新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その1)

2016-09-27 21:53:12 | 旅行記

今、このブログで書きかけ、あるいは、未着手ネタがかなり溜まっています

具体的には、8月6~7日「福岡・アートの旅」の旅行記(書きかけ)、9月4日に観てきた「土木展」のこと(書きかけ)、9月10~12日「Misia Candle Night 奈良遠征」の旅行記(本編は未着手)、この日曜日(9月25日)に観てきた「さいたまトリエンナーレ2016」の見聞録(未着手)と、完全に、in putout put追いつかない状態

いつもならば、書きかけのシリーズが完結したら、次のシリーズを始めるのですが、こんな状態で順番を守ったら、古い方から記憶薄れていくような気がします。
そんなわけで、試しに、順不同に、複数のシリーズを並行して書いてみることにしてみました。
揺さぶって、記憶を新たにしようという次第です。
さて、どうなりますか…

   

ということで、「Misia Candle Night 奈良遠征」本編をスタートさせます
ちなみに、初日のダイジェストこちらです。

今回の奈良遠征にあたって、私としては、9月12日(月)年休をとって2泊3日の旅行にすることは早々に決めていまして、2泊とも奈良のホテルを想定していました。

ところが、9月10日(土)は、安すぎず高すぎない手頃な奈良のホテル見つからない
素泊まりor朝食付きで、3万~5万円なんて、とてもじゃないけれど手の出ない「物件」しか見当たりません。
これまで何度も泊まったお気に入りのホテルも、Misia Candle Nightオフィシャル・ツアー宿泊先になっていたせいか、見たことのない高額な部屋しかありません
かと言って、カプセルホテルなんてものはイヤだし…

結局、1泊目は、奈良へのアクセスのよい大阪・天王寺ホテル(決して安くはない)を予約して、2泊目奈良のホテルを予約しました(これまた日曜日にしては決して安くはない)。

というわけで、羽田から大阪空港に降り立った私は、リムジンバスに乗ってあべの橋(天王寺)へと向かいました。
そして、リムジンバス車内誌を読み始めて、あっ と声を出しそうに

と、その前に、羽田から伊丹に向かう飛行機の中でのこと。

機内誌を読んでいると、恒例の道後アートが、今年のメイン・アーティストにわが敬愛する山口晃画伯を迎えて開催中であるという記事が小さく載っていて、あ~、また道後温泉に行きたい と思っておりました。

で、話を大阪の空港リムジンバス車内誌に戻しますと、そこでに、「愛媛・松山 アートとひんやりスイーツを巡る夏旅」と題して、今年の道後アートが大きく取り上げられていました

2016年は、メインアーティストに画家の山口晃さんを迎え、「街歩き旅ノ介 道後温泉の巻」山口晃 道後アート2016を開催。今年は文豪・夏目漱石の没後100年、「坊っちゃん」発表110年であり、山口晃さんも、よそからやってきた漱石が松山を舞台に書いた「坊っちゃん」に習い、”よそもの”視点で道後を描きます。道後温泉本館でのインスタレーションをはじめ、さまざまなホテルのロビーにて過去の代表作を展開。会期中は展開作品が徐々に増えていく予定であり、今後は商店街の入り口に巨大アーチが出現したり、山口さんが手がけた客室やレストランギャラリーも登場予定

だそうで、できることなら、奈良遠征を終えたら、そのまま松山にハシゴしたい気分でした。

でも、そこまでは自由人じゃありませんからね、私は…

   

そうしているうちに、バスは渋滞に嵌まることなく、すんなりとあべの橋(天王寺)に到着。

良い天気です

バスを降りると、直ちに宿泊先のホテルに向かい(2013年GWの関西旅行のときにも泊まったホテル)、荷物を預け(チェックイン21~22時頃との見込みを伝えました)、すぐさま天王寺駅から大和路快速に乗って奈良

あべの橋(天王寺)に到着してから15分強で、身軽になって大和路快速に乗れるとは、至極順調でした

そうそう、大阪では今でも103系電車が走っているんですねぇ。

私が今の場所で暮らし始めた頃(20年近く前)は、埼京線でも山手線からお下がりの103系電車が走っていましたっけ…

というところで、「初日編 その1おしまいにします。

NHK-FM「MISIA星空のラジオ」お休みだけど、風呂に入ったり、夕食を食べなきゃなりませんもので…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東名高速の集中工事が始まった

2016-09-26 22:10:57 | タウンウオッチング/ニュース

9月最終週に入り、道路は、今朝帰りも、高速道下道「期末渋滞厳しい

そんなときに、秋の風物詩と呼ぶにはあまりにも鬱陶しい 東名高速の集中工事が始まりました。

今年は、例年より1~2週間遅い気がするのですが、いずれにしても、よりによって期末にやらなくてもいいじゃないかと思います
(ちなみに、私の場合、お願いされても「中央道に迂回」する意味がない)

今朝東名(下り)は、影響皆無だったのですが、帰りには、

しっかと工事渋滞が発生していました(R246R16事故渋滞)。

とはいえ、こんな弱小ブログぼやいても、まさに「ごまめの歯ぎしり」のわけで対策を講じなければ
なんですが、東名が混んでいるときは、ほぼ並行するR246も混んでいるのが必至なわけで、酷い渋滞が予想される日は電車で通勤するか、年休を採る程度の対策しか思いつきません。

そこで、集中工事のサイトで、毎朝の予測所要時間を調べてみました。

左表は、7:10東京ICを通って、横浜町田ICまで、標準時間15分の区間(約20km)を通過するのに要する時間と、遅延時間です。

これによれば、明日は、通常15分のところ50分かかるとのこと

こりゃご勘弁を です。

あさって28日(水)とか来週の火曜日・4日にどうするかはちょっと考えるとして、とりあえず明日電車で通勤することにします。

仕方ないこととはいえ、やはり鬱陶しいぞ。

【追記】この追記を書いている今現在も、東名集中工事が続いていますが、私にとっては今朝の通勤が今年の東名集中工事最終日でした。

が、、、、話が違う

上に載せた公式サイトでの予測では、東京IC~横浜町田IC所要時間通常+10分25分だったというのに、それより短い区間、東京料金所~横浜町田ICの今朝の所要時間は、

な、な、な、な、なんと、1時間26分

東京料金所を過ぎてすぐの川崎ICの手前から、横浜町田ICまでびっしりと渋滞

横浜町田ICで降りて、R246を走る手段もあったものの、ナビにはR246にも渋滞の表示が
そりゃそうですな。普段からR246を走っているクルマに、東名集中工事を避けるクルマが加わるわけですから、いつも以上にが混むのも道理です。

それにしても、NEXCO中日本自社サイトに設けた予測所要時間検索での予測の5倍以上もの時間がかかるとは何事

これほどの渋滞がちゃんと予測されていたなら、私は電車で通勤したぞ

集中工事最終日ですから、これまで8日間工事の遅れしわ寄せが来ることもあるだろうけれど、それにしても酷すぎる

と、かなり怒っている私です。 (2016/10/07 21:36)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2年ぶりの江戸博は楽しさがアップしてた(後編)

2016-09-25 09:12:48 | 美術館・博物館・アート

「2年ぶりの江戸博は楽しさがアップしてた(前編)」のつづきも、昨日の江戸東京博物館(江戸博)常設展見聞録です。

新設の江戸城のジオラマを堪能したあと、つらつらと展示を眺めると、いつ出かけても企画展以外は変化のなかった常設展が、ちょっと違う…。

例えば、寿司の屋台があったり、

ソバの屋台があったりして、

古典落語の世界に入っていくような気分です。

ちょっとじっくり観ると、寿司デカい 1貫でおにぎり1個分はありそうです

ソバの屋台は、狭い収納スペースに、(+コンロ)、どんぶりザル猪口ソバ水桶など「ソバ屋一式」がそろっていて、なんとなくKIOSKの店舗を連想します。

屋号は「大当りや」ですか(「大當や”」に見えますが「”」「り」だと思う)。
落語「時そば」を思い出しますなぁ

それにしてもこの屋台かなり重そうです。
これを担いで歩き回るのは大変そうだし、備品をうまく振り分けないと、バランスが崩れてますます大変そうですなぁ。

   

ところで、江戸博はいつ常設展展示替えしたのだろうかと思って調べると、去年(2015年)3月末に、リニューアルしたのだとか。知らなかった…

今回のリニューアル1993年のオープン以来らしい)では、いくつかの展示品の追加・入れ替え・配置換えに加えて、新たに二つのコーナーが加わったのだそうで、その一つが「江戸から東京へ」

このコーナーは、江戸ゾーン東京ゾーン2つをつなぐものである。江戸東京博物館からほど近い本所亀沢町(現在の墨田区)に生まれた幕臣勝海舟に注目し、江戸が首都・東京となっていく時代の大きな転換期をあつかう。

というもので、私にとって「尊敬する偉人」かなり上位に位置する勝海舟の胸像(高知市桂浜にある坂本龍馬像を創った本山白雲の作品で、伏魔殿こと東京都議会の所蔵)に頬を緩めました。

一方、「目ウロコ」だったのが、こちらのパネル

 

私、何の根拠もなく、「ペリーの黒船」太平洋を渡って浦賀にやって来たと思っていたのですが、実は大西洋~喜望峰~インド洋~南シナ海を通って(つまり東回りで)日本にやって来ていたとな
だからどうした と言われても困ります知らなかったぁ~

    

もう一つの新設コーナーには、自分が年をとったことを痛感する展示がありました。

インベーダーゲーム機とか、初代ファミコンとか、

「ボディコン」とか…

私の若かりし頃の思い出の品々(ボディコンを除く)も博物館入りかよ衝撃を受けたのですが、この新コーナー「現代の東京」というタイトルで、

東京は世界の中でも、最大規模の人口を有する巨大都市であり、さまざまな個性を持つ街が連続するバラエティーあふれる都市でもある。こうした特徴は、どのようにして形成されてきたのか。
このコーナーでは、みなさんの記憶にも新しい時代の生活や文化についての展示を行い、1960年代から2000年代までを5つに分け、東京の変化を10年ごとに比較する。

と、1960~2010年を扱ったもので、近いところでは「コギャル」絶滅種)の展示もありました。

さすがに「ガングロ」の展示は無理だよねぇ~。

このコーナーにたどり着くまでは、「へぇ~」と展示を観ていた観客たちは、ここに来て、俄然身近な懐かしさを感じているようでした。

木造の日本橋を渡って江戸時代タイムスリップした観客が、早回しで現代に戻ってくる感覚を味わえる、歴史博物館として非常によくできた構成だと感心いたしました。

いやぁ~、楽しかった

これだけの展示を600円(小学生・未就学児童と都内在住または在学の中学生は無料)で楽しめるなんて、お得でもあります。

外国語の説明も充実していますので、海外からやって来た知人を案内するのも良いかも。(駕籠に乗って記念撮影する外国人家族がとても楽しそうでした)

江戸博は、都内観光のお薦めスポットです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2年ぶりの江戸博は楽しさがアップしてた(前編)

2016-09-24 22:22:32 | 美術館・博物館・アート

曇り空のもと、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展を観に江戸東京博物館に行ってきました。

出発するときには曇り空だったものの、両国に着くと、本降りの雨
きのう骨接ぎ修理したばかりのを持っていってよかった

で、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展、正直、期待したほどではありませんでした。

とてつもなく幅広い江戸末期の日本の文物のコレクションは壮大なものなのですが、これは という作品はさほど多くない

ハイエンドのものというよりも、当時の日本(大名の調度品から庶民日常品まで)をそのまま蒐集したという性格のコレクションなのだと思います。

「美術品」として観ればちょっと… ながらも、携帯用の燗銅壺とか、繊細な虫かごとか、現代からするとかなり小ぶり汁椀とか、楽しい展示もありました。

そんな中で、私の目を惹いたのは、「伊能特別小図写(西日本)」でした。

この地図は、伊能忠敬が作成した日本地図のうち、最も縮尺の大きな伊能小図をベースに幕府天文方高橋景保が写して、地名などをカナ書きしたものらしい。

シーボルト高橋景保とくれば思い出すのは、シーボルト事件

シーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した。(Wikipediaより)

という事件です。
そして、シーボルトが国外に持ち出そうとしてた地図幕府が没収したはず…。

ところが、この「伊能特別小図写(西日本)」は、

江戸時代後期にオランダ商館付の医師として来日したシーボルトが、ひそかに持ち出そうとして果たせなかった地図写しが、シーボルトの子孫であるドイツのフォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家で発見されました。
シーボルトは、国禁の地図を幕府天文方の高橋景保から手に入れましたが、それが帰国直前に発覚し、幕府に地図を没収されてしまいます(シーボルト事件)。今回、人間文化研究機構・国立歴史民俗博物館の調査によって、シーボルトの子孫の家で「カナ書き伊能特別小図」(国立国会図書館蔵)の写しが発見され、シーボルトがひそかに持ち出そうとした国禁の地図が「カナ書き伊能特別小図」であることが証明されました。

なんだとか。
シーボルトは、「カナ書き伊能特別小図」のオリジナルを没収・紛失する可能性を考えて、事前に写しを作っていたということなのでしょう。
日本地図を持ち帰ることに対するシーボルトの執念が感じられます。

そんないきさつ以上に衝撃だったのが、「伊能特別小図写(西日本)」素晴らしさ

現代の地図と見紛うばかり精密さでした。

もしかするとシーボルトは、「伊能特別小図写(西日本)」こそが、当時の日本の技術・技能を象徴するモノだと考えたのかもしれません。

   

こんな風に、期待ほどではなかった「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展とはに、さほど期待していなかった常設展は、思いがけず、展示替え新展示があって、ホント楽しかった

まずは、江戸城本丸と二の丸ジオラマ

ひやぁ~ 江戸博にはこの展示が欲しかったんだぁ~欣喜雀躍

現在の皇居東御苑の様子(例えばこちらの記事)を思い出しながら、ジオラマのあちこちを細かく観察しました。
まずは何度も出入りした北桔橋門

このジオラマは江戸末期の状態を再現したものだそうで、それ以前に焼失していた天守は、他の建物とは違う白木造りになっています。既に「幻の天守」だという趣向です。お見事

次は竹橋門(奥)と平川門(手前)。

平川門は現在とさほど違っていない感じですが、竹橋門辺りは一変しています。

そして梅林坂

さらに、大手門~三の丸~二の丸~本丸

江戸城ジオラマの最後は、「お約束」鬼門「艮(うしとら)=北東」

ものの見事に巨大「切り欠き」をつくって「鬼門」を消しています

今さらながら、現在の東京が、かつては江戸だったことを感じます。

ということで、楽しすぎる江戸博の常設展を書き切れませんので、後編につづきます。

つづき:2016/09/25 2年ぶりの江戸博は楽しさがアップしてた(後編)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡・アートの旅 2日目のこと(その2)

2016-09-24 09:26:10 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「福岡・アートの旅 2日目のこと(その1)」のつづきです。

九州国立博物館(九博)に入ると、いつも最初に目に飛び込むのは、展示室に向かう大エスカレーターの手前に展示されている博多祇園山笠壮麗飾り山なんですが、、、

あれ、無い
その代わり、大勢の人が、木材と格闘しています。

何をしているのかと思いきや、近くの説明板によれば、

九州国立博物館に“飾り山”が飾られます
博多の総鎮守櫛田神社の祭礼として、毎年福岡市内において繰り広げられる「博多祇園山笠(国指定重要無形民俗文化財)の飾り山笠が、エントランスに飾られます。
博多っ子の心意気である絢爛な飾り山をぜひお楽しみください。

だそうで、私が出かけた8月7日は、

棒締め(山台に舁き棒を取り付ける行事)
 8月7日(日) 9時30分頃~

が予定されていまして、まさにその「棒締め」真っ最中だったわけです。

丸太と角材とをロープで、ギリギリ音をたてながら締め上げていました
ボルトで締めたら簡単そうなんですがロープで固定するんだ…

ところで、「舁き棒」とは何でしょ?
」という文字を見ること自体、私には初めてで、何と読むのかも判らない

調べると、「舁き棒かきぼう」だそうで、山笠ナビ説明によれば、

舁き手が山笠を担ぐときに直接肩に担う六本の棒の事。
舁き山は六本の舁き棒を中心とし、クギを一本も使わず麻縄で締めて頑丈に組み立てられる。

とのこと。
判った気はするのですが、そもそも「舁く」って何?

調べると、「(二人以上で)物を肩にのせて運ぶ。かつぐ。」という意味だそうで、たしかに、駕籠を担ぐ人を「駕籠かき」といいます
「駕籠かき」「駕籠舁きと書くことを、きょう、初めて知りました というか、疑問にもおもっていなかった…

   

さて、今回の旅行のメイン「東山魁夷 自然と人、そして町」展。

エントランスを見るだけでは閑散としている感じなのですが、展示室内はかなり盛況
そりゃそうだよねぇ~。近代日本画の巨匠東山魁夷回顧展なんだもの。

観客の皆さんは、静けさの中にが響くような(まさに「The Sound of Silence」魁夷作品の数々にうっとりしているようでした。

私、東山魁夷の作品は、あちこちの美術館・展覧会何点も何度も拝見していますが、やはりイイ

そんな中で、今回の鑑賞でとりわけ「響いた」のが、

京都を描いた「年暮れる」です。1968年の作品で、「ぼってりとしたぼたん雪が降る大晦日、京都ホテルの屋上から東側を見下ろし、鴨川沿いに立ち並ぶ、しんと静まりかえった家並みを描いている(図録より)」。
雪夜青い明るさ、手前の家にほのかに見える灯り、様々な大きさや形の屋根屋根にうっすらと載った、降り続くぼたん雪の静けさ、、、、ホント、イイ

この作品は、「京都は今、描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」という川端康成懇願を受けて出かけた京都旅行で描いたものだとか。
そして、図録によれば、

現在、この辺りはビルや駐車場ができ、本作品のような静かな家並みは見ることができない(以下略)

だそうです。

   

そして、私が最も楽しみにしていたのが、唐招提寺御影堂障壁画でした。

私にとって10年ぶりの再会となる唐招提寺御影堂障壁画は、10年前の「唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」@東京国立博物館のときと同様、御影堂(みえいどう)の実際の間取りに合わせて展示されていました。(襖の両面に障壁画が描かれているため、会場の広さが十分ならば、実際の間取りに合わせて展示するのが合理的でもある)

前記のとおり、「東山魁夷 自然と人、そして町」@九博はかなり賑わっていたとはいえ、東博で拝見したときの雑踏のような環境とは天国と地獄の違いで、行ったり来たりしながら、じっくりと堪能できました。

今回気づいたことがありました。

それは、唐招提寺御影堂障壁画サイズ(縦)にいくつかパターンがあるということ。

完全に真っ平らだと思い込んでいた唐招提寺御影堂の床、実は部屋によって高さが違うし、それに合わせるべく鴨居の高さも違うんですな。(こちらの記事に書いたように、興福寺一乗院門跡の宸殿 殿上 公所 玄関等の建物」唐招提寺御影堂として移築した際の基礎工事不備から、別の意味で床が真っ平らでなくなったらしい)

下の展示の様子をみると、左側の「上段の間」に繋がる壁面の長押の高さが違いますでしょ?

それはさておき、私は掲示されていた間取り図と展示とを見比べながら(したがって展示室をの中を行ったり来たりしながら)、実際に唐招提寺御影堂の中で拝見しているのだと夢想しながら、ホント、じっくり、じっくりと東山画伯のこもった作品を鑑賞いたしました。

残念だったのは、観客の動線を考慮したのか、上段の間床の間の壁画が、襖絵(どちらも彩色画「山雲」)から離されて、水墨画「黄山暁雲」の描かれた桜の間の展示に隣接して展示されていたことと、図録御影堂間取り図が載っていないこと

かなり悔しいので、こちらのサイトを参考に、Excel御影堂間取り図を描いてみました。

この図図録で、好きなだけ唐招提寺御影堂障壁画再体験できます

ということで、「東山魁夷 自然と人、そして町」@九博の見聞録はおしまいです。

この展覧会、をつけるなら、★★★☆かな?
東山画伯の作品群って、一堂に会したものを拝見するより、思いがけず2~3点の作品に出会う方が、トキメキは大きいのではないかと思ったもので、ちょいと厳しい★になりました。

つづき:2016/10/02 福岡・アートの旅 2日目のこと(その2)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡・アートの旅 2日目のこと(その1)

2016-09-20 22:53:24 | 旅行記

「福岡・アートの旅」シリーズを約1か月ぶりに再開して、「福岡・アートの旅 初日のこと(その6・最終回)」のつづきです。

8月6-7日に決行した1泊2日の「福岡・アートの旅」、その2日目旅程は翌日に書いた「福岡・アートの旅ダイジェスト(2日目:最終日)」に載せましたが、再掲しておきます。

ホテル⇒徒歩西鉄福岡(天神)駅西鉄天神大牟田線(特急)西鉄二日市駅西鉄太宰府線太宰府駅⇒徒歩九博⇒徒歩太宰府天満宮⇒徒歩太宰府駅西鉄太宰府線西鉄二日市駅西鉄天神大牟田線(特急)西鉄久留米駅⇒徒歩昼食石橋美術館文化センター前路線バス西鉄久留米駅西鉄天神大牟田線(特急)西鉄福岡(天神)駅⇒徒歩地下鉄天神駅地下鉄空港線福岡空港飛行機羽田空港空港リムジンバス自宅最寄り駅前⇒徒歩自宅

ホテルチェックアウトした私は、荷物を引きずって西鉄福岡(天神)駅に行き、荷物をコインロッカーに入れると、太宰府市にある九州国立博物館(九博)へ出発。

西鉄特急は、京王特急と同じように特別料金(特急券)は要らないことをすっかり忘れていました

で、天神から30分ほどで、太宰府駅に到着。

鉄道の駅に、博多行きのバスの告知が堂々と掲げられていることに違和感を感じますが、バス西鉄が運行していることを思えば、納得できなくもありませんな。

それはさておき、いつものように「西側ルート」九博に向かった(参道ルート帰り用にとってある)のですが、このくそ暑い中、階段を歩いて登るのはかなりキツい
そこで、光明禅寺前からに進路をとり、太宰府天満宮お茶屋さんの間を抜けて、エスカレーター九博へ…

お久しぶりです、九博

何度見ても、ガラスの壁面に写る山並みイイなぁ~

と、まだ書きかけの状況ですが、NHK-FM「MISIA星空のラジオ」放送時間が近づいていますので、今夜はこれまで

つづき:2016/09/24 福岡・アートの旅 2日目のこと(その2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(秋田)県南小旅行記(最終回)

2016-09-19 22:12:30 | 旅行記

「(秋田)県南小旅行記(その11)」のつづき、遂に県南旅行記最終回です。

秋田県横手市増田山吉肥料店内蔵(うちぐら)のお話から再開します。それにしても、西馬音内盆踊りの見物がてらの県南旅行から早くも1か月か…時の流れが早い

さて、増田の内蔵のなかでは最も新しい(それでも築80年山吉肥料店の内蔵は、増田の内蔵の集大成 といわれているだけあって、、細かいところまで手がこんでいます。

鞘飾り(蔵を飾る木製の囲い)の細かい細工美しい色合い黒漆喰細工輝き、、、素晴らしい

山吉家にとってこの内蔵は、冠婚葬祭といった一家にとって重要会場として使われたいたのだとか。いくら内部に立派お座敷が設えられているとしても、の中で結納とかお通夜とかなんて、奇妙な感じ…

その後回しにしまして内蔵を覆う上屋小屋組を見上げると、

トラス構造になっているところが、やはり新しい時代の建築だということが察せられます。

山吉肥料店上屋は、表通りの中七日町通りから41.4mもの奥行きがあるのですが、上屋を抜けると、があり、

に面して、商品の保管などに使っていたという外蔵と、来客用離れ(それでも普通の一軒家以上のデカさ)が立っていました

外蔵に入らせていただくと、

気づくのは、というか、一歩外蔵の中に足を踏み入れた瞬間に、外気温との温度差に驚かされます

をふきふき街歩きするような暑い日だったというのに、外蔵の中は、ひんやりとして気持ちいい

そうか、土蔵断熱性能が際だっているんだ

これで、増田の人たちが蔵の中座敷を造ったこと、山吉家内蔵の座敷を家族の重要な行事の開催場所にしていた理由の一つが理解できました。

エアコンのない時代、も、座敷蔵は家の中で最も快適な場所だったということですか

   

ところで、この山吉家お屋敷は、中七日町通りに面した入口から、裏通りに面した裏門までは、なんとなんと100mもあります

間口10.4mに奥行き100mと、極めて細長い敷地なのは、この山吉肥料店に限った話ではなく、「その10」に載せたマップを見てもわかるとおり、増田中七日町通りに面した家屋のほとんどが(間口に差はあっても)こんな敷地に立っています。

最後に拝見した内蔵のある建物、観光物産センター「蔵の駅」として活躍している旧石平金物店間取は、こんな風になっていまして、

表通り側から、店舗⇒事務所(?)⇒居住区域⇒水屋⇒内蔵と並ぶ構造は、増田の商家一般的な構造だとか。

パッと見、地味なメインストリートの眺めの増田の街、奥は深い

私にものごころがついた頃には、「おいしいリンゴが採れるところ」のイメージしかなかった増田ですが、かつては県南商業の中心地でもあったことを実感できた気がします。

そして、現在の北都銀行につながる旧羽後銀行がこの地に創業した理由も理解できました。

いやはや勉強になりました。

増田の内蔵を見学したあと、昼食として、佐藤養助商店秋田が誇るA級グルメ「稲庭うどん」を食しました。

考えてみれば、初日十文字ラーメン西馬音内の冷やがけソバを食べ、2日目の昼食稲庭うどんを食べました。これで横手焼きそばを食べれば、県南の名物麺類コンプでしたな…

ということで、これにて県南小旅行を終え、秋田市へとクルマを走らせたのでありました。

横手のかまくらとか大曲の花火ほど有名ではない「名物」を巡った県南小旅行でしたけれど、目ウロコ連発だったし、旧友たちとの旅行になって、ホント、楽しかった

めでたし、めでたし。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Blue Note JAZZ FESTIVAL参戦記(後編)

2016-09-18 14:42:28 | MISIA/音楽

「Blue Note JAZZ FESTIVAL参戦記(前編)」のつづきです。

毎週末のルーティン・ジョブ給油ビールの買い出し)を済ませてから出かけたため、「Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN」(BNJF)の会場、横浜赤レンガ・パークに到着したのは、開演時刻を遙かに過ぎた13:30頃、場外にもMarcus Millerバンドのキレの良い演奏が鳴り響いていました。

よくよく考えてみれば、私が横浜赤レンガ倉庫にやって来たのは、横浜赤レンガ倉庫商業施設としてオープンして間もない2002年7月に開催された「メロンパンダ カフェ」以来のこと。

そうそう、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館(歴博)で、全盛期(前世紀)赤レンガ倉庫付近のジオラマを観ましたっけねぇ…(記事はこちら

   

それはさておき、私はA指定席チケットを持っていたのですが、既にMarcus Millerの演奏が始まっていたし、とりあえず会場全体を見物しておこうということで、Marcus Millerの演奏をBGMに、会場内をブラブラしました。(これはこれでフェスっぽい

まずは、ドリンクチケット缶ビールと引き換えて(変な風習だよな~)、それを飲みながら喫煙所トイレの位置などを確認

「MISIA × TAKUYA KURODA」のステージ、スタンディングエリアにあるDIZ STAGEの最前列には見知った顔が並んでる…
みんな、DIZ STAGEに背を向けて、数百メートルBIRD STAGE(の映像)を眺めてました。
凄いなぁMISIAの登場までまだ2時間以上もあるというのに…

ところで、この2つのステージの名前は、Charlie Parker (BIRD)Dizzy Gallespie (DIZ)のニックネームから採ったものだとか。
このお二人、ジャズの一形態「ビバップ」の代表的なジャズ・プレーヤーです。

さて、会場を一回りした私は、指定席に着席することなく、スタンディングエリアに戻り、芝生に座ってMarcus Millerの演奏を楽しみました。

そして、Marcus Millerの演奏が終わると、DIZ STAGE直近のエリアを除けば、間隔をとって芝生に腰掛けていた人たちが続々と立ち上がり、DIZ STAGE近くに結集
私も遅れを取るまいと立ち上がり、「MISIA × TAKUYA KURODA」の鑑賞ポジションを確保しました、、、が、結構ステージから近くても、良くない場所だったことは「前編」で書いたとおりです

   

「MISIA × TAKUYA KURODA」のステージのことは「前編」で書きましたので、ここはすっ飛ばして、その終演後のことから…。

いやぁ~良かったなぁ~大満足のうちに、一服するべく喫煙所に行くと、なんとまぁ喫煙者でギッシリ

会場内の喫煙所DIZステージ近くの1か所なので、チケットの券種を問わず、「MISIA × TAKUYA KURODA」を楽しんだ喫煙者が時間差無く喫煙所に集結してしまったんですな。

そうこうしている内に、BIRDステージではGeorge Bensonが始まったぁ~
慌てて、A指定席エリアに入り、自席に着席してGeorge Bensonを聴きました。

ところが、3~4曲ほど聴くと、、、飽きた

私にはGeorge Bensonは合わないみたいです。
音楽的にも、金色のゴツい腕時計をしてステージにあがるとか自分のロゴを並べたストラップを使っているとか、そんなセンスの面でも、合わない

周りの方々には失礼ながら、途中退場して、会場外で行われているはずの黒田卓也さんのトークショーを観に行くことに…

ところが、トークショーに出演していたのは、、、

あれっ? Marcus Miller

なぜに?タイムテーブルを見ると、Marcus Millerのトークショーは15:30からのはず、、、なんですが、その時間帯後半Marcus Miller「MISIA × TAKUYA KURODA」のステージに乱入していたのでした…

Marcus Millerはとても気さくな感じで、なかなか楽しいトークショーでした。
それにしても、黒田さんのトークショーはどうなったのだろうか

この後、かなりイマイチソーセージをおなかに押し込み、ビールで口直ししながら、

ジャジー&ソウルフルな歌声、スティーヴィーに見出され
メジャーデビューを果たした話題のシンガーが初来日

というAndra Dayを聴く場所を確保するべく、再びDIZステージへ。

大桟橋には巨大客船「ダイヤモンド・プリンセス」が停泊していました。
ホント、デカい

だんだん薄暗くなってきました。夕方頃から降るかもしれないとの天気予報が出されていたものの、雨が降り出す気配ありません
雨具やバッグをしまい込むためのゴミ袋を持参していましたが、それは無用になりそうな感じ。
よしよし です。

そして、Andra Dayのステージが始まりました。

このAndra DayCD、TV・ラジオを含めて初めて聴きましたが、とにかく素晴らしかった

結構クセのある音質の声で、合わない人には合わなかもしれないけれど、声のコントロール感情の入れ方なんか、もう凄い

加えて、衣装身のこなし小物の使い方も含めて、ちょっとレトロな感じにまとめていて、それが心地良いし、何よりも、「BLACKのが感じられる歌声がたまりません
こりゃ、日本人にはマネのできないところかもしれませんな。

BNJFでの一番掘り出し物は、このAndra Dayだった気がしました。
バンド良かったし、Key BoardCharles Jonesさんは歌も上手かったです。

Andra Dayのステージのあと、例によって喫煙所に立ち寄りましたが、「MISIA × TAKUYA KURODA」の後に比べればユルユルでした。

   

BNJFの大トリはEarth Wind & Fire

すっかり日が暮れて、ダイヤモンド・プリンセス美しい

あれっ? ダイヤモンド・プリンセス動いている と思ったら出港の時刻だったようです、と、そのタイミングを見計らっていたかのように、Earth Wind & Fireのステージがスタート

次から次へと、ヒット曲が繰り出されて、私は若かりし頃を思い出してうれしさ楽しさ大盛り上がり

終盤には、ここにもMarcus Millerが登場して、演奏に参加してくれました。

Marcusったら、自分メインのステージ、MISIA + TAKUYA KURODAのステージ、トークショー、そしてEW&Fのステージと、大活躍
人間的に良い人なんだろな、Marcus Millerって…

こうして楽しさで一杯のEW&Fのステージを最後に、今年のBNJF終了しました。
ただ、楽しいことは楽しいけれど、初めて生のEW&Fのステージを観て、新発見があったかと問われれば、、、それは無かった

こうしてみると、今年のBNJFは、MISIA + TAKUYA KURODAAndra dayMarcus Millerに尽きる感じかな。

   

この眺めいかにもYOKOHAMA~ぁ

そして赤レンガ倉庫ライトアップ美しい

かなり疲れたけれど、かなり楽しかったBNJF、行ってきて良かったと思っています。
開催2日前の木曜日に参戦決意してチケットを購入したんですけどね。

それにしても、あの素晴らしかった MISIA + TAKUYA KURODAのステージ、映像メディアで残らないのかなぁ。せめて音声メディアででも
参加した人たちの記憶の中にだけ残るなんて、もったいなさ過ぎます

以上、まったくもって私的な参戦記でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Blue Note JAZZ FESTIVAL参戦記(前編)

2016-09-18 00:17:18 | MISIA

Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN(BNJF)に行ってまいりました。

お目当てのMISIA以外にも書きたいことがたくさんあるわけですが、取り急ぎ、MISIA × TAKUYA KURODAのことから書き始めます。

私が陣取った場所は、結構前の方の中央付近で、かなり良い場所を確保できた…と思ったのですが、私とステージのセンターを結ぶ線上に、かなり背の高いお兄様

がぁ~~ん と、ものの見事にMISIAが見えない

このお兄様が下を向いたりMISIA左右に移動したとき以外は、MISIAのお姿を拝むことができませんでした。

でも、いかにも気持ち良さげに歌うMISIAは、その白い衣装ともあいまって、それは神々しいものでございました。

さて、きょうのセットリストは、私の予想通り、もともとJazzyなレパートリー(BELIEVE, 真夜中のHIDE-AND-SEEK, THE BEST OF TIME)と超初期の代表曲(陽のあたる場所, とつつみ込むように…)が中心でした。

意外だったのが、残りの2曲

まず、事前情報で、黒田さんがお気に入りのMISIAの曲をやる、ということだったのですが、その「黒田さんがお気に入りのMISIAの曲」というのが、なんと、「It's just love」

まさか、この曲とは…
で、黒田さんバンドとのセッションは、「It's just love」の別の一面を見た感じでしたが、やはりアコギとの方が合うと思った私です。

もう1曲意外だったのが、、、、と、その前に、突然、スペシャルゲスト登場
MISIA × TAKUYA KURODAタイムの直前にライヴを披露したばかりのマーカス・ミラーが登場しました

ひやぁ~当代一流のベーシストとMISIAコラボ

これだけでも驚きだというのに、ステージ上でマーカス・ミラーMISIA黒田さんが譜面を見ながらちょこちょこっと打ち合わせた後に発表されたコラボ曲は、

なんとなんと、「オルフェンズの涙」

まさか、BNJF「オルフェンズの涙」を聴けるとは思いもよりませんでした。
しかも、イイ

「Misia Candle Night @春日大社 飛火野 2daysのこと(後編)」で、

ライヴを重ねるに連れて進化する曲ってあるものですが、MISIAの最近の曲でその傾向が顕著なのが、「真夜中のHIDE-AND-SEEK」と「オルフェンズの涙」だと思っています。

と書きましたけれど、きょうもまた、「オルフェンズの涙」「真夜中のHIDE-AND-SEEK」と共に偉大な進化を遂げました

この2曲はもとより、きょうのMISIA × TAKUYA KURODAのパフォーマンスを観て、直前まで「Jazz FestivalでMISIA?」 なんていぶかしく思っていた人の多くも、その認識を新たにしたのではなかろうかと思っています。

いやはや、ホント、きょうのMISIA見事でした(やはりMISIASax明男ちゃん一番 とも思いましたが…

つづき:2016/09/18 Blue Note JAZZ FESTIVAL参戦記(後編)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土木展は楽しい♪ カトケンの芝居も楽しい♪ (その2)

2016-09-15 23:25:31 | 演芸・演劇

「土木展は楽しい♪ カトケンの芝居も楽しい♪ (その1)」のつづきです。

気がつくと、きのう本多劇場での「ハリウッドでシェイクスピアを」千穐楽だったようで、感想を書くのが遅かったぁ~

でも、書きかけのシリーズものがいくつかあるもので、この機を逃すと、いつ「ハリウッドでシェイクスピアを」の感想を書くのか判らないんで、きょう、書いておくことにします。

この作品は、パンフレットの冒頭に載せられた加藤健一(カトケン)さんの説明を引用すると、

この芝居の作家は、前作「Be My Baby」と同じケン・ラドウィックです。カトケン事務所が初めて彼の作品を上演したのは1990年「レンド・ミー・ア・テナー」でした。次が2002年「バッファローの月」、続いて2007年には「特急二十世紀号」、そして2013年には「Be My Baby」の初演となり、今回の「ハリウッドでシェイクスピアを」と続くことになります。この五本の作品の内、「Be My Baby」を別にすれば後は全てが、いわゆる“バックステージもの”と言われる舞台です。その作品数の多さからもケン・ラドウィックがいかにお芝居を愛しているかが分かるような気がします。

とあるように、カトケン事務所の作品ではお馴染みの作家さんの作品です。
ふり返れば私、上記の5作品のうち、「Be My Baby」を除く4作品を鑑賞しています(再演を含む)。
なかでも印象深いのは、2004年10月23日に観た「バッファローの月」です。
作品のデキの良さもさることながら、観劇中に新潟県中越地震が発生して本多劇場ユラユラ揺れたのは忘れられません。

   

それはさておき、「ハリウッドでシェイクスピアを」のシチュエーションは、

「夏の夜の夢」(作:W.シェイクスピア)で3組の結婚式を祝福し、ぐったりと疲れ果てた妖精王オーベロン(カトケン)と王に仕える妖精パック(加藤忍)は、アテネ近郊の魔法の森へ帰るいつもの呪文を唱えた・・・つもりが
辿り着いたのは、1934年のハリウッド 今まさに映画「真夏の夜の夢」の撮影が始まろうとするスタジオだった。オーベロンとパックはひょんな事から本人役で映画に出演することになってしまう。しかもオーベロンはハーミア役の新人女優オリヴィア(瀬戸早妃)とたちまち恋に落ち、そこへラサンダー役のスター俳優ディック(円山厚人)が横恋慕して、まさかの三角関係に

で、妙なドイツ語なまりのしゃべりを繰り出す映画監督ラインハルト(小宮孝泰とか、映画会社の重役ジャック・ワーナー(粟野史浩)の愛人にしてちょいとおつむのネジが緩い女優リディア(新谷真弓)といったあまりにも個性的すぎる登場人物たちに加えて、「その花の汁が目にかかると、目覚めて最初に見たものに恋をする」という「愛の刷り込み」花が登場して、もう、ドタバタの喜劇です。

カトケン「ハリウッドでシェイクスピアを」のチケット冒頭、妖精王オーベロンが登場するだけで、その「妖精」とは思えないおじさん的な容姿あんぐり それでいて、しゃべりは、カトケンさんらしい朗々とした声で、完全に「上から目線」的な時代がかったもので、アンマッチ過ぎ大受けです。
さらに、「人の目からは見えない」状態のときのホワンホワンした身の動きたまりません
そして、妖精王オーベロン弟子であるはずの妖精パックがまた、師匠を師匠とも思わないような自由奔放な言動(ぶち壊れた感じ加藤忍さんがお見事)で、オーベロンになりかわって、「いい加減にしろ怒鳴りたくなる気分。

また、映画監督ラインハルト(小宮孝泰コント赤信号の小宮さんドイツ語なまり(?) がおかしくって最高でした(私、大学での第2外国語ドイツ語でした)

そして、やはり書かずにはいられないオリヴィア(瀬戸早妃)

すっごくステキでした。
オーベロンならずとも、「惚れてまうやろ」って感じ。
瀬戸さんの舞台を観るのは、これもカトケンさんの「女学生とムッシュ・アンリ」以来2度目なんですが、あの時と比べて、が倍増したというか、貫禄がついたというか、私がいうのはおこがましいのですけれど成長してる と思いましたです。
マシンガントークお見事でした。

ちょっとドタバタに過ぎる部分もありましたが、やはりカトケンコメディって好きです。
やめられません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする