新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

東京・芝の古墳はかなりでかい

2011-02-28 06:18:40 | タウンウオッチング

110228_1_1 昨日、2月3日の記事「五反田へ行ってみようか」で書いた薬師寺東京別院の(またもや「別院」が登場)「薬師寺の文化財保護展」(3月6日まで)に行ってきました。
こちらは「展覧会」を観に行ったつもりが、ホントに「心のやすらぎ」を頂いてきました。その話は、もう少し頭の中を整理してから書きますので、少々お待ちください。

   

さて、きのうの予定としては、五反田で薬師寺の宝物を拝観した後、都営地下鉄を乗り継いで芝公園に行き、去年11月30日の記事「古墳に興奮!(その7:完結編)」と今年1月9日の記事「上野で古墳に登ってみた♪」で書いた芝丸山古墳を見物し、そして、気が向けば増上寺を見物してみようか、というものでした。

五反田駅から都営浅草線に乗り、三田駅で都営三田線に乗り換えて、と、簡単な行程だったはずなのですが、実際は、

五反田⇒浅草線⇒(高輪台)⇒泉岳寺[終点・乗り換え]⇒浅草線三田[乗り換え]⇒三田線⇒芝公園

たった4つ先の駅まで行くのに2回も乗り継ぐことになりました。ほとんど駅ごとに電車を乗り換えた感覚です。
これは、都営浅草線が、泉岳寺から京浜急行に入るルート重視で、本線であるはずの西馬込~泉岳寺が「支線扱い」だからです。
もっとも、私が三田以北から都営浅草線に乗って高輪台以南に行く(またはその逆)なんて、ほとんど機会がありませんけれど…

それはさておき、芝公園駅で地上に出ますと、東京マラソン現在進行形でした。
スタートして既に2時間50分が経過しているというのに、20km地点手前大量のランナーっつうか限りなくウォーカーに近い参加者たちがぞろぞろと進んでいました。

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あの人たちの何%がタイムオーバーすることなくゴールできたのでしょうか…。

   

さて、肝心の芝丸山古墳です。
場所はこちら。

ザ・プリンス パークタワー東京のすぐ隣り、芝東照宮(またもや「東照宮」が登場)の裏手にあります。

Googleマップによれば、これが芝丸山古墳のはず、、、、

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なのですが、ちょいと違う…

こんな説明板がありました。

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港区教育委員会が設置した「丸山貝塚」と題する案内板にはこう書かれています。

芝公園内の丸山と呼ばれる丘陵の東南斜面に貝層が残存している。<中略>
丸山の丘上には大型の丸山古墳が造られているので、破壊されているところもあるが、斜面に残る部分は都内の貝塚研究のため重要である。

目の前の丘の、その上に丸山古墳がある…
そして、この案内板は、古墳づくりのために貝塚が壊されたことに憤慨している…。
この丘の上に古墳があるわけだ、と、「貝層」はどれだ?と探しながら丘の上に登りました(「貝層」は確認できず)。

石段を昇ると、平坦な場所があり、石柱と案内板が建てられていました。

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これこそが芝丸山古墳です

東京都教育委員会による説明板から転記しますと、

全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。
江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。<以下略>

とな。できることなら、現在の地図の上に古墳の形を図示するような説明が欲しいものです。

さっそく「前方部」に登ってみました。

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前方部」の上部はほぼ真っ平ら。
上の写真は前方部から後円部を撮ったもので、後円部は若干高い程度の高低差です。そして、くびれ部がかなり狭い。
素人考えながら、くびれ部の最高部に合わせるように古墳全体を削ったのかもしれません。

下の写真は去年11月26日の記事「古墳に興奮!(その3)」に載せた稲荷山古墳(復元)です。ご参考まで。

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そして「後円部」に行ってみますと、これが結構広い

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やはり相当削られたのでしょう。

その後円部にはこんな石碑がありました。

110228_1_8

読みづらいですな。

墳 古 大 形 瓢

と書かれています。右から左に書かれていますので、普通に書くと「瓢形大古墳」となります。
瓢形」というのは「ひょうたん形」ということでしょう。でも初めて聞く言葉です。
瓢形古墳」でググると、引っかかるのは古い文献からの引用ばかり。
Wikipediaには、「前方後円墳の形状は、古くはヒョウタン形などとも形容されていた」と書かれていますが、恐らくそうなんでしょう。

後円部には上の石碑の他に、「伊能忠敬測地偉功表」という記念碑が建っていました。

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東京地学協会会長の細川護立さん(こちらの記事に登場)による碑文には、伊能忠敬の功績が書き綴られた上で、「1889年に東京地学協会がこの地に伊能忠敬測地偉功表を建てたが、先の大戦で失われた。そこで、各方面の協賛を得て再建した」といったことが書かれています。

どうして「この地」なのか疑問に思って調べてみると、港区の関連と思われるサイト「港区産業観光ネットワーク MINATOあらかると」に説明が載っていました。

飯倉交差点にもどり、赤羽橋方面へ進みます。都営三田線芝公園駅のほうから、芝公園に入ります。 広い芝公園のなかのこんもりとした小山、「史跡・丸山古墳」を上ると、上りきった広場に「伊能忠敬測地偉功表」があります。商人として身を立てた伊能忠敬は、50歳から隠居し天文や測量を学んで、寛政12年(1800)に56歳で全国の測量の旅に出ます。74 歳で亡くなりますが、それまで何回にもわたって全国の海岸線を歩いて測量した結果は、死後に編さんされ精度の高い地図と評価された『大日本沿海輿地全図』となります。 なお、測量の起点となったのが「高輪大木戸」です。この遺功表も当初は、その大木戸に建設することが検討されていましたが、明治22年、東京地学協会は、青銅製オベリスク型の遺功表を芝公園内に建立しました。しかし、これは戦時中の金属回収政策により取り壊されたため、同協会が昭和40年(1965)に再建しました。

だそうです。
これじゃ「どうして『この地』なのか」の回答にはなりません

謎は深まるばかりです。

つづき:2011/03/01 今月の京都遠征では奈良まで足を伸ばそうか…(前編)

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「かはごえ」は素敵な街でした(寺&教会編)

2011-02-27 07:21:38 | タウンウオッチング

『かはごえ』は素敵な街でした(大正浪漫編)」、そして2月14日の記事「『二引』が二連発(その1)」のつづきです。
そうだそうだ、この日、自宅から川越に向けてクルマを走らせたとき、富士山がきれいに見えたのでしたっけ。せっかくですので載せておきます。

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さて、蔵造りの町並み(一番街)から喜多院を目指して歩いて行くと、喜多院の手前にあるのが成田山川越別院です。

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広く開放的な境内が気持ちいい
この成田山川越別院は、その名のとおり、千葉の成田山の別院です。
川越市が設置した案内板の一部を転記しますと、

成田山川越別院は、川越別院成田山本行(ほんぎょう)院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。
本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
当寺は、江戸時代も末の嘉永六年(1853)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に、下総の国新宿(にいじゅく)(現葛飾区)の石川照温が、廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりといわれている。

また、川越別院のHPに書かれている縁起からも一部を引用しますと、

ここ川越の地に不動明王を安置して師を住せしめんと、10数人の有力な地元の世話人達が廃寺となっていた川越久保町の本行院を再興すべく川越城主松平大和守に願い出て、その許可を得ました。
そして嘉永六年本行院の復興とともに成田山貫首照輪上人が御本尊不動明王のご分霊を開眼し照温師に授与せられこれが成田山川越別院の起源となりました。
成田山本行院と公称するようになったのは、明治10年からで、従来の本行院の建物等一切を本山の管理に移し、本行院は本山の最初の別院となりました。
これが、全国成田山別院の魁であり、初代の住職は照輪上人で、歴代の本山貫首を兼務住職として迎えております。

かなり下卑たっつうか畏れ多いことに、お寺を会社に例えると、

江戸時代末期、川越にあった廃屋、かつては由緒ある商家(本行院)だったものの、後継者がいないためにあれる一方。これじゃ見栄えが悪いし、治安上も好ましくない。ということで、地元の自治会役員たちが県知事川越藩主 松平典則公?)に掛け合って再建・再興の許可をもらった。
住民は、大手フランチャイズチェーン成田山新勝寺)から役員石川照温師)を派遣してもらい、フランチャイジーとして再興した。
その後、チェーン本部成田山新勝寺)に吸収合併されて川越支社川越別院)となり、代々、支社長住職)は本部のCEO成田山貫首)が兼務している。

といった感じでしょうか?

   

喜多院のことは「『二引』が二連発(その1)」でも書きましたので、さらっと…。

江戸城から移築した客殿・書院・庫裏の奥にある庭園は、江戸城紅葉山の庭園を再現したものだそうで、広さはさほどないものの、かなりステキな庭園でした。
写真はございません。ぜひ、お出かけの上、ご体験くださいませ。

下の写真は「庫裏」です。

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現在はほとんど残っていない江戸時代初期の江戸城の遺構が、川越に移設されていたことで400年の時を超えて存在し続けている…。しかも、移設のきっかけは寛永15年(1638年)の川越大火だったなんて…。感慨深いです…

こちらの喜多院山門は、寛永15年の川越大火を生き延びた数少ない建物です。

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質素で、なかなかよろしいデス

   

喜多院の近隣(神仏分離前は同じ領域内)には仙波東照宮日枝神社があります。
私は、「ふ~ん、、東照宮とか日枝神社とか、徳川系にはありがちの組み合わせだ…」とさして気にとめず、足を向けることもなく無視していました。
ところが、この記事用に調べると、どちらもかなり由緒ある神社だと判ってちょっと落ち込みました

仙波東照宮は、徳川・東照大権現・家康公の遺骸が、駿府・久能山から日光に移葬される際、4日間この地に留め置かれ、天海僧正を導師として法要を執り行ったという由緒正しい場所だそうな

伊達家がおべっかのように建てた仙台東照宮(学生の頃、近所に住んでいました)とは「正統性」の度合いが違う
下の写真は約4年前、久しぶりに訪れた仙台東照宮です。

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また、日枝神社にしても、江戸の氏神様:日枝神社の「本家」がこちらでした
東京の日枝神社のHPによれば、

当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明十年(1478)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。
やがて天正十八年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。

だそうです。

う~む…、予習と復習って、ホント、大事ですなぁ~

   

喜多院の境内で、かなり根性を持った木を見つけました。

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柵の鉄棒に絡みつき、飲み込もうとしています
このまま数年経つと、杭が引っこ抜かれそうですぞ
その様子を見たい気がする反面、怖い気もします…

   

喜多院を後にした私、ちょっと豪華にうなぎの昼食を摂り、クルマを停めてある川越市役所を目指しました。

途中で、かなり趣のある教会を見かけました。

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大正10年(1921年)竣工の日本聖公会川越キリスト教会です。

礎石がこれまたいい

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いかにも「手積み」した感じが大変よろしいと思います。
東京駅丸の内駅舎の精緻華麗・丁寧な煉瓦の積み方(もちろん手積み)も素晴らしいと思う私ですが、これはこれで良いです

というわけで、たった3時間ながら、楽しみました、川越

私の家からは40分ほどで行けますし、また遠くない時期に出かけてみようと思っています。

【追記】書き忘れたことがありました

2月13日の川越探訪では、川越城趾には行きませんでした。
というのも、「川越城本丸御殿は閉館中」という掲示を何カ所かで目にしたためです。
どうして閉館中なのか、判らないまま帰ってきました。

そして、このブログを書くべく小江戸川越観光協会のHPを見ると、

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ですと 

出かける前に見た時には気づきませんでしたゾ っつうか、保存修理工事が行われていたことすら知りませんでした… ホント、準備不足です… (保存修理工事についてはこちらをご参照ください)

そして、川越市立博物館の「利用案内」によりますと、

※竣工を記念し、平成23年3月31日(木)まで本丸御殿の入館料が
 無料になります!! ぜひお越しください。
 ただし、3月28日(月)は休館ですので、ご注意ください。

だそうな

もっとも、3月26日(土)の午後2時に公開が再開されて、入館料無料は3月31日(木)までのたった4日半だけだし、もともと入館料は

一般100円 学生(高・大)50円 中学生以下無料

ですから、さして大きな話ではないかもしれません。
逆に、じっくり見学するのにはこの時期を避けた方が良いかもしれません。ご参考まで。

(2011/02/27 09:00 & 09:18)
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「かはごえ」は素敵な街でした(大正浪漫編)

2011-02-26 12:19:33 | タウンウオッチング

『かはごえ』素敵な街でした(小江戸編)」のつづきです。

蔵造りの町並み(一番街)にある建物は蔵造りだけではありません。
通りで一番の偉容を誇るのが、1918年(大正7年)に旧・八十五銀行の本店として建てられたこちらの建物

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現在も埼玉りそな銀行 川越支店として現役です

国から登録有形文化財の指定を受けていて、国指定文化財等データベースにも載っています。ところが、このサイトでは、建物の名称が「あさひ銀行川越支店(旧八十五銀行本店本館)」となっています。名称変更は文化庁が勝手にできる(やれる)ものなのか、所有者が届け出なければならないのか、はたまた第三者機関の諮問みたいなものが必要なのか判りませんが、正確には「埼玉りそな銀行川越支店(旧あさひ銀行川越支店[指定時]、旧八十五銀行本店本館[竣工時])」でしょうな。かなりくどい

さて、この建物を設計したのは保岡勝也さんという建築家で、すぐ近くには保岡さんの遺作も残っていました。

110226_1_02 1936年(昭和11年)竣工の旧山吉(やまきち)デパートです。戦後に丸木百貨店(現在の丸広百貨店)の店舗となり、さらにキャバレー、パチンコ屋、駐車場と用途が変わったのだそうな。
そして、2006年から復元及び耐震補強工事が行われ、2008年にリニューアルオープン

よくぞ生き残ってくださいました…

お隣の建物もステキ

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1915年(大正4年)竣工といいますから、旧八十五銀行本店よりも古い
川越市指定文化財の「田中家住宅」(住宅には見えませぬ)です。
この建物には、カフェ(カフェ エレバート)が入っています。見かけはちょっと変わった西洋風ながら、内部は蔵造りなのだそうで、かなり興味津々でしたが、、、「準備中」でしたまだ9:54)。

ここの2階は、ちょっと前まで「田中屋美術館」として、川越ゆかりの小村雪岱(わおっ)や岩崎勝平の作品が展示されていたそうですが、3年前に閉館された由。
そういえば、2009年12月~2010年2月に埼玉県立近代美術館(MOMAS)で開催された企画展「小村雪岱とその時代」には「田中屋コレクション」が大量に出展されていましたっけ(大興奮の記事はこちらこちら)。

   

蔵造りの町並み(一番街)を更に南に下り、ふと視線を左に向けると、おぉ と、ついつい足がそちらに向いてしまいました。
そこに建っていたのは、「いかにも銀行」なこちらの建物

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川越商工会議所」の看板が掛かっていますが、私の見立てどおり、もとは武州銀行川越支店として1927年(昭和2年)に竣工した建物でした。

設計は前田健二郎さん(来月、前田さんが設計に携わった京都市美術館に行くつもりデス)。
ちなみに武州銀行川越支店には、フランス文学者・澁澤龍彦さんの父上が支店長として務めていたことがあるそうな。

   

110226_1_05 さて、蔵造りの町並み(一番街)に戻ろうかと思ったところ、商工会議所の横に郵便ポストと並んで道標が立てられていることに気づきました。
見ると、蔵造りの町並み(一番街)と並行するこの道が「大正浪漫夢通り」という名前ですと
こりゃ、歩いてみるしかありますまい

さっそく、商工会議所の隣りにトキメキ物件

110226_1_06手芸店の山久さんです。
1階部分だけ見たら、普通の手芸店ですが、2階の窓が浪漫しています

   

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この「大正浪漫夢通り」、商店街の皆さんがHPも立ち上げてがんばっていらっしゃいます。

HPの「大正浪漫夢通りの歴史」を見ますと、商店街の人たちが力を合わせて、「銀座商店街」という名前といいアーケードといい、どこにでもありそうな商店街を、川越にしかない商店街に変えてきたことがひしひしと感じられます。

アーケードが撤去されて(アーケード街って、しもた屋ができると、そこからが発散していく気がします)開放感が広がるし、蔵造りの町並み同様に電線が地中化されて気分爽快です。

私が出かけた2月13日のように天気が良ければ、もう最高

   

ちょっと先を急ぎましょう。

手前から伊勢源さん(酒屋)、小川菊さん(うなぎ)、伊勢亀さん(?)の三連発はよりどりみどりの様式で楽しい

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伊勢亀さん(何屋さんなのだろうか…)の建物がよく見えませんのでもう1枚

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つづいて、手前からいせやさん(和菓子)とシマノコーヒー大正館さん(喫茶店)、謙受堂さん(書店)。

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ここまで来て、私はようやく朝食にありつけました(時刻はちょうど10:00)。

110226_1_11 シマノコーヒー大正館さんで「モーニングセット(ヤキサンド) 650円」をいただきました。
「ヤキサンド」というのはいわゆるホットサンドで、「ハムチーズ」「ツナ」「ポテト」から選べるようになっていました。私は「ツナ」を選択したのですが、オーダーしたあとに気づきました。これで2月11~13日の3連休、朝食はすべてツナトースト系

前2日は自作のツナスプレッドでトーストを食べました。ツナ缶1個とキュウリ1/2本、タマネギ1/4個で2日分のツナスプレッドが作れるもので、2日で食パン1斤をいただきました。

私、ツナが好きですから、別に問題はないのですが、オーダー直後にちょっと後悔しました、ハムチーズを頼めばよかったと…。

でも、ツナのヤキトーストは美味しかったですよ
お店の内装も、店員さんの服装も大正浪漫炸裂で、雰囲気満点でした。
ゆで卵は、卵が新しすぎたのか、殻を剥きにくかった

   

こちらは大正浪漫夢通りのトリ、大野屋さん(洋品店)。

110226_1_12

この角を右折して蔵造りの町並み(一番街)に戻ることにしました。

この通り(立門前[たつもんぜん]通り)はちょいと寂れた感じ。営業中のお店もありましたが、

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しもた屋が目につきますし、

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極めつきはこちら

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明らかに映画館(だった建物)です

調査の結果、この建物は戦前に建てられた劇場(映画館)で、鶴川座として日本映画の全盛期を過ごし、映画館としての最後はにっかつ系川越プラザ劇場として迎えたことが判明しました。
う~む、こちらもロマン系でしたか…。

それだけなく、2009年9月~2010年10月にかけて放映されたテレビドラマ「仮面ライダーW」で、主人公たちの活動拠点が2階にあるビリヤード場としてロケに使われたんだとか。
まだ完全に命脈が尽きたわけではなさそうです。
ちょっとお化粧すれば、通り丸ごとロケに使えそうですぞ

ちなみに、建物上部にドーム状の部分がありますが、実際はただの板窓の絵が描かれているだけの飾りです。いいですなぁ~、外連味たっぷり

   

ということで、川越へお出かけの節は、蔵造りの町並み(一番街)だけでなく、大正浪漫夢通り、そして立門前通りもお忘れなく

つづき:2011/02/27 「かはごえ」は素敵な街でした(寺&教会編)

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「一本締め」は、よ~、ポン! ではないと思う

2011-02-25 23:00:28 | 日記・エッセイ・コラム

帰宅してニュース番組を流していると、プロ野球各チームがキャンプを打ち上げている様子が放映されていました。

110225_2_1阪神タイガースも、鳥谷選手会長の音頭で手締めをしていました。

鳥谷:それでは一本締め よぉ~
一同:ポン

他チームも、みんな、

音頭取り:よぉ~
一同:ポン

でした。

でも、これって「一本締め」か?

私の認識では、これは「関東一本締め」と呼ぶことはあっても、断じて「一本締め」ではありません
仮に、これが「一本締め」ならば、もうちょいと格上(?)の「三本締め」は、

音頭取り:それでは三本締め よぉ~
一同:ポン ポン ポン
音頭取り:ありがとうございましたぁ~

になるはずですが、これじゃ間抜けの極みです。

三本締めといえば、

音頭取り:それでは三本締め よぉ~
一同:パ パ パン パ パ パン パ パ パン パン (よっ
一同:パ パ パン パ パ パン パ パ パン パン (も一丁
一同:パ パ パン パ パ パン パ パ パン パン
音頭取り:ありがとうございましたぁ~
一同:パチパチパチぃ~

ですな。
となれば、一本締めは、

音頭取り:それでは一本締め よぉ~
一同:パ パ パン パ パ パン パ パ パン パン
音頭取り:ありがとうございましたぁ~
一同:パチパチパチぃ~

であるべきでしょう。

間違っているのは私の方かな…

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「かはごえ」は素敵な街でした(小江戸編)

2011-02-25 07:29:18 | タウンウオッチング

私が毎日のように乗っているJR埼京線の車両には、りんかい線(東京高速臨海鉄道)所属の車両を除いて、こんな文字が書かれています。

110224_1_1

定員144」、、、じゃなくて、「ハエ

この車両が大宮支社川越車両センターに所属していることを表しています。

川越かわごえハエ

というわけ。旧仮名遣いなんですな。
国鉄・川越(カハゴエ)が開業した1940年当時、「カワ」は川崎駅(1872年開業)、「カコ」は金子駅(1931年開業)、「カエ」は高円寺(カウエンジ)駅(1922年開業)、「ハコ」は函館駅(1907年に国有化)で既に使われていて、やむなく「ハエ」になってしまったらしい。
でも、川崎(カハサキ)が「カワ」なら川越も「ワエ」でいいじゃないかと思う私です。

   

前置きが長くなりました
2月13日に決行した川越の街歩きのことを書きます。2月14日の記事「『二引』が二連発(その1)」のつづきのようなものです。

110224_1_2 川越市役所の駐車場にクルマを駐めた私は、小江戸川越観光協会のHPからダウンロードした「散策ガイドMAP(PDFは8.5Mbyte)」から1枚だけプリントアウトした地図を持って、まずは蔵造りの街並みで有名な一番街へと向かいました。

と、川越市役所の前に銅像があることに気づきました。

110224_1_3 唐人傘を被り、左手に、右手に枝(山吹でしょう)を持っているといえば、、、やはり太田道灌さんの像でした。
太田道灌江戸城を築いた(15世紀央)ことは知っていましたが、江戸城に先立って川越城を築いていたことは知りませんでした

太田道灌の像といえば、旧都庁のシンボルで、現在は東京国際フォーラムに鎮座されている銅像が思い浮かびます。
ちょいと調べると、旧都庁(府庁)に最初の太田道灌像(渡辺長男:作)が設置されたのは1924年。この像は太平洋戦争中の金属供出で溶かされてしまい、現在の像(渡辺長男の弟・朝倉文夫の作)が1956年、そして川越市役所前のこの銅像が設置されたのは1972年のようです。
だからどうした? と聞かれても困ります…

また、この記事を書くにあたっていろいろ調べていると、川越城国立歴史民俗博物館が所蔵している「江戸図屏風」にも描かれていることが判りました。
さっそく、川越に出かける約1週間前に観てきたばかりの「江戸図屏風(複製)」の写真を見直しますと、ありました

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さて、ようやく歩き始めることにしましょう。

私が川越の街歩きを始めたのは9:30頃でした。
なんとも早い時間で、商店街も、閉まっている店や、開店準備真っ盛りの店がほとんどです。
でも、時間が早いメリットも大きい
クルマの数が少ないのですよ。ほら

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通りを挟んだ反対側から建物を撮影するのもラクラクです

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川越の蔵造りって、屋根のボリューム感が相当なものです。棟の両端に取り付けられている鬼瓦(“鬼”ではなく“州浜”のデザイン)がモリモリ

ところで、この川越の蔵造りの街並みについてWikipediaにはこのように記述されています。

町の3分の1を焼失した1893年(明治26年)の川越大火で焼け残ったのが江戸期の蔵造り建築であったので、その後、各商家が倣った。かつては200棟を超える蔵造りの町屋が建ち並び、川越商人の財力を示した。高価な黒漆喰をふんだんに用いているのが川越の見世蔵の大きな特徴である。

江戸期の建物と19世紀末以降に建てられた建物が渾然一体となっているんですな。
と、視線に飛び込んできたのは「ネコの群れ

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一瞬、ここに住んでいる人が趣味でヤマト運輸のマスコットを飾っているのかと思いましたが、ヤマト運輸のホントの営業拠点でした。

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違和感なくマチナカに溶け込んでいます。
ヤマト運輸にとって宿命のライバル、郵便局も負けてはいません。

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郵便ポストまで特別製です

おっと、川越のシンボル、時の鐘を紹介しておかねば

110224_1_9a

川越の街の面白いところは、こんな「小江戸」の街並みだけでなく、もうちょっと時代が下ったレトロな街並みもあること。そちらの話はまた後日

つづき:2011/02/26 「かはごえ」は素敵な街でした(大正浪漫編)

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安ければいいのか?!

2011-02-24 08:04:35 | ニュース

今年1月、ZAKZAK(夕刊フジ)にこんな記事が載りました。

「すき家」スキあり! 強盗が“殺到”するワケ

昨年国内で発生した飲食店への強盗事件の半数近くが「すき家」に集中しているという記事です。
日々のニュースでも、「深夜営業の牛丼店に強盗が入った」となれば、きまってすき家ですから、「やはりなぁ~」という感覚です。

110223_1_1

記事からちょっと引用しましょう。

警察庁などによると、すき家を狙った強盗は一昨年も飲食店トップの24件昨年はさらに2倍以上(注:57件)に増加した。飲食店を狙った侵入強盗は計121件で、すき家の被害が突出している。2位は同じ牛丼チェーンの吉野家の7件、松屋は0件だった。

すき家が「強盗御用達」になる「ワケ」として記事では、

深夜に店員が1人になる時間帯がある▽ほかの牛丼店と比べてカウンター内部に入りやすい構造▽郊外型の店舗が多く逃走しやすい-などがあげられる。被害額が数十万円に上るケースもあり、報道で知った模倣犯が相次いだことも増加の原因とみられる。

としています。
これほど目立つデータがあれば、警察が黙っているはずもなく、

被害の多発を受け、愛知など複数の県警は昨年、ゼンショーに防犯ベルや赤色灯の設置などの対策を要請。警察庁も昨年11月、個別の企業に対しては異例の改善要請を行ったという。

だそうな。
これで事態が改善しているかと思いきや、22日に三重県四日市市23日には神奈川県厚木市と栃木県佐野市のすき家が強盗被害に遭っています。
こんな状況に対して、2月17日付けのZAKZAKによれば、すき家(ゼンショー)カンカンなんだそうな。

豊橋の一件は忸怩たる思いがありますが、もし強盗が、すき家を襲いやすいと考えているのなら大きな勘違いと断言しておきます。手の内は明かせないが、すでに十分な対策を取ってあります」(広報担当)

こんな大見得を切っておいて、数日後にも強盗3件ですか…。あ~みっともない…

というか、私としては、すき家(ゼンショー)被害者づらしているのが気にくわない
一番の被害者は強盗に襲われる店員さんでしょう。幸いなことに、身体的な危害を加えられるケースはなさそうですが、どれだけ怖い体験だったことでしょうか? 精神的な労災とも言えるんじゃないかと思います。
広報担当は「十分な対策を取ってあります」と言うけれど、防犯対策のコストをケチって店員さんを危険にさらし、安値競争を仕掛けるという企業体質を私は許せません(こういうのがいわゆる「ごまめのはぎしり

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すき家のアルバイト募集ページにある「平凡な毎日が輝き始める!」って、こういう非日常的な体験をさしているのでしょうかねぇ
また、「NO,SUKIYA NO,LIFE」は、「NO SUKIYA, NO ROBBERY」の間違いじゃないのかな

すき家(ゼンショー)といえば、「アルバイトは業務委託契約者であって労働者ではない」というトンデモ・ロジックで残業代の支払いを拒否して店員さんたちから告訴されたり、その告訴した元店員さんを「勝手にまかない食を食べた」と窃盗の容疑で告訴したり(当然のように検察は嫌疑不十分として不起訴)なんてすったもんだもありましたっけ…

どんなにお腹が空いても、私の足がすき家に向くことはないだろうな。

【追記】警察庁が「個別の企業に対しては異例の改善要請」をしたというのに、そして、広報担当者が「もし強盗が、すき家を襲いやすいと考えているのなら大きな勘違いと断言しておきます。手の内は明かせないが、すでに十分な対策を取ってあります大見得を切っていたというのに、、、、

その後の顛末:2011/10/13 気が違っているとしか思えない

警察のご指導」なんぞ無視しちゃうなんて、さすがは元東大全共闘闘士が率いる会社だけのことはあります。(2011/10/15)

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コメントスパム対策のその後

2011-02-23 07:09:41 | 日記・エッセイ・コラム

2月20日の記事「こういう日ですから、あえて…」で、とある一本の記事に殺到するコメントスパム対策として、

でも、自分で設定できる「スパム認定基準」に、IPアドレスではなく、「http:」を加えたところ、効果てきめんでした この対策でも、コメントスパムの投稿を元から絶つことはできませんが、自動的に「スパム籠」に放り込んで、その結果、私のケータイには「コメント投稿通知メール」が送られてこないわけで、かなりのストレス軽減になっています

という作戦を決行しました。

ところが、困ったことが…。

それは、本文だけでなく、投稿者情報としてHPやブログのURLが入力されているだけで、「スパム認定」されてしまうことです。
それは、投稿されたコメントに対して、私が「返信カキコ」しても同じ(このブログのURLが自動入力されるようにしていますから)
自分の書いたコメントがスパム認定っつうのは、かなり面白くない事態です。

さて、どうしたらよいのだろうか…と考えたところ、あるが思い浮かびました。
今回もそうですが、かのエロエロ・コメントが、投稿者名やコメント内容、そしてIPアドレスを頻繁に変えながらやって来たときも、「一つの記事に対して集中的に投稿する」というパターンがありました
それなら、コメントスパムが投稿された記事だけ、しばらくの間「コメントを受けつけない」に設定変更したらよいのではないか
この方法ならば、「スパム籠」から削除するコメントと公開するコメントをより分ける作業も不要になります。

さっそく、コメントスパムの標的になっていた記事を「コメントを受けつけない」にして、「スパム認定基準」からhttp:を削除しました。
そんなわけで、コメントを書けない記事と書ける記事が混在することになりますことをご承知おきくださいませ。
コメントを受けつける」に戻すタイミングが難しいところですが、その辺は、まぁ、適当に…

ところで、IPアドレス「95.141.35.231」からのコメントスパム、私のところには対策を講じるまでの48時間に56件の投稿がありました。

ちなみに、「95.141.35.231」でググると、投稿先は世界中に広がっているようです。
滑稽なことに、「.cn」、つまり、あの厳重なネット規制を敷いているはずの中華人民共和国のサイトにも投稿されていました。すごいですなぁ、コメントスパム

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おやじギャグは日本の文化だ!!

2011-02-22 06:23:02 | 美術館・博物館・アート

私のハンドルネーム(HN)は「徒然草」をもじったもので、このブログのタイトルも、HNに「土佐日記」のもじりを加えたものです。

110222_1_1 そんな私にとって見逃せない記事が昨日の日経朝刊の文化面またもや登場)に載っていました。

岩崎祐司(いわさき・ゆうじ=自営業)さんの、

"笑刻家"って誰じゃれ?
「我が輩は猫んでる」…おやじギャグを木彫に

と題したエッセイです。
見出しはかなりイマイチですが、内容は秀逸です

冒頭を転記してみましょう。

手探りする少年の鼻先でヤギが笑う「一寸先はヤギ」。魚をくわえた泥棒猫がこそこそと交番前を通る「猫にコーバン」。花咲かじいさんが犬の尻尾を握って振り回す「はなさんかじじい!
だじゃれ、別名おやじギャグともいう言葉の豊かなイメージを、木彫に刻んで15年以上になる。名付けて「笑刻」。気がつけば作品は200種類になった。

日経紙上には、上記の「はなさんかじじい!」(冷静に考えれば、オリジナルの「花咲かじじい」も衝撃的なタイトルです)のほか、「坂本龍馬がスクーターに乗る『リョーマの休日」と「柔道家が巨大なサイを投げ飛ばす『サイは投げられた」の写真が載っています。

なんて楽しい

さっそく、「岩崎祐司(呼び捨て、ゴメン)」でググると、簡単に岩崎さんのHPが見つかりました
そこに繰り広げられる世界、、、、、もう、サイコー
こりゃ、生で作品を観ないことには私の気が収まりません

と、このエッセイの最後に、

岐阜県可児市の文化創造センターでは27日まで150作品を展示している。大いに笑っていただけたらうれしい。

ですと

お恥ずかしながら、わたくし、岐阜県の位置と県域の形はしっていますが、可児(かに)市がどこにあるのか、この記事を書くまで知りませんでした…

大きな地図で見る

110222_1_2 そして、可児市文化創造センターHPを見ると入場無料のようですが、今週末にこの展覧会を観るためだけに遠征するのは、来月に京都、再来月に札幌への遠征を控える身としてはちょっと…です

110222_1_3

 

でも、いつかどこかで岩崎さんの作品を生で拝見したいです

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THE TOUR OF MISIAは楽しい♪

2011-02-21 00:35:47 | MISIA

110221_1_1 行ってまいりました、「OCN Presents THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」の初日

バンドの人たちやその他の情報、ネタバレ系の話には一切目と耳をふさいできたものですから、ライヴが始まった時は、もう心臓バクバクでした。

特に、今回は、MISIAの公式モバイルサイトで「東京国際フォーラムで最初にMISIAが歌う曲」を当てる「クイズ!一曲目はなに?」という企画をやっていて、私は熟慮の末、「これしかない」というお気に入りの曲(こちらの記事の最後の方に書いた曲です。ネタバレにご注意)を回答していましたから…。

でもって、注目の一曲目は、、、、イントロが始まって、

キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!

見事に正解でした

この曲で、だけでなく、盛り上がりに欠けることの多い東京国際フォーラム ホールAを埋めた聴衆のつかみ完璧

その後も、私が聴きたいと思っていたあの曲(こちらで書いたあの曲です。ネタバレにご注意)も聴けたし、久しぶりにあの振り(儀式?)もできたし、いやぁ~、THE TOUR OF MISIAは楽しい

私にとって、ホールでのTHE TOUR OF MISIAは初めてだったもので、始まる前は期待半分&不安半分でしたが、これぞ THE TOUR OF MISIA でした

星空のライヴも素敵で、大好きなシリーズではありますけど、2回続くと、THE TOUR OF MISIAが恋しくなってしまうわけでして…

   

と、会場の雰囲気は最高で、ライヴは楽しくて、MISIAの調子も上々だったのですが、相変わらずPA良くない… っつうか「悪い」に近い
高校の頃、古文の授業で、「わろし(良くない)>あし(悪い)」と習ったことを思い起こせば、このPAは「あし」です。
音が物理的に刺激が強過ぎる、っつうか、体育館でハンドマイクを使った音の方がまだ耳に優しいのではないか、、、、とまで書くのは極端ですが、少なくとも、最近の駅のアナウンスの方がまだ音質は上ではないかとまで思ってしまいます。

以前、東京国際フォーラム ホールAの構造が音響的に良くないのではないかと疑っていたのですけれど、去年4月に同じ東京国際フォーラム ホールAJeff Beck様を聴いたとき(座席は今回のMISIAと似たような場所)、「こんなに良い音が聴けるんだ…」と、目から鱗が落ちました(耳から消しゴムが落ちた?)から、やはり問題はMISIAのツアーのPA担当にあると考えるの自然だろうと思います。

   

だいぶビールの酔いが廻ってきていますので、これ以上筆が滑る前に、そろそろ寝ようかと思いますが、上に書いた「クイズ!一曲目はなに?」で、

正解者の中から抽選で三名様に素敵なプレゼントをお送りします。
※当選者には別途メールにてお知らせします。

とあります。
当選者へのお知らせはいつなのでしょうか?
まさか「OCN Presents THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」が終わってからか?

【追記】朝になって、ふと「MISIA卓上カレンダー」を見ると、

110221_1_2

きょう、2月21日は、MISIAのデビュー記念日

つつみ込むように・・・ つつみ込むように・・・
価格:¥ 1,223(税込)
発売日:1998-02-21

デビュー13周年、おめでとうございます

(2011/02/21 06:46)

 

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もうちょっとしたら魂を揺さぶられに冒険に出発!

2011-02-20 15:53:53 | MISIA

さて、いよいよ「OCN Presents THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」の開幕が約2時間半後に迫ってきました。

110220_2_2 公式ツアーブログ(右のバナーをクリック)では、東京国際フォーラムでの準備の様子(ロビー付近)が伝えられています。

私は今、のんびりとコーヒーを飲みながらこの記事を書いているわけですが、持って行くものは整理してあります。

110220_2_1

絶対に忘れてはならないチケット(今夜のチケであることは確認済み)、今夜の席はばかでかいホールA2階席MISIA以外も含めて何回連続だろう)なものですから、ベタベタがとれたことで一部では有名な双眼鏡こちらこちらの記事をご参照)、そして、いらないかもしれないけれど、防寒具にも汗拭きになるということで、マフラータオル
今夜は「OCN Presents THE TOUR OF MISIA 2008 EIGHth WORl D」のタオルにしました。

さぁ~てぇ~、4時になったら「魂を揺さぶる冒険」に出発します

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