新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

来週末の長野遠征の計画を立てる

2019-02-25 21:57:01 | MISIA/旅行記

私、来週の土曜日3月9日は、「MISIA星空のライヴX Life is going on and on」松本公演出撃予定です。

MISIA星空のライヴX先週X」NHKホール公演は、チケットこそget していたものの、仕事の関係で、行けるかどうかギリギリまで判らなかったもので、チケットを泣く泣く他の人に譲らざる得なかったという痛恨のライヴになってしまいました。
ふり返ってみれば、昨年6月に始まったXツアーは、昨年6月から今年1月まで、律儀に(?) 毎月欠かさず1回は出かけていたのですが、これも「ほぼ地元」東京公演途切れてしまったわけで…

ということで、1月19日仙台公演以来、約40日ぶり 生MISIAをめちゃくちゃ楽しみ にしているところです。

   

長野でのMISIAのライヴに参加するのは、2015年7月「MISIA星空のライヴVIII」上田公演以来、2度目のことで、あの時は、ライヴ自体も最高 だったし、そのあとの長野県内の周遊(旅行記ダイジェストはこちら)も、ほんっと、楽しかった

2015年の旅程は、大まかに書くと、

自宅⇒上越・北陸新幹線上田北陸新幹線長野市特急しなの松本特急あずさ茅野特急あずさ立川中央線・武蔵野線⇒自宅

というもので、2泊3日反時計回りのルートをとり、上田長野松本茅野観光しました。

それならば ということで、今回は1泊2日逆回りのルートをとることにしました。
またまた旅程を大まかに書くとこんな感じ。

自宅⇒武蔵野線・中央線立川特急あずさ松本特急しなの長野北陸・上越新幹線⇒自宅

そして、松本では前回は長々と続く行列を見て断念した松本城天守「入城」することを2番目の目的にして、前回は長野駅善光寺との往復しかしなかった長野では松代へ足を伸ばしてみようかと考えています。
今は、時刻表を見つめて 長野市内での行動を検討しているところで、まだ確定していませんけれど、旅行として成立しそうな気配です。

う~む、楽しみだなぁ~

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2019年版「特製MISIA卓上カレンダー」の版下が完成!

2019-02-17 20:37:24 | MISIA/日記・エッセイ・コラム

勤務先の2019年度のカレンダーが確定したことから、今年4月以降「特製MISIA卓上カレンダー」版下を作りました。

2018年度版は、こちらで書きましたように、MISIAアルバムのジャケ写にしましたから、2019年度版は、シングルのジャケ写にしてみました。

そうそう、「2019年度版」と書いていますが、諸事情を勘案して、作ったのは4~12月8ヶ月分だけです。
「諸事情」とは何か… それは、しばらくは内緒にしておきますね

さて、MISIAシングルは、ネット配信限定も含めて、全部で37点あります。
この中から8点を選び出すのには結構悩みました

選考基準「ジャケ写が好きか」の側面に集中して、選び出して、版下を作成して、そしてできあがった作品(?)を載せましょう。
8か月分だと、画像のバランスがとりづらいもので、今年1~3月も含めた2019年の1年分としまして、まずは1~4月

4月は、最新シングルの「アイノカタチ feat. HIDE (GReeeeN)」にしました。
このジャケ写MISIAヘッドドレスを見ると、どうしても、トヨタ産業技術記念館で見た(触った)くしけずって紐状になったコットン(記事はこちら)を思い出してしまいます

それはさておいて、次は5~8

このうち、8月「名前のない空を見上げて」は、MISIAスカートイイ感じだし、つま先立ちしているところも好みです

最後は9~12月です。

昔、歴史の教科書に載っている明治の元勲たちの写真を見て、どうしてみんなタスキをかけているだろ? と思ったものです。その「タスキ」は、タスキではなく勲章をぶら下げる「綬(じゅ)というものだと知ったのは相当あとのことでした。

と、ここで一つの疑問が…。

11月「SEA OF DREAMS」のジャケ写で、MISIAはその「綬」左肩から右腰にかけていますが、明治の元勲たちの写真を見ると、明治天皇を含むほとんどの人たちは右肩から左腰をかけていて、MISIAのよう左肩から右腰に綬をかけているのは、山縣有朋大山巌くらいのもの。

勲章着用(佩用)には、厳格なルールが定められていますから、単に好みで左右にかけ分けているはずはありません。

そこで、調べてみたのですが、勲章等着用規定には、左右に記述はありません

仕方なく(?) Wikipediaをみると、こんな記述がありました

通常の勲章は右肩から左腰に掛け、その国における特別な勲章(イギリスのガーター勲章シッスル勲章、プロイセンの黒鷲勲章、日本の功一級金鵄勲章等)のみ左肩から右腰に掛ける

へぇ~ 知りませんでした

ん" ? とすれば、

MISIA左肩から右肩にかけている勲章(見た感じ、日本の旭日章っぽい…)は、「その国における特別な勲章」ってこと?

あ、わかった

MISIAは、「夢と魔法の王国」からSpecialな勲章をいただいたんだ

う~む、、、、(勝手に) 納得

書き漏らしていましたが、このカレンダーは私の勤務カレンダーですので、多くの「祝日」が平日扱いだったり、春・夏・冬の長期休みがあったりと、一般の人たちの用には適しませんm(_ _)m

つづきのようなもの:2019/12/01 今年も「MISIA卓上カレンダー」を作ってみよう

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気がつけば「ブログ開設10周年」を過ぎていた

2019-02-14 22:29:04 | 日記・エッセイ・コラム

さっき、風呂に入って、う~~いい気持ちでいたら、ふと気づきました。

もしかして、ブログを開設してから10年経ったか?

と…。
たしか、ブログを書き始めたのはある年の1月下旬だったはずだけど、もしかしたら2009年1月じゃなかったか? そうだとすれば、何気なく「10周年を通り過ぎたか? とね

で、風呂から上がって、ブログのバックナンバーを探ってみると、やはり、第1編「ブログを始めました」をアップしたのは、2009年1月23日のことでした

あれまぁ~~ ホントに何気なく、っうか、まったく気づくことなく10周年通り過ぎていたぁ~~
しかも、「10th Aniversary当日の今年1月23日記事を書いていないし…

でも、弁解がましいかもしれないけれど、「5周年だった2014年1月23日の記事をみると、「NHKとMISIA絡みのネタ2題」と題して、MISIAのことは書いても「ブログ開設 5周年」記念日的なコトはひと言も書いてない

まぁ、「5周年だ、「10周年だ、と、その辺は気にせずに、学生の頃に書いていた日記のように、

「心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書き綴る」自分による自分のためのエッセイのようなもの

を、思うままに書いていくのがこのブログというわけでございまして…
っつうか、私にとって一種のストレス発散の場(飼い犬にとっての散歩のようなもの)になっているのがこのブログなんですよ。

ですから、間隔が空くこともあろうかと思いますが、「書きたいという気持ちのある限り、ブログを続けて行きたいと考えておりますので、お付き合いいただける方には、引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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交通違反の点数と反則金

2019-02-13 22:45:08 | 日記・エッセイ・コラム

クルマやバイクで交通違反を犯して警察官に見つかると、基本的に「反則金が科せられるのと併せて「点数」が加点されます。
酒気帯び運転とか危険運転といった悪質な違反重大事故を起こした場合は、裁判にかけられて、反則金ではなく罰金を科せられたり、懲役刑を喰らったりするわけですが、こうしたケースは置いといて、きょうはもうちょいと軽い違反の話です。

「反則金は、決められた金額を金融機関から払い込めば、それでおしまい
平日の真っ昼間金融機関まで足を運ばなければならないという厄介さはありますが、納付すれば、後腐れなく、それで完了です。

一方、「点数」は、過去3年間頂戴した点数を加算して(よくいわれる「減点」ではなく加算です)、その累積点数と過去3年間の処分の回数に応じて、免許停止の期間や、免許取消と再び運転免許を取得できるまでの間隔が決められます。
つまり、一発限り「反則金」と違って、「点数」尾を引くのですよ。
詳しくは、例えば埼玉県警のサイトをご参照くださいませ。

と、前振りしたところで、きょうの本題です。

交通違反の中には、反則金は科されるけど点数はつかない違反」と、逆に点数はつくけど反則金は科されない違反」があります。

具体的に点数・反則金一覧表から抜粋するとこんな具合です。

点数・反則金一覧表(抜粋)

「反則金」「点数」って、どんな意味/理由のもとに、こんな表になっているんでしょうかねぇ…

「点数」は、その制度からして、「常習者を公共交通から遠ざけよう」とする意図を持っている気がしますが、上の表を見ると、そうとも限らない感じ…

一方の「反則金」は、明らかに運転者以外の人たちへの「迷惑」に対する処罰っぽい
とはいえ、「幼児用補助装置使用義務違反」は、「同乗者(子ども)は他人」観点が欠けているし、「免許証不携帯」他人への迷惑より「常習性(慣れ)」の方が問題だと思うのだけれど…

ところで、上の表に「公安委員会遵守事項違反」というのがありますが、これは何でしょ?

こちらのサイトによれば、

公安委員会が定めた禁止事項や、都道府県の条例(道路交通法施行細則)により定められた禁止事項などを犯して車両を運転すること。交通違反の1つ。

だそうで、極端にいえば、国(国会/政府)が定めた法令以外禁止事項を犯すこと。

これじゃますます判らないですよね

わかりやすい例が、こちらのサイトに載っていました。

下駄を履いてバイクやクルマを運転する人はいないと思いますが、下駄だけではなく、ハイヒールとか木製サンダルとかスリッパといった履き物での運転を禁止している都道府県が多いようです。
細かいことをいえば、クルマを運転しようとしている道路が所在する都道府県の条例熟知して、それを遵守して運転しないと、「公安委員会遵守事項違反」に問われる恐れがあるということ…。
現実的には、そんなのは無理なわけで、その辺は「常識」に沿って運転するしかないということですな。

さて、なぜ藪から棒こんな話題を取り上げたかといいますと、実は、きのうの私、運転免許証を入れた財布を家に忘れて、クルマ通勤してしまったのです

自宅を出発してしばらく走ったところでこの事実気づきましたが、「なんとかなるだろと、そのまま会社に向かいました。
でも、一応、警察官に目をつけられるような運転をしないよう、事故に遭遇するようなことのないよう、気を使いましたです

今年末、私は運転免許証更新時期を迎えることになっておりまして、今回は「優良者講習で済ませられるよう(前回はギリギリのタイミングでスピード違反でつかまってしまいました)、安全運転に努めたいと思います。

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約1か月ぶりの別邸(実家)はすっごく寒い (後編)

2019-02-11 21:29:14 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「約1か月ぶりの別邸(実家)はすっごく寒い (前編)」のつづきです。

自宅に戻ってきました。

きのうは、実家の台所の蛇口凍結事件書き飛ばしてしまいましたので、ここで2日間の旅程を…。

初日:自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大宮駅東北・秋田新幹線
  ⇒秋田駅⇒徒歩秋田県立美術館エリアなかいち⇒徒歩
  ⇒タクシー実家

2日目:実家⇒タクシー秋田駅秋田・東北新幹線大宮駅
  ⇒埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

秋田県立美術館に入館する前に、エリアなかいち秋田犬ステーションチラ見

秋田犬ステーションいました 秋田犬
毛並みきれいだなぁ
かわいいなぁ
それにしてもデカいなぁ

ということで、秋田県立美術館特別展「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」を観覧、、、、

歌川広重 二つの東海道五拾三次

と、その前に、常設展「平野政吉コレクション展 IV」を…。

今回は、デカ過ぎ門外不出「秋田の行事」を始めとして、藤田嗣治づくし

愛妻マドレーヌを失って憔悴した雰囲気が伝わる「自画像」(1936)だらんとした藤田の姿と、その2年後の作品「客人(糸満)」(1938)(大好きな作品)に描かれた2人の女性の背筋ピンと伸ばした姿勢とが対照的面白かったなぁ。
面白かったといえば、羽子板の形のキャンバスに描かれた「マドレーヌ像 羽子板型」(1933)もかなり面白いし、藤田が秋田の平野家米蔵「秋田の行事」を描いた様子を1/10サイズで再現した模型見ものです

   

そして特別展「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」

広重「東海道五拾三次」といえば、圧倒的保永堂版(1833-34)が有名ですが、この展覧会は、その保永堂版と、その15年後の1849年に出版された丸清版、さらに、保永堂版の構図をもとめて大正時代に撮影された各宿場の写真現代の写真も合わせて展示されていました。

保永堂版は、基本的に江戸側から京都側を望む構図なのに対して、丸清版逆の構図なのが興味深い…
でも、私は基本的に保永堂版の方が好きだなぁ…
全体に漂うユーモアがいいなぁ。
とりわけ、「原」富士山画面を突き抜けているのとか(丸清版もこれを踏襲したか、富士山の山頂部分トリミングされているという過激さ)「掛川」で今度は画面を突き抜けているのは、やるねぇ~、粋だねぇ~、江戸っ子だねぇ~、であります

実写写真は、大正版は広重が描いた風景のなごりがあって楽しかったのですけど、平成版は、構図が明らかに違うのが多くて、もうちょいなんとかできなかったのか と思いましたです。

秋田県立美術館からの帰り際、2Fカフェから千秋公園の方を眺めると、

秋田県立美術館のカフェからの眺め

あらま が降り出している
それは想定内でしたが、旧・秋田県民会館が完全に姿を消している

ブラバンをやっている頃、何度もステージに立ったなぁ~、MISIAライヴに行ったなぁ~と感慨深いったらありゃしない…。

この場所には、「客席数2,000席規模の高機能型ホールと、同800席規模の舞台芸術型ホールの2つのホールを核」とする新施設が建てられて、「早ければ2021年度までに完成の見込み」だそうな(Wikipediaより)。
それまではMISIA秋田にやって来ることはないんだろな…

   

この後、タクシー実家に行き、そして「前編」で書いた蛇口凍結事件遭遇したのでございます。

そして今朝、今回のプチ帰省一番のタスクをこなしました。

それは、昨年11月末MISIA★X遠征からのプチ帰省(記事はこちら)、今年の正月帰省の際にたまったゴミ出すこと。

クルマで帰省していれば、ゴミ自宅まで持ち帰るところですが、新幹線で帰省すると、まさか生ゴミを持ち帰るわけにもいかず、思い切ってゴミ袋を勝手口に置いてUターンしてきていました。季節柄、大変なことにはならないだろ… という読みもありましたから。
実家付近の「ゴミ収集カレンダー」をチェックすると、きょう祝日ながらゴミ収集が行われる ということで、今回のプチ帰省を決行したしだいです。

私の読みは当たりゴミ異臭を発することもなく、おとなしく勝手口に佇んでいました
いやぁ~、良かった

   

この他、実家ではいくつかの懸案を抱えていまして、例えば、衣類乾燥機まとも働かないとか、網戸グダグダになっているとか、オーブントースター具合が良くないとか、ダイニングキッチンの灯具薄暗くてなんとかしたいとか…。

亡くなった母の身の回り品の整理という最大のタスクもあるのですが、それは来年以降ジワジワやるつもりです。

で、実家の中をウロウロ「巡回」するうちに、あること思い出しました

15年前、某雑誌のクイズで「トラッキーシーリングライト」当たったとき(記事はこちら)、自宅ある部屋の灯具「トラッキーシーリングライト」取り替え(その部屋の灯りをつけると、「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」メロディーが流れます)取り外したシーリングライト実家に送ったのでした

そのシーリングライトは、旧自室寝たままでして、それをダイニングキッチン設置してみました。

ダイニングキッチンに新設したシーリングライト

おぉお見事
懸案の一つが解決しました

次に解決するべき懸案は何だろ… 
しばし考えた後、次にクルマで帰省するとき(今年の「大型連休」かな?)には、網戸の張り替えに取り組んでみましょうかね…

ふるさと滞在約24時間の、ほんのプチ帰省でしたが、有意義な帰省になりましたとさ。
めでたしめでたし…

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約1か月ぶりの別邸(実家)はすっごく寒い (前編)

2019-02-10 20:30:22 | 旅行記

野暮用帰省しております。
明日は新幹線Uターンしますので、滞在約24時間のほんとにプチ帰省

で、約1か月ぶり実家に着くと、道路に面した門から玄関までがバージンスノー状態
でも、積雪はせいぜい10cm位で、短靴でズカズカと…。
その後、長靴に履き替えて雪かきしましたが、新雪だったみたいで、あっという間に作業は完了いたしました。

続いて、トイレ
用をたして、を流すと、何の問題もありませんでした
洗面所OK

仏壇でお参りしたあと(寒い…)台所自室暖房ON(メチャ寒い)

自室で一服して、さて、コーヒーを淹れようか…、と台所に戻ると、あれま 台所の蛇口の先端からつららぶら下がってる…

動揺した私は、証拠写真を撮ることも忘れて、蛇口の先端に指で触れて状況チェック
チェックも何も、蛇口の先端がカチコチ凍っているのは自明のことでして、ノブを回しても(ジャリっとした感触あり)、が出るはずもありません…
ガ~~ン です。

でも、ここで蛇口に熱湯をかけて溶かそうとするのがご法度であることは私も存じ上げておりまして(こちらのサイトをご参照方)じわじわと溶かすことにしました。
洗面所水が出ることは確認済みですし…
洗面所でヤカンに水を入れ、それを沸かしてコーヒーを…。

結局、台所に暖房を入れて2時間ほどすると、チョロチョロが出始めました
現時点では、まだ本調子(?)とはいえないまでも、なんとか使える程度まで復活しています。

それにしても、もしや… という予感がなかったわけではありませんけれど、ホントに水道が凍ってしまうとは
実家の水道が凍るなんて、私の記憶では、遠い昔一度あったきり(この時は台所のみならず風呂場を含めて全滅でして、復旧に2~3日かかりました)
今回の場合は、「空き家」状態だったのも効いたんだろな…

あ、そうだ
お風呂には無事に入れました とさ…。

つづき:2019/02/11 約1か月ぶりの別邸(実家)はすっごく寒い (後編)

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愛宕山に「登山」した話 #4

2019-02-09 13:12:48 | 美術館・博物館・アート

「愛宕山に『登山』した話 #3」のつづきです。

NHK放送博物館3Fは、企画展示室と、

ラジオ放送開始から現在までの通史を一望でき、放送の未来を感じられる展示

という「ヒストリーゾーン」で構成されています。

NHKの本拠地といえば、現在は渋谷にありますが、その前は内幸町にあり、さらにその前は、NHK放送博物館の立つ愛宕山にありました。
その辺の遍歴は知っていたつもりですが、そこから先はまったく知らなかったことを思い知りました。

まず、日本最初のラジオ放送が行われた(1925年3月22日)のは愛宕山の放送局ではなく芝浦にあった東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内におかれた仮放送局だったということ。そして、その4ヶ月後(1925年7月12日)愛宕山から本放送が開始されたこと。
1938年12月に内幸町東京放送会館が竣工すると、1964年10月から1968年6月にかけて渋谷放送センター(現・NHK放送センター)の整備の進捗に合わせて漸次、その機能を移転させるまで、「放送の殿堂」であり続けたこと…。

と、ここで、内幸町の東京放送会館のことをちょいと…。

東京放送会館

東京放送会館のあった場所を、私はてっきり、日比谷通り東側NTTとかみずほ銀行(この3連休もATMオンラインサービスお休み)のある辺りかと思っていたのですが、日比谷通りの西側

現在の日比谷シティのあるところでした
いやぁ~、意外…。というか、どうして私は日比谷通りの東側だと考えていたんだろ…

   

さて、ヒストリーゾーンを見て思ったのは、エレクトロニクスの進歩というのは、ひたすら高機能化&小型化の歴史だったのではないか? ということ。

マイクにしても、レコーダーにしても、TV受像機(画像サイズは別)にしても、TVカメラにしても、昔の機器のなんとデカいこと
初代のカラーカメラなんて、自動販売機みたいな大きさですから
中継車も、バスサイズのクルマが3台で1セットだったりと、今からすれば信じられない世界…

ところで、お宝満載NHK放送博物館ですが、その展示物の中でもっとも丁重に扱われていたのは、昭和天皇のいわゆる「玉音放送」レコード原版(音声を直接レコード盤に刻み込んだ)でした。
温度・湿度が管理され、窒素で充填されているという特製ケースに収められたレコード原版、確かに「お宝中の「お宝です

最後に企画展示「江戸の名所 愛宕山と山の放送局JOAK」を観て、

NHK放送博物館の見物は終了

いやぁ~、面白かった

展示替えがあるのかどうか、していればその頻度とか不明ですが、また行ってみたいと思っています。

   

ここで一旦NHK放送博物館を出て、愛宕神社「出世の石段」を慎重に降り、ちょいと遅め昼食

近くのホテルのレストランに入りまして、メニューを見ると、ランチはほぼ2,000円
私はてっきり料理単品のお値段だと思い、まぁ、ホテルのレストランだしな…と、、、あれま、ご飯orパンスープサラダバーデザート、食後の飲み物を含んでのお値段でした
こりゃコスパ高い

至極満足して、エネルギーを回復して、再び愛宕山へ…

「#4」はここまで。

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愛宕山に「登山」した話 #3

2019-02-08 23:21:21 | 美術館・博物館・アート

「愛宕山に『登山』した話 (中編)」のつづきです。
「中編」のつづきが「後編」ではなく「#3」なのはなぜ…

それはともかく、「愛宕山8Kシアター」を一旦退出した私は、NHK放送博物館2Fテーマ展示ゾーン

ゾーンの最初は「テレビドラマの世界」で、来館者をお出迎えしてくれるのは、昭和20年代の街のジオラマ
ジオラマ好きの私としては、最初から盛り上がりつつ、これは何?

朝ドラ「梅ちゃん先生」のオープニングで使われた「セット」でした
このジオラマの上に設置されたモニターでは、「梅ちゃん先生」オープニング映像が流されていまして、この「ジオラマ」で撮影されたパペットアニメにつづいて、(しめ)笑顔で聴診器をこちらに向けてくるほまきぃ~

おっと、興奮してしまいました…

で、つづく朝ドラ一覧のパネルをしげしげと見ておぉ、懐かしいぃ~ となったのは、ホンの序の口でして、宮崎あおいさんが「篤姫」で着用された豪華お召し物でまたもやホワァ~となったと思ったら、今回のNHK放送博物館探訪イチオシ の映像に遭遇しました
それは、私が若かりし頃、かなぁ~り熱心に観ていた少年ドラマシリーズの一つ、「タイム・トラベラー」

「タイム・トラベラー」映像(かなり劣化してました)を観たのは何十年ぶり?
おぉ、ケン・ソゴル昔のまま (あたりまえ…)
セーラー服姿の芳山和子お姉さん、やっぱり、かわいい
ここで補足
「タイム・トラベラー」ヒロイン芳山和子を演じていた島田淳子さんは、その後、芸名を「浅野真弓」に変えて多くのTVドラマに出演されて、そしてそして、かの柳ジョージさんとご成婚

それはともかく、「タイム・トラベラー」の一シーンを観られただけでも、NHK放送博物館に出かけて良かったと、本気で思いました

   

「オリンピックの感動を伝える」のコーナーでは実況担当のアナウンサーたち「予習密度に驚き「こども番組がいっぱい」のコーナーでは「ひょっこりひょうたん島」の「ひょうたん島」の模型登場人物たちの人形ほっこりしたあと、階段を上って3F「ヒストリーゾーン」へ…。

と、飲み続けてきたビールがかなり効いてきてしまいました

ということで、「愛宕山に『登山』した話」シリーズは、まだ続きます

つづき:2019/02/09 愛宕山に「登山」した話 #4

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愛宕山に「登山」した話 (中編)

2019-02-07 22:26:51 | 美術館・博物館・アート

「愛宕山に『登山』した話 (前編)」のつづきです。

初めてのNHK放送博物館に入館しました。

入館無料とはうれしい

でも、一部を除いて撮影禁止なのはちょいと…

ちなみにNHK放送博物館という施設は、

NHK放送博物館は世界最初の放送専門のミュージアムとして、1956年“放送のふるさと・愛宕山”に開館しました。日本の放送が始まってから90年あまり。その間ラジオからテレビへ、さらに衛星放送やハイビジョン、そしてデジタル放送へと大きく進歩・発展してきました。
放送の歴史に関する約3万件の資料を所蔵し、順次公開していきます。

だそうで、世界最初の放送専門のミュージアム」というのは初耳でした。

それはさておき、エントランスからすぐの「ウェルカムゾーン」「撮影で、「放送の歴史を彩ったマイクやカメラなどの放送機器を展示」だったのですが、かなり古い機器が中心で、私の記憶と重なる部分が極めて少なくて、ほぼ素通り して2階のテーマ展示ゾーンに向かいました。

と、中2階に、この日のメイン「愛宕山8Kシアター」がありまして、下見かたがた入ってみました。

放映されていたのは「平昌オリンピックハイライト」で、フィギュアスケート男子シングル宇野昌磨さんのSPでした。

「8K」を体験するのは、昨年末の東京ミッドタウン日比谷(記事はこちら)以来2度目なんですが、オープンスペース仮設された東京ミッドタウン日比谷とは違って、こちらはクローズドの「シアター」ですから、映像音響段違いでした。
もっとも、映像は、映画館で観る映画とさほどの違いは感じませんでした…(ゴメン、NHK)
でも、音響はすばらしい

8K放送の22.2ch

22.2chという多チャンネルの音響は、クリアこの上なくて、臨場感ハンパない
こんな音響空間を家庭で構築できるものなんだろうか… と思ったりして。

結局、「ちょいと下見」のつもりだったのが、フィギュアスケート男子シングルフリーも全部観てしまいました

思い起こせば、羽生結弦さんの平昌オリンピックでのフリーしっかりと観たのはこれが初めてだったかも…
いやぁ~、ホント、すばらしい

技術もさることながら、バックの音楽の一音をも逃さずに演技に取り入れる繊細な構成だけとっても、抜き出ていた気がしました。

シアターではを拭う人もいらっしゃいましたが、気持ちは判る

おっと、気がつけばこんな時刻

夕食を摂りますので、きょうはこれまで。

もう1回完結できるのかな???? 

つづき:2019/02/08 愛宕山に「登山」した話 #3

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愛宕山に「登山」した話 (前編)

2019-02-03 21:28:02 | MISIA/タウンウォッチング

きのう、東京・港区愛宕山に登ってきました。

標高25.7mといいますから、「山」というより「丘」なんですが、これでも「天然の山としては東京23区内最高峰(Wikipediaより) だというのですから、捨てたもんじゃありません

私、就職で上京してからウン十年経ちますが、愛宕山に登ったのはきのうが初めてでした
先週の渋谷区立松濤美術館は、その存在すら知らなかったわけですが、愛宕山と、その頂上に存在する愛宕神社NHK放送博物館のことは重々承知しておりまして、これほどまでに後回しになったのは、単に、「その機会がなかったから」でございます

で、雌伏の時を経て(?) 私が愛宕山に登ったのは、NHK放送博物館にある「愛宕山8Kシアター」で、BS 8K 「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」再放送を観て、そのついで放送博物館も観てこようというしだい…。

   

で、「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」の放映は14:00からだったのですが、私が愛宕山の頂上に着いたのは、放映まで3時間もある11:00頃でした。

早すぎるとお思いでしょうけれど、これは私の時間配分の妙でして、まずは、初めての愛宕山見物して、愛宕山8Kシアター下見して、NHK放送博物館の展示を観て、ここで昼食&時間調整した後「MISIA LIVE ~One Mic, One Band」にの放映に臨む、という算段でした。

私は、

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線板橋駅⇒徒歩新板橋駅都営三田線御成門駅⇒徒歩エレベーター愛宕山

というルートで愛宕山へ到着

NHK放送博物館に入館する前に、愛宕神社界隈(って狭い範囲だけど)ウロウロ…。

説明板によれば、

愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26mである。山頂に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々が火伏せの神として信仰されてきた。
今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の86段の急勾配の石段で、寛永年間(1624-1644)に曲垣平九郎この石段を上下したと伝えられる。

だそうです。

この男坂、上から見下ろすと、、、、

なんじゃ、こりゃ

というとんでもない勾配です

まぁ、距離はそれほどありませんから、登るだけなら、なんとかなりそうですが、ここを降りるってのは…

無謀すぎると思えるのですが、Wikipediaによると、騎馬による男坂上り下りの、

2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、1925年11月8日、愛馬平形引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下り45分を要した。

ですって
上り1分で、下り45分

そりゃそうなるだろ…と思いつつ、なんて無茶なことをしたんだろと呆れかえるばかり。
岩木さんは、「愛馬平形と生死を共にするぞ」という意気込みだったかもしれないけれど、付き合わされた平形クンかわいそ過ぎます

ちなみに曲垣平九郎さんは、3代将軍・徳川家光の、「誰かこの石段を馬で登って、愛宕神社から梅の花を手折ってきてくれないものか?」という無茶振りに応じて「快挙」を達成したのだそうな…

この男坂上り下りは、このあと、自分でも体験したのですが、それらも含めて、また後日…。
早くも眠くて

つづき:2019/02/07 愛宕山に「登山」した話 (中編)

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