「2017年3度目の関西旅行記 #1-4」のつづきです。
私が舞鶴市立赤れんが博物館を訪れたとき、「灯台記念日」企画展というものが開催されていました。
この企画展は、
我が国における西洋技術を用いた灯台の建設は、明治元年(1868年)、観音埼灯台(神奈川県横須賀市)に始まりました。その起工日である11月1日を「灯台記念日」と定めており、今年で149周年を迎えます。
第八管区海上保安本部では、舞鶴市の協力を得て舞鶴市立赤れんが博物館において、灯台記念日企画展を開催します。同企画展では、実際に灯台で使用されていたレンガのほか、灯台の光源等の変遷、全国各地の灯台写真パネルなどを展示します。
というものなんですが、どうして灯台の竣工日ではなく起工日が「記念日」になったのか不思議な気がします。
それはともかく、この展示の中で激しく萌え上がったのが、「全国各地の灯台写真パネル」の中に入道埼灯台のものがあったこと
男鹿半島の先端、入道崎にあるこの灯台には一度だけ登ったことがあります。
小学生だった頃だと記憶していますが、母方の親戚一同で男鹿に遊びに行き、白黒の灯台の中の階段をぐ~るぐ~ると登りましたっけ…
入道埼灯台に登ったのはこの一度きりですが、入道崎には家族ドライブほかで何度も行きました。
サザエの壺焼きを食べるのが楽しみで楽しみで…
想い出してみれば、中学1年の春の遠足で行ったのが最後かな…
来年の夏休みに帰省したときに久しぶりに母と入道崎に行ってみようか…
ところで、ここまで、「入道埼灯台」「入道崎」と書き分けていることにお気づきでしょうか?
正式には、灯台の名前だと「入道埼灯台」だし、地名だと「入道崎」なのですよ
海上保安庁のサイトに答が書かれていました。
「埼」と「崎」のことですが、海図では海洋に突出した陸地の突端部の名称としての(Saki)は、おおむね土へんの「埼」を用いています。例えば、東京湾付近では地図帳などには野島崎・観音崎・剱崎と「山へん」で記載されていますが、海図には「土へん」で野島埼・観音埼・剱埼と図載しています。
土へんの「埼」は、陸地(平地)が水部へ突出したところを表現し、山へんの「崎」は本来の意味として山の様子のけわしいことを言い、山脚の突出した所を示しており、平野の中に突出した山地の鼻等を言う意味なので、海洋情報部では漢字の意味からも地形が判る土へんの「埼」を採用しています。
なお、「みさき」の地形を表わす名称には「埼」のほかに「岬」、「碕」、「角」、「鼻」があり、まれに「岬」を(Saki)と読む場合もあります。
海洋情報部は、明治時代の海軍水路部のころから、土へんの「埼」を海図に採用してきました。これは、埼、崎、岬で地形の意味を表現するために使い分けをして、海図の使用者である航海者が地名から地形が判断できるようにしていました。たとえば、野島埼は、「野島」が地名を表現し、「埼」がそこの地形を表現していると考えると判り易いと思います。
国土地理院では、前身の陸軍陸地測量部が山へんの「崎」を使用していた経緯があるので、引き続き使用しています。
ここで大きな疑問が…。
海無し県の埼玉県は、どうして「陸地(平地)が水部へ突出したところ」を意味する「埼」の字を使っているのでしょうか
この考察は別の機会に取っておきます。
赤れんが博物館での企画展には、灯台のペーパークラフトも展示されていたのですが、これはこちらのサイトからダウンロードできます。
私は入道埼灯台を作ってみようかな…
つづき:2017/12/01 2017年3度目の関西旅行記 #1-6