新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2020年最初の関西旅行記 #2-2

2020-01-31 08:45:18 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2020年最初の関西旅行記 #2-1」のつづきです。

高校野球発祥の地記念公園の見物を終えた私は、豊中駅から大阪梅田行きの各停に乗り、大阪梅田駅へ。

大阪で電車に乗って、すごいなぁ と、いつも思うのは、阪急・大阪梅田駅のプラットホームの壮大さと、御堂筋線のいくつかの駅の天井の高さ
そもそも、私鉄の電車同じ方向併走する光景自体、首都圏では見られないんですが、頭端式ホーム、いわゆる櫛形ホーム10面9線もある(日本一らしい)大阪梅田駅のホームに、同時に複数の電車入線したり発車したりする光景は壮観です

ちなみに世界一多数の頭端式ホームを持つ駅はニューヨークグランド・セントラル駅だそうで、そのホーム数は、44面67線ですって
私、うん十年前に、ボストンからニューヨークアムトラックで移動したんですが(写真はボストン南駅かと思われます)

このとき、グランド・セントラル駅で降りたんじゃないか? と思ったけれど、どうやらペンシルバニア駅に降り立ったみたいです

   

それはさておき、大阪梅田駅の改札を抜けると、まだ11時を回ったばかりでしたが、新梅田食道街で早めの昼食を摂ったあと、御堂筋線に乗って次なる目的地に向かいました。

この日の朝だったか前夜だったか、NHKのローカルニュースで、大阪地盤の企業が保有する絵画作品を披露する展覧会が開かれているという話題を取り上げていまして、俄然興味を持った私は、その会場である江之子島文化芸術総合センター[enoco]に出かけることにしたのです。

企業って、結構、大家の作品を保有しているものですが、誰でも観られるエントランスやロビーよりも、役員フロア役員室内に飾ってある作品の方が遙かに多いはずで、それらには、まずお目にかかれません
私が勤務していた会社では、会長室にはベルナール・ビュフェ副会長室には荻須高徳の作品が飾られていましたっけ…
社長室には入ったことが1~2回しかなく、観察できませんでした

企業のお宝美術作品を集めた展覧会なんて、そうそう開かれるものじゃありませんので、これ幸い「enoco」に向かったのです。

   

その途中、本町駅御堂筋線から中央線に乗り換えた際、中央線ホームのあまりの幅の広さ驚愕しました。

上の写真は、私が乗ろうとしていたコスモスクエア方面行きホームから反対方向の長田方面行きホームを撮ったもので、この幅、何十mあるのでしょうか
構内図にで示した辺りです。

間違って 逆方向の電車に乗ってしまった人が、本町駅のこの辺りで反対方向の電車に乗り換えようとしたら、急いでいる場合は、ちょっとした短距離走になってしまいます。
そんなケースは滅多にないと思いますが…。

   

本町駅から一駅で、enoco最寄りの阿波座駅です。

8番出口から地上に出て、ちょっと歩くと、江之子島文化芸術総合センター[enoco]に着きました。

曲面の使い方からして、昭和初期の建築とお見受けしました
後で調べると、1929(昭和4)年「大阪府工業奨励館」として建てられたものだそうで、私の見たて当たり

内部も「モダニズム」感がそこはかとなく漂っていました

エレベーターで4階まで上がると、マスコミ各社からのお祝いの花が飾られていて、現役芸術家の個展みたいな感じ。

で、観覧料500円をお支払いして、第2回「なにわの企業が集めた絵画の物語」展を観始めました。

この展覧会は、

市民や企業が、進んで自分たちの街を良くするのが、八百八橋の昔から、近代の「大大阪」時代を通じて、大阪の誇る精神的伝統です。本展覧会の根底にも、大阪がつちかったフィランソロピー(Philanthoropy)と呼ばれる、博愛主義による社会貢献の精神があります。昨年の第1回展では、こうした大阪本来の精神を引き継ぐ好企画は、毎年つづけて開催して欲しいとの声を多数いただきました。

ということで、去年が第一弾だったんですな。
そして、この展覧会の主催は、関西経済同友会(企業所有美術品展実行委員会)とな
極めて個人的へぇ~~ です。

   

それはそうと、展示されていた作品は、どれもこれも素晴らしいものばかり

右の画像は、フライヤーから拝借したものですが、トゥールーズ=ロートレック藤田嗣治アルベール・マルケマリー・ローランサン岡本太郎、そして、アンドリュー・ワイエス

まさか、大好きワイエス水彩画(こちらの記事をご参照方)まで観られるとは思いもよりませんでした
しかも、この「アフタヌーン・フライト」(所有はコクヨ)は、実物 or 図録を通じて初めて拝見しましたが、実にイイ
この展覧会で最もお持ち帰りしたい作品」でした

この他、エドゥアール・マネ「夫人像」(所有は三井住友銀行)「いかにもマネ魅惑的でしたし、和田英作「農家の庭先」(所有は住友電工)からは田舎のにおいが漂ってくるようだったし、アルフォンソ・ミュシャ「ムーズ・ビール」(所有はサントリーHD)大麦のヘッドドレスホップの耳飾り(ビールのポスターですから)がcuteだったし、、、、でキリがありません

変わり種は、竹中大工道具館(行きました)所蔵の平鉋(碓氷健吾作)と大鉋(石堂秀一作)でしょう。
「道具」を出展する竹中大工道具館「道具愛麗しい…
実際、機能美素晴らしいですもの

もう一つの「変わり種」は、1984年生まれの若い画家パスカル・チューマ「少女の教育」(所有はサラヤ)

「鑑賞ガイドから引用しますと、

パスカル・チューマ(1984-)は、ケニアのナイロビに生まれ、現在まだ30歳半ばと非常に若い画家である。5歳から絵に興味を示し、美大で絵を学んだ後、ケニアの文化や社会的な課題、人々の暮らしやそれを取り巻く環境といった主題を、画家の精神的な内面とともに描く。(中略) 作品購入にあたっては2016年のTICAD6 (第6回 アフリカ開発会議)への参加が鍵になったという。

だそうです。
ぱっと見メキシコ辺りの画家の作品かな? と思ったのですが、ケニアの画家の作品でした。

   

各企業が、「あそこがアレを出展するんやったら、こっちも負けてられへんと、競い合ってご自慢の美術作品を出展している感じ(とりわけ三井住友銀行 vs 住友電工) が伝わってきて、実にほほえましい

いやはや、ホントに良い展覧会でした。

会場出口で、求められてアンケートを記入したら、「鑑賞ガイドと、この展覧会の招待券をいただきました

観覧料を払ったあとで招待券をいただいても、2月15日が会期末のこの展覧会を再訪することはあり得ないしねぇ~
「お知り合いにもご紹介ください」という意味なんだろな、K.I.T

ところで、関西経済同友会が、こんな素晴らしい展覧会を開催している中、本家筋経済同友会は何もしないのかな?
経済同友会会社経営者個人の資格で参加しているとはいっても、各社のTOP鶴の一声で、とんでもない美術品ドッサリと集まるんじゃなかろうか?
一応、期待しておきます

つづき:2020/02/01 2020年最初の関西旅行記 #2-3

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2020年最初の関西旅行記 #2-1

2020-01-30 12:11:32 | 旅行記

「2020年最初の関西旅行記 #1」のつづき、関西旅行記の2日目です。

まずはこの日の行程。

ホテル⇒徒歩南方駅阪急京都線十三駅阪急宝塚線豊中駅⇒徒歩高校野球発祥の地記念公園⇒徒歩豊中駅阪急宝塚線大阪梅田駅昼食梅田駅御堂筋線本町駅中央線阿波座駅⇒徒歩江之子島文化芸術総合センター⇒徒歩国立国際美術館⇒徒歩淀屋橋駅御堂筋線新大阪駅⇒徒歩 ホテル
ホテル⇒徒歩新大阪駅JR京都線大阪駅大阪環状線大阪城公園駅⇒徒歩大阪城ホール(Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender)⇒徒歩大阪城公園駅大阪環状線大阪駅JR京都線新大阪駅⇒徒歩ホテル

一日の私の動きを地図にプロットしてみました。
青い線徒歩赤い線(前半)とオレンジの線(後半)が電車で動いたルートです。

   

この日の観光スポットは、高校野球発祥の地記念公園 (豊中市)江之子島文化芸術総合センター[enoco] (大阪市西区)、そして国立国際美術館(大阪市北区)の3か所でした。

まず最初の「高校野球発祥の地記念公園」は、その存在を知ったのは2年前のことで、大阪モノレール大阪空港駅でこちらのポスターを見かけたときでした。

このときもかなり食指が動いたのですが、こちらで書いたように、万博記念公園新大阪大阪城ホール(THE SUPER TOUR OF MISIA)を予定していたことから、

動線ムダ(重複)が多いし、何よりも大きなキャリーバッグの取り扱いが面倒です

ということで、断念した経緯があります。

そして、遂に、高校野球発祥の地記念公園に行ってきました

新大阪駅を起点にルート検索すると、御堂筋線経由(新大阪駅⇒西中島南方駅・・南方駅)が出てきますが、地図を見ると、たった1駅安くない(180円)地下鉄に乗るよりも、ホテルから南方駅まで歩く方が良かろうと判断しました。

そして、ホテルから10分ほど歩くと、南方駅に到着。

南方駅(相対式で、跨線橋も無いチンマリした駅)は「みなみた」と読むのですが、すぐ近くにある御堂筋線西中島南方駅の方は「みなみた」と読みが違います。
これに気づいたのは、この日の前半の帰路(御堂筋線で新大阪に戻った)でした。
どうしてこういうことになったんでしょうねえ
調べてもよく判りませんでした

それはともかく、すぐにやって来た大阪梅田行きに乗り、お隣の十三駅(これも難読のたぐい)で、うまい具合にやって来た宝塚行きの急行に乗り換えると、一駅(約8分)豊中駅に到着しました。

駅には「高校野球発祥の地記念公園」大きな看板がありましたが、駅から出るとなんの案内も目印もなくスマホの地図を頼りに、いかにも高級住宅地っぽい街を歩くことになりました。
せめて、矢印看板がいくつかあっても良いのではないかと思いますが、こうした住宅地にそうした看板は似合わない気がしないでもありません。

駅からちょっと入ると、ホントに閑静で、きれいな街並みです。
私、豊中には土地鑑皆無に近かったのですが、梅田から電車十数分の場所にこんな住宅地があるとは予想外でした。

   

豊中駅の看板に「徒歩400m」とちょいと変な表記をされていた距離(普通は「徒歩分」だと思ふ)を歩くと、「相続税として土地を物納しました」といった風情の小さな公園があり、それが「高校野球発祥の地記念公園」でした。

いわゆる「夏の甲子園」「第1回」となる「第1回全国中等学校優勝野球大会」は、大正4(1915)年豊中グラウンドで開催されたことは知っていたにしても、その跡地が、これほどまでに完全住宅地に変貌していたとは驚きました

交通の便の悪さをはじめとする諸事情により、豊中グラウンドで大会が行われたのは翌年の第2回大会までで、第3回からは現・西宮市の鳴尾グラウンドに会場が変わり、更に大正13(1924)[甲子(きのえね)年]第10回大会からは現・阪神甲子園球場で開催されるようになったらしいです。

公園の壁にはめ込まれていたパネルによると、

豊中グラウンドは、大正2年(1913)沿線への鉄道利用の促進をめざし、箕面有馬電気鉄道(現阪急電鉄) 創業者 小林一三氏によって建設されました。

だそうで、箕面動物園をつくり、宝塚レジャー施設歌劇団をつくり、沿線住宅地をつくり、ターミナル駅デパートをつくるなど、私鉄のビジネスモデルを造り上げたかの小林一三さんの事業の一つだったんですな。

阪急グループの施設で始まった「中等学校優勝野球大会」が、わずか2年阪神グループ鳴尾グラウンドに出て行き、その後、阪神甲子園球場定着することになったのは、小林さんにとっては悔しかったのではなかろうか…
村上ファンドによる阪神電鉄株大量取得を契機として、現在、阪急と阪神は同じグループになっていますが、阪急ホワイトナイトとして事実上、阪神を吸収合併することになった背景には、小林さんの怨念があったのかもしれません

   

公園のレンガ壁には、「第1回大会」開催社告(by 大阪朝日新聞社)とか、開催要領出場選手名などを刻んだ銅板が埋め込まれていまして、

この中にあった「試合規則」がかなり面白い

例えば(漢字を馴染みのものに変えました)、

一、試合予定時刻は励行す
   但前回の試合終了せざる時は次回に移らず
一、出場選手は必ずユニホーム着用の上試合開始予定時刻より

  三十分前に来場すべし
一、ウイニングボールは之を勝者に与ふ
一、試合用球以外の器具は各自持参すべし

ここまで「規則」にする? ですが、第1回大会なので、何でもかんでも詰め込んだのでしょう。

   

最後に、優勝校と準優勝校のプレートを見物しました。

一番新しいプレートは、一昨年の第100回大会のものでした。

金農旋風が懐かしいぞ

そして、お目当て第1回大会のプレート

我が母校の前身・秋田中学の校名が誇らしい

こうして大満足のうちに高校野球発祥の地記念公園を後にして、豊中駅へと戻ったのでありました。

つづき:2020/01/31 2020年最初の関西旅行記 #2-2

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2020年最初の関西旅行記 #1

2020-01-29 21:40:25 | 旅行記

さっそく、先週土曜日(1/25)から3泊4日の旅程で決行した関西旅行記の本編を始めます。

初日2日目は、両日の「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」のこと(初日 & 2日目)しか書いていませんでしたので、まずは、初日の行程から始めましょう。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大崎駅山手線品川駅京急本線・空港線羽田空港国内線ターミナル駅羽田空港飛行機大阪(伊丹)空港リムジンバス新大阪駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩新大阪駅JR京都線大阪駅大阪環状線大阪城公園駅⇒徒歩大阪城ホール(Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender)⇒徒歩大阪城公園駅大阪環状線大阪駅JR京都線新大阪駅⇒徒歩ホテル

このように、どこを観光するわけでもなく、移動ライヴ参戦だけの1日でした。

今回の大ざっぱ交通手段は、

自宅飛行機大阪JR京都新幹線 & JR在来線⇒自宅

と、往路飛行機を使ったのですが、羽田までのルートは久しぶりに鉄道を利用しました。
ここ数年、自宅と羽田との間は、最寄り駅前で発着する空港リムジンバスを使うのがもっぱらですが、今回は、たまたまバスダイヤの谷間にあたることから、デカい&重いキャリ-バッグ(冬の3泊だと荷物が増える)をゴロゴロいわせて、電車を乗り継ぎました。
バス電車と比べると、所要時間ほぼ同じで、運賃バス1,570円 vs 電車853円と、倍・半分なのですが、電車だと乗り換えが少なくとも2回あるのが鬱陶しい…
今回は自宅出発が土曜日10時ちょい前でしたので、電車はけっこう空いていましたからまだ良かったものの、これが平日の通勤時間帯だったら、迷わずバスを選びますな

   

今回乗った機材は、初めてボーイング787-800

ワクワクしつつ座席に着くと、まず、愛用のイヤホンオーディオジャックに差そうとしたのですが…、ありゃ? オーディオジャックはどこにある?
「取説を読んでオーディオジャックの場所を調べると、従来機(?)のような肘掛けの内側ではなく、前席のシートバックについている大型ディスプレイと、隣の席とを隔てるコンソール前部、それも結構下についています。
もしかしたら、持ってきたイヤホンのコードでは短いかも…と思ったら、やはり短い

仕方なく、備え付けのヘッドホンを使い始めたものの、やはり音質が…

フライトが半ばを過ぎる頃になって、飛行機用の変換プラグ(イヤホンの標準付属品)を持ってきていることを思い出しました
もしかすると、変換プラグのケースに延長コード入れていたかもしれない と思ったら、延長コードも入れておりました

さっそく、延長コードを介して愛用のイヤホンを繋げると、やはり、が備え付けのヘッドホンとは全然違う

私、機内ではもっぱらJAL名人会を聴いておりまして、1月の番組帰省Uターンの際に聴いてしまっていて、同じのをもう1回聴くか… と思ったら、ボーイング787のオーディオ/ビデオサービスでは、前月の番組も聴ける
しかも、聴きたいところを選べるってんですから、便利な世の中になったもんですな…

ただ、何を聴いているのか、デカいディスプレイデカデカと表示されているので、ちょっと気恥ずかしい感じがなきにしもあらず…。
もっとも、見られて恥ずかしい番組があるはずもありませんけど

   

オーディオ/ビデオサービスと共に私を驚かせた ボーイング787の機能は、こちらのスイッチ

窓の下についているこのスイッチ、下の黒い半円部分を押すと、窓がちょいと暗くなり、上の白い半円部分を押すと、窓がちょいと明るくなります

気がつくと、このにはブラインド無く、このスイッチで窓の明るさを調整するのです

ブラインド式だと、機外の景色は「All or Nothing」二択なのに、この方式だと、直射日光を和らげつつ、景色楽しめます
おそらく液晶を使っていると想像しますが、これは素晴らしい機能、というか、素晴らしいサービスだと思います

おかげで、を飛ぶ飛行機を見つけられて、

できたての飛行機雲愛でることができました。

もっとのんびりボーイング787のフライトを楽しみたいところでしたが、羽田⇒伊丹のフライトは1時間もかかりませんので、じきに、約2時間後には出撃する大阪城公園が見えてきました。

そして、この数分後には、ほぼ定刻に、大阪空港着陸したのでありました。

   

大阪空港手荷物を受け取り、バス乗り場に行くと、ほとんど待ち時間無し(=一服する余裕すら無し)新大阪駅行きのバスに乗れました

ここしばらく、大阪では新大阪のホテルを使うことが多いものですから、モノレール&北大阪急行 を使うことがめっきり少なくなったなぁ…

「速い 安い 快適の三拍子が揃った新大阪駅行きのバスは、ほぼ予定どおり、30分弱新大阪駅に到着し、私は、直ちに、駅近くのホテルチェックインしました。

ホテルの自室で旅装をとき(ってほどの「旅装」でもありませんが…)、30分ほど休憩すると、大阪城ホール出撃

そして、大阪駅で電車を乗り換え、30分もかからずに大阪城公園駅に到着しました。

大阪城ホールでの「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」初日のことはこちらで書きましたので、これで旅行記本編初日分は、波乱もなく、これでおしまいです。

つづき:2020/01/30 2020年最初の関西旅行記 #2-1

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2020年最初の関西旅行 4日目(最終日)ダイジェスト

2020-01-28 21:32:38 | 旅行記

心配した首都圏降雪は大事に至らず、私は17:20頃無事に自宅帰着しました。

つきましては、3日目につづき、きょう、4日目(=最終日)旅行記ダイジェストです。

きょうの行程は、

ホテル⇒徒歩京都駅前市バス博物館三十三間堂京都国立博物館(京博)⇒徒歩養源院蓮華王院南大門後白河天皇法住寺陵博物館三十三間堂前市バス京都駅前京都駅前地下街(&) ⇒京都駅東海道新幹線東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

というもので、きょうの観光は、バス停「博物館三十三間堂前」界隈のワンポイントでした。

状況によっては、高校の修学旅行以来新京極界隈とか、まだ行ったことのない錦市場にも行ってみたいと思っていたのですが、思いのほか京博じっくりと見物したことと、まったく思いつきで拝観した養源院思いがけない美術作品その他と巡り逢えて、結局、京都市内での移動は、京都駅前⇔博物館三十三間堂往復だけになってしまいました。

   

まず、京博では、

「京博のお正月」と銘打ち、平常展に加えて、「子(ね)づくし-干支を愛でる-」「京都御所障壁画 紫宸殿」「神像と獅子・狛犬」3つ特集展示が行われておりまして、獅子・狛犬好きの私にとっては、めちゃくちゃ盛り上がれる展示でした。

「ん? 獅子・狛犬絡みって、『神像と獅子・狛犬』だけじゃないの?」とお考えのアナタ、それは甘い

「京都御所障壁画 紫宸殿」で展示されていた寛政4(1792)年製賢聖障子(けんじょうのしょうじ/そうじ)(by 住吉廣行)は 、賢臣32人に加えて「獅子・狛犬」も描かれているのですよ

その「賢聖障子」、平安時代以降、御所紫宸殿で、高御座の後方に立てられているという由緒ある「絵」なんですが、現在の京都御所の紫宸殿にあるのは、この「寛政の賢聖障子」をベースとした「昭和の模写」なんだとか。

一方、「神像と獅子・狛犬」の展示でほげぇ~ となったのは、地元・八坂神社獅子・狛犬(重文)でした。
鎌倉時代(13世紀)の作品、湛慶の作品と目されるのだとかで、玉眼の生々しさと迫力が、「私がお守りするという獅子・狛犬意思を伝えるようで、素晴らしいものでした

「子(ね)づくし-干支を愛でる-」のことほかは、旅行記本編で触れることにいたしまして、京博前庭に移動して一服

前庭ではウメが咲き、クール芳香を放っていました。

   

さて、次はどこに行こうか と考える中で、超久しぶりに、京博の向かいにある蓮華王院(三十三間堂)を拝観しようと思い立ちました。
そして、七条通を渡り、三十三間堂の入口まで行ったところで、そういえば、元々は方広寺南大門として建てられたと聞く、蓮華王院南大門を観たことがなかったことに気づき、三十三間堂拝観入口通り過ぎて南へ…。

と、こんな説明板が目に止まりました。

桃山御殿 血天井
 俵屋宗達
  杉戸絵(白象・唐獅子)
  襖絵(松図)

と、かなりインパクトのある言葉たちではありませんか
もう一枚の説明板によると、

養源院
元天台宗(現在は浄土真宗遣迎院派)の寺院で、豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の菩提を弔うため、文禄3年(1594)成伯法印(長政の従弟)を開山として建立された。ほどなく焼失したが、元和7年(1621)淀殿の妹で徳川秀忠夫人お江(崇源院)が血天井等伏見城の遺構を用いて再建された。(中略)
客殿(本堂)・護摩堂・鐘楼堂・中門は国の重要文化財。客殿は重厚な玄関と上段の間を備えた豪壮な方丈建築であり、堂内を飾る障壁画のうち俵屋宗達筆の「松図」襖絵「唐獅子・白象・浪に麒麟図」杉戸絵は国の重要文化財に指定されている優品である。

ですって

京都「豊臣」象徴する方広寺の参道に面した場所に、淀殿が建立し、豊臣家滅亡後に、淀殿の妹・お江が再建、それも、関ヶ原の戦い直前に石田三成勢の攻撃で落ちた伏見城遺構を用いて建てたというのは尋常じゃありません
加えて、あろうか、俵屋宗達の障壁画

これは見逃すわけにはいきません

ということで、一見、二条城二の丸御殿に似た風情の養源院を拝観しました。

懇切丁寧な解説を聞きながら、俵屋宗達の障壁画や(拝見して、あぁ、あの絵だ となりました)伏見城自刃した徳川勢の武将血の跡が残る天井を拝見して、行き当たりばったりの観光の醍醐味を味わいました。

このあと、蓮華王院南大門(デカい)と、

それに連なる太閤塀(丸瓦には豊臣家「五七桐紋」)を見学したあと

これまた「奇遇だった後白河天皇法住寺陵(養源院のお隣)を見学すると、

時刻は既に12:30過ぎ
指定席をとっている帰りの新幹線の発車時刻まで1時間半くらいしか残っていません

昼食を摂る時間を考えれば、今回の京都観光ここで打ち止めだろう…と、七条通りにある三十三間堂博物館前バス停に向かいました。

そして、ちょうど良いタイミングでやって来た(実際はちょっと走った) バスに乗って京都駅に戻り、地下街で昼食をいただきました。

そして、最近の京都からの帰りにはパターン化している551蓬莱豚まんを買い、東海道新幹線に乗車。

数日前から報道機関アラームを鳴らし続けていた首都圏の雪は大したことはなく、私が乗った新幹線定刻に東京駅に到着し、私は在来線を乗り継いで、無事に自宅に帰着できたのでありました

めでたしめでたし…。

ということで、旅行記ダイジェストです。

旅行記本編:2020/01/29 2020年最初の関西旅行記 #1
旅行記本編(4日目)2020/02/13 2020年最初の関西旅行記 #4-1 

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2020年最初の関西旅行 3日目ダイジェスト

2020-01-27 19:38:03 | 旅行記

一昨日から関西に来ているのですが、なぜかダイジェストは、きょう3日目から始まります。

今回の関西旅行、当初は2泊3日で、きょうには帰宅するつもりだったのですが、せっかく関西まで行くんだし、もう1泊して観光しよう と思い立ち、今夜は京都に泊まって、あす帰宅します。もちろん、の具合にもよりますけど…。

さて、例によって行程から。

ホテル(大阪)⇒徒歩新大阪駅JR京都線京都駅⇒徒歩ホテル(京都)⇒徒歩京都駅JR奈良線宇治駅⇒徒歩平等院⇒徒歩(昼食)宇治駅 JR奈良線京都駅⇒徒歩本願寺伝道院⇒徒歩ホテル

ご覧のとおり、きょうの観光スポットは、平等院本願寺伝道院2か所のみでした。
「世界遺産 平等院」は判るにしても、「本願寺伝道院」って何よ? とお考えの方もいらっしゃることでしょうけれど、2週間前の記事「博物館と美術館に初もうで (後編)」で、

そうだ 今月末「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」大阪公演への遠征のときに行ってみよう

宣言しているわけでして、それを雨模様にもかかわらず律儀遂行した次第です。

   

さて、新大阪駅うまい具合にやって来た新快速 野州行きに乗り、

ノンストップ京都駅に到着した私は、そのまま宿泊予定のホテルに行き、荷物を預けると、コンビニビニール傘を購入しました。
折り畳み傘は持ってきてはいるのですが、非常用として使うのはともかくも、まともな雨が予想され、さらに風も強いらしいと聞いていたこともありましたので。
思い起こせば、約9年前の京都旅行のときも、京都駅ナカのコンビニビニール傘を買い、そのビニール傘去年まで現役を務めておりました。(基本的に物持ちが良いのです、私は。)

それはともかく、身軽になった私は京都駅に戻り、いざ 初めて平等院

乗ったのは各駅停車(宇治駅で後発のみやこ路快速を待ち合わせ)で、国内では絶滅危惧種うぐいす色103系車両でした。
かつて埼京線でも山手線お下がりとして走っていた103系ゴトゴトとクッションの効かない走りが、なんか懐かしかったな…

おっと、こんなペースではダイジェストになりませんので、一気に平等院に跳びます

   

拝観料600円をお支払いし、表門をくぐると、すぐに鳳凰堂「横顔」が見えてきました。

あれれぇ~、キレイ
正面に廻っても、

あれれぇ~、キレイ
とても約960年前に建てられたとは思えない鮮やかさ&華やかさです

ただ、阿字池の水を抜いての整備作業が行われていて、ちょっと臭う

初めて平等院鳳凰堂を拝見して、いろいろ思ったり考えたりしたのですが、それは旅行記本編に廻すことといたしまして、この平等院でも、観光地ではありがちなことながら、耳に入ってくるのは中国語ばかり
平日ですから、一層、外国人比率が高まるのでしょうけれど、冗談ではなく、私以外に日本人はいるのか? と思ったくらいです。

ところが、宝物館の鳳翔館に入ると、状況は一変して、聞こえてくるのは日本語の会話がほとんどでした
どうやら中国の人たちは、写真撮られないとなるとおとなしくなるみたい…

その仮説はさておいて、鳳翔館の展示には驚きました

一般的に、寺社の宝物館の展示というものは、期待ハズレが多いものですが、鳳翔館例外でした
ただお宝の現物を保存&展示しているのではなく、創建時の復元を試みたり、鳳凰堂の内壁で舞っている雲中供養菩薩たち(総勢50名以上のバンド&ダンサー)が手にしている楽器の解説をしていたりと、野心的で、意欲的で、画期的で、啓蒙的で、素晴らしい展示だと思いました。

しかも、この展示を、拝観料だけで拝見できるなんて、なんと太っ腹なんでしょ、平等院

その中でも、鳳凰堂内部の彩色再現した展示室は、一歩足を踏み込んだとたんに、を見開き、をほわぁ~~と開けてしまう見事さ
私のちょっと後に入室してきたおばちゃんなんかは、

あらあら、凄い
あらあら、凄い
あらあら、凄い

リフレイン3回で、MISIAのライヴでもこんな聴衆がいたりするなぁ…と思ったりして

普通の順路だと、「表門⇒鳳凰堂内部(300の追加)⇒鳳凰堂の正面⇒鳳翔館⇒鳳凰堂の裏側⇒表門」となるかと思いますが、

私は「表門⇒鳳凰堂の正面⇒鳳翔館」の順路で鳳翔館満喫したのち、「いつかは内部も拝観したいを込めながら養林庵書院外観を眺めた上で、

鳳凰堂の内部を拝観しました。
そして、意図したわけではなかったのに、この順番大正解

鳳翔館で、創建時の鳳凰堂内部の「極楽浄土ぶり」を垣間見たあと、現在の鳳凰堂内部を拝見する体験は、映画「タイタニック」往時⇔現状を往復するシーン彷彿とさせるようで、かなりお薦めです。

そうそう、鳳凰堂内部の説明を聞いて、「そういえばそうだと思ったのは、

平等院鳳凰堂は、1万円札10円玉にフィーチャーされているということ
同じ文化財が、2種類の紙幣・硬貨図柄に使われているって、凄くないですか? (1万円札に描かれている鳳凰のうなじに宝珠がついていて、その宝珠に火焔がついていない[=欠損してる] のは、平等院鳳凰堂の鳳凰の特徴)

   

ここでまた話が跳びまして、もうひとつのきょうの観光スポット本願寺伝道院は、西本願寺のすぐ近くにあります。

本願寺伝道院は、約9年前の京都旅行の際、たまたま近くを通りかかって、ほげぇ~となった建物で、当時は補修工事中でした(記事はこちら)
約9年前、こんなだった霊獣たちは、

今、どうしているか見届けよう というのが今回の目的です。

そして、本願寺伝道院では、、、、

いますぅ~~ (上の写真は西側の道路沿い)
北側の道路沿いにも、

通用口(?)脇にも、

そして、正面入口の両側にも、

いますぅ~~

降りしきるもなんのその、夢中写真を撮りまくりました。

このように、平等院本願寺伝道院も、期待以上満足を私に与えて下さったのでございました。

   

さて、明日はどこに行きましょうかね…

いや、それよりも、今夜から首都圏降雪が予想される中、予定どおり帰宅できるのでしょうか
もっとも、帰れなければ、明日帰れなくてもイイ、と半ば開き直っているのではありますが…

【追記】ドタバタと記事を書いてアップしたせいか、かなり不細工な記述がいくつも目につきましたので、一部修正いたしました。(2020/01/27 23:32)

つづき:2020/01/28 2020年最初の関西旅行 4日目(最終日)ダイジェスト
旅行記本編:2020/02/04 2020年最初の関西旅行記 #3-1 

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MISIA SJBBO S&T 大阪2日目のこと

2020-01-26 22:05:17 | MISIA

「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender(以下、SJBBO)大阪公演2日目に行ってきました。

先ほど、

私のTweet

Tweetしましたように、ネタバレ既視感も無い記事を書くのは、かなり難しそうですが、チャレンジしてみることにします。

   

昨夜は、「大阪初日のこと」に書いたように、

MISIAの姿を両目で捉えることができたのはほとんど無く片目でもチラ見程度でした

という、最悪座席運(「音」は別)うんざりさせられたわけですが、今夜は、

と、大満足
ほとんど全編にわたって、MISIAのお姿両目しっか拝見することができました

   

一方、今夜のセットリストは、基本的には、

曲順は別として、MISIAが今夜歌った曲は、「MISIA SOUL JAZZ BEST 2020」ほぼほぼ重なっておりました。

という昨夜と同じで、1曲だけ、出入りがありました。
どちらも好きな曲だけに、両日、2曲とも聴きたかったな…

例によって、Excel大阪 2 daysセットリストを作りましたので、載せます。
もちろん、見たい人が、意思を持ってクリックしたら見られるようにしました。

それにしても、MISIAMCで言っていましたが、Big BandをバックにしたVocalアリーナ級の会場で聴くことなんてそうそう無いし、ファンを除けば、生のBig Bigを聴くこと自体、滅多にないっつうか、まず無いことで、レアな体験ができたと思っています。
しかも、あの高レベル「音楽で楽しむことができたなんて、こんな贅沢があって良いのか でした

いや、もう、なんだったんだろ、あれは? 現実だったのか? と疑うような「Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender」でしたよ、ホント…

来週の横浜公演から参加される方、期待して大丈夫ですよ
いや、期待斜め上を行く可能性が高いとすら思っています
お楽しみにぃ~

コメント (1)
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MISIA SJBBO S&T 大阪初日のこと

2020-01-25 22:12:44 | MISIA

大阪に来ております。(←ブラタモリ風?)

言わずとしれた、Misia Soul Jazz Big Band Orchestra Sweet & Tender (以下、SJBBOと略します)」大阪公演 2 daysへの遠征でございまして、初日を終え、そして串カツのディナーを終え、ホテルの部屋で一息ついているところ。

ツアーが終わるまではネタバレを書かないのを身上としているこのブログですので、極力ネタバレにならないよう細心の注意を払いつつ、今夜のことを書きたいと思っています。

が、しかし、先週、NEW アルバム「MISIA SOUL JAZZ BEST 2020が発売されたばかりですし、ツアーのタイトルに「Misia Soul Jazz」の文言が入っていますので、「New Albumを引っさげての 4 days となるのは自明のことかと思われます。
実際、曲順は別として、MISIAが今夜歌った曲は、「MISIA SOUL JAZZ BEST 2020ほぼほぼ重なっておりました。
ここで「ほぼほぼ」という表現を使ったのは、まさに「ほぼほぼ」重なっていたわけでして、その辺りがビミョー なところでございます

   

さて、今夜の私の席は、右に載せた電子チケットからも察せられますとおり、アリーナの、前後でいえば「真ん中よりちょい後ろ」左右でいえば「ド真ん中でした。
正直申し上げてこの席ビジュアル的には最悪に近い席でした。
というのも、とステージ上のMISIAとの間には、約40名の頭一直線並んでいる ということに等しく、MISIAの姿を両目で捉えることができたのはほとんど無く片目でもチラ見程度でした
あんな席 よりは、スタンドとか「注釈付きバックステージ席」の方が遙かにイイんじゃないかと思います。

そこで、ある名曲のときは、開き直って、周りが総立ちに近い中、私は座ったまま目を閉じてじっくりと聴かせていただきました
すると、珠玉というか、至高というか、絶品というか、約20年の時を経て、進化しつづけ、熟成されたMISIA歌声堪能できました

この「名曲」に限らず、今夜のMISIAの歌声は、いつもにも増して素晴らしかった
ホイッスルとかロングトーンといったMISIA得意の「飛び道具」も、評判の「声量」ももちろんのこと、とにかく、思うがまま自由自在を操り、そして、聴衆「心のいちばん深い場所に届いて」、聴く人をわしづかみにするMISIAのVocalは、今夜も凄かった…。

あれほどの大編成のBig Bandをバックに、あれほど存在感のある「声」を繰り出すSingerなんて、そうそういるもんじゃありません。
毎度の事ながら、MISIA同時代を生きて、MISIAの生歌を聴ける幸福に浸ることができました。

SJBBOで聴けるのは、残すところ3公演となってしまいましたが楽しみなこと、この上もありません

なんだか、生MISIAを聴くたびに、似たようなことばかりを書いている気がしますが、それほど、毎回新鮮に、驚き楽しんでいるということで、ご理解いただければ幸いです。

つづきのようなもの:2020/01/26 MISIA SJBBO S&T 大阪2日目のこと
旅行記本編(初日):2020/01/29 2020年最初の関西旅行記 #1

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Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-5 (完結編)

2020-01-24 06:30:11 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-4」のつづきです。

まず、河口湖遠征2日目(2019/07/15)ルートマップを載せます。
青い線ホテル()から東海道広重美術館()を経由して、「道の駅 朝霧高原」()で昼食を摂り、河口湖ステラシアター()までのルートで、赤い線がライヴ終了後の帰路です。

   

さて、由比から、来た道をちょいと戻りR1富士市内で左折して新富士駅の近くを通り、西富士道路経由でR139に乗りました。
そして、「道の駅 朝霧高原」で遅い昼食(とんかつ定食)

昼食を摂るだったかだったか忘れましたが、かなりの Bad Newsを入手しました。
河口湖ステラシアターライヴでは、毎度、お隣の町民グラウンド臨時駐車場として開放されているのですが、この夜の「Misia Candle Night Reiwa」では、その臨時駐車場が、のために使えないらしいというのです

そりゃ、ぬかるんだグラウンド大量車両が入ってきたら、凸凹になってしまい、その復旧は複数台の重機が必要になるくらい大変だろうことは想像に難くありませんけれど、いつも町民グラウンドを埋め尽くしている来場者のクルマどこに行く(どこに行かされる)のでしょうか?

もともと私は、終演後に公道に出るまでが大変町民グランドに駐めずに済むよう=河口湖ステラシアター専用駐車場駐められるよう、河口湖ステラシアターには、15:00までに到着するべく行動していましたが、ますますもって、遅れるわけにはいきません

食事後、「道の駅 朝霧高原」で、朝採りだというトウモロコシ(5本で800円)を購入すると(ホットケーキのように売れていました←懐かしい英語の慣用句)

道

いざ、河口湖へ

余裕があれば富士五湖のどこかでも観光しようかと考えていましたが、前述のように、なんとしても専用駐車場駐めなければならない事情が生じましたので、どこにも寄らずR139を走り続けました。
もっとも、天候が悪く、すぐ近くの富士山まったく姿が見えない状態でしたから、もったいないという気持ちも生じませんでした。

逆に、天候が悪いことが奏功したのか、3連休の中日だというのに、R139は、鳴沢村役場あたりでちょっと混んでた以外、スムーズに流れ、もくろみどおり、専用駐車場にクルマを駐めることができました

   

さて、河口湖ステラシアター専用駐車場にクルマを駐めることができたものの、開演までにも、開場までにも、た~っぷりと時間がありますので、例によって富士山世界遺産センターまで散歩しました。

もう3度目ともなれば、最短距離を歩くことが可能な私です

で、富士山世界遺産センターに到着すると、まずは北館2Fカフェ富士山ソフトを味わって、ふ~っと一息。

そして、また山口晃画伯の「冨士北麓参詣曼荼羅」を拝見しよ南館に行こうとしたのですが、、あれ?

  *入場は無料です。
   Admission free.

って書いてありますねぇ…
過去に来たとき(18年8月17年8月)、南館有料(420円)だったけど…

帰宅してから調べたところ、こちらの記事によれば、

入館は(2019年)月まで、北館が無料で、南館は有料だった。指定管理者が変わり、本年度から全館無料となった。

ですと
そして、

南館4月の入館者は12,636人で、前年同月の5,781人に比べて118.6%増北館は54,887人で、前年同月(47,049人)に比べて16.7%の伸びだった。

ですって
それにしても、無料にしてもなお南館の入場者数は北館の1/4未満って、これはどうしたことでしょう?
「南館は有料」という古い情報がネット上に残っているわけですから、山梨県としては「無料化」もっともっと伝えていくしかないのでしょうねぇ
あれだけの施設で閑古鳥が鳴いていたらもったいない
ただ、現在の「どこから観ても、どんな順番で観てもOKのシステムを残しつつも、「お薦め順路」を示した方が、一見(いちげん)の観覧者には親切かもしれないな、と思ったりもします。

それはともかく、お出かけに欠かせない単眼鏡まで使って山口晃「冨士北麓参詣曼荼羅」をしげしげと鑑賞し、他の展示ほどほどに観た私は、来た道を返して河口湖ステラシアターに戻りました。

   

入場待ちのミー友さんたちに会い、いろいろ語り合う中で判ったのは、町民グラウンドが使えなくなったクルマたちは、富士急ハイランドなどの駐車場に案内されているのですと

安くない駐車料金がかかるし、なによりも河口湖ステラシアターから離れているし、ほんと、お気の毒です(もちろん、代わってあげようとは思いませんでしたが…)

   

この夜の「Misia Candle Night Reiwa」のことはダイジェストに書きましたので、大胆割愛させていただいて、帰りの話に跳びます

閉鎖されていた町民グラウンドでは、この夜も煌々ナイター設備が稼働していたものの、すっからかん

Misia Candle Night Reiwa 河口湖2日目終演後

臨時駐車場(町民グラウンド)が使われていいないことから、いつも以上に駐車場から楽々と公道に出て、東富士五湖道路富士吉田ICに向けてクルマを走らせると、富士急ハイランドなどの駐車場に向かっているとおぼしき大勢の人たちが歩道を歩いています
ほんと、心がイタイ

   

大概、河口湖ステラシアターからの帰りは、行楽帰り渋滞に巻き込まれてたいへんな目に逢うものですが(だから2018年8月のMISIA星空のライヴXの時は、御殿場のホテルに泊まり、翌朝、職場に直行しました)、この夜は状況がまるっきり違いました
というのも、前記のとおり、この日は「3連休の中日」でして、東名高速快調に流れていました

そして、

河口湖ステラシアターからの150km2時間で走り抜け、23:00ちょい過ぎには自宅に帰着できました
「3連休初日」だった往路が、自宅から河口湖ステラシアターまで約4時間半を要したこと(「河口湖-1」をご参照方)を思えば、天国と地獄のような(実際、そうでした)違いです
何年か前の河口湖ステラシアターからの帰りでは、「もう夜中だから高井戸IC中央道(この渋滞酷かった)から降りて環八に入ったら、いつもの帰宅ドライブ並みに混んでいて「午前様なりましたっけねぇ…

ということで、河口湖遠征記完結です。

このシリーズのタイトルが「河口湖-n」となっているのは、翌週「Misia Canlde Night Reiwa」いわき遠征記書くかもしれない と思ったからなのですが、「いわき編」ございませんので、あしからず…
いわきの件は、ダイジェストだけでご勘弁くださいませ。

ふぅ~
明日からの関西旅行を前に、懸案だった書きかけの旅行記を書き終わった…

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Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-4

2020-01-23 09:07:05 | 旅行記/美術館・博物館・アート

5カ月半沈黙を破って、「Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-3」のつづきです。

あまりにが空きましたので、まずは「河口湖-3」のダイジェストを…

Misia Candle Night Reiwa河口湖ステラシアター公演(19/07/14-15)に遠征してきた私の2日目は、長泉のホテルを時間ギリギリにチェックアウトし、天候が冴えないなか、どこを見物して(時間をつぶして) 15:00頃河口湖に到着すれば良いのだろうかと考えながら、とりあえずクルマ西に走らせ、沼津市内でR246からR1に入り、更に西へ…。
そして、「原」という地名標識を目にして、たしか歌川広重の名前を冠した美術館があったはず と気づいた私は、R1から横道に入ってクルマを停め、スマホクルマのナビ検索。清水の手前、由比宿跡に「静岡市東海道広重美術館」があることが判り、それを目的地にセットして、更に西にクルマを走らせたのでありました。

   

そして、到着しました、「静岡市東海道広重美術館」

「静岡市東海道広重美術館」「由比本陣公園」に中にありまして、この門は由比本陣公園の入口です。

門を入ると、芝生が広がっていて、高札が立っていました。

高札を転記しますと、

本陣とは、江戸幕府の政策により参勤交代を義務付けられた大名等の身分の高い人物とその家来が休伯するための施設です。また、その管理をする役職のことを本陣職と呼び、苗字の使用や帯刀を許された地元の名士に世襲で受け継がれ、由比本陣においては由比家がその職を勤めました。
かつての由比本陣には、現在と同じ敷地の中に大名等の宿泊に使用された母屋や明治天皇がご小休された離れ館、徳川家康公お手植えの松といった由緒ある史跡がありました。
現在の本陣内では、表門木塀馬の水呑み場等のほか、記念館「御幸亭」において、先の離れ館の内部を再現しています。

とな。
でも、今回は、東海道広重美術館だけ拝見することにしまして、いざ入館

この日、東海道広重美術館では「浮世絵に見る意匠(デザイン)の世界」が開催中でした。(右に載せたフライヤーは、地に古来の文様が何種類もあしらわれていて、かなりイケています)

この企画展は、

浮世絵版画の背景人物の衣装には、直線や曲線で構成される幾何学模様連続模様身近な植物や伝説上の動物を題材にしたものなど、多種多様なモチーフがデザインされています。本展では浮世絵版画の中に見ることができる、様々な意匠(デザイン)をご紹介いたします。

というもの。

考えてみれば、浮世絵版画を観るとき、背景の地紋とか人物の衣装注目したことなんてなかったよなぁ~ なんて思いながら、懇切丁寧な説明を読みつつ浮世絵版画を観ると、これまで半分も浮世絵版画を楽しんでいなかったんじゃなかろうかと反省してしまいました。

改めて、衣装の柄に注目してみると、女性の着物を例にすれば、歌麿引き出しの多さには驚嘆します。
彼の場合、お遊びにかかった費用は、必要経費として認めてあげてもいいんじゃないかと思ったりもして…。

とにかく、へぇ~ ほぉ~ 連発だったんですが、残念だったのは、図録なかったこと。
もしこの企画展の図録があれば、「江戸時代の意匠」の参考書として重宝しただろうにな…

   

東海道広重美術館を観終わり、駐車場に向かって旧東海道を歩いて行くと、

魚屋さんの店頭に、見慣れない名詞を発見

「イルカのすまし」ですと?
イルカって、あのイルカ?

この時は確認のしようもなく、あとで調べてみると「イルカのすまし」とは、イルカ背びれをスライスして塩ゆでしたものらしく、蒲原・由比地区のソウルフード的な存在みたい…。
こちらのサイトで写真を見たところ、わがふるさとのソウルフードくじらかやきに使う塩クジラを薄くカットした感じ。

こうして、12:30頃、クルマに戻り、河口湖に向けて出発

つづきは「河口湖-5」で。

つづき:2020/01/24 「Misia Candle Night Reiwa 遠征記 河口湖-5 (完結編)」

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いつも赤信号な交差点 総集編 (後半)

2020-01-22 08:39:20 | タウンウオッチング

7年間にわたる職場からの帰宅ドライブの走行記録をふり返る「いつも赤信号な交差点 総集編 (前半)」のつづきです。

本題に入る前に、2014年8月に書いた記事「事実、練馬は暑い」を紹介させてください。
この記事は、真夏の帰宅ドライブの中で、

勤務先から横浜市内の区間(町田市も含む)が一番気温が低くて、川崎市に入るとちょいと上がり、都内は北上するに従ってどんどん暑くなり、荒川を渡って埼玉県内に入るとちょっとだけ気温が下がる

というイメージを抱き、実際はどうなのだろうか? と、いつもの赤信号のメモに加えて、クルマの車内に表示される外気温もメモして整理した「力作です。
その結果は、私のイメージ裏付けるものとなったのですが、それにしても、夜の21:00頃だというのに34℃にもなる東京の暑さに辟易したものです。

   

さて、私は、帰宅ルートのうち、R246区間(東名入口~瀬田:20km)環八区間(瀬田~観蔵院入口:13.4km)笹目通り区間(観蔵院入口~笹目橋:8.0km)のそれぞれの走行に要した時間メモしていました。

そして、各区間の平均値からの分布具合をグラフにしてみたところ、

走行時間分布

R246笹目通りはいわゆる「釣り鐘状」ですが、環八はかなりいびつ
要は、R246笹目通りの走破時間はある程度読めるけれど、環八まったく読めないということです。

でも、このグラフを見るだけでは、具体的なイメージが沸きづらいと思いますので、データを載せておきましょう。
また、走破時間から平均速度も算出してみました。

走破時間と平均速度

予期しない事故工事があると、迂回する余地もなく渋滞に嵌まってしまうものですが、25分程度で通過できると見込んでいた環八で、40~50分かかるのはザラ1時間半以上かかった2017年3月17日には、川南を先頭にした自然渋滞環八船橋まで5km以上続いておりました
こんなときは首都高速大渋滞になっているのが常ですので、こちらとしては、高井戸からR20⇒環七ルートに抜けるか、渋滞に身を委ねるか、迷ったものでした。

   

「いつも赤信号な交差点」シリーズでは、走破時間季節変動はあるのか?四半期ベースで何度か検討しました(例えば2019年3Q)
その総括として、四半期ではなく、月別走破時間と平均速度を見てみよう と「分析」してみました。

まず3区間それぞれに、毎月の平均速度をグラフにしてみたのですが、例えば環八の場合は、

環八の走破時間

なんとなく3月と8月の凹みが判りますが、R246はまだしも、

R246の走破時間

笹目通りは、もうグチャグチャで、かえって判りづらい…

笹目通りの走破時間

そこで、年別はやめて毎年同月の平均値でグラフを作ってみました。

月別平均走行速度

おぉ
情報量減ったけれど、逆に笹目通りには季節変動がほとんどないこと、R246と環八には季節変動があって環八はそれが極端なことがよく見えます

更に、3区間平均走破時間をたしあげて、月毎の違いを見てみますと、

月別の3区間平均走破時間合計

おぉ (2回目)
年末や年度末よりも夏休み渋滞酷いことがよく判ります
そして、意外なことに、12月より11月の方が時間がかかるんだ

クルマ通勤終えた今になってこうしたことが判っても大きな効用があるわけではありませんけれど、なんだか達成感を感じている私でございます。

ということで、良い気分「いつも赤信号な交差点」シリーズ幕を下ろします
長い間、おつきあいありがとうございました

 もちろん、このブログは続きますよ

コメント (2)
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