新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ミュージアムショップでお買い物

2011-10-31 22:29:11 | 美術館・博物館・アート

ホントのところ、書きかけの関西旅行記(最後の記事はこちら)を片付けなければと思いつつ、いやいや、もう半年も前南九州旅行記だって書きかけ(最後の記事はこちら)なのですが、昨日の「瑛九展で美術館をハシゴ」のつづきのような小ネタで失礼します


埼玉県立近代美術館(MOMAS)ミュージアムショップで、私は瑛九展の図録のほか、2点購入しました。


まず、こちらのポストカード


111031_1_4


MOMAS名物のソファマリリン」です


でも、このポストカードを見ても、これがソファだとは思えませんな…
実際にMOMASにやってきた人たちが座っている様子は、こちらの記事でご覧くださいませ。


もう1点はこちらのクリアフォルダー


111031_1_1

リスシルエットが描かれ、その下にリス(siuridae=リス科)の説明が書かれています。


でも、これだけじゃフツーなわけで、ミュージアム・ショップの商品としてはもの足りません


もちろん、これで終わるはずもなく、このクリアフォルダーに紙を入れますと、、、、


111031_1_3 あれまぁ~、リスの骨格がぁ~


このクリアフォルダーは、片面にリスのシルエットが、もう片面にリスの骨格が描かれています。


なかなか面白い趣向だと思います


MOMASのミュージアム・ショップでは、リスのほか、ウシロバブタのもありまして、リスにするかブタにするか結構迷ったあげくの選択でした。


最近、このように、表と裏に別の絵を描くクリアフォルダー(例えばこちらの記事に書いたモノ)が珍しくなくなった気がしますけど、これはなかなかのアイデア


ここでちょっとネタバラシ


クリアフォルダーの1枚目の写真は、スキャンした画像にちょいと細工を加えています。

スキャンしたオリジナルの画像はこちら


111031_1_2 この画像をそのまま載っけたら、バレバレなので、コントラストを強くしてみたのが、上の画像です


妙な手練手管が身についてきています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瑛九展で美術館をハシゴ

2011-10-30 20:09:02 | 美術館・博物館・アート

瑛九(えいきゅう)というアーティストがいました。「アーティスト」といっても、安っぽく自称されている「アーティスト」ではなく、本来の意味であるところの芸術家としてのアーティストです。
Wikipediaでは、


瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)とは、日本の画家、版画家、写真家。


と説明されているように、簡単にジャンル分けできる人ではありません。
私はこれまで何点もの瑛九の作品を観ましたが、それぞれの作品が強烈な個性を放つ一方で、「いかにも瑛九」というものを掴むことができませんでした。
群盲象を評す」という寓話にでてくる、象の部分部分にだけ触って、「象(の脚)とは柱のようなものだ」「象(の耳)とはうちわのようなものだ」…と感じた盲人たちと同じような感覚です。


いったい瑛九とは何者?


そんな私が、今、埼玉県立近代美術館(MOMAS)うらわ美術館分散開催されている「生誕100年記念 瑛九展」を観に行ってきました。


   


MOMASに入場する前に、音楽噴水の前で一服


111030_1_1 と、隣のベンチで昼寝するおじさんと、MOMASの入口にあるボテロの「横たわる人物」オーバーラップしていました


それはともかく、「生誕100年記念 瑛九展」は、


年代順やジャンル別の構成ではなく、8つのトピックによって瑛九の人とその作品をリアルに紹介しようとするものです。各トピックを、瑛九の特徴的な側面を照らし出す「光源」としてとらえ、異なる「光源」により、様々な角度から、瑛九の人と芸術を照らし出すことを試みます。瑛九の様々な特徴が照射されることにより、生誕100年にふさわしい「全貌」がみえてくることでしょう。[主催者挨拶より]


と、いうことで、8つのトピックは、MOMAS(M)とうらわ美術館(U)でそれぞれ4つずつ、しかも順不同で展示されています。


1. 文筆家・杉田秀夫から瑛九へ (U)
2. エスペラントと共に (M)
3. 絵筆に託して (U)
4. 日本回帰 (U)
5. 思想と組織 (M)
6. 転位するイメージ (M)
7. 啓蒙と普及 (U)
8. 点へ…… (M)


111030_1_2 展覧会場や図録に載せられている超簡略化された瑛九の略歴(?)が、瑛九の多彩ぶり・多才ぶりを物語っています。


 1911年4月28日。
 杉田秀夫、宮崎市に生まれる。
 文学・文筆家
 論客・美術評論
 写真家・フォト・デッサン
 東洋回帰・静坐
 俳句・水墨画・詩人
 共産党・文化運動家・地方文化への情熱
 エスペラント・国際的視野
 自由な組織・デモクラート
 啓蒙家・指導者・教師
 版画家・画家
 1960年3月10日、瑛九、浦和で没する。


瑛九が手がけたジャンルとして私が知っていた(作品を観た)のは、印画紙の上に型紙や物体を置いて直接感光させたフォト・デッサンエッチング原生生物細胞を連想させる油彩画、そして点描作品くらいのもので、それもまた「象」の一部分だったわけですな。


この展覧会では、「いかにも印象派」な作品や「いかにもキュービズム」な作品のほか、瑛九が大きな影響を受けたと考えられるオノサト・トシノブ三岸好太郞古賀春江長谷川三郎パウル・クレーマン・レイモホリ=ナジらの作品(一部は写真)も一緒に展示されていて、様々なジャンルや芸術家から刺激を受け、それを取り入れて、脱皮を繰り返していった瑛九の人生(芸術家としての人生と、人間・杉田秀夫としての人生)を俯瞰できる堂々たる展覧会だったと思います。


あ、そうだ、両会場とも入口に設置されていた瑛九のサインを立体化したオブジェかっこよかった


111030_1_4


難を言えば、MOMASうらわ美術館の交通の便があまりよろしくないこと。


111030_1_5 私は徒歩で移動したところ、フライヤーに書かれているとおり、約20分かかりました。
かと言って、電車(京浜東北線)で移動するのも、たった一駅だけ電車に乗って、浦和駅からうらわ美術館まで「徒歩7分」というのは、あまり楽しい話ではありません


111030_1_6


   


ところで、この展覧会の図録は、かなりユニークな装幀です。


111030_1_8 一瞬、不良品ではなかろうかとまで思ったりして…


それはともかく、この図録の冒頭に、瑛九の言葉がエスペラントらしきもので日本語訳と共に掲げられています。


僕は平凡な毎日が、
Por mi ĉiu ordinara tago


精神の上で
estas en lamondo de granda


大きな冒険とスリルの世界です。
aventuro kaj ekscito spirita.


思わず、「精神」「冒険」に反応してしまうのは、いかんともしがたい私でありますヨ


ところで、MOMASの常設展示室での「MOMASコレクション」もかなり見応えがありました
展示作品の中に、草間弥生の「A.Q. INFINITY NETS」がありましたけど、これって学芸員さんの遊び心か?


それはさておき、「生誕100年記念 瑛九展」は、MOMASうらわ美術館両館とも11月6日までです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クルマのオイルを交換

2011-10-29 22:19:32 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の帰り、会社の駐車場でクルマのエンジンをかけると、ナビの画面にこんな表示が出てきました。


111029_1_1


お知らせ
エンジンオイル
設定時距離に達しました


だそうです(上の写真は自宅近所での再現)。
別に勝手に出てきたわけではなく、私がオイル交換するべきタイミングとしてクルマに設定していた走行距離に達したというわけです。


長いことホリデードライバーだった私は、年間走行距離が3000~4000km程度でしたから、車検・定期点検のタイミング(=1年ごと)にオイルを、そしてオイル交換2回につき1回づつオイルフィルターを交換してきました。


ところが、今年4月から往復120kmの長距離クルマ通勤を始めたものですから、走行距離が伸びる伸びる…。
となれば、エンジンオイルとか、ブレーキパッドとか、タイヤといった消耗品の交換頻度を上げなくちゃならんなぁ…というわけで、とりあえずエンジンオイルの交換時期をクルマのメンテナンスノートで調べてみました。
すると、


111029_1_5


私のクルマ、ガソリンのNA(ノンターボ)車の場合、


1年/1万5千km


と書かれています。
でも、「エンジンオイルの交換時期」は諸説紛々で、某大手カー用品チェーンのフランチャイザーサイトには、


自動車メーカーが指示するオイル交換期間は、ごく一般的な走行条件を基準にしています。
これに対し、過酷な使用条件時の交換期間を別途定めています(これは取扱い説明書、メンテナンスノートに記述してあります)。
これによるとほとんどの車が3,000kmまたは3ヶ月程度の交換が最も適していることがわかります。


ですと


また、某オイルメーカーのサイトでは、


オイル交換の基準として、早めなら3,000km毎、長くても5,000km毎の交換をお薦めします。カーメーカーの交換基準キロ数を守っていれば安心ともいえますが、これは交換上限と考え、メーカー指定の2分の1程度が一つの目安となります。なぜなら、町乗りの場合、渋滞などほとんど停止状態でもエンジンは回っていますから、この分も計算に入れて考える必要があるためです。


だそうな。
いくらなんでも3000kmで交換なんて…」と思い、行きつけの自動車ディーラーで聞くと、


5000kmでの交換をお奨めしています


なんだとか。
ますます、う~む…デス。
そんな経緯があり、いろいろ考えた結果、自動車メーカー推奨の15,000kmから若干早めにずらした10,000kmをオイル交換の目安にすることに決めました


   


なんとも長い話を挟んで冒頭の話に戻ります。


自分が決めたこととはいえ、「前回のオイル交換から10,000kmを走行したら、自動的にオイルを交換」っつうのもなんだかつまらないので、とりあえず、エンジンオイルの状況をチェックしてみました。


111029_1_2


ますます、ますます、う~む…


こちらのサイトによれば、きれいなウエスに一滴垂らして、


中心にスラッジが溜まって周囲に透明なオイルが広がるようなら、まだ大丈夫。


と言われても、よく判りません

さらに、


ただし、これで汚れを判断するにはかなりの経験が必要で、あくまで目安!オイル管理が悪いと交換直後でもまっ黒いオイルが全体に広がっていくことがあるからだ。だからこそ、オーナー自らがキッチリ管理しなければならないのだ。


と締められてもねぇ…


そんなわけで、周りの音を遮断して、予定どおりオイルを交換してきました


ここで、過去3回のオイル交換の履歴を並べてみますと、


前々回 10/06/19  7,894km (車検)
前回 11/07/02 17,817km (12ヶ月点検)
今回 11/10/29 27,913km


きれいに1万kmの間隔がきらめいています

でもねぇ~、1万kmっつう距離は、私にとって中途半端なんですよねぇ~

私の場合、1日の往復で120km1週間で600km1ヶ月で約2,500kmですから、4ヶ月で1万kmに達する計算になります。

ですから、1万kmでオイルを交換するとすれば、そのタイミングが年に3回やってきます。
オイル交換のタイミングを1万5千kmに伸ばせば、回数が減る以上に、クルマの点検のタイミングに合って好都合なんですが…


ちなみに、上の方に、


(自動車メーカーは)過酷な使用条件時の交換期間を別途定めています。


とありますが、私のクルマではオイル交換についてどのように「別途定められて」いるかといいますと、


111029_1_3 私は、条件B:走行距離が多い(目安:20,000km以上/1年) に該当するわけで、と、、おぉ、オイル交換の頻度には影響しません
これはこれは、ありがたやぁ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これは重要なDMハガキだと思う

2011-10-28 23:23:31 | 演芸・演劇

きょう、帰宅すると郵便受けの中に季節モノの「ユニセフカード」のDMと一緒に、一枚のハガキが届いていました。


細かい字でびっしりと埋められた怪しげなハガキ


部屋の中で見ると、、

111028_1_1 おぉっ これまた季節モノイッセー尾形クエスト公演のDMだぁっ


噂には聞いておりますが、私、「イッセー尾形クエスト公演」というものを一度も生で拝見したことがありませぬ…
なにせ、「初の生イッセー」が今年7月の「一人芝居『わたしの大手町』」だったのですから…(記事はこちら)。


今年のクエスト公演は、「イッセー尾形のこれからの生活inクエスト~2011年を想う新ネタ~」と題して、12月3日(土)~11日(日)の8公演原宿クエストホールで開催されます。


行ってみたいなぁ…


でも、私、12月10日~11日仙台遠征を予定してますから、行けるとすれば、初日・2日目の12月3日(土)・4日(日)だけ。ここは後援会員用の先行発売で埋まってしまいそうですなぁ…。
まぁ、「行けたら儲けもん」でチャレンジだけしてみましょうかねぇ。


後日談:2011/12/04 原宿をクエストしてきた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔よく読んでいた作家が…

2011-10-26 06:09:24 | 本と雑誌

きのう、文化勲章の受章者が発表になり、その中に作家の丸谷才一さんが含まれていました。


111026_1_1 丸谷さんといえば、大学の終わり頃から丸谷さんのエッセイが大好きになり、帰省& Uターンの新幹線の中で読みふけったものでした。


ニュースを見ると、丸谷さんは86歳 おぉ、そんなにお年を召されたか…と感慨深いものがありました。


そんな中、夜が明け、寝起きにネットでニュースを見ると、YOMOURI ONLINEに衝撃的なニュースが載っていました。


「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去


がぁ~~ん です。


こちらの記事にも書いたように、私は中学生の頃から北さんの作品が大好きで、かなり長い間、もっともお気に入りの作家でした。


う~む、、、時代が流れていく…。


合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MISIAライヴベストパフォーマンス

2011-10-24 22:40:47 | MISIA

渋谷出撃を控えてドタバタしていた土曜日の昼、CLUB MSAからこんなメルマガが届きました。


111024_1_2


あなたの心に残るMISIAのライヴパフォーマンス
「もう一度見たい! 」 「感動的なあのシーン! 」 「すごく元気になれた!」
「あの演出が忘れられない!」などなど…思い出すだけで心が揺さぶられるライヴシーンがあるはず!!
そこで、これまでに発売されたライヴ映像の中から、
あなたが最も見たいMISIA最高ライヴパフォーマンスを選んでいただき…

[以下略


ということで、「これまでに発売されたライヴ映像の中から、あなたが最も見たいMISIA最高ライヴパフォーマンス」を投票して だそうです。


投票結果がどう使われるのかは、ここでは伏せさせていただくとしまして、かなり楽しい企画です。
どれを選びましょうかねぇ~


ところで、いまからもう5年以上前のこと。
MISIAのライヴは、「CDを超える」ということはよく聞く話でありまして、私も常々禿同しています。
ところが、DVDでしか聴けないのは淋しい… それならば、ライヴDVDCDなどから私のベストセレクションMD(当時は私のメインの音楽デバイスでした)にまとめてしまおうと思い立ちました。
そしてつくったセレクトMDレーベルがこちらです


111024_1_1


その後、MDからCD-Rに再ダビングして、さらにそれをクルマHDDに再々ダビングしまして、きょうの帰り道、久しぶりに自家製の「MISIA:Best Live Performance Collection '04-'05 Winter」をクルマの中で聴きました。
DVDからアナログでMDにダビングし、それをCD-R⇒HDDとダビングを重ねていますから、音質が落ちるのは仕方のないこと。
でも、MISIAのパフォーマンスの凄さ私の選択の確かさを再認識いたしました。


THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES以降のライヴDVDのデキが悪いというわけではないけれど、この時に私が選んだ12曲を上回るパフォーマンスはあまり多くはないのではなかろうか…とまで思ったりして…


今回の投票の〆切は11月20日ですから、もう一度、ズラズラっと過去のライヴDVDを観直してみることにします。


現時点での私が選ぶ「MISIA最高ライヴパフォーマンス」は、アレだな…


つづき:2011/11/19 「MISIAライヴベストパフォーマンス」選びのその後

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【復刻】MISIAって、超一流のシンガーだ!

2011-10-22 23:50:01 | MISIA

行ってきました、THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST @ 渋谷公会堂2日目

いやぁ~、良かった…

座席が1階の前寄りの左端で、いつものPAだと「明日一日は耳鳴り状態」かつ「完全モノラル」かと半ばあきらめ状態だったのですが、あに図らんや、これまでのMISIAのライヴの中では最良と言っても良いほどのPAでしたそして、会場のノリもかなりイイし、そして、何よりもMISIAが絶好調あれほどの厚みと潤いとボリュームを持ったヴォーカルが会場に響き渡る体験って、そうそうできるものではありません

となれば、私がよほどの体調不良でない限り、素晴らしいライヴ体験にならないはずはなく、そして、ここしばらくでは最高のライヴを楽しむことができました。

というわけで、「ネタバレ無し」ではきついので、次のセクション以降は、微妙+αネタバレが含まれますのでご注意くださいませ。

   

今夜聞いた曲は、どれも私のMISIAスケールでは「標準以上」でしたが、とりわけMISIAの実力にひれ伏す思いだったのは、今年12月14日に発売されるアルバムMISIAの森 -Forest Covers-に収録されるというMichael JacksonのカヴァーHeal the Worldでした。「カヴァー=他の人の歌を歌わせてもらう」なんてものではなく、完全にMISIAの持ち歌」となった、それはそれは完成度の高いカヴァーでした。
まさに、シンガーMISIAの実力炸裂といった感じ

ますます「MISIAの森 -Forest Covers-」に対する期待が高まりますsign01

MISIAの森 Forest Covers価格:¥ 3,000(税込)発売日:2011-12-14

また、「Heal the World」だけでなく、「このままでTonightも、「記憶」(アコースティックVer.)も、「逢いたくていま」も、「明日へ」も、なんとも良かった…これらのうち「逢いたくていま」は、星空のライヴVのとき(初聴きの記事はこちら)と比べて、良い意味で力が抜けた感じで、心に響きました

   

ここで、いつものセットリストを更新しましたので公開いたしましょう。

上の画像をクリックするとPDFが開くはずです。(【追記】PDFではなく特大画像が開きます

今夜のセットリストにさりげなく書かれていますが、今夜は「渋谷スペシャル」がありました

渋谷MISIA、と来れば、この曲でしょっこちらの記事をご参照方)

   

というわけで、大満足だった今夜のライヴ、グッズを2点買ってきました。

一つは、TOMJSQツアー後半戦から登場したツアーパンフ。12インチのアナログ・アルバムのジャケットサイズなもので、大阪遠征のときは、持って帰るには不便だということから、本日購入いたしました。いかにもSoulな外観ですが、中味もかなり来てますどうしてツアー後半から登場したのか、っつうかツアー前半にはあり得なかったのかは、中味を見れば一目瞭然私としてはお薦めツアーグッズですゾ

そして、あまりのライヴの良さから衝動買いしてしまったのが、6月18日の記事「写楽からMISIAへと話がつながる」で書いた「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST タンブラー」。いやぁ、ホント衝動買いです…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼちぼちと関西旅行記(その4:大阪歴史博物館編③とか)

2011-10-22 11:32:38 | MISIA

横道に逸れて終わってしまった「ぼちぼちと関西旅行記(その3:大阪歴史博物館編②)」のつづきです。
なんといっても紹介したいのは、大阪歴史博物館の9階:中世近世フロアに展示されていたこちら

111022_1_1 安政5(1858)年に大坂でコレラが大流行したとき、緒方洪庵が複数の医学書からコレラの治療法を抜き出して翻訳し、緊急出版した「虎浪痢治準(ころりちじゅん)」です。

江戸末期の出版物ですから、大阪歴史博物館以外でも現品を保有しているところは少なくないでしょうけれど、ここのは、

「適適斎」すなわち洪庵の蔵版で、表紙見返し右下には「適適斎」の朱印が押される。

と説明されているように、洪庵先生ご本人の蔵書だそうな

虎浪痢治準」といえば、「JIN -仁-」の第2話(だったかな?)で、洪庵先生が「あれは役にたちません」とおっしゃっていましたっけ…
医学を含めて科学というものは過去の蓄積をもとに、最新技術が更新されていくわけで、この「虎浪痢治準」が医学書として役に立たないのは仕方のないこと。

ですが、同じ洪庵先生がドイツの医学者フーフェラントの著書「医学必携」を翻訳・出版した「扶氏経験遺訓」は、その一部が現役です

111022_1_2

扶氏経験遺訓」の巻末には、「医学必携」の最終章「医の倫理」を杉田成卿杉田玄白の孫)が全訳した「医戒」を、洪庵先生が十二カ条にまとめ、門人たちへの教えとした「扶氏医戒之略」が書かれています(と聞いています)。
この「扶氏医戒之略」は、医療技術がフーフェラント先生や洪庵先生が活躍していた時代とは格段の進歩を遂げた現代でも、不朽の輝きを放っています。

中央大通を挟んで大阪歴史博物館の真向かいにある大阪医療センターのHPにこんな記述がありました。

扶氏とはフーフェランド(ベルリン大学教授、1764-1836)のことで、その著「Enchiridion Medicum」のオランダ訳書を緒方洪庵が愛読し、約20年かかって完訳「扶氏経験遺訓」全30卷を出版した。この「遺訓」の巻末には医者に対する戒め がかなり長く記述されているが、この部分を洪庵が12ヵ条に要約し、門人たちへの教えとしたのが「扶氏医戒之略」である。
法円坂の地は適塾出身者と深い関わりがあることと、
本院で働き学ぶ医師にとってもいまなお貴重な教えとなることから、ここに「扶氏医戒之略」を転載した。

ということで、まさに現役

全文は大阪医療センターのHPでお読みいただくとして、第一カ条だけ転載しておきましょう。

医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

普遍的な倫理観だと思います…。

   

この日(10月9日)の夕方、一旦ホテルに戻った私はバッグの中味を入れ替え、THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST大阪公演に出撃 京阪中之島線なにわ橋駅に向かう途中、適塾に立ち寄りました。

当日の記事「今夜『逢いたくていま』」を聴いたら」は、「適塾前からの実況投稿」でした。

で、適塾大阪大学が管理しているんですな)、間口から想像する以上に大きな建物でした。

111022_1_4 って、この写真違う

緒方ビル クリニックセンター」の看板を掲げたこのビルは、適塾の一本南の道路に面して建っていまして、「財団法人 洪庵記念会」が所有する医療モールのようで、理事長は洪庵先生の末裔の方だそうな。

そして、この場所は、洪庵先生らが天然痘予防のために種痘を行った「除痘館」があった場所で、それを記念するプレートが設置されているのだとか。

この時は、そんなこともつゆ知らず、閉館時間が迫った適塾へと急いだのでありました

でもって、こちらが適塾の観覧券

111022_1_3

この建物が、大きなビルに挟まれていたらかなり興ざめですが、適塾の両側は小公園になっていまして、

111022_1_5

西側の公園には読書する洪庵先生の像が鎮座していました。

111022_1_6

適塾のリーフレットによれば、

史跡・重要文化財適塾は、商都大阪北浜のオフィス街に、江戸時代の町家の姿を現代に留めているばかりではなく、わが国蘭学塾の唯一の遺構である。大阪大学では、この貴重な文化遺産を保護すべく、適塾の東西のビルを撤去し、史跡公園化を推進してきたが、幸い、大阪市、財界等のご協力を得て昭和61年にこの事業は完成した。

とあります。現在のような雰囲気になったのはそれほど昔の話ではなかったんですねぇ。

さて、上の写真でも判るように、適塾はかなり奥行きのある建物です。
リーフレットに載っている間取り図を載せておきましょう。

111022_1_7これでも、1915~20年に行われた道路の拡幅工事のため、北側(左の図では下方向)が2mほど切り詰められたのだそうな。

かなり広いとはいえ、大勢の若い男たちがひしめいていたことを想像すれば、夏はかなり汗臭い場所だったことでしょう…

ところで、この階段

111022_1_8 60°くらいはありそうな角度です。

かなりの急傾斜で驚いた熊本城の櫓(記事はこちら)の階段だって、これほど急ではなかった気がします。

111022_1_9

あ、そうだ

適塾の開館時間は、10:00~16:00。閉館時間が早めですので、お出かけの際にはご注意ください。
参観料250円超お得だと思いますよ。

   

それと、適塾に行ったら、前述の「緒方ビル クリニックセンター」(「除痘館記念資料室」が入場無料で公開されているらしい)と、その向かいにあるこちらの建物見ものです

111022_1_10

一見、奥ゆかしいお屋敷ですが、実はこの建物は「大阪市立愛珠幼稚園
1901年竣工で、重要文化財現役の公立幼稚園なんですと

いやぁ~、驚きました。

   

ところで、10月9日の記事「今夜『逢いたくていま』」を聴いたら」に追記で、

そして、この記事のタイトル、、、う~む…デス。

と書きました。

ツアー前半では「逢いたくていま」は全公演で歌われていたのですが、ツアー後半初日となったこの日の大阪公演ではセットリストから外れていました… かなり残念でありましたヨ…

さて、今夜の東京公演2日目ではどうでしょうか?

【追記】東京公演2日目で「逢いたくていま」を聴けましたぁ~
すっごく素晴らしいパフォーマンスでした
でも、適塾記憶が生々しい大阪初日で聴けていたら、私はどんな風になっていたのだろうかと想像すると、やはりちょいと残念です。(2011/10/23 00:30)

つづき:2011/11/06 ぼちぼちと関西旅行記(その5:大阪歴史博物館編④)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週はどんな週だった?

2011-10-21 23:56:25 | ニュース

連休明けの先週火曜日から私の通勤経路の一部・東名高速で集中工事が行われていました。
先週は稼働日4日のうち2日間が外出先への直行直帰だったこともあり、ほとんどその影響を受けることなく、乗り切ってきました。
そして、最終日のきょうも、、、、と思ったら、そうは問屋が卸しませんでした
私が首都高から東名を目指しているとき、川崎ICを先頭にした渋滞が東京ICまで7km、そして「所要時間40分」なんて情報が入ってきました。


しっかりと確認することなく、私が通勤に使っている東京IC~横浜町田ICの工事は先週だけだと思い込んでいた私が悪かった…


そのまま渋滞に突っ込むのも芸が無いと思った私、首都高速3号線を用賀ランプで降り、環八⇒瀬田⇒国道246号線経由で、川崎ICから東名に乗ることにしました。
ところが、時々使っている「首都高速4号線・高井戸ランプ⇒環八⇒用賀⇒東名・東京IC」とは比べものにならないほど酷いルートでした…
私と同じように東京IC⇒川崎IC迂回しようとしたクルマが多かったのか、用賀瀬田交差点での右折が大変なことといったらありませんでした。
今度このようなシチュエーションになったら、首都高速3号線から三軒茶屋ランプで降りて、国道246号線で環八を突っ切るルートを試してみることにします。


   


こんな散々な(帰りの一般道の渋滞も酷かった…)週の終わりでしたが、オリンパスの方々に比べればましかもしれません。
今週のオリンパスの株価はこんな具合でした。


111021_1_1


先週金曜日(10月14日)、2,480円で始まった株価は、同日発表されたウッドフォード社長の解任をきっかけにしてその日のうちに2,045円まで急落し、今週に入っても下げ続け、きょう21日の終値は1,231円
8日間で半値になってしまいました
初めのうちは、ウッドフォード前社長に期待されていた「日本人的なしがらみにとらわれないコスト削減」が難しくなるだろうということで、オリンパス株が売られていたようですが、今週に入ってからは、オリンパスの経営の怪しさを理由に売りまくられています。


この辺りの経緯は、こちらのサイトをご参照いただきたいのですが、要は、ウッドフォード社長の解任の理由をオリンパスは「性格の不一致」だとしているのに対し、前社長は「オリンパスがかつて行ったM&Aの怪しさを指摘したから」と主張し、世間がオリンパスのありように懐疑の目を向けているということ。


オリンパス怪しげなM&Aをしたらしいことを、私は3か月前にとある雑誌で知りました。
YOMIURI ONLINEの記事を引用しましょう。


英紙フィナンシャル・タイムズによると、ウッドフォード氏は、一部雑誌で社長就任前の過去の買収を巡っての疑惑が報じられたことから調査を行った。
その結果、2008年に英医療機器メーカー「ジャイラス」を9億3500万ポンド(当時約2150億円)で買収した際に不透明な支出があったことが分かったという。具体的には、買収のフィナンシャル・アドバイザー(FA)を務めた、カリブ海の英領ケイマン諸島の企業に総額6億8700万ドル(同約730億円)を支払ったとしている。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、ウッドフォード氏はFAへの巨額報酬について、過去3週間にわたって菊川剛会長(当時、現会長兼社長)らに書面でただした。解職22前には、「深刻なガバナンス(企業統治)の懸念」を理由に菊川氏に辞任を促したという。ウッドフォード氏は、こうした行為が自らの解職につながった可能性があると主張している。


という次第。
この記事に出てくる「一部雑誌」というのが、私が定期購読しているFACTAなのですよ


111021_1_2


このFACTA、今年1月の記事「長く定期購読してきた雑誌にサヨナラ」で書いた私が愛想を尽かした某雑誌に代えて定期購読を始めた雑誌です。

いやはや、こんなスマッシュヒットを放ってくれるとは、私としても気分よろしデス。


ウッドフォード前社長が気になって英訳させて読んだというFACTAの記事は、無料公開されています。

気になる方は、こちら(第一弾)とこちら(第二弾)をお読みくださいませ。


さて、この一件はどんな決着をみるのか、興味津々です(現会長兼社長の負けでしょ)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼちぼちと関西旅行記(その3:大阪歴史博物館編②)

2011-10-20 23:15:37 | テレビ番組

10月16日の「ぼちぼちと関西旅行記(その2:大阪歴史博物館編①)」のつづきです。


大阪歴史博物館の常設展示は、一気に10階までエレベーターで昇り、一緒に時代もさかのぼっtた「古代フロア」から始まり、エスカレーターで下るたびに、


9階:中世近世フロア
7階:近代現代フロア

と、時代も下ってきます。


111020_1_1


ちなみに、8階は「歴史を掘る・特集展示フロア」として、「ところで…」的な展示が行われていましたが、それはちょいと後回し…


   


9階以下の展示は、インパクトが巨大だった10階の展示に比べればやや小粒ながら、それでも私は充分に楽しむことができました
なにせ、私が好きなジオラマ/模型がたっぷり


とりわけ、9階:中世近世フロアには、現在の大阪のルーツともいうべき大坂本願寺石山本願寺)の御影堂とか(丸太をそのまま使ったかのような魅力的)、


111020_1_2


日本で最初に回り舞台を採用(18世紀半ば)した「角の芝居」とか、


111020_1_3


堂島川に面して中之島にあったという広島藩蔵屋敷とか、


111020_1_4


もう、私は興奮しっぱなしでした。


広島藩蔵屋敷のジオラマは、まだまだ改良の余地がたっぷりあると思いますが、それでも、蔵屋敷広大さが感じられたり(蔵屋敷というものが、これほど大規模なものとは思いもよりませんでした)、厳島神社の分社が祀られていることに感じ入ったりと、元広島県民の私としては感慨深いものでありました。


111020_1_5 また、ジオラマ以外でも、文楽人形を操作できるコーナーがあったり(右の写真は、左手で「う~む……」を表現しつつ、右手でデジカメのシャッターを切った労作です)、、、、、、、と、ここでひとっ風呂浴びてTVを見ると、、おわぁ、ブラタモリをやってる


って、アンコール放送だ…


今夜は「新宿~水道編~」の再放送ですな(初回放送も観ました)。


東京の水道といえば、数ヶ月前の帰宅時、光が丘~土支田辺りの笹目通りの内回り(上り?)で、水道工事が行われていまして、なんともかわいらしいバルーンライトが光り輝いていました。

それは、「水滴くん型バルーンライト」だったようです。

と、いつの間にやら、話の流れが違う方向に向かっているようですので、今夜はこのあたりでお終いにします…


つづき:2011/10/22 ぼちぼちと関西旅行記(その4:大阪歴史博物館編③とか)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする