新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

トーハク見聞録の落ち穂拾い

2016-03-30 23:49:26 | 美術館・博物館・アート

「博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ」のつづき、というか、先週末の東京国立博物館(トーハク)のお話の「落ち穂拾い」です。

「博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ」完結編だったはずなのですが、トーハクは、何度行っても、目先が変わっていて、今回も、書いておきたい作品がいくつもありましたもので…

まずは、相変わらず刀剣女子で賑わっている刀剣コーナーで観たこちら。

ピッカピカ直刀で、新しい時代の作品かと思いきや、説明板によると、

直刀(号 水龍剣) 無銘 奈良時代・8世紀
奈良時代の直刀は、正倉院のものを除けばその数は少ない。この直刀は重(かさね)(刀身の厚さ)が篤く、保存の良いもので、正倉院に伝来し、一説に聖武天皇の御料とも伝えられる。明治になって加納夏雄による水龍文の金具の拵(こしらえ)が製作されたため、水龍剣の号がある。

だそうです。
なんと、元は正倉院の御物

加納夏雄による水龍文の金具の拵が製作された」と聞けば、思い出します。
去年の12月、「梨地水龍瑞雲文蒔絵宝剣(なしじすいりゅうずいうんもんまきえほうけん)を拝見しました
こちらの記事に載せた写真をもう一度載せておきましょう。

これほど見事なを誂えたというのは、水龍剣に対する明治天皇なんでしょうねぇ。

  

次も武具で、こちらの

説明板には、

紺糸威烏帽子形兜 江戸時代・18世紀
中央を尖らせた圭頭(けいがしら)の烏帽子形で作り、表面に荒い麻布を貼って金箔を押している。正面に真鍮の輪貫(わぬき)の前立を付ける。[以下略]

ということで、輪貫の前立」とありますが、烏帽子形の兜とくれば思い出すのは、、、、

加藤清正公ですな。
加藤家伝来の兜かとも思いましたが、説明板には、そんなそぶりもありません。

考えてみれば、加藤家は、清正の子の忠広の代に改易なったんでしたっけ…

でも、どう見ても、加藤清正を意識していると思うんですけど、どうでしょ?

それにしても、「荒い麻布」「金箔」の取り合わせ、凄い感覚だと思います。

私の感覚では、甲冑安土桃山時代~江戸時代初期外連味たっぷり楽しい一方、江戸時代中期~後期には「いかにも兜」的なものが多くて面白みに欠ける、というものだったのですが、この「紺糸威烏帽子形兜」には恐れ入りました。

   

最後は、ちょっと季節外れ雛飾りです。

この精緻華麗、豪華絢爛な調度…

説明板によると、

三つ葉葵紋蒔絵雛道具 江戸時代・19世紀
出雲松江藩松平家伝来、松平直亮氏寄贈

だそうです。

「出雲松江藩松平家」といえば、、、、そうです この松平氏

国宝・松本城天守完成させたと思ったら、松江に移封され、結局は国宝2城の城主という希有な存在となった松平直政公の系統です。

おっとっと、早く信州旅行記を書き終えねば と現実に引き戻されたところで、次からは「半年前の信州旅行記」再開します

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博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ

2016-03-27 20:02:28 | 美術館・博物館・アート

「『約4500年前』ってずいぶん昔なんだけど」のつづき、きのうの東京国立博物館(トーハク)見聞録の完結編です。

トーハク本館(日本ギャラリー)2階・2室は、「国宝室」という名前で、ほぼ1か月交替で国宝が展示されています。
年がら年中、総合文化展(平常展)でも国宝があちこちに何気なく展示されているトーハクですが、この部屋は1室に1点だけ国宝ドーンと別格扱いで展示されています。

現在の国宝室での展示作品は、

渡辺崋山「鷹見泉石像」でした。
前にこの作品を拝見したのはいつだったろうか と思って調べると、約4年前でした
(右の写真こちらの記事に載せたもの)
もうそんなに経つんだ…と感慨に耽ったわけですが、この4年弱の間に、この作品はバンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトからのご支援を受け」2013年10月から2015年9月にわたって修復されたのだそうで、本館2階・特別1室で、「近年修理を終えた作品を展示し、当館の保存修復事業の成果の一端をご覧いただきます。それぞれの修理のポイントや工程、その過程で得られた情報をあわせて紹介する企画」として、その修復作業の概要を見ることができます(4月24日まで)。

そして、国宝室に展示されている修復後「鷹見泉石像」がこちら

パッと見、違いがよく判らないかもしれませんが、1階のインフォメーション・コーナーで配布されているしっかりしたリーフレットによりますと、修復前は、

表具の左右端につけられた明朝とよばれる小縁(こぶち)が縮んで裂(きれ)同士のバランスが崩れたことにより、全体に強い折れが発生したり、軸木に埋め込まれた鉛製のおもりが酸化して膨脹し、本紙を損傷する危険性も高まっていました。

だそうです。
「明朝とよばれる小縁」というのは、掛け軸の両端を上下に走る白い線のような部分で、確かに、修復前には、絵の両側の何カ所かで皺が横に走っています

それが、

修理前と印象を変えないよう、できるだけ旧表装裂を再利用したり、それに似た裂を用いました。(中略) 紙や裂の特性から将来的に起こりうる収縮バランスを見越して、縮みやすい裂はあらかじめ処置して仕立てるなど、万全を期して未来へ伝えていきます。

だそうで、かなりスッキリした印象があります。
修復した人の生存中にダメになってしまうのは論外で、数十年後数百年後に、後世の人たちから「マズい仕事をしてるなぁ」と嘲笑されることのないように修復するなんて、職人としての技術と矜持が問われるところなんでしょ。

ところで、美術品の修復には、劣化を防ぐ&回復すること、技術の伝承の他に、もう一つ重要な意味があります。
それは、作品が創られた過程技術・技能を知るということ。

この「鷹見泉石像」の修復の場合、「3つの興味深い新知見がありました」だそうで、

まず、肌裏紙除去後の本紙裏面に下描き線が確認されなかったことから、本作品は画稿を敷き写すことにより一気に描かれたとみられること。また、衣の青色部分の裏面のみに極めて控えめな裏彩色が確認されたことから、本来は表面への発色を意図してなされる裏彩色が、表から描かれた青色の染料系の絵具の透明性を活かすための補助程度になされたこと。そして、修理前の顕微鏡調査により、顔のシミの表現それぞれ色の異なる絵具が用いられていたことがわかりました。崋山が泉石の顔貌を写実的に表すことに強いこだわりをもって制作したことが感じられます。

とのこと。

   

今回のバンクオブアメリカ・メリルリンチ文化財保護プロジェクトの支援による修復作業では、「鷹見泉石像」の他、「坪内老大人像画稿」「坪内老大人像」「坪内老大人像付属賛文」でも行われたのだとか。

このうち、渡辺崋山による「坪内老大人像画稿」は、ホント、面白かった

展示されていた修復後「坪内老大人像画稿」は、下描き線たっぷりでいかにも画稿っぽいことに加えて、

注目するべきは、「坪内老大人(坪内八左衛門直之)」の右手が、本体(?)では筆立てた様子モノクロで描かれ、左下には横にした様子彩色で描かれていることでしょう。

修復前「坪内老大人像画稿」はどうだったのかといいますと、

あれまぁ~

坪内老大人は、右手に持った筆を寝かせているし、なぜか筆を立てた様子が下描き風に見えています。

いったいどういうこと?

リーフレットによると、

「坪内老大人像画稿」には修理前、右手部分に筆を寝かせて持つ右手を描いた紙片が貼られていました。従来、この図様が最終稿であると考えられてきましたが、本画稿に直結する本画が現存せず、詳しいことがわかりませんでした。
今回の修理で右手部分の調査を行ったところ、上から貼られた紙片はもともと本紙から破り取られた第一稿であり、新たに貼り込まれた補紙に描かれた筆を立てて持つ図様の方が最終稿であることが明らかとなりました。つまり、廃案となった紙片がいつしか上に貼られて伝来したというわけです。
これらの制作過程を示す資料性と絵画作品としての観賞性の双方を重視して、今回の修理では表装の形態を工夫しました。
(改行位置を変更しました)

一緒に展示されていた「坪内老大人像」は、ご覧のとおり、右手に握った筆を立てています。

坪内老大人像」の作者は「伝渡辺崋山」とされているのですが、「坪内老大人像画稿」の修復過程で明らかになった ことを受けて、そのうち「渡辺崋山筆」となるのかもしれませんな。

美術館・博物館の仕事としては、修復はかなり地味な作業ですけれど、こんな大発見があったり、積み重ねた技術と技能で、世界各地に拡散した日本美術の修復に貢献したりと、かなぁ~り凄い仕事なんですなぁ。

博物館や美術館で目にする美術品や資料「現物」、それらを私たちがを目にできるのは当たり前のことではなくて、その陰には、関係者の方々の努力と研鑽と技術と技能があることを忘れちゃならないと思いました。

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「約4500年前」ってずいぶん昔なんだけど

2016-03-27 09:06:07 | 美術館・博物館・アート

「『藝祭』に行ってみたくなったきょうの上野」のつづきは、東京国立博物館(トーハク)の見聞録です。

竹の台広場賑わいとは裏腹に、トーハク前庭閑散といってもいいくらいの人しかいませんでした。

これはちょっと意外

で、「縄文の女神」との再会を果たす前に、「春の開放」(3月15日~4月17日)庭園を散策しました。

東京国立博物館 さくらMAP

トーハクに植えられているサクラは、早咲きのものから遅咲きのものまで10種類あるそうで、結構長い間、お花見が楽しめるんですが、庭園への東からの入口近くのミカドヨシノ三分咲きといったところでしょうか?

でも、やはりサクラの時期にはまだ早て、遅咲きのオオシマザクラなんかは「幹と枝だけ」の状態でした。

   

庭園をぐるりと回って、西側出入口から庭園を出て、平成館前で一服した後、本館(日本ギャラリー)に入館しました。

昨日のお目当ての一つ、「国宝土偶 縄文の女神」は、入口を入ってすぐ左、ミュージアムショップの隣にある「特別4室」(普段は休憩スペース)に展示されていました。

縄文の女神」をで拝見するのは、国宝土偶5点が一堂に会した2014年秋の「日本国宝展」以来、1年半ぶり、3回目。私が土偶の魅力にハマった2009-10年冬の「国宝 土偶展」で「縄文の女神」を初めて拝見した当時(作品名は「立像土偶」でした)、この「縄文の女神」と私は敬愛する仮面の女神」(当時の作品名は「仮面土偶」)は重要文化財でして、その後、「縄文の女神」は2012年、「仮面の女神」は2014年にめでたく国宝昇格したのでありました。

今回の特別公開「国宝土偶 縄文の女神は、残念ながら撮影禁止で、写真はありません。

この展示のために、山形県内縄文の女神が出土したのは山形県舟形町西ノ前遺跡)の企業の叡智を集めて製作したという展示ケースに入った縄文の女神は、それはそれは見事なものでした。

すらりとした8頭身の体型45cmもの身長デザイン感覚溢れるシルエットデフォルメ、そしてシンプルな装飾、、、、これが縄文中期といいますから4000~5000年前に造られたものとは信じがたい気がします。

購入してきたA4版のリーフレット(編集山形県立博物館、価格300円)には、三つ折り部分がありまして、それを広げると、原寸大縄文の女神の写真

手近に見ると、なんとデカい

オスカー像(高さ:台座を含めて34.3cm、重さ:3.86kg)よりちょっと背が高くて、ちょっと軽い(縄文の女神は身長:45cm、体重:3.155kg)。
右のディカプリオさんの写真からイメージしてみてくださいな

ところで、特別公開「国宝土偶 縄文の女神の会場では、特製ポストカード無料で配布されていました。

かなりの変形ですが、かなりステキなポストカードです。
もったいなくて、とても使えませぬ

そうそう、会場では縄文の女神と一緒に国宝附(つけたり)に指定された「土偶残欠」も展示されていまして、これがまた面白かった

「ミニ縄文の女神」ともいうべき「カケラ」がいくつもあって、縄文の女神たまたま造られたのではないことを知ることができました。

トーハクでの縄文の女神特別公開4月17日まで
会期が終わると、桜前線を引き連れて(?) 地元・山形に帰ってしまいますので、その前に是非ご鑑賞

つづき:2016/03/27 博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ

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「藝祭」に行ってみたくなったきょうの上野

2016-03-26 21:43:01 | 美術館・博物館・アート/タウンウォッチング

きょう、上野公園に行ってきました。

お目当ては、お花見お花見でも東京国立博物館(トーハク)恒例の「博物館でお花見を」と、同じくトーハク特別公開中(3/23~4/17)の、

「国宝土偶 縄文の女神」です。

だったんですが、上野公園の中心部にある竹の台広場に着いて、目を剝きました
なんだアレ

巨大なオブジェというか、御神輿っぽいのが展示されています。
向きを変えてもう一枚

きのうから明日までの3日間、竹の台広場では「上野『文化の杜』アーツフェスタ・2016春」というイベントが開催中でして、この「巨大なオブジェというか、御神輿っぽいの」は、

東京藝術大学の学園祭「藝祭」で一番の見せ場と言われる「藝祭神輿」。藝大生たちがひと夏をかけて造った精巧かつ迫力に満ちた巨大神輿の中から、選りすぐりの5基を展示します。

という「藝大神輿」でした。
私、「藝大神輿」は一度だけ、新丸ビルで出張展示されているのを拝見したことがありましたが、こんなに凄かったかな…

観た順番で紹介しますと、まずは、「日本画・邦楽」チームによる「猛者、走る」

このは、牛車を牽いているんですが、

牛車がバラバラになるのも構わず突進しています。
五木寛之「親鸞」「競べ牛」を連想しましたです。

 

それにしても、凄い迫力です。

ところで、この「藝祭神輿」藝祭伝統的なイベントだそうで、こちらのサイトによれば、

美術学部と音楽学部の1年生で60人程度のチームを8つ作って巨大な御輿を制作し、藝祭初日の開幕イベントでお披露目します。

だとか。
美術学部音楽学部の壁を超えてチームをつくって制作するってのが面白いですねぇ。

次は、これまた動物が迫力満点に疾走するデザイン・作曲チーム「猪勇睦神輿」
横綱 って感じ。

こちらは、怪しい目つきだなぁ。

先端芸術表現・音楽環境創造チーム(なんだか理屈っぽい人だらけっぽい)の作品は、タイトル不明ながら、の表現が超リアル

って、当然ながら恐竜の実物を観たことはございませぬ

次は、ヌメヌメ系2作品。
まずは、声楽・建築チーム「たこと神殿」

ひやぁ~まとわりつかれ感が凄いなぁ。

そして最後は、昨年の大賞を受賞したらしい工芸・楽理チーム「日本遺産」

オオサンショウウオ神輿にしちゃう発想自体から感心してしまいます。

それにしても、これらが、大学1年生たちによる作品だとは、信じがたい
まったくもって、さすがは藝大生ってことなんでしょ。
なんとも陳腐なまとめ…

一度は藝祭に出かけて、藝祭神輿のパレードを観ないと と心に決めたのでした。

ちなみに、今朝のニュースでは「一分咲き」と言っていたきょうの上野公園の桜はこんな状態でした。

来週末には見頃を迎えそうですな。

トーハクのことは稿を改めます。

つづき:2016/03/27 「約4500年前」ってずいぶん昔なんだけど

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半年前の信州旅行記(その39)茅野編 9

2016-03-24 23:52:25 | 旅行記

「半年前の信州旅行記(その38)茅野編 8」のつづきは、諏訪大社上社前宮の見聞録・本編です。

諏訪大社上社前宮は、社務所らしきものが無く、上社本宮と違って「村の鎮守」のような雰囲気でした。
上社本宮摂社(支社みたいなもの)という扱いだった時期があったといいますから、確かにそんな感じ。

ところが、鳥居の手前にあった説明板によりますと、

ここは、諏訪大社大祝(おおほうり)の始祖と伝えられる有員(ありかず)が初めて大祝の職位について以来、同社大祝代々の居館であったところで、神殿(ごうどの)は神体と同視された大祝常住の殿舎の尊称である。
この神殿のあった地域を神原(ごうばら)と言い、代々の大祝職位式および旧三月酉日の大御立座神事(おおみたてまししんじ)(酉の祭)をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われた(中略)
後、この居館は他に移ったが、祭儀は引き続いて神原に於いて行われてきた。
諏訪大社上社の祭政一致時代の古体の後を示している最も由緒ある史跡である。

だそうで、別の説明板によれば、

前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。

だそうです。
前宮「前」位置を示すのではなく、時間を示す、という説があるわけですな。

   

ところで、諏訪大社(上社)の神紋は、初めて目にするこんなのでした。

立葵紋こちらの記事をご参照方)と似た雰囲気ですが、葉の形が違うし、こちらには根っこまで表されています。

諏訪大社上社前宮では、この神紋「現物」が栽培されていました。

そして、傍らの説明板には、

神紋 穀(かじ)の木

神紋 穀(かじ)の木

とあります。
一般的には「梶」の字が使われる「カジノキ」です。

「カジノキ」って、あまり馴染みがないと思うまま、ちょっと調べてみると、和紙の原料として有名なコウゾ(楮)の仲間のようで、Wikipediaによれば、

はブタ、ウシ、ヒツジ、シカなどの飼料(飼い葉)とする。樹皮はコウゾと同様に製紙用の繊維原料とされた。中国の伝統紙である画仙紙(宣紙)は主にカジノキを用いる。 また、昔は七夕飾りの短冊の代わりとしても使われた。

だとか。

葉っぱは家畜のエサかい

と思ったら、Wikiediaの別の説明では、

梶の葉は、柏の葉と同じように食器として用いられ、後に神前の供物を供えるための器として用いられたことから、神職に用いられるようになった。 文様としては、『吾妻鏡』に見る、武田信義の諏訪上宮で見たという夢の話に登場する「…梶葉文の直垂を着し、葦毛の馬に駕すの勇士一騎、…」が初見とされている。
諏訪神社が神紋として用いるほか、江戸時代には諏訪氏をはじめとして松浦氏、安部氏など4家の大名と四十余家の幕臣が用いている。苗字に「梶」の字を用いる家が用いる場合もある。

ですと。

なるほどぉ~ です。

つづき:2016/04/07 半年前の信州旅行記(その40)茅野編 10

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半年前の信州旅行記(その38)茅野編 8

2016-03-22 23:36:10 | 旅行記

「半年前の信州旅行記(その37)茅野編 7」のつづきは、簡単に…。なにせ「MISIA星空のラジオ」の日ですから

さて、神長官守矢史料館を始めとする藤森照信さんの作品群を堪能したあと、諏訪大社上社前宮へと向かいました。

その途中に見かけた建物に目が止まりました。

入口のガラスに「高部公民館」と書かれています。

どう見ても、かつては町役場村役場だった風情です。

「高部公民館」の概要とか来歴を調べてみたのですが、見つかりませんでしたWikipediaによると、

1955年(昭和30年)2月1日 - 諏訪郡ちの町・宮川村・金沢村・玉川村・豊平村・泉野村・北山村・湖東村・米沢村が合併して茅野町が発足。

だそうです。この記述と、高部公民館の住所「長野県茅野市宮川高部」から推察するに、かつては「宮川村役場」だった建物ではなかろうかK.I.Tそうだろうと、勝手に決めつけてしまいます

高部公民館から5分強(神長官守矢史料館からは10分弱)歩くと、到着しました、諏訪大社上社前宮

前宮前交差点

上の写真の右上、信号機に取り付けられている案内標識「前宮前」って、ちょいとくどくありません?間違いはないのですけれど…

ということで、今夜はここまで。

つづき:2016/03/24 半年前の信州旅行記(その39)茅野編 9

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首都高速中央環状線の山手トンネルは欠陥持ち?

2016-03-21 21:34:21 | タウンウオッチング

きょう、3月21日(休)は、世の中は昨日の春分の日振替休日だったわけですが、私は普通の出勤日でした。
こんな日の朝は、連休初日でない限り、道路ががら空きで、快適な通勤ドライブを楽しめるものです。

今朝も、ご多分にもれず、ナビの予測によると、いつものルート(首都高速&東名経由)での職場到着予定時刻7:20
いつもよりも30分以上早く到着するというご託宣です。
そこで、試しに「下道(したみち)」経由(新大宮BP⇒笹目通り⇒環八⇒R246)だとどうなるかとナビをセットすると、到着予定時刻は8:10
これなら、とりあえず瀬田(新大宮BP⇒笹目通り⇒環八)まで下道を走って、状況によっては東名を使おう ということで出発しました。

結果から書きますと、この選択は大正解 でして、職場(自分の机:駐車場から10分弱かかる)には7:55に到着しました
大正解」というのは、今朝、ほぼ全線が予想どおりガラガラだった首都高速で、唯一、中央環状線(C2)(内回り)西池袋~中野長者橋渋滞が発生していたのですよ。

ラジオの交通情報によれば、「乗用車2台の事故を原因とする渋滞でした。

この「西池袋~中野長者橋」区間、こちらの記事で書いたように、C2が全通して以降、

それ(C2全通)まですんなり と流れていた池袋西ランプ~中野長者橋ランプの区間、具体的には早稲田通り山手通りの交差する地点付近の地下付近(くどい)を先頭に、渋滞or混雑するようになったのです。

です。

ちなみに、今夜帰宅した直後の交通情報を見ますと、、、、

やはり渋滞しています。
今年2月以降事故やら自然渋滞やら、状況はますます悪化しているという実感を持っています。

早稲田通り山手通りの交差する地点付近の地下付近」辺りを頂点に、上り坂になっていることと、それに伴って流れる速さ急に変わることが事故の原因になっている気がします。
何を隠そう、私のクルマがトラックに追突されたのもこの地点でした

なんですが、これって、構造的に「事故やら自然渋滞やら」が起こりやすい設計・施工だったということですよね。

これって、何とかならないものでしょうねぇ…

   

ところで、4月1日から首都高速の料金「改訂」されます。

首都高速道路NEXCO東日本・中日本間で異なっている料金体系を整えて、出発地と到着地が同じならば同じ料金にしようという画期的な料金改訂です。

この料金改訂国交省「首都圏の新たな高速道路料金に関する具体方針(案)」だと、こうで、、

首都高速リリースだとこうで、、

料金改訂によって負担が増える人がいる一方で、減る人もいる。
結果として、料金の公平が実現される。

という主張っぽいのですが、実際はどうなんでしょ?

私の場合、

です

私、かつての経験から、国交省道路局道路会社各社、とりわけ首都高速のやり方に胡散臭さ姑息さを感じておりまして首都高速の場合、今回の料金改訂で、結構な増収を見込んでいるのではないかと推察しています。

仮に増収になるのだったら、増収分は、しっかりとサービス向上(渋滞改善、事故の起こりにくい構造への改造など)に使って欲しい
まかり間違っても、国交省道路局からの天下りの方々の処遇改善には使って欲しくないゾ

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半年前の信州旅行記(その37)茅野編 7

2016-03-20 13:52:21 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その36)茅野編 6」のつづきです。

神長官守矢史料館は、

守矢家は、古くから諏訪大社上社の神長官を勤めてきた一族でした。そのため、数多くの古文書を現代に伝えています。(中略)当館は、守矢文書を保存・公開するために、平成3年2月に開館しました。

というわけで、展示品の多くは古文書です。古文書好きにはたまらない(武田信玄北条氏直真田昌幸といった蒼々たる武将らの筆になる文書が保存されています)でしょうが、私にとっては、建物自体やロビーの御頭祭の復原展示のインパクトに比べると、相当地味

   

神長官守矢史料館の建物正面、入口の庇を4本の柱が貫いています。小鳥を模した金属板がチャーミングなんですが、この柱は容易に想像できるとおり、御柱をモチーフにしたものだそうです。

御柱諏訪大社4社だけのものではなく、諏訪地方では神社に「つきもの」のようで、中小の神社だけでなく、(ほこら)でさえも、その四隅に御柱が立てられていました。

この御柱も、どこからか引きずってくるのだろうか? 斜面を滑り落としたり、川を渡ったりして…

きっと諏訪地方の子どもたちは、代々「御柱ごっこ」に興じているんだろな

なんたって楽しそうだもの

今年は6年に一度御柱祭の年。再来週の土曜日、4月2日に、上社の御柱8本の曳行(「山出し」というらしい)が始まります。諏訪地方の人たちは、御柱祭のことでもう気もそぞろって感じなんでしょうねぇ

御柱付きの祠群

さて、神長官守矢史料館から南へズンズン進んで行きますと、見えてきました

藤森照信さんの設計による茶室「空飛ぶ泥舟」です。そして、その左手には、これまた藤森さんの作品茶室「高過庵(たかすぎあん)

なんだかソワソワしてきて、思わず速歩になってしまうのですが、まずは「空飛ぶ泥舟」を至近から見上げました。

ホントに「空飛ぶ泥舟」そのものです

4本の支柱から伸びたワイヤー宙づりになっています。

この「建物」は、2010年茅野市美術館で開催された「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」の際に、「ワークショップの一般参加者と地元の職人が地域の素材を用いて制作した」ものだそうです。

普通の建物は、移設するのは大変なことなんですが、この「空飛ぶ泥舟」の場合、4本の支柱を立てられる場所ならば、簡単に移設できてしまいます。実際、最初の茅野市美術館から、この場所に移設されただけでは飽き足らず、名古屋に出張までしているんですから

「空飛ぶ泥舟」への出入りにはハシゴを使うのですが、こちらが専用のハシゴか?

二つの丸いみたいでcute

実際に「空飛ぶ泥舟」乗船っつうか、入室した人の見聞録によれば、結構揺れるんだとか。「空飛ぶ泥舟」茶室だけど、中で宴会をやったら、少ない酒量酔えるかもしれませんな。

揺れるといえば、茶室「高過庵」も、風が強いと揺れるらしい。

そりゃそうだよねぇ、こんな構造で、「アメリカのTime誌に『世界でもっとも危険な建物トップ10』に選ばれています(1位はあのピサの斜塔です)。」こちらから引用)というくらいなんですから。

左の写真だと、1本の木の上にあるように見えますが、実は撮った角度のせいでして(煙突から白い煙が上っているように見えるのも偶然です)、実際には、

2本の木を土台にしています。って、2本の木が土台かい

確かに「危険な建物」です

真下から見上げますと、

これじゃ、逆光何も判りません ので、もう1

こちらも、踊り場まではハシゴを掛けて登る必要があります。その専用ハシゴはこれかな?

茶室「空飛ぶ泥舟」にしても、茶室「高過庵」にしても、説明板ありません。何も知らずに、この二つの茶室を見た人はさぞかし目を剝くことでしょうな。あまりにも現実離れした光景で、夢を見ていると思うかも…

茶室「高過庵」

それにしても、木の上の家って、秘密の隠れ家「高過庵」目立ちまくりですが)みたいで、ワクワクしますなぁ。

「高過庵」の傍らにあった萱葺ならぬ萱造りの

こちらも高床式で、「高過庵」附属施設風ですな。ちゃんと御柱も立っていて、名づけるなら、「祠の萱造り 高過庵風 御柱添え」ってところでしょうか? おなかが空いてるせいか、料理のような命名です

至極満足のうちに、もう一度「神長官守矢史料館」の建物を鑑賞して、

次なる目的地・諏訪大社上社前宮へと向かいました。

ところで、茶室「空飛ぶ泥舟」とか茶室「高過庵」「敷地面積」はどう測るのだろうか?

地面を占有しているのは、支柱や木の断面積だけなんだけど…

【追記】この記事を書き上げたあと、遅い昼食を摂り、埼玉県立近代美術館に出かけて二度目「原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし」を観てきました(一度目の見聞録はこちら)。森鴎外が所蔵していたという「蓮池」(後期:3/8~3/27のみ展示)を観たくて…。で、原田直次郎展を観終わった後、ミュージアムショップでブラブラして、美術書の背中を眺めていると、こんな本が並んでいました

藤森照信の茶室学

 ―日本の極小空間の謎

藤森 照信
六耀社

磯崎新と藤森照信の茶席建築談議

磯崎 新,藤森 照信
六耀社

藤森照信さんの「茶室本」です。

茶室「空飛ぶ泥舟」茶室「高過庵」のことを書いた当日に巡り会うなんて、運命的なものを感じて、買おうか買うまいか、しばし迷ったのですが、とりあえず今日は買うのを見送り

でも、そのうち買ってしまいそうです。(2016/03/20 18:42)

つづき:2016/03/22 半年前の信州旅行記(その38)茅野編 8

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半年前の信州旅行記(その36)茅野編 6

2016-03-19 22:40:00 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その35)茅野編 5」のつづきです。

「神長官 守矢」について、「その36」では、現地の説明板から

守矢家の祖先は諏訪大明神建御名方命入諏以前からの土着の神といわれ、古代以降上社大祝(おおほうり)を補佐し、上社五官の筆頭として代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄である。

そして、東京国立近代美術館の説明板から、

長野県茅野市にある神長官守矢史料館は、諏訪大社の筆頭神官である守矢家の歴史的資料を展示する施設。

と微妙に違う説明を引用しました。
方や「補佐」と書き、方や「筆頭神官」と書いています。

どういうこと?

茅野市神長官守矢史料館のリーフレットの表紙から転記しますと、

神長官守矢家は、古代から明治時代の初めまで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。大祝(おおほうり)諏方(すわ)氏は、現人神(あらひとがみ)(生き神)であり実際に神事を取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする五官祝(ごかんのうほうり)である。五官祝には、祢宜太夫(ねぎだゆう)守屋氏・権祝(ごんのうほうり)矢島氏・擬祝(ぎぼうり)伊藤氏・副祝(そえのほうり)長坂氏がいた。

ということで、諏訪大社上社では、最上部別格(現人神)大祝(おおほうり)がいて、実務(神事)は、神長官トップとする五官祝(ごかんのうほうり)が担っていた、ということらしい。

ちなみに、諏訪大社下社の方は、Wikipediaによれば、

大祝==武居祝(たけいほうり)=禰宜太夫=権祝=擬祝=副祝

という「職制」だったようですが、上社のように世襲だったのかは不明です。

   

さて、「鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢文書を保管・公開する史料館」だという茅野市神長官守矢史料館に入館します。

と、、、、なんじゃこりゃぁ

壁面に、動物が…

こちらなんか、TVで見る富豪の館の飾り(いわゆるハンティング・トロフィー)みたいだし、

串刺しのウナギならまだしも、串刺しのウサギってのは…

この展示は、公式サイトによると、

諏訪神社上社において、御柱祭と並んで重要な祭礼である「御頭祭」復元展示を行っています。「御頭祭」は旧暦3月の酉の日に行われていたので、別名「酉の祭り」ともいわれています。現在の御頭祭は4月15日に、上社前宮(茅野市)で行われている祭礼で、中世においては信濃各地の豪族に当番が割り当てられて執行されていました。

だそうです。「御頭祭(おんとうさい)について、さらにリーフレットから引用しますと、

神事は、諏訪上社前宮十間廊で行われ、十間廊に鹿の首70頭余りを供えた神事であった。現在は、剥製の鹿の首3頭で神事を行っている。

とのこと。(下の写真は「御頭祭」が行われる諏訪大社上社前宮十間廊)

「その32」で、諏訪大社上社本宮大欅「贄掛けの欅」と呼ばれることについて、

「贄(にえ)」って、「生け贄(いけにえ)「贄」ですよ。なんとも、神社とは縁遠いことばが登場しました

と書きましたが、またもや生々しいものが登場しました

私、神様への供物といえば、とかご飯とかといった鉱物・植物由来のモノがほとんどで、動物性のモノではのし鮑くらいのものだと思っていましたが、これほどまでに動物性というか狩猟系血の臭いがするようなお供物があるとは知りませんでした。

諏訪大社は、伊勢神宮をヒエラルキーのトップにいだく「神道」とは別の系統の、いわば土着の信仰にしているのだろうなと思いました。

ところで、、この「御頭祭」の展示は、史料館内の説明書きによりますと、

諏訪大社の祭祀の中心をなすのが 前宮で行われる御頭祭(現・酉の祭)で 春先神社前に75頭の鹿を始め魚・鳥・獣の肉を山のように盛り上げ 酒を献じ かがり火に照らされながら神と人が一体となって饗宴を催うした
この展示は 江戸時代中期の様子の一部で天明4年(1784)3月6日に御頭祭を見聞した菅江真澄のスケッチをもとに復原した

とあります。

ここに「菅江真澄」という人物が登場します。

この菅江さん、全国的にはあまり知られた人ではありませんが、秋田県人たる私にとっては耳に馴染んだお名前です。

手許にある図説 秋田県の歴史によれば、

秋田の生まれではないが半生を秋田で過ごし、秋田でその生涯を終えた菅江真澄(1754-1829)は秋田の文化を高めたひとりであった。
真澄は30歳前後に三河国を出て旅を続けるが、信濃国から越後・出羽国と海岸を北上し、本荘から出羽山地を越え湯沢に入り、天明5年(1785)5月、湯沢を出発、山本郡から津軽へ、そして青森から大館に南下、南部藩鹿角を通り仙台伊達藩で逗留した。天明8年に仙台から北上し、青森から北海道松前藩へと旅をつづけるが、寛政13年(1801)、津軽の深浦から秋田に入り、藩内をめぐり、やがて秋田藩に腰をおちつけることになる。

だそうで、私としては、「え ここで菅江真澄といった感じでした。

秋田の文化を高めた」だけでなく、江戸時代末期の秋田の風俗を文書やスケッチで残してくださった菅江真澄、この「御頭祭」のスケッチもまた、貴重な史料を残してくださったのだと、深く感謝申し上げる次第です。

つづき:2016/03/20 半年前の信州旅行記(その37)茅野編 7

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半年前の信州旅行記(その35)茅野編 5

2016-03-18 23:47:07 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「半年前の信州旅行記(その34)茅野編 4のつづきです。

「神長官守矢史料館」を見つけられるか不安に思いつつ、諏訪大社上社本宮から約1.5kmほど(時間にして10分強)歩くと、見紛うことなき神長官守矢史料館の看板がありました。

神長官守矢史料館の看板おぉ、あった、あった と右に曲がって進みますと、、、

ホントにこの道でいいのか?

不安に思いつつ、松の木をくぐってさらに進むと、、

立派な門と、神長官 守矢」の表札を掲げたブロック塀があります。
普通の家じゃないけれど、普通の家っぽい…

入っていいのか? と、ますます不安になりつつ先に進むと、

案内板がありまして、これで一安心…

ところで、「神長官 守矢」って何? ですよね。
私もよく判らないままに、ここまでやって来たのですが、案内板によりますと、

守矢家の祖先は諏訪大明神建御名方命入諏以前からの土着の神といわれ、古代以降上社大祝(おおほうり)を補佐し、上社五官の筆頭として代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄である。

だそうです。
でも、これを読んだだけでは事情がのみこめません。

そんな状態のままで「神長官守矢家祈祷殿」の前を過ぎ、

守矢さんのお家らしき立派数寄屋造りの前を過ぎると、、、

やって来ましたぁ~~

一見、納屋や何かのようにも見えますが、「神長官守矢史料館」です。

こちらの記事に書いた、東京国立近代美術館で見た「神長官守矢史料館」の説明板を転記しますと、

長野県茅野市にある神長官守矢史料館は、諏訪大社の筆頭神官である守矢家の歴史的資料を展示する施設。設計は、藤森照信。当時彼は建築史家として東京大学で教鞭を執っていて、本作が建築家としてのデヴュー作でした。外側の壁に使われている板はサワラで、なんと手割り(クサビは使います)。手前側の屋根に葺かれているのは諏訪で撮れる鉄平石。そこを諏訪大社の御柱から連想した柱が突き抜けています。本作を気に入った日本画家の秋野不矩は、自分の名前を冠した美術館が故郷にできるとなった際、藤森を建築家として推薦しました。

だそうです。

というわけで、「神長官守矢史料館」の中を紹介する前に、もう一枚、別の角度から

奇抜な「形」ではあるけれど、違和感はありません。

中の展示は、外観以上にインパクトのあるものだったのですが、そのお話は「その36」で書きます。

つづき:2016/03/19 半年前の信州旅行記(その36)茅野編 6

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