新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その4)

2016-05-29 08:40:24 | 美術館・博物館・アート

気分がすぐれず(イヤなことがあった)ことから間が開きましたが、「東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その3)」のつづきです。

東京藝術大学大学美術館陳列館で開催中の「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」には、今度、アフガニスタンに帰国することになった「文化財難民」や復元されたバーミヤン大仏天井壁画のほか、ドーン と目を惹く作品が展示されていました。

それは、ゼウス神像の想像再現石膏像です。

アイ・ハヌム遺跡から出土したという「ゼウス神像左足」をもとに、他の資料を参考にしつつ、全体像(顔はない)を再現したものです・

「ゼウス神像左足」は、東京国立博物館で開催中の特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」の方で展示されておりまして、これが私の心に響きました

断片の大きさは28.5×21.0cmといいますから、丈六仏にはかなわないけれど、かなりデカい
そして、その存在感安定感ときたら、東大寺南大門の金剛力士像おみ足と肩を並べるかもしれません。

ところで、どうしてこの断片がゼウス神像ギリシアの神様)だと判るのでしょうか?
頂いてきた「アフガニスタン流出文化財報告書」によると、

サンダルの革帯の中央にはナツメヤシの樹冠部分をモチーフにしたパルメットの装飾が見られる。その外側には、開花文に続いて翼のついた雷霆(稲妻文)が描かれている。これは鍛冶神ヘーパイストスがゼウスのために鍛えた武器で、これにより、この足がゼウス神のものであることがわかる。

だそうです。
再現された「ゼウス神像」は、まさしくギリシア でした。

それにしても、アフガニスタンの北東部から、なぜギリシア風のものが出土したんでしょうか?

Wikipediaによるとアイ・ハヌム遺跡は、

アイ・ハヌム(Ai-Khanoum, Ay Khanum)は、アフガニスタン北部のタハール州にあったギリシャ人による古代都市で、アレクサンドロス3世による征服後の紀元前4世紀に作られたグレコ・バクトリア王国の主要都市。アレクサンドリア・オクシアナ (Alexandria on the Oxus) に比定され、後のエウクラティディア(ギリシャ語版、英語版) (Eucratidia) の可能性もある。"Ai-Khanoum" という名称はウズベク語で「月の婦人」の意。オクサス(Oxus、現在のアムダリヤ川)とコクチャ川が合流する地点にあり、インド亜大陸への玄関口だった。アイ・ハヌムは約2世紀に渡り東洋におけるヘレニズム文化の中心地だったが、エウクラティデス1世の死後間もない紀元前145年ごろ遊牧民月氏の侵入によって壊滅した。

だとか。
ホント、アフガニスタン北東部は、西洋とアジアの結節点だったんだなぁと、改めて思い入りました。
文化・文明の交流・融合なら大歓迎ですが、文化・文明の衝突点になっている現状が淋しい…

そういえば、今、東京国立博物館で開催中の「平成27年度新収品展Ⅰ」(きょうまで)に、素晴らしい塑像(頭だけ)が展示されていました。

説明板によれば、

男性像頭部
伝アフガニスタン・ハッダ、タバ・エ・ショトール出土
塑像彩色 4~5世紀

ハッダはアフガニスタンのジェララバード南方に位置し、多くの仏教寺院跡が残る。
タバ・エ・ショトールは、2~6世紀におよぶ寺院跡。戦乱により壊滅したが、写真によればギリシア文化の影響が顕著な写実性の高い尊像が残されていた。本像はそこからの発見と伝えられる男性像の頭部。

だそうで、う~んん…、イイ

「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」のを観に行かれるなら、「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」「平成27年度新収品展Ⅰ」お見逃しなく

「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」からのハシゴならば、「平成27年度新収品展Ⅰ」は観覧料は不要ですし、「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」入場無料です(私はわずかばかりのお金を寄付しましたけれど)。

つづき:2016/06/04 東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その5・最終回)

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東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その3)

2016-05-25 21:47:52 | 美術館・博物館・アート

「東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その2)」のつづきです。
3回で終わりそうもありませんので、遡ってシリーズのタイトルを変更しました。

昨夜のNHK「ニュースウオッチ9」で、2001年タリバーンによって完全に破壊されたバーミヤンの大石仏の頭上にあった天井壁画復元され、それが、反テロの象徴として伊勢志摩サミットで先進各国首脳に見てもらうことになったというニュースが流れていました。

この復元は、1970年代の京都大学中央アジア学術調査隊による調査結果と撮影された写真をもとに復元図を作成し、さらに、東京藝術大学が他の調査・研究結果を盛り込んで行ったのだとか。

その京都大学隊が撮影した天井壁画の写真がこちら。

すでに大仏のお顔は削り取られていたんですな

「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」では、天井壁画立体的に再現されていて、かつ、東大仏から見えていたであろうバーミヤンの風景「再現」されていました。

 壁画のメインとなっているのは、ギリシア由来と考えられる、

四頭の有翼の白馬に曳かれる馬車に乗って、天を駆ける太陽神

で、その周りの図象は、インドペルシアなど、東西の文化が融合したものなのだとか。

その文化的価値の大きさときたら、想像を絶するものがあるのに、「偶像崇拝禁止」を理由に破壊してしてしまったタリバーン蛮行は、およそ理解の域を超えています。

会場内で流されていたドキュメンタリーによれば、タリバーン内にも大仏の破壊反対した人がいたそうですが、それ以前に大仏のお顔が削り取られていたこと、他に展示されていた壁画などの仏さまのお顔の半分くらいが、明らかに人為的に傷つけられていたことからすれば、タリバーンよりずっと前から、異文化・異教の抹殺が行われていたことが察せられました。

敵対する人々を殺すことは、許しがたいけれど、歴史的には必然といえるかもしれないけれど、他人が信仰・崇めるものを破壊する行為は別の意味で卑劣かつ卑怯な行為だとつくづく思ったのでありました。

つづき:2016/05/29 東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その4)

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東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その2)

2016-05-22 21:16:53 | 美術館・博物館・アート

「東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その1)」のつづきです。

東京国立博物館で開催中の特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」は、タダのキンキラキン「お宝展示会」ではありませんで、展覧会のHPから転記すると、

1979年のソ連による軍事介入やそれに続く内戦により同館(アフガニスタン国立博物館)は甚大な被害を受け、その多くが永遠に失われてしまったとみられていました。 ところが、その貴重な文化財は、国立博物館の勇敢な職員たちにより、秘かに大統領府地下の金庫などに移され、その後14年もの間、静かに守り続けられていたことが2003年に判明します。 本展は、この秘宝の再発見を契機に、アフガニスタンの文化遺産復興を支援するために企画された古代アフガニスタンの歴史と文化を紹介する国際巡回展です。2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での開催以来、メトロポリタン美術館、大英博物館など、世界10か国を巡回し、すでに170万人以上が来場しています。

というもの。
特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」のことは稿を改めたいと思いますが、最後の「第5章 アフガニスタン 流出文化財」へぇ~ でした。

アフガニスタン国内が混乱を極めていたさなか、アフガニスタン国立博物館や国内各地の遺跡から多数の文化財が略奪されました。 不法に国外に持ち出された文化財の一部はわが国にも運ばれました。シルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家でユネスコ親善大使を務めた平山郁夫氏は2001年、これらの「流出文化財」を「文化財難民」と位置づけ、ユネスコの同意のもと「流出文化財保護日本委員会」を設立し、 再びアフガニスタンに平和と安定が戻るまでわが国で保護することを提唱しました。同委員会は、これに賛同した人々から譲渡された文化財を保全管理し、必要に応じて修復を行いました。本展では、この機にアフガニスタンへ無事に返還されることになった102件のうち、15件が特別出品されます。

という次第なのですが、平山さんが中心となって、アフガニスタンから流失した文化財を蒐集・保護していることは私も知っていました。
ですが、里帰りが決まり、日本で保護されていた「流出文化財」が一堂に会して公開されるのは今回が最後だとは知りませんでした

そして、この場でもう一つ知ったのは、アフガニスタンに里帰りする「流出文化財」は、東京藝術大学でも展示されているということ

ということで、行ってきたわけです、東京藝術大学

東京藝術大学では、陳列館「バーミヤン 大仏天井壁画~流出文化財ともに~」

大学美術館では「いま、被災地から -岩手・宮城・福島の美術と震災復興-」が開催されています。

アフガニスタン東北地理的には離れていますが、そして人災天災の違いはありますし、片や無料、片や有料の違いもありますが、どちらも手ひどい災禍に見舞われた国・地域です。
そして、奇しくも両展ともテーマは「文化財レスキュー」「復興」

どちらの展覧会も、ドシーン と心に響きました。性格の違う衝撃ではありましたけれど…。

まだ頭の整理がついていないものですから、遅々として筆が進みませんが、取り急ぎ書いておきたいのは、東京藝術大学で開催中の二つの展覧会はお薦めだということ、もしかするといつかまた観ることができるかもしれない「若冲展」よりも、こちらを観ておくべきではなかろうかということ。

今回の「若冲展」を観ることを諦めた僻みではありませんぞ

つづき:2016/05/25 東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その3)

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東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その1)

2016-05-21 22:37:47 | 美術館・博物館・アート

今週も上野に出かけてきました。

きょうの上野大盛り上がり

まずは、大絶賛開催中若冲展は、会期末(5月24日)が近づいていることもあり、当然のように凄まじい行列

私が上野に着いた10時ちょい前の時点で、待ち時間は210分

私は、年休を取って若冲展に行こうかとも思っていたのですが、平日でも3時間待ちはザラという状況を知って、とうに諦めておりました。
まぁ、若冲の作品は、動植彩絵全幅を含んで、あちこちで拝見していますから、今回は諦めても悔いはありません なにせ行列が嫌いなんですから。

もう一か所、いつもと様相を変えて賑わっていたのが、国立西洋美術館でした。

こちらは、建物の世界文化遺産への登録ほぼ確実になったからってことで、ドッと人が集まったものと思われます。

こうした流れからの予想どおり東京国立博物館(トーハク)は、非常に落ち着いておりました。

とりわけ東洋館は、

ほとんど「貸し切り」状態…
もっとも、こんな状態も長続きしませんでしが…

さて、今、トーハクでは、特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」が開催中で、私は先週観てきました

元来、「黄金とか「宝石とかへの興味がさらさら無い私、食指が動きづらかったのですが、そこは東京国立博物館パスポートを持っていますから、せっかくなんで、観てきた次第。

そんな低いテンションで観始めた特別展「黄金のアフガニスタン-守りぬかれたシルクロードの秘宝-」でしたが、いやいやぁ~あなどるべからず、アフガニスタン です。

考えてみれば、私が「ガンダーラ仏」とひとくくりにしてお気に入りにしている仏像たちの多くは、現在のアフガニスタンの国内から出土したものなんですな。

そして、その地理的条件から、ギリシアなどヨーロッパインドや中国などアジアの文明が交錯して融合して、日本から見ればエキゾチックな作品が作られたというわけです。

そもそも、「黄金のアフガニスタン」展コンセプトっつうか、本質が、サブタイトルの、

その輝きに隠された「命がけの物語」

だということに気づかなかったのが、私のミスでした。

もっとも、「黄金のアフガニスタン」展を観て、ミスを十分に挽回できましたけれど…

ということで、「前編」はここまで。

お休みなさぁ~い

つづき:2016/05/22 東京藝大美術館の2展は心穏やかに観られなかった(その2)

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「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その4)

2016-05-19 23:19:38 | 旅行記

クルマ買い替えることが本決まりになり、ボチボチと愛車の「掃除」を始めました。

まずは、ナビ「登録地」を削除。
あまり意識したことがありませんでしたが、私のクルマのナビには45か所ほどが登録されておりまして、それを信号待ちの間に1か所づつ消去していると、それぞれの場所に出かけたことが思い出されて、ちょいとしんみりしてしまいました。

その登録地の中で一番新しいのは、当然ながらこのGW河口湖周辺旅行用に新規に登録した場所でして、もっと具体的に書けば、旅行3日目の出発点となったホテルでした。

というわけで、間が開きましたが、「『MISIA星空のライヴIX @河口湖』遠征3日目のこと(その3)」のつづきです。

IZU PHOTO MUSEUMで開催中の「本橋成一 在り処」では、「その3」で紹介した「上野駅」(1981年)のほか、ごく初期の1963-65年の「雄冬」「与論島」「炭鉱(ヤマ)」から、「藝能東西」(1973年)、「サーカス」(1976年)、「屠場(とば)」(1988年)、「チェルノブイリ」(1996年)と、本橋さんのキャリアを網羅する作品群が展示されていました。

どれもこれも興味深い作品ばかりだったのですが、個人的な思い入れの強い「上野駅」の他には、「炭鉱(ヤマ)」印象的でした。

私、炭鉱の坑口は、トンネルの入口のようにコンクリートでガッチリ固められているか、エレベーターで降りていく竪坑のイメージしかもっていませんでした。

ところが、「炭鉱(ヤマ)」で観たのは、角材(木)で縁を補強した洞穴のような坑口で、朝ドラ「あさが来た」に登場した坑口そのままでした

明治初期そのままの坑口が、昭和中期にも存在していたとは、まったくもってびっくりぽんでした。
三菱・三井のような大資本の炭鉱は別として、中小の炭鉱は、こんなものだったのかもしれませんなぁ。

もうひとつ、別の視点からも面白かった

私、筑豊と聞いて連想するのは、五木寛之の小説(&映画)「青春の門」と、土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」です。

日本の写真史上、「筑豊のこどもたち」は、エポックメイキングな写真集で、「本橋成一 在り処」展での説明板によれば、この写真集が発表された1960年前後もかなりのインパクトを持っていたようで、若き写真家たちドッ筑豊に押しかけたんだそうな。
いいネタだ と思ったんでしょうな。

そんな「若き写真家たち」の一人が本橋さんだったそうで、本橋さんがと仰いだのが、坑夫であり、かつ、文学者でもあった上野英信さん。

ここで登場した上野英信さんのお名前にドキッ

私、読みました 上野さんの本「骨を噛む」

まさか、ここで本橋さん上野さんが繋がるとは です。

それはともかく、上野さんは、本橋さんのことを、ブーム的に筑豊にやって来た功名心に富んだ「若き写真家たち」の一人 としか思わず、フン 的な扱いだったとか。
それから1年経ち、2年経つうちに、筑豊にやって来る「若き写真家たち」がどんどん少なくなる中で、最初の情熱をそのまま持って筑豊に通ってきたのが本橋さんだったのだそうな。

う~む… です。

若き写真家たち」の多くは、当時の日本の(失礼ながら)最底辺を切り出して、世の中に問わねば という社会的使命を感じて筑豊に集まったんでしょうな。

確かに、同時代的ないろいろな現実を世の中に呈示するのも写真の一つの役割ではありますが、時が経ってもなお、色あせない写真というものは、そうした(その当時の)時代最先端としてのありようよりも、その当時では普通の、なにげない光景だったりするのが面白いものだなぁ、、、っつうか、歴史的な意味を持つのではなかろうかと思ってしまいます。

うんうん、面白い写真展でした、「本橋成一 在り処」

つづき:2016/06/07 「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その5)

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気持ち悪いくらい競馬の調子がイイ!

2016-05-16 23:53:40 | 競馬

今日時点の、競馬専用口座の入出金履歴を見ると、こんな具合です。

私、かつては、グリーンチャンネルを観ながら、ひたすら競馬に勤しんだ時期もあったのですが、ブログを始めてからは、競馬に手を出すことがめったになくなり、結果として、私の財産減り具合緩和されました

ふと気が向いて、たまに1~2レースに手を出すと、目も当てられない結果ばかりで、やはり競馬には蓄積が大事だよなぁ…と思っていたのですが…。

それが、どうしたことか、天皇賞(春)から3週連続 というか、3レース連続的中して、今月の戦績は、的中率100%万馬券2本、そして、回収率724%収支+81,720円

毎週のように競馬に励んでいた頃は、年間目標として「回収率80%を掲げていたことが情けなく感じられるような当たり具合です。

いったいどうしちゃったのでしょうかねぇ…

でも、うぬぼれることなく、嗜む程度にとどめておくつもりですぞ。

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雨の日の運転は要注意

2016-05-11 22:26:35 | タウンウオッチング

今から1年半前2014年9月29日の記事「朝も夜も工事渋滞でうんざり」でこんなことを書きました。

ここしばらく、通勤・帰宅時の両方で工事渋滞のおかげで酷い目にあっています。

まず、

国道16号線の「町田立体事業」が佳境に入っていて、東名の横浜町田ICの出口から国道16号に合流するまでが、大渋滞の日々です。

ほぼ連日、料金ゲート手前から車列が詰まっていて、そこから国道16号線に合流するまでの600~700mを通過するのに15分以上かかっています。
この状態は、あと半年は続くのだそうで、ホント、うんざり
しばらくは、朝食のおにぎりをほおばる時間にするしかなさそうです。

この時点では、2014年度末(2015年3月)には工事が終わり、以前のように、スムーズに横浜町田出口からR16に合流できると信じていたのですが、その後、工期が1年延長され、町田立体の本線部分が開通したのは、今年の4月24日(日)午前6時でした。

そして、翌日4月25日の朝、かなり期待を持って東名を走る私の目に飛び込んだのは、

横浜町田出口渋滞中

という電光表示でした
そして、

いったいどういうこと

そして翌日も、この日ほど酷くはなかったものの横浜町田出口からR16への合流は渋滞していて、かつての面影はありませんでした。

職場で保土ケ谷BP(R16)を使って通勤している同僚の話を聞くと、町田立体従来からのR16との分流判り辛いのだそうで、R16を直進して相模原・八王子方面に向かうクルマの多くが、依然として従来からのR16を走っているのかなと推察しました。

そして、そして、GWが明けると、私の朝食タイムとなっていた横浜町田出口~R16の渋滞は消え去っていました

いやぁ、めでたい

   

一方、私の通勤時のもう一つのネックとなっていた首都高速・中央環状線(C2)西池袋~中野長者橋渋滞は、好転することなく、相変わらずです。
おかげで、遠回りになる都心環状線(C1)に迂回することも多くて、最近のC2経由とC1経由の比率は2:3くらいかな?

そして今朝、自宅を出る直前にJARTICのサイト交通情報を見ると、首都高速・5号線上り東池袋付近で事故による車線規制と渋滞が発生していまして、「きょうはC2経由確定だろな」と思って出発したのですが…。
おぞましいことに、自宅を出発したあとで、C2の西池袋付近「ワゴン車3台による事故」が発生したそうで、高島平から志村料金所まではかなり順調だった5号線は、板橋JCT手前から酷い渋滞でした。

C1の東池袋C2の西池袋2か所で事故られたら、2ルートがふさがれた状態で、たまったものではありません

結局、一旦、板橋本町で首都高速から降りて山手通りを走り、初台南から再び首都高速(C2)に乗ることにしました。

ここで効いたのが、今年4月からの料金改訂でした。
「ほぼ完全距離制」になったおかげ? で、首都高速途中で降りて乗り継いでも、料金首都高速を走った距離相当分だけになっています。

高島平~東名接続の通行料は、フルに首都高速を使った場合1.100円なのですが、高島平~板橋本町初台南~東名接続の料金の合計は830円でした。
これが昨年度までの料金体系ならば、合計で1,200円以上になったはず。

う~む、、、、「実質値上げだ憤慨していた新料金体系にも取り柄があるんだ…

それはともかく、の朝の首都高速って、ホント、事故が多い

自分のためにも、他のドライバーのためにも、の日の運転にはご注意くださいますよう、心からお願い申し上げます。

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「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その3)

2016-05-10 22:28:14 | 旅行記/美術館・博物館・アート

『MISIA星空のライヴIX @河口湖』遠征3日目のこと(その2)」のつづきです。

クレマチスガーデン & ヴァンジ彫刻庭園美術館の鑑賞を終えた私は、美術書雑貨が販売されているNOHARA BOOKSをぶらり

ちょっとした雑貨が気に入って それを買おうかと思ったのですが、ちょっと荷物になりそうだったもので、それを買う前に、「本橋成一 在り処(ありか)が開催中のIZU PHOTO MUSEUMに向かいました。

本橋成一さんのプロフィールは、

本橋成一(1940年– )は1960年代から市井の人々の姿を写真と映画という二つの方法で記録してきたドキュメンタリー作家です。写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞、映画「アレクセイと泉」で第12回サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリを受賞するなど国内外で高い評価を受けています。
本橋は炭鉱、大衆芸能、サーカス、屠場、駅など人々の生が息づく場をフィールドとし、社会の基底にある人間の営みの豊かさを写し出してきました。また、チェルノブイリ原発事故の後もかの地で暮らす人々の日々を主題としてこれまで写真集3冊と映画2作品を制作しています。2016年はチェルノブイリの事故からちょうど30年目の節目の年になりますが、被曝した故郷をテーマとした本橋の写真は、3・11を経たわれわれによりいっそう切実なメッセージを投げかけてきます。

というもので、私は、1983年に刊行された本橋さんの写真集「上野駅の幕間」を持っています。刊行から間もないタイミングで購入した初版本でして、購入価格3,800円と、当時の私にとしては、かなり思い切って購入した記憶があります。
30数年経った今でも、ちょっと二の足を踏む価格の写真集ですが、書店でペラペラめくって見た印象は強かった

その「上野駅の幕間」が、3~4年前復刊しました。

上野駅の幕間 本橋成一写真集
本橋 成一
平凡社

 

東北・上越新幹線大宮駅ターミナルとして開通したのが1982年で、大宮~上野間が開通したのが1985年、そして、さらに東京駅まで延伸して上野駅が「ターミナル」でなくなったのが1991年のこと。

「東京の北の玄関口」たる上野駅の最後の栄光の日々がこの「上野駅の幕間」に閉じこめられているわけです。
もっとも「栄光の日々」の日々とは不似合いな、でも、いかにも「昭和の上野駅」な写真も多いのですが…。

「本橋成一 在り処(ありか)展でも「上野駅の幕間」に収録された作品がいくつか展示されていました。

1985年に東北・上越新幹線が大宮まで延伸される前に「ターミナル駅としての最後の風景」を撮影した作品。かつての上野駅は、東京と東北を結ぶ玄関口として出稼ぎの労働者をはじめとした雑多な人々が行き交い時間を過ごす「広場」であり、人と駅の関係は無数の幕間の物語をうみだしていた。かつては人の手で行っていた列車運行案内も現在は電動式列車案内板に変わっている。

と説明されていますが、1980~1985年頃上野駅が、こんな風だったのだと、改めて目の当たりにして、「上野駅の幕間」を初めて見たときの感覚(同時代性みたいなもの)との違い大きさに、時の流れの早さを見た気がした私でした。

つづき:2016/05/19 「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その4)

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「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その2)

2016-05-09 22:24:45 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『MISIA星空のライヴIX @河口湖』遠征3日目のこと(その1)」のつづきも、ヴァンジ彫刻庭園美術館で観た企画展「KIGI キギ in Clematis no Oka」のことから始まります。

最後に紹介するキギの作品はこちら

開かれた書物の見開き中央部に、色美しいたちが止まっています。
その一つをアップしますと、、、、

書物のページからが浮かび上がっているように見えます。
これらの作品「SPECIMEN OF TIME #001」の説明書きを転記しましょう。

私たちは、古い書物の真ん中辺りの見開き頁の表裏に、水彩絵の具でひとつひとつの絵を描いた。
描き終わった後、胴体に接するところは残して、蝶の羽のアウトラインを丁寧にカッターで切りとる
そうすると製本された本の構造上、テンションの違いで切りとられた羽が自然と起き上がる
私たちは、擬似的に蝶の生まれた瞬間に立ち会う。

本との出会いは、人生の道しるべになることがある。読み手は、一冊の本の中で何かを決めるかもしれないし
また、ある一文に出会うことで、進むべき方向を改めることがあるかもしれない。

誰かにとって光が差し込んでくる瞬間。蝶が羽ばたくその姿は幸せの象徴。

私たちはこの“瞬間”「時間の標本」として、残すことにした。

だそうです。

確かに美しい
確かに見事なアイデアです。

でも、よりもに対して、ある意味フェティシズムを持つ私にとっては、なんとなくわだかまりが残る…。

これらの書物たちは、読まれることよりも、このような美術作品の素材として残ることを望んでいるのだろうか…

そんなことを考えてしまったわけですな。

「その1」で、「ONE OFF DESIGN_FAKE VACES FOR FAKE FLOWERS」について感想を書こうとして行き詰まってしまった私、その行き詰まりの理由と、「SPECIMEN OF TIME #001」に対するわだかまりとは、性格の異なるものとは思いつつも、そして、作品に対してはある程度の敬意を持ちつつも、要はキギとは肌が合わないとも思ったのでありました。
もっとも、Chim↑Pomに対するような「嫌悪感はないのですが…。

   

ちょっと複雑な気持ちを抱えたままに出た私の目に飛び込んできたのは、

体中のコリが消え去るような気持ちの良い眺め
もう一丁

なんだか、小賢しい(書いちゃった…なんか、到底たどり着けないものを見た・感じた気がしました。

つづきき:2016/05/10  「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その3)」

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「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その1)

2016-05-08 20:55:21 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『MISIA星空のライブIX @河口湖』遠征2日目のこと(後編)」のつづきです。

ここからはダイジェスト版ではなく、旅行記の詳細版にします。こちらを書き終えたあと、2日目の詳細版も書きたいと思っています。
ちなみに初日のことは、基本的に自宅から河口湖ステラシアターへ直行したものですから、旅行記として書くべきことはないかも…。
せいぜい、13時ちょい過ぎに出発したら、中央道藤野PA八王子IC区間が渋滞していたほかは至極順調で、15:30には河口湖ステラシアターに到着できたことくらいかな?
現地で会った皆さんの話を聞くと、東京周辺を朝早く出発した人ほど酷い渋滞にハマったみたいでした。
加えて、「富士芝桜まつり」に足を伸ばした人は、こちらでも渋滞&混雑を味わった由。
私は、河口湖ステラシアターに出かけるときは、当日午前~昼下がりの観光はハナからあきらめています。もう、MISIAのライヴだけ って感じ。
これはこれで一つの生き方ですって、大げさですな

   

さて、3日目のテーマは「アート」にしました。
ホントは、初めての岡田美術館に行ってみようかと思ったのですが、開催中の展覧会「古九谷×柿右衛門×鍋島」「江戸食器の華 古伊万里の世界」には食指が動かず、2800円払ってまで観ることもないか…と断念。代えて、久しぶりのMOA美術館はどうかと思ったら、

MOA美術館は休館中

今年の3月から11か月間の休館

それならば、と向かったのはクレマチスの丘でした。
泊まったホテルからも近いですし、、、って、呆れるほど近くて、ホテルを出発して15分後には到着していました

これで4回目になるクレマチスの丘、今回はクレマチスガーデン&ヴァンジ彫刻庭園美術館IZU PHOTO MUSEUM、そしてベルナール・ビュフェ美術館3か所を巡りました。
今回井上靖文学館パス

で、久しぶりのクレマチスガーデンではキレイ

ヴァンジ彫刻庭園美術館では、企画展「KIGI キギ in Clematis no Oka」が開催されていました。

KIGI ? 初めて聞くお名前です。

説明によれば、

植原亮輔渡邉良重が2012年に設立したKIGIは、アートディレクションやプロダクトデザインのほか、オリジナルのアートワークの制作を行うなど、多岐にわたる活動を続けてきました。綿密なコンセプトを持ち、物事やアイディアを理論的に具現化することを得意とする植原亮輔と、柔らかな感覚で優しく繊細な世界を生み出し続ける渡邉良重。2人の異なる感性が重なり、影響し合うことで、誰をも惹き付けるKIGI独自の世界が生まれています。

だそうですが、入口に展示されていたこれ
ヴァンジ彫刻庭園美術館では館内外とも写真撮影OKでした

このビニール製のフラワーベースなら知っています
埼玉県立近代美術館のミュージアムショップで見かけて、プレゼント用に買おうかと思案したことがありましたっけ… まだ買っていませんけど…

次の作品「IMPLOSION↔EXPLOSION」は、

一見、モザイク網版のように見えるのですが、間近に観ると、、、

様々な色・模様の円形シールで構成されています
長方形の写真が歪んで見えて面白い

説明には、このように書かれていました。

ふと、世の中を眺めていると、ある定められた大きな秩序を垣間見ることができた。
私は、剥離紙の上に一様に並ぶ丸いシールによって、表現を試みることにした。
剥がされ、解体され、拡散していく。

なるほど…

次は、「ONE OFF DESIGN_FAKE VACES FOR FAKE FLOWERS」というタイトル(「壺」ならば「VASES」なんだろうけれど、説明書にはこのように表記されていました。意図的なのか単なるミスなのか不明)の一群の「壺」

説明によれば、

良かれと思い、大量に生産されたフェイクフラワーは、現代の憂いを抱いた工業製品であると私たちは考えた。
そのようにして溢れる工業製品は現代の社会問題のひとつでもある。しかし、そのフェイクフラワーたちは
人々の手によって売られ影を背負いながらも一生懸命咲こうとしているようにも感じた。
私たちは、それらのフェイクフラワーの為に、文具メーカー(コクヨ社)が生産する際に不要になった表紙の紙を使い
ひとつひとつ愛情を込めて壺(花器)を制作した。

とあります。
へぇ~と、壺を上から覗き込むと、、

おわぁ~、ホントにキャンパスノートの表紙だ

むむむむ…、感想を書こうにも頭の中がまとまらない…

そんなわけで、かなりかなり中途半端ながら、きょうはここまで

つづき:2016/05/09 「MISIA星空のライヴIX @河口湖」遠征3日目のこと(その2)

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