新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

7月の帰省のこと #6 [完結編]

2023-08-19 17:27:04 | 日記・エッセイ・コラム

「7月の帰省のこと #5 [秋田港編]」のつづきは、ようやく完結編です。

5月末~6月初に帰省したときには、こちらで書いたように、百花繚乱といった風情の別邸の庭でしたが、7月の帰省のときには咲いている花が少なく、なんとも寂しいものになっていました。
それは今回(8月6~20日[予定])同様で、2回の帰省で見た別邸の庭をまとめてご紹介することにします。

まずは、6月初めにはだったアナベル

アジサイといえば、こうした手鞠状に小さな花をつけるイメージですが、もともとは日本原産ガクアジサイを品種改良した園芸種だそうで、そのガクアジサイが、別邸の庭で咲いていました。

パッと見、「咲きそろっていないアジサイ」っぽいのですが、ドローンのプロペラのように外側に開く4弁のものは「花」ではなく「萼(がく)」で、中心部でワチャワチャしているのがガクアジサイの

このを拡大してみますと、、

おしべ・めしべが虫に「来て 来て」と呼びかけているみたいです。
かわいい
なお、ガクアジサイ「ガク」は、「萼」ではなく「額」の意味だとか

ガクアジサイの花も小さいけれど、ナンテンの花も小さい

6月に咲いていたムラサキシキブの花も小さかったよなぁ。

でも、小ささでは、セダム・ダシフィルム(らしい)も負けていません

このセダムは、なんとなんと、地面にではなく、別邸のブロック塀の上に生息しているんです
ここだと、に踏まれることはあっても、人に踏まれることはまず無いでしょうから、、、、とは言え、ちゃんと養分を摂れているんでしょうかねぇ

   

こちらのコバギボウシと、

こちらのマルバタマノカンザシとは、名前はかなり違うけれど、

どちらもギボウシの仲間。

ギボウシs ともども、先月も今も咲いているのが、ハチス (ムクゲ) です。

うちのハチスは、八重で、一般的なピンク一重よりも、こちらがお気に入りです

   

ポータブルHDDに保存してある写真をつらつら眺めていたところ、2015年5月に撮った別邸の庭の写真が出てきまして、現在とのあまりの違いに驚きました

レイアウトが違うのもさることがら、以前は「余白」があったのに、今は「余白」草木で覆い尽くされてしまっています。
思い起こせば、父が2015年1月に亡くなって、その年の夏に、母がプロに頼んで庭に大改造を施したのでしたっけ…。ガクアジサイとかアナベルはこのときに新規導入されたんだろうな。なにせはなぜかアジサイが嫌いだったから…

それから早くも8年が経過し、今や別邸の庭は、逝ってしまった草木がある一方、好き勝手に枝葉を伸ばし放題の木があって、もう、収拾がつかない状況です
できる範囲で、を刈ったり抜いたり、伸びすぎた枝を切ったりもしたものの、素人では手に負えない段階まで来た感じ。
そこで、一念発起し、プロ剪定をお願いすることにしました。
ところが、依頼先として最初に思いついた秋田のシルバー人材センターは、予約が集まりすぎて、7月から新規受注を停止中とな

ネット検索で業者を探すのも怖いので、親戚・知人のアドバイスを得た上で、信頼できそうな業者さんに連絡をとり、昨日、見積もりしてもらいました。
工数は「2人・日」だそうで、料金は、「8年ぶりの剪定だし、今後毎年お願いするわけではないから、ま、いいかというレベル…
作業は次回の「秋のお彼岸帰省」の期間中の予定です。

   

既に開花期を終えた草木は、しっかりとをつけているものが多くて、季節の移ろいを感じます。

年年歳歳花相似 ねんねんさいさいはなあいにたり
歳歳年年人不同 さいさいねんねんひとおなじからず

といいますが、歳をとってくるにつれ、この詩が染みます…

このシリーズの最後は、花と実のコラボです。

まずは、ボケ
あのかわいらしい花が、こんなにゴツい実をつけるんですな

次はスズラン

ちょっとスズランと似た花を咲かせていたアセビも、まんまるな小さな実をつけています。

初めはグリーンピースみたいだったアスパラガスの実が大きくなって、色づいてきました。

最後は。この木は来月の剪定で伐採してもらうつもりです。
どっさりと渋柿が実っても、処置に困るんです

ということで、「7月の帰省のこと」と題しながらも、ビミョーに今回の帰省のことも交えて書いてきました。
そういえば、2年連続で観に行った竿燈のことを書いていない
ま、トラブルもなければ、掘り出し物もなかったので、省略させていただきます

私は明日帰省Uターンして、前述のとおり「秋のお彼岸」に、再び帰省する予定にしています。
その時には、ちょっとは涼しくなっていて、活動する気が起こるとよいのですが…
いくらなんでも、今回のような猛暑日&熱帯夜の連続は勘弁してほしい

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7月の帰省のこと #5 [秋田港編]

2023-08-18 17:57:25 | タウンウオッチング/テレビ番組

「7月の帰省のこと #4 [秋田県立近代美術館編]」のつづきは、あの大雨が降り始める前日の7月13日「道の駅 あきた港」に出かけたお話です。

「道の駅 あきた港」、通称「セリオン」のシンボルは全高143mポートタワーで、地上100mの高さに展望室があります。

このタワーが竣工したのは1994年だそうですが、実は私、この界隈に出かけたのは2021年9初めてで、このときが2回目
県内の他の道の駅には何カ所かには両親と一緒に行ったことがありましたが、この母の地元の道の駅 あきた港には一度も来ずじまい…
なんでこんなにセリオンに足が向かなかったのか、正直、です。
恐らく、を払って登っても、視界の半分は海だし… ということと、かつて登った水戸芸術館シンボルタワーがあまりにもつまらなかったという記憶が邪魔していたのではなかろうかと…

で、今回、なぜセリオンに行こうかと思ったかというと、2年ぶり伝説の「うどんそば自販機」そばを食べたくなったのと、もう一つ、このを観るためでした。

これは、秋田港(土崎港)の築港に功績のあった地元の実業家たちを称える顕彰碑で、碑文にはこんな記述があります。

井堂近江谷榮次翁は独特の先見性をもって地方文化の開発に破天荒の貢献をなし殊に築港問題には身を挺して當り土崎港頭に廣井波止場を實現させる等秋田に青年近江谷ありとの名を馳せた

ここに出てくる「廣井波止場」については、セリオンの中に説明パネルがありました。

土崎港広井波止場
小樽から工科大学教授の広井勇博士を招き1902年(明治35年)に完成しました。長さ1,036m

この「広井勇博士」というのが、NHK朝ドラ「らんまん」で、主人公・槇野万太郎の竹馬の友として登場する広瀬佑一郞のモデルになっている人物なんです。

Wikipediaによると広井博士は、

1899年(明治32年)、秋田港や小樽港の設計に感服した土木界の泰斗古市公威の推挙により、学外出身にも関わらず工学博士号を得て東京帝国大学教授となり、1919年(大正8年)には土木学会の第6代会長となった。

だそうです。
ちなみに、広井波止場に先立って、大型船にも対応できるように秋田港(当時は土崎港)に築かれたのが、古市公威博士の指導による「古市波止場」なんだとか。
さらに脇道に逸れれば、三島由紀夫の本名平岡公威は、この古市公威にあやかって命名されたのだそうな。

今週の「らんまん」では、留学から帰ってきた佑一郞くんは、北海道に戻っていったけど、また万太郎と東京で、もしかしたら東大で会ったりするのかな? と期待しています。

   

さて、恥ずかしながら私、ポートタワー無料開放されていることを知りませんでした
Wikipediaによると、1994年4月~:800円⇒1997年4月~:400円⇒2007年4月~:無料、という変遷を辿ったようです。なんとも情弱な私です

で、現金なもので、「無料ならということで、エレベーターに乗って100mの展望台に登りました
おぉ、良い眺め

まずは南東から。

中央に見えるは、奈良時代秋田城が置かれた高清水岡です(秋田城趾の見聞録)

次は北東

土崎の町が広がっています。
写真の右側やや上に、白い屋根が並ぶ工場が見えますが、これはJR東日本秋田総合車両センター (旧土崎工場)で、JR東日本の駅にあるステンレス製のゴミ入れなんぞも製造しているらしい。なお、私の叔父と伯母がここで働いていたことがあると聞きました。
また、住宅地の中でこんもりしているところは、土崎神明社。江戸時代ごく初期までは秋田氏の居城だった湊城があった場所でもあります。秋田氏が宍戸に転封されると、代わって佐竹氏が入城したものの、「狭くてたまらんと、現在の千秋公園の場所に久保田城を新築して引っ越し、湊城は廃却されたそうな。おそらく湊城の部材も久保田城に使われたんでしょうな

次は

「秋田運河」と呼ばれる旧雄物川です。
さえなければ、鳥海山もばっちり見えるはず。

次は西

当然、日本海です。

最後は

天気が良ければ、白神山地も見えるはずなんですが(途中に山は無い)、男鹿半島すら見えませんでした

の無い、空気の澄み切ったときに再チャレンジしたいゾ

   

思いのほかポートタワーを楽しんで 降りてくると、タワーのふもとでは合歓の花が咲き誇っていました

道の駅 あきた港の〆として、あの自販機のそばをいただきました

と、自販機が2台あります 2年前に来た時には1台しかなかったのに…

「こちらの機械は展示用です」というラベルが貼られた機械の横にこんな説明板がありました。

「うどんそば自販機の再開について」と題する説明(日付は今年4月28日)によれば、

今回の大型メンテナンスをしたところ、"中身”の機械は50年経っているのにも関わらずまだ頑張れそうではありましたが、以前は屋外に設置されていたということもあり“外側”の劣化が激しく、このままの状態では営業再開が難しいという状況でした。そこで部品取り用として所持していたもう一台の自販機の外側を使い、中身は佐原商店時代のまま、二つの自販機を組み合わせた「ニコイチ」として再生・再開することとしました。

だそうです。のすぐ近くの吹きさらしの場所で40年以上も活躍してきた自販機だものねぇ、そりゃ外板は劣化しますって…
でも、今後数年は、あのうどん・そばを食べられそうだということで、これは朗報ではあります。

つづき:2023/08/19 7月の帰省のこと #6 [完結編] 

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7月の帰省のこと #4 [秋田県立近代美術館編]

2023-08-17 19:50:02 | 美術館・博物館・アート

「7月の帰省のこと #3 [稲庭うどん編]」のつづきです。

昼食を済ませた私は、一路、横手ICのすぐ近くにある秋田県立近代美術館(秋近美) へと向かいました。

秋近美では、7月8日~9月3日の会期で、「皇室の名宝と秋田 三の丸尚蔵館 収蔵品展」を開催中です。
実は、7月10日に前期展を観たわたしは、きょう、8月17日後期展を観てきまして、せっかくなので、前期・後期の感想などをまとめて書きたいと思います。
観覧料は1,200円格安ながら、展示点数は多くないし、前期・後期を通じて展示されるのは工芸品のみで、絵画・絵巻はすべて入れ換えか巻き替えですので、「裏を返す」しかないだろ ということであります。

さて、この展覧会は、主催者の「ごあいさつ」を引用すると、

(三の丸尚蔵館の) この数ある収蔵品から、秋田ゆかりの作品と皇室の名宝を、〈皇室ゆかりの江戸美術〉〈近代絵画の名品〉〈平福百穗と金鈴社〉〈秋田ゆかりの美術工芸品〉〈近代日本工芸の精華〉の5つの章でご紹介します。加えて、明治天皇が東北巡幸で秋田を訪れた際の写真もパネル展示し、皇室と秋田のつながりもご覧いただきます。

というもの。

三の丸尚蔵館は、新施設建設のため休館中で、これを機にあちこちで収蔵品展が開催されているみたいです。

)

去年夏に東京藝術大学大学美術館で観た「日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱」展なんかもその一つなのでしょう。

さてさて、秋田ゆかりの皇室の名宝と聞いてまず思い浮かぶのは、2019年春に東京国立博物館で開催された「両陛下と文化交流」展で拝見した東山魁夷「悠紀地方風俗歌屛風」(記事)でした。
そして当然のようにこの展覧会でも展示されていました
前期展では右隻(春・夏)後期展では左隻(秋・冬)と分けて展示されたのが、ちょっと残念 できることなら一緒に並んでいるところも観たかったな…

秋田県人たる私にとって平成期「悠紀地方風俗歌屏風」別格の存在ですが、これを除けば、前期展白眉酒井抱一「花鳥十二ヶ月図 (5・6・7・8月の4幅のみ)」後期展では伊藤若冲「旭日鳳凰図だったと思います。
「日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱」展で観たときも「一番お持ち帰りしたい作品だった「花鳥十二ヶ月図」は、今回もとろけそうになるほど素敵でしたし、巨大な掛け軸に仕立てられた「旭日鳳凰図」は、とにかく華やかさ & めでたさに満ち満ちておりました。どんな不幸があっても、この絵を飾ったら不幸木っ端みじんにされそうな感じ… ただこれほど大きな作品(絵画だけで 186.0 × 114.3 cm) を飾られる家庭はそうそう無いというのが難点

「お持ち帰りしたい」といえば、初めて拝見した2009年秋の東京国立博物館「皇室の名宝」展でそう思って(記事)、その後、いくつかの展覧会で目にしては、食い入るように見つめため息をついた作品も出展されていました

並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」です

まさかこの作品が展示されている(通期展示)とはつゆ知らず、展示室で「七宝四季花鳥図花瓶」が目に入った瞬間、思わず「わおでした。
しかも、すぐ近くには、「西の並河 東の濤川」と並び賞された濤川惣助無線七宝「墨画月夜森林図額」(原画:渡辺省亭)まで展示されていて、これまた良い趣向でした。
ただ、「七宝四季花鳥図花瓶」を鑑賞するには、展示室が明るすぎて、あの麗しい漆黒堪能しきれなかった気がしないでもありません

ちょいと脇道に逸れますが、きょう、見終わったあと、運試しでアクリルキーホルダーのガチャガチャ (500円)一回だけやったら、

1/6の確率から見事に「七宝四季花鳥図花瓶」を引き当てました

持ってるなぁ~

   

「秋田ゆかりの作品」となると、秋田出身の作家の作品はどうなのか?

そこは、しっかと、皇室に献上 or 宮内省が購入した秋田出身の作家の作品も展示されていました。

とりわけ、平福百穂寺崎廣業の作品がたっぷりと展示されていました。
三の丸尚蔵館には、こんなにたくさんのお二人の作品がコレクションされていたとは知りませんでした

どうでもよい話ですが、平福百穂「感恩講図鑑」の解説に「へぇ~となりました。

感恩講は、文政12年 (1829)、秋田で窮民や孤児救済を目的に始まった慈善団体です。(中略) 本図鑑は、秋田の那波家から百穂に制作依頼されたもので、皇太子(大正天皇) へ献上され、その後木版画で配布されました。(後略)

ここで出てくる「那波家」、私の生家は那波家からの借地にありました

   

前期・後期「巻き替え」が行われた絵巻3点もなかなかでした。

まず、岩佐又兵衛をくり (小栗判官絵巻)は、人々の顔は美しくないけれど、その動きは躍動感にみなぎっていて、いかにも岩佐又兵衛 って感じ

また、俵屋宗達(絵) & 烏丸光廣(詞書)「西行法師行状絵詞」尾形光琳「西行物語絵巻」は、その関係がなんともおもしろい
「西行法師行状絵詞」の説明板を転記しますと、

俵屋宗達は、寛永7年 (1630)、当時宮中に所蔵されていた室町時代の《西行物語絵巻》(所在不明) 模写しました。それは越前松平家の家老・本多富正の依頼によるもので、長らく萩藩毛利家に伝来しました(現在は諸家分蔵)。それとは別にもうひとつ模写をしており、それが本作(渡辺家本)です。2作の細部は微妙に異なっていて、尾形光琳の《西行物語絵巻》は、本作の図柄をもとに制作されたものです。

だそうです。光琳はどんだけ宗達大好きだったんでしょ
この2作品同時に拝見できたのは貴重な体験でした。

この他にも著名な大家の作品が、これでもか と展示されていましたが、キリがありませんので、この辺でおしまいにします

三の丸尚蔵館は、今年10月以降一部リニューアルオープンし、2026年にはグランドオープンする予定だとか。
そのコレクションの質と量に反して、きわめて貧弱な展示スペースだった三の丸尚蔵館が、どんな美術館に変身するのか、楽しみでたまりません

   

「#3」とのつながりから、、、、きょう (8月17日)「皇室の名宝と秋田」展を観た後、同じ秋田ふるさと村にある「八代目佐藤養助」横手店昼食を摂りました。

食べたのは「えび天おろし」ぶっかけうどん

というところで、「#5」では、先月の帰省の話に特化します。

つづき:2023/08/18 7月の帰省のこと #5 [秋田港編] 

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7月の帰省のこと #3 [稲庭うどん編]

2023-08-15 20:53:03 | 旅行記/食・レシピ

「7月の帰省のこと」シリーズをまだ2本しか書いていないのに、今現在の私は8月の帰省中で、しかも、すでに後半に突入しています。
こりゃまずい ということで、「7月の帰省のこと #2 [増田まんが美術館編]」つづきを書くことにします。

横手市立増田まんが美術館を楽しんで、クルマに戻った時には、「#2」で書いたように12:45になっていて、昼食を摂ろうというタイミングです。
実は、稲庭うどんを食べると決めていました。
そのきっかけは、増田まんが美術館を目指して十文字からR342を走ってきて、横手市役所増田庁舎(旧増田町役場?)前の交差点(土肥館)で見たこちらの看板でした(写真はGoogleマップのストリートビュー)

稲庭うどん「八代目 佐藤養助」の看板でして、まっすぐR342を進めば増田まんが美術館方向、左折すれば「八代目 佐藤養助 漆蔵資料館」右折すれば「八代目 佐藤養助 総本店」ですと。
7年前に増田町を観光したときは、「八代目 佐藤養助 漆蔵資料館」昼食を摂りましたので、今回は「八代目 佐藤養助 総本店」行ってみよう と考えていたのです。

「稲庭」がどの辺りにあるのか、土地鑑皆無ですが、ナビもあるし、なんとかなるだろうと、看板のある土肥館交差点を左折して、私にとって未踏の地・稲庭を目指しました

  

増田~稲庭の地図小安街道(県道108号R398)南東1.5kmほど走ると、湯沢市稲川町エリアに入りました。

あとで調べると、「稲川」の町名は、庭」「連」から採られたそうで、さっそく私も知っている「川連(かわつら)の文字が目につくようになりました。

旧稲川町山間の小さな町ですが、川連の漆器仏壇高級和牛三梨牛(みつなしぎゅう)、そして、稲庭うどんと、秋田県内でも有数のブランドを誇る地域なんです

意外だったのは、「稲庭は山奥」という私が持っていたイメージが覆されたこと
クルマ秋田県の最奥部に向かって走らせても、ほぼ平坦な道路が続きます

それそうと、稲庭はまだか?? まさか道を間違えたか?
案内標識が無く、不安になってきたもので、川連地区で、路肩にクルマを駐め、ナビで辺りの地図を見ると、まだ先

ちょっと安心して更にクルマを走らせると、遂に「稲庭うどん」の看板を掲げる工場が目につくようになってきました

そして、目的地「八代目佐藤養助 総本店」に到着

そしてそして、食べたのは、

「肉つけうどん」

揚げナスネギ&三ツ葉の入った熱い汁に、冷たいうどん「14種類の漢方配合飼料で育てたカラダにやさしい和牛『栗駒山麓 関村牧場』のお肉」をつけて食べる「肉つけうどん」です(1,500円)

揚げナスを使った「肉汁うどん」といえば、武蔵野うどん定番中の定番

見た目食感まるで違う 稲庭うどん武蔵野うどんだけど、どっちもそれぞれに旨い
とにかく、「うどん」そのものが、いかにも庶民の食べ物らしく素朴武蔵野うどんと、お殿様からお殿様方への贈答品らしくお上品稲庭うどんとでまるっきり違う。
うどん1本の断面積はどれくらい違うんだろ…

繰り返しますが、私はどちらも好物です

さて、食事を終え、お支払いを済ますと、「ふしっこ」なるものをいただきました。

この「ふしっこ」は、銀座 佐藤養助 のHPによれば、

稲庭干温飩は2本の棒で手綯いした生地をのばします
この、棒にかかる部分「ふしっこ」と呼んでいます
素揚げすれば美味しいスナックになります

だそうです。
茹でてショートパスタ風に使ったら良いのかな? なんて考えていましたが、お薦めの「素揚げ」以外にも、ネットを眺めると、いろんな食べ方があるみたいです。
このときにいただいた「ふしっこ」は、まだ手付かずの状態で本宅にありますので、こんど、チャレンジしてみます。

   

「八代目佐藤養助 総本店」は、お食事処だけでなく、即売所もあり、さらに店の奥には工場もあって、ガラス越しに製造工程を見学できるようになっていました(当然ながら Working Hourのみ)
私は、もちろん、見学(見物)させていただきました。

「機械」がほとんど無くて、ほんとに手造りされているんですねぇ。
となれば、幅とか厚さとか長さとか形など「外観」「規格」に合わない製品も発生するのは不可避です。

でも、こうして発生した「規格外品」も、規格外の程度の軽いものは、秋田県内では、普通に「家庭用」「訳あり品」として販売されていまして、私も別邸ではそうした「桐箱入りならなかった製品を食しています

「八代目佐藤養助」直営の食事できる店は、これから行く横手ふるさと村にも、秋田駅前にもあるのだけれど(メニューはお店によって違ったりもする)、はるばる総本店までやって来た甲斐がありました

  

帰路は、往路と違う道、県道279号R398を通り、湯沢ICから湯沢横手道路に乗って、横手ICを目指しました。
R398を走行中、道沿いに「美酒 爛漫秋田銘醸㈱の工場があって、

「おぉ、湯沢だぁと思いましたです
なお、湯沢横手道路自動車専用道ですが、湯沢IC~十文字ICは無料区間で、横手ICまでの通行料は470円でした

横手についてからのお話は「#4」で…。

つづき:2023/08/17 7月の帰省のこと #4 [秋田県立近代美術館編] 

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