新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Blue♪Note TOKYOでPREMIUMなMISIAを堪能

2018-07-28 11:17:30 | MISIA

行ってきました、「MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018」@ブルーノート東京

MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018

いやぁ~、良かった…

一番お安い席でも20,000円というミュージックチャージが破格なら(私の場合、他に飲食代が4,000円弱)、MISIAとしては400席弱小さな「箱」でのライヴも破格だし、ライヴの最中に料理飲み物を運ぶお店の人がフロアを歩き回っているのも破格だし、1時間20分ほどというライヴの短さも破格ながら、そのそれぞれが「PREMIUMでした

はイイし、近いし、MISIAバンド完璧だし、聴衆ノリもイイし、むちゃくちゃ濃密かつ高品質なひとときを過ごすことができました。

   

さて、時間を追って備忘録的にきのうのことを書いてみますと、まず、私はめったに出かけることのない南青山界隈、銀座線表参道駅で降りて、人通りの少ない裏道を進みました。
南青山に来るのは、「南青山でアートして…」の時以来ですから、約半年ぶり
「めったに出かけることのない」と書いたわりには、それほどでもないんですな

で、ブルーノート東京は、去年12月に訪問したギャラリー玉英とも、岡本太郎記念館とも、また、3年前に一度行ったきりの根津美術館(記事はこちら)とも至近の位置にあります。

表参道駅から10ほどでブルーノート東京前に到着。

あれ 手前の南青山六丁目交差点道を渡っておくべきだった (私は骨董通り側から向かいました)
南青山六丁目交差点まで戻るのもシャクなので、ブルーノート東京とは反対側の歩道根津美術館の方向へ、横断歩道を求めて歩きました。

ところが、横断歩道ない

根津美術館前交差点まで行って、そこからUターンするのもますますシャク なので、ガードレールの切れ目車列の切れ目を見計らって、車道を横断しました
よいこは まねしちゃ いけないよ

この「車道横断」をする前、ブルーノート東京近くの路上(上に載せた写真の左側)に大型車2台駐車しているのに気づきまして、その1台は、、、

「8K SUPER HI-VISION」と書かれたNHK 中継車

この道は、当然のように駐車禁止ですが、そこはNHKですから、ちゃんと道路使用許可をとっているのでしょうし、数人の警備員さんを配置していました。

それはともかく、撮影機材が入ることは情報として仕入れていましたが、まさか、NHKの撮影とは

PREMIUMMISIAのライヴ8K映像&音響で記録されるなんて、なんとPREMIUM

ただ、8Kだけで番組が作られたら、NHKSpecial体験上映会でしかお目にかかれないぞ なんて余計な心配をしたりして…
聞くところによれば、普通のハイビジョンダウンコンバートして、地上波で放送予定なんだとか

放送はいつなんだろ?
「MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018」1夜(2公演)限りだから、ツアーと違って、いつでも放送できるわけで、すっげぇ楽しみ

それはさておき、ちょっと回り道して、ブルーノート東京の入口に到着。

ここで、集まりつつあったミー友さんたちと挨拶して、そして、入口の「TONIGHT」ステキな掲示を愛でたのち、場内へ…。

地下に向かう階段を囲む、Woodyで、Chicで、Coolダークブラウンの壁面は、JAZZの巨匠たちポートレートに埋め尽くされて(どうしてこうもJAZZ Musisianの写真はモノクロが合うんだろ)階段を下る一方で気分は上昇

そして、ホワイエでチケットを渡し、CLUB MSA会員証を提示して、レコードレーベルを模したコースター状のチケットを受け取りました。

ホワイエから会場への入場は、赤ちゃん連れや介助を必要とするお客さま、、、ではなく指定席の人たちが先で(指定席の種別順)、つづいて、自由席の人たちは、整理番号順でした。
私は、10番という超若い番号でしたから、早々に会場への階段を下れました(なんと深い場所なんでしょ)

そして、事前に目をつけていた座席を難なく確保

フロアマップ

私が目をつけていた座席は、会場左側の自由席の真ん中よりやや後ろで、ステージ側を向いたペアシートLすぐ後ろの席でした。

上に載せた座席マップ、実際のところはビミョーに違っていまして左右自由席のステージから遠い一画は、テーブルが取り去れていて、NHK撮影機材(通常のカメラらしき小ぶりのカメラと、8K用とおぼしき精悍なカメラ)が陣取っていました。

つまり、私の席すぐ後ろにはNHKのカメラがデーン と据えられていたわけでして、ステージの眺めは良好証しになる一方で、私が立ち上がったり腕を振り回したりしたら撮影の邪魔になるのではないかと、気がかりでした。

もっとも、最初にうちはおとなしくしていましたけれど、最終的には、タオルを振り回すスタンディングオベーションすると、ほぼいつもの鑑賞スタイルになってしまったとさ…

   

定刻を少し過ぎた頃、私の座席のほぼ真後ろの方向にある通路からバンドメンバーが入場してきました。
白い衣装で統一したメンバーは、クロタクさんを先頭に、ペアシートLの前を通って(bassのラシャーンとかは右側の通路から)ステージへ…。

これが、私が会場左側の座席を選んだ理由です。

そして、演奏が始まりました。

去年の「MISIA SUMMER SOUL JAZZ 2017」では、黒田バンドのインストルメンタル・ナンバー「Aflo Blues」で始まりましたが、今回は、BELIEVEのイントロ

っつうことは と、ふり返ると、MISIA入場

そして、目の前(一瞬だけ実質2列目)を通って、MISIAがステージに向かいます。ペアシートLの人たちや、アリーナシートの一番左の席の人たちは、MISIAハイタッチ

この入退場に限らず、ブルーノート東京は、とにかく出演者と聴衆の距離が近い
物理的な距離だけでなく、近い

MISIAも、ライヴの途中で、

マイクが無くても良いくらい。ほら

とマイクを離してみたりするくらいですから。
できることなら、1曲だけでも(例えばTSTOMでやってくれたクロタク&大林さんとの「キスして抱きしめて」とか)マイク無しで歌ってくれればよかったのに…

それはともかく全編ににわたって、一流ミュージシャンたちによるアコースティックで、クリアで、精緻なコラボレーションを堪能できて、まさに至福の時間でありましたよ。

ところで、セットリスト(1st Showも2nd Showも一緒みたい)は以下のとおり。

01. BELIEVE
02. LADY FUNKY
03. 変わりゆくこの街で
04. 恋人失格
05. 来るぞスリリング
06. 真夜中のHIDE-AND-SEEK
07. 運命loop
08. オルフェンズの涙
09. めくばせのブルース
10. MAWARE MAWARE
11. SERENDIPITY
12. 最後の夜汽車

大大大好き「めくばせのブルース」をまた聴けましたぁ~

また、「LADY FUNKY」(同じ名前のカクテルSpecial として用意されていました。私は飲まなかったけど…)は、聴くたびにどんどん良くなってきていて、ますます今後の成長が期待されます(上から目線)。

考えてみれば、MISIAは、400人弱のキャパの小さな「箱」で公演した2日後には、15,000人収容のFUJI ROCK FESTIVAL '18  White Stageで歌うというのですから、その「落差」たるや…

映画「ローズ」で印象的なシーンの一つに、ローズが故郷の小さなクラブで歌うシーンがあります。
プライベート飛行機で、スタジアムなどの大会場を回って、大観衆を熱狂させているローズが、聴衆全員の顔を認識できるような小さなクラブでも、ホント楽しそうに歌うんですが、好きな音楽を、自分の音楽を愛してくれている人たちの前で演奏・歌うことには、楽しさ大小なんてないのかもしれませんな。

ということで、明日、7月29日のFUJI ROCK FESTIVAL 3日目、MISIA18:10から White Stageに出演します。
そして、そのMISIAのステージは、YouTube生配信されるのだそうで、「サザエさん症候群」発症しがちな時間帯ではありますが、楽しみです。

Chanel 2ですので、お間違えなく

一応、YouTubeを埋め込んでおきますけど、このサイトを通じて観るよりも、直接YouTubeのサイトからご覧になることをお薦めいたします。

FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Sunday Channel 2

   

ところで、気になる台風12号FUJI ROCK FESTIVALは直撃を受ける恐れはなさそうですが、豪雨被害に遭った西日本直撃しそうで、とても心配

早め早めの対応で、被害の軽減が図られますことを願っています。

   

あ、そうだ

ブルーノート東京入口に掲げられていたサイン入りのパネル

これ、欲しいなぁ。

でも、ブルーノート東京「お宝になるんでしょうねぇ。

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暑い! んで、帰り道の気温を記録してみた

2018-07-24 23:25:07 | タウンウオッチング

お暑うございます。

暑い といえば、4年前に、クルマに表示される外気温を記録して、こちらの記事を書きました。

2014年8月7日の帰り道の気温勤務先周辺の28℃に始まって、神奈川県内では28℃~30℃をうろちょろしていたのが、環八を北上するうちにジワジワと気温が上がり高井戸界隈で最初のピーク33℃を記録したあとちょいと気温が下がったものの、井荻トンネルを抜けると再び上昇し、谷原近辺で最高値の34℃を記録し、そこからジワジワと30℃付近まで下がったのでありました。

そして至った結論が、その記事のタイトル、「事実、練馬は暑い!」でありました。

さて、記録的今年の夏前半、今年はどうなんだろう? ということで、きのう&きょうと、帰り道の気温を記録してきました。

まずは今夜の記録から。

2018年7月24日の帰り道の気温

あれ? 28℃~34℃の間でめまぐるしく変化した2014年と違って、変化に乏しい

でも、変化に乏しいといっても、練馬が暑い ことには変わりはありませんな。

でも、実は、昨夜の方がもっと変化に乏しかったんですよ、ほら

2018年7月23日の帰り道の気温

なんでしょ、これ

勤務先界隈の33℃から、気温は上昇するだけ

しかも、暑いはずの練馬だけでなく、世田谷~杉並~中野~練馬~板橋~戸田と、広い地域が、20:00前後だというのに35℃ なんだから、こりゃ、何 です。

あ、そうだ。
昨夜は、渋滞が酷かったもので、横浜町田IC~東京IC東名を走って、環八の途中から、甲州街道~(大原)~環七~(板橋中央陸橋)~R254~新大宮BPと、いつもと違う「臨機応変ルート」を通りましたです。

ここまで来て、ふと、今のクルマの温度計は、前のクルマの温度計に比べて大ざっぱなのではなかろうか? と考えたりして…。

いやいや、2014年の夏に比べて、今年の夏大ざっぱ暑すぎる のでしょう、K.I.T

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ホント、暑いけど、展覧会をハシゴ #2

2018-07-23 21:55:01 | 美術館・博物館・アート

「ホント、暑いけど、展覧会をハシゴ #1」のつづきは、「ビーマイベイビー Mitsuo Shindo Retrospective」@世田谷文学館 の見聞録です。

「この展覧会は、

松任谷由実、ピチカート・ファイヴ、Mr.Children、MISIAなど、日本の音楽シーンをリードしてきた数多くのミュージシャンのCDジャケットを手がけ、新鮮なヴィジュアルイメージと革新的なプロダクトを生み出してきたアートディレクター、信藤三雄(1948~)。写真家、映像ディレクター、書家、音楽家としても才能を発揮し、その作品は各方面のクリエイターにも影響を与え続けています。本展では80年代の初期作から最新の仕事に至るまで、時代とともにあり続けたアートワークの数々を展覧し、信藤三雄のクリエイティビティの全貌に迫ります。

というもので、信藤三雄さんの回顧展(retrospective)です。

もともと信藤三雄さんのことは、MISIA関連のアートワークを通じて知っていましたが、他には、2015年3月に世田谷美術館で観た「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」(見聞録)のポスターを始めとするアートディレクションを担当されたということくらいの知識でした。

それが、信藤さんが手がけられたCDは、、

ポスターは、こちらとか、

こちらとか(MISIAのポスターに挟まれるように「東宝スタジオ展」のポスターも見えます)

アナログ盤のジャケットとか、

もう一丁

とか、さらには、展示されていた作品の中では「最新の作品の一つかもしれないこちらも (ショーケースのガラスへの映り込みがキツくてすまぬ)

いやぁ~、凄い、凄い

え" あの人のこの作品も (私、持ってる) という作品もあって、信藤さんの幅広いお仕事に圧倒されました。

そんな中で、一番感慨深かったのは、こちらのポスターでした。

今から20年前1998年2月21日に発売されたMISIAデビューシングル「つつみ込むように…」のポスターです。
それこそ、「海のものとも山のものともつかぬ」新人Singerのポスターに、当世バリバリアートディレクターを起用していたことに、MISIAに対するスタッフの期待が窺える気がします。

展示スペースはさほど広くありませんでしたけど、とにかく展示作品数もの凄い
出品リストは、A3サイズ4ページにも及ぶほどです

ところで、この出品リストを眺めていたところ、ある作品を見逃していたことに気づきました

『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』の図録は、諸般の事情により発売が遅れております。7月24日(火)より会場先行販売を開始し、その他の書店では8月3日(金)頃より販売を開始する予定です。

という図録入手かたがた、もう一度観に行きたいとおもっておりますです。

つづき:2018/09/05 ホント、暑いけど、展覧会をハシゴ #3

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初めての金沢探訪記 #1-1

2018-07-22 16:23:53 | 旅行記

旅行から帰ってきて3週間も経って、ようやく金沢探訪記本編スタートです。
「#0」という正確不明の記事もありますが、あれは「MISIA星空のライヴX」金沢公演のことを書いておこうという主旨でしたので(その割には半分以上も歴史系の話を書いてしまいましたが…)、旅行記としては、一応、こちらが初編です。

   

大宮駅9:02発の北陸新幹線「かがやき505号」に乗った私は、たった2時間4分金沢駅に到着しました。

いつもなら、駅ナカか駅チカの観光案内所観光リーフレットを入手した後、すぐにホテルに行って荷物を預け、身軽になって市内探訪に出発するところですが、今回は趣向を変え、キャリーバッグをゴロゴロ引っ張りながら、駅ビルの中を歩きました。
これというのも、いつも旅行に持って行っているファイルケース(手に入れたリーフレットやフライヤーを折れないように入れておく)を忘れてきたもので、最初にそいつを買っておこうと思ったから。

で、駅ビルの書店兼文具店では、所望のファイルケースを扱っていなかったのですが、それでも手頃な値段クリアファイルを購入して、ホテルへと向かいました。

もちろん、ルーティンの観光案内所にも立ち寄りまして、この金沢駅の観光案内所立派

広いし、置かれているリーフッレトの種類が多いし、名産品の展示もキレイだし、が入っています
かなりイケてると思っていた京都駅の観光案内所かなわないって感じ。
例えば、金沢駅東口には、シンボル的に「鼓門」という木製巨大な門があるのですが、

観光案内所にはその模型が展示されていました。
1/10の縮尺だそうですから、結構デカい

模型の説明書きには、

【鼓門】高さ:13.7m 天幅:24.2m
もてなしドーム大屋根の前面である金沢駅東広場(兼六園口[東口])の正面に設置し、近代的な素材のドームとは対照的に伝統的な木造建築物としています。
形状は、金沢の伝統芸能である加賀宝生をイメージした2脚の柱に、緩やかな曲面を描く屋根をかけたもので、素材は構造体に米松集成材を使用し、屋根材は銅板一文字葺きとしています。
都市の門としての役割だけでなく、もてなしドーム大屋根の雪受けと雨水の貯水槽への導流や地下部の換気機能を持っています。

と、鼓門の構造や意味や、実用的な機能について書かれていて、これ自体有用だったのですが、あれ? と思ったのは、この説明の上に書かれてたこちらの説明。

【模型の制作について】
鼓門の組立てには様々な検討が必要でした。このため1/10の縮尺の模型を作成し、柱や重ね梁同士の重なり具合や、屋根との接合方法、組立て順序を確認し、検討することができました。

ということは、この模型現物が建てられるよりもに作られたってことですか?
なるほど…

ところで、文具店は、スマホで検索して見つけたのですが、その検索結果の地図に、妙な表記が載っていました。

「やかん体、転倒する。」ですって

なんじゃそれ? です。

アイコンからすれば、「史跡・名勝・天然記念物」の類のはずなんだけど… と、現地に行ってみますと、

ひしゃげたやかん芝生にめり込んでいます
いや、「やかん体、転倒する。」という作品からして、これは「やかん」ではなく、「やかん状の何か」なんでしょうねぇ…

調べると、こちらのサイトによれば、

金沢の街を彫刻で彩ろうと、市が2006年に募集した国際コンペの最優秀作品。生活と芸術の橋渡しになると評価され、国内外からの応募470点から審査員の満場一致で選ばれた。総評には「ぬくもりがあり、金沢を訪れる方々にまちの温かさを伝えられる」とある。「やかんですからね」。市企画調整課の新保博之さん(51)が笑う。
加賀百万石の歴史ある城下町に出現した現代アート。「伝統を守るだけではただの伝承。革新の息吹を与えることで伝統が進化し、新しい金沢の魅力になるという考えがありました」と新保さんは説明する。
作者の三枝一将さん(44)は、設置時に比べて「使い込まれたいい風合いになった」と目を細める。やかんの形を少し潰して漫画的に平面化した。街なかに「お茶の間感」を登場させる面白さを狙ったという。「じゃあ、やかんの前で」が友人との合言葉と言うのは地元の20代女性。今やすっかり街の名物だ。三枝さんは言う。「単純なものには、そんなアイコンになる力があるんです」

   

この日の私の行程は、ダイジェストに載せましたが、まずは長町武家屋敷跡を見物してから、金沢21世紀美術館に行き、そして本多の森ホール「MISIA星空のライヴX」グッズを買って、一旦ホテルに戻ってチェックインしてひと休みしたあと、ライヴに繰り出す考えでした。

もともと、金沢土地鑑のない私は、金沢城趾兼六園、そして金沢21世紀美術館しか、観光スポットが思いつきませんでした。
そこで、予習として観たのが、録画してあるブラタモリ「#3 金沢~加賀百万石はどう守られた?!~」(放送日:2015年4月25日)と「#4 金沢の『美』~金沢は美のまち!?」(放送日:2015年5月2日)でして、一応、リアルタイムでも観たはずなのに、もう3年も前だし、行ったことないなぁ~人ごととして見るのと、旅行の予習として観るのとは、受け取れるものが質・量ともに違うものでして、大変良い予習になりました。

その予習の成果を生かしたのが、このルートでした。

近江町市場を抜けて、長町武家屋敷跡をそぞろ歩き、惣構(そうがまえ)の名残を楽しんだ上で、当初からの見物スポット「金沢21世紀美術館」に向かうルートにした次第です。

ということで、「#1-2」昼食の話から再開します。

つづき:2018/10/09 初めての金沢探訪記 #1-2

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久しぶりの王子散策記 #3

2018-07-16 16:13:29 | 美術館・博物館・アート

最近、ブログ書きをサボってばかりで、一昨日の記事は中5日と、過去2番目長い空白を開けてしまいました。
そして、気がつけば、先月決行した王子散策記が、6月13日「#2」を最後に放置状態になっているし…

これじゃいかん というわけで、王子散策記再開します

JR王子駅からほど近い「お札と切手の博物館」は、国立印刷局の付属施設で、国内外のお札と切手のことを楽しく学べるという質量とも充実した展示にもかかわらず、なんと入場無料
ここ数日のような酷暑の日には、涼みがてら見物するのもいいかもしれません。

上の写真はお札と切手の博物館からちょいと駅寄りにある国立印刷局王子工場門扉です。
鳳凰の透かし彫りが何ともカッコイイ
門の中に「撮影禁止の表示が見えますが、警備員さんに聞いたところ、外から見える範囲であれば撮影してもOKだそうな。

さて、きょうは、お札と切手の博物館で見た珍品を紹介します。
まずは、きょうにピッタリかもしれないこちら

ニジェールが発行した2014年 FIFA WORL CUP ブラジル大会の記念切手なんですが、シートの中央部、ワールドカップ・トロフィーが描かれたヤツが世界最大の切手なんだとか。
サイズは240×150mmと、A5サイズをほんのちょっと大きくしたくらいの大きさです。
こんなドデカい切手、貼られる郵便物を選びますな。
日本でいう「定形郵便物」に貼ったら、本体からかなりはみ出します
っつうか、ハガキのサイズですから

ニジェールとすれば、そもそも郵便物に貼って使われることは想定していなくて、世界各国のサッカーファン切手ファンに買ってもらうことを目的に制作したのでしょう。
ちなみにサッカーのニジェール代表は、現在のFIFAランキングが103位、ワールドカップ本選大会への出場経験はございませぬ。

   

お次は高額紙幣

高額紙幣といえば、ハイパー・インフレの時に発行されるわけで、例えば第一次世界大戦後ドイツとか、

近いところではジンバブエなんかを思い浮かべますが、

上には上がいました

上に載せたドイツの紙幣は1兆(1,000,000,000,000)マルクジンバブエのは100兆(100,000,000,000,000)ドルと、数字で書かれたら読み切れない のですが、第二次世界大戦後のハンガリーでは、

10垓(がい)って、億、兆、京を通り過ぎて、「垓」が登場しました
説明には、

10垓は、1兆の10億倍。ゼロが21個つく。

だそうで、1,000,000,000,000,000,000,000 です。
もっとも、この10垓紙幣発行されることはなく、実際に発行・流通した最高額紙幣は1垓紙幣だったそうです。
あぁ良かった…ではなく1,000,000,000,000,000,000,000も100,000,000,000,000,000,000も大した違いはありませぬ
こんなとんでもなく高額な紙幣の発行準備をするよりも、さっさとデノミネーション(通貨単位の変更)すれば良さそうなものですけど、デノミネーションしようにも、先走ってインフレが進行したのかもしれません。
そういえば、お隣の「国」では、デノミ実施後の混乱の責任を問われて、責任者処刑されたらしい…なんてことがありましたっけ…

   

普通に生活していると縁のない政府刊行物「官報」というものがあります。
国立印刷局が発行する刊行物なんですが、Wikipediaを引用しますと、

法律、政令、条約等の公布をはじめとして、国や特殊法人等の諸報告や資料を公表する「国の広報紙」「国民の公告紙」としての使命を持つ。会社の公告として、合併公告、決算公告なども掲載される。

というもので、「お札と切手の博物館」には、エポックメイキング官報が展示されていました。

昭和64(1989)年1月7日に発行された「号外」で、元号を「平成」に改めるという政令が載っていて、この政令を翌日から施行する、とあります。

新元号「平成」の発表といえば、

当時の小渕官房長官「平成」と書かれたフレーム入りの書を掲げるシーンがかなり印象的なんですけど、その当時の総理大臣竹下・言語明瞭意味不明・登さんだったことを覚えている人はどれだけいるんでしょ?
少なくとも、私の記憶にはまったく残っておりませんでした

来年5月1日の新天皇即位に伴って元号も変わるわけですが、この分で行けば、将来は安倍総理よりも菅官房長官の方が人々の記憶に残ることになるかもしれません。
さて、どうなりますことやら…

   

最後に紹介するのは「王子と近代製紙産業」というパネルです。

このパネルから130年前に描かれたという「鉄斉菅真郷(何と読むんだ?) 作 《武揚王子飛鳥山真景》」を切り出しましょう。

東側から①飛鳥山方面を俯瞰した図で、②が渋沢栄一邸、③黄色の点線が現在のJR線、⑨ 黄色の点線が現在の明治通り、⑯がお札と切手の博物館、⑩が国立印刷局王子工場(当時の印刷局抄紙部)と、現在の王子界隈と配置は変わっていません。

でも、⑰の「抄紙会社」とは何?

説明書きによると、

明治6(1873)年、大蔵省の官吏であった渋沢栄一の呼びかけで、東京王子に「抄紙会社」(現・王子製紙)が設立された。王子には、千川用水の良質で豊富な水、隅田川に通じる石神井川の水運路など、製紙産業にとって好条件がそろっていた。一方、大蔵省紙幣寮(現・国立印刷局)は、丈夫で偽造困難な日本独自のお札の用紙を製造するため、明治9年に、その隣接地に抄紙部工場を開設した。以降、同工場は、お札や切手の用紙を製造し、日本社会の近代化を支えた。

だそうです。
なんとも、官民の製紙工場隣り合っていたとは、どれだけ王子製紙に適した場所だと考えられたのかが偲ばれます。

ここで、王子ホールディングスのHPで、同社の沿革を見ますと、前記のとおり1873年に「抄紙会社」として創業した同社は、商号を1876年に「製紙会社」へ、1893年に「王子製紙」に変更しています。

一般名詞にしか見えない「製紙会社」が商号だなんて凄いですなぁ。
官営八幡製鐵所の商号が「製鐵所」(こちらの記事をご参照方)、伊勢神宮の正式名称が「神宮」だというみたいなものですか?

それほどの大企業だった旧・王子製紙は、第二次世界大戦後の「過度経済力集中排除法」によって、苫小牧製紙、本州製紙、十條製紙3社に分割されました。
旧・日本製鉄八幡製鉄・富士製鉄ほかに分割されたのと一緒です。

この3社分割「王子製紙」の商号は一旦消え、また、「抄紙会社」以来の王子の工場跡(1943年1月に操業停止)は十條製紙が引き継ぎ、十條製紙の後継「日本製紙」本店所在地は、その地「東京都北区王子一丁目4番1号」のままです (十条ではなく王子)

その後、苫小牧製紙が、1952年に「王子製紙工業」に社名変更し、1960年に「王子製紙」の社名が復活し、さらに合併・分離・合併破談などを経て、また、「新王子製紙」の時期を経て、1996年に本州製紙再結合して「王子製紙」の社名に戻り、現在に至る、という次第。

こんな話、どこがおもしろいのか? とお思い の方もいらっしゃるでしょうけれど、私、この手の話が大好きです。

さて、話を「武揚王子飛鳥山真景」に戻しますと、ポツンと離れたところにがあります。
これは何? ですが、は説明パネルには、

㉑装束榎(しょうぞくえのき)
大晦日の夜に狐が集まるという伝説のあった榎の木。歌川広重の《名所江戸百景》「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」(安政4(1857)年)にも描かれている。

とあります。

あれまぁ~ たまたま「お札と切手の博物館」のあとは、装束稲荷神社にお参りしようと思っていましたぁ~。

ということで、「#4」装束稲荷神社の見聞録です。

つづき:2018/10/07 久しぶりの王子散策記 #4

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ホント、暑いけど、展覧会をハシゴ #1

2018-07-15 23:34:49 | 美術館・博物館・アート

せっかくの3連休だというのに、なんという暑さ でしょ。

日経によれば、

3連休中日の15日、日本列島は東北から九州にかけて高気圧に覆われて気温が上がり、35度以上の猛暑日になる地域が相次いだ。共同通信の集計では熱中症とみられる症状で救急搬送された人は全国で2061人に上った。滋賀、佐賀各県でそれぞれ1人が死亡。東日本や西日本の厳しい暑さは16日以降も22日ごろまで続き、気象庁は引き続き熱中症予防を呼び掛けている。

だそうで、まだ1週間もこの暑さ が続くんですって

こんな暑さにも負けず、私は、きのうは「浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる!-埼玉の巻-」@埼玉県立近代美術館につづき、きょうは、「ビーマイベイビー Mitsuo Shindo Retrospective」@世田谷文学館「野口哲哉 ~中世より愛をこめて~ FROM MEDIEVAL WITH LOVE」@POLA MUSEUM ANNEX2つの展覧会をハシゴしてきました。

この3本の展覧会、どれもみんな楽しくてもう一回、いや、2回でも3回でも行きたい 気分です。

そんな状況の下、きょうは、きょう観てきた2本の展覧会のことをザッと書いておこうと思います。

まずはきょうの行程から。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線新宿駅京王線芦花公園駅⇒徒歩世田谷文学館(ビーマイベイビー Mitsuo Shindo Retrospective)⇒徒歩芦花公園駅京王線笹塚駅都営新宿線市ヶ谷駅有楽町線銀座一丁目駅POLA MUSEUM ANNEX(野口哲哉 ~中世より愛をこめて~ FROM MEDIEVAL WITH LOVE)⇒徒歩昼食⇒徒歩東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅スーパーで買い物⇒徒歩自宅

世田谷文学館の訪問は2度目。2012年11月に「齋藤茂吉と『楡家の人びと』展」を観に行って以来(記事はこちら)のこと。
前回はクルマで行きましたから(世田谷文学館には駐車場がありますし、JAF割引まであります)電車で行くのは初めてでした。そんなわけで、超久しぶりに京王線に乗って、芦花公園駅で電車を降り、サルスベリが咲き誇る道を歩いて、

世田谷文学館に到着

世田谷文学館

エントランスに入ると、あれまお祝いの花が並んでいました
音楽や演劇の公演ではよく見かけますけれど、展覧会お祝いの花を見るのは初めてかも…。
と、ありましたよ~。

お祝いの花たち

工藤静香さん、松任谷夫妻横山剣さん、小林武史さんといった方々とともに、MISIAからの花も飾られていました。

と、ここまで書いたところで、眠い…
いやいや、寝てる場合じゃなくてFIFA WORLD CUP 2018決勝戦のホイッスルが鳴り響く時刻が迫っています

ちょうどキリの良いところですので、今夜はここまで

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いつも赤信号な交差点 2018年2Q

2018-07-14 19:26:49 | タウンウオッチング

なんだか久しぶりの感のするブログの更新です。

なんかねぇ~、忙しかったり、母の調子がおかしかったりと、なかなかブログを書く気分が盛り上がらなくて…

そんなムード酷暑打ち砕く 気概を持って、ブログを書くことにします。

で、4半期ごとの恒例の「いつも赤信号な交差点」シリーズです(前期、2018年1Qの記事はこちら)

さっそく、2018年第2四半期(2Q)「いつも赤信号な交差点」ランキングです。

いつものように( )は前期の2018年2Q[ ]は前年同期の2017年2Qの順位を示しています。

「十中八九 赤信号」(赤信号率80%以上)は前期の3か所から一つ増えて4か所になりました。
「御三家」瀬田郵便局(環八)が割って入った格好なのですが、この交差点は、一つ手前の瀬田R246の側道から環八に左折したタイミングによって青信号赤信号かは一定していますので、今期はたまたま「瀬田交差点を左折するのが青信号後半のときが多かった」というだけのことかと考えています。

逆に、信号のパターンを変えたのではないかと思わせるのが、谷原二丁目(笹目)

この交差点、手前の名無し、名無し(谷原氷川神社)、高野台一丁目、名無し(谷原手前)4つの交差点すべてノンストップで通過すると必ず赤信号だし、逆にこの4交差点のどれかが赤信号だと、青信号で通過できる、というパターンだったのですが、ここしばらくは、手前の4交差点で停められ、かつ、この谷原二丁目でも停められることが多い気がします。

もともと、笹目通り区間は、とにかくクルマの流れを分断しようという意図が感じられる信号パターンでして、公安委員会(実質は光が丘警察署ほか?)が新たな手を繰り出してきたのかもしれませんな。

クルマの流れを分断しよう」というたくらみのおかげか、せいか、笹目通り区間の走破時間は、ホント安定しています。
おきまりの信号パターンのもと、スピードを出してもムダな一方で、めったに渋滞していない…

ここで、2017年2Q~2018年2QR246区間(東名入口~瀬田)、環八区間(瀬田~観蔵院入口)笹目通り区間(観蔵院入口~笹目)走破時間平均速度を計算してみると、、

ほとんどいつも渋滞していて所要時間が読めない環八区間は放っておいて江田駅付近とか東工大付近渋滞は毎度のこと+横浜青葉IC付近の速度違反狩りはあるけれど基本的に快適R246区間と比べても、笹目通り区間「安定度」は際だっています。
善し悪しは別にして…

さて、いつものようにオールタイムのランキングを、
( )内は2018年1Q時点のランキングです。

いつも赤信号な交差点オールタイムのランキング

さすがに標本数が1,068ともなると、2018年2Qn=42が加わったくらいではランキングに大変動あり得ません

 今後は、オールタイムのランキングを載せるのは年に1回にしようかな、とも思っています。

さて、年間のうち、もっとも交通量が少なくてスムーズに走れる2Qが終わり、行楽渋滞酷い 3Qに入りました。
今週半ば頃から急に朝・夜ともに道が混んできたことを実感しています。

渋滞にハマっても、まぁこんなもんだ と気長に構えて安全運転に努めたいと思っています。

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2018年最初の関西旅行 #3-7 (完結編)

2018-07-08 07:29:33 | 旅行記

一気に「2018年最初の関西旅行 #3-6」のつづきを書いて完結させてしまうことにします。

春日大社から路線バスに乗って近鉄奈良駅前まで戻った私は、ほとんど「行きつけ」になっている餅飯殿センター街のレストランで昼食を摂ってひと休みしたのち、近鉄特急に乗って京都駅へ…。

この日、朝、近鉄奈良駅に着いた時点で、駅の窓口で近鉄奈良駅⇒京都駅特急券を買い、喫煙ルームに近い座席を確保しておりました。

平日の昼ですから、車内はガラガラで、私は隣りの座席に荷物を置いて喫煙ルームで一服

そして自分の座席に戻ると、、、、あれま 1両に乗客が3~4人しか乗っていないというのに、私の隣の座席に指定されている人がいらっしゃいました。

こんなにガラガラなのに、なぜに見知らぬ人同士隣り合わせに座らなければならぬ?
ドッと客が乗り込んでくることなんて考えづらいのに(途中駅は大和西大寺駅のみ)
傍から見たら、相当、マヌケな光景 のはずですぞ

結局、私は通路を挟んだ反対側の席に移りました。
車掌さんに席を移った話をすると、当然のように了解 してくれましたです。

それにしても、近鉄発券システムはどういうロジックを組んでるんだろね…

さて、近鉄奈良駅を出発して30分足らずで、電車京都駅に近づき、東寺五重塔が見えたのですが、、、

五重塔の右側に見える黒い煙は何? 火事?

でも、考えてみれば、の方向には、

位置関係図

京都鉄道博物館があるわけで、あれはSL排煙だろうと結論づけた次第です

   

京都から乗った新幹線の車内では、当日のダイジェストに書いたように、スマホテザリング機能を使って、ダイジェストを書いてみました。

テザリングを使うのは初めてでしたが、あれほどサクサク快適に繋がるとは知りませんでした
無線ルーターで接続するのと、なんら違わない感じです。
バッテリーの問題(課題)はありますが、これは使える機能だと思いましたです。

途中、富士山を眺めた他は、ひたすらブログ書き精を出していると、感覚的にはあっという間新幹線神奈川県内に入り、ブログ書きの後片付けをしたり、喫煙ルーム一服したりするうちに、東京駅に到着しました。

そして、

東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

のルートで無事に帰着したのでありました。

天候に恵まれたし、MISIAは良かったしトラブルは生じなかったし、良い旅行になりましたなぁ…

ということで、以上をもちまして「2018年最初の関西旅行記」完結でございます。
めでたし、めでたし…。

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2018年最初の関西旅行 #3-6

2018-07-07 14:08:54 | 旅行記

きょう7月7日は、我らがMISIA様の誕生日で、なんとか「MISIA星空のライヴX」バースデーライヴのチケットを手に入れる算段がつきました

んなわけで、15:00前には東京国際フォーラムに向けて出発するのですが、それまで「2018年最初の関西旅行 #3-5」のつづきを書くことにします。

春日大社 国宝殿は、「本編」撮影禁止だったのですが、1F部分撮影可でした。

が、最初の展示、「神垣」と題する二つのインスタレーションは、、、、、

暗闇の中に光と水で聖地を表現した

ものなのだそうですが(右の写真は、「水盤に光を含んだ水が滴り落ちると波紋のように広がり、水面と天井に展開する《神奈備》」です)、う~む… で、この作品が春日大社とどんな繋がりを持っているのか、持たせようとしているのか、理解できませんでした

ちょっと唸りながら、明るい空間へ…。

おっとデカい太鼓

この太鼓は、「春日若宮おん祭で舞楽に使用する日本最大の鼉太鼓」というものだそうで、説明板によれば、

鼉太鼓は屋外の舞楽演奏に用いる太鼓で、左方、右方で一対とする。本品は高さ約6m50cmで、実際に使用する鼉太鼓としては最大である。
桶造りの胴の両側に、牛革製の鼓面を付け、調べ緒で締める。鼓面中央には三つ巴文を描き、左方は赤色右方は青色の輪をめぐらす。
火焔宝珠をかたどった装飾部には、陰陽思想に基づき、左方は龍右方は鳳凰を彫刻し、上部にはそれぞれ日形と月形を飾る。
現品(重要文化財)は、源頼朝寄進との伝承があり、昭和50年まで春日わか宮おん祭に使用されていたが、痛みが激しいため、昭和51年、本来の極彩色の鼉太鼓が複製された。

だそうです。
そうだ 
鼉太鼓「だだいこ」と読みます。この「鼉」の字が難しい
フォントを大きくしますと、「鼉」、、、それでも難しい
古典落語そのままに「火焔太鼓」でもいいんじゃないかと思ったりして…。

ところで、説明板では、「鼓面中央には三つ巴文を描き」とありますが、実際は、

「赤色の輪」「龍」「日形」の左方「三つ巴文」ですけど、「青色の輪」「鳳凰」「月形」の右方「二つ巴紋」なんですが…。

そういえば、2011年3月の京都旅行の際、東本願寺鼉太鼓を見たよな、と思いだして、その写真を探し出しますと、、、

やはり金色の日形を掲げた「左方」は「三つ巴文」で、銀色の「月形」を掲げた「右方」は「二つ巴文」ですな。

ちなみに、伊勢神宮内宮にお参りしたときも鼉太鼓らしきものを見たのですが、

残念ながらカバーが掛けられていて、「三つ巴文」「二つ巴文」は確認できませんでした。

ということで、春日大社 国宝殿のお話はおしまい

え"? かもしれませんが、だってあまりおもしろくなかった んですから 

もう少しで関西旅行記完結しますが、そろそろ出発する準備をしなければ昼食を取り損ねてしまいますので、これまで

つづき:2018/07/08 2018年最初の関西旅行 #3-7 (完結編)

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初めての金沢探訪記 #0

2018-07-03 22:53:15 | MISIA/旅行記

先週末の金沢旅行記を始めます。
第1回「#0」としたように、始めから番外編
この旅行のメイン「MISIA星空のライヴX」国内オープニング公演のことを書いておかなければ と思いつつ、ツアーが始まったばかりのこのタイミングでネタバレ書きたくはないし…

ということで、「番外編」です。

   

まずは、「MISIA星空のライヴX」国内オープニング公演のこと。

「MISIA星空のライヴX」初日のチケット

「MISIA星空のライヴX」の最初の公演は、先々週末の台湾公演だったわけですが、遠征しなかった私(海外遠征するには障害が多すぎた…)は、台湾公演レポートとかセットリストを完全に遮断して、国内オープニング公演に臨みました。

で、どんな構成なのか、最初の曲は何なのか、情報皆無の中、ライヴはほぼ定刻に始まった(と思う)のですが、イントロを聴くうち、最初の曲はあの曲…? と思ったら、やはり「あの曲」でした

初っぱなから「あの曲」が来るかぁ~
それにしても、なんてステキな歌声… ホント、泣きそうでした。

ここからは、ネタバレしないように箇条書きで行きます

  • この夜もMISIA絶好調
  • バンドメンバーが「超安心」メンバー揃い
  • 久しぶりに聴くあの曲この曲に、ひやぁ~
  • 新曲ドラマ映画の主題歌に合いそう
  • 会場の盛り上がり申し分なし(この公演ほど、後ろから聴衆の歌声が聞こえたことはなかった)
  • 幸せ…

これから全国各地で「MISIA星空のライヴX」に行かれる予定の皆さん、期待して大丈夫ですよ

「MISIA星空のライヴX」金沢公演の感想はこの辺にしておきまして、次の話題にまいります

「MISIA星空のライヴX」金沢公演の会場は、「本多の森ホール」でした。

この会場、かつては「石川厚生年金会館」だったようで、地元の「本多なんとか」という企業がネーミングライツを買ったのかな? と思ったのですが、このホールを含む一帯「本多の森」と呼ばれる地域らしい…

それというのも、この一帯、江戸時代には、加賀藩家老だった「本多家」お屋敷があったらしい。

「本多家」は、この日、長町武家屋敷跡付近で見た案内板によれば、

加賀八家は、加賀藩の年寄(家老)の職に当たる門閥のことで、八家あったことから後に名付けられた。
元禄3年(1690)、5代藩主前田綱紀が定めたもので、本多家(50,000石)、長家(33,000石)、横山家(30,000石)、前田家(長種系18,000石)、奥村家(宗家17,000石)、村井家(16.569石)、奥村家(支家12,000石)、前田土佐守家(11,000石)があった。(幕末期の禄高順)

だそうで、さすが100万石加賀・前田家だけあって、家老職は大名級の石高を誇っていたんですな。
それはともかく、筆頭家老ともいうべき「本多家」とはどんな家柄なのかと調べると、加賀藩の家老・本多家の始祖は本多政重なる人物で、徳川家康参謀格だった本多正信次男でした。
本多正信次男が、どんないきさつで加賀藩に収まったのかは、Wikipedia他でお調べいただきたいところですが、正信嫡男・本多正純の運命を比較すると、なんとも深い

正純は、最盛期には宇都宮藩155,000石大名まで出世したのですが、父・正信と共に江戸幕府重鎮らからの評判が悪くて家康正信が亡くなると失脚
改易されて、子・正勝ともども佐竹義宣「お預け」になり、正純・正勝親子は幽閉先の出羽・横手で亡くなっています。

なぜ本多正純・正勝親子がお預けになった先が出羽・久保田藩(私の故郷)だったのかよく判りませんけれど、本多正信嫡男・正純次男・政重の運命を比較すると、なかなか感慨深いものがあります。

そういえば、「本多の森」辺りの町名は、

出羽町ですよ

なぜ本多屋敷周辺の町名が、本多家(忌まわしい?) ゆかりのある「出羽」の名が付けられているのか、私としてはかなぁ~り興味深いところ。
でも、その探求は、いつか気が向いたら試してみたい と思います。

【追記】「出羽町」について調べてみると、思いがけない事実が判りました。

まず、行き着いたこちらのサイトによると、

出羽町は藩政初期に、藩の重臣・篠原出羽守一孝とその一族、家臣が住んでいたので、藩政中期以降出羽町または出羽殿町とも呼ばれ、1番町から4番町に分れていた。

ということで、篠原出羽守一孝なる人物に由来する地名だったんですな。
さらにこちらのサイトには、古地図も載っていまして、現在の地図と縮尺・方位をなるべく近づけて比べるとこんな具合です。

道の形が昔の名残を濃厚に残していて、それだけでも感慨深いのですが、「出羽町」には武家屋敷が建ち並んでいて、町名由来の篠原家は、「出羽町」の外れに位置していたというのが、ホント、おもしろい
本多家の因縁に由来するのではないかという私の妄想は簡単に打ち砕かれました けど…

古くからの町名・地名「街の遺産(レガシー)」として大事にしないといけませんな。 (2018/07/05 21:36)

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