新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

紀伊半島旅行記(その28:奈良④)

2014-07-12 13:43:22 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その27:奈良⑤)」のつづきです。

海龍王寺の住所は、「奈良市法華寺北町897」で、その町名のとおり、法華寺の近所、、というか、お隣です。

JR奈良駅西口から乗った普通の路線バス「法華寺で降りた私は、まず法華寺に参拝し、

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そのあと、時計回り(遠回りです)に海龍王寺を目指しました。

奈良時代初期には藤原不比等の邸宅があったという法華寺周辺、法華寺の北側には住宅が建ち並んでいました。

そんな民家の一軒の雨どい凄かった

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雨どいの「止まり」の部分に、大きな宝船の飾りがついていました

私がこの写真を撮っていると、通りすがりのご夫婦も、「面白いと喜んでいました。
そして、私に、「良く見ていますねぇ」ですって
まぁ、それが私ですから…

   

さて、海龍王寺

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 海龍王寺は、堂宇としては、本堂、西金堂と経蔵がある程度の小さなお寺ですが、歴史は古い

リーフレットを引用します。

此の場所には、飛鳥時代より毘沙門天を祀った寺院が在り、藤原不比等が邸宅を造営した際にも取り壊されることなく屋敷の東北に取り込まれる形で存続していましたが、光明皇后の御願により天平3年(731)、新たに堂宇を建立して伽藍をあらためたことで、海龍王寺(隅寺)としての歴史を歩むこととなりました。
海龍王寺が建立されたのは、第8次遣唐使として唐に渡っていた玄が、一切経・五千余巻と一切経に基づく新しい仏法を無事にわが国にもたらすのを願ったことと、飛鳥時代から北の方角を守る毘沙門天を祀ることで、平城宮の東北(鬼門)を守るためでありました。

でましたなぁ~、東北の鬼門艮(うしとら)(過去の記事「艮(うしとら)にこだわる」

それはともかく、飛鳥時代から続く歴史ながら、現在は、小さな本堂と西金堂などが残るだけです。

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 もう一度リーフレットから引用しましょう。

鎌倉時代に隆盛を迎えましたが、京都で応仁の乱が起こると、大和に攻め込んできた軍勢により打ち壊しや略奪に遭い、また、慶長の地震が重なったことで壊滅的な打撃を受けました。
江戸時代になると、徳川幕府より知行として百石を安堵されたことで伽藍の修復や維持・管理が行えるようになり、本堂の解体修理や仏画の修復がなされ、「御役所代行所」としての役割も果たしましたが、明治時代になると廃仏毀釈の嵐に呑み込まれ、東金堂や多数の什器を失い荒廃にまかされていましたが、昭和40年から42年にかけて西金堂と経蔵の解体修理が行われ、以降、境内の整備や修復が進められています。

だそうです。

またまた登場、「廃仏毀釈の嵐 (下の写真は東金堂址)

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奈良の歴史において「廃仏毀釈」は、平重盛による南都焼討三好・松永らの争いと並ぶ三大災厄じゃなかろうかと思います。
そんなことを考えながら、バスに乗って奈良市街地へ戻ったのでありました。

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「その27・奈良③」を書くにあたって、海龍王寺の五重小塔のことを調べていると、もう1基、国宝の五重小塔が存在することを知りました。
しかも、それを所蔵(?)するのは元興寺だというのだから驚きをもう一丁

といいますのも、奈良市街地に戻り、奈良県立美術館東大寺(転害門・東大寺ミュージアムほか)興福寺国宝館と巡った後、次に目指したのが元興寺でしたから

「木簡形一日フリー乗車券」を提示すると特典を受けられる施設の中に元興寺が含まれていまして、

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ケータイのGoogleマップを頼りに元興寺に行き、国宝の本堂企画展「元興寺の聖徳太子信仰」を観ようと思った次第です。
そして、元興寺に到着

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塔(東塔)の礎石を見物したり、

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仏足石を眺めたりしたのですが、

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企画展「元興寺の聖徳太子信仰」を開催している風情は皆無
そもそもそんな展覧会を開催できる施設なんぞありませぬ…
いったいどういうこと?
「狐につままれたようだ」というのは、こんなことかもしれません。

実は、現在、元興寺二つありまして、私が行ったのは芝新屋町にある「華厳宗 元興寺」で、企画展「元興寺の聖徳太子信仰」を開催しているのは中院町にある「真言律宗 元興寺」の方でした。
もとは一つのお寺だったのが、諸事情によって二つに分かれた由。

そんな事情はつゆ知らず、すぐ隣りにある「真言律宗 元興寺」にたどり着くことはできなかった私でありました
街角の案内板をよくよく読めば、塔址のある元興寺とは別の元興寺があるらしいことを察せられないこともないけれど、もうちょいと丁寧な案内がほしいゾ

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ところで、「真言律宗 元興寺」所蔵の国宝「五重小塔」は、今年10月15日から東京国立博物館で開催される「日本国宝展」に出陳されるようです(こちらをご参照方)。

平成では3回目となる東京国立博物館の「日本国宝展」。
時空を超えて、約120件の国宝が集結します。

という特別の特別展東博では、またまた凄い行列ができるのだろうか…

話が逸れてきましたので、ここで一息入れます

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