新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

「S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」 を観てきた

2015-08-31 21:18:36 | 映画

映画「S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」 を観てきたことを書くのを忘れてた

まだ公開したてたので、ネタバレを極力排して感想を書きましょうか。

ひと言で言えば、「名画」と呼ばれる作品ではないけれど(んん と思うありきたりのストーリー展開と、理解できないところがいくつか・・・)、結構楽しめました

とりわけ、格闘シーンキレが良くて、日本のアクションも捨てたものではないと思いました。

それと、ガッキーイイねぇ~
「若い女性」らしい格好をしたシーンはひとつだけでしたけれど、出動服+ゴーグルを構える彼女格好良さときたら、この映画一番の見どころかもしれないと思ったりして・・・

そしてそして、最後に流れるMISIAの「流れ星」

良かったぁ~~

「このシリーズにこの曲?」といぶかしく思っていた私でしたが、実際にエンドロールを眺めながら「流れ星」を聴いていると、ヒートアップしていたが穏やかにcalm downしていくのが、ホント、心地良い

なのに、エンドロールが始まるやいなや、さっさと席を離れていく人がいるんだから・・・

もっとも、映画を最後まで観ない人っつうのは昔からいましたからねぇ~
そんな人には、人生を損してるよ と申し上げたい

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その9)

2015-08-30 15:40:15 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その8)」のつづきは、関西遠征2日目・京都編です。

私の京都訪問は、2013年のゴールデンウィーク以来(旅行記のダイジェスト記事)で、「狩野山楽・山雪」展を観に行った京都国立博物館(京博)では常設展示館建て替え(& 正門の修復)工事終盤にさしかかったところでした。

そして、ようやく去年9月に常設展示館が「平成知新館」としてオープンしたわけで、十数年ぶりに常設展示を拝見するべく、京博へと向かった次第です。

京都駅に着くと、荷物をすんなりと駅のコインロッカーに放り込み、いつものように観光案内所からガイドマップget し、市バスに乗って、京博に到着

まずは、旧本館・明治古都館(の建物)を鑑賞いたしました。

一見、洋風の建物で、破風にはギリシャの古代建築にありそうな人物像の浮彫が施されているのですが、このお二人のお顔つきは、、、、

和風なんですなぁ(写真2年前に撮ったもの)。

一方の平成知新館は、

現代的な建物です。
エントランスを挟むように浅い池が配されていまして、

この風情格子風のデザインといい、東博の法隆寺宝物館と相通ずるものが感じられるわけですが、それもそのはず、この平成知新館東博・法隆寺宝物館も、谷口吉生さんの設計によるものです。

この池の中に妙なものがありました。

二重の輪が沈んでいます。
噴水ではありません。

この「二重の輪」は、池の中だけでなく、アプローチにもありました。

実はこれ、方広寺大仏殿廻廊の柱が立っていた場所を示しているのだそうです。

現在の京博界隈の地図はこんな風になっています。

南から、蓮華王院(三十三間堂)京博豊国神社方広寺と並んでいます。

今でこそ、方広寺大坂の陣きっかけ(口実)になった鐘銘事件ばかりが有名ですが、もともと大仏の寺、あるいは豊臣秀吉の寺として京都のランドマークになっていた寺で、17世紀前半に描かれた洛中洛外図(例えば、舟木本とか勝興寺本とか池田本とか)では、東の方広寺(豊臣系)西の二条城(徳川系)が左右に配されるのが定番だったようです。

洛中洛外図屏風 勝興寺本の右隻・第一~第二扇の上部には、方広寺大仏殿(左)と豊国神社(上)と三十三間堂(右下)が描かれています。

そして、現在の京博と当時の方広寺との位置関係はといいますと、

京博・平成知新館はすっぽりと方広寺大仏殿伽藍の内側に入っていたんですねぇ。
いや、それもそうですが、方広寺正門たる南大門は、三十三間堂さらに南にあります。

蓮華王院・三十三間堂のサイトによれば、

当時、交通の要所だったこの地に目を向け、後白河院や清盛の栄華にあやかろうと思い立った秀吉は、その権勢を天下に誇示するため奈良大仏を模した大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いたのです。今も、その遺構として南大門・太閤塀(ともに重文)が残ります。

というわけで、豊臣家は、平安時代末期に後白河上皇が建てたという由緒あるお堂をも呑み込んで方広寺の伽藍を築いたんですな。

その当時を偲ぶよすがとして、京博には伽藍の柱の位置「二重の輪」で示されていると同時に、大仏殿南之門から南大門へと繋がる道のあとが示されているというわけです。

そして、そもそも京博の南門が、この方広寺の「南北軸」上に作られていたことを初めて知った私でございました。

ところで、ここでひとつ疑問が・・・。

それは、大仏殿が、正門たる南大門からの「南北軸」と直角に、西面しているということ。
奈良の古寺では、御本尊はみんな南面しているというのに、方広寺の大仏はどうして西面しているのでしょうか?

と、気がつくと、東山にあるお寺の本堂・法堂は、清水寺知恩院南禅寺もみんな西面しています(建仁寺の法堂は南面)。
もしかすると、洛外の東山は、西側の洛中を向くのがデフォルト(初期値)だったのかもしれませんねぇ。

そういえば、京博も、本館・明治古都館正門西面しています。

ちなみに「京博の正門」は、

正門は、一般のお客様の退館及び、団体でご入館される観覧券をお持ちのお客様の入退館専用となっております。

で、一般客は南口から入門することになっています。

あ、そうだ

京博屋外展示の中に、方広寺大仏殿由来のモノがありました
(写真は2年前に撮ったもの)

巨大な鉄の輪でして、これは、方広寺の大仏様が着用していたブレスレット、、、、であるはずもなく、説明板には「方広寺大仏殿所用鉄輪」とありました。
ただ、これだけでは何に使われたか判りませんが、英文表記では、

Iron Ring
Fron the Column of the Great Buddah Hall, Hoko-ji Temple, Kyoto

とありまして、大仏殿の柱の補強材だったことが判ります。
この鉄輪の大きさからも、大仏殿、そして鎮座していた大仏大きさが偲ばれます。

なかなか先に進みませんが、きょうはこれまで

つづき:2015/09/08 2週連続遠征、まずは関西遠征記(その10)

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私の自動車保険から「ゴールド免許割引」が消える

2015-08-29 20:43:27 | 日記・エッセイ・コラム

自動車保険の更新通知がやってきました。

こちらで書いたように、基本的な条件は変わらず、車両保険の補償額は下がっているのに、保険料上がり続けた時期もありましたが、今回のご案内では、

現在:39,710円(車両保険140万円)
次期:36,230円(車両保険125万円)

と、1割下がる見込みです

ところが、昨年11月、R246横浜青葉IC付近(神奈川県警交通機動隊の主要な狩猟場)で、神奈川県警の面パトロックオンされるという不始末をしでかしまして、その数週間後には私の運転免許証「ゴールド免許ではなくなってしまいました

そして、次期の保険料は、

ゴールド免許割引あり:36.230円
ゴールド免許割引なし:40,760円

と、現在の保険料より高くなってしまう

う~む、、、、

車両保険をやめてしまいましょうかねぇ
JAFロードサービスを受けられることだし、そろそろクルマの買い換えを視野に入れていることですから・・・。

そこで試算してみると、車両保険なし(フリープラン)では、

12,000円(約30%)ほども安くなる

よし、決めた

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さよなら 梅小路蒸気機関車館

2015-08-29 12:45:45 | MISIA/旅行/ニュース

けさのニュースを見ていると、京都の梅小路蒸気機関車館があすで閉館するという話題が流れてきました。

梅小路蒸気機関車館 閉館

行きましたなぁ、梅小路蒸気機関車館

私が梅小路蒸気機関車館に行ったのは、2011年3月東日本大震災翌週のことでした。

2011年3月19日に予定されていた「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」京都公演参戦するつもりだったところ、

この度の東北地方太平洋沖地震の影響により、(中略) 被害状況や現在も続いている余震の事も考え、本人、スタッフと協議の結果、延期とさせて頂きたいと思います。

ということで、3月18~21日神戸・京都・大津3公演延期

それでも、電力不足・モノ不足首都圏を離れて、ちょっと気分転換したい気持ちもあり、京都遠征を決行したのでした。

旅行記のダイジェスト
旅行記本編
梅小路蒸気機関車館訪問記

当然ながらenjoyする気持ちにはなれないながら本物のSL迫力に圧倒されきたものでした。

このときが、私にとって最初で最後の梅小路蒸気機関車館の見物になったわけですが、SLたち、資料展示室として使われている旧二条駅舎、そして重要文化財扇形車庫がなくなるわけではなく、

当館は2016年春に、同エリアにて併設される新館とともに京都鉄道博物館として生まれ変わります。

だそうです。
去年4月に閉館した大阪の交通科学博物館(訪問記こちら)の収蔵品京都鉄道博物館に移ってくる(移ってきている)ようですから、交通科学博物館リピーターだった方には待ち遠しいことでしょう。

待ち遠しいといえば、2011年3月の京都旅行では外観を眺めて「THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST」京都公演延期のお知らせを見るだけしかなかった京都会館を忘れてはいけません

京都会館は、私が訪れてから約1年後の2012年3月をもって「再整備」に入っていまして、来年1月「ロームシアター京都」としてリニューアルオープンするのだとか。

どんなホールになるのか楽しみにしている人が多いことでしょう。

京都会館大ホールに一度も足を踏み入れることができなかった私としましては、最後列が「1列目」で最前列が「33列目」という世にも珍しい席番配列が踏襲されるか否かに注目しています。

   

ところで、きょうと明日は、「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」沖縄公演
先週と違って、今週は台風の心配は無く地元の人たち遠征組ホッとしているんでしょうねぇ。

留守番組の私は、今夜、きょう公開の「S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」レイトショーで観てくることにしています。

つづきのようなもの:2015/08/31 「S -最後の警官- 奪還 RECOVERY OF OUR FUTURE」を観てきた

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その8)

2015-08-24 22:08:20 | 旅行記

「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その7)」のつづきは、今回の関西旅行2日目の「京都編」

新大阪のホテルを早々に引き払うと、京都線に乗って京都へと向かいました。

京都に旅行するたびにう~む と思うのは、ホテルのお値段高いこと、京都駅コインロッカーが朝から満杯になること、混んでいること、食事が高いこと、といった辺りでしょうか。
さすがは日本有数(ハイエンド)の観光地ですなぁ~

私の「京都対策」は、京都中心部ではなく山科・大津・大阪のホテルに泊まる、なるべく朝早く京都駅に到着する、なるべくバスタクシー使わない仕方ないあきらめる、です。

今回も、上記の「京都対策」を実行したわけですが、こちらで書いたようにバスは利用いたしました(その結果、ビミョーなことになったわけですが・・・)。
また、京都中心部だけではなく、大阪でもホテル難になっている(こちらの記事をご参照方)ことは、今後要注意すべき点かもしれません。

   

さて、新大阪駅から京都駅までの交通手段は、大ざっぱにいいまして、新幹線560円+860円、約15分)、在来線特急560円+650円、約23分)、京都線・新快速(560円、約25分)の3通りあります。

私はもっとも安価京都線・新快速を選んだのですが、途中で待ち合わせが生じる快速各停があって、約10分間ホームに立ちんぼで、実際の所要時間は約35分でした。

もっとも、一番速い新幹線でも、京都駅への到着時刻新快速15分程度しか違わないわけで、860円上乗せする価値があるのかどうか・・・

ぐだぐだ書きましたが、要は、京都旅行には京都にホテルをとらなければならない道理はないし、京都へのルートひとつだけではないということです。

参考になりますでしょうか?

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「ダミアン神父」をハシゴ(後編)

2015-08-23 12:12:30 | 美術館・博物館・アート

「『ダミアン神父』をハシゴ(前編)」のつづき。

練馬区立美術館に出かけるのは、こちらで書いた「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」のとき以来ですから、約1年半ぶりだったのですが、美術館周辺の雰囲気が前回とはずいぶん違います

その辺りの事情の追究は後回しにしまして、まずは「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」を観ねば

と、美術館の入り口に着きますと、館内に異様な人だかり

いったい何事か と思ったら、小池ちとせさん(Pf)河野めぐみさん(メゾソプラノ)による記念コンサート真っ最中でした。

私は、記念コンサートほったらかして(何しろ心の準備がまったくできていなかった)、「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」を見始めたのですが、すべての展示室にピアノの音歌声が響き渡り、常識外れの美術鑑賞になってしまいました。
幸か不幸か、2ヶ月弱の会期のうちでたった1、それも1時間だけイベントにぶち当たってしまうとは・・・

   

ところで、舟越保武さん、練馬区立美術館開館30周年記念と銘打って展覧会が開催されているわけですが、

舟越保武は1912年(大正元)に岩手県に生まれ、盛岡中学時代にロダンに憧れて彫刻家を志しました。大理石や砂岩などの石による清楚な女性像で知られる舟越がはじめて石彫に取り組んだのは練馬に在住していた1940年(昭和15)のことであり、舟越は練馬ゆかりの作家でもあります。

だそうです。
なるほどねぇ~
「なるほどねぇ~といえば、会場内に兵庫県立美術館(一度行きましたなぁ)で開催中の「舟越桂 私の中のスフィンクス」展のフライヤーが置かれていて、あれっと思いました。
舟越桂さんはもともと私にとって気になる彫刻家だったんですが、この「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」を通じて、舟越桂さんが、舟越保武さんの次男でいらっしゃったことを思い出しました (2011年10月30日放送のNHK日曜美術館「やさしさ、静けさ、そして強さ ~彫刻家・舟越保武の世界~」には桂さんも登場されていました)

同じ彫刻家でも、保武さん桂さんとでは作風がまるで違うんですよねぇ・・・

   

それはともかく、私はこれまであちこちで舟越保武さんの作品を拝見してきました。

「前編」に載せた埼玉県立近代美術館「ダミアン神父」、幼少のみぎりに父が運転するクルマで何度も田沢湖に出かけて観たたつこ像、初めて「舟越保武」の名前を知った宮城県美術館「原の城」

そして、長崎市西坂公園「長崎26殉教者記念像」

ブロンズの作品は、複製ができますから、あちこちで観ることができるものですが、舟越保武さんの真骨頂ともいえる石彫は、オリジナル1点しかありません。

まさしく、舟越さん石彫作品を観たくて、私は「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」に出かけたわけでありますよ。

そして、もっとも拝見したかった作品にお目にかかれました

「聖ベロニカ」(1986年 砂岩>)です。

エルサレムの敬虔な女性ベロニカは、十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩くイエスを憐れみ、その場の物々しく緊張した空気のなか勇気を出して進み出て、イエスに額の汗を拭くよう身につけていたベールを差し出す。イエスが申し出を受けて汗を拭ってベールを返すと、そこにイエスの顔が浮かび上がっていたと伝えられる。

というベロニカの像は、NHK日曜美術館「やさしさ、静けさ、そして強さ ~彫刻家・舟越保武の世界~」で見て、是非とも実際に拝見したいと思い続けていた作品

そして、初めて拝見した「聖ベロニカ」は、期待に背かない、いや、期待を遙かに上回るステキな作品でした

会場内に鳴り響くピアノと歌声が、この作品を観ている間だけはなりをひそめていたような気持ちになるほど、引き込まれました

大理石がキラキラと輝く「夢の女」も良かったのですが、やはり「聖ベロニカ」お持ち帰りしたい作品No.1でした。

また、他の彫刻作品素晴らしさはもちろんでしたけれど、舟越さんデッサンがまた見事でした。デッサンが彫刻作品の制作過程の一部であったことが感じ取れましたです。

というわけで、非常にステキな鑑賞となった「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」でありましたが、つくづく「記念コンサートと被さってしまったことが惜しまれます
観客の靴音と、ひそひそ声だけが聞こえてくるような環境(普通の展覧会の環境)で鑑賞したら、また違った印象が残ったかもしれません。
また、もうひとつを挙げれば、図録写真イマイチです
絵画作品と異なり、彫刻は写真に撮る角度でずいぶん違って見えるものですが、この図録の写真の多くは実際に観た印象と結構違います
そんなことから、上に載せた「聖ベロニカ」の写真は図録をスキャンしたものではなく、岩手県立美術館のサイトから拝借した次第です。

   

こうして練馬区立美術館を出てに戻る前に、美術館周辺をちょいと探訪しました。

前回来たときにはなかったPOPな彫刻がたくさん設置されていたのですよ。

まず、美術館入り口に向かう階段の両脇に獅子・狛犬よろしく展示されていたトンボ
左側(さしずめ吽形)普通のトンボ(尋常ではなくデカい)なのですが、

右側(阿形?)は、、、、

「トンボ・マシーン」(頭部にはプロペラがついている)でした

今年4、美術館の前の公園が「練馬区立美術の森緑地」としてリニューアルオープンしたのだそうです(リリース)。

「20種類・32体のファンタジーな彫刻群」が園内に佇んでおりました。

フライヤーを飾る緑地入り口「クマ立像」は、から観た方が魅力的かも・・・

ところで、この緑地のある練馬区、その区名の由来は何なんでしょうか?

勝手に想像すれば、乗馬訓練を行ったか、馬の調教を行ったかとなるわけですが、練馬区のHPによれば、

「ねりま」という地名の由来には、
 ・関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった
 ・石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった
 ・奈良時代、武蔵国に「のりぬま」という宿駅があった
 ・中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がおり、馬を馴らすことを「ねる」といった
などの諸説があり、定説はありません

だそうです。残念・・・

で、「練馬区立美術の森緑地」「ウマ「ネリマーマ」だそうな)の彫刻はこちら

胴体大根

大根といえば練馬練馬といえば大根 ということなんでしょ。
練馬区のHPにも、練馬大根大々的に取り上げられています

それにしても「ネリマーマ」シュールさときたら、筆舌に尽くしがたい・・・

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「ダミアン神父」をハシゴ(前編)

2015-08-22 20:45:02 | 美術館・博物館・アート

きょうも買い物がてら、美術館ハシゴしてきました。

きょうのルートは、

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大宮駅買い物大宮駅京浜東北線北浦和駅埼玉県立近代美術館(MOMAS)北浦和駅京浜東北線浦和駅湘南新宿ライン池袋駅西武池袋線練馬駅西武池袋線中村橋駅⇒徒歩練馬区立美術館⇒徒歩中村橋駅西武池袋線練馬駅西武池袋線池袋駅埼京線最寄り駅⇒徒歩⇒自宅

ということで、MOMAS練馬区立美術館2つの美術館ハシゴです。

この2つの美術館では、とある作品がどちらでも展示されていました。

それが、タイトルに掲げた、舟越保武さんの「ダミアン神父です(右の写真は3年前にMOMASで撮ったもの:記事はこちら)

   

きょうMOMASに出かけた目的は、こちらで書いた「キネティック・アート」展をもう一度観る ではなくて「ダミアン神父」と同じ「地階センターホール」に展示されているという「旅する小さな家」を観ることと、

旅する小さな家

MOMAS恒例の「座れる段ボールの椅子グランプリ」入賞作品を観ることでした。

まず、「旅する小さな家」、実際に「にじり口」から中に入り、入り口の扉を閉めていただくと、、、、暗い…

構造上、真横からの光しか入ってこないもので、内側の空間がどうなっているのかは手探りするしかありません。
わたし的にはイマイチの作品でした。

一方、「小・中学校、高等学校、特別支援学校の3名以上のチーム」が制作してアイデア出来映えを競う「座れる段ボールの椅子グランプリ」の方は、大満足

というか、総合グランプリに選ばれた「UMOUMA」埼玉県立大宮広陵高校 チーム とんぷく)が飛び抜けて素晴らしいものでした

既存の椅子の素材を段ボールに置き換えるか、ただの段ボール製のオブジェでしかない作品が目につく中、この「UMOUMA」は、「大人1人が座れる」要件を満たしつつ、観たことのない容貌で、かつ、段ボール素材感があふれ出ています
こりゃ「総合グランプリ」以外には考えられないでしょ というくらい素晴らしい作品だと思いました。

あまりに感激したもので、もう1枚

もうひとつの美術館っつうか展覧会のお話はまた明日

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その7)

2015-08-20 23:17:47 | MISIA/旅行/ニュース

2週連続遠征、まずは関西遠征記(その6)のつづきです。

国立民族学博物館万博記念公園を楽しんだ私は、新大阪駅に戻り、ようやくホテルチェックイン

   

ところで、きょう、朝日新聞DIGITALを見ていると、かなぁ~り気になる記事が載っていました。

タイトルは、「秋田商野球部、宿舎に感謝の寄せ書き ツイッターで拡散」

朝日新聞DIGITALに載っていた写真

そりゃ、秋商はわがふるさと秋田県代表として、これまたかなぁ~り久しぶり甲子園2勝したわけで、気になるのも当然なのですが、記事を読んで、おおお~

秋田商が宿舎の新大阪ワシントンホテルプラザ(大阪市淀川区)をチェックアウトしたのは、18日午後1時ごろ。ホテル従業員で、秋田代表校のサポートを6年前から担当している菊崎祐昌さん(40)は見送りを終え、秋田商の選手らが宿泊していた階の片付けに取りかかろうとすると、エレベーターホール近くにおかれていたホワイトボードに、寄せ書きがされているのに気がついた。「びっくりしました。こんなこと初めてだったので」。その後、ほかの従業員が寄せ書きの写真をツイッターに投稿した。

新大阪ワシントンホテルプラザといったら、今回の関西遠征の際に私が宿泊したホテルではありませんか

しかも、「秋田代表校のサポートを6年前から担当している・・・」と、秋田県代表チームが定宿にしていたホテルだったなんて、まったく知りませんでした (初戦敗退が続いてご迷惑をおかけしました)

いやはや奇遇ですなぁ・・・
ちなみに、私が泊まったホテルニュースに登場したのは、これまた関西遠征このとき以来でした。

   

さて、ホテルチェックインした私は、取り急ぎでぐっしょりとなったTシャツを着替え旅行記のダイジェストブログにアップ。

そして、少々慌てながら新大阪駅
そしてそして、

新大阪駅御堂筋線淀屋橋駅徒歩フェスティバルホール

のルートで、「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」の会場フェスティバルホール

久しぶりに日銀大阪支店見事な建物をしげしげと眺めこのとき以来)、

日銀大阪支店そして、こちらの記事にも登場したフェスティバルホールの壁面のレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」をしげしげと見上げ

_

そしてそして、遂にフェスティバルホール入場

そしてそしてそして、かの有名なフェスティバルホール大階段

フェスティバルホールの大階段

すてきですなぁ~

階段を一段一段上るごとに、私のテンション上がっていくぅ~~

モギリを通って、ホワイエへ、、、、と、おぉ~

星空ぁ~~~

「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」大阪公演に向けて、私のテンションはMAX でありました。

こうして臨んだ「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」大阪公演、いやはや、ほんんんんんっとう良かった・・・

ここからちょっとだけ「ネタバレあり」ですので、情報遮断中の方はご注意くださいませ。

最初の曲「桜ひとひら」でのMISIAのボーカル確実さ、柔らかさ、深さ、響きといったら、かなり進化してる と思ったバースデーライヴのときに比べても、格段の素晴らしさ

そして、CD音源を含めても、なかなか「これだと思えなかった「Re-Brain」が、去年のテアトロンでの「Misia Candle Night」さぬき公演(記事はこちら)以来久しぶりに私の心にダイレクトに入り込んできます

しかも、会場の反応の素晴らしさ

わたしの経験の中でも、かなり上位に位置するMISIAのライヴになったのでございました。

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その6)

2015-08-17 23:36:32 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その5)」のつづきは、国立民族学博物館(みんぱく)編の最終回で、日本に関する展示をご紹介します。

まずは、一見すると、清朝官服のようなこちら。

いわゆる「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれるものでして、私は以前にも東京国立博物館で観たことがあります。
説明板には、

山丹服
サハリンアイヌ サハリン

19世紀以前、アムール下流域は俗に山丹とよばれ、この地を経由してアイヌにもたらされた清朝の官吏に給された錦の服を最高の晴れ着とした。
これをアイヌから入手した和人は、蝦夷錦と名づけて珍重した。

とあるのですが、よくよく観ると、刺繍された龍の爪5本

あれ? 「5本爪の龍」は、こちらにあるように、黄色と共に、皇帝の身の回りにしか使ってはならないものじゃなかったか?

だとすれば、この山丹服の由来は・・・

よく判らないので先に進みます
次はこちらの

「永峯秀樹訳 開巻驚奇 暴夜物語」と読み取れますが、「暴夜物語」とは・・・?

扉絵ヒントになるのですが、「暴夜物語」と書いてあらびやものがたり」と読むそうで、説明板を転記しますと、

アラビアンナイトは、明治8年(1875)に永峯秀樹(1848~1927)によって日本語に翻訳された。永峯訳はタウンゼントが青少年向けにリライトした英語版をもとにしており、漢文読み下し調の簡潔な文章になっている。

だそうで、アラビアンナイトがこんなに早い時期に日本に出回っていたとは知りませんでした
それにしてもアラビアンナイト「暴夜」と訳すなんざ、永峯さん、大したものだと思います。ただ、「荒夜」でもよかったかも・・・

   

ここからはデカいもの

金剛力士像なんですが(手前で「おわぁと驚くような女性がフレームにうまく入った)、熊本県山都町の「八朔大造り物 仁王像」だそうです。

説明板曰く、

毎年9月の八朔祭(はっさくまつり)で、町内の連合組などによって、杉の葉野山の採集物をもちいて作られる。

だそうで、実際、極めてオーガニックでした

離れて見ると、ちょいと「頭でっかちですが、この角度で見上げると凄いですなぁ~、この迫力

デカいといえば、こちらもデカかった

鹿児島県曽於市の「やごろどん人形」だとな。
説明板に、

大隅地方の秋祭りには巨人伝説を背景として、あちこちに巨大な人形が登場していたが、今日では岩川八幡神社のやごろどんなど数ヵ所に伝わっている。

とあるとおり、「やごろどん」でググると、大隅地方の複数のお祭りがヒットします。

そして、「やごろどん」「弥五郎どん」と書くようで、「巨人伝説」も見つかりました。

こちらで書いた秋田の鹿島様にしても、どうして私は大きな人形に惹かれるのでしょうか?

   

話は変わり、今年5月「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」東京公演に出かけたとき、ベテラン女性シンガーお三方からの祝儀花を拝見しました(記事はこちら)。

この日の記事では、

石川さゆりさんと森山良子さんからのには驚きました
今後、新たな展開でもあるのでしょうか?

と書きましたが、その後、石川さゆりさんがNHK-FM「星空のラジオ」に出演されて、森山良子さんとMISIAとの関係がとして残されています。
その森山良子さんの若かりし頃「ジャケ写みんぱくに展示されていました

ひやぁ~おねえちゃん

って、「この広い野原いっぱい」のリリースは1967年森山さん20歳のときなんですから、そりゃ若いのも当然です

MISIA森山さんとは、どんな関係なのだろうか? などと考えながら、私は、この夜の「MISIA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」大阪公演に参加するべくみんぱくを後にしたのでありました。

つづき:2015/08/20 2週連続遠征、まずは関西遠征記(その7)

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2週連続遠征、まずは関西遠征記(その5)

2015-08-15 22:49:14 | 旅行記/美術館・博物館・アート

帰省旅行が間に挟まって、どのシリーズを中断したのだったっけ? と思ったら、関西旅行記でした。
まだ国立民族学博物館(みんぱく)未完でした。

そんなわけで、8月2日の記事「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その4)」のつづきです。

「その4」の最後に紹介したアフリカの衣装のつながりから、「衣装系」を特集しましょう
まず、写真では判りづらいかもしれないけれど、巨大なこの衣装

ヨルダンサルト地方「ハラケ」と呼ばれる「女性用長衣」だそうで、「身丈3m、袖丈2m以上」もあります

この地域の女性たちが巨大だから、、、というはずもなく

まず裾が足元にくるように調整して帯をしめ、上部に余った布を整えて下にたらす。

だそうで、こちらのサイト完成形をご覧いただけます。
究極のサイズフリーですな

次はセクスィーなこちら。

説明板には「ダンダシュのベリーダンス衣装」とあります。

「ダンダシュ」というのは、「現在のエジプトを代表するベリーダンサー」だそうで、こちらのサイトに、みんぱく西尾哲夫教授がこの衣装を「収集」したときのことが書かれています。
さらに、ダンダシュさんご本人が2年前にみんぱくを訪問されたそうで、こちらにはご自分の衣装を前にポーズをとるダンダシュさんが

女性用の衣装が続きましたので、次は男性用

ギリシャ正教の聖職者の衣装でして、右が司祭服、左が大主教祭服だそうです。

司祭服は聖職者らしく地味ですが、大主教の祭服は、いくら最高位の大主教とはいえ、いくら祭服とはいえ、派手すぎじゃありませんか?

胸元をアップしますと、、

キンキラキン

荘厳さ以上に、権威を感じてしまいます。
ちょっと私の持つキリスト教のイメージとは違うような・・・

ちょっと複雑な思いを抱えつつ、次の民族衣装、どの地域のものだと思いますでしょうか?

私としては、中南米イメージしたのですが、正解は日本のお隣、台湾

を基調として頭上に羽根を頂く左の2つは、台湾の南部や南東部に居住しているというパイワン(排湾)族の衣装で、右の基調の衣装は、台湾の中北部に居住してきたというタイヤル(泰雅)族の衣装だそうです。

説明板によりますと、

みんぱくには、日本統治時代(1895~1945年)に収集された台湾原住民族に関する道具や衣服が収蔵されている。これらは学術資料として研究に活用されるだけでなく、原住民族の人びとにとって、祖先の営みを伝える文化資源として注目されている。

だそうです。
へぇ~ ですねぇ。

「衣装編」の最後は、私がもっともステキだと思ったこちら

インドタミル・ナードゥ州カーンチープラムの衣装。

青紫の地にをあしらった色遣いはシンプルながら、たくさんのヒダがつくり出す陰影凄く魅力的です

これで終わりにしようかと思ったのですが、これもまた衣装だろう と、こちらの帽子を載せましょう。

ペルーケチュア族の編み帽子「チュリュ」です。

色遣いといい、デザインといい、ホントにcute

そういえば、日本でも、冬になるとチュリュを被っている女性を見かけるようになりましたねぇ。
たいへんに結構なことだと思います。

   

ところで、関西遠征記とはまったく関係ないのですが、私の夏休み明日でお終い
明日はUターンドライブで帰宅します。
実家の夜は、扇風機だけで爆睡できるくらい涼しいのですが、帰れば熱帯夜が待っているんだろうな・・・

コメント
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