新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

3年半ぶりの福岡旅行 #2-5

2023-03-25 15:10:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

間が空いてしまいましたが「3年半ぶりの福岡旅行 #2-4」のつづきも福岡市美術館の見聞録です。

福岡市美術館「常設展示」はなんとも盛り沢山で、「#2-4」で書いた企画展「田中千智展」のほか、「コレクションハイライト」、「九州の女性画家たち」(~3月21日)「東南アジア美術を旅する タイ、カンボジア、ミャンマー」(~4月9日)、「東光院のみほとけ」、そして「松永耳庵と同時代の美術家」(~4月2日)と、150円(JAF割引)の入館料が信じられないほどでした。
市立美術館でこんな展示を見せてくれるところって、そうそう無いと思います。

「コレクションハイライト」は、大きく2つのパートに分かれていて、一つ(2つのハイライト)は、福岡市美術館が近現代美術をコレクションするにあたっての二つの軸、「九州・西日本で展開したローカルな美術の流れと欧米中心の美術の流れ」に焦点をあてたもの。もう一つ(分かり合い、分かち合う美術)は、「多様な表現で身近な主題や感覚を掘り下げ、または社会の課題に応答する作品たち」というコンセプトなのだそうな。

「2つのハイライト」は、青木繁坂本繁二郎野見山暁治といった福岡出身の大家の作品などに対して、海外勢もシャガールデルヴォーミロダリと、相当なメンツが揃って、福岡市美術館コレクションのハイライト中のハイライトといった感じでした。
それにしても、ミロ「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」は、どれがどれやら… でした

「分かり合い、分かち合う美術」はちょっと散漫な感じがなきにしもあらずでしたが、これは と思う作品がいくつもありました。

まず、「え"と思ったのが、山本高之「なまはげに質問する」
この作品は、数人の子どもたちが次々と「なまはげ」に質問するというビデオ・インスタレーション(タイトルそのまま)で、まさか福岡で「なまはげ」をモチーフにした作品に出会うとは思いませんでした。

ウォーホル「エルヴィス」バスキア「無題」が向き合うように展示されていたのには、二人の関係に考えが及んで、グッと来ました。

近現代美術の展示では例外的撮影可だったのが、インカ・ショニバレCBE「桜を放つ女性」でした。

説明板を読んでへぇ~と思ったのはつぎのくだり。

本作で用いられている、ショニバレのトレードマークでもある色鮮やかな布は「アフリカンプリント」と呼ばれますが、英国やオランダで製造されたインドネシアのバティックの模倣品が19世紀末から20世紀初め頃西アフリカに輸出され、現地に受け入れられ現在の形になったという歴史があります。

アフリカンプリント欧州がアフリカに持ち込んだということは国立民族学博物館の展示で知っていましたが、そのまた根っこがインドネシアにあったとは知りませんでした

アフリカにとって「19世紀末から20世紀初め」といえば、大西洋奴隷貿易が廃止されたかと思ったら、今度は欧州諸国による植民地化が進められた時期です。また、インドネシア17世紀からWW2後までずっとオランダ(またはオランダ東インド会社)植民地(いわゆる蘭印)でしたから、アフリカンプリントは、欧州諸国をハブにした植民地間の「文化の交流」と言えるかもしれません

ただ、この色づかい、アフリカの人たちのお気に入りになって、今や「アフリカっぽい」と思われるようになったのは、結果オーライかな?

   

「コレクションハイライト」で私が気に入った TOP 2 は、キーファー「メランコリア」と、カプーア「虚ろなる母」でした。
ただ、どちらも「お持ち帰り(妄想)するにはデカ過ぎます

「メランコリア」は、鉛色爆撃機
キーファーがこの作品にこんなタイトルをつけたのは、爆撃機というおぞましい飛行機「昔、こんなモノがあったなぁ…という記憶に化す未来を望んでのことかなぁと思ったりして…

そして「虚ろなる母」
この作品、おもしろい
一見、鮮やかなブルー繭状のものを半分に切ったように見えたのですが、どうやら違います。卵の殻を半分に切ったような物体です
凹んでいるはずの内側は、手前こそ外側と同じ鮮やかなブルーなのに、奥の方は暗くてまったく見えません まるで無限∞の暗闇が広がっているみたいです
上の作品タイトルに福岡市美術館のサイトへのリンクを貼って、そこで作品の小さな写真を見たり解説を読むことができますけれど、この作品こそ、現物を拝見(体感)しないことには、その凄さは判らないだろうな…
まさしく、「百聞は一見に如かず」です。

   

福岡市美術館には松永記念館室という展示室があります。
この展示室は、

戦後の電力再編事業を通して日本の発展に寄与した松永安左エ門氏(号「耳庵」)が収集した茶道具、仏教美術など重要文化財20件を含む371点のコレクション。コレクション展示室 古美術の「松永記念館室」にて展示 (1~2か月ごとにテーマを変えて展示替え)。

というもので、益田鈍翁原三渓などと並ぶ「近代数寄者」の大物、松永耳庵のコレクションを展示するコーナーです。

何度も書いているように、茶道関係に疎い私としては、「そうか、そうか…程度の感想しか持ち合わせなかったりもするのですが、耳庵のコレクションは、行きつけ(?)東京国立博物館(トーハク)でしばしば拝見しています。

きのうもトーハクで、耳庵から寄贈されたものを観てきました。

茶室「春草廬(しゅんそうろ)」です。
トーハクの説明碑によると、

江戸時代、河村瑞賢が摂津淀川工事の際に建てた休憩所で、その後大阪に移され、明治初期は原富太郎(三渓)が所蔵していた。昭和23年(1948)、松永友左エ門氏から柳瀬荘(埼玉県所沢市)とともに当館に寄贈され、昭和34年に現在の位置に移された。

だそうで、福岡市美術館にはこの春草廬の一部が再現されていました。

掛軸は尾形乾山「花籠図」、茶道具は、伝・西村道仁「茶釜(政所釜)」志野矢筈口水指 銘「末広」清厳宋渭作の茶杓 銘「茶僧」友筒黒織部筒茶碗 銘「さわらび」盛阿弥作の黒塗中棗だそうですが、やはり私には「そうか、そうかでした

この記事を書くにあたって、松永耳庵さんの別荘「柳瀬荘」はどこにあるのだろうか?と調べたら、R254(川越街道)R463(浦所バイパス)が交差する英(はなぶさ) ICのすぐ近くでした(東武東上線柳瀬川駅からはあまり近くない)。その近くは何度も通ったことがあるぞ
外観だけなら毎週木曜日のみ無料公開されているそうなので、いつか行ってみます。

それはさておき、茶道関係にはさしてときめかない私ですが、室町時代(16世紀)に描かれたという「平家公達草紙」イイなぁ となってしまう私でした。

色彩豊かな絵巻も良いけれど、墨の線で描かれる「白描画」ってのもイイものです(こちらをご参照方)

このあと、「仙厓グッズ」豊富なミュージアムショップを眺めて、そして何も買わず、館外に出ました。
やはり、これで「入館料150円安すぎるんじゃないか? と思ったところで「#2-6」につづきます。

つづき:2023/04/12 3年半ぶりの福岡旅行 #2-6 

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3年半ぶりの福岡旅行 #2-4

2023-03-16 18:09:34 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「3年半ぶりの福岡旅行 #2-3」のつづきです。

聖福寺の次は、久しぶりに福岡市美術館に行くことにしました。
福岡市美術館で開催中の特別展は、「永遠のソール・ライター」展 (3月5日で終了)。この展覧会は、2020年2月末Bunkamura ザ・ミュージアムで観ました。私が観に行ったわずか2日後に、コロナ禍で急遽打ちきりとなったんでしたなぁ (記事)
2020年の「美術館・博物館めぐりの振り返り」TOP 3に選出するほど (記事)、とても素晴らしく、大好きな展覧会でしたけど、今回はこちらをパスして、常設展を観ることと、大濠公園をのんびりと歩くことを目的に、決めました。

まずは、上呉服町の細い道を左に右にと曲がりながら明治通りを目指しました。

碁盤の目状になっている町ですので、方向を見誤る心配はありません。
と、ラッパスイセンが咲いてる

ですなぁ~

呉服町から地下鉄大濠公園まで行くつもりだったのですが、すぐ近くにバス停があって、かつ、大濠公園行きバスが近づいてくるのが見えたので、景色を楽しめる路線バスを選択しました。とくに急いでいるわけでもありませんでしたし。
ちなみに、呉服町~大濠公園を地下鉄とバスとで比べると、
 地  鉄:260円 8~9分
 路線バス:240円 30分前後
でした。

バス昭和通りを通って大濠公園に向かいます。
途中、いかにも日銀の支店っぽい建物が見えて、スマホで地図を見ると、当りぃ~

日銀の支店の建物って、大阪支店など一部を除いて、どこも似た雰囲気を醸し出しているのはなぜなのでしょうか

   

それはともかく、呉服町から30分かからずに大濠公園に到着しました。

うららかな好天大濠公園は、日曜日とあって、家族連れで賑わっていました。

池の周りを走っている人のなんと多いこと
皇居の周りと違って、ちゃんとランニングトラックが表示されているのがヨカヨカ

の~んびりと池の周りを1/3周して、福岡市美術館に到着。

私が福岡市美術館に来たのは、2005年2月以来、18年ぶり2度目
かなりの久しぶりでしたが、観覧料は当時と同じ200円というのに驚きました しかも、JAF割引を使って、私は150円で入館いたしました

そして、18年前にもっとも印象深かった福岡市美術館のコレクションに再会

中ハシ克シゲ「Nippon Cha Cha Cha」です。
小錦ぃ~
昔、MISIAのライヴ(THE TOUR OF MISIA 2002だったはず)で出かけたさいたまスーパーアリーナで、VIP席にいる小錦さんを遠目から拝見したことがあります。一般席だったら椅子が小さすぎるし、後ろの人かわいそう…なんて考えたりしましたっけ…

さて、福岡市美術館常設展は、近現代作品は基本的に撮影禁止で、古美術品と、そして私が出かけたときに開催中だった企画展「田中千智展 地平線と道」撮影可でした。

田中千智さんというアーティストは、これまで存じ上げなかったのですが、いいじゃありませんか

フライヤーを転記しますと、

田中千智(1980年生まれ)は、2005年多摩美術大学美術学部絵画学科油絵専攻卒業後、2006年より福岡を拠点に作家活動を開始しました。アクリル絵具を使ったフラットな漆黒の背景に、艶やかな油彩で前景を描くという独自の手法を開拓した田中の作品には、笑みとも怒りともとれる人物の表情、漆黒の中にきらめく風景など、相反する要素が組み合わされ、観る者に強い印象を与え、その想像力をかきたてます。

とのこと。
冒頭に展示されていた「きょう、世界のどこか」からほぇ~って感じ。

美しい夜景なんだけれど、寂しさを感じます。
こちらの「漂う」(右)と「浮かぶ」(左) もそう。

日本画に金碧障壁画というジャンルがありますが、背景金箔漆黒に変えて、前景現代を持ってきた風があります。

この「ここにいると決めた」にも惹かれるなぁ

そういえば、フライヤーに使われている「地平線と道」は、どことなくMISIA「希望のうた」(詞:矢野顕子) の冒頭、

歩いて 歩いて 街のはずれまで来た
昨日はもう 思い出にしてきた

が頭に流れてきます

とってもキャッチーながら、観ているとストーリーが浮かぶ作品ばかりなんですが、いろんなの表紙を飾っていたんですな

それどころか、「きょう、世界のどこか」が、お気に入りの作家のお一人、沢木耕太郎さんの波の音が消えるまでに使われていたとは
沢木さんのノンフィクションは追っかけてきたつもりの私ですが、小説だから無視してた作品じゃぁ~

そこはかとなく自己嫌悪に落ち込む私でありました

この「田中千智展」は、「第1回 ホワイトウォールプロジェクト」として開催されたもの。

福岡市美術館では、2019年リニューアル時に誕生したホワイトウォール(約3.14m×13m)を舞台とした、新たな企画展「ホワイトウォールプロジェクト」を実施します。これは3年に1度、気鋭のアーティスト1組に、壁面を用いた新作を依頼し、あわせて隣接する展示室(近現代美術室 B)において、当該アーティストの個展を開催するものです。

というわけで、今年1月に完成したという「第1段階」を鑑賞できました。

作品のタイトルは「生きている壁画」で、

壁画は2023年1月に第1段階が完成しました。この後、2024年1月、2025年1月と1年ごとに加筆をおこない、画面が変化していきます。(壁画の展示は2025年12月末まで)

だそうですから、2025年末までに、少なくとももう2回福岡市美術館に来なくては

上に載せた「生きている壁画」の写真、右端が通りすがりの人隠れてしまいましたので、その部分を載せておきます。

正面を見つめるのとなりで体育座りしているのはずきんちゃん」ならぬ「青ずきんちゃん」でしょうか

福岡市美術館での見聞録は「#2-5」につづきます。

【追記】NHK福岡「生きている壁画」の制作の様子を取材していたんですねぇ。そのWeb記事こちら(2023/03/19 10:27) 

つづき:2023/03/25 3年半ぶりの福岡旅行 #2-5 

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3年半ぶりの福岡旅行 #2-3

2023-03-15 11:58:04 | 旅行記

「3年半ぶりの福岡旅行 #2-2」のつづきは、聖福寺の境内から始まります。

禅寺にやって来たのは、1か月前の東福寺(記事) 以来でした。聖福寺東福寺鎌倉初期に創建された臨済宗のお寺です。自然、両寺の伽藍を比較してしまうわけですが、ふと思ったのは、そういえば鎌倉時代以降に創建されたお寺には塔が無い

日本で仏教寺院が建てられ始めた飛鳥時代には、お寺の伽藍には、その配置は別として、金堂講堂が、必ずといってよいほどありました。
ところが、聖福寺には塔は無いし、東福寺を含む京都五山の各寺にもありません
私が実際に拝見したことのある3層以上の塔といえば、法隆寺薬師寺興福寺元興寺(小塔)、海龍王寺(小塔)、當麻寺東寺清水寺仁和寺八坂の塔(法観寺)四天王寺浅草寺上野の五重塔羽黒山日吉山王神社(秋田)、東長寺(チラ見)と、上野の五重塔(こちらで書いたように、もともとは寛永寺の塔ではなく上野東照宮に寄進されたもの) を除けば、寺伝・社伝では、飛鳥~平安時代に創建された寺・霊場ばかりです。
それが、鎌倉時代以降創建されたお寺には3層以上の塔はほとんどなく、江戸時代に入ってからボチボチと復活しています。

なぜ???

もともと仏塔お釈迦様の骨(仏舎利)を納める建物で、御本尊をおまつりする金堂、僧侶たちが勉強する講堂と共にお寺にはなくてはならない建物だったはず。
それが鎌倉時代に入ると、新たに創建されたお寺では無視(?)されたのはどうしたことなのでしょうか?

三重塔・五重塔が姿を消した理由は、いつか腰を据えて調べてみることにして、話を聖福寺に戻します。

   

聖福寺の御本尊は、「仏殿(大雄宝殿)に鎮座されています。

そして、仏殿から一本の紐が伸びて、回向柱に繋がっていました。
回向柱に貼られた説明書きによると、

善の綱
聖福寺の本尊様は三世「釈迦・阿陀・弥勒」佛です。
仏殿に安座している三躰の仏さまです。
創建当時の大きさの仏像、丈六仏で再興しました。
丈六仏は立像で4.8m、座像で3mです。
大法要に先立って、丈六三世佛のそれぞれの仏様の右の御手に金糸を結び、善の綱を経て回向柱にと繋がれています。
回向柱に触れる事は、三世佛の仏様に触れる事になります。
このまたとない機会です。健康や長寿、病気の平癒を願って、この回向柱にお触れください。
めったに受けることのできない結縁が生まれ、仏様の慈悲がもたらされて、その功徳の慈悲がもたらされて、その功徳の恩恵に浴することが出来、願いが叶うと言われています。

だそうで、私が回向柱触れたのは言うまでもありません。

仏殿の中には入られませんでしたが、お参りしたあと、堂内を覗き見しました。
御本尊が左右に脇侍を従えた「三尊像」はよく拝見するパターンですが、如来三仏が勢ぞろいというのはあんまり見ませんよねぇ。(堂内の写真は聖福寺のHPで拝見できます)

その横にあった説明書きには、

仏殿は、寺院の本尊様を祀るところです。本尊様は、釈迦如来、弥勒如来、弥陀如来の三如来になります。また、聖福寺では仏殿が法堂も兼ねています
丈六三世仏の造立は、栄西禅師以来開創当時の再興です。向かって左より「弥陀、釈迦、弥勒」の三体の金色の如来仏が安座しています。三体の如来仏はそれぞれ「弥陀は過去仏、釈迦は現在仏、弥勒は未来仏」にあたります。(中略) 像全体が乾漆で出来ており、乾漆の仏像として「日本一の大きさ」になります。立像で10cm四方の金箔を約1万枚貼ってあります。

とありました。
そっかぁ、仏殿は「金堂 兼 講堂」みたいなものなんですな。
さらに、

この仏殿の特徴は、「丸窓、湾曲した格天井(外側)、連子窓、木の礎盤です。栄西禅師の修行した中国(南宋)の万年寺、天童寺などの禅宗寺院の特徴が今によく伝えられています。「大雄宝殿」の扁額が掛かっている日本の臨済宗の禅寺は非常に珍しいことです。天井の龍の彫刻は、以前、描かれていた天井画、狩野常信(江戸時代初期、狩野探幽の弟)の雲龍画をもとに彫刻しました。

この「大雄宝殿」の扁額について、「日本の臨済宗の禅寺は非常に珍しい」という説明がよく判りません
そこで「大雄宝殿」を調べてみたところ、こちらのサイトによると、

中国・朝鮮の寺院で、金堂・本堂に相当する建物の呼称。大雄は釈尊のことで、釈迦仏が本尊のもののみをいう。宗派により雄はオウと読む。

だそうな。初めて知りました
そういえば、同じく釈迦如来御本尊として祀っていた東福寺の本堂(聖福寺と同様に仏殿兼法堂)の扁額は「毘盧宝殿」でしたっけ… (記事)

最後に庫裏の外観を遠目から拝見して、聖福寺から退去しました。

この庫裏へのアプローチが、いかにも禅寺らしく、静寂に包まれて、心がすぅ~っとするようでした

   

聖福寺の境内から東側の小径に退出した私は、聖福寺の裏側をぐるっと廻ってみることにしました。

と、落花したツバキ

そして見上げれば柑橘系

この小径の突き当たりにはがあったのですが、

その内側はというと、

広大な更地

恐らく塔頭の跡地なのでしょうけれど、一つの塔頭にはあまりにも広すぎます

境内の説明板に、

聖福寺の境内地は、創建当初、鎌倉幕府源頼朝公より方八町を戴き、七堂伽藍を建立して、丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三尊を安置したと伝えられています。塔頭も38院(現在は6院)を数えました。

とありましたっけ
38院もあった塔頭が、今は6院とな…
聖福寺の境内地も、天正15年(1587)太閤町割「方四町」1/4に狭められて現在に至っているのだそうな

トンビの鳴き声がもの悲しい

そんなことを思いながら、聖福寺裏側の小径を歩いて行くと、

激減した中で残っている塔頭のひとつ「幻住庵」がありました。

幻住庵の創建⇒焼失⇒移転・再建を記した門前の説明板の後半にはこうありました。

文化・文政年間(1804-1830年)には聖福寺の名僧仙厓和尚が、庵内の虚白院にて静かに余生を過ごしました。(本庵は、拝観できません。)

でたぁ~、仙厓義梵

そっかぁ、あの仙厓さんがここで余生を過ごしたのかぁ~
仙厓さんで思い出すのは、このブログの中で地味~にずっとアクセスの絶えない記事「『まる・さんかく・しかく』は禅の真髄か?」に登場した「○△□」(出光美術館所蔵)を書いた方です。

なお、このあと訪れた福岡市美術館ミュージアムショップには、さまざまな「仙厓グッズ」が取りそろえられていました

ということで聖福寺の散策を終えたところで「#2-4」につづきます。

つづき:2023/03/16 3年半ぶりの福岡旅行 #2-4 

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3年半ぶりの福岡旅行 #2-2

2023-03-12 16:44:25 | 旅行記

「3年半ぶりの福岡旅行 #2-1」のつづきです。

まずは、「#2-1」で書いた冷泉公園櫛田神社龍宮寺と、次に訪問した聖福寺との位置関係を…。

さて、祇園町交差点大博通りを横断すると、大きなお寺。
東長寺です。

軒丸瓦の藤巴紋から察せられるとおり、福岡藩主・黒田家菩提寺だそうで、塀越しに見える巨大五輪塔は黒田の殿様の誰か供養塔なんでしょう。

「福岡大仏」なるものに、ちょっとは興味を惹かれつつもスルーしてしまった東長寺でしたが、あとになって調べてみると、弘法大師空海開基の長ぁ~い歴史を持つお寺だそうで、正式名称は「南岳山 東長密寺」で、「東長密寺」という寺名には、「真言教がく伝わるように」という空海の願いが込められているのだとか。

空海は、806年10月唐から帰国したのですが、「帰ってくるのが予定より2年早い。しばらく京に来てはならぬという朝廷のご命令のため、809年まで太宰府に滞在したそうな。
現代の感覚では、なぜ博多辺りではなく太宰府? ですが、当時の太宰府は「日本国九州支社」みたいなところだったわけですから、自然なことなのかもしれません

   

さて、聖福寺
こちらの寺紋「笹竜胆(ささりんどう)で、源氏系か? です。

と、近くの電柱に、まるで広告のように説明板が巻かれていました

この説明板は聖福寺について、というよりも博多の町割りについてのものでしたが、転記しますと、

元寇の後 鎌倉幕府は更なる侵略に備えて、博多に鎮西探題を設置 (1293)源頼朝公開基の聖福寺の伽藍配置の中心線を基軸線のひとつに、半丁単位で町割をして鎌倉になぞらえた強固な城郭都市に造り変え、鎌倉、京と並んで日本の三大重要都市に位置付けました。
ちなみに この電柱は ほぼその基軸線上にあります。

そっかぁ、源頼朝公開基のお寺だから「笹竜胆」なんですな

聖福寺の詳細な説明板寺の境内総門を入ってすぐのところにありまして、その一部をご紹介。

聖福寺は山号を安国山(通称安山)、寺号を聖福至仁禅寺といいます。開山は千光祖師栄西禅師です。建久6年(1195)に源頼朝公により、この地を賜り、頼朝公を開基として創建された、日本で最初の禅寺です。また、後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」(山門の楼上に提示)の号を賜っています。(中略)
(栄西禅師は) 聖福寺以外に、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺などの禅院を造営し、「興禅護国論」など多数の著書を著して禅の宣揚に努めるとともに、香椎に建久報恩寺を立てて、日本で初めての菩薩戒による布薩会を行いました。
また栄西禅師は宋(中国)より「茶」を持ち帰り、当寺境内や背振山などに植えて、各地に広めました。同時に宋風の喫茶も伝え、「喫茶養生記」を著して茶文化の先導的な役割を果たしています。後に「茶祖」と呼ばれる所以です。
栄西禅師の没後、室町時代に入って、聖福寺は五山十刹制度の十刹第三位(後に第二位)に序され、大いに隆盛しました。初め建仁寺派に属し、江戸時代に、黒田長政公の命により妙心寺派に転派していますが、開創以来八百余年、現在の住持である第133第白峰老師に至るまで連綿と法灯が護られ、禅の専門道場として厳しい修行が行われています。

「開山:栄西禅師 開基:源頼朝」「日本最初の禅寺」というわけです。

寺の説明板に登場した後鳥羽上皇より賜ったという「扶桑最初禅窟」勅額が掲げられているという山門ですが、カラス除けなのか2階部分がで覆われていまして、ちょっとよく見えません。

でも、近づいて良く見ると、ありました

なお、この山門は1911年再建されたものだとか。

と、気になる立て札がありました。
「日本茶発祥の『茶の木』」ですって

ちょっと意味が判らず、そこに書かれたものを読みますと、

現在、飲まれております日本茶は今より約800年前の1191年に臨済宗の「栄西禅師」が中国(南宋)より帰国する際、茶の種を日本に持ち帰り、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈の「背振山霊仙寺石上坊」の前庭で栽培したのが始まりとされ、その後「聖福寺」境内で栽培されています。
この茶の木は、禅師の偉業をたたえるとともに、茶振興を祈念し関係機関の協力を得て、茶樹栽培発祥地「石上坊跡」に自生する栄西禅師ゆかりの茶の木移植したものです。

だとか。
栄西禅師は日本における臨済宗の開祖だし、重源の跡を継いで東大寺の復興に携わるなど、多方面に才能を発揮した高僧なんですが、その功績の筆頭は、日本に紹介&普及させたことじゃなかろうかと思っています。
その後の「茶が、日本史の中、政治・文化両面でどれだけ大きな役割を担ったかを考えれば、まさしく栄西禅師は「種を撒いた人」だと思うのです

   

話はちょっとだけ時間を遡ります。
聖福寺の周囲は筋塀で囲まれています。
16弁の菊花紋がついた勅使門があるくらいですから、5本の定規筋が引かれているのもむべなるかな

なんですが、その内側がまたおもしろい

なんだか楽しくなってきます。

これは「博多塀」というもので、廃物リユースした塀だそうです。
こちらのサイトによると、

豊臣秀吉が九州を平定する頃、博多の町は毛利・大友・島津などの諸勢力による相次ぐ合戦で荒廃していた。「博多塀」とは、その焼け跡に残った石や瓦を埋め込んで作った土塀のこと。御供所通り側は上塗りにより見えないが、境内側は禅宗様式の形態をとどめ、周囲の歴史的建造物や樹木の豊かな緑と一体となって、歴史を感じさせる美しい景観を形成している。現在ではここ聖福寺を含め、わずかしか残っておらず、希少価値の高いものとして大切に保存されている。

だそうで、櫛田神社にもあるそうですが、ぜんぜん気づきませんでした

   

ここで例によって脇道にそれます。

聖福寺勅使門を飾っているのは前記のように16弁の菊花紋(パスポートに描かれているのと同じ)ですが、天皇家のご紋は「十六葉八重表菊」です。
この記事を書いているうちに、おもしろい話を見つけました。
こちらのサイトによると、

菊花紋が皇室の紋章として用いられたのは、鎌倉時代初期、とりわけ菊を好んだとされる後鳥羽上皇の頃からといわれています。

なんですと
へぇ~ です。
聖福寺「扶桑最初禅窟」の号を下賜された後鳥羽上皇がここでも出てきた
もう、さっきから「鎌倉殿の13人」尾上松也さんが演じた後鳥羽上皇のお姿が私の頭の中を駆け巡っております

話を聖福寺の境内に戻すのは「#2-3」で。

つづき:2023/03/15 3年半ぶりの福岡旅行 #2-3 

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3年半ぶりの福岡旅行 #2-1

2023-03-10 17:54:46 | 旅行記

「3年半ぶりの福岡旅行 #1」のつづき、旅行2日目(2月26日)の話です。

私が泊まったホテルの近くには、2ブロックほどの広さの公園がありまして、その名は「冷泉公園」。これ、何と読むのだろうか? 「れいぜいこうえん」?それとも「れいせんこうえん」?
冷たい泉が涌いていたからならば「れいせん」だろうし、「和歌の家」として知られる冷泉家とのゆかりのある地ならば「れいぜい」だろうし…。
と、調べたら、「れいせんこうえん」でした。の名前「れいせんまち」から採られたらしい。

じゃぁ「冷泉町」町名の由来はなんだろ? と調べると、「人魚伝説」に行き着きました。
冷泉町にある「冷泉山 龍宮寺」(れいぜんざん りゅうぐうじ) について書かれたこちらのサイトによると、

創建時代は袖の港の海辺にあり浮見堂(うきみどう)と称されていました。
鎌倉時代はじめの貞王元年(1222年)、漁師の網に人魚がかかり、その報告を受け、都から勅使として冷泉中納言(れいぜいちゅうなごん)が下り、しばらく浮御堂に滞在されました。
占いの博士安部大富(あべのおおとみ)に占わせると「国家長久の瑞兆」というので、人々は大喜び、この人魚を浮御堂の地に手厚く葬り、「人魚は龍宮の使い」ということで、寺の名を龍宮寺、また勅使冷泉中納言にちなんで冷泉山と名付け、このあたりの海を冷泉の津というようになりました。

だそうです。
ただ、ややこしいことに、冷泉(れいぜい)中納言冷泉(れいぜん)山冷泉(れいせん)と、読みが変わって行っております

   

さて、ホテルで明太子マシマシ朝食を摂った後、前夜からの雨が上がって青空の下、博多の街へ観光に繰り出しました。

まず訪れたのは、ほど近い櫛田神社

櫛田神社にお詣りするのは、これが3回目で、今回は参拝のあと、社殿の軒飾り・破風飾りをしげしげと拝見しました。

櫛田神社の破風

拝殿の正面には縁起物波兎と、

なんともほほえましい風神雷神が楽しいぞ

さらに、こちらの記事にもちらりと登場した飛龍(応龍)もいるし、

これはなんだ?? 烏天狗か??

境内では、早咲きの河津桜が見頃を迎えておりました。

これが、今年初めて愛でるサクラだったんですが、そういえば、2019年シーズンも最初に咲いているサクラを見たのは福岡でしたっけ。

過去2回と同様に飾り山笠を拝見したあと、〆はおみくじ
今年4回目となるおみくじは、

「吉」
末吉⇒末吉⇒吉⇒吉 と、破綻なく(?) 着実運気上昇しております。

そうそう、以前からどういう意味なんだろ? と思いつつも、ずっとほったらかしていた「懸案」が解決しました。

「懸案」とは、櫛田神社の楼門に掲げられている「威稜」と大書きされた扁額です。
こちらのサイトによると、

楼門の額「威稜」「いつ」と読み天子・天皇の御威光という意味です。

だそうな。
そもそも読めませんでした
ところで、「威稜」「稜威」のどちらも、読み・意味とも同じで、櫛田神社の扁額についても、「威稜」とする説(左右)「稜威」とする説(左右)併存しています。
私としては、落款に記されていることを理由にして「威稜」説を採ります

   

櫛田神社の次に目指したのは、初めてとなる聖福寺だったのですが、大博通りに出て、横断歩道に向かって歩いていると、、、、

あれま 冷泉山 龍宮寺ではありませんか

せっかくなので、境内に入らせていただきました。
お寺の建物はかなぁ~り新しくて、これが「人魚伝説の龍宮寺」なのか疑わしいほど

でも、「人魚塚」なるものがありました

境内にはいくつものお墓が立ち並んでいたのですが、その多くが、人魚塚同様、刻まれた文字に金色が施されていました
お墓に生存中の人の名前を事前に刻む際に、朱文字にすることには馴染みがありますが、金文字のお墓を見たのはこれが初めて

なんで?? と、この記事を書くにあたって調べてみたら、福岡に限らず、九州ではお墓の文字を金文字(多くが金箔文字)にするのが珍しくないのだとか (ご参照)

金文字お墓を見たことにも驚きましたけど、九州じゃスタンダードだということにはもっと驚きました
いやぁ~驚いた

と、驚きまくったところで「#2-2」につづきます。

つづき:2023/02/12 3年半ぶりの福岡旅行 #2-2 

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3年半ぶりの福岡旅行 #1

2023-03-06 11:53:50 | 旅行記/食・レシピ

「3年半ぶりの福岡旅行 #0 【MISIA編】」のつづきは、旅行初日のあれやこれや。

旅行初日の2月25日の天気予報では、福岡地方は/雨だそうで、朝の関東地方は薄曇りの状況でした。
それでも、羽田を飛び立ったとき、遠くにうっすらと筑波山が見えました。

東京湾上から見えた筑波山

ところが、西に進むにつれてはだんだんと厚くなっていき、お楽しみだった富士山はといいますと…、

童謡「ふじの山」の歌詞にあるとおり、

あたまを雲の上に出し~

でした。
作詞した巌谷小波(いわや さざなみ)さんは、上空から眺めた富士山を謳ったわけではないはずですが、まさに歌詞どおり
この様子だと、地上からは山頂はまったく見えなかっただろうな…

飛行機はさらにの上を飛び続け、地上はずっと見えずじまい
無念じゃ… と思っていたら、突然、雲の切れ間が現れ、素晴らしい眺めに出くわしました

飛行ルートからして、南アルプスです。
スマホで撮ってTwitterに上げたら、撮影場所は「長野・大鹿村」になっていましたので間違いないでしょ。
でも、どれがなんという山なのか判りません
一番手前が北岳かと思うのですが(「マークスの山」を思い出す)、スマホのGoogleマップでは北岳ほぼ真上を飛んでいることになっていて、もしそうだとしたら北岳は見えないはず
さて真相は…
それはともかく、ほんの数分とはいえ、見事な光景でした

ここから先は、名古屋とか神戸ちらりと見えたものの、ほぼずっとの上で、ちょいと退屈

でも、せっかくなので、薄ぼんやりと見えた神戸の空撮写真を載っけておきましょう。

   

こうして眺めにはあまり恵まれなかったものの、ほぼ定刻福岡空港に到着すると、ちょうどお昼時でしたので、ターミナルビル内で昼食を摂りました。

わたしゃ、大阪に行けば串かつを必ず食べますし、福岡に行けばもつ鍋を必ず食べます。福岡で食べるもつ鍋は、もつ透明かつぷりっぷりで、こんなもつ、福岡以外ではなかなか味わえませんから。この辺り、仙台の牛タンは、首都圏でも遜色ないお店が増えてきたので、仙台の優位性薄れている感じかな…
ということで、昼食はもつ鍋にしました。

期待どおり、たいへんにおいしゅうございました
それは良いのですが、預けた荷物を引き取ったあと、アウターを、それまで着ていたカウチンからパーカーへと薄着チェンジしていたものの、それでも汗だくです。バッグに入れていたミニタオルぐしょぐしょになり、昼食時だけでこの日の役目を終えたのでした

   

今回使ったホテルは、地下鉄・中洲川端駅からほど近い場所。中洲川端駅の5番出口から地上に出るには階段を使うしかなく、キャリーバッグを持っていると、なかなか大変でした。
あとにして思えば、エレベーターやエスカレーターで道(明治通り)の反対側に出て、横断歩道を渡る手があった

で、仏具屋さんが多い川端通りのアーケード街を通り、ホテルにチェックイン
なかなかお洒落なホテルで、ほぉ~と思いつつも、机が無いことにちょっとえ" となりました。それでも、丸テーブルの上にPCをセットし、ホテルから「MISIA THE GREAT HOPE」の会場、福岡マリンメッセまでのルートを調べたりなんぞしながら一息入れました。

マリンメッセ福岡までの臨時直通バスは、博多駅と天神からしか出ていませんが、路線バスでも会場近くまで行けると判り、呉服町からバスに乗って行くことに決定

そして、呉服町からそれっぽい方向のバスに乗り込んだのは良いのですが、どうやら行き先は違うみたい…
そこで、大博通りから福岡サンパレス前の丁字路を左折したところ、国際センター・サンパレス前でバスを降りました。

でも、福岡サンパレス前からマリンメッセ福岡までは、地図で見る以上に近くて、かつ、トランポ会場を同時に見られる地点を通ることになって、結果オーライでした

   

ここで話は一気に「MISIA THE GREAT HOPE」福岡初日終演後に飛びます。

この日初めてお目にかかれたミー友さん夕食をご一緒することになり、中州界隈まで歩き、良さげな店を探しました。

ところが、どの店も満席 or 予約済み入れません
3人だけだから、なんとかなると思ったのに…
かといって、せっかく福岡まで来たというのに、全国チェーンの店じゃつまらないぞ
「福岡の人は土曜日に飲み会をやるのかなどと悪態をつきつつ、ようやく5軒目の店に入れました

ところが、この店が「当りでした。

ポテトサラダは異様に旨いし、ごまさばを含む刺身新鮮旨い
なかでも驚いたのはこちらの一品でした。

「肉じゃが」を頼んだはずなのに、とても肉じゃがには見えません
ところが中を見ると…、

イカみたいですが、イカの足に見えるのは糸こんです
これはこれは…
「肉じゃが」というよりは「肉じゃがもち」です
いやぁ驚いた。いやぁ旨かった

コロナ禍が下火になって、ライヴでは声出しできるし、こうして飲み会ができるしで、なんともうれしい一夜でございました。

このあと、ホテルに戻り、部屋の風呂に入り、さぁ寝よ と思ったところで、このホテルには大浴場があったことを思い出しました
まぁ、2泊するんだし、大浴場明日の夜にしよ ということで就寝

こうして福岡旅行1日目を終えたのでありました。

つづき:2023/03/10 3年半ぶりの福岡旅行 #2-1 

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3年半ぶりの福岡旅行 #0 MISIA編【ネタバレあり】

2023-03-05 22:15:04 | MISIA

「3年半ぶりの福岡旅行」本編の最初は、この旅行のメインイベントだった「MISIA THE GREAT HOPE」福岡 2daysのこと。

いろいろ考えた結果、まだ有明アリーナでの 3days (3/31, 4/1, 2) が残っていますが、ネタバレありで書くことにしました。
最初に発表された日程では、この福岡 2daysツアー・ファイナルっぽくて、それならば と遠征を決めた私でしたが、その後、追加公演として有明 3daysが発表されて、ありゃま となってしまいました。
こんなことがあって、かつ、約1か月のインターバルが入るわけですから、この辺でしらっと「ネタバレありで書いてみようかと思った次第。もっとも、福岡 2daysのことを書こうとすると、その前週横浜 2daysとの対比も書いておかねばなぁ、となるわけで、そうなれば「ネタバレ」も必要かな と思いまして…。
そんなわけで、有明 3daysまで「ネタバレ封印」の方は、このブログはスルーしてくださいまし。

   

ということで、さっそく、横浜と福岡でのセットリストを載せます。

セットリスト自体は、福岡最終日に、「逢いたくていま」抜けて、代わりにこのツアーで初めてご当地ソング「好いとっと」が入っただけの違いだったのですが、しょっぱなから「え"でした。

というか、横浜 2daysが、SPECIALだったことが、福岡 2days終了後に判りました。
横浜 2 daysでは、1週間前の宮城公演(記事はこちら)まではなかった、レーザー光線初登場(MISIAのライヴでは何年ぶり??)、また、「アイノカタチ」の時の「落ちモノ」にウレタンのが加わって、ありゃぁ~ となって、この新演出で有明でのファイナルまで行くのかな? と思っていたのですが、、、、、福岡ではレーザー光線もウレタンのなく、以前の演出に戻っていました

横浜 2日目は、ディスク用と思われる収録が行われておりまして、このツアーではお馴染みになった大型ディスプレイ用のカメラに加えて、ごっついカメラあり、クレーンカメラあり、ワイヤーカムありという環境でライヴが行われました。

それが、福岡 2daysでは、通常の大型ディスプレイ用カメラだけに戻っていました。
ということは、あのレーザー光線とウレタンは、収録用のスペシャルトッピングだった… どちらも、たまらなくキレイだったのにな…

でも、スペシャルトッピングが無くても、福岡 2daysMarvelousショーだったことに変わりはありません。
いや、MISIAにとって思い出深い福岡だからこその感動的なライヴでした
この福岡で、歌のレッスンを受け、オーディションに参加し、そしてプロデビューが決まったという、そんな場所なんですから…。

MISIAのツアーは、横浜アリーナ大阪城ホールだけで行われたもの以外は、必ず福岡でも開催されてきましたが、今回の会場となった福岡マリンメッセでの開催は、2009年1月10日の「THE TOUR OF MISIA DISCOTHEQUE ASIA」以来 14年ぶりで、私にとっては、2005年2月11-12日の「THE TOUR OF MISIA 2005 THE SINGER SHOW」来ですから、なんと18年ぶりでした

MISIAにしてみれば、思い出の土地でのライヴ、それもデビュー25周年記念ライヴを、大きな会場で開催できたことに感無量だったんだろな…

そんな感じを更に強めたのが、MISIAのMCでした。

「ダイジェスト」でも書きましたが、九州のことばが散りばめられていて、「よそ者」の私には理解できないことが多々ありました
でも、地元の人にはうれしかったろうな…

   

2月26日(まさに福岡 2日目の真っ最中) に放送されたNHK FM「MISIA星空のラジオ~Sunday Sunset~」MISIAが、有明公演をNHKで放送するかも…的なことをおっしゃっていました。

 【追記】NHKが放送するのは横浜2日目の収録でした。(2023/04/03 18:48) 

かなあ~り意外なご発言で、横浜2日目の収録との関係はどうなるんだ? とか、生中継がうれしいけれど、ライヴ中に流れるY1000のCMとか、東京ディズニーシー「Believe! ~Sea of Dreams~PVとかの扱いが難しいだろな… とか、余計なことを考えたりしています
でも、生中継ではないとしても、「Believe! ~Sea of Dreaams~」PVのときの生BGMは、ぜぇ~ったいに放送してほしいと思います。生の演奏を映像にピッタリとシンクロさせるミュージシャンたちのスーパーパフォーマンスは、何度「MISIA THE GREAT HOPE」に行っても感動しています
まだホントに放送されるのかどうかも未発表ですが、楽しみです

というところで、次からは、福岡旅行記本編はいつものパターンに戻ります。

つづきのようなもの:2023/03/06 3年半ぶりの福岡旅行 #1 

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祝 記事3400本!

2023-03-02 07:48:27 | 日記・エッセイ・コラム

2月24日の1本目としてアップした「今年も最初の遠征先は関西 #3-2」が、通算3400本目のキリ番となりました。

前回、3300本目の「振り返り」で、

直近100本の記事を書くのに、486日間過去最長を記録してしまいました。

と書きましたが、3301~3400本目に要した期間は、440日間と、ほんのちょっとだけ短縮できました
でも、なかなかペースが上がりませんなぁ。

ここで例によってキリ番一覧です。

100本目
200本目
300本目
400本目
500本目
09/04/05
09/06/19
09/09/02
09/11/16
10/01/29
73日間
74日間
73日間
74日間
73日間
  花見に行ってきました
イントゥザライト、出走!
「火の鳥」第1・4巻を持ち帰った
エゾシカの寿司!?
J.D.サリンジャーの訃報
600本目
700本目
800本目
900本目
1000本目
10/04/24
10/07/23
10/10/16
11/01/16
11/04/17
85日間
89日間
83日間
90日間
91日間
  あれ? 「のだめ24巻」がきょう届く?
「空頭」って?
大宮を出発
アールデコの楽園であ~る
さすがに北海道は寒いぞ
1100本目
1200本目
1300本目
1400本目
1500本目
11/08/05
11/12/11
12/03/28
12/07/22
12/11/26
108日間
126日間
107日間
114日間
124日間
  頼朝さんはかっこよかった!(その4:完結編)
これから帰ります
今日の通勤"も"往復とも散々…
フェルメールの2点の「真珠」が上野に来訪中(その6)
予定を変更して…
1600本目
1700本目
1800本目

1900本目
2000本目
13/03/25
13/07/31
13/12/14

14/04/01
14/08/11
119日間
126日間
134日間

107日間
130日間
  MISIA星空のライヴVII 東京2days(ネタバレ大あり)
相変わらずコメントスパムがやって来る
MISIA 星空のライヴVII 秋田公演は実質的に「アレックス追悼公演」でした
きょうにうってつけのニュースを発見
徒然煙草@「徒然草」展 (後編)
2100本目
2200本目
2300本目
2400本目
2500本目
14/12/31
15/06/04
15/11/22
16/04/17
16/10/10
140日間
156日間
166日間
145日間
173日間
  MISIAのプレイリストをつくってみた
名古屋旅行記(その17)
今年二度目の関西旅行記(その12)高野山編⑤
FY16も埼玉県立近代美術館の展示は絶好調 (前編)
Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その5
2600本目
2700本目
2800本目
2900本目
3000本目
17/02/18
17/07/30
17/12/17
18/06/14
19/04/30
128日間
162日間
137日間
177日間
316日間
  「カッコイイ!」の連発だったカッサンドル展
東京藝大のコレクション 第1期
2017年3度目の関西旅行記 #2-10
2018年最初の関西旅行 #3-3
「MISIA平成武道館」のこと
3100本目
3200本目
3300本目
3400本目
20/01/08
20/07/28
21/12/04
23/02/24
248日間
200日間
486日間
440日間
  中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #5
マイナポイントの申込完了
約1年ぶりの関西旅行記 #2-3
今年も最初の遠征先は関西 #3-2

ジャンル別記事数のTOP 5は、3201~3300本目から大きな変動はありませんでした。

3301~3400本のジャンル別記事数

ただ、「旅行記」の比率が「3本に2本」まで上昇しているのがちょっと気になります。「旅行記ブログ」のつもりじゃないのだけどねぇ…
「旅行記」「美術館・博物館・アート」「MISIA」の寡占はよいとしても、もうちょっと幅を広げたいなぁと思っています。無理はしませんけどね。

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3年半ぶりの福岡旅行 [ダイジェスト]

2023-03-01 22:29:45 | MISIA/旅行記

2月25~27日2泊3日福岡に行ってきました。
タイトルにあるとおり、2019年9月 (旅行記) 以来、3年半ぶりの福岡です。
メインの目的は、言わずとしれた 「MISIA THE GREAT HOPE」福岡 2 daysでした。

マリンメッセ福岡 A館とトランポ

おいおい旅行記本編を書こうと思っていますが、まずは「ダイジェスト」
ほんとはきのう書くつもりだったのですけど、諸般の事情により、1日空きました
それはともかく、いつものように旅程から始めましょう。

【初日】2月25日(土)
自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅京浜東北線(快速)浜松町駅東京モノレール羽田空港福岡空港地下鉄中洲川端駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩呉服町路線バス国際会議場・サンパレス前⇒徒歩マリンメッセ福岡 A館(MISIA THE GREAT HOPE)⇒徒歩下川端町(プチオフ会)⇒徒歩ホテル

【2日目】2月26日(日)
ホテル⇒徒歩櫛田神社⇒徒歩聖福寺⇒徒歩呉服町路線バス大濠公園⇒徒歩福岡市美術館⇒徒歩大濠公園駅地下鉄中洲川端駅⇒徒歩昼食⇒徒歩⇒ホテル⇒徒歩⇒呉服町路線バス国際会議場・サンパレス前⇒徒歩マリンメッセ福岡 A館(MISIA THE GREAT HOPE)⇒徒歩中州(プチオフ会)⇒徒歩ホテル

【3日目】2月27日(月)
ホテル⇒徒歩西鉄福岡(天神)駅西鉄大牟田線西鉄二日市駅西鉄太宰府線太宰府駅⇒徒歩太宰府天満宮⇒徒歩太宰府駅西鉄太宰府線西鉄二日市駅西鉄大牟田線西鉄福岡(天神)駅⇒徒歩天神駅地下鉄福岡空港駅福岡空港羽田空港空港リムジンバス最寄り駅前⇒徒歩自宅

今回も歩きまくりました
ただ、そのかなりの部分を、プチオフ会会場探しが占めたんですけど…

私にとって初めての観光スポット聖福寺だけでしたが、それ相応に楽しみました。

いや、なにより、「MISIA THE GREAT HOPE」2 days良かったぁ~楽しかったぁ~

この福岡でプロのシンガーになり、それから25年の時を経て、大きな福岡マリンメッセ25周年記念ライヴを開催できることになったMISIA喜び感激がひしひしと伝わってくる素晴らしいライヴでした。

福岡 2 daysは、当初、ツアー・ファイナルになる日程で、それなら と、安くないチケット代も惜しまずに遠征に踏み切ったのですが、いやぁ~、行って良かった

MISIAのMCにも方言がまぶされていて、「異邦人」の私には理解できないご発言もしばしばでした
私が聞き取れたのは、せいぜいこの程度…

旅行記本編では、セットリスト「公開」するつもりなんですが、2日目にはこのツアー初登場「あの曲」も聴けましたし、やはりなぁ~ でした。

まぁ、この記事は「ダイジェスト」ですので、きょうはこの辺にしときましょ

つづき:2023/03/05 3年半ぶりの福岡旅行 #0 MISIA編【ネタバレあり】 

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