新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2017年3度目の関西旅行 初日ダイジェスト

2017-10-28 19:14:13 | 旅行記/本と雑誌

2週連続台風襲来にもめげず、関西旅行を決行し、舞鶴市のホテルで和んでいます。

心配した台風22号直撃は避けられそうで、雨模様ながら、初日の観光は無事に終えられました。

例によって、きょうの旅程から書いておきます。

自宅⇒徒歩⇒最寄り駅⇒埼京線赤羽駅上野東京ライン東京駅東海道新幹線京都駅特急まいづる東舞鶴駅⇒徒歩⇒ホテル⇒徒歩⇒赤れんが博物館⇒徒歩夕潮台公園⇒徒歩⇒ホテル

あれ ずいぶんとシンプル…。
でも、きょうは移動の過程がなかなか乙なものでしたし、きょう唯一の観光スポットだったと言って良い赤れんが博物館は、予想以上に見応え十分で、至極満足しております。

詳細は旅行記本編で書くことにしまして、きょうのところは、富士山の話に留めておきましょう。

きょうは台風22号接近の影響で、に見舞われることは覚悟していました。
せっかく新幹線では富士山側の席を取っていたのに…、と思っていたのですが、新富士駅のちょいと手前で、富士山の姿を拝見することができました

チョイ欠けながら、もっと天候が良くても富士山の姿がほとんど見えないこともあることを思えば、上々です

この富士山の姿、首都圏から観るのに比べると鋭角的で、まさしく北斎が描くところの富士っぽい と思いました。

そこで、冨嶽三十六景で、この辺りからの作品はなかったのだろうか? と調べてみますと、富士山があれだけ雄大に見える場所ですから、北斎が見逃すはずもなく、見つかりました

「駿州大野新田」です。
う~む、実物よりもちょっとデフォルメしてます。
そして、宝永火口いびつな部分で隠していますな

ところで、現在の富士市は、東海道吉原宿があったところなわけで、廣重もこの付近から見た富士山を描いています。

「東海道五十三次 吉原 左富士」では、宝永火口「あばたもえくぼ」とばかりに、しっかりと描かれていますな

【追記】私が「東海道五十三次 吉原 左富士」富士山だと思っていたのは愛鷹山のようです。絵の側、木々の狭間から「左富士」が描かれているのに気づかなかったという… (2017/11/12 10:08)

きょうは、風景に期待せず、山本一生「水をガソリンに変える人 山本五十六、不覚の一瞬」電子版で読んでいたのですが、たまたま新富士駅を通り過ぎたあたりで、偶然にもこの辺りの話が出てきてビックリ

なんでも、昭和13年(1938)のこと、商法学者として著名だった高窪喜八郎さんが、政軍官財界の有力者に、電信を送り、

静岡県富士郡大淵村、現在の富士市北方の山麓にあたる。そこから油徴、原油が出る兆候が見られたのでご確認いただきたい、(1938年10月) 9日には特別列車によって希望者を現地まで送り届けます、

とご招待したところ、各界のお歴々80名ほどが現地視察に参加したのだそうな。
そもそも、火山富士山のふもとから石油が出るか? ということに加えて、この話の発端が、「霊感のある御婦人」を通じてもたらされた枚岡神社「ご神託」だというのですから、「まゆつば」極みなのですけど…

結局、高窪さんや、財界の有力者・植村澄三郎さん(経団連会長を務めた植村甲午郎さんの父親)が大金を注ぎ込んだこのプロジェクトは、当然のように失敗に終わります。
それでも、不思議なことに、この「油井」からはが出たそうなのですが、分析の結果、「精製された機械油」だったとか…。

20世紀に入ってもなお、稲わらから絹を作れる、とか、水からガソリンを作れるといった錬金術的な話や、富士山麓から石油が出るというご神託が、疑いを持たれるつつも「もしかしたら」と思われたという事実が、なんとも不思議です。

と、関西旅行とはぜんぜん関係ない話に逸れてしまったところで、初日のダイジェストは終わりにします。

ちなみに、この本によると、

富士山麓油田の遺構は、現在でもわずかながら残っている。

だそうで、行ってみたい気がしてきます。

コメント
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