新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

本宅のBlu-rayレコーダーをちょっと整理

2022-01-31 13:25:08 | 日記・エッセイ・コラム

本宅にある2台のBlu-rayレコーダーは、宅内LANを介してネットに繋いでいます。ネットに繋ぐことで、こちらのサイトを通じて、本宅内のPCからだけでなく、外出先からも別邸からも録画予約できるようになっています。
ちなみに、別邸のBlu-rayレコーダーは、別邸のネット環境が、スマホのテザリング頼りなので、スタンドアローン

さて、先日、2台のうち古い方のレコーダーが、何の前兆もなく、ネットに繋がらなくなってしまいました
レコーダーの初期設定画面を開いて、ネットへの再接続を試みようとしたところ、ちゃんと宅内LANには繋がっている それでいて、外部には繋がっていないというわけのわからなさ
古い方と同じHUBと有線で繋いでいる新しい方のレコーダーは、いつもどおりネットに繋がっていて、専用サイトを通じて録画予約できます。
買ってから6年半ですから、新しくはないけれど、そんな古くはないのに故障???

幸いにも、翌日にはこの症状が、レコーダーの故障ではなくシステム側の問題であることが判って、無事に復旧しました。

結局、この障害は大事に至ることはありませんでしたが、ふと不安に思ったのは、レコーダーの内蔵HDD外付けHDD録りだめた番組のこと…。
Blu-rayレコーダーを買い替えた場合、HDDの中身は、Panasonic製品の場合、LANケーブルで繋ぐことでダビングすることは可能(但し、新レコーダーに引っ越した番組は「コピーワンス」になってしまうらしい)
でも、HDDがある日突然クラッシュすることはあり得ないことではありません。私はPC用の外付けHDD2度経験しました
HDDのクラッシュの被害を最小限にとどめるには、頻繁にバックアップするしかないわけで、特にお気に入りの番組はBDダビングしています。
例えば、日曜美術館とかブラタモリとか…。

でも、HDDに入れたまま、BD(?)していない番組の方がはるかに多いわけで、今回のできごとをきっかけに、BDへのダビングに精を出しました。

まずは、全編(41回)録画していた(選挙テロップ回避のため、ソースはBSP)「青天を衝け」
片面2層ディスク(50GB)で6になりました。

また、2週間前に出かけてきた京都のお寺を扱った「京都の大宇宙 東寺」「三十三間堂 国宝大移動~激動の世に捧ぐ祈り~」の2本と、去年放映された「千三百年祈り続ける~お水取り・東大寺修二会~」4K放送3本を纏めて1にダビングしました。
これらの番組は、とりあえずHDDには残しておいて、BDは別邸に持ち帰って保存する予定です。

   

ところで、昨年12月「HAPPYクリスマスおもちゃ屋MISIA [完全版]」を視聴&録画するつもりで、CS日テレプラスに加入しました。
日テレプラスの番組表を眺めたところ、この番組以外には私の食指が動く番組は皆無で、3回にわたる「HAPPYクリスマスおもちゃ屋MISIA [完全版]」の放送が終わったら、さっさと解約するつもりだったのですが、偶然見つけたのが、「ミス・シャーロック」一挙放送でした
竹内結子さん主演のこのhuluオリジナル作品「ミス・シャーロック」とても気になる番組でしたが、地上波では全8話のうち2本が放映されただけで、しかもそれを見逃したという…
それが1月29日夜から翌30日朝にかけて一挙放送とは
ありがたいことに、月をまたぐこともない
ということで、しっかと録画して、BDにダビングして(コピーワンス)、そして、さっさと日テレプラス契約を解除いたしました
あ、もちろん「HAPPYクリスマスおもちゃ屋MISIA [完全版]」は、一昨年と昨年の地上波版と一緒に1枚のBDにダビングしました。

一昨年の[完全版] (huluで視た) は日テレプラスで放映しないのでしょうかねぇ… 

ということで、「約1年ぶりの関西旅行記」シリーズ再開したい気持ちはさらさらながら、いろいろと多忙な日々を送る私でございます。
まだBDにダビングしておきたい作品もたっぷりありますし…。

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「MISIA星空のライヴ」京都公演のことなど

2022-01-24 21:02:37 | MISIA

「約1年ぶりの関西旅行記」シリーズを再開させようかと思ったのですが、まだ記憶が新しいうちに、先週の京都旅行メインだったMISIA星空のライヴ Across The Universe京都公演のことを書いておきます。

私が参加した1月16日2 Stagesでは、MISIA昨年末の歌合戦裏話語り尽くす感じで、こりゃネタバレになるからブログで書けないなぁ と思っていたところ、その日の「MISIA星空のラジオ -Sunday Sunset-」でもしっかりと語ってくれましたので、これは「公知の事実」ということで、気がになりました

とはいえ、セットリストは例によって、見る意思をお持ちの方だけが見られるようにしておきます。

私にとってMISIAの京都公演参戦は、2011年3月19日に予定されていた「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」東日本大震災中止 (記事) になって以降、ご縁がまったくなく、苦節11年を経て実現したもの。
と、ずっと思っていたら、MISIAによると、京都での公演自体が、2011年6月の代替公演以来なのですと

この間、大阪・神戸はもちろんのこと、お隣の大津とか奈良でも3公演づつ開催されていたのに、11年空白があったなんて、京都の人不憫

さて、昨年末の歌合戦のことはこちらの記事で、

でも、でも、でも、やはり、「明日へ」ショート ver.にして別の曲につなげるのは、あんまり良くない と思いました。
MISIAの歌唱曲が「明日へ 2021」と決まった時点では、藤井風紅白出演が未定だったのかな?
それとも、藤井風の紅白出演も、「岡山の実家⇒国フォ 瞬間移動」のサプライズも、「MISIA feat. 藤井風」のサプライズ共演も、全部はじめから仕込んだ上での「明日へ 2021」だったのかなぁ 

などと書きましたが、実際は、

MISIAははじめから「明日へ」と「Higher Love」のメドレーを歌うつもりで楽曲名を「明日へ 2021」とした [この時点で藤井さんの紅白出演は不明だった]
ライヴで「Higer Love」を聴く聴衆の反応をみて、12月12日の東京公演 1st Stage (私も行った) 後、藤井さん宛に「勢いで「紅白ではこういう思いで歌いますよ」と手紙を書いた
藤井さんからはすぐに「できるカタチでお役に立ちたい」という返信があった
紅白でのコラボはシークレットで、情報が漏れないよう、リハーサルは当日の朝に行った
藤井さんをコーラスにとどめたくなくて、音量upをNHKに直接お願いした
ビッグバンドのバランス調整もいろいろNHKにお願い(指示)した

という経緯だったのですと

さらに、有線マイクを使ったのはライヴに出かけた矢沢永吉さんにインスパイアされたためだとか(2018年の紅白で有線マイクをつかったのはなぜ?)、歌い終わったらマイクのケーブルが足に絡まって身動きが難しくなったとか…。

とりわけ面白かったのが、エンディングで出演者がステージ上にそろったときの話で、MISIAの左に立った藤井さんは「若いだけあって、お顔がキレイに立った福山雅治さんは「50歳過ぎなのに、お顔がキレイ 毛穴がない、さらに後ろ細川たかしさんは「お肌がつやっつやで、MISIAが思い至ったのは、「声の調子は、顔のお肌に出る」ということで、ここで「おことば」を賜りました。

   

最後にちょっとだけネタバレぎりぎりのお話。

私が参加した 2 Stagesでは、たまにしか聴けない大好物「あ」の曲2回も聴けて、私は落涙一歩手前でした
そして驚いたのは、「あ」の曲が、紅白で歌う曲の候補にもなっていたというお話
でも、「あ」の曲をあの攻めたアレンジで歌うのは、紅白の大トリではどうだったろうかとも思うのです。

MISIA「対抗戦ではあるけれど、ベテランの方が中心なって、紅も白もなく、みんなで盛り上げていこうという歌合戦の舞台裏に魅了されている気配ですから、今年以降も紅白に出演する気配濃厚です。
ここは、しばり風当たりもきつそうな「3年連続大トリ」ではなく、もうちょい緩い順番思いっきりのパフォーマンスをして欲しいなと思うきょうこのごろです。

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今年最初の京都遠征ダイジェスト #3 [終]

2022-01-18 22:55:06 | 旅行記

「今年最初の京都遠征ダイジェスト #2」のつづき、京都遠征ダイジェストの最終回です。

きょうの夕方、2泊3日の京都遠征を無事に終えて、自宅に帰ってきました。

今朝の記事(#2) で、

きのう断念した東福寺へは、きょうの午前中に行ってみるつもりです。

なんて書いたのですが、諸般の事情を鑑みて、結局、きょうも東福寺には行きませんでした
この「諸般の事情」はおいおい書くとしまして、きょうの行程から。

ホテル⇒徒歩京都駅JR奈良線稲荷駅⇒徒歩伏見稲荷大社(本殿⇒千本鳥居⇒稲荷山⇒本殿)⇒徒歩稲荷駅JR奈良線京都駅京都駅八条口リムジンバス伊丹空港飛行機羽田空港東京モノレール浜松町駅京浜東北線南浦和駅武蔵野線最寄り駅⇒徒歩自宅

今回の京都遠征、往路新幹線でしたが、復路飛行機にしました。
飛行機の方が1,500円ほど安かったですし。
で、京都駅前(八条口)から伊丹空港までリムジンバスを使うと、12:40頃の便に乗れば、まぁ、余裕で間に合うということで、ホテルをチェックアウトすると、京都駅八条口一番東にあるコインロッカーに荷物を放り込んで、最終日の行動を開始しました。

この時点では東福寺行く気満々だったのですが、考えてみれば、JR奈良線に乗ると、京都駅東福寺駅で、その次稲荷駅で、伏見稲荷大社の門前駅です。
実は私、東福寺だけでなく伏見稲荷大社にもお参りしたことがありませんで、こうなったら、伏見稲荷大社と東福寺をハシゴする手があるではないか と思い立ったのでありました。

   

京都駅を出発した電車は、たった5分稲荷駅 (よくよく考えれば大胆な駅名)に着き、駅を出ればすぐ目の前

住吉大社南海・住吉大社駅から目と鼻の先でしたが(記事)伏見稲荷大社もっともっと近い なにせ、一方通行の狭い道を渡ればこの大鳥居なんですから

さて、私が幼少期を過ごした家のすぐ近くに小さな「お稲荷さん」がありました。そこの家とは、その辺り一帯の家庭と同様に、親戚づきあいみたいな関係で、私にとって馴染み深い存在だったのですが、そもそも「お稲荷さん」ってどんな神様???? 
判らない… 
関八州の稲荷の総元締めだという王子稲荷にお参りした記事(こちら)でも、まったく触れずじまいでした。
「キツネさん=お稲荷さん」ではなくキツネはお稲荷さんの「お使い」だということくらいしか知りません
ま、その辺は、旅行記本編で書きたいと思います

で、豊臣秀吉「再興したという壮麗楼門をしげしげと眺め

そしてくぐり、本殿にお参りしました。

そしてそして、伏見稲荷大社に来たからには、忘れちゃならないのは「千本鳥居」なわけで、案内板に沿って、鳥居の群れの中に突入
このとき、時刻は9:43  で、余裕ありまくり

コロナ禍前、インバウンドが盛んだった頃は、外国人旅行者殺到していたと聞く「千本鳥居」ですが、時節がら、聞こえてくることばは日本語 onlyでした。
平日にもかかわらず、けっこう参拝客がいらっしゃったなぁって感じ。

それはそうと、この鳥居密度の高さときたら、隙間なくビッシリ と立ち並んでいます。

そして気づいたのは、それぞれの鳥居に書かれている寄進年月の意外なほどの新しさでした。
平成後期~令和に立てられた鳥居が大半です
どうやって「入れ替えをしているのだろうかと不思議に思ったのですが、ズンズンと進むうちに、平成20年以前に立てられた鳥居少ないこと、あったとしても、朽ちる途中であることが判ってきました。
つまり、標準的な鳥居の場合、寿命は15年程度で、朽ちて倒壊の恐れが出てくれば、即座に撤去されて、その場所は新たな鳥居の寄進者に譲られるのではなかろうかと想像するわけで…

などと観察しつつ、考察しつつ歩を進めるうち、私はどこまで先に進むのだろうか? と我に返りました

ここまで来たら、途中で引き返すのはあまりにももったいない稲荷山の山頂まで行くしかないだろ

と、2019年9月に羽黒山に登ってしまったとき(記事)と似たようなシチュエーションで、結局、山頂まで登りました

このとき、時刻は10:41
約1時間を要して稲荷山の頂上にたどり着きました。

が舞う天気ながら、寒さまったく感じることはありませんでした

でも、やっかいだったのはマスク
山道を登っていると、どうしても鼻呼吸では追いつかず口呼吸せざるを得ないのですが、そうすると、冷たい外気のせいで、呼気水に還元されて、マスクが濡れてくるのですよ。それがなんとも不快
周りに人がいないときにはマスクをずらし、対向者が来るとマスクをし、マスクが濡れてくると、ハンカチで水気を取る、なんてことを繰り返したのでした。

   

再び本殿の高さまで降りてきたのは11:25約1時間40分を要して山頂まで往復しました。
聞くところによると、標高差は200mほどあるのだとか…。

達成感に浸る一方で、約1時間後には京都駅八条口からリムジンバスに乗らなければならないということは、これから東福寺を訪れるのは厳しいのではなかろうか…
そりゃ、JRの駅では隣りですから、「タッチ & ゴーならなんとかなりますけれど、それじゃぁねぇ

ということで、東福寺への参拝 & 拝観次回以降に持ち越すことに決め、稲荷駅から京都駅ダイレクトに戻りました。

   

以上を以て、今回の京都遠征おひらきとなりました。

MISIAのライヴ 2本は別として、「観光」の観点からは、訪れたスポットはかなり少ない遠征となりましたけれど、平安神宮も、東寺も、三十三間堂も、伏見稲荷大社も、かなぁ~り濃密なものになったと思っています。
こんな、濃い旅行も良いものです。

ということで、ダイジェストはこれまで。
去年の関西旅行記を書き終えたら、今回の遠征の旅行記本編を書きます

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今年最初の京都遠征ダイジェスト #2

2022-01-18 06:42:03 | 旅行記

「今年最初の生MISIAと京都遠征ダイジェスト #1」のつづき、遠征2日目のダイジェストです。
ここからはMISIAの話題からちょっと離れますので、タイトルを変更いたしました。

まずはきのうの行程から書いておきます。

ホテル⇒徒歩東寺 (食堂→西院御影堂[大師堂]→五重塔→金堂→講堂→観智院)⇒徒歩京都駅バス博物館三十三間堂前三十三間堂(蓮華王院)博物館三十三間堂前バス京都駅⇒徒歩⇒買い物ホテル

要するに、きのう巡ったのは、東寺と三十三間堂だけでした。
三十三間堂の拝観が終わったあと、近くの京阪七条駅から電車に乗って、東福寺まで行ってみようかとも考えたのですが、念のためスマホで東福寺の拝観案内をみたところ、既に拝観受付が終了していました (12月の第1月曜日~3月末の拝観時間は 9:00~15:30)
約1時間にわたって、靴下履き三十三間堂冷たい床の上を一周(≒約300m)したことで、足が冷え切っていましたので、きょうはこの辺で… とホテルに戻ってきました。

でも、約10年ぶりだった東寺も、15年ぶりくらい(?)だった三十三間堂も、予想以上に楽しかった

東寺講堂立体曼荼羅は、全21体のうち15体東下した「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」展 @東京国立博物館 (見聞録)でお目にかかって以来、約3年ぶりでしたが、修理中金剛波羅蜜多菩薩さまを除く20体もの仏さんが一堂に会する様子を見られてときめきました。とくに、立体曼荼羅を真横から拝見すると、その立体ぶりが際だって凄いったらありゃしない
そんな立体曼荼羅が繰りひろげられる講堂の中にいる拝観者私ひとりなんてタイミングもあったりして、なんとも贅沢なひとときでした。

ところが、立体曼荼羅だけではなかったんですな、東寺は…

たまたま東寺では、

五重塔初層内部の公開が行われていました

つい2ヶ月前薬師寺東塔興福寺五重塔初層内部を拝見したばかりだというのに、こんどは東寺五重塔の内部を拝見できた

東寺五重塔といえば、国内で最も高い仏塔なんですが、高いだけにデカい

外観のみ拝見した10年前にはさほど感じなかった、塔全体のデカさを感じられたというのは、他のお寺さんの仏塔をいくつも観てきたからなんだろね…
こんなことからも、同じところでも時をおいて出かける価値があるというものです

とか言いながら、初めてのところも2件拝見して、私は思いました。「私は東寺のことをほとんど知らなかった」と…。
しかも、その「2件」とも国宝だというのですから、なんともはや…

その一つは、食堂(じきどう)の外から土塀越し優美な建物が見える と行ってみた建物、

それが、国宝 大師堂 こと 西院御影堂でした。

仏堂というよりも、平安京のお屋敷のような佇まい。
檜皮葺きの屋根の優美なライン光り輝く金具が美しい

そして、もう一件は、拝観券を購入するときに、五重塔・金堂・講堂だけの券にするか、共通券にするか迷った挙げ句、共通券を購入したことで拝観することになった観智院でした。

お恥ずかしいことに、「観智院」という塔頭は初耳でした。
京都市による説明板によると、

現在の建物は、慶長10年(1605)に完成した客殿(国宝)をはじめ、本堂、書院、土蔵、門など、いずれも江戸時代の建築である。客殿は、入母屋造、こけら葺の代表的な書院造の住宅建築で、床の間の「鷲の図」、襖絵の「竹林の図」は宮本武蔵の筆と伝えられる。
本堂には山科安祥寺の恵運が唐から請来した五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)を安置している。

だそうです。

客殿からの眺めが、食堂・講堂・金堂の屋根の連なり五重塔で、はぁ~ でございました。

また、説明板にある「五大虚空蔵菩薩像」お顔立ちが日本の仏像とはかなり違っていて、さすがは渡来仏だと感じ入りました。

   

三十三間堂を拝観したのはいつ以来だったのか、高校の修学旅行以降、1回行った気はするものの、記録には残っていません
はす向かいにある京都国立博物館には何度も出かけ、2年前には通りを挟んだ向かいの養源院(記事)後白河天皇陵(記事)にも出かけたというのに…

そんなボンヤリした記憶ゆえ、1001体千手観音がズラリと並ぶ壮観なイメージしかなかった三十三間堂でしたが、改めて拝観すると、その壮麗さはもちろんのこと、というより、脇役たる雷神・風神像観音二十八部衆像の、いかにも鎌倉期の仏像らしい躍動感と存在感が際だっていて、どうしてこんなに避けるかのように三十三間堂から足が遠のいていたのだろうか? と考え込んでしまいます。

また、江戸時代に行われていたという「通し矢」過酷さも、説明板を読むにつれ、ひしひしと感じられました。

「通し矢」という競技をざっと書けば、三十三間堂の西縁で、24時間の間に、約120mの距離を床・天井・壁に当てることなく何本射通すことができるか、というもの。

そして、最高記録は、貞享3年(1686) 4月に紀州の18歳の若者、和佐大八郎が樹立した13,053本射て、8,133本射通したものだとか。
24時間で13,053本射たということは、1分間に約9本射て、それを24時間続けた
しかも、天井に当てず約120m以上も遠くまで射るためには、矢の速度を上げる=強い弓で射る必要があるわけで…
想像を絶します…

それとは話が違いますけど、足が冷えてしかたがなかった三十三間堂の拝観でした。

きのう断念した東福寺へは、きょうの午前中に行ってみるつもりです。

つづき:2022/01/18 今年最初の京都遠征ダイジェスト #3 [終] 

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今年最初の生MISIAと京都遠征ダイジェスト #1

2022-01-17 10:27:38 | MISIA/旅行記

京都に来ております。
昨年11月の関西遠征記がまだ道半ばで心苦しいのではありますが、時間はどんどん先に進むのです

超短縮版できのうのダイジェストを書き上げて、京都観光に繰り出します。
まずは、きのうの行程。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅東海道新幹線京都駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩京都駅地下鉄烏丸線烏丸御池駅地下鉄東西線東山駅⇒徒歩平安神宮⇒徒歩ロームシアター京都(MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE)⇒徒歩東山駅地下鉄東西線烏丸御池駅地下鉄烏丸線京都駅⇒徒歩ホテル(チェックイン)⇒徒歩京都駅地下鉄烏丸線烏丸御池駅タクシーロームシアター京都(MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE)⇒徒歩東山駅地下鉄東西線烏丸御池駅地下鉄烏丸線京都駅⇒徒歩ホテル

これまで、1日2公演でも1日1公演の参戦にとどめていた「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSEでしたが、ついに京都公演には1日2公演参戦しました。
実は、昨年8月の京都公演には、2 days各1公演だけ参加するつもりだったものの、コロナ禍延期になり、また、その振替公演の関係で、1日2公演参加することになってしまいました。

きのう唯一の誤算は、1st showと2nd showの間にある2時間弱を使って、ホテルにチェックインするという作戦で、1st show後の退場まで時間がかかったことと、ロームシアター京都から東山駅まで意外と距離があることで、結果、最後は焦ることになってしまいました。
ホテルの自室で一息つく間もなく、ロームシアター京都へ再出撃したものの、日曜日だからなのか、電車の間隔が空いていて、地下鉄を乗り換える烏丸御池駅に着いたとき、既に公演開始まで30分を切っていました
そして、地下鉄東西線の次の電車の時刻は18:11 そこから3駅乗って、さらに会場まで歩く(or 走る)と、開演時刻の18:30にはビミョーなタイミングです。
そこで、地下鉄ではなくタクシーを使うことに作戦を変更して、地上に出ました。
幸いにすぐにタクシーがつかまり、一路、ロームシアター京都へ
そして、18:20頃、無事にロームシアター京都到着しました

このアクシデント一歩手前「夕食難民」を除けば、MISIAのライヴ2公演とも素晴らしかったし、1st show前に訪れた平安神宮楽しかった

平安神宮は、永年の懸案となっている「高校の修学旅行の追体験」残された2つのスポットの一つだったわけですが、予想をはるかに上回る良さでした。(やはり、高校の修学旅行では、旅程表には載っているものの、平安神宮には来ていないと確信)

とりわけ、「所要時間20分との表示を見て入苑した「神苑」掘り出し物でした

季節柄、「草花」は楽しめませんでしたが、ライフワークのようになっている「艮(うしとら:鬼門)」探しに収穫があったのは何より

神苑北東角に、地主社(じぬししゃ)という鬼門鎮守の小さな祠がありまして、

その右奥の塀が妙に折れ曲がるように立てられているのが判りますでしょうか?
その塀の外に電柱か大事な木などが立っているわけではなく、鬼がやってくるという北東の角を無くす「鬼門消し」大技です、K.I.T

そして、神苑の最後を飾る、京都御所から移築されたという泰平閣(橋殿)

なんとなく「明治時代の造り物」的に、避けていた感のあった平安神宮でしたが、これほど見どころのある神社とは…
ちなみに、この前日(1月15日)オフだったMISIAは、祇園花月お笑いを楽しんだあと、平安神宮「初もうで」を挙行されたそうです。
この話を聞いたあとで平安神宮にお参りに行っていたら、ありがたみ増したかもしれませんな

というところで初日のダイジェストはおしまい。

つづき:2022/01/18 今年最初の京都遠征ダイジェスト #2 
つづきのようなもの:2022/01/24 「MISIA星空のライヴ」京都公演のことなど  

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約1年ぶりの関西旅行記 #3-4

2022-01-08 17:19:48 | 旅行記

「約1年ぶりの関西旅行記 #3-3」のつづきです。

飛鳥資料館から飛鳥寺まで歩きました。距離は900mほどですし、好天でしたので、のんびり&たらたらと…。

途中、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の前を通り過ぎたんですが(参拝せず)、ふとWikipediaを見ると、この神社の住所は「奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708」
「神奈備(かんなび)」といえば、神様が天下る神聖な場所のことで、そんな住所に、その名も「飛鳥坐神社」鎮座しているとは
今にして思えば、お参りしてくればよかったな…

飛鳥坐神社の参道入口から右折すると、なかなかな風情の通りです。

最初の丁字路を左に曲がると、すぐに飛鳥寺があります。

明日香村が建てた説明碑を転記します。

『日本書紀』によれば、崇峻天皇元年(588)蘇我馬子は法興寺を建立することを計画、同5年には仏堂(金堂)・歩廊(回廊)が完成、推古天皇元年(593)には塔を起工し、同4年には一応の建物が完成した。同13年には丈六仏像を造り、翌14年に安置したとある。日本最古の本格的な寺院で、その造営に際して多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来してあたったことが記されている。
大化改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通じて飛鳥における中心的な役割を果たしたが、建久7年(1196)に消失し、現代に至る。法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師の作と伝える重要文化財の金銅丈六仏が残る。
昭和31年から継続的な発掘調査の結果、塔を中心に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側に中門・南門の跡があることが判明した。寺域は南北290m、東西200~250mの規模をもち、飛鳥では大官大寺とともに、最大規模の寺院であった。

現在は小さな堂宇がポツンとあるだけといってもよい飛鳥寺の往時の姿を、飛鳥資料館のジオラマでもう一度偲んでみましょう。

さて、14年半ぶり飛鳥寺では大きな変化がありました。

それは、御本尊「飛鳥大仏(釈迦如来像)写真撮影になっていたこと

通常、仏像は、博物館や公共機関が所有しているものを例外として、写真撮影不可です。お寺にとっての仏像や仏画美術作品である前に「仏さまですから、写真撮影不可は、当然のこととして受け取っているんですけどねぇ。
私の知る限り、室内で仏像の写真を撮れるのは、東大寺大仏殿と、この飛鳥寺だけです
せっかくですので、私も撮影してきました

お顔の部分をアップするとこんな具合。

大きな眼縦長のお顔、中央部に高く盛り上がった肉髻と、法隆寺金堂の釈迦三尊像よく似たお顔立ち。そこは、どちらも止利仏師こと鞍作止利の手によるものですから、それもむべなるかな…
この飛鳥大仏が完成したのは、日本書紀によると606年元興寺縁起によると609年で、どちらにしても、623年に完成した法隆寺金堂の釈迦三尊像よりこちらの方がひとまわりほど古い
が、しかし、飛鳥大仏重要文化財どまりで、国宝指定に至っていません
これというのも、実際に見て判るように、かなり痛みが激しくて、補修の跡がしっかりと残っています。

ここからはWikipediaから引用するところが多くなりますが、奈良国立文化財研究所(奈文研)1973年に発表した調査結果によると、「当初部分と考えられるのは頭部の額から下、鼻から上の部分と、右手の第2 - 第4指のみ」ということで、これではちょっと… となったわけですな。

ところが、2010年代の調査では、「頬や顎を含む下半部も当初のものとみられる」「肉髻の大部分が当初作であるほか、地髪部の一部(正面髪際部の螺髪)も当初のものとみられる」と、私がご無沙汰していた間に、かなり様相が変わってきました
さらに、

発掘調査の結果、(飛鳥大仏が据えられている)この石造台座は創建時から動いていないことが明らかになった。
石造の台座は当初から銅造釈迦如来像を安置するために造られたものであり、飛鳥大仏は飛鳥時代から同じ場所に安置されていることがあらためて確認された。

だそうで、こりゃワクワクしてきます
もしかするとこちらの報道にあるように、もしかするかも知れませんぞ

ちょいと話がズレますが、この堂内に、明治26年10月21日付けの古い「監査状」が飾られていました。

一 本尊釈迦如来像 伝鳥仏師作 銅 丈九尺七寸 一体
右 美術上ノ参攷トナルヘキモノト認定ス

と至って短い本文なんですが、その右側に並ぶ「監査」担当者の中に、知ったお名前を発見

臨時全国宝物取調掛 正六位 岡倉覚三

これはこれは、岡倉天心さんではありませんか
でも、この頃の岡倉天心は30歳の若さにして東京美術学校の初代校長で、Wikipediaによれば、明治26年(1893)の7月から12月まで中国出張だったことになっているんだけど…
まぁ、フェノロサと一緒に関西地方の古社寺歴訪をした天心のことですから、飛鳥大仏を観たことがなかったなんてことはありえないと思います。

そうこうするうちに、石舞台古墳に向かうバスの時刻が近づいてきました。

飛鳥寺から西に100mくらい行った所に「蘇我入鹿首塚」があるのですが、今回はパスしました。

そして、やがてやって来た路線バスに乗って、石舞台古墳へと向かいました。
そのお話は「#3-5」で。

つづき:2022/02/07 約1年ぶりの関西旅行記 #3-5

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約1年ぶりの関西旅行記 #3-3

2022-01-07 18:58:48 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「約1年ぶりの関西旅行記 #3-2」のつづきも飛鳥資料館から始まります。

飛鳥資料館に入館すると、真正面で「#3-1」でも書いた「石人像」が抱き合っていて、その奥に、飛鳥のジオラマがありました。

真ん中手前のゆったりと建物が建ち並んでいるのが、天武&持統天皇の宮だった飛鳥浄御原宮で、この地区は、飛鳥板蓋宮のあった場所でもあるらしいです。
その北に空き地のようになっている部分を挟んだところにあるグレーの屋根の一群が飛鳥寺で、その左のこんもりしたところが甘樫丘蘇我氏エリアですな。

このあと、飛鳥寺に行く予定にしていましたから、飛鳥寺の往時の姿をしっかりと目に焼き付けました。
ちなみに前回(2007年4月)の飛鳥探訪では、甘樫丘に登り「大和三山」を眺めたのですが、今回は素通りです。
せっかくですので、その時の写真を載せておきます。
まず畝傍山

ついで、耳成山(左)と天香久山(右)

    

話を飛鳥資料館に戻しまして、飛鳥資料館にあったもう一つの魅力的ジオラマがこちらでした。

川原寺のジオラマだそうな。
薬師寺西塔のように傾斜のゆるい屋根を持つ五重塔が印象的ですが、さて、川原寺とはあまり聞かない名前の寺です
説明板によると、

川原寺は、天智朝の近江遷都以前(662~667年)に、飛鳥川原宮の地を寺としたのが始まりとされている。天武天皇9年(680)、官司が治める寺が定められると、川原寺はその一つとして、四大寺に数えられた。
発掘調査の結果、一塔二金堂三面僧坊をめぐらした壮大な伽藍が明らかになった。中金堂には大理石製の礎石が使われ、複弁八弁蓮華文軒丸瓦が屋根をかざっていた。現在は発掘調査にもとづいて堂塔の基壇が整備されている。

だそうで、注目するべきは、その伽藍配置だとか。
もっと古いお寺「大化の改新」以前に建てられた飛鳥寺四天王寺山田寺左右対称の伽藍配置になっているのに、この川原寺法隆寺西院伽藍など天智朝以降のお寺(本薬師寺を除いて) アンシンメトリーです。
右に載せた「日本の伽藍配置」の説明板の下には「朝鮮半島の伽藍配置」が掲げられていました。

ものの見事にそろって左右対称の伽藍配置です

つまり、天智朝以前の伽藍配置は朝鮮風で、以降は日本独自の伽藍配置に変わったということのようです。

ちょっとここで、「法隆寺はもっと古いんじゃないの?」と疑問をお持ちの方もあろうかと思います。
確かに、法隆寺は推古天皇15年(607年)に聖徳太子が創建したと伝えられていますが、現在の西院伽藍7世紀末~8世紀初に建てられたというのが定説になっています。
それでは初代の法隆寺ともいえる若草伽藍の伽藍配置はどうだったのかというと、Wikipediaによれば、発掘調査の結果、

この伽藍は現存する西院伽藍(塔と金堂が東西に並ぶ)とは異なり南に塔、北に金堂が南北方向に配置される「四天王寺式伽藍配置」であること、堂塔が真南に面しておらず、伽藍配置の中心軸が北西方向へ20度ずれていることがわかった。

だそうです 予想どおり、左右対称朝鮮風伽藍配置だったんだぁ
見事に話が繋がった

でも、その後の薬師寺とか東大寺とかの伽藍配置はどうなんだ? なんて突っ込まないでいただきたい

で、川原寺があったのは、飛鳥板蓋宮/飛鳥浄御原宮の跡地の南西すぐの場所で、このあと私は、石舞台古墳から高松塚古墳に向かう路線バスの車窓から川原寺跡をチラ見しました。

   

飛鳥資料館第2展示室は、山田寺関連の常設展示室になっています。
山田寺といえば、その跡地は飛鳥資料館のすぐ近くです。

山田寺の説明リーフレットから転記しますと、

蘇我入鹿のいとこ蘇我倉山田石川麻呂が641年(舒明天皇13年)に建てはじめた寺院。このころ、各豪族がさかんに造った氏寺の一つである。
石川麻呂は、入鹿殺害のクーデターに加わり、右大臣に任ぜられたが、649年(大化5年)、反乱の疑いをかけられて、この寺で自殺した。しかし、その後、彼の疑いは晴れ、皇室の援助で寺の造営が続けられて、7世紀の後半に完成した。
発掘調査で中門・塔・金堂・講堂を南から北にならべ、回廊が塔・金堂を囲むという伽藍配置が明らかになり、金銅の風招や、磚仏・鴟尾・鬼瓦・瓦などがみつかった。また、1982年からの調査では倒れた東回廊の建物が土に埋もれた状態で残っていることがわかり、古代建築の貴重な資料となっている。

というもので、発掘された東回廊は、「世界最古の木造建築である法隆寺西院伽藍より古」いというのですからただごとではありません

でも、わたし的に山田寺といえば、、、、、この仏頭です

国宝に指定されているこの仏頭(展示されているのは複製)、現有している興福寺では単に「仏頭」と表記されていますが、飛鳥資料館は「山田寺の仏頭」と明記していました

説明板を転記します。

山田寺講堂の本尊として685年(天武天皇14年)に完成した如来像は、1186年(文治2年)に興福寺東金堂に移されたが、のち火災にあって頭部だけが残った
明るい表情、童顔、大きな弧をえがく眉、切長の目などは、初唐の影響を受けた初期の白鳳仏の特色である。いま興福寺東金堂本尊の左右にある菩薩像は、もとこの像の脇侍であった。 (以下略)

この説明では「興福寺東金堂に移された」あっさりしていますが、その実はなんとも酷い話で、こちらで書いたとおりです。

   

約1時間にわたって館内を楽しんだ私は、もう一度屋外展示を拝見しようと、外にでました。

と、背の高い花

目鼻立ちのくっきりした(?)紫色の花です。

これは何という花なんだろ? と説明板を探しましたが、ありませんでした
そこで、この記事を書くにあたり、「背の高い紫の花」で検索すると、簡単に見つかりました

その名も、畏れ多く「皇帝ダリア」
名前のとおり気高い花だし、しもじもの者を見下ろす態度もデカい

このあと、庭園に置かれた石造物のレプリカをもう一度見物し、次の目的地・飛鳥寺を目指して歩き始めたのでありました。
あ~楽しかった 

つづき:2022/01/08 約1年ぶりの関西旅行記 #3-4 

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約1年ぶりの関西旅行記 #3-2

2022-01-06 14:42:42 | 旅行記/美術館・博物館・アート

がばぁ~ っと、年をまたいで1カ月弱も間隔が開いてしまいましたが「約1年ぶりの関西旅行記 #3-1のつづき、ひきつづき飛鳥資料館の見聞録です。

飛鳥資料館では特別展「屋根を彩る草花」が開催中でした。(12月19日で終了)

「屋根を彩る草花」とは、茅葺き屋根とかに雑草が生い茂ってその中でが咲いている、というものではなく、副題の「飛鳥の軒瓦とその文様」にあるように、瓦の文様のお話です。

瓦の文様といえば、丸軒瓦には蓮の花が浮彫になっていて、平軒瓦の意匠は唐草文様といったものがイメージされます。大体、どこの博物館に行っても、古寺の屋根瓦が展示されているもので、ずらっと瓦を並べられてもその違いが判らない… とちょっと敬遠気味の私でしたが、この特別展はかなり面白いものでした。

   

さっそくですが、ちょっと横道

日本史に「飛鳥板蓋宮」という名前の宮(皇居)が出てきました。わざわざ「板蓋宮(いたぶきのみや)」と呼ぶくらいですから、当時は「板葺き」が一般的ではなかったことが推察されます。それでは、一般的な屋根はどんなものだったのでしょうか?

Wikipediaによれば、

名称「板蓋宮」は、文字どおり屋根に板(豪華な厚い板)を葺いていたことに由来するといわれている。このことにより、当時の屋根のほとんどは檜皮葺・草葺き・茅葺き・藁葺きであり、板葺きの屋根の珍しかったことが判る。(中略)
当時、大陸から伝来した最新様式を反映している寺院は瓦葺きであったが、それ以外の建築物への普及は進まず、平安時代以降の貴族の居宅である寝殿造も檜皮葺である。本格的な瓦葺きの普及は江戸時代以降である。

だとか。けっこう意外です
ちなみに飛鳥板蓋宮「宮」だったのは643~645年の短い期間ですが、この間に、もっぱら「大化の改新」そのものだと捉えられがちな、中大兄皇子中臣鎌足らによる蘇我入鹿暗殺事件(乙巳の変)という大事件の現場となっています。

   

それはともかく、前述のように、

瓦の文様といえば、丸軒瓦には蓮の花が浮彫になっていて、平軒瓦の意匠は唐草文様といったものがイメージされます。

ですが、簡単に「唐草模様」と片付けるわけにはいかないことを知りました。
会場の説明パネルによると、

唐草文の文様表現の1つに「パルメット(Palmet)」があります。パルメットは、葉を広げたナツメヤシの樹形を図案化したもので、西アジアが初源と考えられています。ナツメヤシは西アジアでは身近な樹木で、たくさんの実(デーツ)をつけることから、豊穣や多産の象徴として尊ばれました。
パルメットは単独の文様だけでなく、連続した文様としても用いられ、東へと波及するなかで蔓植物の表現と結びつき変化していきました。
古代の日本にはもちろんナツメヤシは生息していません。パルメットは文様表現として日本にもたらされ、独自の変化を遂げて様々な文様になりました。

だそうです。
下の写真は、法隆寺若草伽藍 (7世紀初)「手彫り(忍冬)唐草文軒平瓦」です。

この隣りに、同じ法隆寺若草伽藍「型押し(忍冬)唐草文軒平瓦」が展示されていました。

この「手彫り」「型押し」とは何ぞや?
これも説明板から転記してしまいましょう。

文様を持つ軒平瓦で、日本で最も古いものは、文様を直接軒平瓦に手彫りしています。文様を付ける方法として、型紙を当てて文様を転写し、それに合わせて彫るものと、フリーハンドで文様を描き、彫るものがあります。前者は法隆寺若草伽藍の全パルメット文様の軒平瓦があり、後者には坂田寺の半パルメット文様の軒平瓦があります。
法隆寺のものは瓦当面(がとうめん)型紙を仮止めするために針のようなもので刺した跡が見えます。また、文様の割付までは終わっているのに、うっかりなのか手を抜いたのか端に掘り残しのあるものもあります。

確かに、「手彫り…」の方の花弁の文様にピンホールが見えますし、右上端は下書きだけで終わっています

それはそうと、日本にはない、工人も見たことすらない植物をモチーフにして文様を描いたって、文化の伝播というものの面白さを感じるお話です。

   

ちょっとここで「軒平瓦」「軒丸瓦」について。
「本瓦葺き」と呼ばれる本格的な瓦屋根は、平で両端が上に反った「平瓦」と、半円筒状の「丸瓦」ほかで構成されています。そして、屋根の最下端の「軒」で人目を惹き付けるのが、「軒平瓦」「軒丸瓦」です。
飛鳥時代製とも奈良時代製とも云われる日本最古の現役として頑張っている元興寺(6年前に拝観)の屋根でご確認くださいませ。(この写真だと平瓦は軒平瓦しか写っていない)

なお、元興寺の軒丸瓦と軒平瓦後世のものかと思われます。
それでも、モザイクのように見える色とりどりの丸瓦は、飛鳥寺(旧・元興寺)から持ってきたものなんじゃなかろうか

   

会場では、丸軒瓦と平軒瓦の文様をあしらった「ぬりえ」ポストカードが無料配布されていまして、私も頂戴しました。
ところが、平軒瓦のポストカードを本宅に忘れてきてしまいまして、丸軒瓦のポストカードだけ載せておきます

上から順番に、飛鳥寺「素弁蓮華文」山田寺「単弁蓮華文」大官大寺「複弁蓮華文」で、時代順にならべました。
「蓮華文」が、次第に複雑化していることが見てとれます。

お城をはじめ、現在見ることができる「丸軒瓦」は、「防火」のおまじないを込めた「巴文」すが大半です。
しかし、古代はもっぱら仏教と縁の深い「蓮華文」で、寺以外としては初めて瓦葺きが採用された藤原宮蓮華文の丸軒瓦だったのだとか。
「軒丸瓦は蓮華文」というのが当時の常識だったのかもしれません。

そういえば、古代は頻繁に遷都しましたが、そのたびに、古い宮殿や官衙を取り壊して、使える建築資材は新しい都に運んで、それを再利用したのだとか。
こちらのサイトによると、藤原宮も例外ではなく、その部材が平城宮の建設に活用された由。

そういえば、平城宮跡(第一次)大極殿復原されたけど、大極殿の瓦はどんな意匠だっけ…
前述のとおり、屋根瓦には興味を持てなかった私ですから、さっぱり記憶がありません

そこで、平城遷都1300周年で盛り上がっている2010年平城宮跡に出かけたとき(記事はこちら)の写真をしげしげと見てみました。
そしてなんとか見つけて軒瓦部分が見えるよう拡大したのがこちら

垂木先金具(金色の円形)野垂木先金具(金色の四角形)キレイ復原しているのに、軒丸瓦と軒平瓦なんの装飾も施されずのぺ~っとしてる
大極殿の瓦はこうだったのか? 資料がなかったのか? 予算が尽きたのか? はたまた手を抜いたのか?
いずれにせよ残念です

と、ほとんどのことしか書いていないのですが、つづきは「#3-3」で。

つづき:2021/01/07 約1年ぶりの関西旅行記 #3-3 

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去年の紅白歌合戦のことなど

2022-01-04 17:10:04 | MISIA/テレビ番組

1月2日から秋田の別邸に来ております。

母が亡くなってからは、元旦本宅で迎え、2日里帰りしてその夜に旧友たちとの恒例の飲み会というパターンを続けておりまして、今回も同様です。

昨年・一昨年と、1月2日に別邸に着くと、台所の蛇口からつららが下がっているなんてことがつづき、特に昨年は蛇口を破壊してしまうという大惨事が発生したことから(記事)、昨年最後の帰省の際、水道の元栓を閉めてUターンしました。
その結果、トイレ内の一部が凍っていたことを除けば、台所も洗面所も浴室も無事でした

そんな中で誤算だったのは、前回の帰省の際、別邸のBlu-rayレコーダー「日時指定予約」していたはずの「NHK歌合戦」4K Ver.録画が失敗していたこと。
再生すると、なぜか「マー姉ちゃん」再放送が入っている…。どうしたことか、と思ったら、「12月31日 7:30PMから」の予約のつもりが「12月31日 7:00AMから」になっておりました なんという不覚
常時ネット環境にある本宅のBlu-rayレコーダーだと、放映の1週間前になったら番組表から予約すれば良いのですが、別邸のネットはスマホのテザリング頼りですから、遠隔予約できませんし、去年最後の帰省Uターンは12月上旬でしたから、「日時指定予約」にチャレンジするしかなかったのですよ

今回の帰省では、

私のtweet

と考えていたのですが、これは叶わず、別邸のもう1台のBlu-rayレコーダー(私が13年前に買った最初のBlu-rayレコーダーで、2年前に本宅から別邸に転居)で予約できていた地上波 Ver.(こちらは時間指定予約が成功) からダイジェスト版をつくってみました。
約1/3の出演者の出番を削り、4時間強の番組から3時間弱まで削ったのですが、4K Ver. だと、ここから更に2/3まで削らなければなりません
この「地上波 Ver.ダイジェストを視ながら、優先順位を付けようと思います。

   

昨年末の記事「年末年始のTVでMISIA三昧」で、歌合戦MISIAが歌う「明日へ 2021」についてこんな風に書きました。

ただ、紅白での曲目が「明日へ 2021」というのは、ちょっと予定調和すぎるというか、ちょっと意外性に乏しい気がします。 (中略)
ただ、曲名に「2021」が付いていることで、「アイノカタチ 2018」のように、2曲になる可能性もあります。
でも、「明日へ」に続いて別の曲の展開はあり得ない気がしますっつうか、それをやったら「明日へ」が「明日へ」ではなくなってしまいます。逆に、別の曲から「明日へ」につなぐのなら「あり」ですが(MISIAが紅白に初出場した2012年は「Everything⇒明日へ」)、その場合、何を歌う????
「尺」の関係もありますし、かなり難しい…
私の希望的予想は、来年の「ライブ・エール」「歌を歌おう feat. Masashi Sada」紅白では3年連続の大トリとして「Higher Love feat. Kaze Fujii」だな

で、MISIAの第一声の「明日へ 明日へ 明日へと歌おう」の歌詞が出た瞬間に、「あり得ない」と思っていた展開だと判り、そして、いつもよりは若干短めの最後のロングトーンが終わって、ピアノの初めて聴くイントロが流れた瞬間、、、、

私のtweet その2

「あり得ない展開」から2022年の紅白での「希望的予想」1年早く実現するとは

あ~、ビックリした
あ~、素晴らしかった
あ~、良かった

でも、でも、でも、やはり、「明日へ」ショート ver.にして別の曲につなげるのは、あんまり良くない… と思いました。
MISIAの歌唱曲が「明日へ 2021」と決まった時点では、藤井風紅白出演が未定だったのかな?
それとも、藤井風の紅白出演も、「岡山の実家⇒国フォ 瞬間移動」のサプライズも、「MISIA feat. 藤井風」のサプライズ共演も、全部はじめから仕込んだ上での「明日へ 2021」だったのかなぁ もしMISIAの歌唱曲が「Higher Love」と発表されていたら、これほどのサプライズにはならなかったかもしれないし…

ところで、「Higher Love」を歌うMISIAは、いつもライヴのように、観客にハンドクラップを求めたり、「Higher~ Loveのところで両手を斜め上に広げるモーションを求めていたけれど、さすがに一見の観客の皆さんはついて行けなかったみたいでした。私はやっていましたが…

   

今、前述の歌合戦 地上波版 ダイジェスト」を流しながらこの記事を書いているんですが、「ダイジェスト」にすると、どの曲も見応え&聴き応えありですなぁ~

後ろの1/3くらいは、どの出演者素晴らしくて、MISIAをはじめとして、藤井風も、あいみょんも、薬師丸ひろ子も、その他の皆さんも、期待どおり以上の歌を聴かせてくれました 「4K画質で片面一層BDに納めるためにここから削るのは、「ただの私の嗜好だ 誰にも文句は言わせない です

最後に書いておきたいのは、私の予想&期待はるかに上回るパフォーマンスだったのが、YOASOBI 鈴木雅之だったこと。
YOASOBI「群青」胸熱感動モノだったし、鈴木雅之「め組のひと 2021紅白 ver.」楽しくて楽しくてノリノリでした

あと、布袋さんが、体が柔らかくて、かつ、体幹がしっかりされていそうということ

昨年の紅白歌合戦の視聴率過去最低だったという報道が流れています。
「おかえりモネ」永浦亜哉子(鈴木京香)さんならこう言うだろうな。

TV番組視聴率でしか語れないなんて、クソです

ということで、実質的には今年最初の記事はおしまい。

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新年のごあいさつ

2022-01-01 00:00:06 | 日記・エッセイ・コラム

あけましておめでとうございます

年賀状

今年は昨年よりは気合いを入れてブログを書き続けたいと考えておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

どうか どうか 良い年になりますように

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