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新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

なんともアートなトラックに遭遇!

2011-11-30 22:07:04 | タウンウオッチング

今朝の通勤時、国道246号線で、側道から私のクルマの前に入ってきたトラック後あおりに目が釘付けになりました


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これは、小村雪岱ではありませんかぁっ


去年2月、埼玉県立近代美術館の「小村雪岱とその時代」展(見聞録はこちらこちら)以来、久しぶりに観るお伝姐さんデス


よく知られる小村雪岱の「お伝」はこちらでしょう。


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昭和初期の新聞連載小説「お傳地獄」(邦枝完二・作)の挿絵ですから、当然モノクロです。


でも、「小村雪岱とその時代」展では、彩色されたこちらの木版画刺青お伝」も展示されていました。


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私が見たトラックの後あおりは、こちらの作品をモチーフに描かれたものでしょう。


いやはやビックリしました


助手席に置いたバッグからケータイを取りだして写真を撮れたのは、うまい具合に渋滞にはまったおかげ
いつもならうんざりするだけの渋滞ですが、こんな渋滞なら大歓迎デス


おかげで、一日中、気分良く過ごすことができました

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だいぶ冬っぽくなってきましたなぁ

2011-11-28 21:43:29 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、いつもとほとんど同じ時刻に自宅を出ました。
と、かなり暗い
曇っているとはいえ、先週金曜日はこんなに暗くなかったはずです。


いつものこよみのページ日の出の時刻を調べてみました。


すると、


111128_1_1 先週金曜日が6:26で、今朝が6:29


たいした違いはありませんな


でも、ちょうど私が自宅を出発する時刻近辺が日の出の時刻ですから、微妙な出発時刻の差が影響しているのかもしれません。


ちなみに、日の出が一番遅くなるのはいつなのかを調べてみますと、冬至の12月22日あたりかと思いきや、来年1月4~11日6:52 一方、日没が一番早くなるのは12月1~12日16:28、そして、昼時間が一番短くなるのは、ようやく冬至界隈の12月17~28日9時間45分でした。


2009年6月21日の記事「きょうは夏至」でも書きましたが、難しいお話です


それにしても、まだまだ日の出が遅くなるなんて、ちょいと憂鬱になってしまいます…


   


ところで、一昨日、ふとリビングにある温湿度計を見ますと、湿度が10%を下回っていました
おぉ、こりゃまずい と、今シーズン初めて加湿器(購入の顛末はこちら)を稼働


さらに、昨日、ここまで毛布とタオルケットで過ごしてきた寝具を布団(ただし薄めのもの)に入れ替えました。
スーツは先週から冬物に替えたし、私の冬支度も本格化してきました。


でも、まだ暖房は使っていません(ただしクルマは別)。


まぁ、やせ我慢はしないまでも、もう少し暖房レスで暮らしてみます。

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ずいぶんと階段を昇った日

2011-11-27 18:41:05 | MISIA

久しぶりに銀座に行ってきました(by )。


有楽町駅で電車を降り、有楽町マリオンの角から晴海通りに出ると、目に飛び込んできたのは、


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数寄屋橋交差点方面に向かって伸びる行列
言わずと知れた、西銀座チャンスセンター年末ジャンボ宝くじを購入しようという夢追い人たちの行列です。
私、初めて知りましたが、西銀座チャンスセンターで買えば「それで良し」というわけではないようで、1番窓口で買わなければありがたみが薄れるようなのですよ。
この行列は、西銀座チャンスセンター1番窓口に並ぶ行列で、待ち時間は1時間半ときたもんだ


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一方、この行列の途中にある宝くじブースは、傍らに立っている警備員さんどころか、売り場のお姉さんのバイト料さえ支給できるのか心配するほど、宝くじを買う人がいないし、同じ西銀座チャンスセンターでも、他の窓口だと、


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デフォルトの「15分程度」で買えるのですと
私には理解不能ですなぁ、1時間半も並んで西銀座チャンスセンター1番窓口で宝くじを買おうとする人たち…
せっかくの休日だという人も多いでしょうに、わざわざ行列で時間を浪費するとはねぇ~
ちなみに私は、昨日の朝、PCから宝くじラッキーライン年末ジャンボを購入済みです


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さて、私が銀座に出かけたのは、この行列を見るためであるはずもなく、お目当てはこちら


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MISIAミュージックビデオ上映会デス


このまま数寄屋橋交差点を斜めに横断してOPUSのあるソニービルへ向かえればよかったのですが、私ときたら、上映時間をまともに見ていなかったもので、銀座に着いたのは上映会が始まる11:00までかなり余裕のある時刻でした


そこで向かったのは、これまた久しぶりの伊東屋


以前は、早く退勤できた時にぶらっと立ち寄ったり、昼休みに急いで買い物に行ったりしたものですが、銀座との縁が薄くなった最近はとんとご無沙汰していました。

そういえば、昔、かつて所属していた部署の後輩から電話がありました。
曰く、「伊東屋の閉店時刻は何時ですか?


そんな思い出はともかく、、、と、ちょっとその前に


ブラタモリブラタモ写真館でおなじみになった(と思われる)、こちらのキューピッド天賞堂さんのビルに隠れています)、


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クリスマスバージョンになっていました (かなりカワユス


この辺り、銀座だなぁ~とおもいます。


さて、伊東屋 に着くと、まずはひたすら階段で9階まで昇り、恒例のカレンダー・フェア
しばし、っつうか、結構な時間を費やして、いくつか来年のカレンダーを見繕いました。

その後、上階から順番に売り場を見て回りました。
さすが、世界最大級の文具店伊東屋さんデス

もう、楽しいの何のって


気がつけば、1時間近くを伊東屋で過ごしていて、もうお昼時になっていました。


うまい具合にほどほどの空腹状態になっていましたので、久しぶりに共楽のラーメンでも食べようかと、ジャパンカップで賑わうWINS 銀座を通り過ぎて共楽の前まで行くと、、、お休み土日祝日休業日でした

なんと商売っ気のないことかぁっ


そこで気を取り直し、次に向かったのは、以前、よく昼食を食べに行っていた某中華屋さん。

こちらは営業していまして、以前よく食べていたメニューが入っていたこともありましたっけ…)を久しぶりに食しました。


   


そして、ようやくやってきました、ソニービル


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ソニービルに近づいただけで、MISIAの「Smile」が耳に飛び込んできて、もう、私の気分はでした


そのアゲアゲ古い?)の気分のまま、これまた久しぶりのソニービル階段(昔は音が出ましたっけねぇ…)を8階まで昇り上がりました


伊東屋で9階まで階段を昇り、今度はソニービルで8階まで…。
我ながら元気ですなぁ~。これも日頃タバコで鍛えているおかげです(ホントの話)。


それはともかく、今回のミュージックビデオ上映会でのプログラムは、


・Smile(映画「friends もののけ島のナキ」コラボVer.)【2D】
・映画「friends もののけ島のナキ」予告編【2D】
・THIS IS ME【2D】
・記憶【2D】
・明日へ(LIVE ver.)【2D】
・逢いたくていま【2D】
・故郷(ふるさと)環境省による生物多様性普及映像【2D】
・MAWARE MAWARE (feat. M2J+FRANCIS JOCKY) 【3D】


だったはずなのですが、会場に着くと、


・Smile(映画「friends もののけ島のナキ」コラボVer.)【2D】
・映画「friends もののけ島のナキ」予告編【2D】
・THIS IS ME【2D】
・記憶【2D】
・逢いたくていま【2D】
・明日へ(LIVE ver.)【2D】

・記憶(LIVE ver.)【2D】
・逢いたくていま(LIVE ver.)【2D】

・故郷(ふるさと)環境省による生物多様性普及映像【2D】
・MAWARE MAWARE (feat. M2J+FRANCIS JOCKY) 【3D】
・映画「friends もののけ島のナキ」予告編【3D】


に変わっていました
OPUSのサイトには、


※上映内容/時間など、予告なく変更になる場合がございます。


と書かれていますが、こんな変更は大歓迎です
で、普通のPVLIVE ver.を続けて聴くと、改めてMISIAのライヴの凄さ突きつけられる気がしました。

約45分間も固いベンチに腰掛けて、お尻が痛くなってしまいましたけど、行って良かった…。


ちなみに、LIVE verは3曲ともツアー前半のものでした。
できることなら、「記憶」はツアー後半(Acoustic ver.)であって欲しかったナ…


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OPUSでのMISIAミュージックビデオ上映会は今度の火曜日、11月29日まで。
行きたい、観たいという方はお急ぎください

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作者本人は「そんなはずでは…」と苦笑い?冷や汗?

2011-11-26 10:19:39 | 美術館・博物館・アート

11月22日の記事「東博の最も『新しい』展示」のつづき、11月13日に出かけてきた東京国立博物館(東博)の訪問記の完結編デス


111126_1_01美術品」の定義として、「美術品=美術館に展示されているもの」という説があるそうです。
つまり、他人(多くは後世の人)が「美術品」だと考えて美術館に展示すれば、制作した本人の意図は無視(?)して、美術品として扱われるというロジック。


例えば、「暦とは裏腹に秋まだ浅い東博でした」で紹介した国宝「円珍関係文書」なんぞは、その典型でしょう。
また、この日見た作品の中には他にも、作者が「美術品をつくるつもりではなかったのに…」と草葉の陰で苦笑しているに違いないものがありました。


まず、尾形光琳のこちらの「」。


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何度も書いているように、私は「茶道具」と「」が弱点で、イマイチその善し悪しが見えてこないのですが、この作品の説明プレートに唖然…


借用文書 尾形光琳(1658~1716)筆
紙本墨書 江戸時代・元禄9年(1696)


尾形光琳は江戸時代中期に活躍した絵師で後の「琳派」の創始者として著名。呉服商「雁金屋」の次男に生まれた光琳は、画業に傾倒し、本業が破綻状態となった。これは光琳が田中孫太郎に対し、自身が所持する刀剣を担保に銀子借用を依頼した証文。


だそうな


お金を借りる証文美術品として扱われているなんて

酔っ払っての不始末詫びる手紙が「恩命帖」と名付けられ、皇室のお宝となってしまった三蹟藤原佐理(記事はこちら)並の恥ずかしさかもしれません。


もう一つ(一群)は、本館1階14室の特集陳列「陶片の美」での展示品。


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ただひたすら焼き物の破片が展示されていました。


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展示室の入口に掲げられた説明によれば、


陶磁器を製作するとき、焼成不良品や窯道具は窯場に廃棄されます。窯址出土の陶片は、産地や製作技法の解明に欠かせない研究資料です。実物に即した実証的な陶磁史研究は、窯址の調査とともに進展したと言っても過言ではありません。
一方、陶磁器は化学的に安定しているため、土中に埋もれても当初の色や艶を保ちます。窯址出土品にはしばしば伝世品にみられない器形や文様、技法の陶片がみられますが、これらは時とともに忘れ去られていった「歴史の断片」といえるでしょう。
東京国立博物館には数カ所の窯址出土陶片が収蔵されていますが、これまでまとまって公開される機会がありませんでした。今回は元杭州領事の米内山庸夫氏によって採集された中国越州窯址出土陶片、南宋郊壇下官窯址出土陶片、元京都市陶磁器試験所研究員の水町和三郎氏によって採集された肥前古窯址出土陶片、蜷川第一氏らによって採集された御室仁清窯址出土陶片をご紹介いたします。陶磁器のかけらが語る歴史の実像に思いを馳せてください。


だそうで、要は、捨てられた不良品たち…


確かに「窯址出土の陶片は、産地や製作技法の解明に欠かせない研究資料」かもしれませんが、「失敗作じゃぁ~」と捨てたはずのものが、掘り返されて衆目にさらされているなんて、作者にしてみればたまったものではないはず


東博も罪なことをしますなぁ~


   


今回の東博シリーズで最後に紹介しますのは、こちらは作者が美術品として制作した作品、歌川国芳の「東都名所・かすみが関」です。


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霞が関は今も昔も生活臭の薄い場所だったのですな。


ということで、丸2週間かけて書き綴ってまいりました11月13日の東博訪問記全巻の終わりでございます

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右に富士山、左に東京スカイツリー

2011-11-25 22:36:38 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは朝から何とも良い天気で、通勤時、新大宮バイパスの笹目橋を渡るときには、右側に富士山、左側に東京スカイツリーが、くっきり鮮やかに見えていました。


ただし、写真はありません… 何せ、運転中でしたから…


こんな時ばかりは、渋滞する首都高5号線を走ればよかったかなと思います(朝の笹目橋は、首都高よりも一般道の新大宮バイパスの方が遙かにスムーズにクルマが流れています)。


たまたま今夜のNHK news Watch 9で、東京から富士山を見られるスポットが減っているという話題を取り上げていましたが、埼玉からは、まだまだ富士山をきれいに見られるスポットがたくさんあります(例えばこちらの記事とかこちらの記事とかこちらの記事をご参照方)。そして、丹沢の山々が邪魔をしないだけ、都心部神奈川県中央部よりも、までしっかりと見ることができます


   


これでこの記事を終わりにするのは、申しわけありませんので、通勤・退勤時ケータイ(ガラケーです)で撮った写真を紹介しておきます。


まず、目に止まるたびに、「ソルクエ」に見えてしまってしょうがないこちらの看板。


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字数がまるで違うのに、どうして「ソルクエ」に見えてしまうのでしょうか


って、私の場合、仕方のないことですナ


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このブログに初めてやって来る人たちの中には、「公団ゴシック」で検索したのが運の尽き…って人たちが少なくありません。
そんな人たちが行き着く先はこの記事


それはさておき、会社からの帰宅時にいつも気になっていながら、ケータイで撮影する機会に恵まれなかった「公団ゴシック」の良品を、ようやく今晩撮影することができました


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第三京浜」の「」の字の「」が大きくってかわいい


この標識は、国道246号線(上り)が環八と交差する瀬田交差点の側道にあります。


<iframe width="400" scrolling="no" height="314" frameborder="0" src="http://local.google.co.jp/?ie=UTF8&amp;t=m&amp;vpsrc=0&amp;brcurrent=3,0x6018f46d3903daab:0x1818c506b69f671b,1&amp;layer=c&amp;cbll=35.620659,139.630542&amp;panoid=04y2UANWaPaEbkIq-2Rglg&amp;cbp=13,51.7,,0,-31.98&amp;source=embed&amp;ll=35.620529,139.630702&amp;spn=0.000002,0.001073&amp;z=19&amp;output=svembed" marginwidth="0" marginheight="0"> </iframe>

大きな地図で見る


以前から気になっていましたが、この標識を撮影するには、絶妙の停止位置が求められます。
だいぶ前に撮った写真は、、
と、距離があるし、ボケボケだしで、散々でした


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本音としては、クルマデジカメを常備しておきたいところですが、勤務先のセキュリティ上、なかなか難しいわけで…

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東博の最も「新しい」展示

2011-11-22 22:52:47 | 美術館・博物館・アート

11月20日の記事「暦とは裏腹に秋まだ浅い東博でした」のつづきです。


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東京国立博物館(東博)の本館2階、総合文化展「日本美術の流れ」の入口と出口に挟まれた真ん中(エントランスの真上)に、普段はビシリと扉が閉じられていて、なかなか内部を観ることのできない部屋があります。
この「便殿(びんでん)」という天皇・皇族専用貴賓室(私が撮影したデキの悪い写真こちら)の隣りに新しい展示室がオープンしました。


111122_1_2 asahi.comの記事を引用しますと、


高円宮ご夫妻収集の「根付」展示へ 東京国立博物館


高円宮妃久子さまが故・高円宮さまとともに集めた装身具「根付(ねつけ)」のコレクションを東京・上野の東京国立博物館に寄贈した。博物館は「世界的にも有名な現代根付コレクション」と位置づけ、専用の展示室「高円宮コレクション室」を新設した。11月1日から常設展示を始める。


ということで、「現代根付」のコレクションで、展示ケース1基だけの、かなりこぢんまりした展示室です。


111122_1_3 その1基だけのケースには、なんとも楽しい、「宮様のコレクション」というイメージを打ち破るような「現代根付」が並んでいました。


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例えば、桑原仁の2000年の作品、


111122_1_4新巻鮭高橋由一の「鮭」を連想します)とか、
馬糞山馬六(奥田浩六)の1994年の作品、


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大王の客 骸骨」とか…。


なんとも、いろいろな意味で、新しい世界が広がる気がしました


展示室に掲げられた高円宮妃久子さまのコメントを記しておきましょう。


根付は印籠や煙草入れなどを帯から提げる際に紐の端につけた留め具です、江戸時代の日本社会において、実用的な装身具として幅広い人気を得ていました。提げ物を身につける習慣は、明治時代の洋装や紙煙草の普及に伴い失われてしまいましたが、その繊細巧緻を極めた作風は欧米の美術愛好家の心を捉え、彼らの要望に応えて根付制作は続けられたのです。そして、1970年頃、海外の蒐集家からの熱心な勧めもあり、伝統を守りつつも20世紀を反映する新しい感覚の根付制作が始まりました。高円宮コレクションは主にこの「現代根付」のコレクションです。しかし、宮様は江戸時代の根付も好まれ、多くの文献をご覧になるに従って根付の歴史を後世に伝えることの重要性を感じられるようになりました。「どの時代の根付も、その当時は現代根付」と仰せでしたが、将来、来館される方々が20世紀を代表する良いコレクションだ、とお褒めくださったなら、宮様はたいそうお喜びになることでしょう。展示された根付の温かみ、優しさやユーモアを通して宮様のお人柄を偲んでいただければ嬉しく存じます。


東博の収蔵品・寄託品占める20世紀の作品の比率はかなり低いと思います。
そんな東博に、これほどユニークな、20世紀の作品群が加わったということは、東博が次世代に向けて新しい一歩を踏み出したような気がします。


あ、そうだ
11月16日の記事「上野の山は東叡山」の冒頭に載せた写真は、「高円宮コレクション室」の照明器具です。


つづき:2011/11/26 作者本人は「そんなはずでは…」と苦笑い?冷や汗?

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暦とは裏腹に秋まだ浅い東博でした

2011-11-20 19:15:54 | 美術館・博物館・アート

11月17日の「久しぶりの東博のお話は匍匐(ほふく)前進」のつづき。


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東京国立博物館(東博)では、恒例の「秋の庭園開放」が行われています(12月11日まで)。
もう11月も半ばだったというのに、まだまだ緑豊かで、ちょっとだけ秋が感じられるかな?という風情でした。


ところで、東博の庭園には由緒正しい古い建物が5棟移築されていて、約2年前のこちらの記事にも書きましたように、それぞれが茶室として開放されています(もちろん有料)。
その中の一つが、上の写真で右端に写っている「転合庵」です。
この「転合庵」についての説明を東博のHPから転載しましょう。


小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579~1647)は八条宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った際に、その披露のために京都伏見の六地蔵に茶室転合庵を建てました。1878年、京都の寂光寺に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から1963年に茶入とともに当館に寄贈されました。


建物の所有者が変わるのは珍しくないけれど、建物自体が京都・伏見⇒京都・左京区⇒東京・霞町(西麻布)⇒東京・上野と移築されたというのは、なかなかのお話です。
111120_1_2 塗り壁は新調しなければならないものの、柱や梁、障子や襖、板はバラバラにして、再度組み立てられるという日本の建築物ならではの芸当ですなぁ。
都が畿内の各地を遷っていた昔も、基本的に建物はバラして、新しい都に移築していたという話もありましたっけ…。
ちなみに右の画像は、大阪歴史博物館(訪問記はこちら)に展示されていた古代の都の所在地を示すパネルです。


それはともかく、小堀遠州さんが転合庵を建てるきっかけとなった茶入「於大名(おだいみょう)」が、総合文化展で展示されていました。


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説明プレートを転載します。


茶入 銘 於大名
美濃
江戸時代・17世紀
塩原千代氏寄贈


小堀遠州が桂宮智仁親王より拝領したと伝えられ、中興名物にも取り上げられた瀬戸茶入面取手の本歌とされる茶入。遠州によって水滴形から現在の形に仕立てられ、彼の伏見屋敷の茶室転合庵に附属し伝世したが、その後離れ、明治に再び転合庵と一緒になった。


説明が難しいし、転合庵説明とは宮さんの表記が「八条宮⇔桂宮智仁親王」と一致しない(同一人物です)し、工夫の余地があると思いますゾ


とかなんとか書きながら、私、茶道具にはとんと疎くて、まさしく「猫に小判状態でした


   


なにげにボコボコといくつもの国宝が展示されている東博の総合文化展(常設展)ですが、本館1階2室は、「絵画・書跡の名品をゆったりとした空間で、心静かに鑑賞していただくため特別に設えた展示室です。当館所蔵あるいは寄託の国宝から選りすぐった作品を展示します」という触れ込みのコーナーになっています。


私が出かけた先週、ここには「大宰府公験(円珍関係文書の内) 福州公験(円珍関係文書の内) 台州温州公験(円珍関係文書の内)」が展示されていました(11月13日で終了)。


円珍というのは、第5世天台座主にして園城寺(三井寺)の初代となった智証大師圓珍のことで、「公験(くげん)」というのは、身分証明書のようなもの。


展示されていた大宰府公験・福州公験・台州温州公験は、円珍が唐に渡った時のパスポートやビザの類です。
ですから、美術品というよりは歴史資料としての側面が強い国宝といって良いかもしれません。


まず「大宰府公験」はこちら。


111120_1_4


何が書かれたものかといいますと、説明プレートによれば、


巡礼・修学のため唐への渡航を企てた円珍は、大宰府近くの四王寺に滞在して便船を待った。やがて新羅の商人王超等の船に便乗する手はずが整い、随行の従者とともに公式に渡航許可を得たのがこの文書である。3箇所に「大宰府印」の朱印が捺されている。


というわけで、1150年前日本国のパスポートです。

そして、福州公験と、


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台州温州公験は、


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台州温州公験の説明プレートに、

10月中旬に温州に入ったため、再び同地の役所に滞在・通過の申請を提出した。福州と同様に、文書に地元の役人が確認の文言を書き入れて、返却された。一行はさらに進み。12月初めには台州臨海郡に到着した。この後、円珍たちの求法の旅はさらに続いた。


とあるように、1150年前ビザです。


1000年以上も前の歴史上の人物のパスポートやビザが残っているとは、たいしたものですなぁ。


ちなみに、福州は現在の中華人民共和区の福建省福州市台州浙江省台州市温州あの鉄道事故(関連して、痛すぎて笑うしかないニュース)の起こった浙江省温州市のことかと思われます。


   


次に紹介する作品は、よくよく観るうちにギョッとしたこちらの作品。


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狩野探幽門下四天王の一人」だという久隅守景の筆になる「鷹狩図」で、タイトルどおり、鷹狩りの様子が描かれています。


それはいいとして、鷹が仕留めようとしている獲物は、、、


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は、は、ハクチョウ


たまたまハクチョウを襲ってしまったのかと思うと、


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ちゃんと収穫してる…

さらに、従者がニコニコしながら運んでいるのは、、、


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タンチョウ(後のはマナヅル?)…


この後、獲ったハクチョウをどうしたのでしょうか?食べたんでしょうね…


現代人からすれば信じがたい様子が描かれた作品で、今回はおしまい。

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「MISIAライヴベストパフォーマンス」選びのその後

2011-11-19 20:51:43 | MISIA

10月24日の記事「MISIAライヴベストパフォーマンス」で、CLUB MSAが「これまでに発売されたライヴ映像の中から、あなたが最も見たいMISIA最高ライヴパフォーマンス」の投票を募っている話を書きました。
そして、


今回の投票の〆切は11月20日ですから、もう一度、ズラズラっと過去のライヴDVDを観直してみることにします。


として、その後、のんびり構えていたところ、気がつけば〆切が週明けに迫っていました


まず、WM(観るたびに劣化すること必至のVHSテープなので、DVDにダビングしたものを観ました)発売順にビデオを見ながら、とりあえず選りすぐりのパフォーマンスをpick upする作業を始めたところ、これがかなりの時間と手間がかかります。


そりゃそうです。MISIAのライヴ映像VHS, DVD, BD15本もあります。
しかも、ザッピングしながら端折ろうと思っても、知らず知らずに見入ってしまうのは致し方ないことで、思いのほかはかどりません
それでも、冷たい雨が降るきょう、外出を控えてひたすらビデオを見続けました。


   


そして選び出したのが、こちら


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余り考えずにpick upしたところ、のべ80曲以上にもなってしまいました

各ライヴとも原則として5曲を上限にしたつもりなのに、「星空のライヴ IIこ至っては、「全部」デス


星空のライヴII~Acoustic Live in Okinawa~ [DVD] 星空のライヴII ~Acoustic Live in Okinawa~ [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2004-07-07

こりゃちょっと「ベスト」を選び出すまでは道のりが長い


そこで、心をに、ハードルを高くして、「のべ80曲以上」からバッサリと選抜してみました。


すると残ったのは、


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左の表のとおり、ずいぶん絞り込んだつもりが、これでものべ38曲も残っています…


   


ところで、改めてMISIAのライヴビデオを観ると、やはり素晴らしいシンガーだとしみじみ思います。


よく言われる声量の豊かさ声域の広さテクニックの高さはもちろんのこと、声がステキだし、ステージの立ち居振る舞いMCの内容から人柄の良さ(そして育ちの良さ)が伝わってきます。

こんなシンガーと同時代に生きて、しかも、ライヴに行けるのは難と幸せなことかと思います


ところでところで、今回、かなり久しぶりにWMを観ました。このビデオは、1998年12月2日日本武道館で行われた「Mother Father Brother Sister TOUR '98」のライヴ映像と、デビュー前の準備から日本武道館での公演までを追ったドキュメント映像の二本立てです。
約13年前のMISIAのライヴを観ると、これが20歳の、デビューから1年も経たない新人シンガーのパフォーマンス(しかも、@武道館)とは信じられません。
第二次選考に残った「K.I.T」でのケンちゃんとのバトルなんぞ、MISIAぽっと出のラッキーガールではないことを如実に示しています


そうそう、13年前のMISIAは、今と比べると、声が若いし(当然のこと)、体もかなりふっくらしていてたんですなぁ…


   


さて、「MISIAライヴベストパフォーマンス」選びに戻りましょう。


第二次選考で残ったのべ38曲(「キスして抱きしめて」が「星空のライヴII」と「THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES」の両方からエントリー)から、できれば10曲くらいまで絞り込みたかったのですが、、、、


111119_1_3


結局、15曲(「THE TOUR OF MISIA 2001」からHOUSE MEDLEYを選びましたから、実際は18曲)までしか絞れませんでした

ここからさらに5曲落とすなんて、それはもう無理ってヤツです。

いっそのこと、一気に「ベスト」を選ぶ方が、気分的には楽


そんなわけで、「徒然煙草が選ぶMISIAライヴベストパフォーマンス」の予選はこれにて終了

あとは、一晩おいて、独断嗜好 直感で「ベスト」を選び出し、投票するつもりです。


   


今回、数週間かけてMISIAの全ライヴビデオを観ながら、「無人島(電源・再生装置ありライヴビデオを1本だけ持っていくとしたら、どれを持っていくか?」を考えていました。


有力候補としては、上に挙げた「星空のライヴII~Acoustic Live in Okinawa~」の他、


THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES [DVD] THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES [DVD]
価格:¥ 6,090(税込)
発売日:2004-03-31

と、


星空のライヴV Just Ballade MISIA with 星空のオーケストラ2010 [Blu-ray] 星空のライヴV Just Ballade MISIA with 星空のオーケストラ2010
[Blu-ray]

価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2010-05-26

あたりですが、現在進行形の「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」のライヴビデオには期待大です。
恐らく、横浜アリーナでのファイナルが収録されることになるだろうと踏んでいますが、かなり楽しみ


ただ、星空のライヴVの時もそうでしたけど、ずっとホールでやってきたツアーのライヴビデオが、スペシャル仕立てアリーナライヴで収録されたものというのにはチト違和感があります…


   


最後にプチネタ。


THE TOUR OF MISIA 2004 MARS and ROSES」を観ていると、遠近感が変になっている(ように見える)シーンがありました。


111119_1_4


MISIAが手前にいるはずなのに、MISIAから5mは後ろで歌っているGospel Choirの皆さんの方がMISIAより大きい


Gospel Choirの皆さんがそろいもそろってデカイ(交通機関の利用は大変だろうな…)ことと、この場面が望遠カメラで撮影されたためでしょ、K.I.T


【追記】〆切のきょう(11/20)、しっかりと某曲に「清き一票」を投じました
どの曲を選んだかは、、、、内緒 (2011/11/20 21:00)

コメント (2)
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久しぶりの東博のお話は匍匐(ほふく)前進

2011-11-17 23:11:34 | 美術館・博物館・アート

上野の山は東叡山」のつづきも、東京国立博物館(東博)総合文化展からお送りします。


111117_1_01


順不同で行きます。


まず、いつも楽しみにしているお侍さんの身の回り品が2品
こちらはいかがでしょうか?


111117_1_02


説明プレートには、


鼓透鐔(つづみすかしつば)
無銘 京正阿弥  江戸時代・17世紀


とあります。


」に精進すべきお侍さんが、「武士の魂」とされる刀の鍔に、精緻な金の象嵌が施されたの意匠とは…
なんと軟弱な と憤慨する人もいるかもしれませんな。
でも、考えようによっては、お侍さんも歌舞音曲に浮かれる太平の世がやってきたという江戸時代初期の開放的な気分が伝わってくる気がしませんか?


ところで、「無銘」としながらも、「京正阿弥」とはどういうこと


ヒントは説明プレートの英訳に隠されていました(この方面に造詣の深い方々、笑わないで


Sword Guard
Dram design in openwork
By Kyo-Shoami school
Edo period, 17th century


」が「Sword Guard」なのはすんなり来ますが、「透かし」が「openwork」って、これで正しいのですか?
その辺は置いといて、「京正阿弥」は「Kyo-Shoami school」と訳されています。
っつうことは、「正阿弥」というのは個人の名前ではなく、工房のようなものなのでしょうか


さっそく調べてみますと、コトバンクに答を見つけました


しょうあみ 〔シヤウアミ〕  【正阿弥】   
鐔工(つばこう)の一派。また、その手になる鐔(つば)。室町末期に京で興り、初期のものは古正阿弥という。伊予・阿波・会津ほか各地に分派が生じ、鉄地に金象眼を施した作品が多い。


だそうです
なるほど…、とすれば、京都を本拠地とする正阿弥一派のどなたかの作品というわけだ
おぉ、理解できました
鉄地に金象嵌を施した作品が多い」という説明も、「鼓透鐔」にピタリと一致しています。


ここでふと思い出しました
今年1月に東博で観た、私の故郷でつくられたという(下の作品)


111117_1_3 1月14日の記事で紹介した「雲龍透鐔 銘 出羽秋田住正阿弥伝七」です。
この記事を書いたときは、


作者の正阿弥伝七さんは秋田市の旧鍛冶町(私が小学校低学年の時に通っていた学校の学区内 )に住んでいらっしゃったのでしょうか?


であっさりと通り過ぎてしまった「正阿弥」、こんな広がりを持った名前だったんですなぁ…
もう一歩踏み込めば、未知の世界に触れることができていたはずなのに、もったいないことをしましたなぁ~
でも、まぁ、結構早く気がついて良かった…


おっとっと、最初の一品で長居してしまいました
次はこちらの兜。


111117_1_4 うぎゃぁ~、イカだぁ~


と思ったら、


白糸威富士山形兜 江戸時代・17世紀
(しろいとおどしふじさんなりのかぶと)


だそうです。


イカではなく、富士山
失礼しましたぁ~

こちらの兜(英訳では "Helmet"には詳しい説明がありましたので、転載いたします。


丈の高い鉢と末広がりの脇立(わきたて)を黒漆塗とし、頂辺(てへん)には銀箔を押して富士山を表した兜。革毎(ホントは一文字で"しころ")は両肩を短く、後中央を長くした日根野形(ひねのなり)といわれる形式で、帯状の板の上端に刻みを入れ、表面を伝統的な札仕立てのように見せかけた切符札(きっつけざね)を白糸で五段に威している。


これほど短い一文の中に専門用語が出てくる出てくる…
111117_1_5 この説明にある「日根野形」「切符札」が判るように、「しころ」を写真には撮ったのですが、ケースのガラスのおかげでクリアにとれませんでした
残念…


   


なかなか先に進めません…
他にやらなきゃならないことがあるし、寝不足だし、で、今日は辺りで…。


to be continued デス。

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上野の山は東叡山

2011-11-16 23:44:34 | 美術館・博物館・アート

昨日の記事、「信心の薄い人間にとっては…」のつづきは、東京国立博物館(東博)総合文化展、他の博物館・美術館でいうところの常設展から目についた展示をご紹介します。


111116_1_3


江戸時代、現在の上野公園寛永寺の寺域だったことはよく知られたとおりで(約2年前のブラタモリでも取り上げられましたっけ…)、その辺りは私もよく存じ上げています。


で、寛永寺の正式名称は、「東叡山寛永寺」。京都の鬼門:艮(うしとら=北東)に位置する比叡山延暦寺の「江戸版」として、江戸城の鬼門を守る「の比叡山」という見立てです。
ご丁寧にも、不忍池琵琶湖で、弁天島竹生島で、、清水観音堂清水寺の見立てという念の入れよう


前振りはこの辺にしまして、東博・本館1階の16室では、特集陳列「東叡山寛永寺」が開催中です(10月20日まで。リーフレットのPDFこちら)。
ここで陳列されていた、江戸時代初期(17世紀)の寛永寺の地図がこちら。


111116_1_2


そして、現在の上野公園の地図がこちらです。


111116_1_1


こうして並べてみると、現在工事中の大噴水がある辺りから東博の辺りまで、すべて寛永寺本堂(根本中堂)と本坊だったことがよく判ります。
いったい、往時はどれだけ大きいお寺だったのか…
それが、江戸末期、江戸城の無血開城に反発する勢力(彰義隊)が上野に立てこもり、官軍と戦った上野戦争の結果、寛永寺灰燼に帰したのだとか。


こんな風に江戸のランドマークの一つだった寛永寺が、


111116_1_4


上野戦争が終わってみるると、、、


111116_1_5


廃墟


上野戦争激戦を語るような、こんなのも展示されていました


111116_1_6 立木に食い込んだ砲弾だそうな


う~む、生々しい…


いまでこそ、平和そのものの上野公園と、その中でも知性に充ち満ちた東博が、150年ちょっと前は戦場で、そのまた前はお寺の本堂の敷地だったなんて…。


日本各地にある公的な博物館では、「郷土の歴史」として、その博物館が建っている場所の昔の様子を教えてくれるジオラマがお約束みたいなものですが、東博にはありません…

現在の東博のジオラマはあるのですから、是非、江戸時代の上野の山をジオラマにして展示していただきたいと切に思います

もっとも、東博のコンセプトからはずれてしまいますが、そこは、私の趣味ということで…


つづき:2011/11/17 久しぶりの東博のお話は匍匐(ほふく)前進

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