新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

(秋田)県南小旅行記(その4)

2016-08-30 22:21:52 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「(秋田)県南小旅行記(その3)」のつづきです。

「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」「蔵」1階に降りると、そこにあったのは、確かに土蔵入口でした。

「丸に違い柏」長谷山家家紋かな?

土蔵入口や窓には、「段」がつけられて、閉じたときに火の粉風雨の侵入を防いで蔵の中を守る構造になっていますが、この旧長谷山邸の土蔵の入口の扉は6段になっています。
この意味を知るのは、翌日のこと…。

で、土蔵の中はといいますと、、、

土蔵と呼ぶにはあまりにも丁寧に作られた板の間でして、お宝古文書コピーが展示されていました。

このコピー、普通にモノクロでコピーされたものでして、技術の発達した現代、気合いを入れてカラーコピーしたら、もっと観客を惹くのに… と思いましたです。

    

ちょっとここで寄り道

上の写真の中央部、甲冑に挟まれて2着の裃が展示されています。
拡大しますと、、、

左の裃には、「五本骨扇に月丸」が描かれています

五本骨扇に月丸「五本骨扇に月丸」は、秋田の殿様佐竹家の紋所です。
お殿様から拝領したなのでしょうかねぇ…

ところで、私の帰省中、相撲の秋田巡業が開催されまして(私が知ったのは開催当日)、その地元のTVニュースを見ていると、秋田出身の豪風関が佐竹知事から「秋田県民栄誉賞」の表彰を受けていました。

私が注目したのは、紋付を着た佐竹知事

紋付のに染め混まれた紋所は、、、、

宗家とはビミョーに異なる丸に月の丸扇」

このことをわが友人に話しますと、友人曰く、

 「佐竹知事は分家だからねぇ。」

そうなんです。
佐竹知事は、佐竹宗家の分家佐竹北家ご当主で、世が世ならば、角館のお殿様」なんです。

もっとも、佐竹北家の系図を見ると、養子縁組が何度も行われていて、養子に入った佐竹知事が、佐竹家血縁があるのかは不明です

   

さて、話を旧長谷山邸に戻します。

今回の県南旅行(秋田では「県南」「南秋」とは、まるっきり意味場所違う)の発端となったハフィントンポストの記事を読むと、

この地(羽後町田代)に2016年9月に「鎌鼬美術館」が誕生する。

とありますが、その「鎌鼬美術館」羽後町田代のどこにつくられるのかは書かれていません

そこで、帰省からUターンしたあとで調べると、、、、ありました

毎日新聞のサイトより

今月13日付け毎日新聞の報道によれば、

美術館は写真集の撮影場所になった町総合交流施設「旧長谷山邸」(1902年建築)の土蔵の1、2階部分を改装する。細江さんから「鎌鼬」の写真を提供してもらうほか、慶応大からは関連資料を借りる。

ですって

鎌鼬美術館の開館が今年9月から10月に先送りされるのはともかくも、「旧長谷山邸」の土蔵の1、2階部分鎌鼬美術館になるとはビックリです

なにせ、私が「旧長谷山邸」の土蔵に出かけたときには、そんな気配皆無でしたから

毎日新聞の報道には、

総事業費は約1300万円。町が9月議会に補正予算案を出す。一方、同会は内装改修や展示物調達などの資金を「支援金」として町内外から募る。目標額は200万円で、期間は10月11日まで。支援金の額に応じ、田代地区で稲架(はさ)に掛けて乾燥させた有機米「鎌鼬米」や古民家「茅(かや)ぶき山荘・格山(かくざん)」の宿泊券、鎌鼬の会会員券などがもらえる。

とあります。
私も「支援金の拠出を考えようか…
「その2」に載せた友人からのメールじゃないけれど、「これも田代との縁」ですから

つづき:2016/09/01 (秋田)県南小旅行記(その5)

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(秋田)県南小旅行記(その3)

2016-08-29 22:17:52 | 旅行記

「(秋田)県南小旅行記(その2)」のつづきです。

「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」土間に入ると、旧長谷山邸模型が展示されていました。
こんな風に、母屋が配置されているのですよ。

後ろのポット邪魔
それにしても、「蔵」に見えなくて、そして、背が高い

そんでもって、土間から上がると、広ぉ~い板の間囲炉裏添え

遠山記念館東棟の囲炉裏の間にも負けないくらい広い
広いだけでなく、部屋の隅には電話BOXまで装備する無敵囲炉裏の間です。

「電話三番」って、わざわざ書かなくてもいいのに…

んでもって、隣の部屋にも囲炉裏がありました。

ん? そういえば、私が小学3年生まで住んでいたにも囲炉裏のある部屋が二つ、それも続けてありましたっけ…
もっとも、どちらも旧長谷山邸と比べるまでもなく狭かったのですが

それはともかく、母屋から渡り廊下を通ってへ…

この渡り廊下を見るだけでも、やはり「普通の家」ではありませんな。

んでもって、「蔵」2階に広がっていた光景は、

見事な小屋組もさることながら、また、無造作衣桁に掛けられたもさることながら、右に見えるのは土蔵の上部か?

どう見ても土蔵ですヨレヨレ~
土蔵木造の建物の中に入っている

ちょっと混乱しながら、ガイド役の友人に誘われるまま、「蔵」3階に上がると、、、、

おわぁ大広間
旅館
料亭のような大広間がありました

そして、「長谷山氏の高楼新築」を祝うこんな「書」が。

この書の末尾にある署名を見ると、

「明治甲辰」ですから、明治37年(1904)で、説明板による完成2年後なんですな。

ところで、この書を書いた人「従二位平朝臣時萬 73歳」って誰?

平朝臣(たいらのあそん)」って、百人一首詠み人のように時代がかっていますが、「従二位」というくらいですから、かなり高貴な方…

調べると、すぐに見つかりました

こちらを見ると、「幕末~明治時代の公卿交野時萬(かたのときつむ)の筆蹟はこの書と一緒です。

なるほどねぇ~

何が「なるほど」なのか自分でも判りませんが高い場所だけあって、良い眺め

それにしても、この大広間宴会をやるとなったら、お給仕はさぞかし大変だったろうな…
なにせ、母屋台所から、渡り廊下を通って、急な階段を昇って来なければならないのですから。

長谷山行毅氏の肖像画長谷山家の歴代当主の一人、長谷山行毅さんの肖像画勲章&勲記勲三等旭日中綬章)を拝見したのち、1階まで降りました。

と、ここでちょっと寄り道

長谷山行毅さんは、1950年第2回参議院議員選挙秋田県選挙区から選出され、1期6年だけ参議院議員を務められたようです。
ところが、2期目を目指した1956年と、返り咲きを目指した1962年の参議院議員選挙では、日本社会党鈴木寿さんに敗れて政界を引退したらしい。

そういえば、秋田ではどうしたことか、社会党が強かった時期がありましたっけ…

ということで、旧長谷山邸「蔵」を解明できていませんが、きょうはこれまで。

つづき:2016/08/30 (秋田)県南小旅行記(その4)

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(秋田)県南小旅行記(その2)

2016-08-28 10:10:09 | 旅行記/美術館・博物館・アート

むちゃくちゃ中途半端な記事「(秋田)県南小旅行記(その1)」のつづきです。

「その1」を書いているうちに、NHK BSプレミアム「大曲の花火 第90回全国花火競技大会」の中継が始まったら、あまりにも見事な花火の連発で、ビール片手に見入ってしまい、放送が終わる頃には花火ビール酔って、ブログを書き続けられる状態ではなかったのですよ。

 1950-2000ということで、ハフィントンポストに載っていた細江英公+土方巽アートプロジェクト「その1に載せた作品「鎌鼬 作品8」は、私の蔵書「細江英公の写真 1950-2000」にも載っていまして、それで見ていたのでした。
この本は、2000年7月から2003年9月にかけて、秋田市立千秋美術館など8か所で開催された同名の写真展の図録で、数年前の帰省の際に秋田市立千秋美術館で購入しました。

「鎌鼬」秋田で撮影されたことは知っていたものの、羽後町田代だったとまでは知りませんでした(ちゃんと図録を読んでいない)。

私は、ちょっと興奮気味ハフィントンポストの記事をプリントアウトして、羽後町田代に住む友人に送ったところ、友人からこんなメールが届きました。

義母がが田代に来たこと覚えてました。妻の従姉妹の女の子が真ん中に写っているとのこと。これも田代との縁、都合良ければ帰省した17盆踊り見物かねて来てみませんか?田代案内します

メールにある「盆踊り」とは、「日本三大盆踊り」の一つ「西馬音内(にしもない)盆踊り」のことで、毎年8月16~18日に開催されています。
「西馬音内盆踊り」、私は以前から気にしつつも、夏休みの日程と合わず、「いつか…」と思いつづけていましたが、今年の夏休みなら行ける

ということで、今回の小旅行実現したわけです。

   

ダイジェストで書いたように、同行する友人を秋田市内でピックアップして、秋田自動車道&湯沢横手道路から十文字ICで降り、丸竹食堂十文字ラーメンを食した後、

「道の駅十文字」でホスト役の友人と落ち合い、ひとまず宿泊場所まで行って、荷物を預けて私のクルマを駐車場に置き、友人のクルマ羽後町探訪出発

ちなみに、「道の駅十文字」の愛称は「まめでらが~」
秋田弁でして、英訳すれば、"Are you fine?" です

 

さて、最初に友人が連れて行ってくれたのは、約50年前土方巽飛び跳ね細江英公撮影したという場所でした。

下の写真は細江英公「鎌鼬 作品37」

「その1」に載せた「鎌鼬 作品8」で、土方巽が佇んでいた稲架はさ=田んぼで刈り取った稲を乾かすための仕組み)の材料が、休耕田に置かれていました。

それにしても、羽後町田代は、羽後町の中心部・西馬音内からを越えた「山間部」なのですが、田んぼ多いし、どれも広い

石沢川)も田んぼもキレイで気持ちいい、、、んだけど、歩いている人一人もいない

   

次に向かったのは、ほど近い場所にある「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」でした。

この施設は、田代地区の地主であった長谷山氏の邸宅を改修したものです。
棟札から、母屋については明治15年、については明治35年に建築されたものです。
母屋は、中門造の様式を保ち、重厚なせがい造の外観と内部の豪壮な木組みが特徴です。

というもので、いかにも「お屋敷母屋もさることながら、ときめいたのはでした

三階建の蔵座敷は、周囲に映える白壁と、木造の軸部の均整美で、この地区の象徴となっています。

と説明板にありますが、木造三階建て これが蔵 というところがキモです。

いったい、母屋・蔵の中はどうなっているのか、、、それは「その3」で。

つづき:2016/08/29 (秋田)県南小旅行記(その3)

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(秋田)県南小旅行記(その1)

2016-08-27 21:56:26 | 旅行記

書きかけ or 未着手旅行記が、福岡旅行(秋田)県南旅行2本あるのですが、さて、どちらから書こうか…

と、しばし考えた末、先週の県南旅行旅行記を先に仕上げることにします。
今夜は「大曲の花火」があることですし…(さほど意味はない

   

今回の県南旅行のきっかけは、ハフィントンポストに載っていたこちらの記事でした。

「茅葺き屋根を残すために、町ごとアートに。 地方創生の未来と、秋田・田代の人たちの想い。」と題するこの記事を見つけたとき、「秋田・田代」という地名にピンと来ました。
もしかして私の高校時代からの友人で、今も正月・夏に帰省したときに欠かさず飲み会を開催しているメンバーの一人が住んでいる秋田県雄勝郡羽後町田代のことではなかろうか? と…。

記事を読むと、まさしく羽後町田代のお話。

秋田県羽後町の田代(たしろ)は、つづら折りの峠道を登った先にある山間の集落だ。のどかな里山風景と昔ながらの茅葺き民家が数多く残る田代地区の別名は「鎌鼬(かまいたち)の里」。鎌鼬とは、つむじ風に乗って現れる人を鎌で切りつけるイタチの妖怪、もしくはその現象のことを指す。そしてこの地に2016年9月に「鎌鼬美術館」が誕生する。

という内容でした。
というか、この記事のメインは「鎌鼬美術館」ではなく、

そもそも田代がなぜ「鎌鼬の里」と呼ばれるようになったのか。それは、51年前に田代に突然現れて、里の人たちの前で道化を演じ、つむじ風のように去って行った秋田出身の舞踏家・土方巽(ひじかた・たつみ)の記憶に由来する。
1965年(昭和40年)、秋。稲の収穫期を迎えた田代に奇怪な男が現れた。男は稲を天日干しするための稲架(はさ)のてっぺんに登り、赤ん坊をさらって田畑を疾走し、村人の輪に入り戯れ、呆気にとられる子供らの眼前で跳ね、少女をかどかわすような行為に及んだ。今の時代ならば即、通報ものだろう。
だが、これらはすべて土方巽と、彼の才能に惚れ込んだ写真家・細江英公(ほそえ・えいこう)によるアートプロジェクトだった。

と、土方巽+細江英公のアートプロジェクトでした。

そして、記事に載っていたこちらの写真を観て、あれっ?、この写真、観たことある と思いました。

と書いたところで、NHK BSプレミアム「大曲の花火」中継に見入ってしまって、洗濯物の取り入れも忘れ夕食も忘れ、、、、と、ブログを書くのも忘れていました

ここ数年、NHK BSプレミアム「大曲の花火」の中継を観ていた私ですが、今年は、各競技者の作品も、前年の内閣総理大臣賞受賞者(イケブン)による特別プログラムも、名物大会提供花火も、フィナーレも、全部、見事な出来映えで、他のことに手がつかなかったのが実情です。

放送が終わったら、なんだかますます「他のことに手がつかないの感が強いもので、激しく不本意ではありますが、今夜はこれまでとさせていただきます。

ホント、中途半端で申しわけございませぬ。

つづき:2016/08/28 (秋田)県南小旅行記(その2)

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今年の道路の「夏休みモード」

2016-08-26 23:00:16 | 日記・エッセイ・コラム

ふぅ~~ って感じで、夏休み明け最初の週の勤務が終わりました。

今週は、1週間のインターバルを埋めること以上に(周りもみんな夏休みでしたから)、イベント事が多かったことに加えて、朝と夜の渋滞が酷くて、連日、自宅⇔勤務先の往復4時間以上もかかりました。

私は夏休みが終わってしまったのですが、今週の朝と夜の道路は、まさしく「夏休みモード」でした。

は、首都高速中央環状線(C2)内回りの中野長者橋を先頭にした渋滞5号線美女木JCTまで繋がっているのに加えて、首都高速3号線下りでは「三茶渋滞が発生しているし、東名下りでは連日のように大和トンネル渋滞が発生していました。
また、渋滞以外の視点からは、東名下り港北PAが、混んでいるのに加えて、子ども連れのドライバーが多い

一方の、、、これが酷い

とりわけ、環八区間瀬田観蔵院入口)の渋滞が強烈で(下の写真は、何のために設置しているのかよく判らない瀬田交差点の標識群)、

8月「環八区間の赤信号・渋滞状況」は以下のとおりでした。

私が「杉並3兄弟」と呼んで(忌んでいる)いる「川南・南荻窪一丁目南・環八神明通り」交差点を先頭にした渋滞が、「環八中の橋」交差点を越えて、「千歳台」交差点を越えて、最悪、「砧二丁目」交差点まで伸びていました

当然、所要時間も延びるわけで、

ド平均「26分で通過できる「環八区間」が、今月の平均は、なんと44分
しかも「記録に残る」最悪1時間8分なんて記録まで樹立してしまいました。

去年はどうだったっけ… と、去年8月「環八区間の赤信号・渋滞状況」を見ると、、、

あれっ? 今年と全然違う

ちょっとワタワタしながら所要時間を見ると、、、

ありゃりゃ これまた今年と全然違う

何が何してこうなってる?

う~む、、、今年の8月特別だったということか?

その辺の事情を検討するには、今夜は疲れすぎでございます。

今週末全国(とりわけ新潟とか、宗像とか、大曲とか)好天を願いつつ、本日はこれまで

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今年の帰省ドライブは大成功

2016-08-21 13:13:18 | 旅行記

昨日の昼下がり、無事に自宅に帰着しました。

今年の往復約1,100kmのドライブは大成功

事故ヒヤリハット皆無だったことはもちろん、渋滞も、戻りの仙台南IC付近で小規模の事故(見物)渋滞(ワゴン車が路肩にこっちを向いて停まっていた)があったくらいで、ほとんど渋滞フリーでした。

所要時間は、休憩時間を含め、実家⇔自宅約7時間で、高速利用区間浦和秋田南IC約560km6時間半でしたから、順調そのもの

ここで過去の往路の高速区間の実績をひもとくと、に自宅を出発した場合、2010年常磐道経由の三郷IC秋田南IC8時間15分2011年8時間50分2012年が常磐道経由で10時間50分(記事はこちら)、2014年7時間40分で、夕方に出発した2013年6時間半でしたから、やはり、夕方に自宅を出発して日が変わって間もない頃に実家に到着する旅程の優位性が光ります

夕方出発だと、当然ながら風景を楽しむことはできませんが所要時間が短い、渋滞がない、周りのクルマの存在を把握しやすい、宮城~岩手県辺りからエアコンを切って走れる、深夜割引の恩恵に与れると、精神的側面・経済性・安全性など様々な面でメリットが大きいと思います。

一方、帰路の高速区間の所要時間は、2010年:5時間50分2011年:6時間35分2012年:6時間13分2014年:9時間40分2015年:7時間5分と、仙台南ICから岩槻IC付近までほぼずっと渋滞に嵌まった2014年(記事はこちら)を除けば、往路に比べて遙かに「順調」に安定しています。
早く実家を出発して、前夜の渋滞昼間の渋滞狭間を走り抜ける作戦が奏功している感じですな。

   

ところで、今回が、新車に乗り換えて初めての帰省ドライブになったわけですが、こちらで書いたインテリジェントクルーズコントロールが、期待どおりにその威力を発揮しました

ホント、楽ちん極まりない

難区間村田JCT泉ICを除いて、ずっと、設定できる最高速度114kmで走ってきました。
とりわけ往路では、料金所PA出入り以外は、ブレーキペダル一度も踏まなかった踏む必要が無かった)のは驚きでした。
凄いものです

一方、燃費は、往路・復路とも15km/l弱と、大したことがありませんでした
日常使い(エアコン使用時)の13km/lからの伸びしろが小さい前のクルマでは、日常の10.7km/lに対して帰省ドライブでは40%近く伸ばして14km/l弱でしたから…

ハイブリッド車は、高速道路ではその強みを発揮しづらいのは確かなようで…

   

昨日、実家を出発する前、いつもの朝のように、タンブラーにアイスコーヒーを作り、それを飲みながらドライブしたのですが、想定以上にアイスコーヒー利尿効果が大きくて、頻繁にPAに立ち寄ることになってしまいました。

往路では、7時間のドライブ中、2しか(安達太良SA前沢SA休憩を取らずに済んだのに、復路では、出発して1時間も経っていないというのに山内PAトイレ休憩だけで無く、これから雨模様との情報から、フロントウインドウにこびりついた虫の残骸を取り除きたかったこともある)を皮切りに、中尊寺PA泉PA阿武隈PA佐野SA5回休憩を取ることになってしまったのは想定外

でも、中尊寺PAで、ドナドナ牛お食事風景(最後の晩餐?)を見られたのは楽しい想定外でした。

もう一つ想定外だったのは、

実家を出発した時は、前日同様の好天だったのですが、奥羽山脈を越えると雨模様で、さいたま市に入り、岩槻IC辺りからは、スピードダウンせざるを得ないほどの豪雨
外環道外環浦和ICで降りて、行きつけのガソリンスタンドで給油したときに、店員さんに聞くと、30分ほど前から豪雨に見舞われているのだとか。
自宅に着いても強い雨が続いて、クルマから荷物を降ろす数分の間に、靴下グショグショ踵を固定できるサンダル履きだったもので…

DUNLOP(ダンロップ)スポーツサンダルM39 メンズサンダル DSM39 BROWN S(24.0~24.5cm)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

運転する時は快適な履き物なのですが、舗装されていない道を歩いたり、の時はダメです。

で、ひでぇ、ひでぇ とつぶやきながらクルマ立駐に入れ、トレイを降ろしていると、、、雨が上がった

なんという間の悪さ…。
帰宅が10分遅ければビショビショになることはなかったはず…

こんなことがありながらも、大筋では「めでたし、めでたし」帰省ドライブでしたとさ。

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1泊2日の(秋田)県南トリップのダイジェスト

2016-08-19 19:30:07 | 旅行記/食・レシピ

友人のお誘い(お招き)で、秋田の県南(十文字・西馬音内・増田)トリップに行ってきました。

予想以上に盛り沢山かつ楽しい小旅行でございました。
詳細は後日書くとして、そのダイジェストを書いておきます。

旅程を、いつもとはちょっと趣向を変えて書きますと、こんな具合。

【初日】
実家
同行者宅
秋田中央IC秋田自動車道横手JCT湯沢横手道路十文字IC昼食十文字ラーメン道の駅十文字旧長谷山亭太平山中腹友人宅鈴木家住宅早い夕食冷やがけソバプチ宴会西馬音内盆踊り宿泊施設
【2日目】
宿泊施設道の駅うご 端縫いの郷増田・中七日町通り昼食稲庭うどん)⇒十文字IC湯沢横手道路横手JCT秋田自動車道秋田中央IC同行者宅実家

この小旅行は、羽後町在住の友人からのお誘いで、西馬音内盆踊りを見物するのが一番の目的でした。
秋田県「県南」(秋田県の南東部)にはあまり土地鑑のない私、西馬音内盆踊り唯一無二「見どころだと思っていたのですが、羽後町在住の友人と、同行した友人(県南勤務経験者)の名ガイドのおかげで、ホント盛り沢山充実した小旅行になりました。

まずは、知る人ぞ知る「十文字ラーメン名店での昼食

民俗無形文化財と言っても良いような、シンプルかつ繊細ラーメンでした。

食べ物ネタを続けると、生まれて初めて聞いた「冷やがけ」なるもの。
昼食のラーメンを食べた丸竹食堂でも耳にしたこの「冷やがけ」西馬音内名物のソバの食べ方だそうで、見た目はこんな感じです。

丼に冷たいソバとつゆ(濃さはかけそばと同じくらい)が入っています。
ソバは角が立って旨い つゆはダシが効いて旨い

加えて、田舎の良いところの一つは「安い」ことで、十文字ラーメン(チャーシューメン)600円で、天ぷらソバ(冷やがけ)700円 って、信じられますか?
交通費はかかっているにしても、凄まじいコストパフォーマンスです

  

大好物「建物ウオッチングも、質・量とも「充実のひと言

旧長谷山邸三階建て木造建造物とか、

「鈴木家発祥の地」(ホントか? )に立つ鈴木家住宅とか、

家の中に土蔵のある増田の「内蔵(うちぐら)」とか、

もう、萌えっ放し の私でありました。

こんなツボに入る食べ物・建物を教えてくれるとは、良い友人たちを持ったものです…

ご参考までに、羽後町地図(部分)を載せておきます。
記事の流れもさることながら、いろいろ事情がありまして…

   

そして、メインイベント西馬音内盆踊り

いやはや、踊り、衣装、お囃子、地口(歌詞)、雰囲気とも、さすがでした。
日本三大盆踊りの一つと讃えられ、国の民俗無形民俗文化財に指定されているだけのことはあります

西馬音内(羽後町)という小さな町盆踊りに、これほど大勢踊り手が参加していることが驚きでしたし、

やはり、踊り手の顔編み笠彦三頭巾で隠れて見えないってところが、神秘的ですし、想像をかき立てられますを取ったら、あら、おばさん なんてことが十分にあり得る

西馬音内盆踊りについては、いろいろ書きたいこと、書くべきことたっぷりありますので、そこんとこは本編をお楽しみに

という、満足度120%の、大満足の小旅行でした。

気がつけば、帰省は今夜で終わり、明日朝、Uターンします。

【追記】羽後町の地図を追加しました。(2016/08/20 19:18)

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福岡・アートの旅 初日のこと(その6・最終回)

2016-08-18 09:35:51 | 旅行記

「福岡・アートの旅 初日のこと(その5)」のつづきです。

私が宗像大社神宝館を見終えたのは14:15頃で、バスの時刻まで約20と、ほどよい間合いでした。

まず、喫煙所で一服(宗像大社の境内は禁煙です)
と、ベンチの下でお昼寝を楽しむを発見
写真を撮ったのですが、

ピントがベンチに合ってしまい、肝心のボケボケ

それはともかく、とにかく暑い中、屋根付きの喫煙所の中のベンチの下で、はコンクリート製の床が気持ちよかったんでしょうねぇ

あ、そうだ

宗像大社神宝館「国宝8万点を収蔵」という話を書きましたが、件数としては「福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品」の1件です。

「考古資料」ではこんな例は珍しくなくて、東京国立博物館で観ることができる「銀象嵌銘大刀」「肥後江田船山古墳出土品」の、さきたま史跡博物館(訪問記はこちら)で観ることができる金錯銘鉄剣「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」の構成品の1点です。

話が逸れましたので、宗像大社の話に戻します。

バスの時刻まで、冷房の効いた祈願殿内にある休憩所で過ごしました。

休憩所には、宗像大社への崇敬が深かったという「海賊とよばれた男」出光佐三(現・宗像市出身)とのつながりからか、出光興産所有のタンカーの模型やが展示されておりました。

また、2階に上がると、さっき神宝館で拝見してきたばかりの「福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品」のレプリカとか、有名画家・イラストレーター・漫画家が描いた絵馬藤原新也撮影による写真パネルなんぞが展示されていて、時間調整には絶好のスポットでした。

   

こうして宗像大社沖津宮への参拝&見物を終えた私は、14:35発の特急バス「むなかた号」に乗り、コインロッカーに荷物を預けている博多駅を目指しました。

冷房の効いたバスの車内で一息つく間もなく、旅程を検討

すべての荷物を持っていれば、終点天神・中央郵便局前まで「むなかた号」に乗っていくところですが、博多駅で荷物を回収しなければなりません。
それとも、途中の中州でバスを降りてまで歩くor地下鉄で移動するか、東郷駅JRに乗り換えるか…

検討の結果、14:53発の鹿児島本線下り(快速・荒尾行き)ギリギリ間に合いそうでしたので、東郷駅日の里口でバスを降り、東郷駅ダッシュ

無事に乗れました

この電車に間に合わなくても、3分後には次の電車(普通)が来たんですけどね

ホッとして荒尾行き快速電車に乗っていると、福岡市に入るちょっと手前辺りから「一天にわかにかき曇り、そして豪雨

地下鉄・天神駅からホテルまで歩かなければならないわけで、ちょっと心配でしたが、折りたたみ傘常備しているし、ちょっと待てばあがるだろうと思っていたのですが…

博多駅に着くと、私にとって初めてのJR博多シティでちょっとした買い物をしまして、、、あらま、SLの動輪をモチーフにしたエスカレーターかわいい

その後、新幹線口近くでお茶して、荷物を回収し(この時点で「ちょっと雨が降っている」状態)、地下鉄天神に向かいました。

   

今回泊まるホテル初めてのところで、場所が良く判らない
すぐに地図を取り出せるようにして天神駅の2番出口から外に出ると、ありゃぁ~激しい雨

雨宿りしてもすぐに上がる気配はなく、意を決して、小さな折りたたみ傘を開き、キャリーバッグを引きながら、ホテルを探して天神・大名エリアを歩きました。

も靴下も、ジーンズ膝から下も、キャリーバッググッショグショ

そしてようやくホテルチェックインしました。

部屋でキャリーバッグ(帆布製)を開けると、バッグの中も一部が濡れている

当初の目論見では、ホテルにチェックイン後、久しぶりの福岡市立美術館に行って「ゴジラ展 大怪獣、想像の軌跡」を観ようかと思っていたのですが、ジーンズが履いているだけで気持ち悪いほどグッショグショになってしまったことで、すっかり萎えてしまいました。

そこで、ザッとシャワーを浴びて、下着も全部取り替えて、バスルームにジーンズ、ドアクローザーに巾着袋、クローゼットに濡れてしまった替えのTシャツを(計4枚Tシャツ二つに分けておいたのが大正解でした干し、チェックイン時にいただいたタオルの中に突っ込むと、ブログ書きこの記事)を始めたのでありました。

   

夕食は、「お一人様OKもつ鍋屋さんをネットで探し、ホテル近くのお店もつ鍋を食べました。

真夏に鍋ものはどうかな(秋田には夏の鍋「くじら貝焼」があるけれど)? と思ったのですが、食べてみると、季節なんてぜんぜん関係なく、旨い

福岡に来たらもつ鍋だよねぇ~と、その意を強くしたのでございました。

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秋田市内の美術館2館をハシゴ

2016-08-17 19:03:57 | 美術館・博物館・アート

きのう、秋田市中心部にある美術館2館をハシゴしてきました。

「異界をひらく」展のフライヤーまずは、秋田県立美術館「異界をひらく 百鬼夜行と現代アート」
フライヤーから引用しますと、

かつて、わたしたち日本人は、この世界とは異なる世界の存在を感じ、闇夜には異界から出現した鬼や妖怪たちが列をなして闊歩していると信じてきました。
本展では、その鬼や妖怪たちを案内役に、13人の現代アーティストが、美術館に恐ろしくも美しい異界を出現させます。

というこの展覧会、私は事前にほとんど情報を見ず、この「13人の現代アーティスト」が誰のことなのかを知らずに見始めたもので、驚いたりうんざりしたり大喜びしたりと、なかなかな感情の起伏をもたらす展覧会でした。

まず、展示の冒頭近くにあったこちらの作品に、ふほぉ~

地元・秋田市出身の新進気鋭のアーティスト、鴻池朋子「Dark Crow」(展覧会のチケットにもフィーチャーされていた)です。

大きく羽を広げた「鳥人」を描いた「襖絵」です。

左右非対称の構図が不安をかき立てる感じで、このを真ん中から開けて先に進んで行ったら、そこにはどんな世界(鳥人の体内?)が広がっているだろうか? という不安「怖いもの見たさ」のような期待がわき上がります。

ちなみに、鳥人の頭部の羽毛がリアルで、鴻池さんのことだから、本物の羽毛を貼りつけていたりするのではないかと思いましたが、描いたものでした

「百鬼夜行」と言えば、怖いけれど反面ユーモラスな鬼や妖怪のパレードといったイメージを持つ私ですが、この展覧会は、そんな雰囲気とは違って、「怖い」気持ちよりも、「気持ち悪い」「不快」といった感情を掻き出す作品が多くて、私としては、ちょっと、いや、かなり苦手
とりわけ、秋田県立美術館名物の藤田嗣治「秋田の行事」の展示室に大量に展示されていた石田徹也の作品群は、勘弁して欲しい気分でした。もともと、石田徹也の作品は、余りに直接的な「比喩」とか、その絵自体嫌いでして、同じ展示室内にあった奈良美智パワーをもってしても、どんよりした私の心を癒すことはできませんでした

この他にも、エイリアンを連想してしまった真島直子「JIGOKURAKU」とか(第1会場のみ写真撮影可

「首かじり」とか「蚯蚓の怪」といった金子富之の作品群は、敢えて、観るもののを引っ掻いて不快にすることを目的に創作されたのではないかと思ったりして…。

そんなわけで、段々足早になってしまった私でしたが、突然立ち止まって、目を見開いたのは、山口晃「九相圖」2点(2003年、2015年)の前でした

あれまぁ山口晃の作品も展示されていたんだぁ~ ってヤツ。
フライヤーにも山口さんの名前が載り、九相圖(2003年)の一部が使用されていたのにねぇ~
去年、水戸で拝見して以来の「九相圖」2点との再会はうれしかったなぁ…

そして、松井冬子の作品群で。最後に山口晃松井冬子の作品がなければ、この展覧会に来たことを後悔していたかもしれません。
松井さんの展示作品の中では、トリを務める「この疾患を治癒させるために破壊する」がとりわけ良かった

水面を覆うように咲き誇る。漕ぎ進むうち、先に見えてきた漆黒の闇。そこはどんな世界?

そんなことを想像してゾクゾクしました

この作品は、松井さん自身の所有で、横浜美術館寄託されているそうですから、また拝見できる機会があることでしょう。
再会楽しみしておきます。

   

次に訪れたのは秋田市立千秋美術館で開催中の「勇壮・優美・遊楽 -江戸時代の男と女-」展でした。

本展は、時代劇映画の小道具蒐集を機縁に昭和50年に設立された京都の高津古文化会館のコレクションを中心に、武家文化を象徴する甲冑や兜、大名婚礼調度、さらに町衆文化の活気を伝える洛中洛外図屏風をはじめとする近世初期風俗画、花見弁当を含めた約130件の美術工芸品を展示します。江戸時代の人々のくらしを彩った華やかな道具の数々をお楽しみください。

という展覧会なのですが、東京国立博物館総合文化展にしょっちゅう出かけている私にとっては、目新しいものが少なくイマイチでした。

とりわけ残念だったのは、「第1章 勇壮・優美」で展示されていた甲冑・兜のほとんどが、私の好きではない「復古調」だったこと。
やはり甲冑・兜は、戦国~安土桃山時代のものが一番です

ただ、この展覧会には超掘り出し物がありました。

それは、約20点にも及ぶ花見弁当

今年2月、東博超豪華「葵紋蒔絵野弁当」を拝見して(記事はこちら)、その豪華絢爛さと優雅さに打ちのめされたのですが、「葵紋蒔絵野弁当」お殿様ピクニックセットなら、こちらは、豪商や上級武士たちが行楽に繰り出すためのピクニックセットで、そのバリエーションの豊富さ細かい細工、たっぷりと詰め込まれた遊び心には、ホント、まいりました

一つ一つ拝見しても見応え十分花見弁当20点

名前を並べるだけでも、

柳橋蒔絵花見弁当、桐紋散蒔絵花見弁当、魚鱗蒔絵花見弁当、瑞禽嘉木円文蒔絵花見弁当、桜花散蒔絵花見弁当、透漆塗花見弁当、漆塗花見弁当、八角形色紙重形花見弁当、鼓型花見弁当、秋草蟷螂蒔絵花見弁当、器曲形花見弁当、小葵蒔絵花見弁当、六角形木目塗花見弁当、変塗堤重、孔雀蒔絵食籠、貝藻蒔絵重箱、家紋散蒔絵弁当箱、牡丹蒔絵重硯蓋、印籠型花見弁当、茶壺型花見弁当、茶釜型花見弁当、茶臼型花見弁当、唐子蒔絵弁当箱

と、展示の凄さを感じられるのではないでしょうか?

私としては、全体の入れ物が虫かごになっているセット(名前は忘れました)と、全体が茶壺の形になっていて、ご丁寧に紙の蓋までつけてしまっている茶壺型花見弁当がお気に入りでした。

この花見弁当たちを拝見するだけでも、観覧料800円元が取れる気がしました。

ということで、見どころもあった二つの展覧会でした。

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福岡・アートの旅 初日のこと(その5)

2016-08-17 07:07:20 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「福岡・アートの旅 初日のこと(その4)」のつづきです。

私が「海の正倉院」ともいわれる沖ノ島文化的・歴史的側面を初めて知ったのは、6年前、千葉・佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)の展示を観たときでした。

歴博総合展示(常設展示)の第1展示室「原始・古代」(現在、リニューアルのため閉室中)には、大々的沖ノ島ジオラマや、収集品(出土品ではない)のレプリカが展示されていて、異境というか異界のような沖ノ島という存在に唖然とした記憶があります。

銅鏡が岩の間に散らばっていたり

巨石に挟まれるように神社宗像大社沖津宮)が建っていたりと

何なんだ、この島は という感じ。

その後、藤原新也さん安部龍太郎さん「神の島 沖ノ島」高価だけど、大型本で写真が見応えあり)を購読して、

神の島 沖ノ島
藤原 新也,安部 龍太郎
小学館

「住人はなく、女人禁制、上陸時の海中での禊、一木一草一石たりとも持ち出すことを禁ずるなどの掟が、いまでも厳重に守られている神聖な島」絶海の孤島沖ノ島への関心が高まりました

こんな「背景」のもと、「八万点の国宝を収蔵」という触れ込みの神宝館を拝見したわけです。

神宝館1階は、宗像大宮司家関連資料や石碑、狛犬と、ちょいと地味目の展示だったのですが、その中で気になったのはこちらでした。

「かつては辺津宮本殿前にあったとつたえられています」という木造狛犬(重要文化財)なんですが、左は阿形の角なし右は吽形の角ありです。

二つの点で気になります。

まず、「その2」で書いたように、現在、神門前に鎮座しているのは、「角ありの狛犬」ペアだったのに対して、こちらは恐らく「角なしの獅子&角ありの狛犬」だと思われること。

もう一つは、こちらで書いたように、通常の「向かって右側が口を開いた角なしの『阿像』で獅子、左側が口を閉じた角ありの『吽像』で狛犬」とは左右が逆であることです。

参考までに、日光東照宮奥宮徳川家康の墓所)前の獅子・狛犬有職故実に則ってこんな造形&配置です。

そういえば、左右逆の配列の獅子・狛犬は、仁和寺門の裏側(内側)で拝見しました(こちらの記事をご参照方)。

このときは、門の裏側(内側)だから左右逆に配置したのではないかと推察したのですが、もしかすると宗像大社沖津宮の獅子・狛犬も、「辺津宮本殿前にあった」というのは、神門の裏側(内側)に、本殿を向いて置かれていたのではなかろうか・・・

そうそう、獅子・狛犬ついでに書けば、「その2」で、神門前に鎮座していたのが狛犬ペアだと驚いたわけですが、ふり返ってみれば、櫛田神社だけでなく仙台大崎八幡宮にも狛犬ペアがいましたこちらの記事

   

さて、「その4」で、

大国宝展開催直前神宝館では、その名に反して、神宝がほとんど展示されていないのではなかろうか という危惧が…

なんて書いたのですが、2階に上がると、展示されていたのはほとんど国宝

そこは「国宝8万点」を標榜しているのですから、いくらでも展示する国宝はあるのでしょうけれど、うれしかったのは、リーフレットで紹介されている神宝(つまりは目玉)は、

そのすべてが展示されていたこと

目玉中の目玉「金製指輪」なんてのは、東京辺りで展覧会を開催したら、ケースの前に観客密集して、観る前に興ざめするのが必至ですが、神宝館では至近距離からしげしげと心ゆくまでガン見できるとは、通常展ならではでしょう。

多くの展示品の中で興味深かったのは、「金銅製高機」でした。

高機(たかはた=織機の一種、実は高機ではなく地機らしい)のミニチュアL:48cm×W:16.7cm×H:12.8cm)なんですが、伊勢神宮の神宮徴古館(訪問記はこちら)で同様のものがあったことを思い出しました。

2009年秋大阪歴史博物館で開催された「伊勢神宮と神々の美術」展には、この「金銅製高機」を含む宗像大社神宝も出展されたようで、展覧会のサイトによれば、

今回の特別展では、沖ノ島で出土した金属雛形紡織具や金銅雛型五弦琴、金銅高機や、土師器・須恵器が出品されている。これらは7~8世紀の、まさに古墳祭祀から律令祭祀への転換期に当たる。伊勢神宮の式年遷宮が文献に登場するもの7世紀末ごろであることから、伊勢の古神宝と沖ノ島の祭祀遺物に共通点があるのも納得できる

だとか。
ちょっと話が飛びすぎる気がしないでもありませんが、改めて宗像大社伊勢神宮との関係の深さを感じる次第でございます

   

3階にも沖ノ島祭祀遺物(国宝)がこれでもか とばかりに展示されているんのですが、このフロアでツボだったのは、藤原新也さん撮影による沖ノ島の写真の数々と、沖津宮付近のジオラマでした。

とりわけ、沖ノ島密林の写真は、湿り気を帯びた空気が感じられて、実際に沖ノ島に上陸してお宝を拝見しているような気分にさせられました

最後に1階のロビーで、沖ノ島自然お宝に関するビデオを鑑賞

このビデオが良かったぁ~
めったなことでは行けない沖ノ島、その様子を動画で拝見するのは貴重な機会でありました。
ただ不思議だったのは、ビデオに登場する神官のお顔にぼかしが入っていたこと。
どうしてなんでしょ
この神官、身分を明かせない理由、例えば公安関係の任務も帯びている? はたまた、ビデオ撮影後にマズいことをしてクビになった?

そんな妙なことを考えつつも、満足のうちに、相変わらず暑い外に出たのでありました。

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