新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night @河口湖ステラシアターのこと

2017-08-31 21:30:01 | MISIA

土曜日「Misia Candle Night」のことを書いておきましょう。

Misia candle Night 河口湖ステラシアター「Misia Candle Night」は、5月末鹿児島・仙巌園での 2 days (記事はこちら)以来約3ヶ月ぶりで、河口湖ステラシアター公演は、仙巌園公演マイナーチェンジ版なのか、まったく別物なのか気にかかるところでした。
事前に発表されていたバンドメンバーを見ると、両者では結構入れ替えがあって、こりゃ「まったく別物」近いかもしれない…と期待しておりました。

で、仙巌園 2 days河口湖 2 daysセットリストを並べてみますと、

重複する曲が目につきますけれど、一部メンバー入れ替わったこと、そして、「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」ツアーを挟んだことで、違った印象がありました。
MISIAバンドPerformanceが違うことに加えて、聴く側のこちらも「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」を経験した後に、久しぶりBass種ちゃんを迎えて、懐かしさも感じられる、「別物」に近いライヴだったと言えると思います。

「懐かしさ」といえば、考えてみれば、久しぶりの種ちゃんだけでなく、最近のツアーでもお馴染みの、重実さん、久美さん、ASA-CHANGと、MISIAのバックを語る上で欠かせない方々が勢ぞろい(健ちゃん)したわけで、MISIAならずとも、「青山純ことAlex」を思い出してしまいます…

それにしても、種ちゃんBass、良かったぁ~
Jinoさんのように前面に出てくる感じはないのですが、目立たないようでいて目立つ走りまくるベースライン心地よいったらありませんでした。

それと、初めてMISIAのライヴに加わったギラ・ジルカさんのVocalど迫力 で、ギラ・ジルカさんが作曲(作詞はMISIA)した「蒼い月影」では、あのMISIA気圧されている と感じるくらい…。
ただ、コーラスとしては、ちょっと存在感がありすぎたかも…

今回のライヴでは、久美さんOrganしっか とフィーチャーされていて、もしかしてここ数公演、PAが変わった? と思うような、良いPA でした。

そうそう、周ちゃんが、OriginalRaul Midon負けじとアコギを弾いていた「来るぞスリリング」とか、明男ちゃん不在を埋めるべくエレキギターを泣かせた「あの夏のままで」とか、がんばっていました
でも、このライヴでの周ちゃんの存在感といえば、バンド紹介のときにMISIAがアカペラで歌った「ハナミズキ」が一番だったな…

   

私の自宅には、歴代の「Misia Candle Night」キャンドル十数個たまっていまして、1週間くらい停電しても、明かりには困らない状態です。
これまで「Misia Candle Night」で配られたキャンドルは、仙巌園のも含めて、1夜のライヴではともしきれない大量のロウが入ったものだったのですが、今回はかなり小ぶりになりました。

ロウが入ったおちょこのようなカップがビンの中に入っているという、新タイプに変わったのです。
ロウのは、仙厳園のときの1/10くらいに少なくなったのですが、デカ過ぎて、かなり重かった 過去のキャンドルよりも使い勝手は良くなった感じ

但し、ロウの入ったカップのバリエーションがあったものの、聴衆が掲げるキャンドルの色は、一様にオレンジ色で、色つきのロウがたっぷり入ったキャンドルが配れて、多様性あるキャンドルの色を楽しめた過去のライヴに比べて味気ない感じ…

と思ったのですが、不思議なことに、ライヴが進行するにつれて、聴衆が掲げるキャンドル色が変わっていきました

自分のキャンドルの観察から想像するに、ライヴの初めは、炎の色だけが会場を満たしていたものの、時間が経過して、カップの中のロウが溶けて、その半分くらいが透明になると、カップの色に照らされて、いろいろなカップの色が会場を彩るようになった、、、ということのような感じです。
色の変化を見越してキャンドルモデルチェンジしたとすれば、かなりの手練れかと思ったりして…

   

MISIAMCには、いくつか新発表 ネタが仕込まれておりまして、

今年中にNew Singleを発表する(タイアップがあるものと勝手に期待)
来年初めから20周年記念アリーナツアー開催
「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」ライヴDVD発売決定
   (予想どおりの展開)
今年のライヴは河口湖 2 daysFinal (かもしれない…)

と、なかなか盛り沢山だったのですが、私にとって一番の衝撃は、

「Don't You Worry 'Bout a Thing」を歌うのは河口湖 2 days最後

だということ

これはショックでした。なにせ、仙巌園公演「MISIA SUMMER SOUL JAZZ」で聴いた「生ミーナ」凄過ぎるのだもの…

でも、MISIAの気持ちも判らないでもない…。

映画「SING/シング」を観た人を圧倒するMISIA「Don't You Worry 'Bout a Thing」ですが、あれはMISIAが、Tori Kellyが歌うオリジナルに合わせて作られたアニメシンクロさせて歌ったもので、MISIA歌いたいように歌ったものではない という現実があります。

映画「SING/シング」を観た人は、MISIAが歌う「Don't You Worry 'Bout a Thing」映画の再現を望むでしょうし、一方で、MISIAにはプロのSingerとして、Tori Kellyの呪縛(?)から解き放たれて MISIA Original「Don't You Worry 'Bout a Thing」を歌いたい という葛藤があり、これが「Don't You Worry 'Bout a Thing」封印する決断をした背景にあるのではないかと想像(邪推)するのですよ。

この辺(+ 映画「SING/シング」日本盤サントラCDMISIAの歌が収録されなかったこと)の事情は、第三者からは知るよしもありませんけれど…

   

そろそろまとめに入りますが、それにしても、河口湖ステラシアターでの「Misia Candle Night」は、やはり 最高です

音響良し、Visual良し、が降っても「心配要らない」という施設よし、そして、そして、天候が良ければ、富士山眺め良し

また河口湖ステラシアターMISIAのライヴが開催されるなら、何度でも行きたいゾ

河口湖ステラシアターでのMISIAのライヴに行ったことのない方、是非、一度、欺されたと思ってでも参加されることをお薦めします。

【後記】この記事、ホントは昨夜 UPするつもりでした。
記事は完成して、あとは写真の処理を残すだけ、、、までたどりつけていたのですが、どうしたことか、そのタイミングで記事がグシャグシャになってしまいました
そこで、昨夜のUP を断念して、サッカーの大一番TV観戦しながら、ブログ記事の完成に至ったという次第です。

ふぅ~、疲れた…

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箱根&河口湖 日帰りドライブのダイジェスト (後編)

2017-08-28 22:35:38 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「箱根&河口湖 日帰りドライブのダイジェスト (前編)」のつづきです。

岡田美術館に対する「パチスロ長者の道楽」(パチスロ機の大手メーカー、ユニバーサルエンタテインメントの創業者の岡田和生さんの個人コレクションが元になっている)いうゲスな先入観を相当払拭された私 m(_ _)m は、一路、河口湖ステラシアターを目指しました。
岡田美術館2時間弱も過ごすことになろうとは、うれしい誤算でした。

で、箱根からの下り順調だったのですが、御殿場から須走までのR138はまた渋滞
いつだったか、河口湖ステラシアターに向かう途中、この道自転車のロードレースをやっていましたっけ…

ところで、私の目論見はこんなものでした。

15:00頃河口湖ステラシアターに到着して、グラウンド駐車場以外の駐車スペースを確保する。
クルマを駐めたら、ツアーグッズ(目指すは、フェイスタオル巾着トートバッグパンフレット「プレミアムメロンパンダが当たるくじ」が一緒になった「セットA」)を購入する。
その後、購入したグッズをクルマに乗せたら、徒歩富士山世界遺産センターに行って見学する。
クルマに戻って手荷物を必要最小限に絞り込んだら、いよいよライヴ参戦

岡田美術館で予想以上の時間を費やし、須走まで渋滞にハマり、そして昼食を済ませていない状況だったものの、これから昼食を摂っても、15:00頃には河口湖ステラシアターに到着できそうな状況でした。

そんな見込みのもと、去年MISIA 星空のライヴⅨ河口湖ステラシアターに行った時にも昼食を摂った(記事はこちら) 道の駅 すばしりで昼食を摂りました。

道の駅 すばしり では、去年と同様、生姜焼き定食を食べたのですが、去年と違っていた点が2つ ありまして、一つは去年あれほど間近に見えた富士山まったく見えなかったこと、もう一つは、キュウリの漬け物多かったこと

去年は、冗談ではないか と思いましたからねぇ…

食事を済ませると、道の駅 すばしり から直結 と言っても良さそうな須走ICから東富士五湖道路に乗ると、そこから富士吉田ICまではあっという間だし、富士吉田ICから河口湖ステラシアターまではもっと「っ」という間でした。

そして、15:10頃河口湖ステラシアターに到着すると、目論見どおりグラウンド駐車場開放前で、ステラシアターからはグラウンドを挟んだ先の駐車場を指定されて、そこに駐車しました。
グラウンド駐車場に比べてステラシアターからは離れていますが、終演後にクルマを出すのは、グラウンド駐車場とは比べるのは申しわけないほどスムーズなんですよ、ここ

ただ、指定された場所は「お花畑状態で、

クルマのセンサーが草花「障害物とみなすものだから、ピーピー警報音がやかましいし、勝手にブレーキをかけるしで、駐車するのはなかなか大変でした

ふ~、着いたぁ~ とため息をつき、マグカップに残ったアイスコーヒーを飲み干すと、この日第二の目的地富士山世界遺産センターへと歩き出しました。

ここで「勘違い その2」なぜ「その2」なのか「その1」は何なのかはのちほど ってことで、「勘違い その2」とは、私が富士山世界遺産センター位置勘違いしていたこと。

私、河口湖ステラシアターから富士山世界遺産センターまでは「徒歩5分くらい」の至近だと思い込んでいたのですが、実際の場所は通りが1本違っていまして、優に「徒歩15分はかかる距離がありました。
しかも、途中、スマホで何度も地図を見たのだけれど、わざわざ遠回りしていたという…

私がとったルートはこんな具合。

富士山世界遺産センターに向かう途中、R139に面した雑木林の中を覗き込むと、そこは「原生林」っぽくて、

いかにも「富士山からやって来ましたって感じのがゴロゴロ。

溶岩流はこの辺りまで流れてきたのだと思うと、怖いなぁ富士山
でも、見た目はステキだぁ~

   

そして、富士山世界遺産センターに到着

前回、河口湖ステラシアターにやって来たのは、去年のゴールデンウィーク中に開催された「MISIA 星空のライヴⅨ」のときで、この富士山世界遺産センターがオープンしたのはその約1か月半後2016年6月22日ですから、私にとって初めての訪問のチャンスでした。

私の一番のお目当ては、こちらの記事でも書いた、

山口晃画伯による壁画「冨士北麓参詣曼荼羅」でございます。

細かいところまで観られるよう、双眼鏡が用意されていて、ありがたい心遣いです

いやぁ~、1年越しの念願がかなっての「冨士北麓参詣曼荼羅」、これまたでございました。眼福

富士山の自然に関する情報が展示されている北館無料富士山の文化に関する展示が中心の南館420円と、気安く観覧できますぞ。
写真撮影もできますし…。

私としてはもうちょっとゆっくり & のんびり観覧したかったのではありますが、「冨士北麓曼荼羅図」を観た後は、気持ちが「Misia Candle Night」の方になだれ込んでしまって、図録を購入するや、さっさとへと河口湖ステラシアターへ戻ったのでありました。

   

河口湖ステラシアターへ戻った私は、グッズを買うべく、「グッズ購入最後列」看板の位置に並びました。

ところが、並んだのはよいけれど、まったく進まない

と、ここで私は「勘違い その1」に気づきました

この時、時刻は16:30
開場1時間前には、グッズ販売が行われているステラシアターの周りから退場を求められ、開演の1時間前「開場」になるわけで、私は、その開場待ちの列に並んでいたのです。

何をしてるんでしょ、私は…
前記の目論見にしていました

蒸し暑い中、列に並んだまま開場を待つ意味なんてない
ということで、私は列を抜けて、駐車場まで行ってクルマに乗り込み、エアコンをかけて涼みながら開場を待ちました。

   

この夜の「Misia Candle Night」のことは後日に廻しましてダイジェストらしく、一気に帰り道の話に行きます。

予想どおり、グラウンド駐車場に駐めた人たちがグラウンドから出るだけでウンザリしているのを横目に簡単に駐車場からクルマを出した私は、富士吉田ICから東富士五湖道路に乗り、須走ICで一般道に降りてからは御殿場市内の「交差点各点停車イラっとしつつも、御殿場ICから東名高速に乗りました。

帰路気がかりは、大和トンネル渋滞首都高速C2「いたくま」の工事でした。

先週1週間、毎夜のように30km近い渋滞を繰り広げている大和トンネル渋滞に加えて、毎週末の夜に車線を絞って実施している「いたくま」の工事による渋滞にハマってしまうのではないかと恐れていたのです。

結論からいいますと、交通量こそ多かったものの、大和トンネル渋滞終わって間もない頃に大和トンネルを通過でき、さらに、23:00から始まる「いたくま」の工事直前「いたくま」を通過するという、見事なタイミング帰路を走り抜けることができました

こうしてふり返ると、これほど濃厚な1日を過ごすなんて、めったにないことだと思います。

岡田美術館富士山世界遺産センター、そして「Misia Candle Night」のことは稿を改めることにいたしまして、ダイジェストはこれで全巻のおしまいでございます。

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箱根&河口湖 日帰りドライブのダイジェスト (前編)

2017-08-27 18:47:31 | MISIA/旅行記

きのう・きょうと、河口湖ステラシアターでは、「Misia Candle Night」が開催されています。

私は、諸般の事情により、きのうのみの参加で、日帰りドライブしてきましたので、そのお話をダイジェストとして書こうと思います。
ただし、昨夜のライヴのことは、きょう2日目がありますから、ネタバレを避けるべく、これはまた後日 ということで…

と、書いたのはまだ昼下がりの段階。
この記事を書き続けるうちに、きょうのライヴの開演時刻を過ぎましたので、最後の最後に、ほんのちょっとだけネタバレを書きました

ちなみに右上に載せたのは、きのうの私のキャンドル。赤富士ですな。

   

ライヴの開演18:00ですから、いくら「夏休み最後の土日」渋滞必至 とはいえ、自宅昼頃に出発すれば間に合うはずですが、きのうの私は7:20頃に出発しました。

せっかくガソリン代通行料をかけて出かけるわけですから、いくらMISIAのライヴが目的だとしても、自宅と河口湖ステラシアターを往復するだけではもったいない というわけで、2ヶ月前に「MISIAカレンダーを埋めてみる」で書いたように、「歌麿大作『深川の雪』と『吉原の雪』」展を開催中の岡田美術館と、「次に河口湖ステラシアターに行く時には見に行こうと思っていた富士山世界遺産センターに立ち寄ることにしたのです。

んでもって、往路自宅⇒岡田美術館⇒河口湖ステラシアターの区間は、予想どおり渋滞の連続でございました
しかも、覆面パトカー暗躍する小田原厚木道路だけが、「もっと もっと スピード出してと言わんばかりに渋滞レスで流れているんだからタチが悪い
ちなみに、きのうも餌食となったクルマがのクラウンと一緒に路肩に停車していました。

タチが悪いといえば、箱根湯本からR1が渋滞していまして、片側一車線の山道をトロトロと上りました。自然渋滞かなと思ったのですが、上塔ノ沢あたりの反対車線で、ガードレールの始端に薄汚れた軽トラが正面から突き刺さっておりました
この事故処理で、片側交互通行していたというわけです。

ここで、きのうの往路のルートを整理しておきますと、かなりトリッキーなものでした。

自宅⇒(通勤ルート:一般道)⇒中台首都高速5号線(熊野町JCT)首都高速中央環状線用賀環八瀬田R246横浜青葉IC東名高速厚木IC小田原厚木道路西湘BP箱根口ICR1(宮ノ下)R1岡田美術館R1宮ノ下R138道の駅 すばしり須走IC東富士五湖道路富士吉田IC名もない道河口湖ステラシアター駐車場⇒徒歩富士山世界遺産センター⇒徒歩河口湖ステラシアター

 私、平日はほとんど毎日クルマで自宅から東名高速の横浜町田ICを通って勤務先まで走っていますので、渋滞時オプションを結構持っているつもり(こちらの記事をご参照方)なんですが、きのうの「中台⇒5号線&C2⇒用賀⇒環八⇒瀬田交差点⇒R246⇒横浜青葉IC⇒東名高速」というルートは初めてでした。

このルートを選択した理由がいくつもありまして、

中台ランプの入口がすいていた & R254(川越街道)が練馬から熊野町まで渋滞していた⇒中台から首都高速に乗った
熊野町から先の首都高速5号線が渋滞していた⇒山手トンネルが混んでいることを承知の上でC2を利用した(左の車線を走って行けば大丈夫 と予測したら的中)

大和トンネル渋滞川崎IC手前まで伸びていた & R246がすいていそうだった⇒首都高速を用賀で降りて、環八 & R246を走り、横浜青葉IC東名高速に乗った

と、こんな具合。
これまでの経験からして、こんな組み合わせの交通状況は初めてだったかも…

   

さて、最初の目的地、岡田美術館に到着したのは11:30のちょっと前でした。
これは想定内の時間帯

と、駐車場に入ろうとすると、「駐車料金500円」の表示が

え" 金を取るのか? と思ったら、駐車場入口の係員さん曰く、「美術館ご利用の方は無料です」だそうで、ほっとしました。
そりゃそうだよねぇ~、観覧料2,800円と、美術館としては比類無い高額さなんだから、無料で駐車させてよ…です。

で、

うぉ~TVでは観たことがありましたが、風神雷神図(正確には「風・刻(かぜ・とき)」デカい

エントランスを入り、

入館料を支払うと、なんでも、カメラはもちろん、スマホタブレット端末持ち込み禁止だそうで、コインロッカー(公立美術館・博物館にあるような、使用後に100円が戻るタイプ)に入れるよう指示がありました。しかも、金属探知機のゲートまであるのですからちょっとビックリ(一度トーハク手荷物検査を受けたことはあったけど…)
観覧料高額さもあって、なんとなく印象悪い…

だったのですが、コレクションを拝見すると、これが凄い

最初に拝見したのは、もともとあまり好きな方ではなかった中国の古陶磁器のコーナーでしたが、中国の古陶磁器に初めて魅力を感じました。
あんなにきれいな発色の陶磁器って、観たことがあったかな…と思うほど。
臙脂単色のシンプルな器がすごくモダンだし、青花(いわゆる染付)も繊細で美しい

加えて、そのコレクションの膨大さ唖然

普通の美術館だと、特別展のフロア常設展のフロア2面で終わるイメージなのですが、岡田美術館は、5層のフロアに、これでもか とばかりに作品が並んでいます。

これなら2,800高額な観覧料妥当かもしれない…と思ったりして。

そして、そして、今回の目玉喜多川歌麿の三部作「雪月花」眼福極みでした

「品川の月」「MISIAカレンダーを埋めてみる」で書いたように「原寸大高精細複製画」ですけど、3枚ともガラス越しだと、どれがホンモノで、どれが複製画なのか区別がつきませんでした(私の目は所詮そんなもん…)。

各作品を一歩下がって全体を眺めると、「品川の月」心地よさ「吉原の花」華やかさ「深川の雪」リズム感、どれも素晴らしいし、近寄って観ると、登場人物の仕草着物の柄化粧調度の類に至るまで、大画面の中の隅から隅まで、歌麿技量一流絵師として矜持が惜しげもなくつぎ込まれている感じ。

この三部作一緒に観られる機会なんて、そうそうあるものではないでしょうから、これは見逃したら絶対にもったいない

   

1日のダイジェストだから、ひょいぃ~と書けるかと思いきや、なかなかはかどりません

ということで、前後編の2部構成にさせていただくことにしまして、前編はここまで

と思いましたが、気がつけば、河口湖ステラシアターでの「Misia Candle Night」2日目はもう真っ最中の時間です

Misia Candle Night

ということは、ネタバレ気にすることもなかろう、ということで、ちょっとだけ書きますけれど、きのうのライヴ(MISIAのライヴは、どうしてこうも各公演とも最高レベルを維持し続けられるんだろ。好不調の波がなくなって好調の連発なんだから… と思うデキでした)で一番の「拾いもの」の曲は、セットリストには載っていない「ハナミズキ」ではなかろうかと思います。
バンドメンバー紹介の山口周平クンのところで、MISIAアカペラで歌ったのは、ホントのアドリブっぽかったです。

とまぁ、きょうはこの辺で失礼いたします。 

つづき:2017/08/28 箱根&河口湖 日帰りドライブのダイジェスト (後編)

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名古屋にSOUL JAZZ旅行 #1-4

2017-08-24 23:20:07 | 旅行記

「名古屋にSOUL JAZZ旅行 #1-3」のつづきです。

日本地図に、「現代の東海道」と国道1号線(R1)赤線で、東海道新幹線青線でプロットしてみました。

全体の3/4くらいほぼ一致していますが、名古屋~京都間がかなり違っています。

東海道新幹線は、その名前から、旧東海道のルートを辿って東京(江戸)から京都まで通っているのかと思いきや、名古屋の手前からは、美濃路⇒中山道のルートで京都へ向かっていて、一方、R1は、ほぼ忠実に旧東海道のルートを辿っているんですな。

ただ、R1でさえも「再現」できていないのが、宮宿(熱田)から桑名宿までの「七里の渡し」です。
この区間、東海道海路でした。
R58現在でも、鹿児島市から種子島奄美大島を経由して那覇市まで通じるR58がありますから、R1海上区間を遺していたらよかったのに、と思ったりして…

と、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが熱田神宮への参拝&見物を終えた私が次に向かったのは、宮宿跡というか、「七里の渡し」跡でした。

左に示した私のルート、薄紫「推奨ルート」と微妙にズレておりまして、そして「旧東海道」から外れていることがお判りかと思います。

敢えて旧東海道避けたわけではございませんで、単に道を間違えたというだけ…

準備不足が如実に表れているわけですが、それだけでなく、あまりの蒸し暑さに半ばぼぉ~っとしていたのも一因だと考えております。はい。

それはそうと、既に昼の営業を終えたあつた蓬莱軒神宮店の前を通り(名古屋に着くなりひつまぶしの昼食を摂っておりました)、R19を歩道橋で越えてスマホの地図頼りに七里の渡しに向かって歩くと、なんとも落ち着いた(≒人通りがない)通りが…。

と、これまたなんとも風情のある建物

名古屋市教育委員会が立てた説明板がありまして、それによれば、

熱田荘
木造・二階建・切妻造・桟瓦葺平入り・正面庇付で、この建物は明治29年(1896)武藤兼治郎が建てた「魚半」という料亭であった。太平洋戦争中は三菱重工業の社員寮として、現在は高齢者福祉施設として利用されている。
建造時期は新しいが、近世の町家の形式を継承しており、旧船着場に面して建ち、先に指定された丹羽家(伊勢久)とともに、宮の宿の景観をしのばせる数少ない遺構の一つで、市の有形文化財に指定されている。

だそうです。

そして、「七里の渡し」跡に到着。

ここ「宮の渡し公園」はポケットパーク的に小ぎれいに整備されていまして、そこにあった説明板には、

七里の渡し舟着場跡
江戸時代 東海道の宿駅であった熱田は「宮」とも呼ばれ、桑名までの海路「七里の渡し」の舟着場としても栄えていました。寛永2年(1625)に建てられた常夜灯は航行する舟の貴重な目標となっていましたが、戦災で焼失し、その後昭和58年に復元されて往時の名残りをとどめています。
歌川広重による「東海道五十三次」の中にも、宮の宿舟着場風景が描かれており、当時の舟の発着の様子を知ることができます。

とあるのですが、広重「東海道五十三次」の最も知られた宝永堂版「宮」は、

上の絵でして、説明板に載せられた絵は同じ広重の「東海道五十三次」でもあまり知られていない「隷書版」「宮」です。

もっとも、「七里の渡し」跡で見せるには「宝永版」より「隷書版」の方が合いますな。

というところで、かなり中途半端ながらお終い

つづき:2017/09/05 名古屋にSOUL JAZZ旅行 #1-4

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ブログのハードコピーファイルの表紙(第30巻&第31巻)

2017-08-21 21:49:17 | 日記・エッセイ・コラム

今年1月に書いた「ブログのハードコピーファイルの表紙(第28巻&第29巻)」のつづきのようなものです。

何度か書きましたが、私はこのブログWord コピペ&調整したものをプリントアウトして、ハードコピーとしてA4サイズポケットファイルに入れて保存しておりまして、

この夏休み中に第32巻に突入しました。

そこで、第31巻用の表紙を作ったのですが、考えてみれば第30巻用の表紙を載せていませんでしたので、合わせて公開してしまいましょう。

左が30巻(2016/12/19~2017/4/16)、右が第31巻(2017/4/17~2017/8/13)の表紙です。

メイン・ビジュアルは、30巻「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」のグッズ、ライトスティック(こちらの記事で使用)で、

第31巻垂水市荒崎PAから撮った桜島(こちらの記事で使用)を使いました。

   

ところで、このハードコピー・ファイル1巻で135ページほどあるのです、これを埋める(?)のに要した期間記事本数は微妙に変わってきています。
それをグラフにするとこんな具合。

大ざっぱに言って、赤い線1巻当たり収録期間伸びる傾向にあり、青い線1巻当たり記事本数減少傾向にあります。

このブログ開始から連日書き続けた 初期に比べ、最近は1週間に3~5本記事本数は減少していますから赤い線「1巻当たりの収録期間」右肩上がりになって当然です。

平日はなかなかブログを書く時間がとれない 一方で、書ける時には、日頃の鬱憤(≒ストレス)を晴らすべく、書けるだけ書いている という実態が現れているグラフだと思います。

今後も、毎日欠かさず記事を書くことは不可能ながら、地道に書き続けるつもりですので、よろしくお願いします。

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なかなか大変だった帰省のUターンドライブ

2017-08-20 10:18:41 | 旅行記

昨日、約1週間帰省を終えて、自宅に戻ってきました。

7:25実家を出発し、秋田道⇒東北道⇒外環道を経由して、行きつけのガソリンスタンドで給油して、自宅に帰着したのは16:15と、9時間弱ロングドライブでした。

このうち秋田道&東北道の走行時間は7時間47分で(実家最寄り秋田南ICではなく、そのひとつ先の協和ICから乗ったのはちょっとした事情がありまして…)、

過去の帰省Uターンをふり返れば(記事はこちら)、仙台南ICから岩槻IC付近までほぼずっと渋滞に嵌まった2014年(記事はこちら)」9時間40分次ぐワーストでした。去年6時間30分に比べると、1時間以上余計にかかってしまったわけで…

これには、実家を出発するのがいつもより30分ほど遅かった秋田南ICから秋田道に乗れなかった東北道仙台南JCT近くの事故渋滞(仙台宮城ICから通過に40分以上を要した)にハマったために、

いつもの「渋滞が始まる前に渋滞ポイントを通過する」作戦が不発で、福島トンネルスローダウンで済んだものの(渋滞を警戒してトイレ休憩した吾妻PAで食した「喜多方ラーメン称するもの酷かった)、矢板ICを先頭とする那須付近の渋滞にハマったこと、加えて、宇都宮付近で、1台前のクルマのテールランプしか見えないほどの超激しい 雷雨に見舞われて「豪雨渋滞にハマってしまったことが大きかった…
出発前、宇都宮辺りでは名物の雷雨に遭遇するかもしれないと予想はしていましたが、想像を絶する激しい雨で、クルマのレーダーセンサー機能を失いクルーズコントロール使えなくなってしまったほど

加えて、竜巻注意情報まで発令されて、かなりドキドキものでした。

鹿沼ICを過ぎて、雨も上がったところでレーダーセンサーは機能を回復し、そこからは青空まで見える中、ほぼ順調に自宅まで帰り着きました。
自宅に着くのがあと1時間ほど遅かったら、これまた超激しい雷雨の中で荷物を降ろすはめになっていましたので、Lucky だったといえないこともありませんな。

こんなわけで、かなり疲れて帰宅した私、ビールを飲みながら、録画しておいた「MISIA Summer Soul Jazz」バースデーライヴを観て元気の回復に努めたのでありました。

ちなみに、帰りの燃費は、旅程の半分はエアコンが不要だったからか、15.44km/lと、去年の復路の14.90km/lをかなり上回り、今年のGW南東北ドライブ旅行の前半(自宅⇒喜多方⇒会津若松⇒裏磐梯⇒喜多方⇒米沢⇒いわき)に記録した15.66km/l肉薄しました。

自宅帰着直前の「航続可能距離」外環道を降り、行きつけのガソリンスタンドで給油した直後に表示された「航続可能距離」1,058kmでございました。
足の長いクルマだよなぁ~

さて、明日は "Back to Business"、きょうはしっかりと気分転換して、「いつもの日曜日」的に過ごすことにしたいと思っています。

が、来週「Misia Candle Night」なんだよなぁ~。
それを考えると、なかなか夏休み気分から抜け出すのは難しいかも…

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今年の帰省もそろそろお終い

2017-08-18 20:44:33 | 日記・エッセイ・コラム

先週の土曜日からながながと帰省中ですが、いよいよ明朝にはUターンです。

今夏の帰省は、恒例の旧友たちとの飲み会を除けば、とりたてて予定がなく、ひたすら溜まっているブログの旅行記を書き続けていた気もしますが、それでも、けっこう実家の家事というか、母親にはできなさそうなことを大小交えて片付けました。

具体的には、

電話機を従来のFAX電話機からシンプルコードレス電話に変更し、壁掛け作業住所録セット作業を実施

ナンバーディスプレイNTTと新規契約
(親族であれば、本人以外でもネット経由で契約できるとは知らなかった)

満期になった母親の定期預金の普通預金への預け替え&一部払出にお付き合い
(銀行は振り込め詐欺を警戒して年寄り本人のみによる一定額以上の現金払出を拒否しているのだとか)

十数年以上前からの懸案だった茶箪笥引き手新調

数年前からの懸案だったという、引き出すたびに不快な音を発していたシステムキッチン引き出し修理(ガイドローラーを交換 ほか)

廊下ののれん交換

トイレのドアノブを丸形からL型交換

居間の壁掛け時計の位置を変更

盆提灯の釣り方を見栄え良く変更

と、こんな具合です。

もう一つ、母からの依頼に、「レコードを聴いていると、途中でピックアップ勝手に上がってしまうので何とかしてほしい」というものがありました。

この「苦情」を聞いたとき、針圧がかかっていないのではないかと思いましたが、ちゃんと1.5gの針圧がかかっています。
はてさて、どうしたものか… と、レコード2~3を視聴してみましたが、ちゃんと最後まで演奏してくれます

う~む… です。
再現性のない不具合ってのは、対策の練りようがなく、ホント困ります
結局、しばらく様子見してもらうことにしました。

それにしても、Donald Fagen「The Nightfly」はやはり名盤だけど、実家のリビングのステレオセットのスピーカー、いつ聴いてもひでぇ~音
年末の帰省の時には、新しいスピーカーに替えちゃおう と考えています。

実は、FAX電話機をシンプルなコードレス電話に変更して、それを壁掛け設置したのは、新しいスピーカーに入れ替えるための布石なのですよ

今まで、ひでぇ~音スピーカー(私が高校生の頃に買ってもらい、愛用していてたスピーカーなんだけど…)の上には、大層な大きさFAX電話器が乗っかっていまして、このFAX電話器を使い続けつつスピーカーを買い換えようとすれば、スピーカーの選択肢が狭められるという問題がありました。

そこで、「FAXなんて使っていないし、使い方も判らない」という母親のことばを追い風に、電話器買い替え、それを壁掛けにしたというわけです。

これから年末に向けて、実家用のスピーカー検討することにします。

ちなみに、実家の私の部屋にあるスピーカーは、父親がどこからか貰ってきた無銘のシロモノなんですが、かなぁ~り良い音で、さいたま持ち帰りたいかも…と思うほどです。
でも、デカ過ぎて、私のクルマには積めないのですよ。
そんなわけで、明日はスピーカーは持ち帰りません。

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南東北ドライブ旅行記 #2-4

2017-08-17 19:16:45 | 旅行記

 

「南東北ドライブ旅行記 #2-3」のつづきは、会津若松から裏磐梯を通って喜多方に向かいます。

贅沢 磐越道会津若松IC⇒磐梯河東IC1区間(所要時間4分、通行料320円)だけ使い、

R115を経由して

磐梯山ゴールドラインへと…。

無料の観光道路とは思えない快適な山道を登り、まずは山湖台でクルマを停めて、その名のとおり、(磐梯山)

(猪苗代湖)を眺めました。

ちょっと進んで、滑滝(なめりたき)を見物しましたが、こちらはちょいとインパクト欠ける感じ…

まだ路肩にが残る中をクルマを走らせると、高速道を降りてから50分ほど磐梯山の西側を縦断して、道の駅 裏磐梯に到着しました。

   

ところで、ここ裏磐梯は、19世紀以降では日本最悪火山災害が発生した場所です。

前日、福島県立博物館で見た説明パネルから引用しますと、

1888(明治21)年7月15日に起こった磐梯山の水蒸気爆発により、大磐梯(標高1816m)の北側にあり、大磐梯より少し低かった小磐梯(標高約1750m)の山体が崩れました。崩れた体積は約1k㎥(東京ドーム800個分)とされています。

という山体崩壊が発生し、東京ドーム800個分とやらの多量の岩塊は、平均時速約80kmという猛スピードで下り降りたのだとか。(ちなみに上に載せた説明パネルに登場するエドムント・ナウマンとは、ナウマンゾウにその名を残すナウマンさん)

そして、その被害は、

被害戸数:約100戸、被害人口:2891名、死亡者:477名、発見死体:81名、
負傷者:47名、牛馬斃死:57頭

という甚大なもの…。
477名もの方々が亡くなられたにもかかわらず、「発見死体」数が81名極端に少ないことに気がつきますが、

発見された遺体が少ないのは、岩なだれにより村落ごと埋まったためです。

だそうです

また、山体崩壊によって

裏磐梯は泥土で覆われ植生が破壊されました。
荒廃した裏磐梯で、1910年頃から会津若松市の遠藤十次郎(現夢)により、10万本以上の植林がなされ、裏磐梯の復興が進められました。また、磐梯山の噴火は300余りの美しい湖沼とダイナミックな景観を造り出し、磐梯山周辺は1950年に国立公園に指定されました。

とな。

裏磐梯美しい眺めは、自然が造り出したものだったんですねぇ

ということで、道の駅 裏磐梯で景色を眺め、小休止をとったのち、R459を下り、ラーメンが待つ(?)喜多方を目指しました。

 途中、いかにも学校然とした施設のサクラ満開

ここはどこなんだろ? と思って調べると、学校ではなく北塩原村生涯学習センターという施設でした。
でも、どう見ても元学校ですよねぇ~。
それにしても、こんな鉄筋コンクリート3階建ての新しそうな学校を廃校にするかな…

さらに5分ほど走ると、「国道459号ポケットパーク 会津一望の丘」という看板が目に入り、ここでも一旦停止

説明板によれば、

会津一望の丘は国道459号の喜多方市街地と裏磐梯地区の2大観光地の中間に位置する当該地区に、視点場を兼ねた休憩施設として整備しました。この箇所は杉の木が生い茂っていましたが、路面の部分凍結を解消するために伐木を行ったことにより会津盆地を一望できる眺望が生まれました。

だそうです。
もう少し小高い場所の方が眺望は良いだろうに、と思いましたが、「路面の部分凍結を解消するために伐木を行ったことにより会津盆地を一望できる眺望が生まれました」というのなら理解できます。
確かに、冬のまだらに凍結した道は怖いですから… (学生の頃、の朝にスクーターで通学したときのことを思い出しました)

   

R459を更に西に下って喜多方市内に入り、予定していたラーメン店に到着したのは12:20頃でした。

あまりに昼食時過ぎて、ちょっと心配しましたが、駐車場にはすんなり入れて、店外に並びはしましたが、さほど待つこともなく、入店できました。

2日連続喜多方ラーメンの昼食、イイですよぉ~。
毎日、日替わりの店で喜多方ラーメンの昼食を摂ることを夢見てしまいました。

つづき:2017/09/02 南東北ドライブ旅行記 #2-5

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6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-9

2017-08-16 11:24:32 | 旅行記

「6年ぶりの鹿児島旅行記 #2-8」のつづきです。

佐多岬の観光をそそくさと終えた私は、マイクロバス佐多岬公園第2駐車場に戻り、クルマに乗り込むと、ナビの目的地に、レンタカー屋さんご指定鹿児島中央駅近くのガソリンスタンドをセットしました。

すると、ナビが示した目的地への到着予定時刻は、当日のダイジェストに書いたように、17:58

「目が点になる」というのは、この時の私を表現する最適な言い回しだったはずです。
とにかく、我が目を疑いました
この日のスケジュールで最大のイベント、「Misia Candle Night 鹿児島・仙巌園」2日目開演時刻19:00で、鹿児島中央駅西口から発車するシャトルバスには、遅くとも18:00には乗らなきゃならないはずなのに、ナビは「間に合わない時刻を示していたのですよ

約160kmの距離を走るのに、3時間強もかかるのか? という疑問を持ちつつも、垂水からフェリー薩摩半島に渡るルート、もと来た道を引き返す桜島フェリーを使うルートも考えましたが、ナビのお薦めルート(当初私が予定してたルートでもある)をとにかく走ることにしました。

それにしても、160kmとは、なんとも遠くまで来てしまったものです
ちょっと呆然

そして、ラジオも聴かず、ひたすら運転にい集中してクルマを走らせました
急ぎたいのはやまやまながら、事故ったり、スピード違反で停められたりしたら 元も子もありませんので、規制速度+αで安全運転に徹しました。

佐多岬付近を含む南大隅町内は、対向車前を走るクルマもほとんどなく、マイペースで走れたですが(ナビの「到着予定時刻も順調に前倒し)、錦江町に入った辺りから、高齢者マークをつけた軽自動車先導してくれるシーンが増えて、ちょっとだけイライラ

鹿屋~佐多岬間の距離感は、往路と復路とではかなり違っていて、時間を気にしていた復路はホント遠く感じられました
「こんなに遠かったかな?」って感じ…

そして鹿屋市内を抜けて、笠之原ICから高速道路(大隅縦貫道)に乗りました。

私は笠之原ICから鹿児島ICまで走ったのですが、1本の高速道路のように見えて、実は結構、「本籍」ややこしい路線でした。

笠之原IC~鹿屋串良JCT「大隅縦貫道(串良鹿屋道路)」[県道]鹿屋串良JCT~隼人東IC「東九州自動車道」[高速自動車国道] 、隼人東IC加治木JCT「隼人道路」[国道20号線BP]加治木JCT~鹿児島IC「九州自動車道」[高速自動車国道]4つの路線に別れているし、当日のETC走行記録を見ますと、

と、通行料金が発生しているのは、東九州自動車道途中にある末吉財部ICから鹿児島ICまでの区間のみで、笠之原IC(大隅縦貫道)~末吉財部IC(東九州自動車道)の区間は無料でした。

これというのも、道路管理者が、笠之原IC~鹿屋串良JCT鹿児島県東九州自動車道のうち無料区間鹿屋串良JCT~末吉財部IC国交省、残りの末吉財部IC~隼人東IC~加治木JCT~鹿児島ICNEXCO西日本に別れているのです。

さて、高速道(自動車専用道)乗ってしまえばこっちのもの と思いきや、片側1車線の区間で、前を制限速度遵守でタラタラ走るクルマにうんざり
こんな場合、いちゃもんのつけようがありませんから、ひたすら、「次のICで降りろ~」ずるだけでした。

途中、トイレ休憩&タバコ購入を目的に、国分PAに入ったのですが、ホントのパーキングエリアで、売店どころかタバコの自販機ない

ということで気を取り直して先に進み、鹿児島ICを降りて鹿児島市街に入り(こんなに市街地に近い高速道のICってそんなに多くないかも…)、迷うことなくガソリンスタンドに到着しました。
時刻は17:35

燃料を満タンにして、満タン証明書にハンコをもらい、レンタカー屋さんへ。

返却手続はすんなり済み、近くのコンビニで、途中で切らしていたタバコハンドタオル(ホテルに忘れてきていた)を購入した後、鹿児島中央駅西口のシャトルバス乗り場へ小走り

こうして無事に仙巌園行きのシャトルバス(18:00発)に乗ることができ、ダイジェストに書いたように、更にヒヤヒヤもありながら、開演直前ライヴ会場の自席に着くことができたのでした。

いやぁ~、心臓に悪いドライブでした

こんな体験はもうこりごりです

ところで、シャトルバスを降り、仙巌園に急いで入場しようとしたとき、ミー友さんから声をかけられました。
開演まで10分を切っているというのに、どうして会場の外にいるんだろ? と思ったら、彼は今夜の飛行機で帰京するのだけれど、ギリギリまで会場の外からライヴの「音」を聴いて、そのあとレンタカーを飛ばして空港に向かうとのこと。

凄いですなぁ~

で、後日、本人から聞いたところによると、彼もギリギリのタイミング鹿児島空港に到着してヒヤヒヤを味わったのだとか。

結論:時間には余裕を持って行動しましょう

   

ライヴ終演後、シャトルバス鹿児島中央駅前に戻ると、途中、示し合わせたミー友さんたちと合流し、振り返りの飲み会を実施しました。

飲み会を開催した「かごっまふるさと屋台村」、前日、昼食場所を探して入り込んだのですが、営業は夜だけのようで、ひとけが皆無でした。
まさしく、こんな感じ

それがになると、提灯が入り、どの店も大賑わい で、「千と千尋の神隠し」の飲食店街を思い出しましたです。

こうして、鹿児島旅行2日目「山あり谷あり山ありで終わりました(この頃は未発表だった「来るぞスリリング」みたい…)。

   

ところで、寝る前に、この日のドライブの燃費を計算してみますと、292km走って13.68リットル給油しましたから、、、21.35km/l
やはり、普段12~14km/lマイカーよりもかなり良い

ただし、ガソリン代(単価)は、レギュラーにもかかわらず131円とかなり高い
ときどき使っているフルサービスのガソリンスタンドハイオクよりも高いゾ
レンタカー屋さん指定給油所ということで、満タン証明書を持ってきた客には盛っているんだろうか

それでも、292km走って1,792円だから、目くじらを立てるほどのことではないかも…
ちなみにレンタカー代は、保険料・消費税込みで5,664円でございました。

そうそう、今回の鹿児島旅行のメインイベント「Misia Candle Night 鹿児島・仙巌園」のことは、こちらの記事をご参照くださいませ。

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暑いぞ、熱いぞ だった大阪旅行記 #2-2

2017-08-15 18:07:36 | 旅行記

「暑いぞ、熱いぞ だった大阪旅行記 #2-1」のつづきです。

バス停から細い一本道を進んでいくと、がありまして、いよいよ浄瑠璃寺の境内へ。

ウン十年ぶりにやって来ました、浄瑠璃寺

眼前に広がるのは、苑池本堂

内部を拝観する前に、本堂を外から眺めました。

寄棟・本瓦葺き端正な佇まいがイイ

御本尊の九体阿弥陀如来像が祀られている本堂へは、本堂右側から拝観料をお納めして上がり、お堂の裏手を回り、南側から入ります。

廊下は、強い陽光を受けた木々のせいで、に染まっていました。

本堂内に入る前に、浄瑠璃寺の「概要」をリーフレットから転記します。

この寺は京都の最南端、奈良との府県境に位置している。そしてこの一帯は古来より南都(奈良)仏教の聖地として大寺の僧が世俗の喧噪を離れ修行、研鑽のため出入りした地域で小田原別所と呼ばれていた。
また創建時のご本尊が薬師仏であった事から、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来とされている。
その後九体の阿弥陀仏とそれを安置する堂を建立し、庭園が整備され、京の都より三重塔が移築された事により今も残る伽藍が出来上がったとされている。

だそうです。
「浄瑠璃」と聞くと「人形浄瑠璃」などの歌舞音曲を連想してしまいますが、「三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲・劇場音楽(Wikipedia)「浄瑠璃」と呼ばれるようになったのは、「デジタル大辞泉」によれば、

浄瑠璃姫
室町時代の語り物の登場人物で、三河国矢矧(やはぎ)の長者の娘。仏教の浄瑠璃世界を統率する薬師如来の申し子。牛若丸との情話が「十二段草子」などに脚色され、語り物「浄瑠璃」の起源となった。浄瑠璃御前。

が由来だそうで、浄瑠璃寺の寺名も音曲の「浄瑠璃」「薬師如来=浄瑠璃世界にたどり着くんですな。

さて、ご本尊九体阿弥陀如来像の写真と解説をリーフレット(これほど懇切丁寧かつ美麗なリーフレットって、そうそうない)から拝借します

九体阿弥陀如来像 (国宝) 藤原時代
平安期の堂・像共に現存するものとしては唯一となった九体阿弥陀仏。西の本尊で、未熟な私たちを理想の未来へ迎えてくれる如来。
“観無量寿経”にある九品往生(くぼんおうじょう)、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生(げぼんげしょう)からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上生(じょうぼんじょうしょう)まで九つの往生の段階があるという考えから、九つの如来をまつった。中尊は丈六像で来迎印(下生印)、他の八体は半丈六像で定印(上生印)を結んでいる。当寺以外の九体阿弥陀仏は、平安期の石仏が九州に、また江戸期の木像仏が東京(世田谷の九品仏・浄真寺)に残っている。

往生九品9段階のランクがあることは、修学旅行で浄瑠璃寺を訪れた際、お坊さんからお聞きした記憶があります
そして、九品往生のお話以上に印象に残ったのが、春分の日・秋分の日、いわゆる「お彼岸」の話でした。

ここで浄瑠璃寺伽藍配置を見ますと、

九体阿弥陀仏が安置されている本堂を向いて建てられていて、苑池を挟んだ反対側には薬師如来が安置されている三重塔が立っています。

年に二度、春と秋のお彼岸の中日には、「過去世から送り出してくれる仏」薬師如来の背後から昇った太陽は、苑池の真上を通り、「理想の未来にいて、すすんでくる衆生を受け入れ、迎えてくれる来世の仏」阿弥陀如来の背後へと沈みこの世(此岸)とあの世(彼岸)とを結びつける、、、こんなお話をお聞きしたことが思い出されます

ところで、本堂内には、九体阿弥陀如来像のほか、四天王像(国宝)のうち持国天と増長天不動明王三尊像(重文)、子安地蔵菩薩像(重文)、そして秘仏・吉祥天女像がまつられていますが、吉祥天女像だけは、期間限定の公開で、私が訪れた時には厨子の扉は閉じられていました

ここで思い出されるのは、この2週間後、まさしく「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵」東京藝術大学大学美術館「藝『大』コレクション」展で拝見したこと(記事はこちら)。

浄瑠璃寺のリーフレットの「秘仏・吉祥天女像」の項には、

周囲の厨子絵は復元模写されたもの

とあります。
なぜ浄瑠璃寺の吉祥天女像の厨子絵浄瑠璃寺ではなく、東京藝術大学にあるのでしょうか?
ちなみに東京国立博物館京都国立博物館寄託されている四天王像のうち広目天と多聞天についてリーフレットには、「現在、多聞天・広目天は国立博物館に…」と記載されています。

そして、Wikipediaには

像は黒漆塗の春日厨子に安置される。この厨子の扉と後壁に描かれた仏画鎌倉時代の絵画資料として貴重なものである。ただし、オリジナルの扉と後壁は明治時代に流出して東京芸術大学所蔵となっており(1889年、芸大の前身の東京美術学校購入)、現在の扉と後壁は1976年に取り付けた模造である。

という記述が…

どういういきさつで厨子絵浄瑠璃寺から流出して、東京美術学校購入することになったのか判りませんが、1889年という年代から想像するに、明治初年の廃仏毀釈運動のどさくさに紛れて、厨子絵が行方不明になり(盗難の可能性もあるし、浄瑠璃寺関係者が「背に腹はかえられない売却した可能性もある) 、何度も転売されて何人もの「善意の第三者」の手を経た後、東京美術学校購入した、、、、なんてことがあったのかも…

もっとも、私が扉が閉じられた吉祥天女像の厨子を拝見した時には、こんな事実は知らなかったわけで、開扉期間でなかったことが残念なだけでした。

ということで、「#2-3」では浄瑠璃寺の庭を歩きます。

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