新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

予想以上に見応えのあった「栄西と建仁寺」展 (後編)

2014-03-31 22:13:22 | 美術館・博物館・アート

「予想以上に見応えのあった『栄西と建仁寺』展」の後編です。

140331_1_01 特別展「栄西と建仁寺」を観ているうち、途中で退屈しかかった私でしたが、「第4章 建仁寺ゆかりの名宝」では、ほげぇ~状態に

さすがは古刹・建仁寺、持っていらっしゃいます
「お持ち帰り」したいお宝が目白押しでした

まず惹かれたのは、香炉・花立て・燭台のセット「三具足」
17世紀(安土桃山~江戸時代)の作品だそうですが、燭台を支える獅子がかわいい
相国寺で見かけた石灯籠と相通ずるものを感じました。

140331_1_02 写真でお伝えできないのが残念です図録を買わなかったもので…)。
大きさも手頃(あまり意味がないけれど)でしたし、この燭台が一番「お持ち帰り」したい作品でした

この他、海北友松長谷川等伯狩野山雪白陰慧鶴曽我蕭白長沢盧雪伊藤若冲仁阿弥道八と、金看板が勢揃い

この中では、長谷川等伯の作品がイマイチで、どうしたんだよハッパをかけたくなりましたが、その他の皆さんの作品は逸品ぞろい

若冲「雪梅雄鶏図」は、いかにも若冲 でしたし、

140331_1_03_2盧雪「牧童吹笛図」も、いかにも盧雪でした

140331_1_04「筆の代わりに指を使った」という「牧童吹笛図」は、そのタッチたるやポストカードからスキャンした画像では全然伝わらないのが辛い
若冲「雪梅雄鶏図」も同様で、現物のニワトリは、威風堂々生気に満ちていました
こればかりは、でご覧いただくしかありません。

このほか、友松「人物花鳥押絵貼屏風」は、とりわけ第5扇が素晴らしかったし、蕭白「山水図」も良かったぁ~
これまた画像が無いのが残念でなりません

   

ということで、最後はやはり宗達「風神雷神図屏風」

140331_1_05

凄い… としか言いようがありません。
何でしょう、この躍動感、このオリジナリティ
日本美術を代表する作品の一つであることは間違いありません

雷神風神も、フレーム(屏風)からはみ出している構図なんて、まるで風神雷神がやって来たその時のスナップショットのようです。

一生に一度はご覧になることをお薦めします

ところで、どうして雷神風神図屏風」ではなく風神雷神図屏風」なのでしょうか?

私なんか、「左隻の雷神⇒右隻の風神」の順番に観てしまいますから、雷神風神図屏風」の方がしっくりくるのですが、これは横書きを「左から右」に読むことに慣れているから?
昔の人は「右から左」に観た(読んだ)のでしょうか?

そういえば、古い篇額「右から左」のものが多いですなぁ…

ちなみに、日本武道館篇額正力松太郎筆らしい)も「右から左」ですな。

140331_1_06

ちょいと話がズレましたが、この機会に、是非、宗達の「風神雷神図屏風」をご覧くださいませ
4月8日からは、東博所蔵の光琳の「風神雷神図屏風」本館2階で展示されるそうですから、見比べてみるのも楽しいかもしれません。

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予想以上に見応えのあった「栄西と建仁寺」展 (前編)

2014-03-30 09:51:32 | 美術館・博物館・アート

「上野の桜は6~7分咲きでも東博は…」のつづきは、東京国立博物館(東博)で開催中の特別展「栄西と建仁寺」のお話。

140330_1_01

「開山・栄西禅師 800年遠忌」を記念したこの展覧会、目玉は、なんといっても、フライヤーの惹句(キャッチコピー)にある

国宝“風神雷神” 5年ぶりに参上

という、建仁寺所有(京都国立博物館へ寄託)の俵屋宗達「風神雷神図屏風」でしょう
私も、初めて拝見することになる「風神雷神図屏風」がお目当てでした。

惹句にあるように、この作品は、2008年秋に東博で開催された「大琳派展-継承と変奏-」尾形光琳の「風神雷神図屏風」と共に展示されたらしいのですが、この展覧会には私は行っていませんし(当時、琳派への興味が薄かった…)、同年夏に東博で開催された特別展「対決 巨匠たちの日本美術」でもそろい踏みしていますが、私がこの展覧会に出かけた日がズレていて、結局、宗達の「風神雷神図屏風」には一度もお目にかかれませんでした
光琳の「風神雷神図屏風」は何度か拝見したのですけれど…(下の写真は去年1月に拝見したときのもの。撮影でした)

140330_1_02

   

宗達の「風神雷神図屏風」の話は後ろに廻しまして、展覧会冒頭の「序章 禅院の茶」から。

会場に足を踏み入れて早々に圧倒されました

東博・平成館2階の特別展示室に、建仁寺方丈の一部が再現されているではありませんか

「1089ブログ『栄西と建仁寺』」から写真を拝借しますと、こんな具合。

140330_1_03

栄西の誕生日・4月20日に毎年行われているという四頭茶会こちらのPDFをご参照方)の会場を再現したもので、調度のほとんどが本物

実際の四頭茶会の様子はビデオで流されていまして、それがまた、面白い
140330_1_04お客さんが掲げ持った茶碗(予め抹茶が入れられている)に、係のお坊さんが立ったまま左手に持ったポット(浄瓶:じんびん)からお湯を注ぎ入れ、次に、右手に持った茶筅でかき混ぜてくれます はっきり言って無精極まりありません

でも、日本にをもたらした茶祖・栄西さん所縁の茶会の作法ですから、現在に繋がる茶の作法の原形がこういったものだったのかもしれません。

   

のっけから盛り上がった特別展「栄西と建仁寺」でしたが、そこからしばらくは、経典や書翰の展示が続いて、私としては退屈 高僧の頂相もねぇ…

このまま「風神雷神図屏風」まで行くのか? と不安になった私でしたが、高僧の木像の辺りから状況が変わってきました。

イイじゃありませんか

モデルたる高僧に対する施主・仏師の崇敬の念が現れていて、が伝わってくる気がします。

なかでも中厳円月坐像は、中厳円月禅師が実際に目の前に座っていらっしゃるようで、身も心も引き締まる思いでした。

   

今、このブログでは、昨年末の名古屋遠征の旅行記「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開」シリーズを書き続けていて、有楽苑訪問記の途中です。

この有楽苑の中心をなす国宝茶室「如庵」は、もともと織田有楽斎建仁寺の塔頭・正伝院を再興して、その敷地内に建てたものなわけで、建仁寺織田有楽斎とは強いで結ばれています。

140318_1_04

明治初年の廃仏毀釈期(また出た…)、正伝院は廃寺となった建仁寺の塔頭・永源院の跡地に移転すると共に、寺号を正伝永源院に改め、現在に至っている由。

「栄西と建仁寺」展では、その正伝永源院所蔵の「織田有楽斎坐像」「織田有楽斎像(狩野山楽筆)」が展示されていまして、ふと、心が犬山に飛んだ私でありました(旅行記の最新はこちら)。

そうそう、「織田有楽斎坐像」の衣紋が微妙に法隆寺釈迦三尊像を連想させて、面白かった…

と、ここで一息入れます。

【追記】紙幅の都合でちょっと情報を追加します。

「栄西と建仁寺」展音声ガイドのナビゲーターは、中谷美紀さん。(私はいつものように借りませんでした

140330_1_05

140330_1_07 ちなみに、ご近所国立科学博物館で開催中の特別展「医は仁術」音声ガイドは、大沢たかおさんがナビゲーター

140330_1_06

う~む… であります。(2014/03/30 15:42)

つづき:2014/03/31 予想以上に見応えのあった「栄西と建仁寺」展 (後編)

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上野の桜は6~7分咲きでも東博は…

2014-03-29 21:42:54 | タウンウオッチング

上野へ出かけてきました。
まだの開花から間もないというのに、好天に誘われたか、なんとも凄い人出
上野駅公園口の改札を出るのも大変なくらい…
ソメイヨシノは、まだ5分咲きから6分咲きって感じなんですが…。

140329_1_01

でも、恒例の「博物館でお花見を」が始まった東京国立博物館(東博)の中では桜が満開でした。

とりわけ本館10室(2階)の浮世絵は、展示されている29点すべてに桜が描かれているという徹底ぶり
廣重の作品が盛り沢山で、私としてはうれしい
たとえば、「東都名所 飛鳥山花見」(電車から見たきょうの飛鳥山5~6分咲きでした)とか、

140329_1_02

「青楼花見略図」とか、

140329_1_03_2

楽しめました

140329_1_04 この他にも、豊国のデカ過ぎて(大判5枚続き)写真にとれなかった「新吉原櫻之景色」とか、二代鳥居清元の肉筆画「桜下遊女道中図」も良かった…

そして、同じ本館10室の衣装(江戸)づくし

140329_1_05

といえばお花見お花見といえばお弁当、、、と言えるかどうか人様々でしょうが、こちらの展示は多分にそれを意識したものだと理解しました。

140329_1_06

江戸時代(19世紀)の「葵紋蒔絵野弁当」、説明板の英語タイトルは「Picnic Set」
説明板によれば、

野弁当は、大名のピクニックセット。花見や観楓などの行楽や、道中のための飲食器一揃である。酒器や重箱、飯椀・汁椀から、多くは茶を点てる道具までを含むため、茶弁当ともいう。箱側面の上部につけた金具に棒を通して肩に担ぎ、持ち運んだ。

だそうです。
落語の「長屋の花見」とはエラい違いですなぁ…

   

東博では、これまた恒例の「春の庭園公開」が開催中(4月13日まで)で、本館館内同様に大勢の人で賑わっていました。

140329_1_07

東博の良いところに、植えられている種類が多いことがあります。
ですから、上に載せたエドヒガンシダレのように、ソメイヨシノより一足お先に盛りを迎えているのもあれば、まだまだおねむヨシノシダレもいたりします。

140329_1_08

このヨシノシダレ東博では、「右近のユリノキ」と共に名物「左近の桜」なんですが、樹勢が弱っているようで(ご覧のとおり「大手術」を受けています)気にしているところです。
この様子からして、今シーズン以降しばらくは往年のような素晴らしい姿を拝見することは望むべくもありませんけれど、それでも、しっかりと花芽は育っていました

140329_1_09

ガンバレー東博ヨシノシダレに声援を送ります

特別展「栄西と建仁寺」の話は日を改めます。

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Just timing!

2014-03-27 22:48:11 | MISIA

一日一日と年度末が迫ってきて、それと共に、MISIAファン仲間の皆さんは心落ち着かなさが高まっているのではないかと思います。
4月1-2日は、MISIA関連のイベントが盛り沢山ですから

こちらの記事ダブりまくりではありますが、ちょっとおさらい

まず、4月2日、ニューアルバム「NEW MORNING」が発売されます

parts:eNozsjJkhAOz1FQjkyTTlBS/iuJsPyNHk6JA+6LUHFsDJlMTAyZjAxMmAwDfIwoe]

4月1日には予約したのが自宅に届いている見込みで、非常ぉ~に楽しみです

併せて、「NEW MORNING」ハイレゾでも配信されるそうで、こちらにも手を出しそう…

そして、4月2日は、1年以上に渡る「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」ツアーの掉尾を飾る「MISIA星空のライヴVII ~15th Celebration Thank you 15, Happy 16~Bunkamura オーチャードホールで開催されて、その模様は「YouTube全世界生中継」

 

さらに、4月21日 23:00MISIA新レギュラーラジオ番組「MISIA アフリカの風」が始まります

140316_1_03

私が一番気にしているのは、この「MISIA アフリカの風」でして、全シリーズを聴き通すことができるか、全然自信がないのですよ。

一応、ラジオ番組を予約録音する機器は持っているのですが、しっかりと録音する自信がありません
なんか失敗したり、いつか予約するのを忘れるような気がするのですよ。

そんな心配していた先日、Vectorからこんなメルマガが届きました。

140327_1_01

「【過去最安】radiko・らじる★らじる完全対応『ネットラジオレコーダー3』Windows版、Mac版、メール限定Hybrid版もあります」というタイトルのメールで、この「ネットレコーダー3」は、

 「ネットラジオレコーダー3」は「radiko」「らじる★らじる」などのインターネットラジオを誰でも簡単な操作で録音・再生ができるソフト。
その場で録音「即時録音」機能や、便利な「予約録音」機能も搭載。

なんだそうな。

まさしく望んでいる機能を持ったソフトだぁ

コメント・評価イマイチながら、余りにもドンピシャのタイミングで入ってきた情報ですから、思い切って購入しました。
そして、試しにNHK-FMのとある番組を「予約録音」してみますと、かなり良い音質で録音できています。

これなら使えるかも…

ちょっと不便な点予約録音するときは、PCの電源を入れて、かつ、このソフトも立ちあげておかなければならない etc.)も散見されますが、ステレオセットにMDをセットして予約録画するよりは失敗の可能性が低そうですので、ちょっと期待しています。
MDに録音するのではなく、「ネットレコーダー3」PCMP3で録音すれば、通勤・帰宅時のクルマの中で聴くのも簡単ですし。

最善を尽くします
そして、自分にGood Luck

【追記】大ボケをカマしてしまいました

ラジオ番組「MISIA アフリカの風」の第1回は4月2日ではなく4月1日でした

こんな間違いから録音を失敗してしまうんでしょうな…

併せて、何カ所か追記しました。(2014/03/28 22:59)

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今さらながら…ではありますけれど…

2014-03-26 22:17:49 | 日記・エッセイ・コラム

101017_1_8ホント、今さらながら…なんですけれど、突然、Twitterを始めてみることにしました。
Twitterには、これまで敢えて手を出さなかったのですが、まぁ、試してみてもいいか… ということで、どちらかといえば、フォローするためのアカウント新設で、あくまでも私の発信のメインこちらのブログです

 

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仙台は寒くて、そして、熱かった

2014-03-23 22:31:03 | MISIA

仙台への1day tripを終えて、自宅に帰ってきました。

いやぁ~、良かった

140323_1_01

ミュシャMISIAも…。

って、半ば冗談交じりですが、、今夜の「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」仙台公演は、冗談抜きで、ホント、良いライヴでした。

140323_1_02

きょうの仙台は、時折小雨が降る、予想以上に肌寒い天気でしたけれど、東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の場内は、素晴らしい熱気に包まれていて(1曲目が終わった直後、背中に感じる拍手と声援は未だかつてないほどの迫力)、MISIA絶好調に近くて、もう最高 って感じでした。

取り急ぎ、きょうのところはこの辺で失礼します。
シャワーを浴びたいもので…

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明日は仙台へ日帰り旅行

2014-03-22 21:03:41 | MISIA

「旅行」に相当する英単語を探すと、いくつも見つかります。
おなじみの「travel」に始まって、「tour」「journey」「trip」「excursion」「voyage」
随分あるものですな。
英語で「you」に相当する日本語を思い浮かべると、「あなた」「おまえ」「あんた」「きみ」「おぬし」「そなた」「そこもと」、さらに「こんな(広島弁)」「おめ(秋田弁と、日本語の豊穣さを感じますが、「旅行」に関しては、こちらで書いた「馬と同様、英語の方が奥深そうです。
さて、明日、私は仙台への日帰り旅行を予定しています。
日帰りですから、英語では「trip」に当たるのでしょうか…
目的はもちろんこちら

140322_2_01

いよいよ、私にとって「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」のレギュラー・ツアーでは最後の参戦です。

「最後」にふさわしく、会場は私が成人式で出かけた思い出の場所「東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)」ですし、しかも、座席最前列
これまで「2列目だけど、前に座席がなかった」なんてことはありましたけれど、正真正銘の「1列目初めて

楽しみデス

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犬山で江戸時代にタイムスリップ(その4)

2014-03-22 18:59:46 | 旅行記

「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その3)」のつづきも有楽苑のお話です。

有楽苑の中には如庵の他、3つの建物が立っています。
まず、如庵と渡り廊下で繋がっている旧正伝院書院「その2」最後の写真です)。

140322_1_02

次は、「如庵の作者織田有楽が大坂の天満屋敷に建てた茶室を再現した(図録より)という元庵(げんあん)。

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そして、「四季折々、有楽苑内で催される茶会のために建てられた新席」弘庵(こうあん)です。

140322_1_04

有楽苑の全体図はこうなっています。

140322_1_01

あ" トイレもあった
このトイレ、有楽苑の風情に合わせた造りになっていまして、トイレだからといってあなどれません

140322_1_05

   

それじゃ、通用門から入って有楽苑内をずずっと散策してみましょうか。

元庵の裏手にある「元庵中門」が、なかなかかわいらしい

140322_1_06

思わず、「元庵中門」をくぐって、元庵に近づいてみました。
この眺め、まさしくJapanesque

140322_1_07

ほげ~としながらふり返ると、

140322_1_08

これまたJapanesqueですなぁ~
石灯籠中門、そして中門に通じる飛び石 …、実にイイです

この「元庵中門」とは対照的に、旧正伝院書院の前に立つ岩栖門は、ど~ん って感じでした。

140322_1_09

「岩栖門」は図録によれば、

この門は文明年間に細川満元が京都新町頭に建立した岩栖院の唐門と伝えられている。
その後京都の東山へ移されたが、慶長年間再び旧地に戻され、明治末年三井家の手に渡り、如庵と共に大磯へ移されたが、有楽苑正面の門として犬山へ移築された。

だそうで、如庵・旧正伝院書院・岩栖門3点セットが、三井宗家から名鉄と所有権が移ると同時に、大磯から犬山にやって来た由。
ちょっと威風堂々過ぎて、近づきがたい雰囲気を漂わせています…

「近づきがたい」といえば、旧正伝院書院の外壁に沿って、点々と妙なものが置かれていました。

140322_1_10 両手で包み込めるくらいの大きさのが、縄で十文字に括られています。
別の場所で見かけたものをアップして載せますと、こんなモノです。

140322_1_11

 

親切にも説明板がありました

140322_1_12 これは「関守石(せきもりいし)」というもので、

関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に据えられる石で、蕨縄やシュロ縄で十文字に結んである小石のことです。
茶道の作法において、この石が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があり、これから先、客の出入りを遠慮してもらうための印として関守の役をもたせたためにこの名があります。
関守石の形式としては、径10~15cmぐらいの比較的底の安定の良い小石に、シュロ縄か蕨縄でにぎりをつけて持ち運びできるようにしたものが使用されるのが一般的なようです。
その簡素で優れたデザイン性に加え、その用途に応じ、必要な時に、必要な場所に配置することができるのが優れた点でもあります。
止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ばれます。

だそうです。
なるほど…

「立入ご遠慮下さい」という立て札じゃ無粋だし、ただ石ころが置かれていたら、たまたまそこに石ころがあるみたいなのに対して、縄で括られた石が置かれていれば、主人何らかの意思が込められただと思いますものねぇ…
「察して下されという奥ゆかしさが、これまたJapanesqueだなぁ~と思い入った次第です。

つづき:2014/04/18 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その5

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年度末渋滞が酷い上に・・・

2014-03-21 10:49:15 | タウンウオッチング

先週あたりから、朝・夜の渋滞が酷くなってきました。
きのうの帰りは、結構遅い時間だったというのに、R246上りの厚木~町田界隈も、ナビによれば環八杉並区間ビッシリ渋滞していました。
とくに環八は、ボトルネックの川南交差点を先頭に千歳台交差点辺りまで詰まっている模様…

140321_1_01 ちょいと考えた末、高速道路を使って帰ることにして、目黒交差点から脇道を通ってR16に入ると(東名入口交差点は渋滞しているものと予測。右の地図の赤のルートを取りました)、道路交通情報掲示板に、

池尻-高樹町 災害のため通行止

の表示が

「災害」ですと

何事でしょうか? 地震はなかったし、土砂崩れが起こる場所ではないし、、、災害って何?
可能性としては、沿道火災くらいのものだろうか?

それはともかく、R16の内回りに乗ってしまったからには、下道ルートに戻るのは難しいので、このまま高速ルートを使うことにしました。
東名入口交差点を右折するルートをとれば、東名入口交差点手前に道路交通情報掲示板がありますので、それで首都高速3号線の一部区間が通行止めになっていることを把握できて、下道ルートに変更したかもしれないのですが、もう、過ぎた話です…

で、高速ルートを使うにあたっての問題は、首都高速3号線の通行止め区間の詳しい情報がないということでした。「池尻-渋谷」が通行止めということは、池尻出口から下ろされることになるのか、大橋JCTから中央環状線に入ることができるのか…
もし後者なら、東京ICで下りて、渋滞中環八に突入するルートを取る必要があります。

ハイウェイラジオや、ナビの最速ルート探索によれば、通行止め区間は大橋JCTから先のようで、そのまま首都高速に入ることにしました。

ところが、よりによって交通量が多い連休前夜で、かつ、一部区間が通行止めになっているというのに、首都高速3号線上りの三軒茶屋付近で事故
おかげで、事故渋滞に嵌まり、駒沢付近から三軒茶屋辺りまでと~ろと~ろと進むことになってしまいした…

帰宅して判ったことには、首都高速3号線の一部を通行止めにした「災害」はやはり火事でした。

140321_1_02 ただし、「沿道火災」ではなく、首都高速自体の火事

今朝のNHKニュースによれば、

この火事は、20日午後、東京・渋谷区の首都高速道路3号線で橋桁の工事現場から火が出て工事用の足場などが焼けたもので、橋桁の安全性の確認のため、現場周辺の区間の上下線で通行止めが続いています。
通行止めとなっているのは、上り線が大橋ジャンクションから高樹町の入り口まで、下り線が谷町ジャンクションから大橋ジャンクションまでの区間です。

(中略)
首都高速道路会社によりますと、上り線の橋桁は、火事による熱で一部が変形していて、下り線の橋桁は、現場が確認できていないものの周辺の足場の損傷が激しいことから、変形がより大きいおそれがあるということです。
このうち、下り線については、21日午前に行われる消防の現場検証のあと、橋桁の状況の詳しい調査に入る予定で、上り線についても、さらに専門家による安全性の確認などが必要なことから、通行止めの解除は、上下線とも早くても21日午後以降になる見通しだということです。
警視庁では、工事で使っていた電球に塗料を剥がすための薬品が付着して、引火したのが火事の原因とみて調べています。

だそうで、首都高速にしてみれば、なんとも情けない事故です

首都高速の火災といえば、2008年8月に熊野町JCTで起こったタンクローリー横転事故が思い出されます。あの時は、完全復旧まで2か月以上もかかりましたっけ…
その頃の私は電車通勤でしたから、ほとんど影響を受けませんでしたが(間接的な影響は受けたはず)、今、こんな事故が起こって、2か月以上も熊野町JCTを通過できないとなれば、クルマ通勤を中止することも検討しなければならないかも知れません。

この事故が頭をよぎったものですから、首都高速3号線の復旧はいつになるのか気になっていましたが、ニュースによればきょうの午後にも開通する見通しだそうで、一安心です

ただ、よくよくニュースを読むと、きょうの「橋桁の状況の詳しい調査」の結果如何によっては、「早くても21日午後以降」の「以降」「数週間後」になる可能性も残していますねぇ…

どうか損傷が軽微で、来週月曜日の通勤時には無事に通れることを願っています。

   

下の写真は、昨夜、自宅に帰りついたときの私のクルマ走行距離計です。

140321_1_03走行距離が99,957km

もし、きょう(春分の日)が出勤日だったら、通勤途中でゾロ目の「99,999km」とキリ番の「100,000km」になっていたはず。それも、どこかの道路上で…。
時間的な制約のない、きょう明日にこの節目に到達したいところです。

ちなみに、「77,777km」のときはこちらの記事「88,888km」のときはこちらの記事に書きました。

ところで、完全に多走行車かつ低年式車になってしまった私のクルマですが、ますます好調に走ってくれます。
さすがに「お肌」が荒れてきていますし、内装のへたりも感じられるものの、完全に満足しています。
今年6月に迎える3回目の車検も通して、乗り続けるつもりです。

【追記】きょう、クルマで買い物にでかけまして、家に帰ってきて車庫入れしようとしたときのメーターはこんな具合でした。

140321_1_04

ぴったし、100,000km
あまりにもキレイに「0」が並んでお札か何かのようです

もちろん、シリーズになりつつある、こちらの写真も撮りました

140321_1_05 インパネのホコリが目立って、なんともお恥ずかしいのではありますが、シフトが「D(ドライブ)」に入っていることから察せられますように、自宅近くの交差点で信号待ちのときに撮ったものですから、ホコリを取ったり、ホコリが目立たない撮り方をするなんて余裕がありませんで…
距離計が「99999」を示してから、写真を撮りたくてたまらないのに、こんな時に限って信号が全部「青」で、「どうか停めてくれぇ~って感じでした。
こんな感覚って、初めてかも…

でも、停車中の状態で「99999」「100000」を写真に撮ることができて良かった良かった…

実は、買い物に大宮まで出かけたところ、実に中途半端な距離が残ってしまいまして、「キリ番get」は明日に持ち越そうか、それとも来週月曜日か…なんてことも考えたのですが、やはり、なんとか今日中にこの区切りを迎えたい と考えまして、ちょっと走り回りました
でも、これほどうまい具合に自宅の駐車場「100000」を迎えるなんて、我ながら見事なものです

せっかくですから、「77777」「88888」「99999」記念写真を載せておきましょう…と思ったけれど、考えてみれば、「連番」は次の「111111」が最後になるに違いありませんから、その時までとっておくことにします。

順調ならば、今年の夏休み頃までには到達する見込みです。 (2014/03/21 19;08)

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犬山で江戸時代にタイムスリップ(その3)

2014-03-19 22:30:50 | 旅行記

「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その2)」で、二つの「三井八郎右衛門邸」のことを書きました。

140319_1_02

如庵があったという「麻布今井町」と、上に載せた(江戸東京たてもの園に移築されている)「三井八郎右衛門邸」があった「麻布笄町」とは、全然違う場所でした

また、如庵の来歴について、

昭和12年(1937)から5年の歳月をかけ(麻布今井町の三井邸から)大磯の三井家別荘移築され、昭和26年(1951)に国宝に再指定されました。

と紹介しました。
この記事を書いたときは、漠然と、麻布今井町の三井邸と麻布笄町の三井邸とはどういう関係なのだろうかと思っていました。
だんだん気になりだして調べてみると、三井広報委員会サイトにこんな記述を見つけました

現在、「江戸東京たてもの園」に収蔵されている三井八郎右衞門邸は、源流をたどると北家第10代当主・三井高棟(たかみね)が東京市麻布区今井町(現・港区六本木2丁目)に構えた邸宅にさかのぼる。明治36年(1903)から約5年の月日をかけて竣工に至ったこの大邸宅は“今井町邸”と呼ばれ、大豪邸として名を馳せた。敷地面積は約1万3500坪におよび、周辺の役宅まで含めると1万6000坪を超える。邸内には能舞台や庭園、テニスコートなどが設けられ、後に国宝となる茶室「如庵」も移築された。

そして、

しかし、時代の栄華を極めた大邸宅も、第二次世界大戦の戦禍を免れることはできなかった。昭和20年(1945)5月、大空襲に見舞われた今井町邸は、土蔵の一部を残して焼け落ちてしまう疎開に間に合わなかった美術品や書類も、この時に大部分が失われてしまった。

戦後、GHQの占領施策によって三井財閥は解体を余儀なくされる。焼け落ちた今井町邸の再建に至ったのは昭和27年(1952)のことで、八郎右衞門邸は今井町から麻布笄町(現・港区西麻布3丁目)に移された

とあります
つまり、三井高棟さんが、如庵「5年の歳月をかけて」大磯の三井家別荘に移築(=疎開)しなければ、如庵今井町邸ともども戦災で失われていた可能性が極めて高いということ…

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如庵はこんなドラマチック(スリリング)な経歴をお持ちだったんですなぁ…

400年以上も前の建物が、現代に伝えられているというのは、必然ではないということを痛感いたしました。
また、古美術品を所有することの責任の重さというものも…。
単に、「好きとか「買えるだけの金を持っているだけではその資格がないのだろうなと思います。

コメント
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