新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #2

2019-09-29 13:27:49 | 旅行記

中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #1」のつづきです。
きのうは、帰省Uターンドライブと、夕方のラグビーW杯日本vsアイルランド戦TV観戦疲れ切りました(心地良い疲れ)ので、お休みさせていただきました。

さて、羽黒山継子坂を下り、神橋を渡ると、いかにも霊場然とした川と滝

上の写真では見づらいのですが、滝(須賀の滝)は、祠(祓川神社)裏側に落ちています。
随神門前にあった案内図によれば、

神山の裾を巡って流れることから祓川と呼ばれ、いにしえの参拝者は川の流れに身をそそぎ、心を洗ってから羽黒山へ赴いた。須賀の滝はこの祓川に掛かる赤い神橋の右方に見える滝で、明治まで不動明王を祀っていたことから不動滝と呼ばれた。明暦3年(1657)天宥別当(1630~68)が月山山麓水呑沢より引水し祓川の懸崖に落としたものである。

と、須賀の滝「人工とな 
でも、人工とは言え、350年前に引いたというのですから、かなりの信念と労力がないとできないお話。
この天宥さん、「須賀の滝」の件に限らず、かなりのやり手だったようで、こちらのサイトによれば、

それまでのお山のしきたりを破って「改革」ともいえるやり方をしたため、不満を持つ地元山伏に訴えられ、伊豆の新島に流罪となり、羽黒山に帰山することはないまま同島で晩年を過ごしました

ですって

そんな裏話も知らないまま、うん十年ぶりに、国宝 羽黒山五重塔にご対面

羽黒山五重塔

いやぁ~、イイ

素朴な素木造りながら、杉木立の中、木もれ日を浴びるその堂々たる姿見事です

うまい具合に、「内部特別拝観」が行われておりまして、これ幸いと拝観いたしました。

羽黒山五重塔 内部特別拝観

拝観料500円をお納めすると、拝観券代わりの小さなお札(4cm×2cmくらい)をいただき、

国宝羽黒山五重塔護符

さらに、神職さんから「畏み畏み申すぅ~」お祓いしてもらった上で、五重塔の内部へ

仏塔の内部には、四方を向いて仏さまが鎮座されているものですが、羽黒山五重塔の場合は、

明治時代までは羽黒山の本地仏である聖観音菩薩を中心に妙見菩薩軍荼利明王を両脇に安置していたが、維新後は大国主命を祀る。

だそうです。

そもそも、五重(三重)塔というもの、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を祀ることに起源を持っているものですから、仏教寺院につきものの「施設」
それなのに、どうして出羽三山神社神域に立っているのでしょうか?

これもいわゆる「神仏習合」によるもので、明治の世になるまでの1000年以上も、日本人は神様も仏様も一緒くたに崇拝していたんですな。
そして、羽黒山の五重塔は、説明板によると、

五重塔周辺は江戸初期に廃寺となった宝塔山龍水寺で、五重塔はこの龍水寺の塔であった。初重の須弥壇には、本尊の聖観音菩薩(総丈約1.5m)と脇侍に軍荼利明王と妙見菩薩(共に1.2m)の三尊が祀られ、前立として厨子に入った観音・軍荼利・妙見の三尊が安置されていた。

そうです。
ちなみに、こちらの記事で書いたように、春日大社にあったという東西両塔とか上野動物園の中にある五重塔(「旧寛永寺五重塔」と称していますが、もともとは、土井利勝1631年に上野東照宮に奉納したもの)なんて例もあります。

明治政府が成立間もなく打ち出した「神仏分離令」と、政府の方針を受けた廃仏毀釈運動が、どれだけの文化財なき物にしたことかと考えると、私は「神仏分離令」ってのは明治政府最悪の失政だと思っています。
羽黒山五重塔に祀られていた三尊像は、「明治以降行方不明」だそうで…

さて、今回の「羽黒山五重塔内部特別拝観」では、初層(1階)の中に入って、かつては四面の外に掲げられていた「小野道風筆と伝えられる四身額」とか、最上義光が五重塔を修理したことを伝える「五重塔覆鉢台座拓本」なんぞを拝見できました。
小野道風といえば三蹟の一人で、和様の基礎を築いた書家ということになっていますが、この「四身額」は、なんとも古風篆書体
道風の篆書体の書って、他にあるのかね…

つづいて、五重塔の裏に作られた足場を登って、第二層内部を覗き込みます。

五重塔の初層の屋根と第二層の組物が、私としましては、こけら葺の屋根とか、軒を支える組物ほぼ真横から間近にに見られたのがもう幸せぇ~ でございました。

ところでこの五重塔、フライヤーによれば、

国宝五重塔の建立に関して、慶長13年(1608)の最上義光が大修理した時の棟札に、「承平年中(931~38)平将門(903~40)建立」とあるが、現在の塔は建築様式から鎌倉・室町時代(1312~1495)と見られる。

だそうです。
また、説明板によれば、最上義光による大修理以降も、を何度か取り替えたり、屋根に至っては20~40年ごとに葺き替えを繰り返してきたそうな。
そして、現在の屋根は、2002年に葺き替えたもので、秋田杉の小板が使われているのだとか。
建てるのも一大事業ですが、維持するのも大変ですよねぇ

ということで、いよいよ出羽三山神社メイン三神合祭殿を目指して石段を登ります

中学2年の遠足のとき、この五重塔を観たこととか、三神合祭殿にお参りしたことは覚えているんだけど、石段を登った記憶はない どうしてなんだろ…

その謎については#3で。

つづき:2019/10/03 中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #1

2019-09-27 22:20:56 | 旅行記

一昨日、好天に誘われて、隣県・山形までドライブしてきました。

目的地は、中学2年遠足で出かけたっきりご無沙汰羽黒山と、去年の夏休みに母を連れて行こう と思っていたものの永遠に叶わなくなってしまった 鶴岡市立加茂水族館2か所
できれば、酒田市内とか象潟(現在はにかほ市の一地域)を探訪したいと思っていたのですが、羽黒山での登山に思いもよらぬ時間体力消耗してしまって、次の機会に委ねることにしました。

土地鑑の無い人用に、地図に私の探訪スポットをプロットしたのが、右の地図です。

約308km約6時間で走ったこのドライブ、

帰り道に、まさか事態 に直面することになったのですが、それを除けば、鳥海山を間近に眺め刈り取り直前黄金色の田んぼを眺め超久しぶり羽黒山じんわり ヘトヘトとなり、加茂水族館大喜び した、かなり充実 した日帰りドライブ となりました。

   

9時ちょい前別邸(実家)を、朝食レスで出発

途中のロードサイドファミレスファストフード店朝食を摂ろうとおもったのですが、なぁ~んにも店がなぁ~い

岩城(いわき:福島の「いわき」を本拠にしていた岩城氏からつながっています)からは日本海沿岸東北自動車道(秋田県内は無料)に乗る手もあったのですが、日沿道に乗ってしまえば、秋田県内終点の象潟ICまでSA/PAがあるはずもなく、そのままR7を走り続けました。
でも、R7沿線にはファミレスファストフード店皆無 (本荘辺りでちょいと街中に入れば無いこともなかったけど…)

結局、「」のマークが見えた「道の駅 にしめ」朝食を摂ることにしました。

「道の駅 にしめ」では「朝ラーを食したんですが、超細麺 以外には大して特徴がないラーメンで、、、、って、「480円というお値段がメチャクチャ特徴的ではなかろうか

ようやくお腹が落ち着いたところでR7へ戻り、一路

車窓からは、雄大な鳥海山の裾野は見えるのですが、上半分にはがかかってよく見えません

この状況は山形県内(遊佐町)に入っても変わらなかったものの、R345に入って、鳥海山南側に回り込むと、チラチラと鳥海山頂上らしきものが見えるようになってきました。

ちょうど時季は、稲刈りシーズン。
田んぼによって、刈り取りの終わったところ、刈り取り作業真っ最中のところ、稲刈り間近のところが混在していて、まさに「実りのぃ~~」でした。
そして、たばこと飲み物を買おうと立ち寄ったコンビニの駐車場からは、

おおおおお~~

「日本のぃ~~」でございました。

鳥海山と、黄金色に実る田んぼの眺めは、最高のリフレッシュになりました。

  

 県道46号線に入り、風車の群れ以外は、ごく普通の田舎道を走り、鶴岡市羽黒町手向(とうげ)で県道46号線に別れを告げて(観光バス風)左折すると、、、何軒もの宿坊が立ち並んでいて、「霊場」に入ったんだと実感しました。

そして、いでは文化記念館駐車場にクルマを駐め、いざ! 出羽三山神社

ここまでは、138kmの距離を2時間45分かけて走ってきました。私の平日1日分の走行距離ですな。

ところで、出羽三山神社正門たる随神門羽黒山五重塔への最寄りの駐車場(無料)は、下記の3か所あるそうで、

【いでは文化記念館駐車場】約50台(いでは文化記念館敷地内)
【出羽三山神社駐車場】約40台(いでは文化記念館の道路挟んで向かい、
                 約60m 徒歩約1分)

【随神門前駐車場】約120台(食事処いしい前、約450m 徒歩約6分)

私が難なく駐めた「いでは文化記念館駐車場はもっとも出羽三山神社に近い駐車場だったみたいです。さすがは平日

鳥居をくぐり、案内図記念撮影

私にとって「お約束」の行為だったのですが、このとき、しっかりと随神門から出羽三山神社への道のりを頭に入れておけば、そして、

羽黒山杉並木 随神門より本殿まで
上り50分~60分、下り30分~40分

を目に入れておけば、このあとの「心持ち」が違っていたかもしれません

それはさておき、随神門をくぐると、しばらくは下り坂

これから上りが待っているのに、下らなきゃならないなんて、位置エネルギーもったいない… と思ったのは、宮島の弥山に登ったとき以来かな?

でも、暑からず寒からずのほどよい気候の中、杉木立の中を歩くのは、なんて気持ちがイイんだろ
日頃不足している(と思われる) マイナスイオンをたっぷりと吸収できた気がします。

というとろこで、今夜はこれまで。

明日の帰省Uターンドライブの準備もありますので。


つづき:2019/09/29 中学生のとき以来の羽黒山、初めての加茂水族館 #2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和初の福岡遠征記 #2-3

2019-09-24 20:13:08 | 旅行記

「令和初の福岡遠征記 #2-2」のつづきです。

大宰府政庁正殿跡の北西側にある四阿(あずまや)一息入れたあと(暑かった)、趣のある、そして、の群れる木道風の通路を渡って、すぐ近くの坂本八幡宮に向かいました。

今年のゴールデンウィーク期間中、もっとも露出度の高かった神社は、この坂本八幡宮でしょう。
これというのも、「#2-2」で書いたように新元号「令和」の典拠となったのは万葉集「梅花の歌32首の序文」で、その「梅花の歌32首」が詠まれたが行われた当時の大宰帥(だざいのそち)=大宰府長官、大伴旅人邸宅があったのが、坂本八幡宮の辺りだという「説」があるからでした。

14年半前大宰府政庁跡に来た時は、坂本八幡宮存在自体知らなかった私 ですが、大宰府政庁跡とは目と鼻の先ですし、流行に乗ってみよう というわけです。

と、坂本八幡宮が見えてきました、っつうか、幔幕「ここですよと教えてくれているようです。

そして、巴文金色に輝く社名碑が真新しい

日本中、どこにでもありそうな小さな社殿ですが、幔幕真新しいし、記念撮影(あなたも菅官房長官)らしい額装された「令和」も用意されています。

ところが、縁起書を読むと、

この坂本八幡宮は土地神=産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神としています。「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁2年(811)辛卯2月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧11輩を移し開眼供養を遂げられ水田50町を寄付し給う。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本坊と呼り。」とされ、平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。(以下略)

と、大伴旅人の話が出てくるどころか、平安時代以降のことしか書かれていません
何か腑に落ちないまま、「歴史の散歩道」を通って太宰府天満宮を目指した私でした。

そして、自宅に帰ってからWikipediaを読むと、

坂本八幡宮の真下は発掘調査が行われていないため、(大伴旅人邸が)坂本八幡宮にあった可能性が完全に消えたわけではないが、坂本八幡宮付近が邸宅跡であるとする説長年の通説的地位を喪失した。

とあって、更に西日本新聞のサイトを読むと、

戦後間もなくから通説のようになっていた同説を検証するため、九州歴史資料館(九歴)は1986年、現地付近を発掘調査した。結果、祭祀用とみられる土製馬形「土馬(どば)」が出たものの、屋敷跡などの遺構は検出されなかった。九歴は「ここは違う」と判断した。

だそうな
あれまぁ~ ですな。
それにしても、30年以上も前「長年の通説的地位を喪失した」はずの「『梅花の宴』が開かれた大伴旅人邸があったのが現在の坂本八幡宮辺り説」なのに、「『令和』発表直後に中央メディアなどが今も有力説のように報じた」(Wikipediaより)というのは、ちょっと、ちゃんと調べろよ です。
産経のサイトは、

旅人邸の地は諸説ありそのうちの一つが坂本八幡宮だ。

許容範囲かもしれないけれど、日刊スポーツは、

旅人が宴を開いた邸宅跡とされる坂本八幡宮には参拝客が大挙し、周辺は大渋滞するなどフィーバーが続いた。

と、フェイクニュースの域に達しています

きっと、事情を知る地元の人たちは、苦笑いしてるんだろうな…
でも、降って湧いた「フィーバー(古いことば)を拒否することなく受け入れているのがほほえましい気がします。

で、「歴史の散歩道」の話は「#2-4」で…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別邸自室のAVルーム化が完了! (後編)

2019-09-23 20:19:07 | 日記・エッセイ・コラム

「別邸自室のAVルーム化が完了! (前編)」のつづきです。

 きのう、22日(日)は、右リアスピーカーセンタースピーカーサブウーファーチューナーBDレコーダーAVアンプにつなぎ、TV地上波アンテナから分波器を介してTVBDレコーダーにつなぎ、そして、今回の目玉プロジェクターBDレコーダーをつなぐことで、「別邸自室のAVルーム化」完了させました。

各機器をつなぐこと自体は簡単なんですが、厄介だったのは、各ケーブル取り回しと、その見栄え調整でした。

その対応として、まずはホームセンターパテ(BSアンテナからのケーブルを室内に取り込むまでの処理用)ケーブルモールを買いに出かけました。
帰省するたびに1~2回はでかけている行きつけのホームセンターで、お目当ての製品を難なく見つけて、その帰り、近くの家電量販店に立ち寄ってみました。
BSレコーダーのリモコンさいたまの自宅に忘れてきたという痛恨のミス をカバーすることはできないかと考えてのこと。

家電量販店の売り場を歩きながら、

一番安いBDレコーダーでも3万円以上するよなぁ~
自宅持ち帰り用に4Kチューナー内蔵のBDレコーダーまだ高いよなぁ~

なんて思っていると、、、数ある「社外品」TV用リモコンたちの下に、1種類だけ、BDレコーダーの汎用リモコンがありました
わお です。

お値段は2,500円ほどでしたから、これならこの1週間を過ごすには、さほど高くない 

ということで、予定の買い物 + 汎用リモコン & 墓参り用の花束その他を購入して、別邸に帰ってくると、「別邸自室のAVルーム化」仕上げに取りかかりました。

この「仕上げ」がかなり大変

そんなわけで「仕上げ」に先立って、完成した「AVルーム」で、「MISIA平成武道館」を視聴

おぉ 80インチサイズにプロジェクターで映写しても、細かいところまでくっきり

自宅のTV(49型)では見えなかった部分もよく見えます
これほど多くの情報が記録されていたのか とまで思ったりして…。

しかも、サブウーファー「待ってましたとばかりに吼える音響
さいたまの自宅では、階下の人に迷惑をかけないよう、サブウーファーには活躍の場を与えられなかったんですよね…

こりゃ、たまりません
でも、すぐに慣れてしまうんだろな…
そして、さいたまの自室AVシステム満足できなくなる

   

さて、「仕上げ」…。

例えば、左右のリアスピーカーからのケーブルをまとめて窓枠に沿っておろし、そこにエアコンの電源ケーブル合流させるとか、こんな工夫を駆使して、「見かけはシンプル 実際は複雑な配線を終えたのは、もう夕方になってからでした、

これで、一応、作業は終えたのですが、気になるところも…

 例えば、リスニングポジションから右リアスピーカーを見上げると、、、

壁にある灯具が、明らかに邪魔です

この灯具はほとんど使っていませんので(っつうか、なぜがこの灯具を私の部屋に設置したのか不明)、明日にでも取り外してしまおうかと思っています。
ただ、取り外したあとの「穴」をいかに処理するのかが課題として残ります。

一事が万事、こんな修正すべき点が少なからずあるわけですが、それでも、80インチ・スクリーン & 5.1chは楽しめる状況にはなっているわけでして、現時点で、私はNHK BS (BDレコーダーで受信)で放送されているラグビーW杯ウェールズ vs ジョージアの試合をチラ見しながらこの記事を書いております

でも、ここまで最も回数を重ねて視たのは、上にも書いた「MISIA平成武道館」

自宅で何度観ても、別邸の大画面で何度観ても、いいライヴだぁ~

とりわけのお気に入りは、ラストの「アイノカタチ」大合唱の前、

MISIA「Sing a so~~ngとコールする直前の右足の動き

最高

この場に居合わせた幸せをしみじみと感じております。

おっと、この記事の本題は、MISIAではなく別邸自室のAVルーム化でした

まだまだ改造するべき点とか、別邸自室全体のモデルチェンジとか、やるべき点(やりたいこと)が残っていますが、それでも、「別邸自室のAVルーム化が完了と、ここに宣言いたします

【追記】この記事に書いた、「右リアスピーカーの前に立ちはだかる灯具を取り外しました。

ブラケットを含めて結構簡単に外すことができました。
そして、外した灯具は、これまで昭和の香りを漂わせていた玄関ブラケットライト付け替えてみますと、あれま 壁側の取付け器具はそのままに、ピッタリと収まるではありませんか

取付け用のネジの間隔まったく同じとは、いやはやビックリです。

しかも、この灯具、自室よりも、玄関の方が遙かに合う

この結果に至極ご満悦なんですが、残された課題は、自室の灯具を外した後の処置です。

結構高い位置ですから、4:3比率の絵や写真だと、上過ぎます

まさか、掛け軸を飾るわけにもいかないし(絶対に似合わない)、、、、手ぬぐいに入れて飾る? (さいたまの自宅の和室には、こちらで書いたように、山口晃画伯の手ぬぐい「日本巡洋艦 吉野」に入れて飾っています)

自宅の和室に飾っている額入りの手ぬぐい

まぁ、急ぐ話でもなく、のんびりと考えたいと思いますが、とりあえずは、壁からにょっきりと出ている電線と、取付け穴を隠したい。(2019/09/24 12:35)

【追記の追記】穴と電線を、ホームセンターで買ってきたプレート(税込188円)でうまく隠せました。(2019/09/24 17:05)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別邸自室のAVルーム化が完了! (前編)

2019-09-22 22:55:25 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から秋田の別邸(実家)に帰省しています。

今回の帰省は、私の勤務先で今年度から始まった特別休暇(有給休暇の外数)+土日合わせて9連休 ということで、お彼岸の墓参りかたがた、こちらで書いた「別邸自室のAVルーム化」を完了させることがメインの目的です。

当初の予定では、秋分の日 周りの3連休行楽渋滞を避けるべく、21日(土)のんびり昼過ぎさいたまを出発して、翌22日(日)から「別邸自室のAVルーム化」に取り組むつもりでした。
ところが、21日(土)に、高校時代の友人たちが飲み会 を予定しているという話があり、それなら、行楽渋滞が始まる前、早朝に出発して、飲み会に加わろうう ということで、先週から、着々と準備を進めました。

大量のAV機器実家に持ち帰るつもりでしたので、早朝何度も2階の自室駐車場往復しなくても良いよう、ジワジワと、連休明けの火曜日から着々と荷物をクルマに積み始めておりました。

そして、昨日(21日)は、4時半起きで、5:20さいたま出発

そしてそして、東北道は、混んではいたけれど渋滞はなく13:00前実家に到着できました。

それにしても、凄い量の荷物…

ところで、今回の帰省のETCの利用実績を見て、ビックリ
他の人より一足お先に始めた今年8月の帰省と比べると、、、、

あれまぁ~、600km弱を走破して、所要時間5分しか違わない
好き勝手食事したり、トイレに行ったり、窓を拭いたりしてるのにねぇ~

   

さて、飲み会に出かけるまで約5時間余裕が生まれたことから、さっそく「別邸自室のAVルーム化」に取りかかりました。

まずは、実家2階にある自室用BS/CSアンテナを取り付けること。

1階の屋根にあるエアコンの室外機土台BS/CSアンテナのステーを取付け、そして、ステーパラボラを取付け、、、、と、ここでさっそく想定外のことが…。

BS/CSアンテナを取り付ける際、BSを受信可能TVDVD/BDレコーダーを使って、受信状態を確認する必要があります。
私は、自室のTVが地上波専用TVであることから、さいたまから持ち帰ったBDレコーダーを使うつもりでした。
ところが、BDレコーダーリモコンない

さいたま忘れてきたぁ~~

何やってんだろ… と、しばし落ち込んだのち、1階のリビングから小さくない32型BS受信可能なTVえっちらおっちら2階の自室に運び込み、こいつを使ってアンテナの向きを調整して、最適な角度をget

そして、用意していたすきまケーブルを使って、アンテナ線室内に引きこみ、とりあえずBS/CSアンテナの設置が完了しました

でも、リモコンがない状態では、自室BS放送「80インチのスクリーン」観ることができません

というのも、BS/CSアンテナには、アンテナ線を通じて、TVやDVD/BDレコーダーから電力を供給する必要があるのですが、持ち帰ったBDレコーダーは、「共同受信モード」、つまり、BSアンテナに電力を供給しない設定になっておりまして、リモコンがないと、「個別受信モード」に変更=BSアンテナに電力を供給することができないのですよ…
さて、どうしましょ…

この課題は置いといて、次に取り組んだのは、リアスピーカーの取付でした。

さいたまの自宅20年以上にわたって使ってきたヤツを持ち帰り、今回、壁に取り付けるべく、純正品のブラケットを調達していました。
さらに、薄っぺらい合板の壁に対応するべく、ウェルナットなるものも準備しておりました。

壁(ネジの効かない石膏ボードや中空壁)直径9.5mmの穴を開け、そのウェルナットを装着して、そこにネジをつかってブツ固定します。

夏休みに作り付けの本棚にスクリーンを取り付けるべく準備したドリルビットとラチェットドライバー(こちらをご参照方)再登場 いただいて直径9mmの穴を開け、その穴をヤスリでこじって大きくして、ウェルナットを装着して、、、、

完成

2あるリアスピーカーのうち、左側だけ ですが、飲み会に出かける時刻が近づいてきましたし、リアスピーカーの取付方法を理解できた というところで、きのうの作業を終えました。

夏休みに、80インチスクリーンを取り付けたとき、こちらの記事で、

「AVルーム化計画」最大のタスク完了したことで大満足

なんて書いたのですが、いやいや、とんでもない…
まだ「とば口に立ったばかりだった」と、この日の作業で気づいたのでありました、、っつうか、きょうの作業は、きのうの作業よりもっと大変だったんだよね…

ということで、後編につづきます。

つづき:2019/09/23 別邸自室のAVルーム化が完了! (後編)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和初の福岡遠征記 #2-2

2019-09-16 15:07:48 | 旅行記

「令和初の福岡遠征記 #2-1」のつづきです。

大宰府政庁跡に着いた私は、トイレかたがた大宰府展示館へ。

入口で入館料200円也をお支払いしたのですが、はて、以前来た時は無料じゃなかったかな…

と思ったら、いつの間にやら有料になったみたいです。

でも、展示を観ると、200円を払う価値はあると思いましたよ。

「令和改元」にあたって、かなり脚光を浴びた「梅花の宴」ジオラマはもちろんですが、

「大宰府とは何ぞや?」が、とても判りやすく展示されているのですよ。

超簡単にいえば、朝廷の九州支社みたいなもので、飛鳥時代(7世紀)から平安時代末(12世紀前半)までの間、

外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国 (筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅) 三島 (壱岐、対馬、多禰 (現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾 (じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷 (とおのみかど)」とも呼ばれる。
軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。
外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館 (こうろかん)が那津 (現在の博多湾)の沿岸に置かれた。

という「政府機関」だったんですな。

難波宮(探訪記)とか平城宮(探訪記)小ぶりにした感じです。
平城宮といえば、こちらの記事で、

平城宮跡一帯が、ほんの50年ほど前一面の田んぼだったという事実はホントに驚きでした。

と書きました。
今や、朱雀門大極殿につづいて南門復原されて、長岡遷都(784年)からずっと史跡公園として礎石なんぞが残されていたように感じる平城宮跡ですが、そうじゃなく、田んぼが広がっていたということを知り、ほんと驚いたものでした。

近鉄奈良線はどうして平気で平城宮跡横切ってんだよ と思ってしまいますが、近鉄奈良線が開通した1914年には、朱雀門大極殿があるはずもなく、ただただ田んぼが広がっていたわけですから、近鉄悪気があったわけではなく、逆に、線路の周りが次々に史跡として整備されて、居心地の悪さを感じているのではなかろうかと、ちょいと同情してしまいます。

かたや、大宰府政庁跡はどうだったのか…。
大宰府展示館には、60年前(1956年)航空写真が展示されていました。

おっと、こちらも現在の様子からは想像もつかないお姿で…。

60年前の航空写真の説明文を転記しますと、

昭和20~30年代の大宰府政庁跡周辺は、水田の広がるのどかな風景でした。やがて高度経済成長期を迎え、日本中が好景気と開発に沸くなか、太宰府においても昭和38(1963)年、四王寺南麓に大規模な住宅開発計画が持ち上がりました。
古代から受け継がれてきた景観が失われるという危機的事態のなか、当時の太宰府町・福岡県は国と協議を重ね、史跡指定地を従来の10倍である約120ヘクタールへと拡大する方針を打ち出しました。
しかし、指定拡張に際して、所有地への規制や史跡地の放置状態などが問題となり、地元では大規模な反対運動が起きました。
これを受け、地元の方々に理解と協力を求めるため、発掘調査と計画の体制が整えられ、地元住民に調査結果を広く周知し、発掘調査作業に従事して頂くなどの取り組みの結果、昭和43(1968)年に大宰府政庁跡での発掘調査が開始されたのです。

だそうです。

今の風景は、昔からあったわけではなく、いろんないきさつと、いろんな人たちの努力と犠牲があって存在しているのだとしみじみしたのでありました。

   

「令和」さて、大宰府展示館のなかも、太宰府市内あちこちに「令和」の文字があふれていました。

ここでおさらいしておきますと、政府の説明によれば、この新元号「令和」の典拠は、「万葉集」巻五、梅花の歌32首の序文ということになっています。

序文の冒頭部分を転記しますと、

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。于時、初春月、気淑風。梅披鏡前之粉、蘭薫風珮後之香。

万葉仮名ならぬ漢文でございます。
いただいてきたチラシから訳文をちょうだいすると、

天平2年(730)正月13日、帥老(そちのおきな)の宅に集まって宴会を開く、あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前のおしろいのような色に花開き、蘭草は腰につける匂袋のあとに従う香に薫っている。

だそうです。
ここに出てくる「帥老(そちのおきな)」というのが、当時の大宰帥、大宰府の長官である大伴旅人のこと。
また、「天平二年正月十三日」は、新暦に変換すると「730年2月4日(土)」となりまして、が咲いていても不思議ではない時季ですな。
で、大宰府展示館にジオラマが展示されている「梅花の宴」は、この大伴旅人邸で開催された宴会の様子を立体化したもので、もう一丁、いただいたチラシから転記すると、

「梅花の宴」は、中国の書家・王羲之353年に開催した「曲水の宴」にならって、日本の和歌を詠み交わした宴です。和歌のはじめに序文がありますが、これも「曲水の宴」の序文「蘭亭序」にならい、日本人の感性や趣向を基に白い梅花を詠む宴の序文として、大伴旅人が作ったとみられています。

だそうです。
出ましたなぁ、蘭亭序 永和九年ですよ

この万葉集の梅花の歌の序文が、蘭亭序にならったものとは知りませんでした

それはともかく、大宰府の長官たる大伴旅人の邸で開催された「飲めや歌えや」の宴会の「記録」が新元号の典拠になったわけですから、太宰府が盛り上がるのも当然のことでしょ。
今年のゴールデンウィークに、大宰府政庁跡の北西隣にある坂本八幡宮参拝客殺到したのは、「『梅花の宴』が開かれた大伴旅人邸があったのが現在の坂本八幡宮辺り説」に呼び込まれたというわけです。
この「『梅花の宴』が開かれた大伴旅人邸があったのが現在の坂本八幡宮辺り説」については、「#2-3」で書きます。

つづき:2019/09/24 令和初の福岡遠征記 #2-3

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和初の福岡遠征記 #2-1

2019-09-15 21:32:37 | 旅行記

「令和初の福岡遠征記 #1-2」のつづき、福岡遠征記2日目の始まりです。

「#1-1」で、

二つの台風ヤキモキする遠征となった…

と書きました。

その一つ目台風13号は、東寄りの進路をとると、遠征初日の9月7日午前福岡を含む北部九州を縦断するかもしれないという予想が出ていました。

最悪の場合、福岡に行けなくなるかもしれない…ヤキモキしたのですが、台風13号西寄りのルート(ほぼ北進)して、事なきを得たのでした。

ちなみに、その後、朝鮮半島に上陸した台風13号のため、北朝鮮5名韓国3名亡くなられたそうな

さて、台風13号悪さをすることなく逸れて行ったのですが、代わって、台風15号怪しい動きをしていました。
遠征出発前夜6日夜時点進路予想図だと、

8日午後には静岡~首都圏に近づく…
「来るぞスリリングなんておちゃらけている場合じゃありません
私の帰りのフライトは、福岡8日16:00発で、羽田着が17:40ですから、かなりマズい
「福岡」「台風」「マイレージ特典航空券」といえば、2014年10月の福岡遠征(こちらはMISIAとは無関係の旅行)の悪夢が思い出されます(記事はこちら)
そこで、8日の午前中の便に変更できないか、チャレンジしてみました。
しかし、空席のあるのは、朝7時台のフライトのみ…
う~む と唸るだけで、結局は、運を天に任せることになりました。
その後、台風15号速度遅くなりなんとなく大丈夫そうな気もしてきましたし… (私、基本的に楽天的なんです)

   

さて、福岡遠征2日目は、遠征前から、久しぶりに大宰府政庁跡辺りに行ってみようか と考えていました。

『令和』ゆかりの地」として脚光を浴びている大宰府界隈、私が前に出かけたのは2005年2月でしたから、かなぁ~りのご無沙汰です。

太宰府天満宮九州国立博物館には、その後、何度か出かけたのではありますが、復元された礎石太宰府展示館くらいしか見どころのない大宰府政庁跡には、足が向かなかったのでございますよ。

で、14年半前には、太宰府政庁跡まで、西鉄都府楼前駅まで行き、そこから歩いて向かったのですが、今回、調べると、博多バスターミナルから太宰府政庁前を経由して太宰府まで行ける「太宰府ライナーバス旅人」なる便利(ほぼ)直行バスがある

博多バスターミナルから太宰府まで40分だそうですから、天神ではなく博多駅近くのホテルに泊まっている私としては、こちら(太宰府ライナーバス旅人)の方がずっとずっと便利です

   

ということで、ホテルチェックアウトすると、地下鉄・博多駅コインロッカーに荷物を放り込み、いざ、博多バスターミナルへ

ありゃ、なんじゃ、この行列

前日ヤフオクドーム行き臨時バスに比べれば大したことはありませんが、それでも、「行けば乗れる」状態ではなく1本、バスを待つことになりました。

1本待ち太宰府ライナーバス旅人(「旅人」「たびびと」ではなく「大伴旅人」「たびと」と読みます)に乗ってしまえば、あとは楽ちん

途中、福岡空港国際線ターミナルで、若干の乗降があった次の停留所は、私が降りる大宰府政庁跡です。

何のアクシデントも無く、太宰府政庁跡に着いてバスを降りると、、、、え" ここで降りたのは私だけ

でも、

大宰府政庁跡は、14年半前に比べて、ずっとずっと賑わってる

さっそく太宰府政庁跡探訪(散策)したかったのですが、トイレに行きたくなって、まずはトイレ かたがた、大宰府展示館直行

っつうことで、今夜はこれまで

つづき:2019/09/16 令和初の福岡遠征記 #2-2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和初の福岡遠征記 #1-2

2019-09-14 22:09:01 | MISIA/旅行記

「令和初の福岡遠征記 #1-1」のつづきです。

今回、初めて電子チケットなるものにしてみました。
専用アプリをインストールして、チケット情報ダウンロード(勝手に入ってくる)したスマホがチケット代わりになるというものなんですが、もしも、今回も紙チケットにしていれば、恐らく、自宅に忘れて行ったウエストバッグに入れていただろうし、そうだとすれば、

チケットもろともウエストバッグを自宅に忘れて行き青くなっていた
出かける前の最終チェックで、ウエストバッグも忘れずに持ってでかけた

のどちらだったんだろ
恐らく だったんだろうな…

それはともかく、バスが終点のヤフオク!ドームに近づくにつれてヤキモキし始めた私でございまして、その理由というのは、16:00開場時刻までに会場のZepp Fukuokaに着けるのか、ビミョーだったから。

いつものほとんどのライヴのように指定席であれば、開演時刻までに会場に着けばよいのですが、今回の場合、スタンディングで、私の整理番号は、、、

な、な、なんと 10番

この番号なら、最前列 & ほぼ中央確実 とぬか喜びしていたのですが、それは、開場時刻までに会場に到着して、待機列に並んでいれば、の話で、既に入場が始まっていれば、その価値を失ってしまいます

そして、バス16:00ちょい前ヤフオクドーム前に到着

ちょうど降り出したの中、私は小走りZepp Fukuoka

そして、1~100番待機列ほぼ最後尾に並ぶことができました と思ったら、すぐに入場開始

でも、待機列のまま入場か? と思ったら、列の前の方で、係員の方が、何か叫んでる。

どうやら「整理番号50番までの方から御入場くださ~い」と言っているみたい(よく聞こえなかった)

TVの時代劇高札場殺人事件現場のように、おっと、ごめんよ、ごめんよ入場口に進み、ドリンク代を支払い、スマホ入場画面を呈示して入場

当然のようにドリンク閉演後に引き換えることにして、ズンズン客席

入場待機列最後列につけざるを得なかったことが影響して、「最前列 & ほぼ中央」の場所はとれませんでしたが、それでも「2列目 & ほぼ中央」の位置を確保できました

   

私の周りにはお馴染みのミー友さんたちがにょこにょこ
おかげで、開演までの約1時間退屈することなく過ごすうちに、ほぼ定刻開演

私にとって直前MISIAのライヴ完全着席で、腕組みして聴き入るJAZZファンも多かった「東京JAZZ」(参戦記はこちら)でしたから、MISIAが登場するやドワ~360°の方向からつつみ込むように…沸き上がる歓声だけで、もう大興奮

やっぱり、MISIAのライヴこれだよねぇ~
スカした感じ「東京JAZZ」よりこっちの方がずっとずっと楽しい

しかも、スタンディングでしたから、拍手歓声、さらにコール&レスポンス近い

3時間近く 立ちっぱなし(+ 2時間近く ほぼ動きっぱなし)ってのは身体的にキツいのだけれど、この楽しさ & 幸せ感は、何ものにも代えがたい

   

ここで、「TICAD7 LIVE HEART FOR AFRICA」から私が行けなかった 昨夜「Misia Soul Jazz Sweet & Tender」東京 2 daysまでのセットリストを、いつもの要領で載せます。
クリックするとセットリストをご覧いただけます。

さて、この夜MISIA & 黒田卓也バンドも、素晴らしかった

MISIAホームタウンに帰ってきた開放感もあるのか、終始笑顔から自由自在歌声を繰り出すし、クロタクバンド「ライヴは一期一会とばかりに、聴いたことのないフレーズリズムを繰り出す

重実さん率いるいつものMISIAバンドも、毎回、ビミョーにアレンジを変えてくるのだけれど、クロタクバンド「一期一会アレンジ(アドリブ)」たるや、さすがはズージャの手練れ者たちって感じです。

なかでも、「か」の曲とか、「あ」の曲、そして、「お」の曲 は、イントロからを震わせてくれます
下の行「範囲指定」すると、曲名を見られます

「か」の曲=変わりゆくこの街で
「あ」の曲=AMAZING LIFE
「お」の曲=オルフェンズの涙

毎度のことながら、「お」の曲で、イントロが終わった無音状態MISIAが会場内に響き渡らせる正確無比かつ美しい 第一声 を聴くと、大きく振りかぶったのだめが、正確無比和音ff響かせるシーンを思い出してしまいます。

ステージセットこそ、どことなく高校の文化祭を思い起こさせるような シンプルなものながら、なんとスゴい、なんと素晴らしい、なんと高度な音楽を聴かせてくれるんでしょうか、MISIA

これまた毎度のことながら、MISIA生歌体感すると、この時代に生きて、MISIAの生歌を聴ける幸せつくづく感じるのでありました。

   

ライヴ終演後、買おうと思っていたタオル売り切れていて

がっかりしたものの、旧知のミー友さんと川端商店街居酒屋で、飲んで 語り合って、、あ~楽しかった

最高に良い気分で、川端商店街から国体通り大博通りを通り、博多駅を通り抜けて、

ホテルに戻ると、シャワーで汗を流して、いい気分のまま就寝…、

つもりだったのですが、これまたこれまた遠征ではありがちな、興奮が醒めなくて眠れない状態に陥ってしまいました。

結局、寝たのか寝られなかったのかよく判らないまま、翌朝を迎えたのでございました。

【追記】今夜(9/18)の大阪公演で「Misia Soul Jazz Sweet & Tender」全公演が終わったということで、セットリストを載せておきます。(2019/09/18 22:30)

つづき:2019/09/15 令和初の福岡遠征記 #2-1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和初の福岡遠征記 #1-1

2019-09-14 08:54:28 | MISIA/旅行記

「Misia Soul Jazz Sweet & Tender」絶賛開催中ですが、私は、札幌・福岡・東京・大阪の全7公演中、土曜日開催の福岡初日のみ参加でして、今年2回目令和になって最初福岡遠征を敢行しました。

MISIAクロタクバンド聴衆が造り出す至福の音楽空間堪能する一方、二つの台風ヤキモキする遠征となったのですが(←超ダイジェスト)、まずは1泊2日旅程から。

初日(9月7日)

自宅徒歩⇒最寄り駅前リムジンバス羽田空港⇒飛行機福岡空港地下鉄博多駅徒歩ホテル博多バスターミナル臨時バスヤフオクドーム前速歩Zepp Fukuoka (Misia Soul Jazz Sweet & Tender)徒歩唐人町駅地下鉄中洲川端駅徒歩飲み徒歩ホテル

2日目(9月8日)

ホテル徒歩博多バスターミナル太宰府ライナーバス旅人大宰府政庁跡散策(太宰府展示館坂本八幡宮観世音寺太宰府天満宮)⇒太宰府太宰府ライナーバス旅人博多バスターミナル博多駅福岡空港飛行機羽田空港リムジンバス最寄り駅前徒歩自宅

今回の福岡遠征は、航空会社のマイレージ特典航空券往復しました。
つまり、タダで福岡まで行けたのですが、マイレージ特典が少なくて自由に便を選べないという弱点があります。
今回の場合、往路早い便(早朝を除く)は早々に満席になっていて、私が乗ることになったのは、福岡着が15:00過ぎの便でした。

下の写真は、飛行機から見えた京都(リアタイでは視られなかったこの夜の「ブラタモリ」のテーマは京都御所)

そして広島

それはさておき、ライヴ17:00開場18:00開演ですから、あまり余裕はありません

16:00ちょい前博多駅筑紫口に近いホテルチェックインすると、荷ほどきしながら一服するものそこそこに、Zepp Fukuokaに向けて出発

ここで問題が一つ。

自宅最寄り駅前から空港リムジンバスに乗った直後に気づいたんですが、スタンディングライヴ用に準備していたウエストバッグ(タオルマフラー入り)自宅忘れてきたのです
トートバッグも持ってきていますが、このバッグをライヴ会場に持ち込むのは鬱陶しいし、コインロッカーを使うのもコスパ良くない… ということで、とりあえず、いつも洗面用具一式を入れている巾着から中味を出して、代わりに財布カメラを入れてホテルを出ました。
そして、博多駅の駅ビルに入っている東急ハンズで、手頃なウエストバッグを仕入れ博多バスターミナルへ…。

と、ヤフオクドーム行き臨時バスに乗ろうという人たち(ほとんどがホークスファン)博多バスターミナルの外まで長い列を作っています
それでも、淡々と列は進んで、15分待ちくらいでバスに乗れました(しかも座れた)。
ヤフオクドーム行き臨時バスは、走り出せば都市高速に乗ってヤフオク!ドーム直行しますので、交通渋滞にヤキモキする必要はありません

   

ところで、この「ヤフオクドーム行き臨時バスのことは、今年3月福岡遠征のときに知りました。
こちらに書いたように、博多駅前から福岡市博物館に行こうとして、間違って乗ったのが、このバスでした。
3月のこの日ヤフオク!ドームオープン戦(vs カープ)デイゲームで、また、今回はナイトゲーム(vs マリーンズ)が開催されるという、なんともできすぎなタイミング

で、都市高速快適に走ったバスは、西公園下道に降りると、結構混んでいる道路を通って目的地のヤフオク!ドームへ…。

ここまで来て私はちょいとヤキモキし始めました。

その理由とか、肝心MISIAのライヴの話は #1-2で。

つづき:2019/09/14 令和初の福岡遠征記 #1-2

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別邸自室のAVルーム化計画 (後編)

2019-09-02 21:55:47 | 日記・エッセイ・コラム

「別邸自室のAVルーム化計画 (中編)」のつづきです。

別邸(実家)自室で使っているアンプは、96年7月に購入してから2003年3月までさいたまの自宅で使っていたもので、今使っているAVアンプとの買い替えで一旦、引退した後、別邸「お下がり」してきた骨董品です。

買ってから23年も経っている骨董品ですから、HDML端子どころか、光ケーブル端子さえもない、RCA端子のみの完全アナログ
ですが、5.1ch対応

80インチのスクリーンプロジェクター新規購入して別邸自室の「AVルーム化」を図るとなれば、当然、Audio5.1ch化を目指すことになるわけです

そこで、さいたまの自宅オーディオシステム部分更新を兼ねて、センタースピーカーサブウーファーリアスピーカー調達しました。

これまで使っていたセンタースピーカーリアスピーカー、そして今回調達したサブウーファー、さらに休眠していた23年ものチューナーを別邸に持って帰り今回購入したセンタースピーカーリアスピカー本宅で使うつもりです。

すでに、新しいセンタースピーカーリアスピーカー(どちらも本宅に設置済み)、そして、リアスピーカーを壁に取り付けるブラケットスピーカーケーブル等々は着荷しているのですが、サブウーファーだけは、「メーカー発注中」とのことで、今月末の帰省に間に合うかビミョーな状態…
もし間に合わなければ、今使っているセンタースピーカー暫定的別邸に連れて行って、一緒にUターンするつもり。

こんな具合に、「5.1ch化」のメドが立ちました。

と、ここで、別邸自室BS観られないという現実を思い出しました。

別邸では、2011年7月地デジ化の際、の主導の下、別邸内のTVすべて(5台)デジタルTV買い換えました(この過程には、私はまったく関与できず)
それは良しとして、問題は、BS対応なのがリビング1台のみ だということ。

別邸BSアンテナは、1階にあるリビングの外に設置されておりまして、そこからの配線を考えれば、2階にある自室までケーブルを引き年に2回程度しか帰省しない私の自室用にBS対応のTVを購入することなんぞ、考えなかったのも致し方ない、っつうか当然のことではあるのですが…

じゃぁ、別邸の自室(大画面で) BS放送を観るためには、どうしたら良いか…

調べると、BSアンテナは、数千円で買えるし、自分で据え付けることも可能で、自室専用のBSアンテナ2階に設置することは難しくはなさそうです

うん、アンテナはなんとかなりそうです。
でも、

自室のTVBS対応買い換え?
自室用に、BSチューナー内蔵のBDレコーダー新規購入する?

と、ここでひらめいたのは、本宅の寝室にあるBDレコーダー(本宅リビングからのお下がり)別邸に持ち帰り、代わりに、別宅にあるBDプレーヤー本宅の寝室に置く、ということ。

これなら、新たな出費は不要ですし、別邸に持ち帰るBDレコーダーは、BSチューナーとして使えるだけでなく、音楽CDダビング用に使えます
思い起こせば、自宅寝室でBDレコーダーを、レコーダーとして機能させることはなかったし…

お彼岸の墓参り旁々の今月21~28日の帰省は、またまた忙しいことになりそうです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする