新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

衝動買いで失敗したことがないという自負

2012-06-30 20:20:55 | 美術館・博物館・アート

6月28日の記事「宅配便が届きました」で書いたブツ、満を持して、きょう、開梱しました。
出てきたのは、こちら


120630_2_01


山口晃画伯の原画による浮世絵版画「新東都名所 東海道中 日本橋 改」です



この作品は、解説文を引用しますと、


本作は、特別展「日本橋一描かれたランドマークの400年」 (2012年5月26日~7月16日/江戸東京博物館・朝日新聞社主催)の開催に合わせ企画・制作いたしました。同展は、江戸東京の象徴として人々に愛されてきた日本橋の歴史を絵画資料を中心にたどる構成で、江戸時代から昭和まで、数多くの浮世絵・木版画を展元しています。これら浮世絵・木版画の世界は、世相をとらえながら常に変化をすることで多くの人々を楽しませて来ました。そして明治以降は日本文化を代表するものとして定着し、今なお世界で高い評価を受けています。ここに脈々と受け継がれてきた伝統木版の技術を用い、現代の日本橋、そして日本の魅力を人々に広く楽しんでいただくために制作したのが本作です。日本橋400年の歴史に新たな一ページを加える記念すべき現代の浮世絵''を描く絵師は、人気実力共に業界トップの現代画家・山口晃氏にお引き受け頂きました。


というもので、特別展「日本橋一描かれたランドマークの400年」 のために制作された作品です。


美術ネタの多いこのブログの中でも、ベン・シャーン歌川広重と並んで登場回数の多い山口晃さんが、この展覧会のために浮世絵版画の原画を描いたことは、事前に朝日新聞デジタルのこちらの記事で察知しておりまして、「日本橋」展を観に行った時(記事はこちら)は大変に楽しみにしていました。


ところが、「日本橋」展の会場を巡ると、かっちりと流れ(構成)ができていて、なんだか「新東都名所 東海道中 日本橋 改」が分け入る余地がありません。途中、見本として置かれていた図録を見ても載っていないし、どうなっているのだろうかと思いつつ、気がつくと、もう会場の出口…。


あれっと思ったところで、、おぉ、出たぁ~


120630_2_02 会場の出口の外、グッズ販売コーナーの冒頭に「新東都名所 東海道中 日本橋 改」が展示されていました。

アクリル板に挟み込んだシンプルな展示で、浮世絵版画をこんな風に飾るのもなかなかいいかも…


しばらく見入った後、グッズ販売コーナーをツラツラ眺めていると、反対側のアダチ版画の即売所にも「新東都名所 東海道中 日本橋 改」が展示されていました。こちらでは商品として


限定150部山口さんの署名入り


結構、値は張るけれど、欲しい


でも、さすがにその場で注文するほど懐に余裕があるわけもなく、後ろ髪を引かれる思いで即売所を後にして、江戸東京博物館常設展示を見に行きました。

そして、常設展示を観終わったあと、きびすを返して、再び「日本橋」展のグッズ販売コーナーへ行き、もう一度「新東都名所 東海道中 日本橋 改」しげしげと鑑賞


ところが、この時も踏ん切りがつかず、また、この場で注文しなくても、買おうと思ったら買えるだろうしと思い、結局、そのまま江戸東京博物館を出たのでありました。


   


ところがところが、日本橋現物を鑑賞し、山口さんが「緑青」に見立てた首都高速の橋桁緑色を見ているうち、


120630_2_03


欲しい という思いがドンドン高まってきて、その日の夜、ネットを介して注文してしまったのでした。


   


で、届いた「新東都名所 東海道中 日本橋 改」を玄関口に飾りました。


120630_2_04


できることなら、もっと明るい場所に飾りたかったのですが、浮世絵版画は紫外線大の苦手

私の家で、日光蛍光灯のあかりが届きづらく、かつ、ある程度の明るさがある場所といえば、この玄関口か、トイレか、湿気が危惧される洗面所くらいのもの。

そんなわけで、玄関口に並べていた絵・版画・ポスター・写真を並べ替えて、この場所に飾った次第です。


120630_2_05 ちなみに「新東都名所 東海道中 日本橋 改」左隣の絵、こちらの写真では手前に写っていますが、約10年前に北京で買った「農民画」です。


120630_2_06 「陳■渓」さん(■は読み取れず)の「家院」という作品で、買値は120元でしたから、当時のレートで1,800円

この絵を丸めて持ち帰り伊東屋でフレームを誂えたら、約10,000円かかりましたとさ

それでも、かなりコストパフォーマンスの高い自慢のコレクションです


さて、これで、出勤前、帰宅時には必ず「新東都名所 東海道中 日本橋 改」を観てにんまりできることになりました


おっと、この記事のタイトル「衝動買いで失敗したことがないという自負」について、触れておかねばならないでしょう。


今回、山口さんの作品を衝動買いしてしまったわけですが、私、ある程度以上のお値段のものを衝動買いして、後悔したことがありません。

クルマにしても、マンションにしても、熟慮の末というよりも衝動買いに近い買い方をしながら、それでいて「良い買い物をしたと思えるのが常なんです


一方、「安物買いの銭失い」は結構あったりして…


今回の結構高い買い物について、数年後の私はどんな評価を下すのでありましょうや

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(最終回)

2012-06-30 09:22:39 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その7)」のつづきは、ついに沖縄旅行記の最終回です


那覇空港にほど近いレンタカー屋さんまで、旧海軍司令部壕からホンの数分で到着し、すぐに隣接したガソリンスタンドで給油


約46時間の走行距離は270kmと、普段の私の走行距離2日分とさほど違わないのが何ともビミョーな気分です。
で、給油量は17.14リットルと、平均燃費は15.72km/リットル。普段の私のクルマ(最近は11.3~12km/リットル程度)に比べれば良好ですが、今回使ったクルマは去年、私のクルマが追突されて修理に出したときに代車で借りていた(記事はこちら)のと同じ車種「日産ノート」で、代車のノートの平均燃費(後半2/3だけ)が16.20km/リットルでしたから、まぁ、こんなものでしょう。今回はエアコンをフル稼働させていましたから…。


ガソリン代(約2,600円)を支払い、レンタカー屋さんにクルマを返却すると、ほとんど待ち時間もなく他のレンタカー利用者の人たちと一緒にマイクロバス那覇空港へと出発


120630_1_01 そして、ホントにスムーズに空港に到着しました。
時計はまだ14時を廻ったばかり(そもそもレンタカーの返却予定時刻が14:00)で、帰りの飛行機の出発時刻(15:45)までは余裕たっぷりです。
そこで、ターミナルビルで遅めの昼食を摂ることにしました。


食べたのは、アグー豚トンカツ


空港のターミナルビル内のレストランって、どこの空港でもまぁそこそこの店がほとんどで、さほど期待していなかったのですが、、、旨かった…
これほど美味しいトンカツを食べたのは、去年12月に仙台の大崎八幡宮下にあるお店以来だ、、、


あ"~「1週間寝かせた仙台旅行記(大崎八幡編の2)」で、


なんとも満足した大崎八幡探訪でした。
が、実は、これだけでは終わりませんでした。
その話はまた後日


なんて書きながら、そのままほったらかしにしてたぁ~


いかんなぁ~完結していない旅行記がいくつもあります…
去年のゴールデンウィークの南九州旅行鹿児島の途中こちらが最後)で止まっているし…。
でも、まぁ、仙台旅行記の「これだけでは終わりませんでした」というのは、上に書いた美味しいトンカツのことでして、これを以て仙台旅行記の完結とさせていただきます
南九州旅行記の落とし前は、ちょっと考えます。


   


話が時空を超えて激しく逸れてしまいました。


帰りの飛行機は順調に飛行し、定刻よりちょっと早く羽田空港に着陸しました。
ところが、この日の東京はひどい雨
私が沖縄に出かけていた間は好天が続いていた(らしい)首都圏なのに、私が戻ってくると、今度は首都圏が荒天だなんて 私が雨雲を引き連れて旅行しているわけではないのですけどねぇ…


しかも、乗り換えを最少にしようと、


羽田空港第一ビル駅東京モノレール天王洲アイル駅⇒徒歩天王洲アイル駅りんかい線・埼京線最寄り駅


のルートにしたものだから、東京モノレールの天王洲アイル駅りんかい線の天王洲アイル駅の間、傘が最小限の役割しか果たせないほどの雨の中、地上を移動するはめに陥りました。


<iframe width="400" scrolling="no" height="300" frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=m&amp;brcurrent=3,0x60188a6baea83567:0xae75898fb85cf9a7,1&amp;ll=35.621721,139.751147&amp;spn=0.002616,0.004281&amp;z=17&amp;output=embed"> </iframe>

大きな地図で見る


両駅は「乗換駅」とは名ばかりで、地上の公道を歩かなければならないことをすっかり忘れていたのです。

当然のように、キャリーバッグはビシャビシャ
これで座れなかったら「泣きっ面に蜂」でしたが、ここは神は私を見捨てていなかったのか座ることができ、自宅の最寄り駅までゆったりと移動することができました。

もっとも、最寄り駅から自宅まで歩くうち、再び雨でビシャビシャになったのではありますが…


   


ということで、私初めての沖縄旅行びしょ濡れで終了したのでありました。

旅行帰着から約2か月にわたる3泊4日沖縄旅行記、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


ところで、この旅行記最終日のタイトル「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり」、なにげに「沖縄旅行最終日は踏んだり蹴ったりに見えてしまいますナ(私だけ?)。
実際はそんなことはなく、天王洲アイルでの乗り換えを除けば、大変良い一日でしたよ。


また沖縄に行きたいゾ と思う私です。

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宅配便が届きました

2012-06-28 22:44:38 | 日記・エッセイ・コラム

きょう、帰宅すると宅配便が届いていました。


120628_1_01 さて何でしょうか
って、数日前に私がネットショッピングしたブツです。
安いものではないけれど、ついつい衝動買いしてしまいました


段ボールに包まれたこのブツ、何なのかは後日公開しましょう。
私自身も、荷ほどきするのは今週末まで待つことにします。
心穏やかに、お目にかかりたいものですから…

いやいや、それ以上に、どこに置くか検討中なんです

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その7)

2012-06-27 22:24:09 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その6)」のつづきは、「旧海軍司令部壕」の第二弾です。


丘の頂上にあるるビジターセンター・資料館から階段を下りたあとは、ほとんど真っ平らで、いくつかの「部屋」がほぼ標高差なく通路で繋がっています。


120626_1_01 通路も部屋も、「その5」で書いた幕僚室や右の写真の作戦室のようにコンクリートと漆喰で壁が塗り固められている部分と、


120626_1_02 下士官兵員室のように「掘ったまま」の部分が混在していて、いかにも急ごしらえの感が強い。


当初から中枢部だけを仕上げるつもりだったのか、壕のすべての壁面を漆喰で塗り固める予定だったのが、途中からそれどころではない戦況になったのか不明ですが、それにしても「掘ったまま」の部分が心に迫ってきます


悲壮感にあふれた交信文が行き交ったに違いない電信室とか、


120626_1_03


戦傷者がひしめいていたに違いない医療室とか、


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すれ違うのも大変な通路とか、


120626_1_05 こんなところに4000人もの兵士が立て籠もって、勝てる見込みのない戦いをしていたなんて、想像を絶します。


そして、まさか沖縄の海軍司令部最期の地が、地下壕だったなんて、、、


米軍が沖縄本島に上陸したのは1945年4月1日
その時点で、こちらのサイトによりますと、


日本海軍の水上艦艇実戦部隊は開戦以来の激闘に損耗し、わずかに残った動かせる艦艇は戦艦「大和」と軽巡「矢矧」、駆逐艦8隻「冬月」「涼月」「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「霞」「初霜」の合計10隻が残っているだけでした。他にも横須賀港には「長門」、瀬戸内呉軍港近隣には航空戦艦伊勢」「日向」、重巡「利根」「青葉」、軽巡「大淀」「矢矧」などが健在でしたが、燃料の重油が無くて訓練どころか空襲による回避行動もできない状態に陥っていたのです。


という惨憺たる状況
そして、虎の子「動かせる艦艇」すべてが沖縄戦に投入されたものの、4月7日、沖縄に近づくどころか、鹿児島からほど近い海域で行われた坊ノ岬沖海戦で、大和を始めとした艦隊はほぼ壊滅してしまい(帰投できたのは冬月、雪風、初霜及び涼月4隻の駆逐艦のみ)、もはや「海軍」としての体を成さなくなっていたのですから、地下に籠もるしかなかったのは仕方のないことだったのでしょう。


だんだん壕の中の空気が重く感じられてきました。


120626_1_06 壕の外に出ると、曇り空ながら、陽の光が明るい そして空気がうまい


でも、当時は砲弾や銃弾が飛び交い、硝煙の臭いが立ちこめていたのでしょう。

摩文仁の丘につづいて「旧海軍司令部壕」と、ほんの数時間の間に、なんと辛い歴史が染み込んだところをハシゴしてしまったのでしょうか…


どうして勝ち目のない戦争を続けたのか、沖縄での抵抗を長引かせること=本土への攻撃を遅らせることが、どれだけその後の悲劇を増幅させることになったのか、、、など、いろいろと考えてしまいます。


   


ちょっと寄り道
今日のニュース(東電の株主総会関連のニュース)で登場していた東京都の副知事・猪瀬直樹さんが著したこちら、


昭和16年夏の敗戦 (中公文庫) 昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
価格:¥ 680(税込)
発売日:2010-06

ご一読を強くお薦めします


   


旧海軍司令部壕」を出た時点で時刻は13:30
レンタカーを返却する予定時刻まで30分しかありません
とは言え、「旧海軍司令部壕」からレンタカーの返却場所まではかなり近い
展望台から風景を眺め


120626_1_07


駐車場で悠々とシャツを着替えて(ここまで結構をかいていましたから…)、そして、私・初の沖縄旅行の本編に幕を引いたのでありました。


つづき:2012/06/30 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(最終回)

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その6)

2012-06-25 08:18:20 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その5)」のつづきは、沖縄旅行最後の訪問地「旧海軍司令部壕」の訪問記です。
途中、ちょいと遠回りしてものの(道を間違えた)、沖縄平和祈念公園から30分ほどで「旧海軍司令部壕」に到着しました。


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斎場御嶽(せーふぁうたき)と同様(訪問記はこちら)、私が持っているガイドブックでは小さな扱いでしたが、実際に行ってみると結構な台数分の駐車場がある、しっかりと整備された公園になっていました。
駐車場にこんな自販機がありました。


120624_1_02_2


みんなでうちなーあいさつ ハイサイ!!
この自販機はウチナーグチでしゃべります。


と書かれています。

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「うちなーぐち」(沖縄ことば)でしゃべる自販機が存在していることは、ずいぶん前にTVで観ましたっけ…。
でも、飲み物は持っていましたので、今回は試しませんでした


さて、「旧海軍司令部壕」、その名のとおり、地下に掘られた施設ですから、平地を掘り込んで造ったものだと思い込んでいたのですが、実際は小高い丘の中に造られていて()、その入口は丘の頂上付近にありました。
丘を登る途中、ここにもありました、亀甲墓


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丘の頂上には、「旧海軍司令部壕」への入口にもなっているビジターセンター・資料館と共に、慰霊施設がありました。


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この「海軍戦没者慰霊之塔」、揮毫しているのは「野村吉三郎」さん。
野村さんといえば、元海軍大将で、予備役編入後、日米開戦時の駐米大使を務めた方として有名な方ですな(歴代の駐米大使の中で、野村さんほど厳しい状況を体験した人はいないのではなかろうか…)。


120624_1_06
ところで、どうして海軍の司令部が、こんな丘の中につくられたのでしょうか?


説明によれば、旧海軍司令部壕のある場所は、公式サイトによれば、


海軍壕公園は、那覇市の南西の豊見城岳陵にあり、東シナ海、那覇市街、首里城が展望できる位置にあります。首里王朝時代には、中国や薩摩からの船の入港を知らせる「ヒバンムイ」があった場所です。
また、第二次世界大戦末期には日本海軍の司令部壕がおかれ、激しい戦場となりました。


 ということで、海軍の司令部が置かれても不思議ではないと言えそうです。


そして、


昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。


とのことで、さっそく壕にはいってみましょう。


120624_1_07 「艦砲射撃に耐え」られるだけの場所だけに、かなりの密閉感で、閉所恐怖症の方にはお薦めできない施設です。


立ち入ってみると、思いのほか大きな施設でした。


120624_1_08
とはいえ、4000人もの兵士が籠城するには、当然ながらかなり狭い


現在は非常口になっているこちらの出口陽の光「こっちへ来い」と呼びかけているようです。


120624_1_09 でも、説明板によれば、


兵士たちのほとんどは武器らしい武器もなくこの出口から出撃、大半が二度と帰ってきませんでした。


とのこと…


琉球新報の2009年12月のこちらの記事によれば、


 「昭和28年(1953年)の初めての遺骨収集の時は、壕の一部は水浸しになっていて、折り重なるように遺骨が出てきた。指の骨のそばにけん銃が転がっていて明らかに自決と分かるものもあった」
 その後、遺骨収集は60年、77年にも実施され約2400柱が収集された。「現在でも遺骨は残っていると思う」と城間さんは話す。


と、終戦から8年経った時点「折り重なるように遺骨が出てきた」ということが驚きです 市街地の真ん中にある「旧海軍司令部壕」ですらこんな状況だとすれば、沖縄のあちこちに遺骨が人知れず残っているだろうことが想像に難くありません


この壕に立て籠もった海軍上層部集団自決したのだそうで、幕僚室には、


120624_1_10


幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとがくっきりと残っています。


と、、、、生々しい…


旧海軍司令部壕」訪問記はまだつづきます。


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つづき:2012/06/27 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その7) 

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「日本橋」展を観たら現物を観たくなった

2012-06-23 20:53:08 | タウンウオッチング

ディーラーに行ってクルマを車検に出したあと、久しぶりに江戸東京博物館(江戸博)に行ってみました。「江戸東京博物館 開館20周年記念特別展」として開催されている「日本橋 ランドマークの400年」を観ようという寸法です。


120623_1_14


約1年半ぶりの江戸博(前回の訪問記はこちら)、常設展も含めてたっぷり3時間近く、楽しんでまいりました


そして、「日本橋 ランドマークの400年」を観ているうちに、久しぶりにじっくりとホンモノ日本橋を観たくなって、日本橋まで足を伸ばしまして、今日の足どりはこんな感じでした。


赤羽駅京浜東北線(快速)秋葉原駅総武線両国駅⇒徒歩江戸東京博物館⇒徒歩両国橋⇒徒歩柳橋⇒徒歩浅草橋駅都営浅草線日本橋駅⇒徒歩日本橋⇒徒歩三越前駅東京メトロ銀座線上野駅京浜東北線(快速)赤羽駅埼京線⇒最寄り駅


絵や写真、模型で観た橋の現在の姿を観てかつ実際に渡るというかなり楽しく感慨深い体験ができました。


例えば両国橋


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一大歓楽街だった両国橋西詰の現在は、


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普通の街にしか見えませんな。


でも振り返ると、


120623_1_03jpg 東京スカイツリーがそびえているし、ガードレールには、


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軍配や花火があしらわれていて、さすがは両国橋って感じです。


両国橋隅田川に架かっているのですが、両国橋のちょいと上流で、支流が西から合流しています。


120623_1_05


この「支流」、実は神田川でして、なかなか趣深い橋が架かっています。

この橋を渡って浅草橋駅に向かったのですが、この橋は、といいますと、、、、


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柳橋


江戸時代には料亭街として(そして芸者衆も)知られた地域・柳橋の地名の由来になった橋

この辺りには土地鑑のない私、柳橋がこんな場所だったとはまったく知りませんでした。

私の頭の中では、柳ジョージ&レイニーウッドの「酔って候」が、


新橋 両国 柳橋
夜の明けるまで飲み続け
粋な 酔って候


と鳴り響いていたのでした。


詳しいお話は後日ということで、日本橋


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例によって、日本橋よりも日本橋に架かる首都高速の高架の方が目立っています…

でもこんなことは判りきっていたことで、今日の目的は日本橋のディテールを観察することです。


まずは南詰・下流側を守る吽形の獅子(北詰・上流側も吽形で、南詰・上流側と北詰・下流側は阿形)。


120623_1_09 獅子がホールドしているのは「東京市の市章(に似た形)」で、銘板は徳川慶喜さんの筆によるものです。


この獅子や柱も見事ですが、さらに見事なのが、橋の中央部に鎮座する麒麟


120623_1_10 う~ん、よござんす


また、獅子や麒麟に比べればインパクトは弱いものの、ランプだってなかなかデス。


120623_1_11 ホントに、上を首都高速が通っていなかったら、どれだけ気持ちの良い橋だったのだろうかと思います。

本格的に憤慨するのは後日に先送りしますが(もうこちらの記事で憤慨していますけど…)、とりあえず今日のところはこちらの写真を見て私の気持ちをお察しください


120623_1_12 せめてセンターを合わせるくらいの心遣いもできなかったのかねぇ…


今日の最後は、江戸時代から明治初期に高札場があったという南詰・上流側「今」


120623_1_13 現在は「高札」ではなく江戸時代の日本橋を描いたレリーフ「日本橋由来記」が掲示されています。
このスポットだけは時間が止まっているようでした。


ということで、今日の詳細は後日ということで…

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TOMJSQのDVDが届いた♪

2012-06-22 22:57:40 | MISIA

発売日(6月20日)にはこちらで書いたように「未発送」だったDVDTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST-GRAND FINALE 2012 IN YOKOHAMA ARENA-(初回生産限定盤)」(タイトル、長すぎ…)、昨日(6月21日)の夕方になって「ご注文の発送」メールが届きました。


いつも決して早いとは言えないAmazonからの新譜発送ですが、今回は輪をかけて遅い…


でも、某通販サイト酷さを再認識したばかりの私(こちらの記事)としては、こんなメールを受け取ってしまうと、「まぁ、許してやるか…」なんて思ってしまうわけで…


120622_1_01

お客様が予約注文された以下の商品が、注文時の価格からY 37円安くなりましたのでお知らせいたします。
ご注文後にこの商品の価格が下がったため、予約商品の価格保証により、最も安い価格でお客様にご請求させていただきました。


と、たった37円安くなっただけですが、ひたすら事務的・無機的・不誠実某通販サイトに比べたら、受ける感じは全然違う


   


120622_1_02 さて、きょう(6月22日)帰宅すると、DVDが届いていました。(配送業者がJPだったのは意図されていたことだったのだろうか…)


今、DVDを再生しながらこの記事を書いているのですが、ちょっと驚きました。


私、WOWOWの生中継こちらの記事をご参照方)の画像をそのまま使うのだろうと勝手に思い込んでいたところ、チラ見しているところでは、どうやらWOWOWの生中継とは違う「絵」のようです。


じっくり見比べたらやはり同じ…なんて可能性は否定しきれませんが、やはりこうでなくっちゃ売り上げは伸びませんぜ


ところで、


さらに初回生産限定盤には、歌うMISIAのさまざまな表情がおさめられているライヴフォトブック全36P+MISIAトレーディングカード3種の豪華特典付き!!このトレーディングカードは全12種類で、うち3種類のカードが1商品にランダムに封入されます。さらにプレミアムな特典として、そのうち500枚限定でランダムに“MISIAがライヴで使用した衣装の一部が付いているトレーディングカード”が封入されます!!


ということで、私のところにやって来た「初回生産限定盤」に封入されていたトレーディングカードには、、、、、
「衣装の一部」はついていませんでした
もっとも、この手の企画にはとんと縁の無い私としては、ほとんど期待していなかったのではありますけれど…。

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楽天ブックスからの2通のメール

2012-06-21 22:00:43 | 日記・エッセイ・コラム

6月3日の記事「写真家・比嘉康雄さんが気になる」で、比嘉さんの写真集「母たちの神」某通販サイトで見つけて注文したことを書きました。


Amazonでも、hontoネットストア(旧bk1)でも「入手不能」になっているこの写真集が、某通販サイトこと楽天ブックスで注文できること自体、かなりまゆつばでしたが、


メーカー取り寄せ」に若干の不安を覚えつつも、まぁダメモトで…


と、注文したわけです。


120603_1_05


もともと楽天グループにはいろいろと胡散臭さを感じていて、極力利用していない私ですが、背に腹はかえられないって次第。
そして、6月3日に注文して以降、ステータスはず~~っとメーカー取り寄せ」でした。


メーカー取り寄せ」についてサイトの説明では、


配送センターに在庫がなく、出版社・メーカーより取り寄せをします。
商品調達しだい発送いたします。
※確認期間(調達期間)は7~16日目安となります。
まれにメーカー都合による在庫切れや出荷停止が発生し、商品入荷ができない場合があります。
その際は、ご注文の商品をキャンセルさせていただく旨のご案内を、メールにてお送りいたします。
ご案内にはお時間がかかることがございます。ご了承ください。


ということで、まぁ、気長に待てというわけですな。


そして、注文してから18日経った今日になって、楽天ブックスからメールが届きました。


120621_1_01【楽天ブックス】ご注文キャンセルのご案内」と題したこのメール、


以下に記載の「欠品理由」により、ご注文商品をお取り消しとさせていただきます。


とあって、その「欠品理由」が、


在庫なし


なんですって…


さんざっぱら引っ張ったあげく、


在庫なし


を理由に「ご注文キャンセル」ですか…。
なんともお気楽な商売をしているものですなぁ~。
さすが私が「胡散臭い」と見込んだ楽天グループだけのことはあります。


こんな体験をしたのは私だけではないようで、こちらのサイトを見ると、出てくる出てくる…
よくぞこんな商売を続けていられるものだと、ある意味、感心してしまいます。


実は、ステータスが「メーカー取り寄せ」だった今週火曜日楽天からこんなメールが届いていました。


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注文してから2週間以上「メーカー取り寄せ」のままで、「どうなっているんだろうか?」疑心暗鬼の人間に、


【楽天市場】ショップレビュー(評価)にご協力ください


なんてメールを送ってくるとはねぇ~
常人の感覚を超越しています
さすが、あの関越自動車道での高速バス事故に遭遇した顧客に、


ご乗車いかがでしたか


自動送信メールを送って、事故の被害者やご家族の気持ちを逆なでした楽天グループニュースになりました)だけのことはあります。


私の携帯メアド流出させたのではないか(こちらの記事をご参照方)なんて疑惑もある楽天グループ、これを機会にアカウントを削除してしまいましょうかねぇ…


でも、Edyばかりは使えなくなったら不便だし…。

う~む…です。

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「はつ恋」は台風に勝てなかった

2012-06-19 21:09:44 | MISIA

台風が近づいているというので、いつもよりかなり早めに職場を出発して帰ってきました。


ところが、やはり早く帰ると時間がかかる…


1時間早く職場を出発すると、所要時間が30分余計にかかるものだから、30分ほどしか早く帰り着きません
加えて、渋滞にはまって燃費は悪いし(今日は窓が曇るのでエアコンを使いました)…


   


ところで、明日6月20日MISIANew Single「恋は終わらないずっと」発売日


恋は終わらないずっと<br />(初回生産限定盤) 恋は終わらないずっと
(初回生産限定盤)

価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-06-20
恋は終わらないずっと
価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2012-06-20

今朝、私の所にも某通販ショップから出荷のお知らせが届きました。


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もっとも、「今日帰宅したら届いていたなんて甘いことは考えておりませんで、実際、届いていませんでした


それはそうと、今日は火曜日ですから、NHK ドラマ10「はつ恋」放送日 なんですが、、、、


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2012.6.19 6月19日の放送は台風関連報道のため休止です。
第5回は6月26日放送となります。


ですって


この辺り、さすがはNHKです。


それはともかく、台風4号、自宅近辺でもどんどん雨風が強くなってきています。
これでまだ「強風圏」だというのですから、「暴風圏」に入ったらどうなるのでしょうか?

そんな心配をしつつも、明日の朝は台風一過の晴天になるのかと楽しみだったりして。


【追記】一夜明けたら、良い天気 たっぷり水分を補給した木々の緑がキレイです


と、思い出した

こちらも今日(6月20日)発売でした


THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST<br /> -GRAND FINALE 2012 IN YOKOHAMA ARENA-(初回生産限定盤) [DVD] THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST
-GRAND FINALE 2012 IN YOKOHAMA ARENA-
(初回生産限定盤) [DVD]

価格:¥ 5,800(税込)
発売日:2012-06-20
THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST<br /> -GRAND FINALE 2012 IN YOKOHAMA ARENA- [DVD] THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST
-GRAND FINALE 2012 IN YOKOHAMA ARENA- [DVD]

価格:¥ 5,000(税込)
発売日:2012-06-20

すっかり忘れていました

配送状況はといいますと、、、


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未発送


う~む… (2012/06/20 06:08)

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その5)

2012-06-18 22:30:06 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その4)」のつづきです。


平和祈念公園を出発した時、時計12:20を廻っていました(って、私は腕時計を自宅に忘れてきたんですが…)。帰りの飛行機15:45発で、レンタカーを返す予定時刻が14:00でしたから、あまり時間がありません。

が、このまま空港に向かったり、昼食で時間を取られるのは惜しいわけでして、当初の予定どおり、空港に向かう途中にある旧海軍司令部壕へとクルマを走らせました。


平和祈念公園から県道15号線を北西に走っていますと、左の車窓から妙なものが見えました。


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「妙なもの」と書きましたが、これを見る直前に自衛隊分屯基地の看板を見かけましたから、きっとレーダーサイトなのだろうと思っていました。

それでも、こんな妙な形のレーダーを見たのは初めて


ついにたまらず、クルマを停めて(っつうことは…)、落ち着いて撮影しました


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おぉ、亀の甲羅みたいなレーダーはどうやら3つあるらしく、そして、「親ガメ子ガメ」よろしく大きさが違う


帰ってきてから調べると、この「妙なもの」はやはりレーダーで、「J/FPS-5」という「航空機や巡航ミサイルのみならず、弾道ミサイルの探知と追跡を目的としたアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダー(Wikipediaより)」だそうで、私が見た与座岳分屯基地「J/FPS-5」運用開始から2か月も経っていない新品のようです。


Wikipediaの記述によれば、


3面ある内の中央面には、直径約18mの覆いの下にL・Sバンドのレーダーが設置されており、これが航空機と弾道ミサイルに対処する主警戒面である。残りの2面には、直径約12mの覆いの下にLバンドのレーダーがあり、航空機に対処する警戒面となっている。建物全体が回転できるため、必要に応じて高脅威方向へ指向できる。


だそうで、あの六角柱全体が回るとな


う~む…、、、、よく判らん…


つづき:2012/06/25 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その6)


でも、日本に4つしかないという珍しいものを見せていただきました。

コメント (2)
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