新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「ビバ初め」札幌旅行記 #2-3

2017-01-31 22:32:40 | 旅行記/美術館・博物館・アート

危惧したとおり、書きかけのシリーズが、2016年12月の仙台旅行記、今月(2017年1月)初めの札幌旅行記札幌から帰った翌週の東京国立博物館見聞録、そしてつい先日の大阪・京都旅行記と、4本たまってしまいました。
いや、THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP感想を含めれば、5本のシリーズが雁行状態です。 

なんとか5本すべて完結まで持っていくぞ

で、きょうはどれを書こうかと、記事リストを眺めると、もう1週間以上も前に書いた「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-2」のつづきですな。

   

というわけで、北海道博物館見聞録を再開しましょう。

昔からワサビ用のおろし器や、刀の柄(つか)に重宝されてきたのが、「鮫皮」です。
下の写真は、札幌旅行の翌週トーハクで拝見した「短刀 銘 備中国住次直作 延文3年11月日の拵」で、

説明板によれば、

伊達光宗徳川秀忠より拝領した青江次直の短刀に付属する拵(こしらえ)で、白鮫皮を着せた柄に「月」字につくった四分一の目貫を据え、鞘の全面を黒漆塗としている。
一見質素な感を受けるが、その技法や材質は高度であり、総体に格調高い作風を示している。

とあります。 
鮫皮は、見た目がキレイだし、ワサビをすり下ろすのにも、の滑り止めにも高機能な、高級天然素材なのですが、これが、サメではなくエイの皮なんですな。

北海道博物館に展示されていた、エイの皮がこちら

エイ(サメ)の皮

これがエイの皮?

説明板を見ると、

あれま 参考として載っている写真は、この1週間後にトーハク現物を観ることになる「短刀 銘 備中国住次直作 延文3年11月日の拵」ではありませんか 偶然にしても恐ろしい…

それはともかく、北海道博物館の説明板によれば、

アイヌ民族がとったサメ(エイ)は、「菊とぢ鮫」「蝶鮫」という名前の「鮫皮」として、和人への交易品になりました。
ここにあるエイの皮は、東南アジアなどでよくとれるツカエイの皮です。北海道ではエイをカスベと呼んでいます。
「鮫皮」は、刀の柄や鞘などに使われました。また「鹿子鮫」の油は、灯火用の油として和人への交易品になりました。

だそうです。
「カスベ」といえば、私の母の実家の辺り(トーハクの銭谷館長の故郷でもある)では、お馴染みの食材です 思い起こせば、何十年もカスベを食べてない…

この「鮫皮」の他にも、アイヌ⇔和人の交易品がいろいろ展示されていまして、中でも驚いたのは、トドの皮大きさ

すぐ左側に展示されている木綿衣と比べると、その巨大さが想像できるのではないでしょうか?

う~む、、、いろいろと繋がる話が多くて、先を急げないぞ

つづき:2017/02/22 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-4

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOPのネタバレ

2017-01-30 23:03:38 | MISIA

ここまで「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP all roads lead to you」ネタバレをしないよう、極力、気を使ってこのブログを書いてきたのですが、きょう、複数の音楽サイト(例えば、billboard JAPANとか)に「公式レポート」ドッ と出てしまって、私もたがが外れました

THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP 大阪公演

しかも、今夜の帰りの車中で、「LOVE BEBOP」を聴いていたら、もう、我慢できません
あと1週間なのですがネタバレ、行きます

まずは、初日仙台 2 days (記事はこちら)からセミファイナル大阪 2days まで全15公演セットリストから (クリックするとPDFが開くはず)

意外や意外ホール公演アリーナ公演セットリストほぼ同じでした。
そして、5公演に出かけた私、ここまで歌われた曲の中で、一度も聴けなかったのは、12月末九州シリーズ2公演(≒クリスマス公演)だけに登場した「Holy Hold Me」のみだったというのも意外です。

でも、今回のセットリストは、冒頭とアンコールいかにも「THE TOUR OF MISIA」メドレーで固め(冒頭:SAKOSHINメドレー、アンコール後:名曲づくしハウスメドレー)、DJ TA-SHIDJプレイあり、MISIA自身によるピアノ弾き語りあり、、と構成面でも満足できるものでしたし、選曲も良かったぁ~

(一応)最新アルバムLOVE BEBOPの収録曲が中心となっていますが、そもそも、「LOVE BEBOP」メリハリの利いた良いアルバムですから、全然、問題なし

そして、肝心のMISIAはといえば、安定度ハンパありませんでした

Twitterを見ていると、MISIA「声量」とか「歌唱力」に驚いた感想が多く見られて、実際、そうなんだけど、「声量」とか「歌唱力」といった言葉では伝えきれない素晴らしさ、凄さ、厚さ、深さ遠赤外線のように、&の中から全身に広がってくるような絶品MISIA歌声もさることながら、そんな状態を保ってツアーを続けてきたというのが驚異です

今回のツアーの「合い言葉」は、「ビバってる~ですが、これは、去年の流行語大賞に選ばれた「神ってる」もじりから始まったものですが(仙台初日MISIAが言っていた)、MISIAこそ「神っている」シンガーだと思う私です。

   

ところで、は、「THE TOUR OF MISIA」シリーズとしては最後なのだとか。
そのせいか、これまで「THE TOUR OF MISIA」のを思い出すような演出がいくつも見られました。

「ビバってる~「Ascension~ ですし、冒頭の巨大キングコブラ(ホント、驚いた)はシロナガスクジラのポポちゃんですし、はずいぶん前に何度か登場したし、DJしかり、Drag Queenしかり…。

確信なんてものではなく、ぼや~と想像するだけですが、残す横浜 2 daysでは、大阪ではなかった演出があるような気がしてなりません。
例えば、センターステージとか、「花道」 とか…。
私が2 daysとも取れなかったSS席が、かなり後方エリアまで広がっているらしいことからして、横浜では、普通の座席配置ではないのではないかと想像しているわけで…。

   

まだまだ書き足りないのではありますが、それは後日書くとしまして、最後に小ネタを一つ。

MISIA弾き語りに使っているキーボードは誰の持ち物なのでしょうか?

パイプオルガンとかグランドピアノのように輸送不可能 or 大変な楽器は、会場備え付けの楽器を使い、その他は、演奏者自身の楽器を使うのが普通だと理解していますが、今回のツアーでMISIA2台のキーボードを使い分けているようなのですよ。

札幌2daysのときは、初日KURZWEIL(「クルツヴァイル」かと思ったら「カーツウェル」と発音するらしい。ドイツではなく米国のメーカーですからね…)で、2日目にはRolandキーボードを使っていました。
そして、大阪初日のキーボードはKURZWEILでした。

両方ともMISIAの私物なのかなぁ~

横浜アリーナ 2 daysでの私の席は、ほぼ正面アリーナ席(他の会場では「スタンド」に相当する)で、かなりステージから遠いはずですが、いつも持ち歩いている単眼鏡を活用して、キーボードのメーカー注視してみることにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪でビバった旅行記ダイジェスト 2日目

2017-01-29 22:04:31 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪でビバった旅行記ダイジェスト 初日」のつづきです。

「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」大阪2日目は無事に終わったようで、よかった、よかった。Smile大阪城ホール満たしたことでしょだろな、K.I.T

私の「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」大阪 2 days昨日だけで、2日目ライヴが始まった頃には、既に新幹線に乗り、静岡辺りを東に進んでいました

そして、新横浜駅を出てすぐ、「来週は2daysとも来るぞぉ~と、横浜アリーナをカメラに収めようとしたのですが…。

 width=

もう暗いし(17:40過ぎ)、新幹線の速度も出ていたので、酷い写真になってしまいました

   

さて、きょうは、中国語ばかりが耳に入る中で、朝食を摂り、早々にホテルチェックアウトして京都に向かいました。

そうだ、例によって、きょうの行程を載せておきましょう。

ホテル⇒徒歩新大阪駅京都線新快速京都駅⇒徒歩京都駅前路線バス(103系統)梅小路公園・京都鉄道博物館前⇒徒歩梅小路公園⇒徒歩京都鉄道博物館⇒徒歩梅小路公園前路線バス京都駅前昼食京都駅前路線バス(100系統)銀閣寺前⇒徒歩銀閣寺⇒徒歩⇒銀閣寺前付近⇒タクシー今出川駅地下鉄烏丸線京都駅東海道新幹線東京駅上野東京ライン赤羽駅埼京線自宅最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

正直、ヘトヘトです。

京都鉄道博物館

銀閣寺

たった2か所しか巡っていないというのに、この疲れ方はどうしたことか?

この原因は、恐らく寝不足

もともと、が変わると寝付けない私ですが、とりわけ昨夜酷かった

日付が変わる頃には、部屋の灯りを消してベッドに入ったのですが、全然眠れない
1時を過ぎてもダメ2時を過ぎてもダメ3になってもダメ

ショボショボなのですが、頭が妙に冴えて眠れない…

MISIAの曲に「眠れぬ夜は君のせい」という曲がありますが、この曲名を拝借すれば、まさしく、「眠れぬ夜はMISIAのせい」だったと断言してしまいます

THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP大阪初日のことが頭の中でリフレインしたり、あれこれ考えたり、加えて、「ダイジェスト その1」ネタバレを極力抑えたストレスなのか、眠りモードに入らないのですよ。

それでも、なんとか3時間強眠れたと思うのですが、この状態で行動するのは厳しいものがありました。ライヴでははしゃぎまくりましたし…

というわけで、体力的にキツいので、今夜はこの辺でお開きとさせていただきます。

詳細は旅行記本編で…

本編:2017/04/08 大阪でビバった旅行記 #1-6

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪でビバった旅行記ダイジェスト 初日

2017-01-28 23:43:59 | MISIA/旅行記

「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」大阪初日堪能して、ホテルまったりしています。

まずは、きょうの行程から行きましょうか。

自宅⇒徒歩最寄り駅前空港リムジンバス羽田空港飛行機大阪空港空港リムジンバス新大阪駅昼食⇒徒歩ホテル⇒徒歩新大阪駅京都線大阪駅大阪環状線森ノ宮駅⇒徒歩大阪城公園⇒徒歩大阪城ホール(TTOM)⇒徒歩大阪城公園駅大阪環状線大阪駅⇒徒歩夕食⇒徒歩大阪駅京都線新大阪駅⇒徒歩ホテル

きょうの観光は、大阪城公園のみでした。
しかも、時間の都合もあり、天守閣は外から眺めるだけで、中には入らずじまい…。

でも、本丸をのんびりと歩いて、広大な縄張豪壮な石垣を楽しみました。

大阪城石垣って、よくもあれほどの巨石をいくつも積んだものだと感心します。

同じ「徳川の城」でも、石垣の凄さに関しては、本拠地の江戸城上回るスケールだと思いますゾ

そして、大阪城公園散策の最後は、かすかに流れてくる「蛍の光」のメロディーを聴きながら、梅園をブラブラしました。

先週の東京都庭園美術館(記事はこちら)と同様、まだ1~2分咲きといった咲き具合でしたけれど、それでも梅の香りを楽しむことができました。 

森ノ宮駅から大阪城ホールまでのルートを数に青線で示しました。

大阪城ホールからすぐ近くの公衆トイレでこんな「テプラ」を発見

 ギンナンの洗浄禁止

ですって

もうずいぶん昔の話ですが、ミナミの地下街のトイレで、

 ここで足を洗わないでください

という貼り紙を見たことを思い出しました。
やはり大阪って面白い

   

 さて、肝心のTHE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP大阪初日、っつうか、アリーナ公演初日、、、いやぁ~楽しかった 素晴らしかった そして、驚いた

ライヴが始まったとたん、場内が、ウオオッ どよめきましたもの…。

私、ライヴ終了後に、「今夜の #TTOM の教訓」として、以下の5本tweetしました。

1) 長いものに巻かれろ
2) 火のない所に煙は立たない
3) ゲイは身を助ける
4) 一片知春
5) 帯に短し たすきに長し

さて、どんな意味なんでしょ?
とりあえず、秘密にしておきます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年師走の仙台旅行記 2日目 #4

2017-01-25 22:41:12 | 旅行記

「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #3」のつづきです。

ちょいと先を急ぐことにしまして、仙台市博物館の裏側、「2日目 #2」で書いた初代「政宗公騎馬像(部分)」が展示されている辺りから仙台城・本丸を目指しました。

私の「登城ルート」を右の案内図に青線で示しました。
赤丸でプロットされているのが、路線バスを使える現在のメインルートなんですが、それに比べると距離は短い
でも、よく考えると、それだけタンジェント大きい=傾斜がきついということです。
実際、ほんの10分ほどの所要時間なのですが、けっこうな運動になりました。

と、その前に、この登城ルートをふり返りますと、まずあったのが、仙台市博物館のすぐ裏手の清水門

説明板によりますと、

三の丸から沢門(さわのもん)に至る登城路の途中に設けられた門で、正保2年(1645)の絵城図では入母屋造屋根、二階建ての二重門となっているが、創建時代や変遷は不明である。
清水門の名は、門付近に仙台藩の御用酒づくりに利用された湧水があったことにちなむ。

だそうです。
そりゃ、青葉山の麓ですから、が湧いたことでしょう。

野面積みの石垣がよござんす

清水門跡

そして、ここで見かけたが、寝起きみたいな顔をしていて(もう正午なのに…)、これまたよござんす

沢門跡で「バス通り」に入ってすぐの地点、いよいよ本丸の石垣です。

? なんだ、この

地形を気にしない不自然「欠け」ではありませんか?

だいたい、こうした形石垣や壁がある場所といえば、もちろん、このブログには何度も何度も登場してきた(丑寅=北東)」 です

案の上、この石垣の上には「艮櫓(うしとらやぐら)が立っていたのだそうな。

また私の「艮コレクション」が増えました

ちぃと写真の順番が飛びましたが本丸の正門たる詰門跡で、路線バス時刻表を確認した後、宮城懸護國神社の鳥居をくぐって、

いよいよ本丸

あれ? こんなのあったかな?

本丸跡には、間取り復元らしきものがありました。
説明板によると、これは、本丸御殿間取りを示したものだとか…
それはいいとして、6年前にここに来たときには、こんなのなかったような気がします。

そこで、6年前の写真を漁りますと、、、

やはり、政宗さん騎馬像の背後は、ただノペ~空き地が広がっていました。

この本丸御殿の間取りの話とか、もっと驚いた 6年間の変化については、「2日目 #5」で書きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社と博物館に初もうで #3

2017-01-24 21:47:05 | MISIA/美術館・博物館・アート

「神社と博物館に初もうで #2」のつづきです。



この日、上野駅公園口から改札を出た私は、いつものように、公園口からほど近い喫煙場所一服しようとしたのですが、、、



あれ? 喫煙場所工事エリアになっている


気勢をそがれた私は、一服するのをあきらめ、東京国立博物館(トーハク)へ。
そして、トーハク本館平成館の間にある喫煙所まで行って、ようやく一服


ふ~ っと煙を出しながら、平成館の方に視線を向けると、またもや、あれ?



何やら見慣れない胸像らしきものが立っています。


誰の胸像だろうかと、近くに寄ってみますとイケメンのお兄さんの胸像で、台座には、イマイチな筆致で、「初代 町田久成館長像」と書かれています。
傍らの説明板には、


初代館長 町田久成
薩摩藩の名族に生まれ、幕末に藩命を受けて欧州に留学。維新後は文化行政を担い、博物館の初代館長として上野博物館の建設や博覧会開催に尽力した。辞官後、出家して園城寺子院の住職となり、「石谷」と号した。当館庭園にその事跡を偲んだ「町田石谷君碑」がある。


と、至って素っ気ない
この説明では、この胸像が町田さんがいくつのときの姿なのか判らないじゃないの…。
こんなときは、裏に廻って見る、これが基本です


で、案の上、しっかりとした銘板が貼りつけられていました。 
ちょいと長くなりますが転記しますと、、、 


町田久成は、天保9年(1838)薩摩国日置郡石谷領主の町田久長の長男として鹿児島城下に生まれ、町田家29代当主となる。19歳で江戸の昌平黌に学び、文久3年(1863)26歳で大目付となった。同年に藩の開成所が創設されると学頭となり、慶応元年(1865)薩摩藩英国留学生を率いて渡英した。帰国後は新政府で外国官判事や外務大丞として外国事務に携わったが、明治3年(1870)に大学大丞に転じて文化財行政に専念した。明治5年、旧湯島聖堂の大成殿で開催した博覧会を機に「文部省博物館」が発足すると、初代館長に就任し、ただちに文化財を恒常的に保管・展示するための本格的な博物館建設の必要性を太政官に建言し、明治15年、上野寛永寺跡地の新たな博物館開館に至るまでその運営に尽力した。その後明治18年に元老院議員となったが、4年後には職を辞し、岡倉天心フェノロサなどと共に、園城寺法明院住職の桜井敬徳和尚に帰依し、園城寺光浄院の住職として文化財の保護に努めた。
明治30年9月13日上野の明王院にて逝去。享年60歳。
  平成28年11月吉日
    建立  町田家32代当主  町田忠夫
    題字揮毫 第97代内閣総理大臣 安倍晋三 
    制作  文化勲章受章・日本芸術院会員 中村晋也


これによれば、町田さんが「初代館長」に就任したのは34歳頃のこと。
若い
この胸像は、「初代館長」に就任した頃のお姿なんでしょうねぇ…


ちなみに、岡倉天心やフェノロサなどと共に、園城寺法明院住職の桜井敬徳和尚に帰依したとき(1889年頃)の年齢を調べてみると、町田さんは41歳フェノロサ36歳岡倉天心26歳でした。
世俗を引退した最年長町田さんでさえ41歳とは、ホント、みんな若い


こちらで書いたように、岡倉天心は、翌年1890年に、東京美術学校(現・東京藝術大学)の校長に就任するのですが、27歳で今でいう国立大学の学長になったなんて、改めて明治初年アナーキーぶりに驚愕します。


この碑文を読んで思いだしたのは、鹿児島中央駅前で見た銅像群
確か、幕末に鹿児島藩が欧州に派遣した若者たちの像だったよなぁ…と、2011年南九州旅行の写真を見てみると、この銅像群「若き鹿児島の群像」というもので、


1863年の薩英戦争で ヨーロッパ文化の偉大さを知った薩摩藩では 前藩主島津斉彬の遺志をついで イギリスへ新納久修以下の留学生並びに外交使節団を派遣した 当時幕府は日本人の海外渡航を禁じていたので 甑島大島辺出張として すべて仮名を用いた
一行は1865年4月17日串木野羽島浦を出港して 道中驚きの眼を見張りながら66日目の6月21日 ロンドンに到着 学生たち ロンドン大学に留学した


碑文にありました。
そして、「外交使節団」として、既出の新納久修のほか、 かの五代友厚松木弘安(=寺島宗則)とともに、町田久成の名前も拝見できます。


どの像が誰なのか、台座のどこかにあった気もしますが、一番上で両手を挙げているのが新納さんだということ以外判りません…
今年3月末に「Misia Candle Night」に遠征したときに確認したいと思っています。


って、もうMisia Candle Night @鹿児島・仙厳園」遠征する気になりきってる…
まだコンサートチケットを入手できるか定かでないというのに…。


そういえば、鹿児島行きの航空券あすマイレージ特典チケット予約開始日
先日の札幌遠征のケース(往路:羽田⇒⇒新千歳 復路:新千歳⇒⇒仙台⇒⇒仙台⇒⇒大宮)とか、2009年の「MISIA 星空のライヴIV」@長崎・稲佐山のケース(往路:羽田⇒⇒長崎、復路:長崎⇒⇒博多⇒⇒福岡⇒⇒羽田)もあるし、羽田⇔鹿児島往復チケットを確保できるのか、ちょいと不安であります。


【追記】難なく、羽田⇔鹿児島マイレージ特典チケットgetできました
しかも、「往路は超早朝か夕方、復路は朝しかないなんてこともなく、往復とも、余裕ある時間帯の便です。
考えてみれば、3月末といえば、年度末ドタバタする時期で、観光・旅行のオフシーズンですものねぇ 私だって、今の業務だから遠征できるわけで、以前の業務だったら、到底無理でした。


既に鹿児島ホテル確保済みですから、残すは、きょう当落発表「Misia Candle Night」チケット のみ 
これをget できないと本末転倒なのですが、 まぁ、大丈夫でしょう…。
と、根拠なく楽観的な私であります


あ、そうだ


WOWOWでの「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」@横浜アリーナ放送は、3月26日(日)ですって
放送時間は未発表ですが、恐らくMisia Candle Night @鹿児島・仙厳園」同じタイミングなんだろな…
忘れずに録画予約しなければ (2017/01/26 06:58)


【追記 その2】 予定どおり、というか、予想通りMisia Candle Night @鹿児島・仙厳園」 2 daysのチケット をget できました
しかも、初日が14列目2日目が10列目と、思いのほか前の方の席です 
2 daysともかなりステージから遠い席だった春日大社 飛火野(記事はこちらこちらNHK "SONGS"矢野顕子さんの「ひとつだけ」を聴くと、あの夜のデュエットを思い出す)でのリベンジっぽい感じかもしれません。
ただ、前の方の席だけが良いかっつうと、そんなことはなくて、河口湖ステラシアターでのMisia Candle Nightの場合は、最後列は最高ですよ、ホント (こちらの記事をご参照方)
席が前のときもあれば、後ろのときもある。運を天に任せるのもまた乙なもの だと思います。 


というわけで、Misia Candle Night @鹿児島・仙厳園」 遠征に向けて、ホテル往復の航空券、そして最後ライヴのチケット が揃いました


と、の前に、「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBEOP」アリーナ公演が迫ってきました
明日の仕事を終えれば、もう、気分は大阪に飛びます (2017/01/26 23:22)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6年ぶりの東京都庭園美術館

2017-01-23 05:41:51 | 美術館・博物館・アート

昨日、2011年1月以来、6年ぶり東京都庭園美術館に行ってきました。

目黒駅から目黒通りを東へ歩くこと約5分、首都高速2号線をくぐった辺りに、こんな案内板がありました。

東京都庭園美術館がある辺りには、「松平サヌキ」と書かれています。
東京都庭園美術館は、旧朝香宮邸の建物と庭を引き継いだものですが(途中、西武グループが所有した時期があります。ヘタすれば、ここにもプリンスホテルが建っていたかもしれない)、その前は高松藩邸だったんですな。
前日、私の関心が香川県集中MISIAとかブラタモリとか…)していた名残かな? なんて考えたりして…。

で、東京都庭園美術館に到着!

1月14日から「並河靖之 七宝 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性」が始まっています。
私、2009年10月に「皇室の名宝」展1期で「四季花鳥図花瓶」を観て以来(記事はこちら)、七宝というものに対する見方がガラリと変わり、京都の並河靖之七宝記念館には2回行きましたし、七宝を初めとする明治工芸の素晴らしいコレクションを誇る清水三年坂美術館にも行きました(訪問記こちらこちら)。

約3か月間と、けっこう長い会期日本画などに比べて七宝強い)ですが、まだ大丈夫 なんてのんきに構えているうちに終わってしまった 展覧会が少なくありませんので、思い立ったが吉日 です。

   

さて、ルネ・ラリックによる華麗なガラス・レリーフ扉のある玄関から美術館に入ると、、、玄関ホールに展示されていたのは、「四季花鳥図花瓶」ではありませんか
東京国立博物館で拝見して以来、7年ぶりです。

ポスターやフライヤーには「四季花鳥図花瓶」が登場していなくて、展示されているのかどうか不安に思っていましたので、うれしいったらありゃしない

咲き乱れる山桜、風にそよぐ青もみじ、瞬間を捉えられた鳥たち、、、、美しい自然の一瞬が切りとられて、花瓶に封じ込められたかのようでした。
この1点だけでも観に行く価値あり だと思いました。

ただ、を言えば、ライティングイマイチだし、天井の照明が写り込んでしまって、 う~む
旧お屋敷の照明を活かした場所に展示されていましたから、仕方ないわけではありますが…。

んでもって、今回の一番「お持ち帰りしたい」作品は、この「四季花鳥図花瓶」ではなく(ちょっとデカ過ぎる)、こちらでした。

清水三年坂美術館所蔵の「蝶に竹花図四方花瓶」です。

とにかく、背景のがキレイ
潤いを含んだかのような漆黒が、の存在を引き立たせつつ、奥行きを感じさせます。
そして、主題と背景とのバランス慎ましさ

いやはや、ホント、素晴らしい

   

出品作品の中に、面白いものがありました。
外国製のタバコ入れで、の顔が描かれています。
このタバコ入れは、 並河靖之朝香宮鳩彦王から賜ったもの。つまり、この展覧会の会場となったお屋敷を自分の趣味・趣向の趣くままで建ててしまった宮様から頂戴したものというわけです。

このお二人、因縁浅からぬものがあります。

並河靖之川越藩士・高岡九郎左衛門3男として京都に生まれ(1845年)1855年8月に青蓮院宮家の家臣・並河靑全養子となったところ、同年10月に養父が亡くなったため、並河家の家督を継ぎ、そのまま青蓮院宮近侍になりました。その後、青蓮院宮は、還俗して中川宮賀陽宮伏見宮久邇宮と改称しますが、その間、並河靖之はずっと宮様にお仕えしていました。
この久邇宮というのが、朝香宮鳩彦王の父、久邇宮朝彦親王なんですよ(今上天皇曾祖父でもある)。しかも、並河靖之は、朝香宮兄宮姉宮の養育掛に任じられて、お二人を約2年間にわたって自宅に預かっていたこともありましたから、 並河靖之朝香宮が互いに知らない間柄であったはずはありません。

並河靖之が亡くなって90年の時を隔てて、かつてお仕えした宮家の若宮の旧お屋敷で「回顧展」を開くことになろうとは、本人は想像もしていなかったことでしょうなぁ

ところで、宮家家従だった並河靖之「東の濤川、西の並河」と称される一流七宝家になったのはなぜ? どんな経緯があったのでしょうか?

説明パネルによると、驚いたことには、久邇宮家からの給料だけでは生活できない と副業として始めたのが七宝だったのだとか。

そして、1873年に七宝を始めてから、国内外の物産展に出品して評価を高めていき、1878年は久邇宮家を辞して七宝制作に専念、1976年頃には、横浜ストロン協会5年間の契約を結ぶまでに至ります。
ところが、1881年、横浜ストロン協会から、「拙技を理由に契約の解除を申し渡される。窯の焼き損ないも重なり、負債を背負うことになる」というマズい状況に陥ってしまいます。

そして、ここで一大転機

図録年譜(1881年)を引用しますと、

ストロン協会の厚意で東京・上野で開かれた第2回内国勧業博覧会を見学し、大いに刺激を受ける。
帰洛したのち、40人ほどいた職工の内20名を暇に出し、再び博覧会を訪れる。日光などを見学したのち、残りすべての職工に暇を出し、新たに5名を雇い入れる。 

ストロン協会尊敬するなぁ。
「拙技を理由に」契約を解除しながらも、ちゃんとフォローしているし、このできごとが、並河七宝リスタートになったわけですから。 

   

東京都庭園美術館に出かけたのは6年ぶりと書きましたが、この間に大きな変化がありました。

こちらによれば、2014年11月末約3年間に渡る大規模な改修工事を終えて、

東京都指定文化財である旧朝香宮邸を継承した本館の設備改修、ならびに建物保存を目的とした調査、修復、復原を行い、そして新たに、ホワイト・キューブの展示空間が備わった新館が誕生しました。

「並河靖之 七宝」展の展示は、新館にも続いていまして、明るい渡り廊下を通って行きます。

この、

三保谷硝子製の美しいガラスのアプローチを抜けると、モダンで開放的な空間が広がります。

というガラスが面白い。

シボシボがついていまして、通り抜けた陽光がキレイなをつくっていました。

また、この扉のデザインおしゃれだぁ~

庭では、白梅はチラホラ、

紅梅はけっこう咲いていました。

でも、香りは、白梅圧勝

ホント、いい香り
まだまだ寒いけれど、がやって来ることを予感させてくれる香りですな。

う~む、楽しかった 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビバ初め」札幌旅行記 #2-2

2017-01-22 10:42:51 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-1」のつづきです。

北海道博物館の受付で、200円お得北海道博物館北海道開拓の村共通入場券(1200円)を購入して、観覧開始

北海道博物館のレイアウトは下図のようになっていまして、まず最初は、「北海道120万年物語」
「120万年とは、大きく来ましたなぁ~、 さすがは北海道

だいたい、自治体立の総合博物館の常設展示は、旧石器時代縄文時代石器土器地味ぃ~な展示から始まるものですが、北海道博物館はちょいと違っていまして、いや、かなり違っていまして、相当なインパクト

なにせ、二体巨大復元模型が並んでお出迎えしてくれるのですから

まずは、1969年に忠類村(現・幕別町)から出土した化石をもとに復元されたナウマンゾウ

そして、北海道各地で数点の化石が発見されたというマンモスゾウの復元模型。

リンクを張ったWikipediaの記述によれば、

日本では13点の化石が発見されている。そのうち12点が北海道で発見され、残り1点は島根県日本海の海底約200メートルから引き揚げられた標本である。加速器分析計による放射性炭素年代測定が行われ、8点が測定可能で、得られた結果は約4万8000年前 - 2万年前までであった。これらの結果から約4万年前より古い化石と約3万年前より新しい年代を示す化石に分けられ、約3万5000年前あたりを示す化石はなかった。マンモスに替わってナウマンゾウが生息していた時代ではないかと推測されている。

私、恥ずかしながら、ナウマンゾウマンモスゾウの違いを意識したことがありませんでしたが、復元模型とはいえ、実物大の骨格標本を見ると、その違いが判りました。
まず、マンモス象の方が一回りくらい大きいし、牙の形がだいぶ違います。また、頭骨の形がずいぶんと異なります。

それにしても、こんな巨大な動物が闊歩していたなんて、想像するとワクワクします。

ちなみに、現在の北海道に生息する最大陸上動物は、もちろん、、、

ヒグマです。 
これはぬいぐるみですけど…

ヒグマついでに、総合展示室の最後にあったこちらアンケートのことを書いておきましょう。

あなたの家の近くにヒグマが現れたら、どうしたらいいと思いますか?

という質問に対して、来館者が「①退治してもらいたい」「②退治しなくていい」「③どちらでもない(わからない)」3色の紙にコメントを書く、というコーナーです。
2017年1月7日時点での投票結果は、総数16,175票のうち、「①退治してもらいたい」3,865票、「②退治しなくていい」9,816票だそうですが、吉村昭「羆嵐」を読んでから回答を考えたら、かなり結果が変わりそうな気がします。 

   

話は、時代を一気に遡って縄文時代
北海道縄文時代といえば、、、、

出たぁ~国宝中空土偶 

んん? 中空土偶って、函館にあるんじゃなかったっけ? と思ったら、案の上、レプリカでした。
説明板でのタイトルは「縄文文化後期で一番大きい土偶」となっていまして、オリジナルは、函館市の著保内野遺跡から出土した4,000~3,000年前の土偶で、高さは41.5cm
ちなみに、山形県舟形町西ノ前遺跡から出土した国宝・縄文の女神こちらの記事をご参照方)は高さ45cmですが、こちらは縄文時代中期(4,500年前)の土偶です。

こちらの土偶(レプリカ)もいいなぁ



根室市初田牛20遺跡から出土したもので、日本で一番東で発見された土偶だそうです。
もっとも、根室といったら、島嶼を除けば、もともと日本最東端ですから、ほとんどが「日本で一番東で…」となるわけですが…

それはともかく、縄文文化後期のこの土偶、踊るような手と足の様子がcute です。

それと、こちらの土器(これまたレプリカ)も素晴らしい作品だ

北斗市茂辺地遺跡から出土した縄文文化後期の土器で「人形装飾異形注口土器(ひとがたそうしょくいけいちゅうこうどき)」で、オリジナルは文化庁が所蔵しているそうです。

   

日本史の授業では、縄文時代紀元前500年頃に終わると弥生時代が始まったと習いましたが、北海道は状況が違うんだそうな。

縄文文化に続くのは「続縄文文化」で、その次は「オホーツク文化」「擦文文化」に繋がっていったらしいのですが、本土の人間にとってはイメージがわきません。

と、先週行ってきた東京国立博物館に判りやすい時代区分表が展示されていました。

これを見ると、北海道沖縄は、日本本土3島とは別の時代(時間)が流れていたのだとつくづく思いますな。

説明板での時代表記が、「縄文後期」ではなく「縄文文化後期」となっていることに違和感を覚えていましたが、これで納得です。

きょう最後に紹介するのは、これまたレプリカなんですが、鹿の角を加工したスプーン

伊達市有珠モシリ遺跡から出土したもので、続縄文文化(2,300~1,400年前)のもの。
オリジナルは文化庁所蔵で、国指定重要文化財だとか。

全体の素朴な印象と異なって、クマの彫刻が精緻 というか、デッサン力が感じられて、お見事

これ、うまくアレンジしたら商品になりますぜ

来週末大阪遠征なんですが、旅行記・見聞録はかどりません

ヘタしたら、4つのシリーズを並行させることになるかもしれませぬ。 

つづき:2017/01/31 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年師走の仙台旅行記 2日目 #3

2017-01-21 13:41:29 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2016年師走の仙台旅行記 2日目 #2」のつづきは、仙台城三の丸跡にある仙台市博物館の探訪記です。

仙台城復元模型を見ると、仙台城が、広瀬川河岸段丘三の丸(下町段丘)と二の丸(上町段丘)が作られ、そこから一気に上り詰めた青葉山本丸が設けられたことがよく判ります。

手前の大橋を渡り、五色沼の手前を左に折れて子門をくぐると三の丸、広い道をまっすぐ進んで大手門をくぐると二の丸、左の青葉山の上に本丸があります。
現代の地図を向きを変えて載せるとこんな具合

基本的な地形・構成は変わっていませんから、なおのこと、上に載せた復元模型楽しい

ところで、仙台市博物館のトイレのサインはこんな感じで、

伊達政宗と正室・愛姫(めごひめ)がフィーチャーされています。
更に、飲み物の自販機にも、 

政宗公がフィーチャー
どんだけ「政宗 LOVEなんでしょねぇ。 

もちろん、常設展示「政宗 LOVEでした。

かの弦月の甲冑黒漆五枚胴具足)はレプリカでしたが、ちゃんと展示されていましたぞ。

カッコよござんす

甲冑といえば、八日月愛宕山大権現お札を重ねた前立が印象的片倉小十郎のもの(下の写真の左の甲冑)が強烈な個性を放っていましたが、こんなの見たことない甲冑が展示されていました。

上杉謙信所用と伝えられる「朱皺漆紫糸威六枚胴具足(しゅしぼうるしむらさきいとおどしろくまいどうぐそく)です。

その名のとおり、しぼしぼの胴や草摺も見ものなんですが、

なんといっても凄まじいのは、阿修羅像ばりに、3つの顔が大々的に盛られたでしょう

説明板によりますと、

胴は六枚の鉄板から成り、素懸風に紫糸で威す。全体を朱漆で皺塗(しぼぬり、たたき塗)とし、各所に桐紋丸に大の字紋を蒔絵で表している。この具足の最も顕著な特徴は、三宝荒神をかたどった兜である。頭形(ずなり)の兜に赤・緑・黒の忿怒形の三つの顔をつける。
顔は紙を貼り重ねて成形し、漆で固めている。三宝荒神は修験道系の神とも、仏教系の仏ともいわれるが定かではない。
この具足は上杉謙信所用と伝え、延宝7年(1679)に旧上杉家臣の登坂家から伊達家に献上された。

だそうです。 皺塗渋さと、奇天烈との取り合わせが強烈です

それと、いかにも伊達ぇ~火事装束がまた良かった。

江戸末期「黄羅紗地 竹に雀紋 火事装束」だそうですから、大名火消し出動服ですな。
それにしても、火災現場お殿様がこんな派手な装束で現れたら、逃げる人も逃げるのを忘れて見入ってしまいそうです。

見たかった「水玉模様陣羽織」が展示されていなかったのは残念ですが、それはまたの機会に、ということで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社と博物館に初もうで #2

2017-01-20 23:44:28 | 美術館・博物館・アート

きょうは「神社と博物館に初もうで #1」のつづき、先週の東京国立博物館(トーハク)の見聞録です。

ふと手に取ったフライヤー

今年4月1日から、東京・京都・奈良・九州国立博物館4館共通の「国立博物館メンバーパス」が発売されるのだそうで、この有効期間1年間のパスを使うと、4館の平常展は何度でも無料特別展は「団体料金」で観覧できるのだそうな。
そして、お値段は2,000円(学生は1,000円)。

私が数年来買い替えてきた東京国立博物館パスポートは、お値段が4,100円29歳以下は3,000円、学生は2,500円)で、平常展なら国立博物館4館とも無料特別展4館合わせて6展まで無料で観覧できます。 

1年間の期限内に、「特別展6展」制覇(?)し続けてきた私としては、「国立博物館メンバーパス」に乗り換えるメリットない、と思ったのですが、 このフライヤーを見て呆然

「東京国立博物館パスポート」の販売は今年3月末で終了して、4月からは新しい会員制度に変わるのだとか

「新しい会員制度」は、「メンバーズプレミアムパス」「友の会」2種類ありまして、それぞれ、現在の「パスポート」「友の会」の後継にあたるようなのですが、その特典一覧は下に示したとおり。

トーハクの「新しい制度」

現在のパスポートに相当するであろう「メンバーズプレミアム」特典はといいますと、国立博物館4館の平常展何度でも無料で観覧できるのは今と同じですが、特別展の取り扱いが大幅に変わります。
トーハク特別展4展まで、トーハクの特別展の5展目以降と、京博・奈良博・九博特別展団体料金で観覧できるんだとか。 

これだけでも、私としてはショックですが、お値段が5,000円とな

特典が縮小する一方で値上げとは…

確かに、トーハクのパスポートで、京博・奈良博・九博特別展無料で観覧することには、ちょいと申し訳なさを感じてはいましたけれど、こんな風になってしまうとは、正直、う~む… です。

ただ、私にとって救いなのは、昨年11月に購入した私の「東京国立博物館パスポート」が、今年11月初めまでは、特典が有効だということ。

正月早々、う~む…

つづき:2017/01/23 神社と博物館に初もうで #3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする