新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年二度目の関西旅行記(その26)完結編

2015-12-31 14:26:45 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「今年二度目の関西旅行記(その25)奈良編⑥」のつづきは、ようやく完結編「奈良に行ったらここは外せない」興福寺の探訪記です。

興福寺中金堂の復元工事は順調に進んでいるのでしょうか? 落慶「平成30年」(2018)だそうですから、遠くありませんなぁ。楽しみです

さて、私が興福寺に出かける一番の目的は、国宝館八部衆の皆さんを拝見することでして、今回もお会いしてきました。

ですが、今回のテーマは、当日のダイジェスト(書いたのは2日後ですが・・・)で、

この天燈鬼・龍燈鬼立像をしげしげと拝見して、重大問題を発見したのですが、これは本編で書きましょう

思わせぶりにしておいたこと。

この「重大問題というのは、天燈鬼右側古典的ソバ屋の出前のように灯籠を左肩に乗せた阿形像)のです。天燈鬼・龍燈鬼とも、二本上を向いておりまして、口を開けた天燈鬼の口元を描いた私のつたない スケッチ&メモを載せますと、、

普通に考えると、上を向いた牙なら下あごに、下を向いた牙なら上あごに生えているはずなのですが、天燈鬼の場合、上あごに、牙だけ上を向いて生えているのですよ

ネットで見つけてきた写真 をアップして見ますと、

ね、でしょ?これは八重歯なんて次元ではなく、とてつもなく酷い歯並びです歯根はどんな風になっているんだろか U字形になっているのかねぇX線撮影画像を見たいゾ

これまで何度もを拝見してきた天燈鬼・龍燈鬼立像でしたが、これに気づいたのは初めてでした。

よく考えてみれば下あごからが上向きに生えていたとしてら、口を開けた状態では目立ちません
もしかすると、作者と考えられている法橋庚弁は、を効果的に見せようとして、こんな不自然な牙の生え方にしたのかもしれません。

   

こうして、興福寺を以て「今年二度目の関西旅行」の目的地をコンプした私は、近鉄電車に乗って帰宅の途につきました。

途中、富士山が夕闇の中にかすかに見ることができました

上の写真には、富士山シルエットになって写っていますが、写真の露出を調整した結果でして、肉眼ではほとんど見えませんでした

あ、そうだ

当日のダイジェスト(前編)で、

またもや遭遇した電車のトラブルのことは「後編」に廻すことにして、お風呂に入ります

と書いたままほっぽっていたことを思い出しました

この日、10月12日の昼下がり、JR埼京線不通になっているという情報が入ってきました

通常ならば、「東京駅⇒上野東京ライン⇒赤羽駅⇒埼京線⇒自宅最寄り駅」というルートを使うのですが、埼京線が不通なら別のルートを考えなくてはなりません。
でも、私が東京に着く頃には、埼京線復旧しているだろうと思っていたのですが…。

このトラブルは、埼京線湘南新宿ライン貨物列車などが共用している「池袋駅⇔新宿駅」間(もともとは貨物専用線)で、貨物列車が故障で立ち往生してしまったという珍しいトラブルでした。

結局、埼京線湘南新宿ライン運休は延々と7時間もつづき、全面復旧したのは午後7時50頃のこと
私も影響を蒙りまして、

東京駅⇒京浜東北線⇒南浦和駅⇒武蔵野線⇒自宅最寄り駅

というルートで帰宅しました。
ちょっとは被害があったものの、「大勢に影響なし」は、旅行2日目の南海電車のトラブルと同じ。

こうして、今年二度目の関西旅行を終えたのでございました。

   

ふぅ~、書き終えた

来年にまでずれ込んだら、シリーズのタイトル替えなきゃならないところでしたから、よかったよかった・・・

ということで、この記事をもって今年のブログ書き納めです。
今年も駄文の連続で失礼いたしました。 m(_ _)m
来年もよろしくお願いいたします。

それでは、良い年をお迎えください

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2015年の美術館・博物館めぐりの振り返り

2015-12-30 09:48:21 | 美術館・博物館・アート

このブログの「12月30日の定番ネタ」といえば、その年の美術館・博物館めぐりの振り返りでございまして、今年も書きます

ちなみに、これまでの「振り返り」は以下のとおりです。
2010年2011年2012年2013年2014年

   

さて、今年でかけた展覧会・常設展・その他施設合計58展・箇所から選んだTOP 3は以下の3展でした

ベスト・オブ・ザ・ベスト @ブリヂストン美術館 [記事]

「お持ち帰りしたい作品」(もちろん妄想)を選んだら、10点もピックアップされてしまったという希有な展覧会
石橋コレクションの凄さに圧倒されました。そして、これまでブリヂストン美術館に行ったことがなかったことを後悔…。
早くも美術館の新築オープンを心待ちしてしまいます。

ダブル・インパクト @東京藝術大学大学美術館 [記事]

見どころ満載の展覧会でした。中でも、柴田是真「千種之間天井綴織下絵」は掘り出し物
ポスターの印象から、あやうく見落とすところでしたよ…

すごいぞ、これは! @埼玉県立近代美術館(MOMAS) [記事]

これほど「有名でない」アーティストの作品群を鑑賞して、こんなの観たことない と、『常識』を覆す作品の連発で、私の から何枚のウロコが落ちたことか・・・なんて、そうそうあるモンじゃない

2015年のTO3

   

つづいて、「次点は以下のとおり。

みちのくの仏像 @東京国立博物館(トーハク) [記事]
山口晃展 前に下がる 下に仰ぐ @水戸芸術館現代美術ギャラリー [記事]
大阪万博1970 デザイン・プロジェクト @国立近代美術館
燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密 @根津美術館 [記事]
没後10年 ロバート・ハインデル展 @そごう美術館 [記事]
舟越保武彫刻展 -まなざしの向こうに @練馬区立美術館 [記事]
旅と芸術 @MOMAS

2015年の「次点」

また、常設展や各種施設で印象深かったのは以下のとおりです。

トヨタ産業技術記念館 [記事]
秋田城趾 [記事]
常楽寺 八角三重塔 [記事]
善光寺 参道と内陣
旧制高校記念館
旧開智学校
神長官守矢史料館と藤森照信のパブリックアート [記事]
尖石縄文考古館 [記事]
首都圏外郭放水路 庄和排水機場 [記事]
高野山 壇上伽藍奥之院 [記事]

こうしてふり返ってみると、欠かさず出かけているトーハク特別展で好印象を持ったものが極めて少ない・・・
「インドの仏 仏教美術の源流」[記事]は、トーハクのコレクションで十分な感じだったし、「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」[記事]あまりの人出落ち着いて見られなかったし、「クレオパトラとエジプトの王妃展」「始皇帝と兵馬俑」[記事]ピンとこなかったし、「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」は私の興味の対象から外れていたし・・・といった具合でした。
「インドの仏 仏教美術の源流」「アート オブ ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」場合は、展示されている作品より会場となった表慶館の方が見ものだったりして。。。

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今年二度目の関西旅行記(その25)奈良編⑥

2015-12-30 09:22:09 | 美術館・博物館・アート

「今年二度目の関西旅行記(その24)奈良編⑤」のつづき、というか、「その24」大々的に書き漏らしたことがありましたので、「その24」補遺的記事を書きます。

去年、東京国立博物館(トーハク)で開催された「日本国宝展」には、唯一の「国宝建造物」として真言律宗 元興寺所収の「五重小塔」が出展されました。

「建造物」が、出張して博物館・美術館の館内に展示されることって、そうそうある話ではない、っつうか、普通はあり得ないことです

そのいきさつがトーハクのブログ「1089ブログ」「国宝五重小塔出品ものがたり」として載っていまして、これが面白い

そもそもの発端が、

昨年2013年の春、日本国宝展ワーキンググループが、共催者をまじえ展示作品の検討を行っていた時のこと。グループの田良島(当館調査研究課長)が、「美術工芸品だけでなく、建造物の国宝というのはどうだろうか?」との言葉を発したのがきっかけとなり、元興寺の五重小塔が候補として浮かび上がります。

というのがイイねぇ~

そして、「五重小塔」トーハクの「日本国宝展」で展示するためには、当然、所有者である真言律宗 元興寺了解が必要なわけですが、そこから先がまた大変だった由。

一方で国宝の建造物を展覧会に出品するということに対し、奈良市や奈良県の教育委員会の文化財保護担当、そして国(文化庁)の建造物担当にも、ご理解をいただかなければなりません。関係者と協議を進め、国に対して「国宝の現状変更」を申請するということになりました。小塔といえど建造物の国宝。建造物は美術工芸品と違って「不動産」であるため、展覧会に出品するという行為が現状変更に当たるという考え方です。担当者とのやりとりを繰り返し、解体、梱包、輸送、展示の計画書やタイムテーブル、画像などを揃えて書類を整え、元興寺から奈良市、奈良県を経由し文化庁に申請書類が提出されました。この案件が国の審議会に諮られ、今年3月15文部科学大臣への答申で、日本国宝展の出品にかかる現状変更が許可されたのです。

展覧会への出品に、審議会の答申文部科学大臣の許可が必要だったとは、、、、、
学芸員さんも大変ですなぁ。

こうした「手続もさることながら、解体⇒輸送⇒設置⇒展示⇒解体⇒輸送⇒設置という作業もまた技術と細心の注意が必要だったことでしょう。

「日本国宝展」での展示作業の様子が動画でアップされていますので、是非ご覧くださいませ。

遅まきながら、関係者の皆様のご努力と熱意に拍手をおくりたいと思います。

つづき:2015/12/31 今年二度目の関西旅行記(その26)完結編

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今年二度目の関西旅行記(その24)奈良編⑤

2015-12-29 18:16:04 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その23)奈良編④」のつづきです。

奈良町には二つの元興寺があるわけですが、元興寺もう一つあるという見方があります。

「第三の元興寺」というか、元興寺「ご本家」は、明日香村にある飛鳥寺です。

飛鳥寺(上の写真は8年半前に撮ったもの)は、今でこそお堂一つだけの小さなお寺ですが、6世紀末蘇我馬子氏寺としてたてた日本初の本格的な仏教寺院=法興寺の流れを引いています。

権勢を誇った蘇我氏(宗家)は、大化のクーデター「乙巳の変」滅亡しましたが、法興寺(飛鳥寺)は、Wikioediaの記述を借りれば、

大化の改新による蘇我氏宗家滅亡以後も飛鳥寺は尊崇され、天武天皇の時代には官が作った寺院(官寺)と同等に扱うようにとする勅が出され、文武天皇の時代には大官大寺・川原寺・薬師寺と並ぶ「四大寺」の一とされて官寺並みに朝廷の保護を受けるようになった。(中略)飛鳥寺がこうした庇護を受けた背景には、同寺が当時の日本における仏教教学の研究機関としての機能を有した唯一の寺院であり、朝廷創建の大官大寺や薬師寺をもってこれに代わることができなかったとする説がある。

として存続しつづけたそうです。
そして、平城遷都と共に、薬師寺興福寺(厩坂寺)など一緒に藤原京(飛鳥)から平城京(奈良)引っ越したという次第。

元興寺は、猿沢池の南側に、東大寺よりは狭いけれど、興福寺に勝るとも劣らない大伽藍を構えていた(こちらのサイトをご参照方)そうですが、現在は「ひさしを貸して母屋を取られる」的に、奈良町の町家に囲まれていました。

   

真言律宗 元興寺には、元興寺極楽堂元興寺禅室の他、もう一つの国宝建造物があります。
それは、真言律宗 元興寺収蔵庫というか宝物館という位置づけの「法輪館」の内部で展示されておりまして、私にとっては、去年12月東京国立博物館「日本国宝展」以来、3回目(日本国宝展には2行きました)の拝見となった、

「五重小塔」です。

トーハクのサイトから引用しますと、

組物や内部まで忠実に実物の塔と同じ技法で組みあげられた塔。高さは5メートル50センチ。細部の寸法から、実際の塔の十分の一というサイズを意識して制作されたとも考えられています。本展覧会では唯一の、建造物の国宝です。

ということで、一見、模型のようでありながら、国宝のジャンルとしては「建造物」扱いなのだとか

登録名称「元興寺極楽坊五重小塔」は、法輪館の吹き抜けに展示されていまして、同じ地平から拝見するだけでなく、2階からも拝見することができました。
そして、地べたからは判らなかったことが見えてきました

それは、屋根の傾斜がとても緩やかなこと。

そういえば、薬師寺の再建された西塔の屋根が、天平時代から現存する東塔の屋根に比べて緩やかでしたっけ…

と、法輪館2にこんな解説がありました。

左に見える元興寺五重小塔の屋根の勾配は、きわめて緩く、屋根に厚みがないことに気づかれると思います。古代(飛鳥~奈良時代)の建築はすべてこのような屋根をしていましたが、雨漏りが激しいのと、軒が深いために軒先のたるみが激しいという難題がありました。
古代末期に至り、この問題は野小屋を組むという技術革新で解決しました。その結果、勾配は急になり、屋根に厚みができ、建物は少し高くなりました。

だそうです。
「野小屋を組む」という、馴染みのない表現が出てきますが、要は、屋根の骨組みを二重にする工法のようです(こちらのサイトをご参照方)。

それは理解できるとしても、薬師寺の東塔と西塔の違いはどこから生じているのでしょうか?

薬師寺「公式見解」(?)は、こちらのサイトによれば、

西塔は昭和56年(1981)に落慶しました。今に残る東塔と形が少し異なるのは、西塔は寺に残る史料により、創建時の形を忠実に再建したのです。それに対し東塔は、8世紀から今日に至るまで幾度となく改修が繰り返され、創建時の形とは異なってきているのです。東塔の屋根の形も最初は西塔の形だったんですよ。

だそうで、極めて説得力のある説明です

勉強になりますなぁ~

ところで、蘇我氏氏寺の流れを汲む元興寺と、蘇我氏を滅ぼしたクーデター勢力の一角:中臣(藤原)氏氏寺興福寺が隣り合っていたわけで、わだかまりのようなものはなかったのでしょうかねぇ…
興福寺ときたら、蘇我氏一族でありながらクーデターに加わった蘇我倉山田石川麻呂が建立した山田寺からご本尊を奪ったという悪行もしでかしているし…

そんなことを考えながら、「今年二度目の関西旅行」最後の目的地:興福寺へと向かったわたしでございました。

つづきというよりも補遺版2015/12/30 今年二度目の関西旅行記(その24)奈良編⑥

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今年二度目の関西旅行記(その23)奈良編④

2015-12-28 17:32:17 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その22)奈良編③」のつづきです。

西ノ京駅から近鉄電車を乗り継いで近鉄奈良駅まで行った私は、もちいどのセンター街昼食を摂って、奈良町へと向かいました。

奈良町を歩くのは、去年のゴールデンウィーク(記事はこちら)以来2度目でして、かのブラタモリ奈良を取り上げたときには、おぉ、行った行った奈良町物語館元興寺金堂礎石を)見た見た盛り上がったのですが、

ブラブラ足跡マップ

二つある元興寺に面食らった思い出が蘇りました

そして、今度こそは「真言律宗 元興寺」に行くぞ と心に誓って、今回は事前に地図を用意して、「真言律宗 元興寺」に向かったのでありました。

そして、道に迷うことなく、前回訪れた「華厳宗 元興寺」Googleマップでは「元興寺塔跡」と表示)から100mくらいしか離れていない「真言律宗 元興寺」(同、「元興寺(極楽坊)」と表示)に到着

そして、国宝「元興寺極楽堂」の正面です。

端正で、バランスがとれていて、なかなかステキなお堂です。
ただ、屋根が変・・・

横から見ると、普通の寄棟造なんですが、普通のお寺ならば、屋根の頂点が直線に見える側が正面なのに、

元興寺極楽堂違います

どうしたことかと思ったら、Wikipediaで解説されていました。

寄棟造、瓦葺で、東を正面として建つ(東を正面とするのは阿弥陀堂建築の特色)。この建物は寄棟造の妻側(屋根の形が台形でなく三角形に見える側)を正面とする点、正面柱間を偶数の6間とし、中央に柱が来ている点が珍しい(仏教の堂塔は正面柱間を3間、5間などの奇数とし、正面中央に柱が来ないようにするのが普通)。

だそうです。
やはり珍しいんだ…

珍しいといえば、元興寺極楽堂と、お隣の国宝「元興寺禅室」は、屋根の瓦見ものでした

元興寺禅室の瓦が、左右で違うことがお判りでしょうか?

元興寺禅室の屋根

丸瓦の並びが、左(西側)のぺぇ~としているのに対して、右(東側)ウロコのように段々になっています。

左(西側)は、丸瓦が重なる部分が段差にならないように、丸瓦自体に段差をつけた普通の「本瓦葺」で、右(東側)は、上を細く、下を太くした瓦を用いた「行基葺」という工法で葺かれています。
工法としては「行基葺」古いのですが、この元興寺(極楽堂&禅室)の場合、工法だけでなく、使われている瓦も、

屋根瓦の一部にも飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されている (Wikipedia)

のだそうです
1400年以上もの間、日光・風雨に晒されながらも、まだ実用に耐える瓦を焼いた職人さん良い仕事をしたんですなぁ~

それにひきかえ、「その22」で書いた、唐招提寺御影堂(旧興福寺一乗院門跡)の移築を施工した業者ときたら…

話を蒸し返したところで、きょうはここまで

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今年二度目の関西旅行記(その22)奈良編③

2015-12-28 09:03:01 | 旅行記/ニュース

「今年二度目の関西旅行記(その21)奈良編②」のつづきです。

国宝「鑑真和上坐像」が祀られている御影堂は、もともと興福寺の由緒ある塔頭「一乗院」の建物だったそうで、門前の説明板を転記しますと(旧字のままで失礼します)、

當寺 鍳真大和上の尊像(国宝)を奉安する為に壱千貮百年御諱を記念して 昭和三十七年旧興福寺一乗院門跡の宸殿 殿上 公所 玄関等の建物を 移築後復原したものである
この建造物は慶安年間(一六四七)の再建であるが よく平安中期貴紳邸宅の系統を汲む塔頭建築として貴重な遺構である為 重要文化財に指定されている

とのこと。

唐招提寺 御影堂

移築されて50年ちょっとと、唐招提寺1250年の歴史からすると、ホントに新しい存在なのですが、私が唐招提寺を訪れる前日の産経のサイト「鑑真さんのお堂ピンチ! 奈良の唐招提寺、雨漏り、地盤沈下 奈良県が緊急調査・修理へ」という記事が載っていました。(私が知ったのは旅行から帰って後のこと

3年ほど前から雨漏りするようになり、寺は応急措置で対処してきた。また、土を盛った傾斜地に移築されたためか、玄関付近など地盤沈下している場所も。事情を聴いた県文化財保存事務所は、地盤や屋根などを詳しく調べ、耐震調査も行うことを決めた。

なんだとか

さらに、去年春奈良新聞の記事によれば、

同寺によると、移築時に池を埋めた造成工事が不十分だったため、近年、石材が沈み込んだり床が傾くなど、地盤沈下とみられる被害が発生。屋根も平成23年の台風12号豪雨で大規模な雨漏りがあり、仮設の覆いを設置するなどして対応してきた。本格的な修理の必要が指摘されていた。

だそうです。
「造成工事が不十分だったとは、なんてお粗末な話なんでしょ
当時の責任者・施工業者、出てこい ってヤツですな。

既に先月末に修理前の特別公開を終えたようで、 修理期間中は、

修理期間中、鑑真和上坐像は境内での安置を検討。日本画家の東山魁夷さんが描いた堂内のふすま絵についても保管場所などを検討している。(奈良新聞)

だそうですから、もしかすると、唐招提寺以外の場所も含めて、国宝「鑑真和上坐像」東山画伯作の襖絵を拝観できる機会があるかもしれません。
期待しています。

   

鑑真和上の御廟周辺は、相変わらずステキでした

しっかりと手入れされていることが感じられるモコモコの苔に覆われた地面のアンジュレーションがキレイ

そして、開山御廟は、前日訪れた弘法大師御廟とは対照的にひっそりしていたけれど、心が鎮まる特別な空間でした。

現世の成功や喜びも大事ですが、死してなお、このように後世の人々に慕われて讃えられることって、究極の幸福じゃなかろうかと思ったりして…

それにしても、唐招提寺いいスポットです。

お寺の佇まいに加えて、西ノ京駅からお寺までの道筋ひっそりとしていて、心身のリフレッシュ最高の場所だと思います。

大好き奈良でも、一番のお気に入りかもしれません。

つづき:2015/12/28 今年二度目の関西旅行記(その23)奈良編④

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今年二度目の関西旅行記(その21)奈良編②

2015-12-27 20:49:39 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その20)奈良編①」のつづきは、司馬遼太郎さんが、

奈良はある意味では、長安の都が冷凍保存された存在ともいえる。

と書いた奈良の中でも、唐の長安をお手本に造られた平城京の建物が移築されているという唐招提寺のお話です。

唐招提寺 講堂

今回の唐招提寺訪問の一番の目的は、

年間通して数日(例年6月5, 6, 7日の3日間)しか開扉していない国宝の和上像に代わって、毎日参拝していただく目的で平成25年に制作した

という、鑑真和上像「御身代わり像(おみがわりぞう)を拝ませていただくことでした。

いつもは、御影堂東山魁夷画伯の筆になる襖絵に囲まれて安置されている鑑真和上像

唐招提寺 御影堂

私は東京国立博物館でお目にかかったことがありますが、「例年6月5, 6, 7日の3日間」に唐招提寺までやってくることなんぞ、簡単にできることではありません。

そんな「一般庶民への配慮というか何というか、唐招提寺「年間数日しか開扉しない国宝の和上像に代わって、毎日参拝していただく目的」で、「鑑真大和上1250年御諱(ぎょき)記念事業」として、当時の手法(脱活乾漆造)のままに「御身代わり像」を制作して(担当は美術院国宝修理所)、2013年6月から開山堂で公開しています。

残念ながらガラス越しで、かつ撮影禁止ながら、「御身代わり像(おみがわりぞう)を拝んで、次は、前回同様、鑑真和上の御廟にお参りすることにしました。

と、開山堂の瓦に目を惹かれました。

どうしてここに「三つ葉葵」?

その答は、唐招提寺のHPに書かれていました。

開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため現在の位置へ移築されました。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として参拝されていましたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25年(2013)、大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶致しました。

だそうです。高野山には、今回は拝観しなかったけれど徳川家霊台があったし、東大寺には、かつては東照宮だったという天皇殿があるし(こちらの記事をご参照方)、さすがは天下を獲っただけのことはありますな。

ただ、明治維新後は、東大寺でも唐招提寺でも「接収されてしまったというのが、平家物語冒頭の一節を思い起こさせて、「あはれです。

つづき:2015/12/28 今年二度目の関西旅行記(その22)奈良編③

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いつも赤信号な交差点 2015年4Q

2015-12-25 23:58:19 | タウンウオッチング

私は早くもきょうから年末年始休暇に突入いたしました。

したがいまして、昨夜をもって、今年のクルマ通勤無事故無違反めでたく終了したわけです。

と、なれば、恒例の「いつも赤信号な交差点」シリーズ2015年4Q(10~12月)編です。

まずは、今年10~12月のランキング(n=49)から行きましょう。
( )内は前期2015年3Q(7~9月)(記事はこちら)、[ ]内は前年同期2014年4Q(記事はこちら)のランキングです。

 








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土支田 (笹目)
世田谷清掃工場前 (環八)
千歳台 (環八)
有馬病院入口 (R246)
環八神明通り (環八)
梶ヶ谷 (R246)
有馬四丁目 (R246)
江田駅前 (R246)
中の橋 (環八)
東電荻窪支社前 (環八)
97.7%
91.8%
89.8%

72.9%
72.2%
66.7%

63.0%
58.5%
56.4%

54.2%

ちょうど暦年の区切りですから、2015年通年(n=186)2014年通(n=181)を比べてみましょう。

 








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土支田 (笹目)
千歳台 (環八)
世田谷清掃工場前 (環八)
有馬病院入口 (R246)
江田駅前 (R246)
梶ヶ谷 (R246)
環八神明通り (環八)
中の橋 (環八)
瀬田郵便局前 (環八)
つくし野 (R246)
94.3%
86.6%
85.3%

61.2%
55.9%
55.3%

53.9%
52.1%
50.7%
50.0%

交差点名のは、「十中八九、赤信号」「3回に2回以上は赤信号」「赤信号率55%以上」を示しているのですが、四半期ランキングでは必ず2つ3つはある「3回に2回以上は赤信号」が一つもなく、元祖「いつも赤信号な交差点」ともいうべき「土支田」「千歳台」「世田谷清掃工場前」安定した赤信号ぶり(?)が際だちます
なにせ、3位「世田谷清掃工場前」(85.3%)4位「有馬病院入口」(61.2%)とは、24ポイント以上の差がついているのですから

ちなみに、オールタイム(2010年10月25日~)のランキングは、ほとんど2015年9月末時点と同じでした(1~9位が前回と同じ順位)。
そりゃそうだよねぇ、これだけ母数(n=586)が増えてくれば…

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土支田 (笹目)
千歳台 (環八)
世田谷清掃工場前 (環八)
環八神明通り (環八)
梶ヶ谷 (R246)
有馬病院入口 (R246)
中の橋 (環八)
つくし野 (R246)
有馬四丁目 (R246)
江田駅前 (R246)
94.1%
85.0%

77.1%
59.5%
58.1%
57.6%
56.0%

52.6%
52.1%
50.0%

    

「いつも赤信号な交差点 2015年3Q」で、

第4四半期(10~12月)は、年間を通じてもっとも渋滞が多い年末期が含まれます。
気長安全運転に努めます

と書いたんですが、実際どうだったかといいますと、、、

  区間 距離 2015年4Q 2015年3Q 変化
  R246区間 20.0km 29分24 29分08 + 16秒
  環八区間 13.4km 25分18 27分30 ▲2分12秒
  笹目通り区間 8.0km 14分00 14分44 ▲ 44秒

 あれぇ~ 意外な結果が出ました

 昨日の夜は、クリスマス・イブだったこともあってか、R246区間34分15秒環八区間40分20秒笹目通り区間16分05秒と、軒並みひどい渋滞だったんだけど…。

それでもまぁ、冒頭にも書きましたように、無事故・無違反1年でしたからめでたしめでたし です。

つづき:2016/04/02 いつも赤信号な交差点 2016年1Q

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今年二度目の関西旅行記(その20)奈良編①

2015-12-22 22:37:01 | 旅行記

「今年二度目の関西旅行記(その19)高野山編⑫」のつづきは、関西旅行最終日の奈良編です。

今回の関西旅行の計画を立てつつある段階で、最終日には奈良に出かけることに決めていました。
ここ数年、毎年欠かさずに出かけている奈良去年のゴールデンウィーク(記事はこちら)以来、ご無沙汰していましたので…

で、だいぶ土地鑑がついてきた奈良、きっちりと予定を組み上げるのではなく、とりあえず元興寺興福寺(国宝館)だけは外せないだろなと考えておりました。

そんなユルユル奈良探訪でしたので、当日のダイジェストで書いたように、急に思い立って 唐招提寺を再訪したのも、アリです。

でも、時間に限りがあるわけで、ある意味唐招提寺の隣り」薬師寺遠景止まり。

遠からぬ時期に、また薬師寺に出かけてみたいゾ

と、「奈良編」が始まったばかりですが、今夜はこれまでにします。

さっき、ゆず湯に浸かってきたら、あまりにもほっくりと気持ち良いし、明日も仕事なもので…

つづき:2015/12/27 今年二度目の関西旅行記(その21)奈良編②

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紅白歌合戦 曲目決定!!

2015-12-21 23:04:40 | MISIA/テレビ番組

きょう、NHKが、今年の紅白歌合戦で歌われる曲目を発表しました。

私としましては、当然のように気になるのは、MISIAがどの曲を歌うのかということであります。

「祝 MISIA、紅白歌合戦ご出演!」では、競馬風に、こんな予想を載せました。

 ◎ 桜ひとひら
 ○ 逢いたくていま
 ▲ オルフェンズの涙
 △ 花

そして、その結果は

オルフェンズの涙でしたぁ~

オルフェンズの涙
アリオラジャパン
アリオラジャパン

3番手評価「▲」にしていた曲ですから、意外性はないものの、若干、「んという気持ちがないわけでもない・・・

歌詞を聴けば(読めば)、「戦後70年 紅組特別企画」に沿った選曲ではありますけれど、

よっしゃぁ~

と叫べない気分なのも、また事実

でも、演出を含めて、当日を楽しみに待つことにいたしましょう。

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