新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

大魔神のこと

2021-10-22 09:00:02 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

「角川武蔵野ミュージアム探訪記(前編後編)」番外編です。

[後編]で書いたように、ところざわサクラタウンには、大魔神魔神像武神像が鎮座していました。

後ろ姿もなかなか

大魔神といえば、かつての大映映画ヒーローですが、その彼がどうしてここにいるのでしょうか?

台座に貼られた説明板を転記しますと、

大魔神 魔神像
荒ぶる剣が封印を解き ツクヨミが声に覚醒する。
1966年(昭和41年) 大映京都撮影所が、日本初の特撮時代劇として世に送り出した作品。
「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」のシリーズ三作品が僅か一年の間に製作された。

そして、

大魔神 武神像
日本の地と民に平安をもたらす守護神。
「大魔神」は、日本古来の神話や伝承、巨人伝説などをモチーフに、埴輪「挂甲武人」のイメージを借りて創造された。
55年の時を経て、2021年「妖怪大戦争 ガーディアンズ」で復活を遂げた。

だそうです。
「大魔神」と聞いて佐々木主浩元投手辛うじて思い出す人、「なんのこっちゃ」という人は、Wikipediaでもお読みくだされ。
簡単にいえば、理不尽なことが起こると、それまでは埴輪然とした武神像忿怒の表情に変わり、動き出し、善悪の見境なく暴れまくる、ってヤツ。

かく言う私も「大魔神」映画館で観たことはありませんで、ずいぶん昔にTVで観た程度です
そのときの印象では、大魔神ウルトラマンゴジラみたいに巨大なものではなく、中途半端デカいウルトラマン奈良の大仏様なら、大魔神丈六仏程度の大きさ(身長:1丈6尺≒4.85m)で、でも、それだけに面と向かって睨まれたら 怖い

いったい大魔神の大きさはどんな設定なんだろ? と思ったら、Wikipediaによると、

大魔神の造形は、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の怪獣造形を担当した高山良策が手がけている。1作目で高山は京都に出張し、武人埴輪に着想を得て、15尺(4.5メートル)の実物大の魔神、人間を掴むシーンのための実物大の魔神の腕、実物大の脚、人間の入るぬいぐるみ、ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアを製作している。

だそうで、「丈六仏程度の大きさ」という私のイメージはピッタリじゃございませんか
しかも、仏さんの標準よりもちょと小さい「丈五」という奥ゆかしさ
素晴らしいなぁ

   

ところで、大魔神のモチーフになったという国宝「挂甲の武人」は何度も東京国立博物館(トーハク)で拝見しています。

一見して「兜が違うという指摘があろうと思います。
確かに、「挂甲の武人」の兜には頬当てはあるものの、大魔神のような脇立てついていません

しげしげと両者を見比べると、大魔神「挂甲の武人」完コピしたわけではないことが判ります。

例えば、「挂甲の武人」は、左手首に、を射たときにから手首を保護するための道具「鞆(とも)」を装着していますが、大魔神付けていません

「大魔神はを持っていないからは不要」なのか?

「挂甲の武人」は、の入った靫(ゆぎ)という装備を背中に着けているんですが、

大魔神はというと、

大魔神「靫」を装着しています。(魔神像は色の関係で見づらいため武神像の写真を載せましたが、魔神像「靫」を着けています)

まぁ、「挂甲武人のイメージを借りて創造」ですから、あまりに細かいことに突っ込むのはヤボですな

   

で、誰が見てもすぐに判る「大魔神」と「挂甲の武人」との違いに戻りますと、大魔神と同じような脇立て付きの兜をかぶった武人像(高崎市出土)をこれもまたトーハクで観たことがあります。

クリエーターの高山さんは、国宝「挂甲の武人」タイプ頬当てのみの兜だと防御的過ぎる脇立てがあれば、鬼の角のようにも見えて、怒ってる感強まると考えたのでしょうか?
うん、うん、この説、なかなかイイかも…

   

さてさて、冒頭の大魔神といえば、かつての大映映画のヒーローですが、その彼がどうしてここにいるのでしょうか?」という疑問が解けていません。

その答えは、東所沢駅のバス停の横にありました。

往路では気づきませんでしたが、ここにも大魔神(こちらは胸像)がいました

こちらところざわサクラタウン大魔神に比べて、脇立て短くて、お顔むくみ気味?

ところざわサクラタウンの大魔神の方がカッコイイ

それはともかく、こんなことが書かれた説明板がありました。

“大魔神”について
“大魔神”は1966年に大映(現・KADOKAWA)の京都撮影所が世に送り出した特撮時代劇シリーズ三部作のキャラクターです。多くのファンに長年愛され、敬われて来たこの大魔神の巨大な半身像が、所沢を舞台とする映画「妖怪大戦争 ガーディアンズ」の公開を記念し、COOL JAPAN FOREST構想の標榜する「人々のにぎわい」の創出の一環として、東所沢の地に降臨することになりました。

ここに至ってようやく、大映KADOKAWA引き継がれていることを知った私です
まったく疎いというか、なんというか…

と、ここでこの記事を終わらせようと思ったのですが、冒頭に転記した「大魔神 魔神像」の説明板の「荒ぶる剣が封印を解き ツクヨミが声に覚醒する。」のツクヨミ????のままです
記紀に登場するツクヨミのことかと思いますが、大魔神とどう関係しているのか、さっぱり判りません

このことは、のんびり探ることといたしまして、ここはお開きとさせていただきます

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映画と美術展をハシゴ

2019-01-27 19:02:10 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きょうは朝も早いうちから外出して、映画を1本と、美術展を1本観てきました。

まず、映画は、観てきたのはこちら

「劇場版 ダーウィンが来た! アフリカ新伝説」です。

うん、面白かった。そして、知らなかった話もあって勉強になりました。

この作品は、

今回、ご紹介するのは、過酷な環境を生き抜く3つのとっておきの『家族』の物語。群れから追放され、放浪の旅を続けながら王を目指す「オスライオン」、家族を失いたった一頭で幼い子どもを育てる「メスライオン」、争いで片腕を失った子どもを優しく見守りながら暮らす「ゴリラ家族」。優しく、そして力強く生き抜く、素晴らしい『家族』たちの姿は必見です。

というもの。ライオンの家族が2組登場しているのですが、これがホントに面白かった 両者を対比して観ると、そして考えると、ますます面白い

「百獣の王」ライオンについての私の知識は、狩りはメスの役割で、偉そうなオスなぁ~んにもしないで、それでいて最初に食事にありつく、というものでした。

実際そうなんですが、オスにも子作り以外に役割があることを初めて知りましたし、オスに生まれたライオンの子どもたち過酷な運命をも初めて知りました。
あんまり詳細に書くと、ネタバレになってしまいますから自制しますけど、要は、楽して育つとその後が大変だということ…。
一方、女手一本で育てられたライオンの子どもたちのオスは、苦労して成長することで、自分一頭でも生きていく術を身につけていくのだろうというのが、なんとも…。
この映画を観た世の「おとうさん」たちは、慌てて家事全般「おかあさん」たちから習い始めたりして…

この2組のライオンたちのシーンで、近くで見ていた子ども「カメラマンの人が食べ物をあげたらいいのに」とおっしゃっていました。
やさしいねぇ~
でも、取材班食事をプレゼントしたとしても、それは一過性の「恵み」にしからならなくて、ライオンたちが生き続けるためには、自分で獲物を仕留めることができるようにならなければダメなんだよねぇ

もう一つの家族、片腕(と母)を失ったゴリラドドくんの話は、もう、ひたすら心が温まるというか何というか…
素晴らしいなぁ… ゴリラ、偉いなぁ…

ちなみに、映画上映中、お子さんたちに一番大ウケだったのは、ハシビロコウさんのシーンでございました。
いいよねぇ~、ハシビロコウ
私も大好きです

そして、エンディングテーマは、、、、MISIA「AMAZING LIFE」

アフリカンな音作りが、「劇場版 ダーウィンが来た! アフリカ新伝説」ピッタリでした

音楽ついでに書けば、本編の音楽には、弦一徹ストリングスも関わっていらっしゃいまして、MISIAのライヴでもお馴染み皆さんのお名前もクレジットされておりました。

   

映画を見終わったあと、先週に引き続いて牛たん定食昼食を摂り湘南新宿ライン渋谷に移動。

山手通り方向に向かって坂道だ~らだ~ら上ってたどり着いたのは、

渋谷区立松濤美術館です。

私が初めてやってきた松濤美術館で開催中の展覧会は、「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」

ひたすら廃墟を描いた作品だけが展示されていました。

「廃墟」をテーマに展覧会だなんて、なんという発想

と思ったのですが、

栄華や文明の痕跡を残しながら崩れ落ちようとする建造物や遺跡。「廃墟」は西洋美術のなかで、風景画の一角にくりかえし描かれていました。18世紀から19世紀にかけて、興味深いことにいわゆる廃墟趣味が流行すると、「廃墟」は絵画の主役の地位を確立していきます。
「廃墟」を愛でること、描くこと-この美学は、近代に日本の美術のなかにも伝播しました。廃墟の画家として名を馳せた18世紀のユベール・ロベール、版画家ピラネージから、19世紀のコンスタブル、20世紀のアンリ・ルソーマグリットデルヴォー、そして日本の江戸時代から近現代の画家たち、亜欧堂田善藤島武二岡鹿之助元田久治大岩オスカール野又穫まで、廃墟の主題は描き継がれているのです。

だそうな
「『廃墟』は絵画の主役の地位を確立」していただなんて、まったく知りませんでした
でも、実際、「廃墟」には妙に気をそそられますし、この展覧会も結構な数観覧者で賑わっていました。
会期末(1月31日まで)ということもあってか、図録完売だし…

で、会場は2F(第一会場)B1F(第二会場)二部構成になっていたのですが、欧州の画家や日本の近代の画家の作品を展示する第一会場より、ずっとずっと現代作家の作品を転じる第二会場の方が遙かに魅力的でした

なかでも、元田久治の作品に引き込まれました
なんだろ、この心地良さは…

やっちまったい ってことなのかな?

廃墟と化した国会議事堂を描いた「Indication : Diet Building Tokyo 3」も良かったけれど、展覧会の場所もあってか、上に載せた「Indication : Shibuya Center Town」がひときわ私の心に響きました。

ほんと、面白かった
会期ギリギリに観ることができてよかった…

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動物づくしの週末でした

2017-03-20 22:08:42 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きょう、昼下がりから2度目「SING/シング」(吹替版)を観ることにして(今回はポイントを使って無料)、それまで恒例の「博物館でお花見を」が始まった東京国立博物館(トーハク)を観ようと、朝から上野に出かけました。

そして、上野駅公園口から道路を横断して東京文化会館前に来ると、「本日無料公開」という掲示が目に止まりました。
どうやら上野動物園無料らしいのですよ。

花見には1週間早いことだし、

トーハク来週にとっておくことにして、かなり久しぶりに上野動物園を見物することにしました。

無料なのは、きょう(3月20日)開園記念日(135周年)だったんですねぇ。

まずは、こちらの記事に登場した五重塔を見物しました。

この五重塔(旧東叡山寛永寺五重塔)1958年に寛永寺から東京都に寄付されたらしいのですが、どうしてこの重要文化財を寄付したのか、不思議

説明板によれば、

老中土井大炊頭利勝が寛永8年(1631)今の地に上野東照宮(1627造営)の一部として五重塔を創建寄進しました。

ということで、もともと寛永寺の塔としてではなく、上野東照宮の塔として建てられたんですな。
神社と五重塔とは妙な組み合わせですが、当時は神仏ごちゃ混ぜだったということなんでしょ。
そして、1639年の焼失⇒再建を経て、明治になると、例の神仏分離令によって五重塔上野東照宮から寛永寺移管されたのだそうな。

こういう経緯を考えれば、寛永寺としては五重塔を保有し続けるのは居心地が悪いというか、持て余すというか…、だったのかな?

さて、動物

「SING/シング」尽くしの真っ最中なものだから、どうしても「SING/シング」登場動物と結びつけてしまうんだよなぁ…。

ゾウは、

もちろんミーナだし、脱力感しかないガイアナカイマントカゲは、

ミス・クローリーだし、ニシゴリラ(遠くて、後ろ姿で、ピントが合っていない)は、

ジョニーだし、カナダヤマアラシ(後ろ姿残念)は、

アッシュだし、アグー豚は、、、、

さすがにロジータグンターを連想するのは難しいし、こちらのヒツジも、

エディナナを連想するのが難しい

その代わり、銀行のおねえさまを連想するアルパカを載せておきます。

残念ながら上野動物園にはコアラはいない
けれどジャイアントパンダがいます

今年は赤ちゃんの誕生に期待したいゾ

そうそう、「動かない鳥」として名高いハシビロコウ動きまわっていておかしかった。

この他にもかわいらしい動物をたくさん観られて、満足でした…
たとえばカピバラとか…。

もしかすると、気が向けば「続編」を書くかもしれませんが、きょうはこれまで

たまには動物園見物もいいかもしれません。

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きのうは年休だったので…(前編)

2016-11-26 10:19:57 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きのう、私は年休をとりました。
来週金曜日も年休をとりますので(仙台遠征)、2週連続です。
来週の年休は当初から予定していた一方、きのうは私の勘違いに端を発して2週間前に急遽取得を決めたものなんですが、まぁ、今年度上期には年休取得目標半日足りませんでしたから、そこんとこは大手を振ってお休みです。

で、きのうの行程は以下のとおりでした。

自宅⇒徒歩⇒最寄り駅⇒埼京線新宿駅小田急線下北沢駅⇒徒歩本多劇場⇒徒歩 下北沢駅 小田急線新宿駅総武線両国駅⇒徒歩すみだ北斎美術館⇒徒歩 両国駅総武線秋葉原駅京浜東北線南浦和駅武蔵野線⇒最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

きのうの年休の目的は、本多劇場加藤健一事務所「誰も喋ってはならなぬを観劇することだけだったのですが、せっかくの平日休み、どこに行こうか… と考えた結果、思いついたのが、今週火曜日(11月22日)開館したばかりのすみだ北斎美術館でした。

「なんちゃってiPhone」こと iPodTouch & 無線ルーターで調べると、すみだ北斎美術館両国駅から近い し、下北沢から両国までは、電車の乗り換え1回で行けます。
そして、時間的にも問題ない 

   

ということで、行動予定を決めたのち、カトケン「誰も喋ってはならぬ!」を観劇

平日のマチネーだというのに、結構な客の入りで御同慶にたえません。ただ、もともと観客の年齢層が高いところにもってきて、平日の昼間とあってか、ますます年齢層は高く、観客の平均年齢は70歳を超えているって感じ。

でも、こんなにテンポの良い、ちょっとのある、それでいて上質コメディーを見物するのは、脳の活性化というか精神衛生上、かなり健康的なことだと思います。

ストーリーは、

フランスのとあるアパルトマンの一室。
ある日、長年探し求めていた貴重なレコードを遂に手に入れたミッシェルは、大興奮のうちに帰宅する。
念願のレコードを堪能するという夢にまでみた一時に胸を弾ませ、早速ステレオのプレイボタンに指を掛けるミッシェルだったが、こんな時に限って次から次へと邪魔が入る。

深刻な面持ちで「話があるの。」と詰め寄る妻のナタリーを何とかなだめすかし、再び腰を落ち着けようとするが、今度は工事に来ていた配管工のレオが、水漏れしてしまったと大騒ぎ。

さらに離れて暮らす息子のセバスチャンは、妻に呼ばれて帰って来るなり常軌を逸した発言を繰り返し、水が漏れてきたとやって来た階下の住人パヴェルは、空気を読まずに居座る始末。
ついには愛人のエルザまでもが「大事な話がある!」と押しかけて来る。

よりによってどうしてこんな時に?? 僕は今それどころじゃないんだっ!!

やがて親友のピエールが現れ、事態は修羅場へと転じる!?
果してミッシェルに待ち受けていた結末とは・・・??

というもので、作りようによってはドロドロな話になりそうなところ、楽しいコメディーになっているところが作者フロリアン・ゼレール・翻訳家中村まり子・演出家堤泰之出演者のなせる業だと思いました
キャストでは、配管工レオ新大久保鷹さんがチューバッカみたいでかわいい(?)し、パヴェル渡辺徹さんはとにかくうざったくって傍から見るだけなら最高でした。
カトケンを始め、他の出演者の皆さん(島田歌穂さん、天宮良さん、常連・加藤忍さん、中村龍介さん)も言わずもがなで、 さすがは「加藤健一事務所公演」であります。
この作品、TVで放映するのは不可能でしょうから、で観るしかありませんぞ

   

 15:00ちょい前に芝居がはねると、予定どおり、下北沢駅 小田急線新宿駅総武線各駅停車の電車を乗り継いで両国駅へ。

江戸東京博物館に出かけるときはもっぱら西口を利用している両国駅ですが、今回はすみだ北斎美術館に近そうな東口を出ました。
ところが、駅構内にも、東口付近にもすみだ北斎美術館の案内がなく「なんちゃってiPhone」Google Mapを見ながらすみだ北斎美術館へ向かいました。 

そして、美術館前に到着。
美術館が面している通り(実際は引っ込んでいる)の名前「北斎通り」 、私は「北斎生誕の地・墨田区だから」の命名だと思っていたのですが、北斎が生まれた「武蔵国葛飾郡本所割下水」の、その「本所割下水」の(南割下水)跡に作られたのが「北斎通り」だったんですな。

すみだ北斎美術館無料配布されている秀逸「北斎ゆかりの地マップ」(PDF)では古地図の上に現在の状況がプロットされておりまして、こんな具合です。

本所南割下水北斎通りの位置が一致しています。

それにしても「古地図」って楽しいなぁ。両国橋が現在より下流側にあったこととか、国技館江戸博「御蔵」こと江戸幕府の資材置き場御竹蔵)の跡地に立っていることなんぞが判ります。
すみだ北斎美術館へお出かけの際には、忘れずにこの「北斎ゆかりの地マップ」を入手されることをお薦めします。 

さて、夕陽に輝くすみだ北斎美術館に到着

意表を突く現代的な建物と、富嶽をモチーフにしたジャングルジムの取り合わせがイイじゃありませんか。
ジャングルジム東京スカイツリーとの取り合わせもまたオツなもの 

   

さて、すみだ北斎美術館では開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-」が開催されています。

この展覧会のタイトルについて、公式HPにはこんな説明があります。

本展のタイトルには、二つ「帰還」の意味が込められています。一つ目は、約100年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻【すみだがわりょうがんけしきずかん】」が、平成27年に再発見され、海外から日本へ里帰りしたことを意味します。二つ目は、世界に散逸した北斎の名品が、生誕の地すみだに再び集められ、それが北斎専門の美術館で展示される、つまり北斎が名品とともにすみだに帰ってきたことを意味しています。

「隅田川両岸景色図巻」は、「舟で吉原へ向かうコースとなっていた柳橋から山谷堀までの隅田川の両岸、日本堤、吉原遊郭、そして遊郭の室内を描いた肉筆画」で、縦28.5cm、長さ633.5cmという大作

1892年に上野での浮世絵展に出品された後、海外に流出して、1902年にパリ林忠正が売りに出したという記録を最後に消息不明…。
そして、100年以上の時を経た2008年にこの作品がロンドン競売にかけられたという情報から、 墨田区調査・鑑定の上で購入した(お値段は1億4900万円)のだとか。
かねてから北斎の作品を蒐集していたという墨田区北斎の出生地は葛飾区ではなく墨田区だぁという思いもあるのではなかろうかと邪推)、「隅田川両岸景色図巻」真筆だと確認して、それを購入できたときの喜びはいかほどのものだったかと、まったくもって御同慶の至りであります。 

さて、「隅田川両岸景色図巻」、私の北斎に対するイメージとは違って、柔らかな筆致隅田川両岸の風景が描かれていました、吉原に繰り出すべく、を仕立てて、景色を楽しみながら隅田川(大川)を遡るのんびりとした空気が感じられました。
保存状態も極めて良好で、 すみだ北斎美術館の良い目玉ができましたなぁ。

と、ここで、とある事情により休憩を入れます。

つづき:2016/11/26 きのうは年休だったので…(後編)

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土木展は楽しい♪ カトケンの芝居も楽しい♪ (その1)

2016-09-04 21:36:00 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きょうは天気予報を信じてを持って外出したんですが、話が違う!
が降るどころか、カンカン照り暑いったらありゃしない

で、きょうの旅程は以下のとおり。

自宅徒歩最寄り駅埼京線池袋駅副都心線(急行)明治神宮前駅千代田線乃木坂駅徒歩21_21 DESIGN SIGHT徒歩乃木坂駅千代田線代々木上原駅小田急線下北沢駅徒歩本多劇場徒歩下北沢駅小田急線新宿駅埼京線⇒最寄り駅⇒徒歩自宅

21_21 DESIGN SIGHTでは土木展を、

そして、本多劇場では加藤健一事務所「ハリウッドでシェイクスピアを」を観てきました。

土木展期待以上面白かったし、「ハリウッドでシェイクスピアを」期待どおり楽しさでした。

   

まずは、東京ミッドタウン・ガーデン内にある21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「土木展」、、、の前に東京ミッドタウン・ガーデンで咲いていた朝顔に注目。

こんなまちなかでこれほど大量の朝顔を観るなんて珍しい…

もしかすると、来週末からサントリー美術館で開催される「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展の開催に合わせてを撒いて育てていたのかもしれませんな。
「朝顔図屏風」12年ぶりにニューヨークのメトロポリタン美術館から里帰りするのですから

さて「土木展」。

閑散としていた東京ミッドタウン・ガーデンですが、「土木展」はかなり賑わっていました(先週のNHK日曜美術館・アートシーンで放送されたこともあるだろな)。
しかも、女性比率がかなり高い
もしかすると男性よりも多いかもしれない。
土木好きの女性は「どぼじょっていうのかねぇ?

それはともかく、「土木展」はストロボ/三脚なしスチル写真なら撮影OKで、私はそれだけで大喜び

で、最初から私お目当ての作品が展示されていました

巨大なドローイング、田中智之渋谷駅解体」

同じコンセプトのドローイングは、東京駅新宿駅のもありましたが、

やはり、渋谷駅って凄い

同じく渋谷駅を取り上げた田中圭介+昭和女子大環境デザイン学科 田村研究室に(田中先生の研究のことはこちらの記事でも書きましたっけ)による「渋谷駅(2013) 構内模型」で観ると、東京メトロ副都心線東急東横線のホームと東京メトロ銀座線のホームとの高低差凄まじいし、

埼京線のホームと京王井の頭線のホームとは離れすぎだし…

この超複雑な構造の渋谷駅、これも土木が作り上げたわけなんですな。

う~む、、、、書き切れない

旅行記2本書きかけだし、来週末は関西旅行なので、1本に纏めたかったのですが、書きたいことがまだまだある~

というわけで、「その2」につづきます。

つづき:2016/09/15 土木展は楽しい♪ カトケンの芝居も楽しい♪ (その2)

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「東宝スタジオ展」で、あ~~~!!!

2015-03-23 22:05:47 | 美術館・博物館・アート/映画・演劇

きのう、世田谷美術館で開催中の「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」を観てきました。

館内に入るや、ななななぁ~んと東宝が(「東宝」って、塚」を意味しているって知ってました?)誇る国際的大スター大暴れしていました

ゴジラです。
もう一枚、こんどは空撮です

写真撮影OKなのはここだけでした

   

最初の展示コーナーは、「第2章 東宝映画の黄金時代 1954年の『七人の侍』と『ゴジラ』」だったんですが、まず私の目に飛び込んできたのは、「七人の侍」

6と、「た」です。

6人の侍(島田勘兵衛、岡本勝四郎、片山五郎兵衛、七郎次、林田平八、久蔵)、「=田」は百姓たち、そして七人目の侍自称:侍菊千代を意味しているでしたっけ・・・

そこまで覚えていたのに、あれを観たときにはこのリンクできなかった・・・ 痛恨です

その「あれ」とは、、、、

3月8日の記事「久しぶりの水戸(その2:山口晃展編)」で、

調べてもこの×4 △ た」が意味しているところが判りません
どなたか御存知でしたらご教示くだされ
こちらのツイートによると、これは山口さんの作品っぽい・・・)

と書いた「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」開催中の水戸芸術館の正面に下がる垂れ幕

この垂れ幕「七人の侍」の幟インスパイアされているのは明らかです

でも判らない・・・

「山口晃 + 七人の侍」ググると、KANSAI SUPER SHOW『七人の侍』」がヒットするのですが、それでも、やはり判らない・・・

このは、4月に刊行予定だという「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」図録に期待を託して、先に進みましょう

   

「「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」は、「開催概要」に、

世田谷区砧(現・成城)の東宝スタジオは、トーキー前夜の1932年に設立された写真化学研究所(通称P・C・L)に始まり、P・C・L映画製作所として本格的に映画作りを開始。1937年には写真化学研究所、P・C・L映画製作所、東宝映画配給、J・Oスタヂオの4社が合併し、東宝映画株式会社が誕生。1943年に東宝株式会社となります。そして、この創造の現場は“東宝砧撮影所”の呼び名で親しまれるようになりました。1971年には現在の東宝スタジオへと改称、近年では業界随一の最新設備に改築されました。

とあるように、世田谷美術館にしてみれば「ご当地ネタ」なわけで、至極自然な企画展ではあります。
(右に載せたチケットの他、ポスターフライヤー、そして図録の表紙は、信藤三雄さんのデザインだそうな)

この弁でいえば、練馬区立美術館「東映東京撮影所展」神奈川県立近代美術館「松竹大船撮影所展」、また、調布市美術館「大映撮影所展」「日活調布撮影所展」を開催しても良いのではなかろうかと思うわけで、個人的には「大映撮影所展」大魔神を見たい

   

また話が逸れた・・・

「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」に戻りまして、展示の中心は台本セット案ロケハン写真などで、映画撮影に使われた小道具系のものが少なかったのはちょいと残念でした。
でも数少ない小道具系の展示に、初代ゴジラを退治した「オキシジェンデストロイヤー」があったのには興奮いたしました。

また、三船敏郎への黒澤明追悼文(直筆)とか(泣けた・・・)、映画法に基づく古川緑波「(俳優)登録証」とか、展示室の壁に実際に描かれた「空とか、柳生悦子さんによる素晴らしいスタイル画の数々とか、オープンセットの配置図とか、なかなか見どころがありました。

加えて、「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」に合わせて、世田美の収蔵作品で構成された常設展示「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」気の利いた、そして、かなり質の高い展示だったと思います。

この展示では、高峰秀子から世田美に寄贈されたご本人の肖像画群とか、宮本三郎による「東宝ゆかりの女優の肖像画」は、ホント、魅力的な作品ばかりで、とりわけ後者「お持ち帰りしたい作品の連発でした。

   

何か書き忘れたものがあるような・・・と、しばし考えて、思い出しました

市川崑監督の「東京オリンピック」音楽スコア(総譜)のことを書くつもりだったんだ

展示されていた黛敏郎自筆のスコアには、音符が一つも書かれていなかったんですよ
楽器というより、音を出す素材の名前が書かれているだけなんですから驚いた

「東京オリンピック」を観ると、ちゃんと音楽にはなっているんだけどね・・・
(下の映像は「日本語が不自由」な方がつくったっぽい)

ちなみに「東京オリンピック」「音」がとても印象的な作品です。
競技する選手の息づかいとか雄叫び風の音、そして極め付きは、風にあおられた旗ざおのポールを叩く音

機会がありましたら、ぜひを「東京オリンピック」ご覧くださいませ。
50年前普通の日本人を見るだけでも価値があると思いますゾ。

なんだか締まらないのですが、「東宝スタジオ展」の見聞録をこれにて、

「懸案」のこと:2015/04/27 判ったような判らないような…

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