収品展Ⅰ」は観覧料は不要ですし、「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」は入場無料です(私はわずかばかりのお金を寄付しましたけれど)。
つづき:2016/06/04 東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その5・最終回)