新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

紀伊半島旅行記(その13:伊勢編 その7)

2014-05-31 23:56:30 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その12:伊勢編 その6)」のつづきも、伊勢神宮・内宮(皇大神宮)の見聞録です。


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手水舎(伊勢神宮では“てみずしゃ”と呼ぶらしい)で手を洗って、さぁ、鳥居をくぐるぞ と勇んだ私でしたが、鳥居の前で守衛さんたちが通せんぼしていました。


鳥居の先の右手にある「お白州(?)」で、何やら神事が行われているようで、白い装束の神職の方々がズラリと並んで座っていらっしゃいました。


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一体何の神事なのでしょうか?

白木の「畏み畏み」して、


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をお見送りして、


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はい、おしまい
(恐らくポジション順に)神職の皆さんが退場していきました。


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これほど大勢神職の行列を見るのは初めてで、これまた「さすがは伊勢神宮と思うしかありませんでした。


そして、末席の数名の方々は、裏方さんと一緒にお片付け


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この神事の「会場」は、手水舎御本家ともいうべき「五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)」に隣接していまして、ちょっくら寄ってみますか…と思ったのですが、


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昨日来の雨で五十鈴川増水しているという理由で、立入禁止でした


ん? このタイミングで「立入禁止のパーティションを設置しているということは、先ほどの神事五十鈴川の水に関連したものだったということなのでしょうかねぇ…


   


真相不明なまま、正宮(皇大神宮御垣内)を目指しましょう。


神楽殿の前を通り、しばらく歩くと、、、


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ついにやって来きました、内宮の正宮


真っ平らなところに立っていた外宮の正宮に比べて、かなりワイルドです。
土台の石垣デカい そしてナチュラル


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もう天候は回復しているものの、雨に濡れた木や岩の輝きが、自然と崇めてきた日本人の宗教観具現化しているようで、実に心地良い…


   


内宮も、外宮(こちらの記事をご参照方)と同様に、一番外の「垣」から内側は撮影禁止でした。
ですから、こちら最後(最接近)の撮影スポット


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そして、五重の「御垣」の4番目「外玉垣」から内側は肉眼で拝見することができないのも外宮の本宮と同じです。
資料によると、内宮本宮の本殿はこんな形をしているようです。


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外宮本宮の本殿と見分けがつきませんな…


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大きな違いは二つ。

まず、鰹木の数が、外宮が9本であるのに対して、内宮は10本

そして、千木の先端が、外宮では垂直になっているのに対して、内宮は水平になっているのだとか。
上の画像もそうなっています(当たり前か…


激しくキリが悪いところですが、きょうはこれまで。


つづき:2014/06/02 紀伊半島旅行記(その14:伊勢編 その8)

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紀伊半島旅行記(その12:伊勢編 その6)

2014-05-30 23:09:21 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その11:伊勢編 その5)」のつづきは伊勢神宮・内宮(皇大神宮)のお話です。


外宮(豊受大神宮)の参拝を終えた私は、外宮前のバス乗り場に行き、やって来たバスに乗って内宮へ向かいました。


私が乗ったバスは、「伊勢二見鳥羽周遊ばすCANばす」という路線バスで、近鉄・宇治山田駅から伊勢市駅外宮前神宮徴古館近鉄・五十鈴川駅内宮を経由して、さらに、MISIAライヴをやったことのあるサンアリーナとか、二見浦を経由して「鳥羽水族館・ミキモト真珠島」に至る(オンシーズンの終点は鳥羽バスセンター)という、観光にうってつけのバスでした。


このCANバスに乗って20分たらず内宮に到着


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あまりのあっけなさ(?)に、こりゃ便利だ…と思ったのが、翌日の「ムダな動きが多かったけど…(記事はこちら)に繋がってしまったのですけれど、この時点ではそんなことに気づくよしもなく…ってやつなわけで…。


   


それはさておき、「右側通行」宇治橋を渡って神域に入りました


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流木止めの様子からして、伊勢でも随分と雨が降ったことが察せられますなぁ


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そして、歩を進めて、手水舎で手を洗って口を漱ぎ、


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さて、、、、と思ったところ、次の鳥居で通行止め


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いったい何事…?


つづく…


つづき:2014/05/31 紀伊半島旅行記(その13:伊勢編 その7)

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紀伊半島旅行記(その11:伊勢編 その5)

2014-05-29 23:05:09 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その10:伊勢編 その4)」のつづきです。


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外宮(豊受大神宮)メインゲートといえそうな「表参道火除橋」の左手、勾玉池に面して、新しい建物が立っています。


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今回の式年遷宮を記念して建てられ、2012年4月にオープンした「せんぐう館」です。


私は、外宮に参拝した後、内宮(皇大神宮)に向かう前に見学(入館料300円)したのですが、この順番がベストじゃないかと思っています。


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140529_1_03その理由は追々書くといたしまして、「伊勢神宮を知る、きっかけの場所」というキャッチフレーズを持つ「せんぐう館」の展示は、HPによれば、


せんぐう館の展示資料は御装束神宝の製作や御正殿の造営に関する模型や映像など多岐多様です。それらはすべて、神宮式年遷宮が伝えてきた「精神」と「情報」という「形なきもの」を、目に触れ、肌で感じることができるように表現した画期的なものです。


と、観念的ですが、そんなことを放っておいて普通の博物館のように観覧しても、せんぐう館見どころ満載でした


まず、「永遠の匠たち」と題する展示。


この展示は、式年遷宮にあたって新調される「御装束神宝」と、「社殿造営」に関するもので、工芸寺社建築の一端を拝見することができました。


とりわけ、「御装束神宝」製作過程の展示感動モノ
20年前に製作されたモノを、そのままに再現することに専念した職人さん達の技能プライド意地炸裂しているようで…

「せんぐう館」に展示されている作品は、展示用に途中まで作られたものでしょうけれど、それでも素晴らしい作品ばかりで、本物の「御装束神宝」につぎ込まれているであろう「職人さん達の技能プライド意地」の一端を垣間見るようでした。


まったくもって人間業とは思えない凄いとしか表現のしようのない作品の数々、こりゃ、観なきゃMOTTAINAI断言しておきます


   


「その8」で書いたように、外宮の正宮は、四重の「垣」の一番外側にある「板垣」から内側は撮影禁止で、しかも参拝する「外玉垣南御門」からは、肉眼でも正殿を拝見することはできません
せいぜい、別宮を拝見して、「正殿もこんな感じなんだろうな…と想像するのが関の山


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そんな私の「欠けたピース」一部を埋めたのが、せんぐう館こちらの展示でした。


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「外宮殿舎配置模型」と共に、


外宮正殿東側の4分の1部分を原寸大で再現し、
外宮正殿の構造がよく分かるように忠実に作られています。


という、外宮正殿原寸大レプリカ


これまた、こりゃ、観なきゃMOTTAINAI断言しておきますデス。


上に、


私は、外宮に参拝した後、内宮(皇大神宮)に向かう前に(せんぐう館を)見学(入館料300円)したのですが、この順番がベストじゃないかと思っています。


と書いた理由がご理解いただけますでしょうか?


これ以上書いたらヤボってヤツかも…


   


残念ながらせんぐう館の館内は撮影禁止で、撮った写真は、かきつばたちょろちょろ咲く勾玉池こちらくらいのものでした。


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内宮(皇大神宮)への参拝のお話は「その11」

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紀伊半島旅行記(その10:伊勢編 その4)

2014-05-27 23:40:29 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その9:伊勢編 その3)」のつづき、、、というにはあまりにも小ネタで心苦しいのですけれど…。


「その8」で、伊勢神宮の式年遷宮では、由緒書きまでも新調することに驚いたわけですが、由緒書き序の口でした。


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石段手すり新調しているし、


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灯籠も、守衛所も、そして、「ホース格納箱」までも新調
さすがは神宮式年遷宮、ハンパありません


   


御料御馬「笑智(えみとも)」号


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MISIA「NEW MORNING」SPOT CMを連想してしまいました。


きょうは以上 です


つづき:2014/05/29 紀伊半島旅行記(その11:伊勢編 その5)

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特別展の「はざま」の東博に行ってきました

2014-05-26 23:24:31 | 美術館・博物館・アート

昨日、東京国立博物館(東博)に行ってきました。
大盛況だった特別展「キトラ古墳壁画」「栄西と建仁寺」が先々週で終わり、次の特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」までまだ1ヶ月あるという、まさに端境期東博は、人出も少なく(外国人観光客が目立っていました)、ひっそりとしていました。


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でも、こんな雰囲気の東博総合文化展って、なかなか良いんですよねぇ~


もちろん展示品手抜きはありません


例えば、多くの人が「教科書で見たと思うに違いない一休さん(一休宗純)の肖像画を久しぶりにしげしげと拝見しましたし(勤務先に似た風貌の方がいらっしゃいます)、


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青磁製の三閑人の蓋置ときめいたり


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明石焼出汁に浸けて食べるタコ焼きではない)の「色絵紫陽花文水注」や、


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讃窯(さんがま)の「色絵紫陽花文鉢」季節を感じたり、


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何度も見たはずの「遮光器土偶」頭髪の後ろに改めて感嘆したり、


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待ち時間無しでありつけた昼食のデザートにニコニコしたり…(メインディッシュイマイチでしたがデザートは美味しかった)。


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昨日の東博での私のお目当ては、こちらの記事でよいと触れた廣重「魚づくし」と、「平成25年度新収品」でした。
まず、廣重「魚づくし」


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「桜の実、鰹」なんて、今の季節にピッタリですなぁ。
一方で、「さば、かに」はもうちょい先の季節。


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サバの背中の模様がリアルです

それにしても、「鰺、車蝦」はどういう組み合わせなんでしょ


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ここまで赤身・青身の魚ばかりですが、白身魚もいました


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「笹、赤魚(あこう)」は、煮ても良し、焼いても良しって感じです
これらの作品を観たためか、昼食には魚料理を選んで、食べて後悔した私でございました


   


「平成25年度新収品」は、意外にも新しい作品が多くて、ちょっと東博としてはどうなんだろうか…と思いました。
例えば、杉岡華邨筆の「旅愁」は、温泉地のちょっと高級旅館やホテルのロビーに架かっていそうな感じで…


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一方、昨年度の東博新收品の目玉と目される「如意輪観音菩薩像」は凄かった


140526_1_13 「如意輪観音菩薩像」といえば妖艶な雰囲気のものが多いと感じていますが、こちらの仏さまは、妖艶さよりも凄みが際立っています

心に後ろめたいものを抱えた状態で、この眼差しで見つめられたら、一気に懺悔してしまいそうです。


140526_1_14 やはり鎌倉期の仏像って良いなぁ

日を改めて、この日の東博見聞録を記事にするかもしれませんが、今日はこの辺で…。

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紀伊半島旅行記(その9:伊勢編 その3)

2014-05-25 09:43:10 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その8:伊勢編 その2)」のつづきです。

伊勢神宮外宮(豊受大神宮)を参拝して疑問がいくつか湧き上がりました。


   


まず、第一鳥居に向かう「表参道火除橋」はなぜ左側通行なのか?


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ちなみに内宮(皇大神宮)宇治橋右側通行でした。


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この理由は単純で、橋の先にある手水舎(御手洗場)の位置が、外宮では左側内宮では右側にあるからなのだそうな。
ふむふむ、納得です。


   


次は、遷宮(遷座)の順番です。
今回の遷宮(第62回神宮式年遷宮)では、外宮と内宮の正宮は共に右(東)から左(西)に遷座していますが、それぞれの別宮これから遷座(来年1~3月)する外宮の風宮・土宮を含めて左から右へ遷座して(する予定)います。
(下の写真は、翌日訪れた内宮別宮の倭姫宮「右(東)」に新築中でした)


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遷座の方向になにか決まりがあるのでしょうか?


ちょいとググると、右(東)を「米座」(こめざ・こめくら)左(西)を「金座」(かねざ・かねくら)と呼ぶそうで、こちらのブログの記述を拝借すると、


古来から東の「米座」に神様がおられる時代は平和で心豊かな「精神の時代」、西の「金座」に神様がおられる時代は波乱、激動、物質欲が強い「経済の時代」として言い伝えられているという。


だとか。
この「言い伝えられている」キモで、オフィシャルな情報は見つかりませんでした
さらに、正宮と別宮とで順番が逆な理由も見つかりません
この辺の事情を御存知の方がいらっしゃいましたらご教示くださいませ。


   


次の疑問は、外宮別宮土宮なぜ南面していないのか? ということ。


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伊勢神宮のほとんどの社殿が南を向いているのに対して、土宮東を向いて鎮座していらっしゃいます。


東面している神社は珍しくはありませんけれど、伊勢神宮の構成社としては異例だと思います。これには深いわけがあるのではないかと思ったわけで…。
というか、土宮が東面しているおかげで、二つ目の疑問で「東⇔西」ではなく、「右⇔左」という書き方をせざるを得なかったんですよ…


この疑問に対しては、伊勢神宮の公式HPに答が書かれていました。


ところで、他の別宮が全て南面するのに比して土宮だけが東面しています。保延元年(平安末期の1135年)のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討され、御卜(みうら≒占い)まで行われましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。これについては南面に建てれば正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由に拠るとか、古来種々論じられてきましたが、詳らかにしません。但し、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前に遡り、古態を残したものといえるでしょう。


ということで、要は「昔から東面していた」っつうことですな


   


最後に、みんなが手かざししているこれは何?


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上の写真に写っているお二人だけでなく、何人もの人たちが正宮前にある石組みに手をかざしていました。
何の説明板もないこの「謎の石組み」をアップしますと、


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こんな具合。
8個の石で正方形に囲まれた中に、3個の石が寄り固まっています。
何やらいわくありげですが、前記の通り説明板はありませんし、公式マップ(PDF)にも載っていません。


例によってググると、これは「三ツ石」というもので、


昔はこの場所を宮川の支流が流れていましたが、明応7(1498)年の地震で流れが変わり、今は、川はなく少し離れた場所が池となっています。遷宮の修祓 が行われる川原祓所にあたり、川原だったことの名残として三ツ石が残されているのです。


とのこと。こちらのブログを拝見したところでは、公式マップの古いバージョンには名前だけが載っていたようです。
今回の式年遷宮に伴う公式マップの改訂にあたって「三ツ石」削除した神宮の意図は何?
ますます疑問が増えますが、どうやらこちらのQ&Aがそれを解消してくれそうです。


>有名なパワースポットだそうですが・・・
単純に有名人が謂れも何も知らずに「パワースポット」と勝手に持ち上げ流布した経緯の顛末です。
誤った情報が個人ブログや一部の軽薄な観光書籍が発信してしてしまい現在の状況となっています。


「平時は特別な祭などは行われず、紙垂を付けた綱で囲われています」というものが、一部の人たちにパワースポットとしてもてはやされていることは、正統としてプライドの高い神宮にしてみれば、「迷信だと、面白くないのでしょうな、K.I.T


ということで、いくつかの疑問は晴れ、いくつかの疑問は依然として闇の中にあります。


つづき:2014/05/27 紀伊半島旅行記(その10:伊勢編 その4)

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紀伊半島旅行記(その8:伊勢編 その2)

2014-05-24 22:54:05 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その7:伊勢編 その1)」のつづきは、いよいよ「お伊勢参り」です。
紀伊半島旅行3日目の旅程は当日の記事「伊勢では玄関先に一年中『しめ飾り』を吊す?」で書きましたので省略いたしまして、外宮(豊受大神宮)に到着したところから書き始めましょう。


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立て札とか由緒書きも、真新しい白木輝いているようです。


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御遷宮は内宮と同じく二十年に一度行われ 平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました


と書かれている由緒書きも、社殿御装束・神宝と一緒に新調されるんですなぁ。
このあと、意外なものまで「新調」されることを知って驚くことになるのですが、まずはお参りしましょう。


「表参道火除橋」というらしい橋(左側通行)を渡って、手水舎しきたりどおりに手を洗って口を漱ぎ、、、ありゃ、


左手をもう一度清め、柄の首を片手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように手を使い流す。


これをしなかった…
当日は、そんな不作法には気づくことなく、第一鳥居をくぐりました。


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参拝客の皆さんは、鳥居をくぐって入るとき&出るとき、内側に向かって一礼されています。
こんなこと、私は一度もしたことがありません
でも、「お伊勢参り初心者」の私ですから、「郷に入りては郷に従え」で、お辞儀してから鳥居をくぐりました。
そして、第二鳥居をくぐり、お札授与所(神楽殿)の前を通り過ぎると、塀越しに、もう朽ちる寸前といった風情の建物が見えました。


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何だろ、これ… と思いつつ視線を左に移すと、


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おぉ~ 木の香りが漂ってくるような新しい社殿が鎮座していらっしゃいます。
ということは、朽ちる寸前といった風情の建物」は、半年前までは正宮だったということですか?
ということは、20年前に建てられた建物
築後20年で、ここまで来ますか…


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役目を終えた社殿は、自然の中に溶け込んで(自然と同化して)いるようでした。
一方、新築正宮は、


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すがすがしい~~


140524_1_08 というのが第一印象でした。
そして、神社界ツートップの一つにやって来た という感慨が湧き上がってきました。


写真撮影(もちろんビデオも)が許されているのは上の写真の地点までで、その先は自分の五感に焼き付けるしかできません。

ところが、お参りする「外玉垣南御門」(上の写真で鳥居の内側に見える建物)にはが下げられていて、その奥が見えません

そのが、ときおり吹く風にあおられて舞い上がると、その先がチラリと見えたりして、この辺の「演出」なかなかなものです。


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外宮・正宮へのお参りを終えた私は、他の参詣客の人たちの流れに乗って別宮へ。

いわゆる「伊勢神宮」は、正式には単に「神宮」ということは知っていましたが、それと、皇大神宮(内宮)豊受大神宮(外宮)はどういう関係にあるのでしょうか?

伊勢神宮のHPによれば、


神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴川のほとりにご鎮座の皇大神宮(内宮)と、伊勢の山田の原にご鎮座の豊受大神宮(外宮)の総称で、古くは伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)ともいいました。
この両大神宮の正宮には、別宮摂社末社所管社が所属しており、全てで125の宮社を数え、これらの宮社をふくめた場合も神宮といいます。


だそうです。


正宮からほど近いところに、別宮の風宮(かぜのみや)と、


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土宮(つちのみや)が立っていました。


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どちらも「未遷宮」で、向かって右側の古殿地(新御敷地)には、ぽつんと古びた心の御柱覆屋が立っています。


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一方、ちょいと坂道を上った先にある多賀宮(たかみみや)新しいお社になっていました。


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きっと正宮の正殿こんな形式なんだろうな…と、しげしげと拝見しました。


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ボテッとした屋根がかわいらしいですなぁ。


下のイラストは正宮正殿です。

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別宮の鰹木5本ですが、正宮正殿のは9本あるそうな。


あまりキリがよくありませんけれど、ここで一息入れます。


つづき:2014/05/25 紀伊半島旅行記(その9:伊勢編 その3)

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「OCNブログ人サービス終了」ですと?!

2014-05-23 22:53:00 | ニュース

きょう、このブログの管理画面を開いたとき、画面の左側にある「ブログ人からのお知らせ」が目に止まりました。


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OCNブログ人サービス終了FAQ 14/05/21


とあります。


は? なんのこっちゃ
「OCNブログ人サービス終了」ですと?
そして、そのFAQ(Frequently Asked Questions=よく尋ねられる質問)ですと?


FAQ用意されているっつうことは、既に「OCNブログ人サービス終了」発表されているということなのでしょうけれど、私は聞いていません


混乱した状態OCNブログ人サービス終了FAQを開くと、こんな画面でした。


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冒頭に「OCNブログ人のサービス終了について」と1行だけあって、URLが書かれています。

クリックすると、、、


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平素より「OCNブログ人」をご利用いただき、誠にありがとうございます。
この度、誠に勝手ながら「OCNブログ人」のサービス提供は、2014年11月30日をもちまして終了させていただくことになりました。 これに伴い、2014年5月31日をもってOCNブログ人の新規申込み受付を停止させていただきます。


ぎょえぇ~~


「OCNブログ人」が終わってしま
約5年半2000本弱の記事を載せてきたこのブログはどうなってしまうんだぁ~


どうやら、これまで「OCNブログ人」にアップしたデータを丸ごと別のブログ運営サイト引っ越しできるようですけれど、PC画面上の見かけはもちろん、入力の仕方とか機能とか、今までとまったく同じにはいかないのでしょうな…

かなぁ~り不安です


   


それにしても、「OCNブログ人のサービス終了について」はいつの間に、どこで発表されていたんだろうか…

OCNからのメールをチェックしても、そんなメールは届いていないし…


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ふと思いついて「OCNブログ人」のポータルページを開くと、、、


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あれまぁ~、冒頭にドデカくお知らせが載っているではありませんか


でもねぇ~、「OCNブログ人」でブログを書いている人のうち、どれほどの割合の人が「OCNブログ人」のポータルページから入っていくのかなぁ…
ちなみに私は、「OCNブログ人」のポータルページではなく、「OCNブログ人」ログインページをブックマークして、ここから「管理画面」に入っています。

お知らせメールが来ないことといい、「管理画面」「ブログ人からのお知らせ」には「OCNブログ人のサービス終了について」の本体を載せていないことといい、なんだかOCNのやり方が、奥歯にものが挟まったような振る舞いで、面白くない…


さてさて、この「徒然煙草の咄嗟日記」、どうしましょうか…

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きょうは「国際生物多様性の日」だそうな

2014-05-22 23:20:43 | MISIA

140522_1_01 きょう、5月22日(もう5月も下旬だ…)は、「国際生物多様性の日」なのだそうで、mudefのHPにMISIAのコメントが掲載されています。


このコメントの中でMISIAは、


わたしたちが暮らす日本という国は、実に6852もの島から成り立つ、「島国」です。四方を海に囲まれ南北に長く、北の島では流氷が、南の島ではサンゴ礁を見ることができる、生物多様性豊かな「島国」でもあります。各地域では独自の植生があり、日本の文化にも影響を与えてきました。
また、世界の海水魚の約25%にあたる約3700種(日本の固有種は約1900種)が暮らす海域は、私たちが世界に誇れる、豊かな海の生物多様性です。


と書いています。
日本という国は、国土面積こそ小さいものの、その割には海岸線は長いし(領海+排他的経済水域の広さは世界6位だとか)、気候は亜熱帯から亜寒帯まで様々で、その結果、生物多様性が高まる、、、という次第です。


東京国立博物館総合文化展では、歌川広重の「魚づくし」シリーズを展示中だそうですが、この企画は、


今年の生物多様性の日の国際テーマは「島の生物多様性」です。


を意識したものなのでしょうかねぇ…

「生物多様性」うんぬんは別としても、歌川広重の「魚づくし」シリーズは観に行かねば


   


ところで、今日は、CLUB MSA会員を対象とした「Misia Candle Night」のチケット予約受付初日でもありました。


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完全に出遅れ去年の轍を踏まぬよう、しっかとエントリーいたしました

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紀伊半島旅行記(その7:伊勢編 その1)

2014-05-20 23:39:09 | 旅行記

「紀伊半島旅行記(その6:勝浦)」のつづきは、和歌山県と共に私の足跡のなかった三重県でのお話です。


当初の私の予定では、


紀伊勝浦 8:55 ⇒南紀4号⇒11:16 多気 11:32⇒参宮線⇒11:52 伊勢市


というものでした。
多気(たき)駅がどんな構造になっているのか判りませんが、16分もあれば充分に乗り換えができると思っていました。
ところが、乗客のおじさんが、検札に来た車掌さんに話すこんな言葉が聞こえてきました。


この電車、いつも遅れるから…


え" いつも遅れる?


愛用の「なんちゃってiPhone」ことiPodToutch南紀4号の時刻表と現在地を照合すると、、、確かに遅れている
イヤホンを取って聴いた車内放送によれば、前日からの大雨の影響で遅れているのだそうな


この時点での遅れ10分強といったところでしょうか? ところが、多気駅に近づいてもこの遅れは取り戻せていないようで、かなりヤキモキ
多気⇒伊勢市電車は、1時間に2本しかありませんので、予定の電車に乗り遅れれば、少なくとも30分ボケーっと時間をつぶさなくてはなりません
いっそのこと、南紀4号が30分近く遅れればあきらめもつくのですが、乗り換え時間16分のところで15分弱の遅れっつうのは心臓悪い



結局、多気駅には「15分弱の遅れ」をキープして到着

私は南紀4号のドアが開くなり、バッグを引きずって電車を降り、ホームを駆け走って 跨線橋を渡り、参宮線のホームへ


おぉ、間に合った


ところが、定刻になっても電車動きません


140520_1_01


ここで車内放送


南紀4号が遅れておりますので、この列車は接続を待って発車します(大意)


ですと


抜けました


大変ありがたい配慮ではあるのですが(JR東海をちょっとは見直しました)、南紀4号の車内放送でも知らせてくれたらよかったのに… と思ったりして…


こうして、無事にっつうか、なんとか伊勢市駅にたどり着いた私でございました。


つづき:2014/05/24 紀伊半島旅行記(その8:伊勢編 その2)

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