新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

私の「鬼門除け」コレクション

2023-01-03 23:21:03 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

昨年11月19日の記事「ウン十年ぶりの弘前 [弘前城編 #2]」で、弘前城本丸鬼門除けについて書いたあと、

そうだ そのうちにこれまで日本各地で収集した「鬼門除け」をセットにして記事にしてみよう

と書きました。
さっそく、新年の「厄除け」という意味合いを持たせて、私の「鬼門除け」コレクション一挙公開 します。

その前に、「鬼門」とは何ぞや? をちょっとだけ。

 Wikipediaでは、

鬼門(きもん)とは、北東(=うしとら:丑と寅の間)の方位)方角のこと。日本では古来より鬼の出入り方角であるとして忌むべき方角とされる。

としています。
この鬼門への対処方法としては、鬼門の方角に寺社を置くのが「積極的な方法(?)で、例えば、平城京:東大寺平安京:比叡山延暦寺/日吉大社江戸:東叡山寛永寺/神田明神だったりします。
もちろん、「何もしない」とか「敢えて建物を建てる」こともアリなのですが、なんといっても面白いのは、北東角えぐったり切り欠きをつくったりして、「鬼門はなかったことにする」という方法です。

もっとも有名だと思われるのは、京都御所猿ヶ辻の鬼門除けでしょう。

京都御所の場合は、更に念入りに、日吉大社の神さまの使いであるとされる猿(神猿:まさる)の像を切り欠きの軒下に置いています。

ということで、まずはこの「切り欠き」編から始めます。

京都御所猿ヶ辻と見た目がよく似ているのが、東本願寺です。

お寺が鬼門除けをするのか? と驚きましたっけ…
ところが、お寺どころか、神社鬼門を畏れているらしくて、平安神宮小さな切り欠きだけじゃ不安なのか、小さな社(地主社)まであります。

「切り欠き」編からちょい逸れますが、春日大社の場合はかなり変わっています。

春日大社御本殿が鮮やかな回廊で囲われているのですが、この北東角だけ、地味な築地塀になっています。
説明書きがありまして、

古代春日大社の大宮は四囲を築地塀で囲まれていたが、平安時代の治承3年(1179)に築地塀は現在のような廻廊に改築された
ただ東北(丑寅)の方角にあるこの部分は鬼門にあたるため廻廊への改築を免れたと伝えられている

だそうです。
ですから、これは「鬼門除け」とは性格を異にしますけれど、まぁ、「艮」関連ということで…

さぁ、ここからはお城の切り欠きが続きます。

鹿児島(鶴丸)城の切り欠きは、小さいだけに、に「鬼門除け」が際だちますな。

逆に江戸城みたいに巨大だと、パッと見、「鬼門除け」に見えなかったりして

大きさでいえば、山形城もなかなか。

名古屋城も、ジオラマで見ると切り欠きがあるらしいのですが、実際に拝見したことはありません
いつか見たいゾ

金沢城二の丸は、あまり良い写真を撮れていませんでした
写真の右端が切り欠きです。

金沢城本丸別のパターンでして、また後で出てきます。

   

次は、冒頭に載せた弘前城のような「えぐり編」
これはあまり見たことがなくて、せいぜい上田城くらいです。

   

次は、「建物・門編」で、熊本城「不開門(あかずのもん)という櫓門が置かれていました。

説明書きによると、

古くから丑寅(東北)の方角は鬼門と呼ばれ、不浄の気の出入りするところと考えられてきた。築城にあたっても、この方角は塞いでも開け放ってもいけないとされ、門は造るが通常は閉鎖されていた。そこから不開門と呼ばれ死人や不浄物の搬出時だけに用いられたという。

だそうで、江戸城の鬼門除けの切り欠き近くにある平川門も罪人や遺体の退城・搬出用の「不浄門」でしたっけ

熊本城不開門(重要文化財だった)は、2016年4月の熊本地震倒壊してしまいました

お次の福岡城は、鬼門封じの祈念のための「祈念櫓」が立っていました(現時点で「過去形」)

「丑寅櫓」と名づけられた隅櫓を持つ城はいくつかありまして、弘前城二の丸とか、

金沢城本丸とか、

高松城とかにあります(ありました)

高松城の丑寅櫓は、土台だけがもともとの場所(香川県県民ホールの敷地内)に残っていて(上の写真)、建物は、城の南東角(辰巳)90°回転させて移築されています。

仙台城にも丑寅櫓があったそうですが、

仙台城の場合、切り欠きともえぐりともつかない石垣の上ですので、複合型といえそうです。

最後によく判らない編

広島城はなんとも中途半端です。
城壁北東角がピンと直角に出っぱっているのに、

濠の対岸「面取り」したようになっています。
どうしてこんな作りにしたのだろうか…

松代城もなんとも判らない
北東角出っぱっていて、いかにも上に櫓が立っていた風情なのですが、ここに櫓があったという情報には出会えませんでした。

このほか、気になっているのは大坂城で、切り欠きあるようでないようで、よく判らないのです。
意識して眺めてもよく判りません
駿府城にも鬼門封じはなさそうなのですが、駿府城の場合、北東には霊峰富士がそびえていますので、家康大好きだったという富士山霊力に頼ったんじゃなかろうかと考えています。

ということで、今後もコレクションを増やしていきたいと思いますので、乞うご期待

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初のルートで帰省Uターンドライブした備忘録

2022-07-17 16:05:41 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

きのう、約1週間の帰省を終えて、本宅に戻ってきました。

当初の予定では、8日(月・祝)Uターンするつもりだったのですが、今回のミッション(オーブンレンジの入れ換え、家の修理ほか)をおおかた終えたし、別邸ではTBS系のTVを見られないので、きのうに前倒ししました。
そして、15日には洗濯物や冷蔵庫の中を整理し、本宅に持ち帰ることになる生ゴミをまとめて、就寝

そして、きのうの朝、起きて、道路交通情報を見ると、東北道築館IC~大衡ICが上下線とものため通行止め

雨雲の状況を見ると、

強い雨の地域が宮城県を横切っています。

別邸を出発してから、通常ならば2時間半程度で、東北道の通行止め区間に到達しますが、3時間ほどで状況が好転するのは見込み薄

さてどうする???

帰省Uターンを翌日以降にずらすのは面倒だし…と、JARTICの高速道路路線図を眺めていると、別ルートを使えば良いのではなかろうか と思い至りました。

岩城ICから日本海東北道(無料区間)に乗って、ミッシング・リンク象潟IC~遊佐比子IC間R7を走れば、遊佐比子ICからは日本海東北道(ほとんどが有料区間)⇒鶴岡JCT⇒山形道⇒村田JCTを経由して東北道に乗れます

別邸から日本海東北道酒田みなとICまでは経験済み(秋田市郊外から岩城ICまでのR7ほぼ自動車専用道)ですから、なんとかなりそうな気がしてきました。

ということで、7:18 に別邸を出発

   

途中のファミマで朝食用にジューシーハムサンドを購入。
ファミマのジューシーハムサンドは、クルマ通勤していた頃の朝食の定番の一つです。

それはともかく、ファミマの駐車場のとなりで、「ねぶの花」が咲き誇っていました

「ねぶの花」といえば、松尾芭蕉象潟で詠んだ句、

 象潟や 雨に西施が ねぶの花

が思い出されるわけで、「ねぶの花」が咲くのはこの時季だったのかと知った次第です。

そういえば、芭蕉が近県で詠んだ句には

 五月雨を 降り残してや 光堂 (平泉)
 五月雨を 集めて早し 最上川 (酒田)

があって、この辺りに芭蕉がやって来たのは、五月雨の降る季節だったのだと見当がつきます。

なお、「五月雨」は、現在の5月に降る雨ではなく旧暦の5月頃に降る雨、つまり、梅雨、あるいは梅雨時に降る雨のことです。更に蛇足を加えれば、「五月晴れは、梅雨の合間の晴れのこと。

で、実際、芭蕉がやって来た時期を調べてみると、元禄2 (1689)年の、

 平泉  旧暦 5月13日 新暦 6月29日
 最上川 旧暦 6月3日 新暦 7月19日
 象潟  旧暦 6月16-18日 新暦 8月1-3日

で、幅はありますが、ちょうど今時分だったようです。

ちなみに、芭蕉が山寺(立石寺)で詠んだ、

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

の句に出てくるセミの種類を巡って論争があったのだとか。
今の時季、山寺では、句に詠まれたと結論づけられたニイニイゼミも、斎藤茂吉(現地出身)が推して敗れた アブラゼミも元気に鳴き交わしていることでしょう。

   

さて、宮城県内だけでなく、あちこちで大雨が降っていたこの日、私はほとんど雨に遭うことなく、本宅まで帰りつきました。
秋田・山形両県では、青空も見える良い天気で、おかげで、というか、仁賀保と鶴岡ではトンボの大群に遭遇して、貴重なトンボの命をいくつも奪ってしまいました

9時の営業開始を待つ人の列ができていた「道の駅 鳥海 ふらっと」で、最初の窓拭き & フロントグリルに挟まっているトンボの処理を行った後、

10分ほど走ると、日本海東北道遊佐比子IC

ここからはずっと高速道路

ただ、料金所がいくつもあって、通過する度に、110円だ、220円だと、ちょこまかと課金されます

これ、ETC搭載車でも鬱陶しいのですから、未だに現金払いで高速道を使っている人にはたまったもんじゃないと思います。
どうしてこんな風になっているんですかね?

それはともかく、山形道に入ると、広域交通情報が表示されていて、それによると、東北道は宮城県県北の通行止め継続中で、この日にUターンドライブを決行したことが正しかったのかどうかは未確定ながら、山形経由のルートを選んだことは正しかったと実感しました。

ところが、山形道を進んで行き、庄内あさひICを過ぎると、「終点:湯殿山IC」の表示がありました
え" どういうこと? 山形道は全通していないのか? あのJARTICの高禄道路路線図ではちゃんと繋がっていたのに

実際、湯殿山ICを出ると、路面が荒れたR112に突入しました

もっとも、「月山道路」とよばれるこのR112 BPは、ほとんどが自動車専用道(無料)で、ナビを見ると、クネクネと走る旧道をあざ笑うかのように、トンネルや橋を駆使して直線的に伸びていました。
そして、月山ICから再び山形道に乗り(ここからはずっと片側2車線)、いざ、東北道との接続点、村田JCT

山形県の地域区分初めて酒田みなとIC~村田JCTを走って思ったのは、鶴岡市やたらと広いということと、山形道月山道路ができるまでの、庄内地方(酒田市や鶴岡市がある)~村山地方(山形市がある)の行き来はさぞかし大変だったのだろうということ、ましてや、庄内地方~置賜地方(米沢市がある)なんて、別の県くらいの感覚だったんじゃないかということでした。

なお、鶴岡市の面積は約1,112.5㎢で、東北では1番全国でも7番目に広い市だそうな(参照)

   

村田JCTから東北道に入ると、途中、降雨を理由とした80km/h制限区間はあったものの、通常の帰省Uターンドライブと変わらず、快適なドライブになりました。

相変わらずだな、と思ったのは、とにかくプリウスやたらとぶっ飛ばしていることと(アクアも仲間入りのもよう)、私が要注意するべきナンバーだと偏見を持って白眼視している、「1ケタ、2ケタ、ゾロ目、字光式」のクルマがお行儀の良くない運転をしていること(こちらの記事をご参照方)でした。

浦和ICの料金所を過ぎ、もうすぐ川口JCTという辺りで、首都高速からつながる事故渋滞(この日唯一の渋滞)にはまったものの、それも距離にして1km程度のもので、外環道を通り、いきつけのガソリンスタンドで給油して本宅に帰着しました。

そして、ドライブデータを、前回の秋田道⇒東北道ルートと比較すると(左が前回、右が今回)、

驚いたことに、走行距離の差は1.2km誤差の範囲でした。
但し、走行時間約1時間長い
そりゃ一般道を走行した距離・時間が長かったですからねぇ。でも、その分、通行料は安いし、燃費も稼げたもようです。

ということで、今回の帰省Uターンドライブの備忘録はおしまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回の帰省をふり返る #3

2021-04-27 12:38:55 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

「今回の帰省をふり返る #2」のつづきです。

4月22日(木)好天に誘われて、ドライブに出かけました。
どこに行くかは決めず「3時間でどこまで北に行けるか」という初めての試みで、R7から能代市を抜けて津軽地方北上することにして、10時ちょい過ぎに別邸を出発しました。

まずはR13を通って、その終点・臨海十字路からR7に入ります。

つい先日(21/3/31)廃線になり、踏切の線路側に車止めが設置された秋田臨海鉄道の線路を左手に眺めながら進み、ポートタワーセリオン(全国的に有名になったうどんの自動販売機があるところ)が見えてきたところで、渋滞

こんな時間に、こんなところで渋滞するのかよ… とブツブツ言いながら土崎臨海十字路を過ぎると、そこからはスムーズに流れていました。
そして、幼い頃には何度も遊びにきた母の実家付近を通過して、飯島の辺りで「30分経過。ここまで走った距離は13.5kmと、思ったより時間がかかっています。

昭和男鹿半島ICから秋田道に乗り、有料区間の最後・琴丘森岳本線料金所を通過する直前で「60分経過。ここまでの走行距離は44kmでしたから、秋田市を抜けてからは極めて順調です

能代南IC(無料区間なので料金所は無い)秋田道からR7に降り、芝童森交差点で左折してR101に入りました。

能代の市街地に入って、真っ正面に見える山々は本州で唯一世界遺産(世界自然遺産)白神山地

大学生の頃、友人たちと津軽旅行をして、十二湖辺りを観光した記憶はありますが、その頃は白神山地まったく意識しておりませんでしたから、世界遺産たる白神山地を見るのはこれが初めてでした。

ところが、海岸沿いの区間に入ると、まったく景色は見えません

と、急に視界が開けて日本海が見えてきました

なぁ~んというキレイ海の色

うまい具合に駐車場(鹿ノ浦展望所)がありましたので、トイレ休憩かたがたクルマを停め、日本海を眺めました。

景色は良いのですが、強いのなんのって…。下手すると、風の勢いでクルマのドアが閉まって手足を挟まれてしまいそうでした。

鹿ノ浦展望所を後にして、もう青森との県境まですぐ近く「道の駅 はちもり」昼食を摂りました。

八森といえば、秋田民謡「秋田音頭」で、

秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ あ~ソレソレ

と歌われているように、ハタハタ名産地で、「道の駅 はちもり」の食堂でもハタハタ系のメニューが並んでいたのですが、私が食べたのは、

生姜焼き定食
八森まで来て生姜焼き定食無いだろ と思いつつも、今はハタハタのシーズンじゃありませんから…
この生姜焼きボリューミーだし、山菜をつかったつけ合わせ豊富で、そんなところにローカル色を感じました。
ボリューミーなのは、駐車場のつくりからして、トラッカーの利用者が多いのだろうなと推察いたします。

食事を終えてクルマに戻り、始動させると、ここまでの走行時間は1時間58分で、走行距離は97.5km

あと1時間どこまで北上できるか、なんですが、鰺ヶ沢まで70km程度の由。
3時間は超えてしまうけれど、鯵ヶ沢まで行って、大好物イカ焼き食べよう と決め、数十年ぶり(大学3年のとき以来)青森県に足を踏み入れました。

   

青森県に入ると日本海が見える区間が多く、正直、秋田県内よりもずっと眺めがイイ

そして、景勝地の千畳敷海岸でクルマを停めて見物しました。

このの岩畳は緑色凝灰岩かな?ブラタモリを気取ったりして (帰宅して調べると正解でした)

で、クルマに戻り、さぁ、鯵ヶ沢イカを食うぞ というところで、リゾートしらかみ がゆっくりと通過していきました。

乗客が車窓から千畳敷海岸をじっくり見られるよう、徐行してるのかな? と思いましたが、この駐車場から100mほど先に「千畳敷駅」があって、乗客が車両から降りて散策できるよう、15分間停車することになっているみたいです。

ちなみに、私が遭遇したのは「リゾートしらかみ 3号」で、秋田駅を出発したのは10:50。こちらは一部だけとはいえ高速道路を使ったのに、電車の方が早いんですな…

さて、この時点で、走行時間ほぼ3時間を経過していましたが、思いつきどおり、鯵ヶ沢まで足を伸ばしてイカ焼きを食べることにして、クルマのナビの目的地を「焼きイカ通り」にセットしました。

こんなところですが、「#4」につづきます。

つづき:2021/04/28 今回の帰省をふり返る #4 (完結編) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約1ヶ月ぶりに実家に戻っても忙しい

2019-11-25 23:38:50 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

きのう、11月24日から約1週間の予定で秋田の別邸(実家)に帰省しています。

思い起こせば、ちょうど1年前にも、「MISIA星空のライヴX」郡山⇒盛岡両公演ハシゴ(記事)したあと、帰省しておりました(記事)

今回の帰省には大きなタスクがありました。

それは、が本格的に降り出してクルマで帰省できなくなる前に、サブウーファ遮光カーテン別邸に持ち帰り、自室のAVルーム化(記事)を完成させることと、昨シーズンにかなりガタがきていたスノースコップを買うこと。

来年初の帰省の前にこのタスクをこなすには、このタイミングしかありません

というのは、大連休に入った先週「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展の後期展を観るべく関西旅行「しなければならない」状況だった一方、帰省を1週間遅らせたら、降る/積もる可能性が高い と、かなり具体的な理由がありました。

そんなわけで、きのう、が降りしきる中、帰省してきました。

敢えて土曜日ではなく日曜日「下って」きたことで、ほとんど渋滞にも遭わず(唯一の渋滞は、仙台宮城IC~泉PAで発生していた自爆事故に伴うちょっとした渋滞)、また、ヒヤリハット皆無で、順調なドライブでした。

上の写真は、別邸に着いたときに撮影したものですが、外気温ご注目

浦和の自宅を出発してから、ずっと11~13℃界隈をうろちょろしていた気温が、秋田に着いてみると18℃もあって、正直、暑い

で、別邸に着くと、大量に積んできた荷物を降ろすと、近くのスーパーにクルマを走らせ、食料仏花を調達。
そして、仏壇線香を上げた後、さっそく最初のタスクに取りかかりました。

最初のタスクは、サブウーファ設置でした。

それも、サブウーファON / OFFアンプON / OFF連動させるべく、電源ケーブルづくりから…。

サブウーファには、音声入力があるときだけ電源が入る機能がついてはいるのですが、同様の機能がついている自宅のサブウーファは、反応が悪く、タイムラグが鬱陶しいのですよ…。

16:30頃、サブウーファの設置が完了し、さて、どのコンテンツで、新しい「5.1ch環境」を試そうか… としばし考えた末、選んだのは、

MISIA平成武道館 LIFE IS GOING ON AND ON
(特典なし) [Blu-ray]
MISIA
(株)アリオラジャパン

あひゃぁ~ でございました。

このときは、冒頭のSAKOSHINメドレーにとどめて全編を通しで観るのは、新調した遮光カーテン取り替えてからということにして、ふと、窓の外を見ると、、、

あれまぁ~、見事夕焼け

   

帰省2日目のきょうは、こんなことをしました。

  1. 遮光カーテンに取り替えて、自室のAVルーム化完了
  2. 別邸の車庫にちょいと安全対策
  3. 別邸用の文具/雑貨を調達
  4. スノースコップを購入&修理
  5. 1階で休眠状態だったミニ冷蔵庫を2階に移動

このうち、4.のスノースコップの購入は、今回の帰省のタスクの一つだったわけですが、昨シーズンに雪かきに使ったスノースコップは、柄と皿との固定が甘く、ちょっと重めの雪を救うと、皿が回転して雪を落っことしそうになる状態で、こりゃ買い換えなきゃならないな、と思っていました。
皿の一部が欠けていましたし…。

そして、きょう、新しいスノースコッ(「雪ハネ」が一般呼称らしい)を1,000円弱で買ってきたのですが、帰宅して、古いスノースコップをしげしげと観察してみました。
そして、を止めているネジ新しいものに替えたら、またしっかり柄と皿を固定できるのではなかろうか…と推察

かなり錆びついているネジ(ワッシャーとネジが一体化してた)を外してみると、え"~~ネジの長さが5mmほどしかない

直径3cmほどに止めるには短すぎるんじゃありませんか
っつうか、これは画鋲

実家の在庫を漁ったところ、15mmほどの長さのタッピングネジがあったので、それをねじ込むと、うまい具合に固定できました

それにしても、このスノースコップ、もともと5mmしかないネジが使われていたのでしょうか? それとも錆びて短くなってしまった…?

2本のネジが同じ長さだというのは、はじめからこの長さしかなかった可能性が高いよな…

っつうことは、耐久性度外視でこんなチンケなネジを使っていたってことか?
もしそうだとしたら、酷い…

ところで、古いスノースコップを観察&修理なら、新しいスノースコップを買う前にやることじゃないか? とお思いかと存じますが、それは私も(あとになって)感じていましたが、前述のように皿の部分の一部が欠けていまして、遠からず買い替えが必要だと思っておりますです。

「きょうの作業その4」は、学生の頃にアパートで使っていた古いミニ冷蔵庫を、自室のある2階運び上げることでした。

この作業は、身体の危険を感じるものでした。

ビールを階段を降りて1階の冷蔵庫まで取りに行かなくても良いように、という単純な思いつきだったのですが、約30kgある冷蔵庫を2階に運び上げるのは大変でした。
ただただ、階段落ちしないよう、を痛めないよう、細心の注意を払って作業を完遂いたしました
それにしても、すっげぇ~、重かった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特大連休をふり返ってみる #11

2019-07-02 22:31:24 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

「特大連休をふり返ってみる #10」のつづきです。

「#10」で書いたように、実家現自室旧自室網戸を張り替えた私は、達成感を胸に、実家のを散策していました。
その「庭の散策」のことの一部は「別邸(実家)の庭は花盛り」で書いたわけですが、その時、旧自室の窓を見上げて網戸の仕上がり具合をチェック…、と、ありゃ
旧自室のレースのカーテン破けてるじゃありませんか

この「旧自室」、私が高校に入った頃に、自宅が増築されて、現自室ができたあとは、空き部屋になっておりまして、私が大学に進んで実家を離れたあとは、私が実家に送りつけた蔵書の一部が置かれているほかは、まったくニュートラルな部屋になっていました。
それでいて、陽当たり良好なものですから、網戸だけでなく、レースのカーテンもどんどん劣化してしまったんですな…

さっそく、レースのカーテンを交換することにしまして、採寸

その結果、(カーテンレールの幅)と高さ(カーテンレールのランナーから窓枠の下端までの長さ)は、こんな風でした。

 西側:幅 1800mm × 高さ 885mm
 南側:幅 2720mm × 高さ 1320mm

このデータを愛用の手帳メモして、インテリアショップ出撃

デザインにはこだわっていませんでしたから、既製品のレースのカーテンが簡単に見つかるものだと思い込んでいたのですが、そうは行きませんでした

最初に行った大手インテリアショップでは、西側の小さな窓用はちょうど良いサイズのが見つかったものの、問題は、南側大きな窓用

2.7m級になると、掃き出し窓用の長いサイズしか既製品にはないのですよ

マンションやアパート、建て売り住宅なら、既製品が合うケースが多いでしょうけれど、我が別邸(実家)は、注文住宅だし、しかも築50年「つわもの」です
杓子定規じゃないぞ自己主張が強くて…

そりゃ、オーダーメイドで作ってもらえば簡単ではあるけれど、めったに使うことはなさそうな旧自室、しかも、レースのカーテンお金をかけるのはもったいない…ということで、別のインテリアショップに向かいました。

次に行ったお店は、まだ一度も行ったことはなかったけれど、存在だけは知っていた、これもまた大手インテリアショップ

こちらでは、西側 & 南側の窓に合う既製品のレースのカーテンを見つけることができました

さすがに、南側の窓に合う商品は、デザインの選択の幅は狭かったのですけれど、でも、同じデザインのカーテンを購入することができたのでありました。

お値段は、カーテンランナーなど小物を含めて約13,200円也。

まぁ、こんなもんでしょね

で、帰宅すると、すぐにレースのカーテンの吊り替えを実行しました。
こちらは、網戸の張り替えと違って、自宅のカーテンを洗濯するたびにやっていることですから、簡単完了

これで満足 かと思いきや、やはりレースのカーテンだけでは物足りない ということ。

今後、旧自室誰がどう使うか判らないけれど、やはりドレープカーテンが欲しいよね となってしまいました。

旧自室の窓の採寸メモもっとも、こちらは急ぐ必要はないわけで、自宅Uターンしてからじっくり考えよう

ということで、取り外した古いレースのカーテン(捨てるため)と、採寸したメモを、さいたまの自宅に持ち帰ったのでありました。

   

先週末、自宅近くのインテリアショップに行き、旧自室用ドレープカーテン注文してきました。

この品定めは大変 でした。

色はどうする? 柄はどうする? どこまでお金をかけられる?

なんてことを考えると、もともと買い物には時間をかけない私でも、かなぁ~り時間がかかってしまいました
今住んでいる自宅マンション用のカーテンを選んだときより、ずっと時間がかかった気がします。

それでもなんとか最適(と思える)カーテン生地を選び、注文いたしました

来週半ばには、完成したカーテンが届きますので、夏休みにはこれを別邸(実家)に持ち帰り、吊す予定です。

さて、あの旧自室どのように変わるのでしょうか

このカーテン設置がうまく行ったら、約20年ぶりさいたま自室のカーテン交換も考えてみようかと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男鹿にドライブ #3:入道崎・完結編

2019-05-05 23:45:26 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

きょう、5泊6日の帰省を終えて自宅に戻ってきました。
途中、かなり暑かった(今年冷房)ことを除けば、天気も良かったし、渋滞ほとんどなかったしで、順調な帰省Uターンドライブでしたが、書きかけの「男鹿にドライブ」を完結させておきます。

   

「男鹿にドライブ #2:なまはげ館&男鹿真山伝承館編」で書いたなまはげ館&男鹿真山伝承館から最終目的地の入道崎までは約20分間のドライブでした。

並ぶ土産物屋さん(1/3は閉業…)の前にある駐車場(ここも無料)にクルマを駐め、おぉ入道崎

2017年10月舞鶴市立赤れんが博物館でその写真パネルを観て激しく萌え上がった(記事はこちら)、あの灯台です
この記事で、

来年の夏休みに帰省したときに久しぶりに母と入道崎に行ってみようか…

なんて書いていますが、去年(2018年)の夏休み直前亡くなってしまい叶わぬ夢となったのでありました。

それはさておき、やはりいいなぁ~、入道崎

入道崎

寒風山同様に一面の芝生が広がっていますが、ちょいと海岸に近寄ってみると、、、

まさに荒磯でございます。
秋田県民のかなりの人が知っている「秋田県民歌」(作詞・倉田政嗣、補作詞・高野辰之、作曲・成田為三)で、

狂瀾吼え立つ 男鹿半島よ

と謳われているとおり、まさに、狂瀾吼えたっているのです

ところで、上から2枚目の写真に石碑のようなものが写っています。
これは「北緯40°のモニュメント」

このモニュメントから100mほどの地点が北緯40°ピッタリ なんです。
ところが、観光客が群れているのは実際は北緯40°+αの辺りだけで、北緯40°の地点のオブジェが立つ辺りは閑散…

「こっちが北緯40°だよぉ~」と声をにして訴えたい気分でございました。

ちなみに、入道崎から20kmほど真東、大潟村ど真ん中に、「北緯40° 東経140°」キリの良い地点があります。

この地点の近く には「経緯度交会点」の碑があるそうです。
なぜ、「北緯40° 東経140°」の地点近くにあるのかは、大潟村の公式サイトをご参照くださいませ。
いろいろ事情があるようで…

さて、入道崎に来たからには、数十分前にカレーうどんを食べたとはいえ、あれ食さなくてはなりません

そう、サザエの壺焼き

いただきましたぁ~

2個600

予想していたよりお安かった のですが、う~む… こんなもんだったっけ…?
旨いことは旨いのだけれど、さほどの感動はありませんでした

が変わったのか、私の味覚が変わったのか…

   

念願だった「入道崎のサザエの壺焼き」を食したところで、帰路につきました。

秋田駅前買い物をするつもりでしたので、駅前の駐車場目的地としてナビをセットすると、以前から気にしていたマイカーの積算走行距離88888kmに到達するのは、目的地の2km手前

ビミョーです。
クルマを駐めて、「88888km」のメーター表示を写真に撮れるのか…

ま、そのあたりは、現実に近づいたところで考えよう と、秋田駅前に向けて出発

途中で見かけたコレ風力発電装置 それとも、ただの風速計?

なんて気を紛らわせながら走るうち、着々と積算走行距離表示は伸びていきます。

と、土崎を走行している辺りで更に野心が広がりました。
その野心とは、積算走行距離:88888kmと、前回の給油のときにリセットしたオドメーター777.7kmと、同時写真に撮れるかもしれない といいこと。

積算メーターオドメーターとは1kmの表示差はあるものの、積算メーターは1km単位で、オドメーターは100m単位で表示されていますので、もしするともしかする…

積算メーター88888kmに近づいたところで、それまで走ってきたR7から左折して細街路に入りました。
こちらなら、「その時」に気楽にクルマを駐められると思ったから、でして、作戦は的中
前からも後ろからもクルマの来ない所でクルマを駐め、余裕を持って写真撮影できました

パチパチパチ~ なんですが、オドメーター「775.8km」で、「88888km」「777.7km」ツーショット不可能であることが判明しました。

そして、オドメーター「777.7km」に達したとき、積算走行距離88889kmになっていました

前々から気づいていれば、給油のタイミングをずらして、このレアツーショット写真を撮ることができたんだけどなぁ~

もっとも、そんな策略を巡らすタイプの人間ではありませんから、私は…

88888kmを走破した私のクルマ、今月中にはお別れの予定です。
「再リース無しの3年リース」なので、6月初めまでにはリース会社に返却いたします。
今月中に、新車が納車される予定ですけど…

それはともかく、なんとも感慨深い 男鹿へのドライブでした。完結

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私はアラビアのことを何も知らなかった(後編)

2018-02-27 22:58:29 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

「私はアラビアのことを何も知らなかった(中編)」のつづきです。

そもそも観る気のなかった「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」展ですから、予習なんてしていなかったわけで、まさかこんなものが展示されているとは思いもよりませんでした

説明板には、

「カァバ神殿の扉」とあります

カァバ神殿といえば、メッカ(現在の発音・表記では「マッカ」)にある、イスラム教の聖地の中の聖地ともいうべき神殿です

そのカァバ神殿で、17世紀前半(日本では江戸時代初期)から1930年代までの300年間に渡って実際に神殿に据えられていたという現物ですって

イスラム教徒の人たちだって観たことがない人がほとんどだろうというのに、異教徒の私が現物を拝見して、写真まで撮ってしまうなんて、ホント良いのか? とまで思ってしまいます。
でも、こんな機会なんてそうそうあるとは思えないわけで、角度を変えてもう1枚

このは、「オスマン朝時代・1635または1636年」のもので、

オスマーン朝スルターンのムラト4世が寄進した扉。

だとか。
Wikipediaによるとこの寄進者のムラト4世は、

頭脳明晰、勇敢で非常に信仰深く、煙草と酒とコーヒーを禁止し、夜に出かけることも禁止した。

だそうで、煙草コーヒー禁止(「夜に出かけること」の禁止はさほど影響はない)とは、私にはまっっったく合わない王様だったみたいです

さて、カァバ神殿といえば、

とてつもなく大勢の巡礼者の中心に鎮座する黒いほぼ直方体の「物体(建物には見えない)」なんですが、神殿自体は

建物は大理石の基盤の上にたつ石造モルタル造り

だそうですから、建物本体は白いはず。
実は、神殿は「キスワ」という黒い布で覆われていて、そのキスワは毎年巡礼月(イスラム暦は完全に月の満ち欠けに一致させているため、1年は約354日で、巡礼月は太陽暦のカレンダーとは毎年ズレていく)に新調されるのだとか。

そのキスワ1992年製のものの一部が展示されていました。

金糸で書かれた(刺繍された?)アラビア文字が、間近で観ると超立体的

やはりこれは文字の範疇を超えていますよ

というわけで、私はカァバ神殿扉の現物と、キスワの現物を拝見できて、たまたま観た「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」展にいたく感激したのでありました。

拾いもの、、、と言っては失礼ですけど、ほんと、予想外に興味深い展覧会でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年3度目の関西旅行記 番外編

2017-11-24 08:49:35 | 旅行記/日記・エッセイ・コラム

「2017年3度目の関西旅行記 #1-3」つづきのようなものなのですが、「#1-3」

日本赤れんがについては、「#1-4」以降で、、、となるかどうか…

と書いた手前、ちょいと日本のれんがについて調べてみました。
でも、何千年にもわたって世界各地で使われていたれんがが、なぜ日本では幕末まで一般化しなかったのか? という疑問は結局解決できず

明治維新期には「文明開化」象徴としても日本中にボコボコと建てられたれんが造りの建物ですが、関東大震災耐震性の乏しさが露呈したことで、れんがでの新築が激減したのだとか。

東京駅丸の内駅舎と共に関東大震災に耐えた貴重な建物、横浜の赤レンガ倉庫は(1号館は半壊して、それで、2号館[下の写真]より短いらしい)、

Wikipediaによれば、

2号倉庫はレンガとレンガの間に鉄を入れる補強が施されていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫の約30%損壊にとどまった。 

だそうです。

それはともかく、古代の日本人は、れんが耐震性の乏しさ気づいていたのではなかろうかと思います。
そして、地震が多い一方、木材豊富にある日本では、石積みれんが造りよりも、木造建築の方が合っている、木造建築の弱点である耐火性の無さ土壁で補おう、そんな考えがあったのではなかろうか…

建築好きとはいえ、しょせん素人の私ですから、その程度の考察しかできませぬ

   

私が舞鶴赤れんが倉庫群が存在することを知ったきっかけは、旧海軍が建てた12棟のれんが造りの倉庫群が、2007年に経済産業省(METI)が選定した「近代化産業遺産」に含まれていたことでした。
そして、METIからいただいた近代化産業遺産リーフレットを眺めて、いつか舞鶴に行きたい と思い始めてから10年 経ち、ようやく舞鶴に行った、という次第です。

その舞鶴は、赤れんが博物館でいただいた「舞鶴の赤煉瓦建造物マップ」によると、

舞鶴市には1901年(明治34)の、海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、旧海軍が建設したものを中心に多くの赤煉瓦建造物が現存し、「赤煉瓦のまち」とも言われています。(中略) 小さな煉瓦遺構なども含めますとその数は120件以上にものぼり、全国屈指の赤煉瓦の残存件数といえます。

だそうで、地図を見るとこんな具合。

すごいですなぁ~

これだけ古いれんが建造物が残っていれば、観光客に見せるだけではつまらないわけで、舞鶴市は舞鶴フィルムコミッションをつくり、映画・TVロケ誘致にも励んでいます。

撮影隊がロケで落とすお金地元が潤うし、映画やTVで興味を持った人たちが舞鶴にやって来る…ということをもくろんでいるわけですな。

そんな活動の中で撮影された主な作品として、観光リーフレットでは、男たちの大和/YAMATO(2005)」「日本のいちばん長い日(2015)」「海賊とよばれた男(2016)」などが紹介されています(3本とも観た)

さらに、きょう、この記事を書くべくWikipediaを見たら、「近年のロケ例」一番下に、

ですって

 

「ハガレン」「レン」って、れんがにもかけている? ってことはないでしょ

今のところ、映画「鋼の錬金術師」映画館に観に行くつもりは希薄ですが、ちょっとは食指が動きだしたかもしれませぬ。

ということで、「#1-4」では旅行記本編に戻ります。

つづき:2017/11/30 2017年3度目の関西旅行記 #1-4

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする