goo blog サービス終了のお知らせ 

新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ようやく蜂窩織炎の治療が終了

2025-03-31 16:08:52 | 日記・エッセイ・コラム

2月19日の記事「体調はすこぶる良いのだけれど」のつづきのようなもので、去年11月からの「体調不良につき」シリーズ完結編です。

先週の金曜日(3月28日)、「今回で終わるかな?」期待を持って行きつけの皮膚科クリニックで診察を受けたところ、患部の皮膚が再生しているし、「陥没」もだいぶ回復してきたということで、先生から「治療終了の宣言をいただきました

患部は、一見して回復途上だと判る状況ですが、痛みはずいぶん前になくなったし、腫れもないし、日常生活にはなんの支障もありません。
なによりも、「治療終了でなんとも気分が爽快になりました

思い起こせば、昨年11月14日夕方からの悪寒で始まった蜂窩織炎、治るまで4か月以上もかかるとは思いもよりませんでした。

悪寒⇒筋肉痛⇒発熱⇒偏頭痛⇒足の腫れ⇒足の激痛⇒血圧低下と、ほんの3日ほどで原因不明の症状がつきづきと起こって、いったい何が起こっているんだと不安に思ったっけ…。

とくに痛みはきつくて、ベッドから起き上がって、床に足がついただけで激痛脳天を貫いたのには参りました
寝室からリビングまで移動するのに、クイックルワイパーステッキ代わりにしてみたり、寝室にあるキャスター付きの椅子に座ってゴロゴロと移動してみたりと、悪戦苦闘しました。

そして地味に辛かったのは風呂入れず、3か月ほどシャワーで我慢したことでした。
夏ならばシャワーだけで不自由はしませんが、寒い時期には暖かい風呂に首まで浸かって温まりたいもの。
とりわけ、秋田の別邸は、浴室も脱衣所もめちゃくちゃ寒くて大変でした。あらかじめシャワーを誰もいない浴室で流して、ある程度室温が上がったところでシャワーを浴びるのですが、それでも寒いったらありゃしない
おまけに、水道の使用量が一気が増えて検針の係員さんから「異常に使用量が多いのですが、なにかありましたか?」と尋ねられる始末

さらに、追い打ちをかけるように、年末には再び発熱、しかも今度はが出て喉が痛い
その頃はインフルエンザ大流行中で、こりゃマズい と行きつけの内科クリニックに行き検査してもらったところ、幸いにも「ただの風邪」一安心でした。
それでも、喉がかなり痛いし、味覚も嗅覚も失って、食欲もわきません
生まれてこの方、あれほど美味しくない年越しそばを食べたのは初めてでした。っつうか、1杯のそばを完食さえできませんでした

風邪は1週間ちょっとで治りましたが、結局、入浴禁止2月末まで続きました。
約3か月ぶりの入浴にあたっては、風呂釜洗浄剤を買ってきて、風呂釜をきれいにしたあと、お湯を張ったのでした。

今、改めて「体調不良につき #1」から「闘病記(?)」を読み返してみると、滲出液で汚れてしまった寝具を頻繁に洗濯したこととか、包帯を洗濯するのが上手になったこと(包帯の皺を伸ばしながらクルクル巻いて、端をテープで留めて、小さな洗濯ネットに入れて洗うとくしゃくしゃにならない)とか、徳用減菌ガーゼを何度も買い増したこととかが思い出されます。
思い出しても、「懐かしい」とは思わないのはもちろんです

そうそう、収穫もあったのでした。
それは、「蜂窩織炎のおかげで肝機能が改善?」で書いたように、肝機能は、1か月ほどの断酒劇的改善するのだと知ったことです。
なお、既に私の酒量は発症前のレベルに「復帰」しています

ということで、このシリーズは、「めでたしめでたし…」ゴールです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE TOUR OF MISIA 2025の「東京」2 daysのこと

2025-03-10 20:56:08 | MISIA

3月8-9日の両日、東京・有明アリーナで開催された「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」に行ってきましたので、その感想とかを書きます。

Webニュース等で明らかにされたことは「公知の事実」と見なしますが、それ以外は、いつものように、極力ネタバレしないようにしますので、お含みおきください。

さて、有明 2 daysは、前公演の横浜 2 days (記事)から約1か月の空白期間をおいて開催されたわけで、この1か月の間に、New Album「LOVE NEVER DIES」のジャケ写や収録曲、さらには購入特典などが次々と発表され、ツアーポスターも、「LOVE NEVE DIES」のジャケ写を使ったものに一新されていました(写真は入場時に配られたフライヤー)。
私が、横浜 2 daysの記事の中で、

この間、MISIAは愛知公演で「今、絶賛レコーディング中」と言っていたアルバム制作没頭するんだろうな

と書いたとおり、MISIAから、

レコーディングが完了しましたぁ~

という宣言がありました。
そして、横浜公演のときに未公開だった新曲が1曲初披露され、これで未公開曲1曲だけになりました。

というところで、ここまでの「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」のセットリストを載せます。
画像をクリック/タップすると、セットリストをご覧いただけます。

セットリストを見るだけでも、ツアーの最終形態にまた一歩近づいた感がありますな

   

ここでいつもの「MISIAのおことば」です。
まず初日(3月8日)

MISIA「日本人アーティストで『東京公演』って言う人いる?」なんて言っていて、その時は「確かに…なんて思った私ですが、でも会場が有明アリーナ有明ガーデンシアターなら「有明公演」日本武道館なら「武道館公演」地区名や会場名で呼ぶけれど、会場が「東京国際フォーラム」とかだと、「東京国際フォーラム公演」「有楽町公演」ではなく「東京公演」ではないか? と思い至ったりして…
でもでも、MISIAがライヴで地域名をシャウトするときには、「有明アリーナぁ~とか「東京国際フォーラムぅ~とかなわけで、「TOKYO~とシャウトするのは初めてだったかもしれません

そして、2日目(3月9日)は、

と、いう残念なことになりました
そこで、初日の「番外編」も載せます

3月8日は「国際女性デー」だということで、MISIAはそのことを話した上で、「3月8日はイタリアでは女性に黄色いミモザの花を贈る慣習があって、『ミモザの日』とも呼ばれているそうです」と続け、上記の「おことば(番外編)」につながりました。
MISIAの公式サイトに載っている「【MISIAによるメッセージ】(MC一部抜粋)をお読みいただければと思いますが、MISIA「想いを込めてみんなでペンライト黄色に点灯してくれますか?」に応じて、多くの聴衆がペンライトを黄色にして、それはそれはきれいな光景でした。
2日目、MISIAは、「ペンライトを持っていない人は、(次の曲で)手を振っていただくところがありますので、何か黄色のものを振るか、を振るだけでもいいですといったことをおっしゃっておりました。

なお、この日の私の座席は、アリーナのかなぁ~り前 かつ かなぁ~り左で、正面から右60°を向かなければステージが視界に入らなかったもので、スタンドの様子がよく見えました
そんな座席から会場を眺めて判ったのは、有明アリーナの聴衆のペンライト保持率めちゃくちゃ高いこと 横浜公演のときの5割増しくらいのイメージでした。

この14色に発色できる「LOVE NEVER DIES ペンライト」は、3,500円と、お安くありませんが、このツアーに行かれる方には、全力推しアイテムです

もちろん、「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」ツアーは、ペンライトが無くても十二分に楽しめる内容(13,500円+αのチケット代の元は確実に取れる)ですが、このペンライトがあればもっと楽しめることは請け合いです
とりわけ、中盤の「DJタイム」での「ペンライト遊び」楽しいったらありゃしない
MISIAというシンガーのことをよく知らない人ライヴに初参加するという人には、恐らく一般的なMISIAに対するイメージ(例えば「歌の上手なバラードシンガー」みたいなイメージ)がガラリと変わる、というか、ドッカーンと広がると思います。

「MISIAの世界」は、深いし、広いのです。

   

ここまでMISIA「東京 2 days」でのパフォーマンスについてまったく書いていませんでした

さすがに、ここまで4地区7公演に参加してくると、ネタバレ無し新しいネタを書くのは難しいのが実情なんですが、これだけは何度でも書いておきたい と思うのが、私がMISIAと同時代を生きていて、そして、MISIAの歌声の響きを全身で感じられることの奇跡と喜びと感謝です。

この気持ちは、MISIAのライヴに参加するたびに更新されるのが常で、東京 2 days例外ではありませんでした
とりわけ、2日目のMISIAは「素晴らしいという言葉では言い表せないものでした。これまでで何度も聴いたあの曲やこの曲が、更に磨き上げられ、新しい波動となって体全体に響き渡るのです
ある曲が終わり、嵐のような歓声と拍手が収まったあと、会場全体がどよめいていたのは、私にとっても、程度の差こそあれ、初めての体験だったような気がします。

   

最後に、私の超俗人的なお話

「東京公演」2日目の朝、私が目覚めてリビングに行くと、置き時計が止まっていました
電池切れかな? と電池チェッカーで電圧を測ると、案の上、電池切れでした
ここで、「X」「ペンライトが電池切れというポストをいくつか見たことを思い出した私は、有明に連れて行く予定のペンライトの電池を測定してみました。
すると、

「使えません」とな
危なかったぁ~

家には、乾電池の単1~5各種ボタン電池の備蓄がありまして、さっそく新品に交換しました。
3本の単4電池のうち、奥に装着する1本が、なんか収まりが良くない気がしたのですが、それでもちゃんと点灯しましたので、これで良し と、ペンライトをバッグに収めました。

その約7時間後ライヴが始まる直前にペンライトを点灯

ところが、ライヴが始まり、ペンライトを振ると、、、消えた
スイッチを入れ直すと一応点灯するのですが、何かの拍子で消える

仕方なく、スタンディングが続く間はペンライトの復活をあきらめて、手を振り、ハンドクラップで「対応」するはめに…

そして「着席タイム」になったところで、と耳ステージ集中させつつ、両手はペンライトの復活作業に従事させました。

まず疑われるのは、家で収まりの悪さを感じた「奥に装着する1本」接触不良なわけで、手探りでペンライトの電池3本をはずし、奥の端子を爪でいじって(なんか変な角度だったような感じ)調整し、電池を入れ直し、点灯
でも点かない

+・-が違ったか? ということで、再び電池を入れ替え、点灯
でも点かない

確か、奥の1本手前の2本とは電池の入れる向きが逆だったよな…
そして、手前の2本「-」が上だったはず…
でも点かない

今度は電池をに入れ直して、スイッチを入れると、今度は無事に点灯しました
しかも、ペンライトを振っても消えません

ライヴの最中ですから、電池ソケット目視することも、取説を読むこともできなかったわけで、よくぞ手探りだけで復活させたものだ自分に感心しました
いやいや、開演前に確認しろ ってヤツ

きょうになって、ペンライトの電池ソケット観察してみました。

その結果、あくまでも想定ですが、ライヴ開演直後の「不良」の原因は奥の電池用の端子の接触不良、その後の「点灯せず」の原因は、電池の向きがダメだったり、「電池取り出し用リボン」が電池と端子との間にはさまっていたのではないかと思われます。

どうか皆さんも、ライヴに行く前に、電池のチェック(だいたい4~6公演くらいで切れる)と、電池交換後の点灯チェック(その際、使用方法を想定して振ってみる)をお忘れなく

   

さて、次に私が「THE TOUR OF MISIA 2025 LOVE NEVER DIES」に参加するのは、またもや1か月のインターバルを挟んだ高松公演です。
間に入る福岡での「ホール公演」が気になりますが、高松遠征楽しみにしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御徒町駅から西へ東へ

2025-03-07 20:49:01 | タウンウオッチング

先月末、陽気に誘われて、御徒町界隈を散歩してきましたので、遅まきながら、そのお話を。

この散歩の目的地は2つありまして、一つは梅が盛りの湯島天神、もう一つは、わが故郷と縁の深い久保田(秋田)藩の上屋敷跡でした。
途中、昼食を摂る店を求めて寄り道しましたが、基本的に、JR御徒町駅から春日通り西へ東へと歩きました。

まずは、西に向かって、2年ぶり湯島天神へ。

ちょうど見頃を迎えていたきれいだし、香り楽しい

女坂を上って行くと、ほんとに目の前で咲いていてしっかりと愛でられます
ちょうど梅と受験のシーズンだけに、境内はかなりの賑わいでした。
拝殿の前にはズラリ行列ができていて、とりあえず切実な願い事の無い私は、今回は参拝をパスしました

2年前に参拝&梅見物したときは、猿まわしも楽しんだのですが、今回はちょうど休憩時間に入ったばかりだったらしく、トレーナーさん(?)と手を繋いで退場していくお猿さんの後ろ姿だけを見かけました。
せっかくですので(?)、2年前に見たお猿さん(りきクン)竹馬ジャンプ(幅跳び)の写真を載っけておきます。

湯島天神の社殿は、1995年に改築された新しい建物で、それだけに、きらびやかで壮麗です

拝殿の後ろに廻って、本殿を拝見。

拝殿本殿とを弊殿で繋ぐ典型的な「権現造り」ですな

   

湯島天神はこの辺で切り上げ、帰りは男坂を下り、春日通りを今度は東へと歩きました。

時刻はちょうど昼時で、久しぶりに上野天ぷら屋さんに行ってみることにしました。
中央通りとの交差点で左折し、さらに「この辺りだったはず」と小路に左折して進むと、お目当ての天ぷら屋さんがあったのですが、、、、、なんと休業 定休日ではなく、「予定していた臨時休業」だったみたい

まぁ、上野にはしょっちゅう出かけているし、また機会はあるでしょう

そして、上野~アメ横~御徒町界隈では食事をする場所に困りません。っつうか、平日の昼間をかっくらっていても「普通」に見える街です。

で、私にとって2度目になる某焼肉店でランチをいただきました。

かつて私がよく行っていた別の焼肉店(この界隈には焼肉店が多い)は、いつのまにやらずいぶん高くなってしまい、そこにはちょっと行きづらくなってしまいました

それはさておき、昼食を終えた私は再び春日通りに戻り、東へ…。

   

昭和通りを横断し、ちょっと行ったあたりのカフェで、食後の一服

そして、スマホに入れてある「大江戸今昔めぐり」というアプリで、現在地と目的地をチェックしました。

このアプリは、現代の地図に、江戸時代の古地図をオーバーラップさせて表示できるもので、東京を街歩きするときには楽しませていただいています。

さて、私がコーヒーブレイクをとった店は、福岡・柳川藩上屋敷跡の正面で、目的地にしていた久保田藩上屋敷跡までは至近の地点でした

ところで、江戸切絵図のルールとして、家名の上に当たる部分が正門のある側で、柳川藩邸の正門は現在の春日通りに、久保田藩邸の正門は現在の清洲橋通りを向いていたことが判ります。

一息入れた後、久保田藩邸跡反時計回りほぼ一周しました。

当然ながら、江戸時代の雰囲気を今に伝えるものはほとんど無く「佐竹」に由来する地名と町会の名前(と後で紹介する商店街)程度のものでした。

それにしても「平成小学校」だなんて、地域性の欠片も無い
ちなみに公園の名前は「竹町公園」でした。

竹町公園には新幹線を模した遊具(ロッキング遊具)がありまして、その一つが「こまち」型でした。
現在なら、ここからほど近い上野駅から秋田新幹線「こまち」に乗れば4時間弱秋田に到着するのですが、江戸時代には、3週間近くを要して江戸⇔秋田を移動していたらしい 陸路だけですから、それは大変だったろうなと思います。
ちなみに、別邸の近くには、江戸に出立する久保田藩主御一行と国許に残る藩士たち別れのお茶を飲んだという謂れの橋があります。

さて、上に載せた「大江戸今昔めぐり」の画像の右下に「三味線堀」という風流な名前の堀が描かれています。
その形が三味線に似ているから、というのが名前の由来だそうですが(三味線よりも八分音符に似てる)、既に埋め立てられていて、現在は、都営アパートの建て替えが行われていました。

この写真は久保田藩邸跡の南東角から撮ったもので、この交差点近くにその名も「佐竹町商店街」南端があって、その入口には、台東区教育委員会による説明板がありました。

この一部を転記します。

佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄2年(1689)もしくは翌3年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東3・4丁目東半分にわたっていた。
佐竹家八代藩主佐竹義敦(よしあつ・号曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永3年[1774]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風画の一派「秋田蘭画」の基礎を築いた。また天明年間(1781~1789)の狂歌師手柄岡持も藩士であり、当時の文化人がここを中心に活躍していたことがうかがわれる。

ここに登場する「手柄岡持(てがらのおかもち)なる狂歌師、本名は「平沢常富」、ペンネームは「朋誠堂喜三二」
平沢常富 by 尾美としのりそう、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のオープニングロールで、ほぼ毎回、

平沢常富 尾美としのり

とクレジットされるのに、番組が終わると「あれ? 出てた?」「尾美としのりを探せと話題になっている御仁です。私もリアタイ視聴では一度も見つけていません
番組の「登場人物紹介」では、

のちに蔦重にとって最高かつ最大の協力者となる戯作者。

とありますので、いつ、画面に堂々と登場するのか、また、蔦重とどんな絡みを見せてくれるのか、楽しみです

   

説明板を読んだ後、私は佐竹商店街に足を踏み入れました。

なんでも、この商店街は、金沢片町商店街(私が今愛用している九谷焼の飯茶わんは、去年、片町商店街にある陶磁器店で買ってきた)に次いで、日本で二番目に古い(組合組織が結成された)商店街だそうな。

アーケードには、

     何でも揃う お買い物は商店街で

というバナーが掲げられていましたが、なかなかのさびれっぷりで、仕舞た屋のなんと多いこと
「何でも揃う」盛り過ぎだろ と思ってしまいました。

ところで、佐竹商店街のシンボルマークは、「竹に留まったフクロウ」です。

こちらのサイトによると、

この地は、秋田の佐竹藩の上屋敷跡で、藩内に学校があったことから、知恵の神ふくろうを商標にしようということになった。
皆で足立美術館を訪れた時、横山大観竹に止まったみみずくの絵を見て、竹にすずめではなく、みみずくもありだと思い、竹に止まるふくろうのデザインにしたとのこと!

だとありますが、「横山大観の竹に止まったみみずくの絵」は、横山大観記念館所蔵の作品とか福岡市美術館所蔵の作品とか何点かあるみたいですな。

と、こんな胸像がありました。

暖かそうなマフラーをしてもらっています

で、銘板には「吉田太郎吉翁像」とありますが、吉田太郎吉さんって誰??

調べたところ、テレ東のサイトに行き着きました。
去年8月放送の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」佐竹商店街を採り上げたのだそうで、その紹介サイトで、

明治時代に「吉田商店」として創業し、80年ほど前に呉服屋を開店。その後、隣で家電店やピザ店を営業し、今は店が一階に入るマンションに建て替え中です。

という記述につづいて、

初代・太郎吉は不動産業なども営み、区議まで務めた名士ということで、(以下略)

とな。
でも知らんなぁ~

こんなことで(途中、竹町公園のトイレを使った) 久保田藩上屋敷跡の散策を終了
JR御徒駅
まで戻り、自宅に帰りました。

今後は、久保田藩中屋敷・下屋敷の跡にも行ってみよう
と思い立ったのですが、そういえば、京都や大阪(大坂)にも藩邸があったはずだよな

Wikipediaによれば、

大坂布屋町に大坂藩邸、京都柳馬場通四条上ルに京都藩邸を持つ。

だとか。
こんど調べてみます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする