新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

名古屋旅行記(その9)

2015-04-30 19:11:06 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「名古屋旅行記(その8)のつづきは実家からお送りします。

東京モーターショーでは完成車メーカーの展示より部品メーカーの展示の方に魅力を感じてしまう私でございまして、フツーの見学者とはちょいと視点が違うかもしれませんので、その辺はご容赦を

さて、

大きな体育館に自動車工場がまるごと入った感じの展示場には、「自動車のしくみと構成部品」「自動車技術」「生産技術」について幅広く展示しています。

という展示場で一番面白いと思ったのはこちらの「風景」でした。

「挙母工場時代の生産技術」のコーナーです。「挙母」ピンと来ない方は、こちらの記事をご一読くださいませ。
さて、業界用語で「トリム工程」と呼ばれる内装組み付けラインの横で、女性従業員シンガーミシンを使ってシートを縫っています。
こういったシーンは、現代の自動車工場で見ることはまずありませんな(超高級車メーカーを除く)。

また、一世を風靡したツインカム・ツインターボエンジン「1G-GTE」

「YAMAHA」のロゴ(このエンジンはヤマハ発動機製)とか、

試作だけで終わったというロータリーエンジンのカットモデルなんぞも、

なかなかお目にかかれない逸品です

   

一部に、「電気自動車(EV)はガソリンエンジン車に比べて部品点数が少ないし、構造も簡単だから、新規参入が比較的簡単だとする見方があるようです。
確かに、ガソリンエンジン車と異なり、EVにはエンジンがない(モーターが取って代わる)し、トランスミッションも不要です。
しかし、複雑な機構を持った主要部品が不要だからといって「新規参入が比較的簡単」として、ドバーッと新規メーカーが乱入してきて、既存の自動車メーカーの存続を脅かすと考えるのはいかがなものでしょうか?

ぽっと出のメーカーに、サスペンション機構を設計・量産できますか?

軽量かつ高剛性のボディを設計・量産できますか?

自動車って、「電気自動車(EV)はガソリンエンジン車に比べて部品点数が少ないし、構造も簡単だから、新規参入が比較的簡単などと「知ったか」する一部の評論家や学者先生が考えているほど薄っぺらな機械ではないと、私は思うのですが…

トヨタ産業技術記念館には、中国語を話す若者の一団が見学に訪れていました。

中国を抜きに自動車の販売・生産を語れない時代になりましたが、そんな「自動車大国からやって来た彼らがどんな印象を持ったのか、聞いてみたい気がしました。

つづき:2015/05/13 名古屋旅行記(その10)

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名古屋旅行記(その8)

2015-04-29 09:01:07 | 旅行記/美術館・博物館・アート

またもや書きたいネタが溜まってきてしまっていますので、ちょっと焦りながら名古屋旅行記(その7)のつづき、トヨタ産業技術記念館自動車館のお話です。

自動車館に入ると出迎えてくれるのは、古い学校や役所を彷彿とさせる、なんとなく懐かしみを覚える廊下。(写真2006年に撮ったもの)

説明板を転記しますと、

豊田喜一郎は1933年に豊田自動織機製作所内に自動車部を設立し、翌1934年に「材料試験室」と「試作工場」を同社構内に建設、同年4月に操業開始した。現・愛知製鋼(株)刈谷工場内に残されていたこれらの建物を、日本の自動車工業黎明期の産業遺産として保存・公開するため、当館開設10周年記念事業の一環として2004年に部分移築し再現した。

とあります。
その、

ここでは、鉄鋼材料をはじめ自動車を構成する各種材料の試験・研究が行われ、外国の自動車用材料についても分析が行われた。生産の現場に対して、自社生産する材料や外部から購入する材料の企画とその検査基準を提供することも、この材料試験室の重要な役割であった。

という「材料試験室」がこちら。

パクリまくり中国企業への批判にたいして、

 日本人だって真似してるじゃないか

という反論もあるようですが、実際、日本の近代産業が先進国の製品の模倣から始まり、長い間「Made in Japan」「安かろう悪かろうのイメージを背負っていたのは事実で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート3」で、故障したデロリアンから壊れた半導体チップを取り出した1955年のドクが、

 メイド・イン・ジャパン、、、、はぁ~ん

鼻で笑うシーンを思い出します。
すぐさま、1985年のマーティー「日本製ってクールだぜと反論するのではありますが…

でも、単にベンチマーク製品そっくりのモノを作ることだけに満足しなかったところが、「日本のあり方」そのものでありまして、トヨタの場合、鋳造に適した材料が見つからないということで、専門の製鋼会社を作ってしまったというのですから

この辺の話は、後ほど蒸し返すことにしまして、先に進みましょう

「試作工場」の外観は、何のへんてつもない「小屋」みたいなものでした。

中では、作業員さん(の人形)が、木型に合わせて外板を叩きだしていました。

こうして組み上げられたA1型試作乗用車」のボディ(塗装済み)が美しい

こんな「小屋」から世界に冠たるトヨタ自動車が始まったんだと感慨にふけりながら先に進みますと、明るく、巨大なスペースが広がっています。

明るさの秘訣は、のこぎり屋根にあります。
今でこそただの箱のような面白みのない工場ばかりですが、一昔前までは、工場といえばのこぎり屋根のイメージでした。
どうして昔の工場の屋根がのこぎり状になっていたかといいますと、外光を取り入れるためです。
雨風に弱いという弱点がある一方、北側に向けて垂直に立ったガラス窓から安定的に外光が入ってくる仕組み(?)になっています。

外光を取り入れるなら、南側が良さそうな気がしますけれど、陽のぬくもりではなく安定した外光を取り入れるには北側の窓の方が適しています。
写真スタジオ(下の写真は江戸東京たてもの園にある「常盤台写真場」)の採光窓北側を向いているのも同様の理由だとか

「技術と呼ぶにはあまりにもシンプルですが、これもまたすぐれた「創意工夫」だと思います。

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連休突入前夜に観劇

2015-04-28 23:59:08 | 演芸・演劇

きょうは火曜日なのに、なんだか金曜日のような、ちょっとフワフワした感覚の一日でした。
それはそうです。明日から7日間ゴールデンウィークが始まるんですから

しかも、ちぃとだけ早引けして観劇する予定もありましたし

そんなわけで、定時ちょいと前に、「良いお休みを~なんて言いながら職場を後にした私が向かったのは、下北沢本多劇場でした(定時前に会社を出発したのに、開演直前に到着するんだから…)。

観てきたのは、加藤健一事務所「バカのカベ~フランス風」

「バカのカベ~フランス風~」のチケット

共演に風間杜夫、声の出演に平田満、と来れば、「つかこうへい」という金看板が頭をよぎりますが、周りをカトケンの芝居では常連の方々で固めて、盤石の体制のコメディでありました。

 ストーリー(原作:フランシス・ヴェベール)は、

パリのお洒落なマンションに暮らすピエール(風間杜夫)には、変わった趣味があった。
週に一度、これぞ!と思う「バカ」をディナーパーティーに連れて来て、笑い者にして楽しむというのだ。
今夜のゲストは、フランソワ(加藤健一)という国税庁勤めの変わり者。
ところがパーティーの前にギックリ腰で動けなくなってしまったピエール。
そこへやってきたフランソワは、ピエールを助けようとするが、やることなすこと全てが裏目に出てしまう。
さらに色男のメノー(声:平田満)が電話の向こうから乱入!
事態はとんでもない方向に!!

というものなんですが、タイトルの「バカ」「愚かな」「知力が足りない」というのではなく、「奇人・変人」の類と言った方が適切かもしれません。

実際、この週の「火曜日」(「バカ」を呼んで楽しむディナーは毎週火曜日に開催するという設定)の「バカ」に選ばれたフランソワは、国税庁に勤める会計士ですから、「愚かな」「知力が足りない」というバカではありません。
でも、かなぁ~り鬱陶しいし、状況をグチャグチャにしてくれる「困ったちゃんでもあります。
こんな役柄、カトケンがもっとも得意とする役柄かもしれません。
そして、キャスト一堂そろって、しっかりと笑わせてくれます。

が、これまで観たカトケンのコメディの中では、テンポがちょっとトロいかも…
なんとなく間延びした感じが何カ所かあったんですよねぇ~

そもそもが、「週に一度、これぞ!と思う『バカ』をディナーパーティーに連れて来て、笑い者にして楽しむ」という悪趣味な設定ですから、腹の底から笑うには、ちょっとカベが高い気がしました。

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判ったような判らないような…

2015-04-27 21:55:11 | 美術館・博物館・アート/本・雑誌

きのう、注文していたこちらの本が届きました。

山口晃 前に下がる 下を仰ぐ
山口 晃
青幻舎

この本、奥付には、

本書は、水戸芸術館現代美術ギャラリーにて開催された
山口晃展「前に下がる 下を仰ぐ」の公式カタログ兼書籍として刊行しました。

と書かれていまして、かなり大判(うれしい)この「公式カタログ兼書籍」のページをペラペラとめくると、こちらで書いた水戸芸術館現代美術ギャラリーでの山口晃展「前に下がる 下を仰ぐ」のことが、一気に蘇ってきて、「あれも良かった」「これも良かった」とキリがありません。
5月17日までの会期中に、もう一度、水戸に観に行きたくなってきたりして…

で、気になっていたこちらについて、画伯自らが解説されていました。

「『東宝スタジオ展』で、あ~~~!!!で書いたように、やはり「七人の侍」がモチーフになっていたそうで、

館正面が寂しかったので賑やかしです。「七人の侍」の劇中の旗がモチーフです。
なのでは自分が属したいもの、「た」は属している(た)もの、「△」が自分です。
屋根の形も表していて、その場合「△」は美術のことでしょうか。戦いの旗。

とのこと。
判ったような判らないような…
オリジナル6つの(6人の侍)が、こちらでは小さな4つの大きな1つのになっている説明がありませんから

「そこは自分で考えろということなのでしょうか…

ということで(?)、この公式カタログ兼書籍は、山口晃展「前に下がる 下を仰ぐ」観た人、観に行きたいけれど行けない方々心の底からお薦めします。
これからを観に行く人には、「まぁ、山口晃展「前に下がる 下を仰ぐ」を観てきてからでも遅くはない」と申し上げておきましょう。

あ"「久しぶりの水戸」シリーズが未完

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天気が良いからというだけではないかもしれない

2015-04-26 21:03:28 | タウンウオッチング

「この春は楽しみな美術展が密集」で書いた展覧会のひとつに行ってきました。

国立近代美術館(MOMAT)で開催中の「生誕110年 片岡球子展」です。

私にとっては、あまり交通の便のよろしくない MOMAT なもので、きょうの行程はこんな風にしました。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅⇒徒歩皇居東御苑大手門三の丸尚蔵館二の丸庭園江戸城・天守台跡北桔橋門)⇒徒歩国立公文書館⇒徒歩MOMAT⇒徒歩竹橋駅東西線東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線最寄り駅買い物⇒徒歩⇒自宅

好天に恵まれた皇居東御苑の散策は、ホント、気持ちよかったぁ~

新緑が目に鮮やかだし、いろいろながきれいで、もう、眼福ってやつ…。
日曜日の昼下がりとなれば、そろそろ翌週の仕事が気になりだして気分が右肩下がりになるものですが、きょうの場合は、あと2、仕事に行けば、ゴールデン・ウィーク突入という状況が気分を高揚させていたのかもしれませんな。

さて、サクラは終わり、アヤメ/カキツバタの季節(その季節になれば、写真の場所は「伊勢物語」の世界になる?)には早いのですが、

クルメツツジが様々な色の花を咲かせているし、

藤棚は着々と助走しているし、

「諏訪の茶屋」の前では巨大ボタンが咲き誇っているし、

いやはや、都心ど真ん中こんなスポットがあるなんてねぇ~

見どころ満載二の丸庭園で一番目立っていたのはこちらの白い花だったかも…

何でしょ、この花?
アップしますと、、、、

判らん

と、胸につかえを残したまま、天守台から本丸跡を見下ろして、

北桔橋門から「下城」したら、

が見つかりました

  シャガ (Iris japonica)

ですって

初めて目にする名前です

学名 (Iris japonica)からして日本固有種か と思って調べると、こちらのサイトによれば、

   原産地:中国

とな

これはこれで驚きなのですが、

  短命で花は一日でしぼんでしまいます。

っつうことは、きょう見たあの大量白い花は、明日にはしぼんでいるということですか
なんだか信じられません…

ということで、三の丸尚蔵館での「鳥の楽園-多彩,多様な美の表現」のこと、国立公文書館での「JFK-その生涯と遺産」展のこと、そしてMOMATでの「生誕110年 片岡球子展」ほかのことはまた後日。

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長野観光を検討中

2015-04-25 23:55:02 | 旅行記

7月18「MISIA星空のライヴVIII上田公演に出撃することが決まりまして、せっかくの3連休ですから、長野県を巡ってみようかと、プランを立て始めました。
まだまだ時間に余裕があるのですが、これまで長野県ではリゾート地しか訪れたことがないもので、今回は「街の観光スポット」に行ってみようと思ったわけです。

私(わたくし)的感覚では、上田城松本城、そして善光寺は外せないだろうな

でも、2泊3日の旅程を組むとしたら、ちぃと目的地(観光スポット)が少ない
なにせ長野から新幹線に乗れば、2時間足らず大宮まで戻って来られるわけで…

と、、、大好き「仮面の女神」に再会しようか と思い立ったものの、地図を見て、う~む…

行きたいスポット、上田(ここが一番の目的地)、松本長野茅野を巡ろうとすると、一筆書きは難しそうです。

まだ時間に余裕がありますから、しばらく考えます。

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名古屋旅行記(その7)

2015-04-24 23:06:43 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「名古屋旅行記(その6)」のつづきです。が、ちょっと見聞録から離れて、トリビア・ネタを…

私、「地名」に興味を持っておりまして、常々、昔ながらの地名を大事にしたいものだと思っています。それゆえ、こちらで書いたように、横浜市界隈で群れをなしている「お花畑地名」虫酸を走らせております。

さて、見聞録が続いている「トヨタ産業技術記念館」を設置・運営しているトヨタ・グループ本丸(「本家」豊田自動織機(株))たるトヨタ自動車の本社所在地は、

愛知県豊田市トヨタ町1番地

です。
もちろん、もともとこんな地名だったはずはなく、旧地名は、

挙母(ころも)

で、1959に、それまでの挙母市から、トヨタ自動車の創業家「豊田家」に因んで改名されたわけですが、どうしたことか「豊田市」の読みは、「豊田家」「とよだ」ではなく「とよた」
因みに、ご本家「豊田自動織機」「豊田通商」の読みは「とよで、「豊田合成」「とよです。どういう基準で決めているんでしょ?

たしか「豊田自動織機」「豊田通商」も以前は「とよじゃなかったかなと思って調べると、両社とも1987年に「とよ「とよと読みを変更していました。
日本語(漢字)では「豊田」のままですが、英文表記(ローマ字)だと、「TOYODA」「TOYOTA」別物だと思われるっつうか、「まがい物に思われることを危惧したのでしょうか?

1985年、「豊田商事会長刺殺事件」という事件が起こりました。
これは、「現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた」豊田商事の会長が、「逮捕近しと集まっていたマスコミの目の前で刺殺されるという、日本全国に強烈な印象を残した事件なのですが、この「豊田商事」の読みは、それこそ「トヨタ・グループ」錯覚させることを意図したとしか思えない「とよしょうじ」でした。
そんな事件からわずか2年後に、
「豊田通商」が社名の読みを「とよ「とよに変えたというのは、今にして思えば大胆なことです。社員の方々に抵抗はなかったのでしょうかねぇ…
既に
「豊田商事会長刺殺事件」風化していたのか、海外でも「トヨタ・グループ」であることを認識してもらうことを重視したのか…

ただでさえ話題が「名古屋旅行記」からズレた記事なのに、ますますズレた

話を「挙母市」⇒「豊田市」に戻します。

この市名変更は、トヨタがゴリ押ししたとか、要求したとか、願ったとかそんな形跡は見られません。
Wikipediaでは、

市制を敷いた当初は、「挙母市」という名称であった。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出された。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読みにくいという点であった(「挙母(ころも)」が長野県の「小諸(こもろ)」と混同されることもあった)。「挙母」という地名には古代以来の歴史があって愛着を持つ市民も多く、一時は賛成と反対で市を二分するほどの論議が展開されたが、1959年1月、名称が「豊田市」に変更された。

と記されています。
市名変更の請願書を提出したという商工会議所が、殿(トヨタ)の思いを忖度したのか、勝手連的に活動したのか判りませんが、市名が「挙母市」⇒「豊田市」となった事実は動かしようがありません。
数百年後になれば、この「豊田市」という市名が「昔ながらの地名」になっている可能性はありますけれど、現時点では、ヤボな改名だと私は思っています。

ところで、「トヨタ産業技術記念館」の所在地は、

名古屋市西区則武新町4-1-35

です。

すぐ近所には、高級陶磁器メーカーのノリタケ本拠地があるんですが、こちらは、地名「則武(のりたけ)」社名の由来になっています。

地名が社名になるところあり、社名が地名になるところあり、やはり地名って面白いと思います。

つづき:2015/04/29 名古屋旅行記(その8)

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名古屋旅行記(その6)

2015-04-22 23:42:18 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「名古屋旅行記(その5)」のつづきもトヨタ産業技術記念館繊維機械館からお送りします。

を紡いだら、次はを織るわけで、織機といえば「その4」に載せた無停止杼換(ひかん)式豊田自動織機(G型)よりも、こちらのイメージが強い

地機

上の織機は「地機(じばた)というもので、説明板によれば、

地機は骨組みをもつ織機で、脚はないか、または短い脚がつき、織り手の位置は地面に近い。展示機は、新潟で江戸時代から越後上布を織るのに使われた地機である。

だそうです。
ほとんど「道具」地機に対して、無停止杼換(ひかん)式豊田自動織機(G型)はまさしく「機械」です。

繊維機械館には古今東西、様々な織機が展示(一部は動態展示)されておりまして、こちらを見て、

連想したのは、稲庭うどん
そうめんでも良いのですが、そこは秋田県人たる私としては「稲庭うどん」に例えざるをえないでしょう

それはともかく、この織機「ジャガード織機」でして、模様を織り込むための型紙が面白い

型紙に開けられた有無に応じて模様が織り込まれる仕組みなんだとか。

有無に応じて」なんて、「0」「1」とで情報を保存・伝達する、デジタルの世界、まさにコンピュータの世界ではありませんか

このことだけでも、へぇ~ なんですが、この日一番の驚愕の技術は、エアスプライサ(Air Splicer)でした。

を織ろうとする場合、はひたすら長く、無限長であることが望ましいわけですが、それは、不可能ではないにしろ、ハンドリングが難しい
となれば、途中で次のロットの糸に結びつける必要があります。

もっとも(発想の)簡単な方法としては、

結んでしまえば良い のですが、結び目ができてしまいます。
これだって、機械に高速でやらせるとなれば、かなり難しいことだと思うのですが、結び目は木材の節目のように、布を織るにあたっては邪魔になるはず。

そこで登場するのが、この「エアスプライサ」です。
この機械は、

空気の力で、糸の撚りを解きほぐして、同じく撚りを解きほぐした糸とで、これまた空気の力で互いを絡み合わせて、つなぎ合わせるという、信じがたいもの

展示されていたエアスプライサデモ機は、上にある白糸と、下にある赤糸とを、プシューという音をたてながら、見る間につなぎ合わせてしまいます。

元々の糸の太さとさほど変わらない太さで、白糸赤糸ネジリンボ状態に

いやはや驚きました

機械って、小さなモノ軟らかいモノを扱うことは、重いモノ大きいモノを扱うことよりずっと苦手だと認識していましたから、このエアスプライサにはホント、驚きました

まさしく「恐るべきニッポンの技術」です

この機械を作った人、ホント、偉い

つづき と言えるかなぁ?:2015/04/24 名古屋旅行記(その7)

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名古屋旅行記(その5)

2015-04-21 23:27:10 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「名古屋旅行記(その4)」のつづきもトヨタ産業技術記念館の見聞録です。

「その4に引き続いて、糸を紡ぐ機械、紡績機の話から始めましょう。

私、学生時代は日本経済史のゼミに所属しておりまして、明治期の日本経済のことなんぞをちょいとだけ深め(あくまでも相対的)に勉強したのですが、その中で「ガラ紡」ということばに出会いました。

「ガラ紡」というのは、こちらのサイトから引用しますと、

操作中にガラガラと音を出すことから「ガラ紡」と呼ばれました。その仕組みは、手回しのハンドルを回転させると綿筒と糸巻が同時に回転し、綿筒の中の綿が撚りをかけられ、糸となって糸巻きに巻き取られるというもので、それまでの糸車による糸紡ぎから数十倍に生産力を高める画期的な発明でした。

というもので、その現物動いていました

ホントにガラガラやかましい

でも、トヨタ産業技術記念館繊維機械館の中では、このガラ紡のほか、いろいろな繊維機械が動いていますので、こんなのでひるんでいては先に進めません。

さて、採取されたコットンボールから綿糸になるまでの一連の工程をこなす機械がデカかった

まず、コットンボールをほぐして、種の皮ゴミを取り除き、

梳(くしけず)って、繊維の方向を整えて、

紐状にします。

この肌触りの良さときたらもう

そして、この紐状の綿を、うどんを啜るように機械が吸い込むと、、、、

凄いスピードが紡がれていきます

ふとべつやくれいさんのイラストを思い出したりして…

それはさておき、「その4」で紹介した紡車は、操る人の技能に頼る道具だったのに対して、こちらは「誰が操作しても同じ品質の製品が作れる」機械です。

いまさらながら、産業の主役が道具から機械に変わったことが、いわゆる「産業革命」だったのだなぁと、感慨にふけった私でございました。

 そして、こちらの紡績機ときたら、といい、といい、完全に現代

様々な太さの綿糸を、数十年前までは信じられないほど 均質に紡げるんだろうなと想像します。

でも、最新式の紡績機で紡いだ糸で、ガラ紡で紡いだ糸で織ったこんな風合いの布を織れるものだろうか?

いやいや、現代の技術なら、「ゆらぎ」を織り込んで、不均一な太さの糸を紡ぐことなんか簡単にできるかもしれません

人類の進歩に感じ入ると同時に、ちょいと寂しい感覚が浮かび上がることを抑えることができませんでした。

でも、でも、人の技能って、どれだけ技術が発達しても、廃れることは絶対にないとも思っています。

例えば、産業用ロボット

写真は「自動車館」で見たノスタルジーを感じさせる数十年前のロボットなんですが、ロボットが完全に人に取って代われるかといいますと、そんなことは無いんですな。

ロボットに、どのような動きをすればよいのか、教えるのは
やはり、を含めて、生物って凄いんですよねぇ~。

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名古屋旅行記(その4)

2015-04-20 22:16:14 | 旅行記/美術館・博物館・アート

名古屋旅行記を再開することにしまして、「名古屋旅行記(その3)」のつづきです。

名古屋ボストン美術館の次に向かったのは、「MISIA星空のライヴIII」遠征の時ですから2006年8月以来、9年振りとなる「トヨタ産業技術記念館」でした。

前回は名古屋駅から路線バスで行き、近くのノリタケの森にハシゴしたのですが、今回はどうするか迷いました。
この日、私は地下鉄・名古屋駅「一日乗車券・ドニチエコきっぷ」を買っておりまして、こいつを活用するならば、

1) 金山駅地下鉄・名城線栄駅地下鉄・東山線名古屋駅路線バス⇒…
2)
金山駅地下鉄・名城線久屋大通駅地下鉄・桜通線名古屋駅路線バス⇒…
3)
金山駅地下鉄・名城線栄駅地下鉄・東山線亀島駅⇒徒歩(10分)⇒…

というルートが考えられるわけですが、「一日乗車券・ドニチエコきっぷ」を無視すればもっと早く楽なルートがありまして、

4) 金山駅JR東海道線名古屋駅路線バス⇒…
5) 金山駅名鉄・名古屋本線栄生駅徒歩(3分)⇒…

こちらの方がずっと楽ちんです。

結局、230円の出費を伴うものの、早くかつ歩く距離も短い「5」ルートを採用しました。

この時乗った名鉄の電車は、こちらで書いたように、乗客も広告もガラガラで、ちょいと寂しい思いをしたのですが、それもまた一興

そうこうするうち、金山駅から10分も経たずに栄生駅に到着
さらに、ほんのちょっと歩いて「トヨタ産業技術記念館」に到着です

今回の遠征では2日目にレンタカーを利用する予定だったことからJAF会員証も持ってきていたもので、その優待を使って入場

「トヨタ産業技術記念館」は、その名からお察しのとおり、トヨタ(グループ)が設置・運営する博物館でして、リーフレットから引用しますと、

トヨタ産業技術記念館は、トヨタグループの共同事業としてグループ発祥の地である旧トヨタ紡織株式会社本社工場跡に設立されました。
建築史的にも貴重な赤レンガの建物を産業遺産として保存・活用し、近代日本の発展を支えた基幹産業のひとつである繊維機械と、現代を開拓し続ける自動車の技術の変遷を紹介。「研究と創造の精神」と「モノづくり」の大切さを本物の機械の動体展示と多彩な実演を通じて伝えています。

というもの。
大きく、「繊維機械館」「自動車館」に分かれていまして、共に現物が持つ迫力と、人間の創意工夫と情熱がひしひしと伝わる傑出した博物館なのですが、私にとっては、意外にも「繊維機械館」響いてきます

どうしてなんでしょ?

「繊維機械館」に入ると、まず展示されていたのは、、、

綿花(レプリカ)です。

ポップコーンのように萼(がく)の上に広がった綿の固まり(コットンボール)、これが、日頃身につけている下着や服になるなんて、どういう仕組みなんでしょうか?
こんなことは、前回、「トヨタ産業技術記念館」に来るまでは、考えたことはありませんでした。
絹糸ならば、から細く長い糸をほどきだして、それを数本より合わせてつくっていることは知っていますけれど、綿の固まりからをつくり出して、それを布に織る工程というものは、なかなか判らない、というか、考えたこともない人がほとんどではないでしょうか?

綿糸は綿糸として初めからあるし、綿布は綿布として初めからあるような感じ、、、みたいな…。

トヨタの「繊維機械」とくれば、豊田佐吉が発明したというこちらの織機を連想するところですが、

ここの展示は、コットンボールから糸を紡ぐところから始まるのですよ

綿糸は、コットンボールから綿糸の固まり均一の太さに引っ張りだして、それに撚りをかけて巻き取ることで作られます。

上の「装置」は、「チャルカ」というインドの「紡車」です(だそうです)。
説明板によれば、

紡車による糸つむぎは2段階で行なう。
まず、右手で紡錘をまわし、左手で綿の塊をもって、斜めに引っ張りながら撚りをかける。
次に、左手を紡錘の軸と直角の方向に動かし、先端の糸をくりだしたのち、ふたたび紡錘をまわして、撚りのかかった糸を紡錘に巻き取る。

だそうですが、ほとんど判らない中でも、チャルカを操る人の技能に依存していることが察せられます。
それよりも、チャルカから連想するのは、こちらの偉人の肖像でしょう。

糸を紡ぐガンジー

インド独立の父、ガンジーさんです。
「イギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかける」運動の象徴となったのが、このチャルカでした。

チャルカは14世紀頃にインドからヨーロッパに伝わったのだそうで、ヨーロッパの紡車がこちら。

これを見て「眠れる森の美女」を連想するのは私だけでしょうか?

「眠れる森の美女」のヒロイン・オーロラ姫は、糸車で指を刺して長い眠りにつくわけですが、糸車に指を刺すところなんてあるかなぁ~

と、かなり中途半端ではありますが、きょうはここまで

平日はどうしてもやらなきゃならないこと(眠ることも含めて)いろいろありますので…

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