新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

久しぶりの秋田城趾

2024-09-22 17:08:25 | 美術館・博物館・アート

先日、旧友と連れだって、秋田城趾に行ってきました。

秋田城趾に行くのは2015年5月(訪問記)以来9年ぶり秋田城跡歴史資料館2016年のオープン以来初めての訪問でした。

地元民である友人が運転するクルマで現地に行き、まずは秋田城跡歴史資料館を見学。

15年前にも、秋田城趾からの出土品などを展示する施設がありましたが、この施設(秋田城跡出土品収蔵庫)は、基本的に「収蔵庫」だったらしく、展示はなんともこぢんまりした寂しいものだった記憶があります(確か観覧無料だったはず)

それが、いまや、見違えるような立派な展示施設に生まれ変わっていました
しかも、観覧料310円が安く感じられる充実した展示

資料館では、「秋麻呂くん」という秋田城趾イメージキャラクターがお出迎えしてくれました

展示は、「漆紙文書」から始まります。

漆紙文は、一見すると「丸く黒い板」ですが、土中から出土したが付着し染み込んだ古代の文書」

漆紙文書は、役所で使用済みの紙や不要になった文書漆職人に払い下げ、職人がそれを漆の入った容器の蓋紙として使用し、付着し染み込んだ漆の保存力によって、捨てられた後も土の中でも紙と文字が残ったものです。

だそうで、いわば当時貴重だった紙のリユース品が、の力で文字と共に残ったというヤツ。
この資料館で一番の目玉だと思われたのが、「赤外線カメラコーナー」で、真っ黒漆紙文書墨が薄れた木簡(もちろんレプリカ)が、赤外線カメラを通して見ると、あら不思議文字が読める という画期的な展示でした

肉眼ではほとんど見えないものが、赤外線カメラを使えば見えるようになるというのは、知識としては知っていても、目の前で、しかも自分が選んだ資料から文字がクッキリと映し出されるのには感動すら覚えました。

驚くべき威力 驚くべき赤外線カメラ威力 です。

その他にも興味深い展示があって、「へぇ~、初めて知ったのが、和同開珎銀銭銅銭があったということ。

続日本紀に書かれているという、

慶雲5(708)年1月11日に武蔵国から「和銅」が朝廷に献上された。元明天皇はこれを大いに喜ばれ、この慶事を祝して慶雲5年を和銅元年と改元され、「和同開珎」が鋳造された。

ということから勝手に「和同開珎は銅銭」思い込んでいた私でしたが、Wikipediaからの受け売りによれば、続日本紀には、前記の改元の話に続けて、

和銅元年5月11日(708年6月3日)には銀銭が発行され、7月26日(708年8月16日)には銅銭の鋳造が始まり、8月10日(708年8月29日)に発行された

とあります。
これは自分の無知と思い込みを恥じるしかなさそうです
なお、和同開珎と一緒に展示されていた「富寿神寶」銭は、皇朝十二銭5番目で、弘仁9(818)年から鋳造・発行された貨幣です。

この他にも、出土品や復元品などの展示とともに、充実したパネル展示が行われていました。

最後の情報コーナーには、市民が秋田城跡史跡公園で撮った写真が飾られていたんですが、動物の写真としては、キジカモシカが多い多い…
私も9年前に来たときはキジを目撃しましたが、今回は出会えませんでした。

   

ここで、秋田城跡歴史資料館や秋田城趾付近のマップをご覧くださいませ。

秋田城の政庁跡の南西角道路が貫いています
この道路は「旧国道」と呼ばれる旧・旧国道7号線でして(ちなみに秋田市で「新国道」といえば、旧国道7号線の県道56号線を指します)平城宮跡を横切る近鉄奈良線みたいです

こちらの「秋麻呂くん通信」によると、

明治時代になり、明治天皇の秋田ご巡行に合わせ、明治9(1876)年に街道の政庁付近の開削、切り通し工事が行われました。その際に残念ながら政庁跡の西側1/3が失われたと考えられます。道路の開削により、かつては同じ高さでつながっていた地面が大きく削られて地形が変わり、城跡の東西が分断されることになりました。

たそうで、実際、羽州街道のルートをみると、

旧羽州街道は、高清水地区西に迂回していました。

現在、秋田城跡歴史資料館から秋田城趾に行こうとすれば、坂を下って登る必要がありますが、今年4月に開通した「史跡公園連絡橋」を通ればほぼ平坦(のはず 私はまだ通っていない)です。

私は、友人のクルマで秋田城跡史跡公園に移動し、しばし散策しました。

史跡公園内は、15年前と変わらず(前述の収蔵庫がなくなったくらい)、緩やかな起伏の中に、復元された築地塀赤い柱が目に鮮やかな(どちらも瓦葺き)が立っていました。

一緒に行った友人が卒業した小学校のグラウンドがあったという場所には、石柱が立っていました。

石柱に彫られていたのは「紀元二千六百年記念運動場」の文字でした。
そして、揮毫したのは、「厚生省 體育局長 佐々木芳遠」なる人。

この人はどんな人? 中央省庁の所管局長が秋田のグラウンドの碑を揮毫する?

とちょっと不思議に思って調べたところ、佐々木芳遠さんは、1894年生まれで宮城県出身内務官僚で、埼玉県を振り出しに岐阜県、徳島県、神奈川県、復興局、岩手県、茨城県、山口県、東京府を転勤しまくって要職を務めたあと、1938年6月秋田県知事(官選)に就任されています。
そして、わずか半年後1939年1月にはくだんの「厚生省体育局長」に転任。
その後、1941年8月に最後のポストである山口県知事(官選)に転任し、1943年7月に「依願免本官(=辞職)」してリタイアされていますから、「紀元2600年」1940年当時は、厚生省体育局長だったわけですな。
国を挙げての「紀元2600年記念行事」の一つとして、秋田県がこの場所を「紀元二千六百年記念運動場」にするにあたって、「知らない人じゃないし、厚生省体育局長ならうってつけだ」と、佐々木さんに記念柱の揮毫を依頼するのは、自然なことかもしれません。
もしかすると、佐々木さんが秋田県知事在任中に、県の記念事業として運動場を整備して、ここで県の奉祝行事を挙行することを、思いついたか承認(国の「紀元二千六百年祝典準備委員会」発足は1935年10月)した縁で、自ら買って出た可能性もあるかも…

この石柱を間近で見たとき、石柱の根元右側小さな石柱横にして置かれているのに気づいて、「これはなんだろ?」と思ったんですが、写真を見ると、石柱は右に傾いていて小さな石柱転倒防止策なのかもしれないと思ったりして… 知らんけど…

こんな想像をもかき立てる久しぶりの秋田城趾でした(とってつけたような…)

ところで、この記事、いつもに比べて写真が少ないことにお気づきの方がいらっしゃるかもしれません。
先日の関西旅行の際、SDカードを入れていないデジカメを持っていったのに続いて、今回の帰省では、デジカメ本宅に忘れてきたのでした 望遠レンズ予備のバッテリー & SDカードは持ってきたのに、なんとも情けないことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #3-2 [完結編]

2024-09-18 07:27:25 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #3-1」のつづき、ついに旅行記完結編です。

閑散とした三条通りを歩いてJR奈良駅まで戻って来た私は、ホテルから荷物を引き取り、昼食として車内で食べるべく「柿の葉寿司」を購入して(結局本宅で食べた)大阪(伊丹)空港行きのリムジンバスに乗り込みました。

私が乗ったリムジンバスは、定刻だと空港到着が14:26で、フライトまでは約2時間余裕があります。1本遅いバス便でも1時間弱余裕があったのですが、この私の意図については後ほど…

   

バスは、奈良・生駒市内のバス停で乗客を拾った後、第二阪奈道路阪神高速13号東大阪線東大阪JCT近畿自動車道吹田JCT中国自動車道豊中ICというルートをきわめて順調に進みます。

途中、近畿道から見えたこの奇妙な建物は何?

Googleマップほかで調べたところ、「鶴見はなぽ~とブロッサム」という「大阪鶴見花き卸売市場」とした旧三井アウトレットパーク大阪鶴見(昨年3月に閉館)複合施設でした。

月下美人の花のイメージを表現した外観」だそうですが、大阪らしいといえば大阪らしい外連味たっぷりの建物です。
三井アウトレットパークが抜けた跡はどうなっているんでしょうか

ここから10分ほどで、中国道から太陽の塔が見えました

ここまで来れば、大阪(伊丹)空港はすぐ近くです

そして、15分もかからず、定刻前大阪(伊丹)空港到着しました。

   

空港に着くと、まずはトイレに入り最後のTシャツ交換

今回の旅行には、2泊3日にもかかわらず、替えのTシャツ5枚持ってきていました。
1日2枚の勘定です。

過去の旅行では、旅行先でTシャツを購入したことが何度かあったという経験を活かせたわけで、大正解でした

夏の旅行には、Tシャツハンドタオル「多すぎるかな?と思えるくらい持って行くのがお勧めです。どちらもそれほど嵩張りませんし。

   

さて、なぜ私は余裕がありすぎるくらいのタイミングで空港に行ったのか、ということです。

今年1月、JALマイレージプログラム改訂しました。

このおかげで、ながらく「JALカードSuica」を使ってきた私には、今年2月に「さくらラウンジ」年2回の利用権がやって来て、4月にはステータスが上がったことで、利用権が年6回に増えました

私は、さっそく今年 4月「MISIA 25週年星空現場Ⅻ:Starry Night Fantasy」台湾公演への遠征で羽田空港のさくらラウンジ朝食をいただこう楽しみにしていたのですが…

それから半年近く経ち、東海道新幹線運休という思いがけない展開から、さくらラウンジを使うチャンスが巡ってきたというわけです。

Tシャツを着替えた私はバッグと傘を預けて、セキュリティチェックを無事通過すると、まったりするべく、さくらラウンジへ向かいました。
この行動は、あとで後悔することになります

久しぶりのさくらラウンジで、まずは、柿の種を摘まみながらビール

やはり、この落ち着いた雰囲気良いなぁ~
喫煙室もあるし…

と思っていたら、ラウンジに入ってきた人が手に提げていた「551 HORAI」のペーパーバッグが目に入りました

私も豚まんを買って帰りたいと思ってスマホで調べると、大阪(伊丹)空港の551 HORAIの店は、セキュリティチェック前だったぁ~

これは失敗しました

   

飛行機は定刻から若干遅れて離陸しました。

始めのうちは、万博記念公園が見えたぁ とか、

琵琶湖が見えたぁ とか、

眺めが良かったのですが、すぐに厚いの中に入り、また、気流の状況が良くないということで、飲み物サービスは冷たいもののみ(私はいつもコンソメスープなんだけど…)になってしまいました。

航路を見ると、かなりいびつなもの(逆S字形)で、やはり静岡県上空は相当に状況が悪いようです

再び地上が見えたときは、すでに千葉県上空でした(真ん中に見える緑地陸上自衛隊習志野駐屯地)

そして、TDRの近くを通過した飛行機は、

北東側から羽田空港B滑走路に無事着陸しました。

   

羽田空港から本宅までは、待ち時間は1時間半近くもあるけれど、楽ちん空港リムジンバスを利用しました。
やはり旅行用のバッグを連れて電車を乗り換えるのは大変ですから。
私の場合、電車で帰ろうとすると、最低2回の乗り換えが必要で、中でも品川駅での京急⇒JRの乗り換えが最悪だと思っています(JR⇒京急はまだマシ)

土曜日の夜なら、首都高速空いているだろうな と思ったら、案の上、渋滞どころかスローダウンなく、定刻より15分ほど早く、自宅最寄り駅前到着

さいたま市は土砂降りで、傘からはみ出すバッグは10分たらずの間にびしょ濡れになりましたが、ここまで来れば問題無し

ということで、台風10号には邪魔されたものの、村上隆展興福寺国宝館ホテル日航奈良の朝食、という三大タスクコンプして、関西旅行を終えたのでした。
めでたしめでたし…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #3-1

2024-09-17 14:09:27 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-5」のつづき、最終日(8月31日)の旅行記です。

ここしばらく、インバウンド需要の高まりの影響か、どこに行こうとしてもホテル代が高くてうんざりだったのですが、8月も末となると、需給が緩むのか、ちょっとホテル代が安くなっていて、京都・奈良いずれでも、第一希望のホテルに手が届きました

奈良での宿泊先に選んだのは、ホテル日航奈良でした。
このホテルは、奈良への初の個人旅行(2007年4月)の際に泊まった思い出のホテルなんですが、(写真は17年前のJR奈良駅東口)

JR奈良駅から至近だし、大浴場があるし、客室がそこそこ広いし、そしてなによりも「奈良ならではの朝食」イイ

ということで、この旅行のお楽しみの一つだった朝食でスタート

写真は「茶粥」を中心にした第1ラウンド
第2ラウンドでは、茶飯とか、「興福寺の精進汁」などを味わった後、〆は三輪素麺にしました

もう大満足です

ただ、私は朝食付きのプランで宿泊したのですが、この朝食を「ビジター」として食べようとすると、3,500円だそうです
昨年12月に仙台に行ったとき(MISIAのことしか書いていないその時の記事)は、ホテル代そのものがどこもかしこも高かった上に、私が素泊まりしたホテルの朝食が3,000円だと知って仙台駅の駅ナカで朝食(おにぎり2個と芋煮のセット)を摂ったのですが、あの仙台のホテルの朝食もこんなハイレベルだったのかな?

ところで、ホテル日航奈良と双璧をなすお気に入りホテルが4年前に廃業して、その後、その建物コロナ患者の隔離先などに使われていたのですが、前日、その前を通ったら、ほぼ解体されていました

跡にはマンションが建つみたい…。
良いホテルだったのにな…

   

前日昼前時点では、この朝食を摂った後、しばし部屋で腹ごなししたら、チェックアウトして直ちにJR京都駅へ移動し、新幹線帰る予定でした。
ところが、運休新幹線に代えて、夕方に大阪伊丹空港を出発する飛行機にしたことから様相が変わり、JR奈良駅前 13:00発空港リムジンバスまで、つまり午前中がフリーになりました。

さて、この急遽出現したフリーな時間をどう使う?

私の選択は、「奈良博なら仏像館仏さまたちにお目にかかること」でした。
トーハク「友の会」会員証を使って無料で入場できますし…

ということで、ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらい、JR奈良駅から路線バスに乗って奈良博に向かいました。

   

奈良博 なら仏像館は、ほとんどの作品が撮影不可で、その数少ない仏さまの一つ(一対)が、金峯山寺の仁王さまでした。

おぉ、大きい

説明書きを転記しましょう。

重要文化財 金剛力士立像 康成(こうじょう)
吉野郡吉野町に位置する金峯山寺(金峰山修験本宗の総本山)の仁王門(国宝)に安置される金剛力士像。仁王門は平成30年(2018)度より大規模な修理が開始され、これと並行して金剛力士像も翌年度から2か年をかけて、公益財団法人美術院により彩色や漆下地の剥落止め、矧目(はぎめ=寄せ木造りの接続箇所)など変色箇所の修正、足元や台座の材質強化などを主とする保存修理が実施された。
像内の銘文により、南北朝時代の延元3年(1338)から翌年にかけて、大仏師康成により造られたことがわかる。見上げるばかりの巨像で、劇的な忿怒相と全身にみなぎる力動感は圧巻であり、鎌倉時代の金剛力士像にみる颯爽とした姿を基本としつつ、丈六の巨像を破綻なくまとめあげた点に康成の優れた技量がうかがえる。建仁3年(1203)に運慶・快慶らが造立した奈良・東大寺南大門像に次ぐ大作として、また、当代を代表する金剛力士像としてもきわめて高い価値を有している。

先週のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道長御一行様御嶽詣(金峯山寺への参詣)が描かれましたが、当時(寛弘4年=1007年)この仁王さままだ存在しておられなかったんですな。残念

この仁王さま、展示室で拝見すると、失礼ながら、頭でっかちかつ頭が縦長で、ちょいとバランスがおかしく見えます
でも、仁王門を通る人たち至近から見上げることを想定しての造形なのかもしれないと思い、近くから見上げると、たしかに違和感は薄らぎました

あともう一点、撮影できたのは、ふっくらしてcute「吉祥天倚像」でした。
この像は、鎌倉時代(14世紀)のもので、

類品に暦応3年(1340)寬慶作の興福寺像がある。

だそうですが、興福寺の吉祥天さまが公開されるのは毎年1月1~7日だけだそうで、前日、興福寺中金堂にお参りしたとき、扉を閉じた厨子の中でした

   

快慶作といわれる「不動明王立像」は、なんとも見事で、たまたまいあわせたおばちゃんと、どちからともなく、イイですねぇ」「眼力が凄い」「さすが快慶」などと感想を述べ合ったりしました

また、元興寺五重塔本尊だったという「薬師如来立像」のところでは、ボランティア説明員のおじさんと、神護寺の薬師如来さまと似ていかめしいお顔」「元興寺五重塔の礎石を観たことがる(記事)といった会話を楽しみました。

ひととおりなら仏像館を観た私は、隣の青銅器館スルーして、地下連絡通路を通って、西新館地下にあるミュージアムショップに行ってみました。

その途中、こんなポスターがありました。

「阿弥陀如来立像(裸形)」のレプリカに服を着せようというワークショップだと

その内容を知ると、「いかにも奈良博」「奈良博ならでは」のワークショップだと思います。

もともと仏さまの裸形像は、こちらのサイトによれば、

腹部に輪宝、股間に蓮華形を付けるほか、裸形に表された像。このまま安置するのではなく、布製の衣服を着せて祀っていた。このような裸形像は鎌倉時代から作例が増加し、地蔵菩薩像弘法大師像などもあるが、最も多いのは阿弥陀如来像である。

だそうで、これに衣や袈裟を着付けるのは正しい用法と言えるでしょう

奈良博では、毎月第2日曜日にこの「ほとけさまに服を着せよう!」毎月第4日曜日「絵巻物をみて!きいて!さわろう!」という二つの「とくべつワークショップ」のほか、さまざまなワークショップを開催している由。

そんなこんなで奈良博を楽しんだ私は、三条通りをとろとろ歩いてJR奈良駅に戻りました。

この日はあいにくの雨降りだったとはいえ、土曜日だというのに、三条通りを歩く人のなんと少なかったこと
東海道・山陽新幹線が止まっていることで、観光客激減していたんでしょうな

というところで、完結編(はずの)「#3-2につづきます。

つづき:2024/09/18 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #3-2 [完結編] 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-5

2024-09-16 18:49:32 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-4」のつづきです。

奈良博の東・西新館での二つの展覧会を見終えた段階で時刻は13時を過ぎていました。
ここは興福寺後回しにして昼食を食べようということで、ミストを浴びて涼む鹿を横目に猿沢池の畔に降り、もちいどのセンター街に行き、ある意味行きつけ(もちろん奈良に行ったときだけ)レストランで食事しました。

食後、再び興福寺に戻ったんですが、五重塔修理用素屋根の大きいこと

まるでビルを建設しているみたいです

昨年始まったこの五重塔修復工事の完了予定は2031年だそうで、約8年を要する大工事です。
120年ぶりの大規模修理(瓦の葺き替え、軒回りや木部の修理、漆喰壁の塗り直し)ですから、これくらいの期間はかかるんだろうな

境内で見ると、北隣りに比較対象となる東金堂(現在閉堂中)が立っていることもあって、素屋根のデカさが際だちます。

興福寺のHPによれば、今年7月素屋根の外構が完成しているはずなのに、五重塔相輪最上層の屋根が見えていて、まだ屋根が無い状態のようです

工事が遅れ気味なのかな…
まぁ、8年間の長丁場ですから、ちょっと遅れるときも、はかどるときあるでしょう

それはともかく、私は壮麗中金堂にお参りしました。
落慶した2018年以来約6年ぶり2度目(前回の探訪記)です。

勧進所の自販機で拝観料500円也をお納めして、拝観受付でリーフレットを頂いて、中金堂に入堂

初めて中金堂に入堂したときのこちらの記事で、

金ピカ釈迦如来坐像と、なんとなく頭でっかちバランスの良くない薬王・薬像菩薩立像は、初めて拝観させていただいたような気がします。

としか書かなかった御本尊の釈迦如来坐像は、当然ながら今回も金ピカでした
真新しい中金堂にはふさわしい新しい御本尊かもしれない
と思ったのですが、

像内墨書から文化8年(1811)に定朝31世、運慶28世と称する仏師赤尾右京が造立したことが知られます。古様を模したスケールの大きな像で、伝統ある興福寺本尊としてふさわしいものです。2018年の中金堂再建落慶にあわせて修復されました。

他の仏像に比べれば比較的新しいものの、それでも江戸時代後期の作です。
いわゆる「化政文化華やかなりしころ」ですが、化政文化江戸の町人を中心に盛り上がったものですから(来年のNHK大河ドラマの舞台)、その影響は無いと考えていいでしょう。
それにしても、新調したのではないかと思うような金ピカ御本尊です。
「結局、そこかいですな
なお、

中金堂創建当初の本尊は、藤原鎌足蘇我入鹿の打倒を祈願して造立した釈迦如来像と伝えます。現在の像は5代目。

だそうで、初代7世紀に造立された飛鳥仏だったのか…

ところで、中金堂の英文呼称は“Central Golden Hall”だそうで、ほんと直訳
では、東大寺の金堂たる大仏殿どう訳すんだろ? と調べたところ、"Great Buddha Hall (Daibutsu-den)" でした。
でも、東大寺は、「鐘楼=Bell Towerを除いて、ローマ字読みを基本にしているみたいです。

一方の興福寺意訳

両寺のポリシーの違いがあって興味深いです

   

中金堂へのお参りの次は「久しぶり」(といっても2年ぶり)興福寺国宝館です。

私、2012年から2022年まで、リニューアル工事中だった2017年を除いて年に一度興福寺国宝館を訪れていました。

去年も、東大寺大仏殿前庭で開催された「東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌慶賛『MISIA PEACEFUL PARK Dialogue for Inclusion 2023』」に参加するべく奈良に来たのですが(旅行記「MISIA編」を含み長編です)、
この時は、東大寺のお堂たち(大仏殿⇒二月堂⇒法華堂⇒手向山八幡宮⇒鐘楼⇒戒壇堂)じっくり巡ることと、行ったことのなかった大神神社郡山城趾への訪問を優先して、興福寺ほぼ境内を通過するだけでした。

興福寺国宝館の展示は2年前から変わることなく、相変わらずステキでした。

金剛力士像も、天燈鬼・龍燈鬼も、二つの仏頭も、弥勒菩薩半跏像とその厨子も、板彫十二神将像も、十大弟子像も、千手観音菩薩立像も、華原磬も、そして八部衆像も、どれもホンットにイイ 大好き

やはり年に一度は拝見したいよなぁ と思いながら興福寺国宝館を出て、路線バス県庁前からJR奈良駅まで行き、そして、ホテルチェックインしました。

ところで、ずっと心の奥底でモヤモヤしていた帰宅するための東海道新幹線ですが、にはリマインドメールが来ました
ところが、ホテルにチェックインしたときには、31日の運休が決まっていました

さて、どうする????

試しに、飛行機の空き具合をチェックしたところ、31日の夕方以降なら空席がある
すぐさま飛行機の予約を入れ新幹線キャンセルしました。

費用的には新幹線⇒飛行機の差額(3千円ちょっと)に加えて、リムジンバス2区間の運賃痛いところですが、仕方ありますまい
でも、帰宅する手段を確保できたことでホッとしつつ、シャワーを浴びてTシャツを新しいのに替えて気分もスッキリ

このあと、これまた「奈良に行くといつも」の店まで歩いて行って、ビール串カツをかっくらっていい気分

だったのですが、お勘定の段階で、ホテルに財布を忘れてきたことが判明しました

恐る恐る「交通系ICカードが使えるのかを聞いたところ、OKということで、大事には至りませんでした

過去にはいつも現金払いだった店でしたので、ほんと、どうしようかと思いましたよ

終盤に波乱はあったものの、旅行2日目はこうして幕を閉じたのでした。

つづき:2024/09/17 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #3-1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-4

2024-09-15 16:48:39 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-3」のつづきです。

奈良国立博物館(奈良博)には、他の国立博物館(東京・京都・九州)に比べて、子どもたちや初心者への教育・啓発に熱心なイメージがあります。
それは、なら仏像館西新館との地下連絡通路を歩けばよく感じられて、例えば、仏像(木製)のつくられ方とか、仏像の手のポーズ(印相)を模型で説明する展示があったりします(ここは無料エリア)

「わくわくびじゅつギャラリー 『フシギ! 日本の神さまのびじゅつ』」は、

この展覧会では、日本の神さまの美術にまつわる、いろいろな“フシギ”をご紹介しながら、人びとが日本の神様をどのように見つめていたのか、その秘密に迫ります。展覧会場では、お子さまから大人の方まで楽しめるよう、体験型の要素を盛り込むなど、いろんな工夫をこらしています。
さまざまな“フシギ”にふれながら、日本の神さまの美術の魅力を感じてください。

と、まさしく奈良博らしい企画です。
「クイズではっけん! 神さまのびじゅつのハテナ ワークシート」という、かなりしっかりした紙質かつしっかりした内容リーフレット無料配布されていて、子どもたちは作品を観たり説明文を読んで、クイズに答えることで、楽しみながら学べる仕組みになっていました。

会場には大勢の家族連れがいらしていて、係員さんたちは「ケースには触らないでねとかなり大変そうでした
でも、展覧会の係員(監視員)さんは、たいてい暇そうなんだけど、この展覧会でのお仕事はやりがいがあっただろうな

さて、「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」展は、「お住まい」「おすがた」「ほとけさまとのカンケイ」「仲良しの動物がいる」「神さまへのプレゼント」「神さまにささげるエンタメ」それぞれの「フシギ」を見ていこう という趣向で、神社の建物や御神輿くらいしか目にすることのない中で、「神さま」を「カタチ」として体感できる展覧会になっていました。

これらの「フシギ」のうち、「ほとけさまとのカンケイ」はホント難しいんですよね
昔、歴史の授業で「本地垂迹説」を習ったけれど、神仏分離が徹底されて150年も経った今では、なかなか理解しづらい
そんな難問にもかかわらず、作品を通して子どもたちにも判ってもらおうとする展覧会の志の高さ拍手です

しかも、展示されていた作品は、「子ども騙し」とはほど遠い一級品がズラリ

写真を載せた薬師寺(休ヶ岡八幡宮)の「八幡三神像」とか、熊野速玉大社「桐蒔絵手箱(=化粧道具入れ)と化粧道具とか、「辟邪絵」などの国宝を始めとして、談山神社「沃懸地(いかけじ)太刀」奈良博所蔵の「生駒宮曼荼羅」ほかの重要文化財も展示されていました。

そうそう、私がいつも気にしている「獅子・狛犬」の違い・区分も、薬師寺の獅子・狛犬を展示して、しっかと説明されていました。

これまで何度もこのブログで書きましたが、角のある吽形狛犬で、角の無い阿形獅子です。

   

この展覧会で大活躍していたのが、奈良博の公式キャラ「ざんまいず」でした。

左から、くじゃっぴしろぞーあおじじはにわんこぎゅーたろ というお名前とな。

孔雀孔雀明王白像普賢菩薩獅子文殊菩薩大威徳明王のそれぞれ「相棒」ですな
と思ったら、やはり白像普賢菩薩像獅子文殊菩薩像の台座大威徳明王騎牛像と、奈良博収蔵品に由来しているそうなのですが、孔雀の元ネタは「孔雀文磬」でした
なお、はにわんこ埴輪の犬なんだろうけれど、奈良博で埴輪を見たことがあったかな? と、、、奈良博も埴輪の犬を収蔵していました
どうでもいいけれど、私、トーハクベロを出した犬の埴輪がお気に入りです。

それはともかく、こちらの記事 (まさかのデイリースポーツ)よれば、この「ざんまいず」の造形を生みだしたのはプロのイラストレーターではなく、奈良博の職員だというのにビックリ
まさかの「内製」とは
ただ、作者の翁みほり研究員が、「アソシエイトフェロー(有期雇用の非正規研究職)」だというのにモヤります
ちょうど今、真っ最中の自民党総裁選の中で、「雇用の流動性」の名の下に「解雇規制の緩和」を主張する候補者がいて呆れていたところなのですが、雇い止めのリスクを負う非正規雇用者や、解雇規制緩和後の正規雇用者には、現在の正規雇用者を上回る報酬や待遇を与えないと理屈に合わないと思う私です。

またまた話が逸れかかってる

奈良博の「ざんまいず」のような公式キャラクターは、他の国立博物館にもいます。
私にとってもっとも馴染み深いトーハクにはトーハクくんユリノキちゃんがいるし、

京博にはトラりんがいます。(写真は2017年1月に京都鉄道博物館で目撃したトラりんと同博物館のウメテツ)

じゃぁ、九博? なんですが、Wikipediaによれば、

公式キャラクターとして、自館所蔵作品である元行「針聞書虫」をモチーフにした「はらのむし」が存在する。

だとか。

でも、オリジナル公式ソング『はらのむし体操』とか、はらのむしグッズとか、ショートアニメ (かなりキモい)とかあるけれど、九博の公式キャラクターと言えるのだろうか…

う~む、どうしても話が逸れる

ま、奈良博の二つの展覧会は、なかなか楽しめました ということで、#2-5につづきます。

【追記】7日連続で記事をアップするのは久しぶりだよな、と、調べたら、20/3/9~15以来、4年半ぶりでした (2024/09/15 16:32) 

つづき:2025/09/16 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-5 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-3

2024-09-14 19:05:33 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-2」のつづきです。

 width=奈良国立博物館(奈良博)「泉屋博古館の名宝」展、前半は青銅器がメインで、「青銅器はちょっと…な私は、そうかそうか流し気味でした。

青銅器は、その造形自体がわたし的にイマイチなことに加えて、その名前が難しい、名前に使われている漢字が難しくてうんざりしてしまうのです。
写真は、この展覧会で唯一撮影可だったもので、お名前は「鴟鶚尊」
「しきょうそん」と読むらしく、「鴟鶚」とはフクロウのことで、フクロウをかたどった祭祀用の酒器らしい。
頭を取って、胴体にお酒を入れたんでしょうな。

「尊」という字は、とおといたっとぶといった意味を持っていますが、この場合は「酒器」という意味。
ちょいと調べたところ、こちらのサイトによると、「尊」は、

(手)と、(しゆう)(酒だる)とから成り、手で酒つぼを持ち、神にささげる、ひいて「たっとぶ」意を表す。

だそうな。

それはそうと、この「鴟鶚尊」を漢字変換するだけで結構な時間をかけてしまいました

出品目録をチラ見しただけで、

見たこともない漢字大襲来です

「鼎」なんてかわいい方で、(き)とか竊曲文(せっきょくもん)とか饕餮(とうてつ)とか(らい)とか、見るだけで虫酸が走る気分になってしまいます

青銅器の研究者たちは特別な変換ソフトを使って論文を書いているんだろうな…。
なお、本場の中共国では「竊曲文」「窃曲纹」と表記しているみたいです 現代の中共国民は日本人以上に漢字を読めなくなっているから仕方ないか…。

   

こうしてテンションが上がらないまま「第1章 中国青銅器-春翠の情熱-」を見終えた私でしたが、「第2章 仏教美術-春翠の審美眼-」に入ると様相が変わりました。

「泉屋博古館の名宝」展のメインビジュアルとして使われている「水月観音像」(徐九方筆、朝鮮半島・高麗 1323年)のなんと美しいことか

観音さま物憂げな表情といい、いかにも菩薩らしいきらびやかな装飾品といい、そしてなによりも、シアーというよりもシースルーのお召し物のなんとステキなこと

これまで私が拝見した仏画の中でもトップクラスの優品です

こりゃ床の間に飾って、毎日拝みたくなりますな

阿弥陀如来坐像も、平安時代(1130年)の仏像らしく、静謐感漂う穏やかな佇まいがよかったのですが、さすがにこちらは大きすぎて、わが家にお迎えするのが無理があります

   

ところで、私が知る少ない泉屋博古館の所蔵品で、「観られたらいいなぁと思っていた「佐竹本三十六歌仙絵巻」源信明(みなもとのさねあきら)」は、残念ながら出陳されていませんでした

まぁ、「中国青銅器」「仏教美術」という章立てだと、ハズレてしまうのもむべなるかな…

と思ったら、住友財団のHPによれば、

現状では、巻物を掛軸に改装したため、巻皺・折れが甚だしく本紙や絵具の剥落の可能性がある。また、住友家が誂えた表装も、近代における美術受容の様相を伝える貴重な資料であるが、損傷が見られる。本年度(2023年度)より2ヵ年計画で、表装切れの再利用を含めた修復を図る

だそうな。そりゃ仕方ない…
数百年間も「絵巻」として横に巻かれてきたものが、断簡になったら「掛軸」に装いを変え、今度は縦に巻かれるようになったわけで、にとってはたまらない仕打ちだろうな

それはそうと、美しく甦った状態「源信明」さま再会したい(私は2019年秋に 「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展@京都国立博物館で一度拝見)ものです。

ところで、京博での「佐竹本三十六歌仙絵」展を観た後のブログで、私は、

源信明:鈴木馬左也⇒住友吉左衛門=泉屋博古館

とその所有権移転を書いたのですが、Wikipediaほかでは、「絵巻切断(分割) & 頒布抽選会」「源信明」を引き当てたのは「住友吉左衛門」(=住友春翠)で、住友総理事鈴木馬左也さんは「藤原仲文」を引き当てたことになっています。
私は、展覧会の図録を元にして書いたのですが、この不一致はどうしたことなのでしょう
帰省Uターンしたら、もう一度図録を読んでみますが、もしかして、春翠さんと鈴木馬左也さんは、引き当てたくじを交換したのかも知れませんな
こういう「交換は他の断簡でもあったと聞くし…

なお、「佐竹本三十六歌仙絵」断簡全37幅のうち、1919年の頒布抽選会からずっと同じ系統の所蔵のままなのは、住友吉左衛門⇒泉屋博古館の「源信明」と、野村徳七野村美術館の「紀友則2幅だけです。
なんか凄い

と、またまた話が逸れたところで、「泉屋博古館の名宝」展の見聞録を終わりにして、西新館で同時開催されていた「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」に移動しましょう。
その話は「#2-4」で…

つづき:2024/09/15 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-4

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-2

2024-09-13 13:17:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-1」のつづきです。

正倉院正倉の外構(建物)を見物したあとは、せっかくですので、東大寺大仏殿にお参りしました。

まずは大仏殿の正面に立つ国宝・八角灯籠から。

この灯籠は、普通の灯籠に比べて、脚部(竿)が短くて、失礼ながら「胴長短足」に見えます。
思うに、巨大大仏さまと釣り合う灯籠にしようとすれば大きな火袋(火を灯す部分)が必要だけれど、さりとて馴染みのプロポーションにすれば火袋の位置が高くなりすぎて、火を灯すのが大変(加えて、せっかくの火袋のレリーフ見えない)という理由で、こんな形になったのかな? と推察します。
それはともかく、8面のうち4面にある「音声菩薩(おんじょうぼさつ)(笙、横笛、縦笛、チャッパからなるカルテット)イイんです

音声菩薩のお顔はふっくらされていて、「これぞ天平って感じです。よく判らんが…
(写真のチャッパ[鈸子]担当のレリーフはレプリカで、オリジナルは東大寺ミュージアムで展示されています)

現在の大仏さまの頭部は江戸時代初期に復興された4代目だそうで、もしかすると、創建時の大仏さまのお顔は、音声菩薩のように、ふっくらされていたのかもしれません。

大仏殿が炎上し、大仏さまが熔けてしまうような戦火に繰り返し見舞われながら、至近に立つ八角灯籠や、近くの正倉院1300年近くも残ってきたのが奇跡のように思われます。
なお、天平時代から残る東大寺の建築物としては、法華堂(三月堂)[訪問記]転害門[訪問記]があります。

大仏殿の中を一回りして、今回の東大寺探訪を終わりにし、次は、昼食前に奈良国立博物館(奈良博)を見物することにしました。

それにしても暑い

あまりにも暑いもので、来た道を返して奈良博に向かう途中、「東大寺門前 夢風ひろば」で、内部から体を冷やすべく、かき氷を食べました。

かき氷かき氷を注文したとき、お店のお兄さん曰く、「お客さんのうち、日本人は5%くらいかな?」だそうな

うんうん、確かにそんな感じがします
外国人にとって日本の仏像や古い建物どんな感じなのかは判りませんが、世界広しとはいえ、野生の鹿がうじゃうじゃいて、それがおとなしくて(たまには凶暴なのもいる)体に触らせてくれるなんて場所はそうそう無いでしょうから、得がたい体験ができますからねぇ

   

「#0」で書いたように、私は旅行の2日前、東京国立博物館(トーハク)に行き、「友の会」更新してきました(もちろん、総合文化展=平常展も観てきた)。
「友の会」(年間 税込7,000円)にはトーハクの特別展観覧券3枚ついてくるほか、

本会員証で、東京・京都・奈良・九州国立博物館の平常展を何度でもご覧いただけます。
京都・奈良・九州国立博物館各館が主催する特別展を、ご本人のみ何度でも、団体料金でご覧いただけます。

という特典があります(他にもある)
トーハクの特別展は、特別観覧券を使い切ってしまうと何の優待もないのはいかがなものか(かつての会員制度では団体料金で観られた)ですが、これまでも京都・奈良・九州国立博物館でこの特典を利用してきました。
さて、今回はどうでしょうか?

奈良博では「泉屋博古館の名宝」「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」の二つの展覧会が開催中で、これは特別展なのか、はたまた平常展なのか…

チケット売場「友の会」会員証をお見せしたところ、なら仏像館も含めて、無料でご覧いただけます」だそうな
やった トーハクに行って更新してきた甲斐があった でした

で、まずは「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」から拝見しました。

「第15代住友吉左衛門友純(雅号:春翠、1864~1926)のコレクションをはじめとして住友家伝来の美術品の保管、研究、公開を行う美術館」泉屋博古館(せんおくはくこかん)存在や所在地(銀閣寺に行く途中の路線バスがその前を通った)は私も知っていましたが、京都・鹿ヶ谷本館にも、東京のリニューアルした泉屋博古館東京にも行ったことがありません。

住友コレクション中枢をなしているという青銅器への関心が薄いのが、その一番の理由なのですが、せっかくの機会なんで楽しませていただきました。

まず驚いたのは、住友春翠こと住友吉左衛門友純さんの出自でした。
「友純」と書いて「ともいと」と読ませるところからやんごとないものを感じるのですが、Wikipedia にあるとおり、

東山天皇の5世孫である従一位右大臣徳大寺公純の第6子として生まれた。

だそうで、内閣総理大臣経験者の西園寺公望実兄とは
まさしく世が世ならば「公達(きんだち)ですな

徳大寺友純さんは、住友家当主父子が相次いで亡くなったことから、29歳1892年に請われて婿養子として住友家に入ったのだとか。

もちろん、当主とはいえ、実業経験のない「公達」ですから、住友家の運営は「番頭」格の人たちが担ったのでしょうが、Wikipediaによれば、現在の三井住友銀行につながる住友銀行が、「(1895年)11月1日住友本店銀行部として、住友吉左衛門の個人経営による資本金100万円の住友銀行が開業」だというのは初耳でした。

さらに、銀行業進出を決めた住友家の重役会議が尾道で開かれ、そして住友銀行の最初の支店「尾道支店」だったというのもまた初耳です

「どうして尾道?」なんですが、尾道が物流の要衝で、住友家の祖業の別子銅山からも住友本店のある大阪からも重役が集まりやすいということらしい。

ここで、15年前尾道に行ったとき[旅行記]旧住友銀行尾道支店の写真を撮ってたりしないかな? と思ったら、ありました

この建物を見たときは、何の建物か判らなかったんですよねぇ
まさか由緒正しい建物だったとは

なんとも「泉屋博古館の名宝 住友春翠の愛でた祈りの造形」展から逸れっぱなしですみません
ここで、住友家・住友春翠のことおしまいにして、「#2-3」からは展覧会のことを書きます

なお、住友コレクションを所蔵する美術館の名が「泉屋博古館」なのはなぜか、住友グループのトレードマーク「菱井桁」なのはなぜか、については、過去の力作「井桁と菱を調べてみた話」をご一読くださいませ。

つづき:2024/09/14 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #2-1

2024-09-12 12:31:22 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-6」のつづき、ここからは旅行2日目(8月30日(金))のあれこれです。

朝食前に、散歩という距離ではないけれど、京都駅八条口前にある喫煙所まで歩き、そこで一服しました。
東海道新幹線は始発から新大阪~東京運転見合わせになっているんだけど、京都駅の新幹線ホームには車両が止まっていました。

車両基地まで戻れなかったのかねぇ?
それにしても、青空皮肉です

前日、この竹田街道八条交差点で、とんでもない運転をするクルマを見かけました。
南北方向が赤信号右折可⇒が出ている状態で、から走ってきたアルファード右折車線を通って、信号待ちしている左折・直進車線のクルマたちを追い抜いて左折していったのです。
あんなのを初めて見ました
対向車がいなくてよかったんだけれど、少なくとも信号無視&通行区分違反で、4点&反則金18,000円です。
あのアルファードほど極端ではないにしろ、京都のドライバーの運転が荒い気がするのは私だけでしょうか?

   

私は、旅行のお楽しみホテルの朝ごはんを食べたあと、チェックアウト。
そして、奈良のホテルJR奈良駅前なので、近鉄ではなくJR京都9:37発みやこ路快速奈良に向かいました。

車内には多くの外国人が 
そして、この列車が稲荷駅には停車しないことがしきりに数カ国語でアナウンスされていました。
伏見稲荷に行きたい場合は、東福寺駅京阪電車に乗り換えるんですな。
そういえば、京都駅から奈良線の各停に乗って宇治まで行ったとき(記事)は、観光客らしい乗客のほとんどが稲荷駅で降り、車内は閑散となったっけ…

みやこ路快速に乗っている大勢の外国人旅行者たちはどこに行くのだろうかと思っていたら、半分くらいが宇治駅で降り、残り半分が終点の奈良駅まで乗っていました。
まぁ、そんなもんだろうな

さて、京都から約45分奈良に到着し、例によって、ホテルに行き、荷物を預かってもらいました。
そして、JR奈良駅前から路線バスに乗って奈良公園方面へ

バス乗り場も外国人だらけ
一時期、奈良や京都で聞こえてくる外国語は中国語かハングルばかりでしたが、欧米系の比率がかなり上がった印象です

それはともかく、どこに行く?

この時点でも、目的地として決めていたのは興福寺(とりわけ久しぶりの国宝館)だけで、まったくもって気ままな旅です
そして、とりあえずは東大寺に行くことにして、氷室神社・国立博物館でバスを降りました。

と、「なんとも奈良」な光景が

「置物ですか?」と聞きたくなるような見事シカです

シカだって日陰でをとりたくなる日差し強さと暑さです

東大寺大仏殿鴟尾の輝きまで暑そう

ここまで来て、久しぶりに正倉院を観に行こう と思い立ちました。
東大寺ではなく宮内庁が管理する正倉院、その外構が公開(無料)されるのは、奈良博恒例の「正倉院展」期間中(今年は10月26日~11月11日)を除けば、平日限定です。

いまや「平日こそ活動日」になっている私ですが (年休を取って正倉院の外構を観に行ったことがあったっけ…)、せっかくのタイミングですから、拝見させていただきましょう。

ということで、大仏殿前駐車場の縁を通って、途中の喫煙所で外国人観光客に混じって一服したあと、参道に出て、南大門をくぐり、大仏殿回廊右回りに迂回して、正倉院に向かいました。

そして大仏殿回廊北西隅からいつものよう南北通路を通って正倉院に行こうとすると、あれま

「史跡整備工事」のため近道通れない…
そういえば、昨年10月(MISIA PEACEFUL PARKのとき)に来た際、大仏殿裏手(北側)講堂跡周辺の整備を実施中だという看板を見ましたっけねぇ。

そんなわけで、さらに迂回して正倉院の正門の前を右折し、

「参観者出入口」に到着しました。

正門の脇に銅板葺き立派な、しかし真っ黒読めない説明板がありましたが(かつては説明板は白く、柵外からも読めた)、ご丁寧に、その内容が柵に掲示されていました。
曰く、

正倉院
正倉(校倉)はもと東大寺の宝庫で奈良時代に建造されたものである。
以来1200余年の間 聖武天皇の御遺物をはじめ数々の貴重な宝物がここに収められてきた。
現在宝物は防災設備を施した構内の新宝庫に移してある。
 平成13年 1月                  宮内庁

だそうで、東西二つある新宝庫のうち西宝庫が、正門の左手奥に見えました。

宮内庁のこちらのサイトによれば、二つの新宝庫のうち、整理済みの宝物を収納している西宝庫勅封されていて、「染織品を中心とした整理中の宝物と聖語蔵経巻が収納」されている東宝庫はそうではないらしい。
そして、毎年秋の点検(このタイミングで正倉院展が開催される)の際には勅使がやって来て勅封を解き、終わったら再び勅封するのだとか。(動画)

ちなみに、世にも名高い織田信長による正倉院宝物蘭奢待切り取りも、ちゃんと勅使を伴って奈良にやって来て事に及んだそうな

さて、正倉院正倉です

いつながら大きい いつもながら閑散としてる

写真で見ると「ちょっとした倉庫」のイメージなのですが、実際に目の当たりにすると大きい大きい
「正倉院展」のキッズサイトからを拝借するとこんな具合です。

それにしても、いつ写真を撮っても、暗く写って、せっかくの校倉見えないのはなぜ? (壁に露出を合わせると屋根が白く飛ぶ)

軒が深く壁が影になるからなんだけど、宮内庁のHPのような写真はどうやったら撮れるんだろ?

まだ日の低い朝のうちに撮るしかないのかな? (私が行ったのは11:20頃)

そんなことを考えているところで、「#2-2」につづきます。

つづき:2024/09/13 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-6

2024-09-11 10:09:53 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-5」のつづきです。

きのう、「#1-5」をほぼ書き終えて、下書きをいったん保存したあと仕上げを、と思ったところ、「本文に不正な書式が含まれています」とかで保存できず、かつ、記事後半が消滅してしまいました
気を取り直して、消滅した部分を半分ほど再び書いて、仮保存しようとすると、またもや同じ現象が起こって、描き直した部分が消滅

こんなことは、過去にも何度かあったんですが、昨夜はここで心が折れてしまい、中途半端なところで「#1-5」としてアップした次第です。

「不正な書式」がどの部分なのか教えてくれればいいのに、なんて不便なんだろ。
日が変わったことでもう一度気を取り直し東本願寺のところから書き始めます。

   

私が東本願寺にお参りするのは、20113(記事)202012(記事)につづいて今回が3回目です。
過去2回は、共にMISIAのライヴ絡みの遠征はずだったのですが、2011東日本大震災2020MISIAの落馬事件ライヴが中止になったという「空振り遠征でした。
もちろん今回はMISIAとは何の関係もありません

さて、私は、備え付けのレジ袋に入れた靴を持って、御影堂にお参りし、ついで、渡り廊下(造り合い廊下)を通って、となりの阿弥陀堂に移動しました。

きまりが変わったのか、私が気づかなかっただけなのか判りませんが、東本願寺では、堂内での写真撮影OKでした。

おことばに甘えまして、キンキラキン内陣を撮影。

説明板によりますと、

阿弥陀堂の内陣は、「仏説阿弥陀経」の世界を表現するため、天井から柱にいたるまで金色に荘厳されている。
また、御本尊・阿弥陀如来の左右には、法然上人をはじめとする七高僧聖徳太子の御影像が掛けられている。

だそうです。
別邸の仏壇キンキラキンなのも同様の理由なんだろね
そして、阿弥陀如来像に向かって右奥に掛けられている聖徳太子の御影像は、うちにも掛軸がある「孝養像(きょうようぞう:みずらを結った若き聖徳太子が柄香炉を持って立っている図象)」でした。

阿弥陀堂にお参りしたあとは、「お買い物広場」で別邸用の線香を買い、阿弥陀堂門を通って外に出ました。

買ってきた線香がこちら。

けさ、うちの仏壇に線香をあげて気づいたのですが、この線香3年半前に東本願寺から買ってきたものと同じでした この香り私の好みということなんでしょ
「線香が短いとお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、浄土真宗では、火をつけた線香を香炉に寝かすしきたりなので、一般家庭用にはこの長さがイイのです。

   

東本願寺へのお参りを終えた私は、烏丸通をた~らた~ら「下がり京都駅の自由通路から八条口に抜けて、喫煙所で一服したあと、コンビニお茶缶ビールを仕入れ、そして、ちょいと早めながら、ホテルにチェックインしました。

シャワーを浴びてスッキリしたところで、TV台風10号の動向をチェックしながら、東京駅で買ってきた「国技館やきとり」をつまみに、ちょいと早い晩酌を楽しみました

台風10号は相変わらずトロトロ動いていて、東海道・山陽新幹線は、広島以西名古屋~三島運転見合わせとな
さらに、翌30日もこの区間での運転見合わせになることが発表されていました。

さて、缶ビール2本「国技館やきとり」で私のお腹は落ち着いてしまい、いつも難関になっている「京都での夕食」に出かける気が薄れてしまいました。

そこで、「551 HORAI」豚まんコンビニおにぎりで済ませちゃおうと、京都駅へ。

以前は、京都駅の新幹線中央口に向かい合っていた「551 HORAI」の店が、いつのまにやら新幹線中央口の隣に引っ越していました。
そしていつもなら乗る新幹線の出発時刻を気にしながら長い行列に並んでいるのに、この日は行列が短い
代わって、新幹線中央口には出張や旅行の人たちが大勢群れていました。

東京には新幹線で行けなくなってしまった人たちは、結局どうしたんだろうな
私にとっては他人事ながら、同情を禁じ得ないまま、豚まんを買い(京都駅の 551 HORAIでは豚まんは蒸したてのみ販売)、コンビニおにぎりと追加の缶ビールを買って、再びホテルで部屋飲みしました。

そうこうしているうちに、JR東海から、30日は始発から新大阪~東京間での東海道新幹線の運転を見合わせるとともに、「8月31日~9月2日にかけても、全線もしくは一部区間で、計画運休長時間にわたる運転見合わせ等を実施する可能性があるという発表がありました

あれまぁ あさって31日に新幹線で帰れるのか

なんですが、ジタバタする意味も意義もありませんので、とりあえず、京都に来られて、目的の「村上隆」展を観られたことを喜びつつ、関西旅行初日を終えたのでした。

つづき:2024/09/12 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #2-1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風に邪魔されながらの関西旅行記 #1-5

2024-09-10 21:21:28 | 旅行記

「台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-4」のつづきです。

京都市京セラ美術館を後にした私は、とりあえず、近くのセブンイレブンSDカードを買うことにしました。
ここまで写真はすべてスマホで撮ってきましたが、せっかくデジカメを持ってきたのですから、デジカメを使いたいよね。PCカードリーダーも持ってきていますので、安価な小容量のSDカードで構わないですから。
で、陳列棚からSDカードの商品タグ(万引き防止用)を取ってレジへ。
ところが、店員さんがレジ裏の棚をゴソゴソ探してもSDカードが見つからないみたいです。セブンイレブンともあろう店が、雑な在庫管理をしているものだ と呆れかけたら、「すみません、在庫を切らしていまして」だと。
ふつう、商品タグの枚数と在庫とは一致しているものじゃないのかな?

まぁ、コンビニはここだけではないし、京都駅前まで行けば、ビックカメラ閉店したけれどヨドバシカメラはあるので、「じゃぁ結構ですと店を出ました。

そして、東山駅近くのローソンでは、無事にSDカードを購入でき、さっそく、店の前のベンチ(?)デジカメにセットしました

   

平安神宮から南に伸びる神宮道三条通との交差点付近は「粟田口」と呼ばれる地域で、東海道・中山道からの京都の入口です。東海道の起点・三条大橋まで数百mの地点。
私にとって「粟田口」は中世の関所というよりは、日本刀の名産地としてのイメージが強いのですが、東山駅の階段を下りていると、こんな広告が目に入りました。

う~む、歴史と伝統を感じます

でも、東山駅での広告はこちらが好き

それはそうと、京都の地下鉄の駅は、東京の地下鉄の駅に比べて、エレベーターやエスカレーターが極端に少なくて、とってもバリアフルが気がします。
京都の人は不便に感じないのかな?

   

この旅行の京都での行動は、「村上隆」展以外に予定を立てておらず、さぁどうしよう? だったのですが、久しぶりに東本願寺に行ってみることにしました。

来た時と逆に、烏丸御池駅地下鉄東西線から烏丸線に乗り換え、京都駅の一つ手前の五条駅を降りてちょいと歩けば、東本願寺です。
ものの見事な北東角の鬼門除けを見て(こちらの記事をご参照方)、巨大な御影堂門をくぐると、宗祖親鸞聖人をおまつりする御影堂(ごえいどう)です。

大きく壮麗な建物です。

正面76m、側面58m、高さ38mの規模をもつ世界最大級の木造建築物で、2019年に国の重要文化財に指定されています。

だそうですが、「世界最大級の木造建築物」といえば、東大寺大仏殿を思い浮かべますよね。
調べると、東大寺大仏殿は、「正面約57m、奥行き約50m、高さ約48mだそうですから、確かに、高さを除いて御影堂の方が大きい
なお、創建時及び鎌倉再興時の東大寺大仏殿「正面約88m、奥行き約52m、高さ約47m」という破格の大きさだったそうです。

という中途半端なところですが、記事を書き上げて保存しようとすると、「本文に不正な書式が含まれています」が頻発して先に進めませんので、不本意ながら、以下は「#1-6」につづきます。

つづき:2024/09/11 台風に邪魔されながらの関西旅行記  #1-6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする