新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

冬本番が始まったばかりの東北旅行 #3

2018-11-26 09:05:11 | 旅行記

「冬本番が始まったばかりの東北旅行 #2」のつづきです。

3泊4日の東北旅行はきょうが最終日でして、昼の新幹線で帰宅します。

で、2ヶ月ぶり別邸(実家)の植物を観賞しました(2ヶ月前の記事はこちら)

数日前に初雪が降り、昨夜は盛大冬の雷が鳴り響くそんな季節、なんか咲いていないだろうと思ったら、、、

あれま、バラが一輪だけ咲いてます

バラだけでなく、名前はわからないけれど菊の仲間とか、

これまた名も知らぬ小さな小さな花とか、

はたまたヤツデに至っては今が盛り とばかりに咲き誇っています。

さらに驚いたことには、マリーゴールド(2カ月前の記事では「キンセンカ」と書きましたが、正しくはマリーゴールドっぽい)も、2カ月前より少なくなったといえ、まだ咲いてるってんだから(夏休みにも咲いていた)、ほんと、強く、長持ちする花ですなぁ

強い といえば、ブロック塀の上に根を張った「つわもの」もいらっしゃいました

別に、風雨劣化したブロック塀の隙間に一輪挿ししたわけではなく、が飛んで来て、勝手にを張り、を咲かせたもの。
「つわもの」ですなぁ~

こちらも、陽のあたらない場所で花を咲かせていましたが、もうすぐ散りそうでありました。

庭では、ナンテン赤い実をつけていましたが、こんなもなっていました。

見た目、サクランボっぽいのですが、の木は数年前に襲われて伐られてしまったので、サクランボではないと思われます。

といえば、かつて庭に植えられていた、私、一度も咲いているところを見たことがありません

実家から送られてきた咲いた桜の写真を見るたび、いつかこのを眺めながら花見酒 を楽しみたい と思ったものですが、叶いませんでした

角度を変えて、もう1

で、ここまで、咲いている花を中心に別邸(実家)の庭を紹介してきましたが、季節は…。
2ヶ月前には「秋草図」そのものだった庭も、今はこんな状況が大勢を占めています。

になると、母が庭木を縛って積雪に備えたものですが、今回はそんな冬支度をする余裕はありません。
いつか、私に時間の余裕ができたら、そのときはちゃんと手入れしてあげるからね、と、謝りつつ、さいたまに戻ります。

1ヶ月後(正月)に帰郷したときにはどんな風になっているのでしょうかねぇ…

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冬本番が始まったばかりの東北旅行 #2

2018-11-25 21:51:58 | MISIA

秋田の別邸(実家)に来ています。
昨夜、盛岡での「MISIA星空のライヴX」に参戦したあと、慌ただしく盛岡駅食事を済まして、新幹線に乗って帰郷してきました。

で、「冬本番が始まったばかりの東北旅行 #1」のつづきなんですが、きょうは、記憶が新しいうちに「MISIA星空のライヴX」郡山公演盛岡公演を振り返っておこうという次第です。

結論から言って、この東北2daysに参戦してよかったぁ~~

? この盛り上がり
両公演とも、最初から最後まで、なんと、観客反応素晴らしいこと
MISIAバンドも、その観客の「意気に感じたように、見たことも聴いたこともないような パフォーマンスを繰り出して、それはもう、一期一会貴重な体験をさせていただきました…

セットリスト自体は、MISIA星空のライヴXのこれまでの公演とほぼ同じSpecialはありませんでしたが、郡山は、GReeeeN「故郷」ともいうべき地だけに、

「あの曲」(バレバレ)の順番が大幅に変わっていました。
あっ 上の写真郡山駅前にあるGReeeeNのメンバーの手形 (HIDEさんのだけですみません)です。

私のtweetこの曲順変更は翌日の盛岡公演にも反映されることになったのですが、さらに盛岡では「ある曲」「ある曲」が入れ替わったことから、怒濤バラード4連発が実現して、これがまぁ凄いのなんのって…

TV「歌ウマ」番組でよく歌われる名曲連発なのですが、本家本元そこぢから炸裂 でした。
以前、NHK FM「MISIA星空のラジオ」で、MISIAは、

CDで聴くよりライヴで聴く方がイイ」と言われるけれど、レコーディングのあと、何度もライヴで歌い込んでいるのだから、それは当然

と、MISIAならではの、ちょっとピントのずれた発言 をしていましたが、確かに、持ち歌として歌い込んでいるMISIA真っ向勝負を挑むのは、かなぁ~り、かなぁ~り、ハードルが高いと思います。
テクニック曲の解釈といったことだけならともかく、あのMISIA柔らかく、分厚く、響きのある、そして声量豊か歌声に立ち向かえる人はそうそういるもんじゃないですゾ

MISIA星空のライヴXでは、バンドメンバー紹介のとき、MISIAによるちょっとしたカバーを聴けるのですが、いつも、何、これ? ずっと聴いていたい フルで聴きたい と思いながらも、盛岡公演でのそれは、いつも以上の素晴らしさで、もう、とろけるよう でした。

やはり「歌い込んだから」というだけでないMISIA実力ですよ

LIVEの楽しさは、観客パフォーマー相互盛り上がっていくことにあると思うわけで、それは音楽だけでなく、お笑いでもそうだし、もしかしたら演劇でもそんなことがあるかもしれません。
そんなことを改めて思ったのは、盛岡公演

私のtweet

盛岡公演では、MISIA自身がほぼ絶好調だったことに加えて、聴衆反応が素晴らしくて、MISIAがそれに煽られるようにノリノリだったのが見てとれました。
聴衆が盛り上がる⇒MISIAがノリノリ⇒聴衆は更に盛り上がる⇒MISIAは更にノリノリ⇒・・・ と、「HOPE & DREAMS」ラストでのMISIAの歌声そのまま「夢ロケット」的上昇スパイラル

この公演での私の座席のせいもあるでしょうけれど、MISIAのライヴでは一時期には不満しかなかったPA良好で、バンド&コーラスの各パートの「音」クリアで、雰囲気だけでなく、音楽的にも楽しめたというのが最高 でしたし、それにとどまらず、アンコールを求めるコールが「盛岡オリジナル」だったのがまた…

アンコールで再登場したバンド&コーラスメンバーは、これまで見たこともないくらいノリノリでした(とりわけASA-CHANGギラ・ジルカさん)。

いやはや、同じツアーに何度参戦しても、それぞれにそれぞれの楽しみと感動があって同じモノはありません。

ほんま、やめられまへんなぁ~ です

ということで、明日(年休です)さいたまの本宅に帰ります。
変な〆…

つづき:2018/11/26 冬本番が始まったばかりの東北旅行 #3

本質的なつづき:2018/12/11 冬本番が始まったばかりの東北旅行 #4

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冬本番が始まったばかりの東北旅行 #1

2018-11-24 09:13:05 | MISIA/旅行記

盛岡に来ています。

一昨日に書いた予定どおり、自宅⇒郡山(MISIA星空のライヴX)⇒(仙台)⇒盛岡と移動してきました。
盛岡に宿泊するのは、友人たちと16年前盛岡競馬場で開催されたJBCクラシックを観戦しに来て以来ですから超久しぶり (16年前はつなぎ温泉に宿泊)

16年も経てば、当時、JBCクラシックを盛り上げるべく登場したチャグチャグ馬コ「騎乗」していたこの子は、今は高校生かな?

   

それはさておき、昨日、の~びり13:40過ぎに自宅を出発した私、大宮駅やまびこに乗ると、1時間も経たずに郡山に到着

MISIA星空のライヴX 郡山公演の開場まで30分、開演までの1時間半をどう過ごしましょうか? と、駅前の喫煙所で、例によって郡山に到着するなりgetした観光マップを眺めながらしばし思案

失礼ながら、郡山って、観光スポットはさほど多くないんですよねぇ~
だからこそ、こんな時刻に到着するようにやって来たわけで…。

そんな中で見つけた興味深い建物を見るべく、歩き始めました。

それにしても、寒い

手袋は持ってきていたけれど、「盛岡用」としてバッグに入れたまま郡山駅のコインロッカーの中。
いや、手の冷たさは、カウチン袖の中に手を引っ込めればなんとかなりましたが、冷たい

と、

いかにも昭和ヒト桁年代に官公庁として建てられた風の建物
「福島県郡山合同庁舎」だそうですが、調べてみると、案の上、こちらのサイトによれば、

福島県郡山合同庁舎昭和5年(1930)旧郡山市役所として建てられた近代建築で、現在では少なくなった当時の役所建築として非常に貴重な存在です。鉄筋コンクリート造2階建て、陸屋根、中央塔屋付、設計は宮田荘七郎、施行は増子組が担当しています。基本的に左右対称のシンメトリーな構成で、玄関ポーチを含め中心部分に凝った意匠を施し、塔屋があることで印象深い建物となっています。昭和43年(1968)まで市役所として利用され現在は合同庁舎となっています。

だそうです。
その時代らしい、おどろおどろしささえ感じられる権威主義的な建物ですなぁ

一方、私がお目当てにしていた建物は、旧郡山市役所とは対照的でした。

この建物は「郡山市公会堂」
説明板によれば、

郡山市は、1924(大正13)年9月1日に、郡山郡が小原田村を合併し、人口39,003人を有する市として、市制を全国で99番目に施行しましたが、同年、これを記念して郡山市公会堂も完成しました。構造は、鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺、建築面積1,102㎡で塔屋付きです。

だそうな。
これまた、同時代東京駅丸の内駅舎とか大阪市中央公会堂とかと相通じるところのあるその時代らしい建物です。

そうこうしているうちに16:00を過ぎましたので、郡山市公会堂からほど近い場所にある、「MISIA星空のライヴX」郡山公演の会場「けんしん郡山市民文化センター」へ…。

この辺りから、ミー友さんたちと会う会う…

けんしん郡山市民文化センター

それだけならばいつものことながら、場内に入り、席に着くと、あれまぁ~ 周りはミー友さんたちばかり というか、1~3列目に座っている観客のほとんどが知った顔
まるで、オフ会ライヴ会場内で開催している風情ですよ
「今夜、MISIAはこちらサイドには近づかないかも…なんて「危惧も聞こえておりました。

と、もうちょい書きたいところですが、ホテルをチェックアウトする時刻が近づいていますので、きょうはここまで。

つづき:2018/11/25 冬本番が始まったばかりの東北旅行 #2

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あしたから東北旅行

2018-11-22 23:12:44 | MISIA/旅行記

世の中は、明日から3連休
祝日は普通の出勤日の私の職場も明日は「年休取得促進日」実質「休日」でして、3連休
それだけにとどまらず、私は貪欲に月曜日年休をいただくことにして4連休

きやっほぅ~

であります。

この4連休を使って、私は3泊4日東北旅行を決行します。

このタイミング東北旅行となれば、メインの目的は、いわずとしれた「MISIA星空のライヴX」郡山公演盛岡公演でありまして、今のところ、下記の旅程を考えています。

初日:自宅最寄り駅埼京線大宮駅東北新幹線郡山駅けんしん郡山文化センター(MISIA星空のライヴX)郡山駅東北新幹線仙台駅東北新幹線盛岡駅ホテル

2日目ホテル盛岡観光盛岡市民文化ホール(MISIA星空のライヴX)盛岡駅秋田新幹線秋田駅別宅(実家)

3日目:別宅(実家)で雑用

4日目(最終日):別宅(実家)で雑用⇒秋田駅秋田・東北新幹線大宮駅埼京線自宅最寄り駅⇒自宅

往路JRチケットの枚数が凄くって、こんな具合

郡山駅からやまびこちんたら盛岡駅まで行けば乗り換えは不要なのだろうけれど、基本的にせっかちな私は、仙台駅やまびこからはやぶさ乗り換えることにしたものだから、それで1枚追加です。

ちなみに、秋田から自宅までの復路は、モバイルSuicaを利用しますので、紙のチケットありませぬ

どうやら明日から冬型の天気になるようで、今シーズン初めてカウチンを着込んで出かけるつもりです。

楽しみですなぁ~

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MISIAネタをまとめて書いてみる (後編)

2018-11-17 08:54:28 | MISIA/テレビ番組

「MISIAネタをまとめて書いてみる (前編)」のつづきです。

NHKの公式サイトで今年の紅白歌合戦出場歌手リストを眺めると、

MISIAは、ユーミンと並んで「3回目」の出場。
五木さんの48回目石川さゆりさんの41回目なんかと比べたら、まさしくピヨっ ですなぁ。
デビュー20年目のMISIAはともかく、デビュー46年目ユーミンまでもが「3回目」というのが、わたし的にツボに入っています。
当然のことながら、紅白への出場回数というのは、制作側の意思だけでじゃなくて、出演者側の意思とも合致した結果の蓄積なんですな。

それはともかく、「前編」で書いたように、

個人的には、一部で噂されているNHK放送センターのスタジオからの中継ではなく、満員NHKホール観衆の前で歌って、そして、おそらくは初めて生MISIAを体験するであろう観衆に、その威力を見せつけてほしい

と思っています。
これというのも、2015年の紅白MISIA長崎・平和公園からの中継で「オルフェンズの涙」を歌った約半年後NHKホール(MISIA星空のライヴIX:記事はこちら)で聴いた「オルフェンズの涙」が凄くて凄くて、最後の音がバンと消えたあとのホール内の空気尋常ならざる気配といったらありませんでした。
あんな体験をMISIAのファンだけで独占するのはもったいない

MISIAがつくり出すであろう「空気」リセットするのは大変でしょうけれど、MISIAの出番をニュース中断直前に持ってくるとか、はたまた大トリにするとか、手段がないわけでもありませんから、今年はNHKホールのステージで歌ってほしいな…

ところで、MISIAは紅白でを歌うんだろ?

「アイノカタチ」を歌わないのは世間が許さないだろうけれど、

「アイノカタチ」1曲だけじゃつまらない
「MISIA=バラードシンガー」と思い込んでいる観衆&視聴者のイメージをぶち壊す 選曲&演出を密かに期待しています。

   

さて、12月30日「輝く! 日本レコード大賞」 (変なタイトル)、12月31日「第69回 NHK 紅白歌合戦」に先立って、11月28日(水)NHK総合「MISIA SOUL JAZZ LIVE~One Mic, One Band~」が放送されます

この番組は7月27日「老舗ジャズクラブブルーノート東京で開催された「MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018」を収録したもの。

「MISIA SUMMER SOUL JAZZ PREMIUM 2018」@ BNT

この夜(記事はこちら)は、「8K用とおぼしき精悍なカメラ」だけでなく、

8K用カメラ?

小ぶりな、よく見かけるサイズのカメラも入っていましたので、この番組が8K素材からダウンコンバートしたものなのか、ハイビジョン素材をそのまま使ったものなのかよく判りません(放送を観ても判らないのだろうけれど…)。

NHK総合での放送は、11月28日(水) 23:55~24:4045分間と、ちぃと短い
このライヴの所要時間は約1時間半でしたから、結構cutされますな

一方、8K版は、こちらによれば、BS 8Kで、

12月23日(日) 20:30~21:50
12月25日(火) 15:00~16:20
12月26日(水) 18:15~19:35
12月27日(木) 11:00~12:20
12月28日(金) 16:45~18:05
12月29日(土) 19:00~20:20

に放送されるらしいのですが、いまのところ、一般家庭8K放送を観る手だてかなり限られています
ググってみると、8Kチューナー8Kチューナー内蔵のHDDやTVシャープからしか販売されていない気配…。

仮に、そんな機器を買いアンテナ周り買い換えても、これだけではフルスペックの8K放送体験できません
音響22.2チャンネルだそうで、少なくとも24個のスピーカーが必要になります。
これじゃ、そもそも一般家庭8K放送をフルスペックで視聴するのは不可能といっても良いのではなかろうか…
8Kスペックというのは、一般家庭で放送を楽しむためのものではなく(せいぜい「簡易視聴」)、専用のスーパーハービジョンシアター向けの同時配信用か、4K放送ハイビジョン放送番組パッケージメディアを制作するためのマスター用と考えるべきなのかもしれません。

さはさりながら、せっかく「MISIA SOUL JAZZ LIVE~One Mic, One Band~」が8K放送されるのですから、観たい 聴きたい
放送時間は1時間20分と、地上波版より30分長いし、MISIA「MISIA星空のラジオ」で語っていたところによれば、ブルーノート東京でのライブに加えて、Fuji Rock Festivalでのライヴとか、リハーサルの模様も収録されているらしいのですから、ますます観たい 聴きたい

4k・8K放送をご覧いただける場所

NHKの放送局ほかで視聴することができそうですから、出かけてみようかな…

それもそうだけど、8K版ノーカットハイビジョンにダウンコンバートしたものを放送してほしいし、Blu-rayで発売してほしいゾ

   

最後に、先月開催された「THE SUPER TOUR OF MISIA先行上映会MISIAが明かしたお話を…。

「THE SUPER TOUR OF MISIA」には「Girls just wanna have fun」という副題がついていたのですが、MISIAによれば、この副題はNew Album「Life is going on and on」に収録される新曲のタイトルでもあるのだとか。

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それだけなら、「へぇ~、そうなんだ…どまりですが、実はTHE SUPER TOUR OF MISIA「Girls just wanna have fun」を歌おうとしていたんですって。
ところが、ライヴが3時間という長尺になり、バンドMISIA限界で、さて、セットリスト「つつみ込むように…」を残そうか、「Girls just wanna have fun」を残そうか、という選択に至り、結局「つつみ込むように…」が選ばれたのだそうですよ。

と、MISIAの公式サイト「Life is going on and on」収録曲を見たら、、、、「Girls just wanna have fun」無い

どういうこと

もしかしてMISIATHE SUPER TOUR OF MISIAで歌おうとしつつも断念した「Girls just wanna have fun」というのは、

Cyndi Lauperカバー?

と、大混乱の中で本編は完結でございます。m(_ _)m

【追記】MISIA「THE SUPER TOUR OF MISIA」で歌うことを断念したNew Album「Life is going on and on」の収録曲というのは、SAKOSHINサウンドが何ともカッコイイ「SPARKS!!」のことのようです。

歌詞に、

舞い上がる Hands up! Hand up! Hands up!
立ち上がる Girls just wanna have some fun.
駆け上がる Go! Go! Go! Go!
情熱を注いで Girls just wanna have some fun tonight.

と出てきますから。
(MISIAの"fun"発音がところどころで"fan"になってる気がして…)  (2018/12/29 11:08)

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MISIAネタをまとめて書いてみる (前編)

2018-11-16 22:49:58 | MISIA/テレビ番組

先月あたりから、MISIAに関するニュースがオフィシャルサイト以外からも次から次へと流れてきて、私は完全に舞い上がっている状態。

そこで、ちょっと気持ちを落ち着かせて、情報を整理してます。

まず、最新のニュースとして、、、、

MISIA日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するというニュース

これは驚きました

今週水曜日(14日)に発表された、紅白歌合戦への出場決定は、なんとなくありそう な気がしていましたので、比較的冷静に受け止めることができました(?)けれど、このレコ大・最優秀歌唱賞の受賞は意外過ぎて、え" でした。

というのも、レコ大MISIAとは縁がないと思っていたし、とりわけレコ大最優秀歌唱賞「演歌枠」だと思っていましたから…
ふり返ると、「Mother Father Brother Sister」1998年の、「LOVE IS THE MESSAGE」2000年のベストアルバム賞を受賞しているのだけれど、どちらもアルバム大賞逃しているわけで、レコ大というのは、グラミー賞なんかと比べて、作品そのものよりも、世間一般へのウケTV放送への貢献重要視しているんだな =MISIAとは無縁 という思いを強く持っていました。

それが、今年の最優秀歌唱賞受賞とは…。

正直、「なにを今さら…なんですが、でも、MISIA「初めて民放の音楽番組で歌う」という貴重な機会が生まれたわけで、これを見逃す手はありません

実は私、レコ大生放送を観たことが一度もありません…
これまでの私の人生で、年越しを秋田の実家以外で迎えたのは、母が東京の病院に入院していた年の1回限りで、そして、秋田にはTBS系のTV局がないことから(金農吉田輝星クンがドラフト会議生中継を観られなかったのも、これが理由)、そもそもレコ大の生放送を観る機会がなかったこともありますが、レコ大興味を持っていなかったのも事実です。

それが、生涯2度目首都圏での年越しを予定していた今回、「リアタイで観たいレコ大」が放送されることになるとは…。
まさしく"Serendipity" でございます。

   

一方の紅白歌合戦

MISIA3度目にして、初めて「通常出場」

1回目ナミブ砂漠2回目長崎・平和公園中継が続きましたが、今回はどうなるんでしょ?

個人的には、一部でされているNHK放送センターのスタジオからの中継ではなく、満員NHKホール観衆の前で歌って、そして、おそらくは初めて生MISIAを体験するであろう観衆に、その威力を見せつけてほしい

ありゃま、NHKで放送される「MISIA SOUL JAZZ LIVE~One Mic, One Band~」に行き着けない…

この他にも書きたいネタがありますので、それは後編で…

つづき:2018/11/17 MISIAネタをまとめて書いてみる (後編)

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久しぶりにMOMASコレクション

2018-11-11 18:52:46 | MISIA/美術館・博物館・アート

好天に誘われて、久しぶりに北浦和公園内にある埼玉県立近代美術館(MOMAS)に行ってきました。

北浦和公園は、紅葉・黄葉の始めの段階で、なかなか賑わっていました。

池では、カモシンクロナイズドスイミングしていて、家族連れに大受け

このカモの様子を、私は、

Tweetしてしまいましてこちらで書いた小村雪岱「お傳地獄」挿絵MOMASで展示されていたら、最高だったのですが、さすがそうはいきませんでした

   

今週末のMOMASは、企画展の狭間で、閑散としていました。
常設展「MOMASコレクション」では、観ている人は私を含めて3~4人程度といったところ。
もっとも、企画展が開催されているときでも、「MOMASコレクション」は、鑑賞会に出くわさない限り、のんびり&じっくり観られるのですけど…。

で、何度も拝見した作品が多く展示されている中に、初めて名前を意識した作家の初めて拝見する作品が展示されていました。

それが、山路真護「水の幻想」(1947年)

いろいろ画像を探したものの見つからなかった のですが m(_ _)m 、この作品を観たときの私の反応は、

あ"~~、この作品、あの画像と似てる

でした。
「あの画像」というのは、

12月26日に発売されるMISIANEW ALBUM「Life is going on and on」ジャケ写です。

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このジャケ写が公開されたとき、私は、ジョン・エヴァレット・ミレー『オフィーリア』のイメージだな」と思いました。

この作品は、シェイクスピアの名作「ハムレット」に登場するハムレットの恋人オフィーリア「溺死体」(身も蓋もない…)を描いたもの。もしジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」MISIANew Albumのジャケ写のイメージだったとしたら、アルバムタイトルの「Life is going on and on」(人生は続くよどこまでも)とは真逆なわけでして、ジャケ写の意図信藤三雄さん(この作品のアートディレクションも恐らく信藤さんでしょ、K.I.T)にお聞きしたい気持ちでした。

ちなみに一昨年初め「オフィーリア」をモチーフにした宝島社企業広告が話題になりましたっけねぇ…

宝島社は、上に載せた広告にモデルとして登場した樹木希林さんのご逝去を受けて、読売新聞朝日新聞見開き全面広告を載せたようですが、紙の新聞を購読していない私はまったく知りませんでした

話を山路真護「水の幻想」に戻すと、この作品は、水の中で横になる女性を描いていて、まさしくジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」のイメージなのですが、色合いまるで違います

が差し込む色鮮やかな森の中の情景を描いた「オフィーリア」に対して、「水の幻想」暗い青一色と言ってもよい色合いで、だからこそ、「あ"~~、この作品、あの画像と似てると思った次第です。

前述のとおり、「水の幻想」の画像がみつからなくてもどかしいのですが、MOMAS コレクション 第3期2019年1月6日まで開催されていますので、気になった方はMOMASまでお運びくださいませ。

   

今年度のMOMASコレクション3に入って、ちょっとした変化が…。
それは、A4サイズ1枚だった作品リストが、従来どおりのサイズ(A4)に加えて、拡大サイズ(A3)も配布されていたことと(一定の年齢以上の人には地味ありがたいと思う)「作家解説」も配布されていたことです。
こういうサービスって、ほかの美術館/博物館でも実施しているのでしょうか?
良いこと だと思います。

で、きょう、初めてお名前と作品を拝見した山路真護さんの「解説」も載っていました。

1900(明治33)-1969(昭和44)
埼玉県入間郡所沢町(現・所沢市)に生まれる。

なるほど、「郷土の画家」のお一人なんですな。
と納得しつつ読み進めると、、、

1937年朝日新聞社の航空機「神風号」のデザインと塗装を担当。

へぇ~ (上の写真は3年半前岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で撮った 神風号の模型)

さらに、

1952年全日空の依頼により、同社のマークをデザインする。

もう一丁、へぇ~

山路さんって「青」がお好き?

4部構成になっている「MOMAS COLLECTION 第3期」「3. 特集:小茂田青樹」も良かったけれど(私は「麦踏み」がお気に入り)、「きょうの一枚は、やはり山路真護「水の幻想」でございました。

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久しぶりの王子散策記 #6

2018-11-04 10:05:58 | タウンウオッチング

「久しぶりの王子散策記 #5」のつづきを書こうとして、「#5」用に細工していた画像載せ忘れていたことに気づきました。
要した手間と時間がもったいないので、ここで載せておきます。

Google Mapに、装束稲荷神社装束榎跡と王子稲荷神社プロットした画像です。
遠くに富士山も見えますな。
歌川廣重「江戸名所百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火」を描くとき、富士山も描きたいのだけれど、深夜には見えないし…と残念がったんじゃなかろうかと思ったりして…

   

で、王子稲荷神社に到着。

ちょうど境内にある幼稚園退園時刻でして、境内は迎えにきた親たちと、幼稚園から「解放」(?)されてはしゃぎまわる子どもたちで大賑わい

そんな状況の中に、オヤジが一人でウロウロするのは、余計な疑惑を持たれそうでしたので、そそくさと退散いたしました

   

王子稲荷神社から王子駅方面に向かう道沿いには中央工学校の校舎が建ち並んでいるのですが、そこで見た校名碑にえ" 

「学校法人 中央工学校」と書かれた校名の下に説明板が埋め込まれておりまして、そこに書かれていたのは、、、

この書は、本校卒業生 第五代校長 元内閣総理大臣 田中角榮先生が 昭和46年に揮毫されたものです

ですって

田中元首相中央工学校を卒業した1936年当時、中央工学校のような専門学校は公的に「学校」とは認められていなかったことから、田中元首相の公的な最終学歴「旧制高等小学校卒(≒現在の中卒)」です。
こんな学歴に加えて、地縁・血縁もない身の上から政治家になり、そして総理大臣にまでなったという田中元首相は、やはり立志伝中の第一人者ですな。

せっかくですので、年表的に整理しますと、田中元首相上京したのが1934年(16歳)中央工学校土木科を卒業したのが1936年(18歳)衆議院議員選挙に初当選したのが1947年(29歳)中央工学校の校長就任1953年(35歳)初入閣(第一次岸内閣の郵政大臣)1957年(39歳)自民党総裁就任&内閣総理大臣就任1972年(55歳)、いわゆる「田中金脈問題」首相を退任したのが1974年(57歳)、以下、略します。

田中元首相が、上に載せた中央工学校の校名を揮毫したのは、1971年ですから、自民党幹事長第3次佐藤(改造)内閣通商産業大臣を務めていた頃です。

かなり脇道に逸れました。

次の目的地、王子神社に向かう途中で見かけたうなぎ屋に立ち寄って、昼食の鰻重を食しました。

それほど美味しいとは思いませんでしたがコストパフォーマンス高かった

そろそろ出かけたいので、王子神社の話は「#7」にまわすことにして、きょうはこれまで。

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MISIAのステージ衣装展示をハシゴ

2018-11-03 18:16:46 | MISIA

都内のレコード店4店MISIA「THE SUPER TOUR OF MISIA」で着用したが展示されているというので、ハシゴしてきました。

どんな順番で回ろうかと考えた結果、まずは新宿タワーレコードに行ったのですが、開店(11:00)30分も前に着いてしまい空振り
開店時刻くらい調べてから出かければよいものなのにね…。

タワレコが入居しているFlagsの前には開店を待つ人たち行列していましたが、私は30分も行列して開店を待つタイプではないので、予定を変更して銀座へ向かいました。

と、ここできょうの行程を。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線新宿駅タワレコ新宿店⇒徒歩東京メトロ新宿駅丸ノ内線銀座駅⇒徒歩山野楽器銀座本店⇒徒歩伊東屋⇒徒歩昼食⇒徒歩銀座駅銀座線渋谷駅⇒徒歩SHIBUYA TSUTAYA⇒徒歩タワレコ渋谷店⇒徒歩原宿駅山手線新宿駅⇒徒歩ビックカメラ新宿西口店⇒徒歩タワレコ新宿店⇒徒歩東急ハンズ新宿店⇒徒歩新宿駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

というわけで、きょう拝見してきたステージ衣装を、実際のライヴで登場した順番に載せます。

まず、山野楽器銀座本店で展示されていたこちら。

しげしげと拝見すると、単純じゃなく、襟の縁には反射素材がつけられていて、また左身頃の「青」は、そもそもキラキラする素材で作られていることが判ります。

また、スカートには、フリンジがびっしりと並んでいました。

こんなに手が込んでいるのに、2曲だけでしか使われなかったのは惜しい気が…

でも、ツアーカラーが鮮やかで、インパクト十分の冒頭シーンで目立ちまくりでしたから、それはそれで良いのかもしれませんな。

次は、タワレコ新宿店で展示されていたこちら。

バラードセクションで使われていて、背景ののバルーンとも相俟って、月の精のようでしたっけ。
和紙くしゃくしゃしたようなスカートの素材感ステキですし、左右対称になっていないところもなかなか

この衣装の展示場所は、7Fから8Fへ上るエスカレーターの乗り口のところでして、写真を撮るタイミングが難しいし、しげしげと拝見しようとすると、7Fと8F行ったり来たりしなければならないという難所でした。

お次は、タワレコ渋谷店で展示されていたこちら。

ライヴでは、大道具のお馬さんたちと色調が合っていて、まるでおもちゃ箱から飛び出してきたようでしたけど、単品を見ると、MISIA普段から着ていそうな感じがします

それにしても、これを着られるMISIAって、ほんとに華奢ですな。

そして最後は、TSUTAYA SHIBYAで展示されていたこちらです。

こちらは、さすがにMISIAでも普段使いしているとは思えない、祝祭用の衣装

デビュー当時のMISIAの「アーティストカラー」ピンクcute

この衣装、面白いことに胸ポケットがついています。

どうせなら、白いポケットチーフを胸ポケットから覗かせておけばよかったのに…

今回の東京での衣装展示は、あさって11月5日(月)まで

発表はありませんけれど、その後、7日(水)「MISIA星空のライヴX」大阪公演を皮切りに、ライヴツアーに帯同するんじゃなかろうか?

さっさと切り刻んでメロンパンダにするんじゃなくて、よりたくさんの人たちに観てもらうことを願っております。

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9年半ぶりの広島旅行記 #1-2

2018-11-02 20:05:36 | 旅行記

「9年半ぶりの広島旅行記 #1-1」のつづきです。

広島駅前お好み焼きを食べた私は、ひろでんに乗って平和記念公園に向かいました。
平和記念公園最寄りの電停「原爆ドーム前」なんですが、そこまで電車に乗っていったんじゃつまらない
せっかくの久しぶりの広島ですから、繁華街そぞろ歩いてみたい と思った私は八丁堀で電車を降り、新天地本通(ほんどおり)を通って平和記念公園へ…。

ちなみに私、運転免許をとってうん十年反則切符を切られた経験が2回ありまして、その記念すべき(?) 最初の反則切符を切られたのが新天地でした。
かなりいいかげん先輩の口車に乗せられてクルマを停めて近くで昼食を摂ったら、駐車違反の摘発を受けたという「黒歴史の地であります…

それはさておき、超久しぶり本通は、うん十年前同様に賑わっていました
御同慶の至りです。

と、楽しみの一つにしていた広島アンデルセン

あれ…

全面を養生壁で覆われて、そして、営業していない

養生壁には、「広島アンデルセン改装プロジェクト(既存建物解体工事)」と書かれています。
改装? 解体?
そういえば、どこかで広島アンデルセン改装するという話を聞いたことがあったようななかったような…。

帰ってきてから調べると、毎日新聞の記事によれば、

パン製造販売のアンデルセングループ(中区)は(2018年6月)19日、再オープンに伴い閉店中の本通商店街にある被爆建物「広島アンデルセン」(同)について、被爆外壁の一部を建て替える新店舗に使用すると発表した。東側の被爆壁の一部を切り取り、新店舗2階の外壁にはめ込む形で保存する。このため、引き続き広島市の被爆建物として登録されることになった。

だそうで、ホントに解体&新築でした。

この記事にもちょっとだけ書かれていますが、この広島アンデルセンの建物は、「被爆建物」です。
右に載せた説明板を転記しますと、

帝国銀行広島支店(爆心地から約360m)
この建物は、1925(大正14)年に三井銀行広島支店として建てられました。原爆が投下されたときは、合併により、帝国銀行となっていましたが、猛烈な爆風のため、屋根は抜け落ち、爆心地に近い北西側の壁も崩れ落ちました。戦後、何度か修復され、現在はベーカリーとして利用されています。

というわけで、原爆に遭いながらも、つい最近まで現役の建物として使われてきた貴重な建物です。
私が「広島市民」だった頃、何度かこの店に足を運びましたが、重厚な外観と、中(パン売場のほか、カフェとかレストランがある「食の殿堂って感じ)の明るさとのコントラストが鮮やかで、原爆ドームとは対照的に、平和な広島を象徴するような建物だった印象がありました。

ちなみに、爆心地は、この広島アンデルセン北西、ちょうど原爆ドームと結ぶ直線の中間あたりにあります。
つまり、爆心からの距離は、原爆ドームと広島アンデルセンとはほぼ一緒。。

そんな貴重な建物ですが、耐震補強するとなれば、どんがらが古いだけに技術的にも金銭的にも大変なことでしょうから、新築も仕方のないことだと思います。
旧壁を埋め込んだ新ビルオープン2020年8月だそうで、リニューアルオープンしたら、是非、再訪したいものです。

   

そして、原爆ドーム

この建物は、広島市のサイトから転記すると、

原爆ドームのもとの建物は、チェコ人のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月、広島県物産陳列館として竣工しました。(中略)
館の業務は県内の物産、他府県からの参考品の収集・陳列、商工業に関する調査及び相談、取引の紹介に関する図書・新聞・雑誌の閲覧、図案調製等でした。
同館は、産業奨励だけでなく、会場を提供することで博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の場として大きな役割を担っていました。
館の名称は、大正10年(1921年)に広島県立商品陳列所、さらに昭和8年(1933年)からは広島県産業奨励館と改称されています。
しかし、戦争の激化につれて、より産業奨励に重点を置いた運営がなされるようになりました。さらに戦争が激しくなると、館内の展示も次第に縮小の一途をたどり、ついに昭和19年(1944年)3月31日、館業務は廃止され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社など、官公庁や統制組合の事務所に使用されることになりました。

元安川を挟んだ対岸には、往時の写真があって、現在の姿とを対比して見ることができました。

東日本大震災後、震災遺構の取り扱いについて、保存するべきだという意見と、一日も早く撤去してほしいという意見とで議論が沸き起こりました。
大惨事を後世に伝えるために保存するべきだという声もあれば、見るたびに悲しみが掘り起こされるという声もあります。土地の有効利用という観点もあるでしょう。

原爆ドームについても同様の議論があって、最終的に広島市議会が原爆ドームを管理する広島市に対して「原爆ドーム保存を要望する決議」を可決することで保存が確定したのは、被爆から21年も経とうする1966年7月11日のこと。
保存賛成派と反対派が折り合うまでにはこれほどの時間を要するということなのでしょう。

東日本大震災の震災遺構についても、結論を急がずに、原爆ドームのときのように時間をかけて話し合うべきではないかという意見を聞いたことがあります。
私のこの考えに賛成なのですが、一日も早く残骸を片付けてほしいと願う遺族の方々にしてみれば、なし崩し的に保存という結論に持ち込まれるのではないかという疑念が残るのだろうなとも思ったりして。
難しい問題です。

さて、保存され続けることになった原爆ドームですが、その保存はこれまた大変なことのようです。
こちらの記事を読むと、

原爆ドームは『必要な劣化対策だけを行い現状のまま保存する』という基本方針によって保存活動が進められている。現状の原爆ドームの視覚上の外観変更は原則行わず可逆的手法を用いるとともに、原爆ドームのオリジナル部分には可能な限り保存の手を直接入れないことがルールになっているのだ。

だそうで、なんと選択肢の少ない対策を施していかなければならないことか

この記事の中で、「『原爆ドーム』はあと何年保存できるのか?」という質問に対して、広島市の担当技師の和泉さんによれば、

「それは全くわかりません。経年劣化は止められないので、劣化速度をなるべく遅く弱めてあげること。そして、今の姿でより長く保存することが目標になっていますが、100年後もこのままの状態を保存できるかというとそれはとても難しい。今後はドーム全体に覆屋をするなど、保存方法について見直しを検討しなくてはいけない時期が来るでしょうね」

だとか。

原爆ドーム「そこにある」のではないことを痛感して、保存に尽力される方々に声援を送りたい気分です。

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