新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

OCNブログ人終了によせて

2014-11-30 18:51:47 | 日記・エッセイ・コラム

きょう11月30日をもってOCNブログ人」のサービスが終了します。

私は今月初めにはこのgooブログへの引っ越しを終え、その後しばらくして「徒然煙草の咄嗟日記」を事実上閉鎖しておりまして、ここでOCNブログ人」が終わっても何の変化も生じないのではありますが、ちょっと愚痴を書いておかねば気が済みません。

まず一つ目。

OCNブログ人のURLからgooブログのURLへのリダイレクト設定
 *希望者のみ。2015年2月28日まで提供いたします

とされている「リダイレクト設定」、旧ブログの某記事にアクセスがあった場合、その記事のgooブログ内の引っ越し先に誘導してくれるのかと思っていたら、単に「新・徒然煙草の咄嗟日記」のトップページに誘導するだけのものでした。

まぁ、こんな最低限のリダイレクト設定でも、無いよりはマシなんですが、二つ目の愚痴はかなり深刻っつうか、憤りに近い。

というのは、「新・徒然煙草の咄嗟日記」引っ越した記事が、まったく検索に引っかからないこと。

旧ブログの記事は、手練手管を使ったわけでもないのに、例えばGoogleなどで妙に上位に引っかかって、こちらとしてはうれしい限りだったのですが、そんな6年間弱の実績が完全にゼロクリア

記事は「新・徒然煙草の咄嗟日記」に引き継がれているのですが、そこに誰も行き着けないのであれば、死んだアーカイブと一緒でしょう。

OCNブログ人のサイトに書かれている、

長年におけるご愛顧に感謝いたしますとともに、お客様に大変ご迷惑を
おかけいたしますことを深くお詫び申し上げます。

というお詫びの文句、こういう事態(「ご迷惑」)が生じることを予め判った上でのお詫びなのだろうか?

判った上でならば、こういう事態について何の説明も無いのはズルいし、判らなかったというのであれば、これもまた無責任極まりない

こんな不快なお別れになるなんて、正直、悲しいです。

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味覚と嗅覚は×だけど、視覚と聴覚は○で良かった良かった

2014-11-30 09:24:48 | MISIA/旅行記

沖縄遠征初日は、移動安静に徹した私でありましたが、2日目の昨日は朝から那覇の街に繰り出しました。

行程は以下のとおり。

ホテル⇒徒歩旭橋駅ゆいレールおもろまち駅⇒徒歩安里配水池公園⇒徒歩沖縄県立博物館⇒徒歩おもろまち駅ゆいレール牧志駅⇒徒国際通り久茂地⇒タクシー⇒ホテル(着替え&小休止)⇒徒歩パレットくもじ前⇒ツアーバス中城城跡25回 世界遺産劇場沖縄-中城城跡-Misia Candle Night at OKINAWA⇒ツアーバス沖縄県議会前⇒タクシー⇒ホテル

前日同様、私の味覚は、

「塩っぱいか塩っぱくないか」「甘いか甘くないか」くらいしか区別がつきません

という状態で、ツアーオプションでクーポンgetしていた「500円ステーキランチは、そりゃコストパフォーマンスは高かったのではありますが、私の味覚がバカになっているせいで、ただひたすらしょっぱさしか感じられず、せっかく用意された3種類のソースを試すには及ばないって感じ…
味覚(嗅覚)が利かないってのはつらいものです

でも今回の沖縄旅行最大の目的「第25回 世界遺産劇場沖縄-中城城跡-Misia Candle Night at OKINAWAを楽しむためには味覚も嗅覚も不要で、必要となる聴覚と視覚(一部触覚も)は大丈夫でしたから、ライヴは楽しめました。

心配していた天気は、私が中城城跡に到着した直後、この日一番の強さでが降っていたのですが、その雨も直に上がり、そのままずっと雨が降ることはありませんでした(バンドメンバーがステージに登場したとき、私はてっきり皆さんが雨ガッパを着込んでいるのかと思いましたが、今回のステージ衣装は白いローブ風で統一されていました)

それどころか、「蒼い月影」のイントロをバックにMISIAがMCを始めると、おりよく上弦の月が雲間から姿を見せるし、もいくつか見えました。

肝心のMISIAは、絶好調 とは言えなかったと思いますが、「危険を察知するとごく自然に安全サイドに持っていく辺りは、さすがベテランの域です。
もっとも、MC加藤登紀子さんの話題になった際、「デビューから50年の加藤さんに比べれば、16年目の自分はピヨという感じです」とおっしゃっていましたけど…
ちなみに、この夜の「時には昔の話を」も良かった…

   

ところで昨夜の私の座席3列目のほぼ中央部

私とMISIAの間に入るのは、ステージ下で左右に移動するテレビカメラくらいのもので、これとても、MISIAの足下が見えなくなる程度。なんとも贅沢な席でした。「席番」を見たときは、右サイドの座席で、昨年9月「MISIA 星空のライヴVII」沖縄公演のときのように(記事はこちら見切れが発生するのではないかと危惧していたのですが、さすがは野外公演1列100席近くあったという次第です。

ただ贅沢な話ですが、ステージに近すぎて、背景となってライトアップされていた(らしい)中城城の城壁ほとんど見えませんでした

そこんとこは、来年1月31日17時からWOWOWの放送で確認することにしましょ。

ところで、今朝のNHK「サキどり」のテーマは「空の産業革命!小型無人航空機"ドローン"」でしたが、そのドローンが昨夜の中城城跡上空を舞っていました。
どんな映像が撮られたのでしょうか?楽しみデス

  

さて、そろそろ家に帰る準備をしましょうか…。

つづきのようなもの:2014/12/05 体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その1)

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「風邪引き状態」で沖縄にやってきた

2014-11-29 06:23:36 | 旅行記

今年最後の「遠征」だというのに、今週初めから風邪気味でした。 最初はが酷くてゲホゲホ状態だったのが、翌日には咳がほとんど治まった代わりにくしゃみ連発。さらに翌日にはくしゃみがほとんど治まった代わりに、今度は熱っぽい

加えて、味覚がおかしくなっていて、「塩っぱいか塩っぱくないか」「甘いか甘くないか」くらいしか区別がつきません

当初のもくろみでは、午前中に那覇に到着したら、初日の午後と2日目の午前中は市内観光するはずだったのですが、こんな体調なものですから、昨日は、自宅最寄り駅前から羽田空港に向かうバスの中では「安静」

羽田から那覇に向かう飛行機の中でもひたすら「安静」、さらに早々にホテルにチェックインすると、さらに「安静」
オプションで採っていたホテルのディナー券を使って夕食を摂った後は、風呂に入って汗を流した後(風邪引きの常として大量の汗をかいていました)、「安静」

これだけ寝まくっても寝られるし、退屈しないのはこの体調のなせる技なんでしょうな。

そして今朝、だいぶマシになった気がします。
こんな体調で、雨ガッパを着込んで野外ライヴってのは危険な香りプンプンですけれど、自分に対してGood Luck です。

つづき:2014/11/30 味覚と嗅覚は×だけど、視覚と聴覚は○で良かった良かった

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接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その5)

2014-11-24 17:44:15 | 旅行記

「接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その4)」のつづきです。

大濠公園駅から地下鉄に乗って「博多秋博スタンプラリー2014に繰り出した私、下りたのは中洲川端駅でした。

このスタンプラリーは、

10月1日(水)~11月30日(日)に博多エリア内の施設(17か所)で「博多秋博スタンプラリー」を実施!
各スタンプ設置場所にある応募用紙にスタンプを押してご応募ください。
今年は、スタンプの押印数に応じて2つのコースをお選びいただけます。

というもので、「2つのコース」のうち「よかもんコース」というのが、

スタンプ5個もしくは15個押印して、応募用紙を投函BOXへ。
抽選で素敵な賞品をプレゼント。

と、博多関連グッズ(よかもん)が当たる抽選に参加できて、もう一つの「にわか猫コース」というのは、

スタンプ5個押印ごとに、にわか猫缶バッジを先着でプレゼント(無くなり次第終了)。

と、「もれなく」缶バッジがもらえるコース。

私はスタンプ設置場所のマップを眺めてちょっとだけ考えた結果、

志低く、ちょこちょこっと5か所でスタンプを集めにわか猫缶バッジをいただくことにしました。

そして、まずは、中洲川端駅ほぼ直結の「博多リバレイン イニミマニモ」という呪文のような名前ショッピングビルで一つ目のスタンプをget

ところで、この「イニミニマニモeeny meeny miny moと綴るんだそうですが、いったい何?????

旅行後に調べてますと、Wikipediaによれば、

イニミニマニモ (eeny meeny miny mo) は、福岡県福岡市博多区下川端町にある商業施設。大型商業ビル「リバレインセンタービル」の地下2階~6階部分を占めており、同ビルを入れて3棟のビルからなる大型複合商業施設「博多リバレイン」の中核的テナントを担っている。
なお、「イニミニマニモ」とは英語圏において何かを選ぶときに歌われる歌で、日本の「どちらにしようかな」に相当する

だそうで、へぇ~ 初めて知りました、この言い回し

この時は、こんな意味を知るよしもなく、私はさっさと2つ目のスタンプを求めて街に出て行ったのでありました。

   

次に向かったのは、「川端ぜんざい広場」

私、この日、初めて知ったのですが、地下鉄の駅名となっている「中州川端」というのは、そういう地名があるからではなく、最寄りの2地区、「中州」と「川端」をくっつけたんですねぇ。
田園都市線「池尻大橋」駅と同じですな(「池尻大橋」という地名も橋も存在しません「池尻」と「大橋」をくっつけた駅名です)。
こんな場合、みなとみらい線「元町・中華街駅」のように「・」を挟んでくれたらいいのに…

それはさておき、「川端ぜんざい広場」のある川端商店街を南東方面に歩きました。

結構人通りの多いアーケード街なのですが、妙に仏具屋さんが多い

浅草近くの稲荷町~田原町間ほどではないにしろ、これだけ仏具屋さんがたくさんある通りってのは珍しいかもしれません。

またまた「へぇ~と思いつつ、2つ目のスタンプをget

   

3つ目のスタンプは櫛田神社からほど近い萬行寺getしました。

スタンプ台があるという鐘楼に行こうとすると、こんな石碑が目に止まりました。

「明月信尼之墓」だそうで、尼さんのお墓があるようです。

実際、この碑の裏手にお墓がありました。
ところが、

「名娼明月墓」と書かれています。
しかも、朱文字です。

「名娼」というからには明月さん遊女だったということ?
生前にお墓を建てたりして、生きている人の名前をお墓に刻むときは、を入れるものだと聞いていますが、明月さんという尼さんお女郎で、しかも生きている????? う~む判りません

これほどしっかりと手入れさえれていて、花も手向けれられているというのに、説明板の類がなくて、まったく由来が判りません

これもまた旅行後に調べると明月さんはどんな人なのか、答えが見つかりました。
ただ、なぜ朱入りなのかはわからずじまい…
興味を持たれた方は、こちらのサイトこちらのサイトをご覧ください。

   

お次は久しぶりの櫛田神社

神社につきものといえば、鳥居獅子・狛犬と相場が決まっているものですが、櫛田神社「獅子・狛犬」ちょっと珍しい組み合わせでした。

「獅子・狛犬」は、「阿吽形の獅子2頭」の神社が多いのですが、約5年前にこちらの記事に書いたように、

本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。

という組み合わせが正式な組み合わせです。

ところが、櫛田神社の場合、「向かって左側」こそ「角ありの『吽像』で狛犬」ながら、

「向かって右側」角ありの『阿像』で狛犬

「狛犬2頭ペア」という編成は珍しいと思いますゾ

もっとも、鳥居はないは、獅子・狛犬ではなくウサギが参拝者を出迎えてくれる浦和・調神社のような神社もあるわけで(4年前のこちらの記事をご参照方)、

さほど気にする必要はないでしょう。

で、櫛田神社4個目のスタンプをgetした後、だいぶ前に壊れてしまった櫛田神社「叶守」新調し、すぐ近くの「博多町家ふるさと館」で5個目のスタンプを押し、「にわか猫缶バッジ」getしたことはダイジェストに書いたとおりです。

祇園駅から地下鉄天神まで戻り、西鉄福岡(天神)駅九州国立博物館きっぷを購入して、福岡旅行初日の予定を無事に終了いたしました。

つづき:2015/02/14 接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その5)

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接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その4)

2014-11-23 08:38:03 | 旅行記

ひさしぶりに「接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記」を再開します。 ちなみに「その3」こちら

福岡城を後にした私は、大濠公園を突っ切って地下鉄大濠公園駅へと向かったのですが、この町名板がなんともそのままで…

福岡市中央区城内

もう城跡から出たのにナ… と思ったら、福岡城趾も含めてこの辺り全体が「中央区城内」でした

この町名に勝てるとすれば、こちらくらいのものでしょうな

大阪市中央区大阪城

 

さて、休日で賑わう大濠公園の中を歩いて行きますと、チラホラとを咲かせている木がありました。

この木はもしかすると…

 

何の木だろうと思って、近くからしげしげと眺めますと、、、

 

もしかして

でも、季節が季節ですからねぇ…
秋~冬に咲くなら、砧公園(記事はこちら)や犬山城(記事はこちら)で見たことがありますが、秋に咲く梅なんてあるのでしょうか?
もしかして、この木も砧公園と同じジュウガツザクラでしょうか?
こちらの画像を見ると、どうやらジュウガツザクラの線が強そうです。

   

大濠公園駅のある明治通りにやってきました。

この建物、良いなぁ~

旧簡易保険福岡支局

1934年竣工の「旧簡易保険福岡支局」で、現在も簡易保険事務センター福岡大濠郵便局として使われています。

玄関の庇の支えのカーブとか、正面上部の時計とか、

玄関近くの丸窓とか、

 

ときめいてしまったでございました。

   

この後、私はこちらのリーフレットを持って、

「博多秋博スタンプラリー2014に繰り出したわけですが、そのお話はまた後日

つづき:2014/11/24 接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記(その5)

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日本国宝展は後期に入って混んでます

2014-11-22 22:04:09 | 美術館・博物館・アート

きょう、東京国立博物館(東博)に行ってきました。

「日本国宝展」が後期に入り、11月18日からは「漢委奴国王」の金印が、21日からは国宝土偶5点が勢揃いしているということで、もう1回観に行こうという次第です。

「日本国宝展」にはこちらでちょろっと書いたように一度行っていますし、金印福岡市博物館(記事はこちら)で、は「国宝 土偶展」(記事はこちら)ほかで拝見していますが、観覧料1600+上野までの交通費国宝百数十点を拝見できるなんて、そうそうあるもんじゃありませんからねぇ

まず、御徒町焼き肉屋さんで昼食を摂った後、東博

前回「日本国宝展」を拝観する際は、東博パスポートを新規購入して、それを使いましたが、東博パスポートは、

特別展は、お好きな特別展を1回ずつ(合計6回まで)ご覧いただける

というルールですから、きょうは「日本国宝展」の入場券を購入するつもりだったのですが、東博の正門前にはこんな看板がありました。

60待ちです

ですって

一気に気分が萎えました
先週の日曜日術館で紹介されたのが影響しているのでしょうかねぇ…

これを見て方針を転換
きょうは総合文化展庭園開放だけを楽しむことにして、東博パスポートで入場しました。

実際、「日本国宝展」が開催されている平成館の前には多くの善男善女が入場を待っていました。

考えてみれば、平成館前に入場待ちの行列ができているのを見るのはこれが初めてかも…
「国宝 土偶展」も、「キトラ古墳壁画」(記事はこちら)も、「白菜」(記事はこちら)も、行列は本館の特別5室に繋がっていましたからねぇ。

   

それはさておき、総合文化展を観終わる頃に行列が無くなったり短くなっていれば、一旦退場して、チケットを購入して「日本国宝展」を観ようかと思いながら、総合文化展を鑑賞いたしました。

きょう、一番目を惹かれたのは、北海道アイヌの調度類でした。

たとえば、こちら「匙(さじ)」フォルムの素敵さったらありません

どことなく国宝土偶の一つ「縄文の女神」相通ずるものがあるように感じられるのは私だけでしょうか?

こちらの「杓子(しゃくし)」の柄に刻まれた意匠も素敵デス

そうそう、平成館1階の「ラウンジ」(平成館に入って左手のスペース)で、

8K スーパーハイビジョン」による玉虫厨子元興寺極楽坊五重小塔の紹介映像が上映されていました。

この「イベント」は 11月20日から24日までの超限定ながら、「日本国宝展」のチケットがなくても参加できますので、明日orあさって東博に行かれるなら、必見ですぞ
特に、「日本国宝展」を観るのでしたら、先にこの上映会を観ておくことをお薦めします。

前回、私が「日本国宝展」を観に行ったとき、玉虫厨子には1400年前タマムシの羽が残っていると聞いたものの、それを見つけることができなかったのですが、この映像を観て、タマムシの羽が残っている箇所をしっかりと把握できました

きょうは「日本国宝展」を観ることはできませんでしたが、次の機会にはぜぇったいタマムシの羽を観るぞ

   

 「さて日本国宝展の入場待ちの列はどうなったのだろうか?」と外に出ると、、、、ありゃぁ~

 行列は1時間前より伸びているではありませんか

おいおい、金印国宝土偶たちとの再会はできるのか? と不安になってしまいます。
なにせ、来週末は沖縄遠征で、上野には行けませんから

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一日がかりで運転免許を更新(その4:最終回)

2014-11-20 22:56:33 | タウンウオッチング

「一日がかりで運転免許を更新(その3)」のつづきです。

10月16日の記事「登って下っての四国旅行記(その15・徳島編②)」で、吉野川川幅の広さに驚嘆して、

河口幅日本一富士川(1,950m)川幅日本一は馴染み深い荒川のあまり馴染み深くない鴻巣付近(2,563m)だそうですが、こんなにデカい川を見たのは初めてかもしれません

と書きました。

その「あまり馴染み深くない鴻巣にある運転免許センターに向かって吉見百穴からクルマを走らせている途中、道路沿いに「川幅日本一」の看板を見かけました(下の写真は左岸の看板)

吉見町鴻巣市の境界が、まさしく「川幅日本一」の地点で、私は図らずもこの地点を通ることになったという次第です。

で、吉見町側から「荒川」に突入してしばらくは、いかにも河川敷の上を走っている感じでした。

ところが、肝心の荒川が見えません
荒川が見えないうちに、代わって見えてきたのは、なんと、民家でした

あれっ? 「川幅」としてカウントされているエリア内にがある
こんなのってありですか?

もしかすると「川幅エリア」を通り過ぎてしまったか?
なんて考えていると、、、、もしかして、あの「小川」みたいなのが荒川ですか?

運転中のクルマの中から、方向を想像してカメラのシャッターを切ったもので、構図もピントもむちゃくちゃですが、そこはご容赦を…

「川幅3537mを標榜しながら、実際の川はその辺の普通の川(見慣れた荒川の姿とはかけ離れた小さな川)だなんてどういうこと?

ここで「川幅」の定義を調べてみますと、こちらによれば、

国土交通省では、堤防から対岸の堤防までの間を河川区域(=川幅全体)としている。

だとか…。
Google Mapで見ますと、

確かに私が通った県道27号線が通っている辺りは、実際の川面の幅に比べて「堤防から対岸の堤防までの間」むやみに広くて、こんなエビ天があったら、「コロモばかりがデカくて、肝心のエビ小指ほどもないじゃないかと、かなり憤慨しそうです。

でも、そんなギャップ実体験できたなんて、Lucky過ぎる

   

Lucky過ぎる」ことを味わいながらたどり着いた運転免許センターではありましたが、ここから先は、淡々と運転免許証の更新手続きをしたわけでして、約1時間半後には、これまで使ってきた「ゴールド免許」証には四隅にが開けられ、新しい、でも、情けない「ブルー免許」証を手にしたのでありました

そして、すべての行程を終えて自宅に帰りつくと、時計17時近くを指しているんですから、ほとんど一日がかり運転免許証の更新でございました。

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一日がかりで運転免許を更新(その3)

2014-11-19 23:59:55 | タウンウオッチング

「一日がかりで運転免許を更新(その2)」のつづきは、まだまだ吉見百穴での見聞録です。

それ自体、国指定の「史跡」の肩書きをもっている吉見百穴は、その内側に国指定の「天然記念物」を持っていました(どちらも「特別」がついていないのが残念です)。
それが、


ヒカリゴケ

ヒカリゴケは、「観光開発」にその存続が脅かされているとして「CR+EN(絶滅危惧I類)」に指定されているのだそうですが、吉見百穴では上の写真のように、厳重に管理されていました。

ヒカリゴケ自生地を覗き込みますと、、、

コケっぽいのが生えていて、なんとなく光っているようにも見えますが、う~む、、、ビミョー

ヒカリゴケは、それ自体が発光しているわけではなく、

ヒカリゴケはレンズ状細胞からなる原糸体が暗い洞窟などで反射光を出すことでこの名がある。

のだそうで、私が観察したときは、明るすぎたのかも知れませんナ

   

吉見百穴に横穴式の墓がボコボコと造られたのは、現地の案内板によれば、ここが、

凝灰岩質の比較的軟い岩山

だったことが大きいと思いますが、昭和初期に、その性質を利用した試みが行われたのだそうで、そのが公開されています。

いかにも人為的洞窟が広がっていました
これは何かといいますと、

「地下軍需工場の跡地」なのだそうな

リーフレットを引用しましょう。

構内の巨大な洞窟は、第2次世界大戦の末期、昭和20年初頭から8月に至る間地下軍需工場用に掘られたもので、左右約500メートルに亘り山腹に掘られた一部であります。
この戦争の末期に日本各地の軍需工場は、アメリカ軍のB29爆撃機により大きな損害を受けました。この危機に当時わが国で最大といわれた中島飛行機株式会社(現在の富士重工)でもその大宮工場エンジン製造部門の全施設をこの地下に移転することになりました。
《中略》
同年7月頃には、完成した場所に工作機械が搬入され大宮工場から移転した従業員や勤労労働員学徒により、エンジンの部品が製造されましたが、本格的な生産活動に移る前に終戦となりました。

とても虚しいお話ですなぁ~

戦後、別の用途に転用されたか否かは不明ですけれど、これだけの空間がそのままというのは、掘削作業に関わった人たちの「血と汗」は何のためだったのでしょうか

公開されている箇所だけでも、かなりの広さだと思ったのですが、資料展示館にあったパネルによれば、

「かなり広いと思ったのは、軍需工場跡全体からみれば、ホンの一部、工場見学に出かけて、「前説」を聞く会場だけで圧倒されたようなものです

まったくもって、まいったなぁ~です。

つづき:2014/11/20 一日がかりで運転免許を更新(その4:最終回)

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一日がかりで運転免許を更新(その2)

2014-11-18 22:49:35 | タウンウオッチング

「一日がかりで運転免許を更新(その1)」の続きです。

さきたま古墳公園を目指して、ナビに頼ってクルマを走らせていた私の目に入ったのは、「吉見町」という地名でした。
吉見町に足を踏み入れる(クルマですが)のはこれが初めてで、何の土地鑑もありません。
ただ、「『吉見百穴』のあるという『吉見』か?と…。
この「吉見百穴」、私が初めて知ったのは「ケータイ国盗り合戦」のアイテムでして、ただ「崖にボコボコと穴が開いているらしい」程度の知見しかありません。
ちょいと心がさきたま古墳公園から吉見百穴に傾きつつあったとき、再び目に飛び込んできたのは、案内標識にあった「吉見百穴」4文字でした

これで決心しました。さきたま古墳公園ではなく吉見百穴に行ってみようと

ちなみに、私は「吉見百穴」「よしみひゃっけつ」と読むものだと思っていたのですが、この案内標識で「よしみひゃくあな」と読むことを知りました
ただし、Wikipediaによれば、「ひゃくあな」と読む(呼ぶ)のか「ひゃっけつ」と読むのか定まっていないそうで、ちょっと安心…

   

んでもって、カーナビで「吉見百穴」を検索して目的地に設定する余裕もないまま、案内標識に従うままに吉見百穴に到着しました。

この「吉見百穴」、その名のとおり、 穴ボコボコです。ほら

「斑点恐怖症」にとってはキツいかもしれませんが、もう1枚

 岩肌一面に四角い穴ボコボコと口を開いています。

何なんでしょ、これ

リーフレットを引用しましょう。

今から1300年前の古墳時代終末期の横穴墓群であり、文献によると江戸時代の中頃から「不思議な穴」として人々に興味を持たれていたようです。
明治20年、当時帝大(現東京大学)大学院生だった坪井正五郎博士が発掘調査を行い玉類・金属器・土器類など多数の遺物が出土しました。当初、坪井氏により、「百穴は先住民族の住居跡である」と言われていましたが、その後、日本各地で調査例・資料が増加しその結果、吉見百穴は古墳時代の横穴墓であることがわかりました。大正12年には国指定史跡となり現在219個の穴が数えられます。

だそうです。

には、人が立っても大丈夫なほどの大きなものもありますが、

ほとんどは、茶室のにじり口よりちょいと大きいくらいのものですし、こんな急斜面に開口部があるのでは出入りが大変で、とても日常生活に適したものとは思えません。

ところが、

坪井氏はこの横穴を土蜘蛛人(コロポックル人)の住居として作られたものであると発表しました。

なんだそうです(フライヤーより)。
「コロポックル」といえば、アイヌの昔話に出てくる「コビト」だと認識しているのですが、「土蜘蛛人(コロポックル人)」ですか…
想像力豊かなのは結構かと思いますが、それにしても、早計じゃありませんかねぇ
しかも、この発想に、どことなく「上から目線」を感じるのは私だけでしょうか?

現在では「古墳時代の横穴墓群」と解釈されている吉見百穴、まぢかに見ると、かなりシャープな造りになっています。

なかなかです。

そうそう、句碑がありました。

正岡子規の、

神の世は かくやありけん 冬籠(ふゆごもり)

という句の碑です。
子規吉見百穴を訪れたのは、今から123年前明治24年11のことだそうで、「土蜘蛛人(コロポックル)の住居跡」説有力だった頃なのかもしれませんな。

ちなみに、吉見百穴のごく近くに「松山城趾」があります。
もちろん、子規の故郷、伊予・松山城(訪問記はこちら)ではなく、武蔵・松山城の址です。

   

吉見百穴のある丘の頂上まで登ると(また登ってる)、遠くに富士山が見えました

吉見百穴にはまだまだ見どころがありまして、そのお話はまた後日

つづき:2014/11/19 一日がかりで運転免許を更新(その3)

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一日がかりで運転免許を更新(その1)

2014-11-16 21:17:31 | タウンウオッチング

きょう、運転免許の更新のため、鴻巣にある運転免許センターに行ってきました。
当初のもくろみでは、午前中に更新を済ませて、午後は部屋の片付けに精を出す予定だったのですが、出発が遅れたことに加えて、途中の上尾市で行われていた「シティマラソン」のためにあちこちが通行止めになっていて、大幅に予定を変更することになってしまいました。

クルマのナビによれば、国道17線上尾駅周辺の道路に通行止めのマークが示されておりまして、これなら旧中山道を通って通行止めになっている国道17号線の交差点を迂回すればよいと思ったのですが…

旧中山道に入ってしばらく進むと、思いっきりマラソンコースにぶち当たってしまい、誘導されるがまま、国道17号線とは反対の方向へ進むはめに陥ってしまいました
これでは、午前の受付の〆切時刻11:00までに運転免許センターにたどり着くのは到底不可能です

と、なれば、午後の受付開始の13:00までの2時間をなんとか費やす必要があります。
とても昼食だけで2時間をつぶすのには無理があるし、そもそもMOTTAINAI こんなに良い天気だというのに…

   

というわけで、取り急ぎ組み立てた「旅程は、まず、久しぶりに「遠山記念館」を訪れて、その後、これまた久しぶりにさきたま古墳公園に行ってみようというもの。

そうして訪れた「遠山記念館」

紅葉は始まってはいたものの、見頃まではもうちょっと時間が必要っぽい感じでした。

「遠山記念館」の美術館(「ヨーロッパとアメリカの美しいもの、楽しいもの」展を開催中)に入ると、まず目に入ったのは、けさのNHK「日曜美術館」アートシーンで紹介(こちらの展覧会の紹介でした)されていた荻原守衛「女」

 つい数時間前にTVで観た作品(絵画と違ってブロンズ彫刻の場合、「オリジナル」複数存在することは珍しくありません)にお目にかかれるとは、奇遇としか言いようがありませんな。

ちなみに、「遠山記念館」美術館には、こんな掲示がありました。

いつの間にやら、「遠山記念館」美術館では館内での撮影OKになったようです

よっしゃぁ であります。

   

 

以前、こちらの記事で、渓斎英泉「支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望」浦和から見る浅間山が描かれていることについて、

なぜか「木曽路」が「支蘇路」と書かれていることが気になりますけれど、それ以上に心を騒がせるのが、浦和から浅間山が見えるか ということ。

と、疑問を呈しました。
その後、ネットを眺めると、どうやら武蔵野線荒川を渡る北朝霞西浦和区間の車窓から浅間山が見えるらしい…
こりゃ自分の目で確かめたいところなんですが、浦和界隈から見る浅間山がどのような形をしているのかを知らないと、方角は推察できるにしても、かなり不安です。
そんなわけで、いつか埼玉から見る浅間山がどのような形をしているのか知りたいと常々思っておりました。

そんな「宿題」を自分に課していたのですが、川島町からさきたま古墳公園のある行田市に向けてクルマを走らせている途中、はるかかなたに、ソレっぽい山が見えました

帰宅してから、浅間山の形を調べると、やはりこの山が浅間山のようです。
結構特徴ある形をしていますので、機会があれば、浦和界隈から浅間山を探してみることにします

   

「接近する台風に気もそぞろの福岡旅行記」シリーズ書きかけですが、先に今日の見聞録を仕上げることにいたします。

つづき:2014/11/18 一日がかりで運転免許を更新(その2)

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