瓦礫の間を風が吹き抜け、もうもうと立ち込める砂塵の中でパワーショベルが唸り自衛隊のトラックが走る。
信じ難い高さに纏わり着いた浮遊物や漁船の破片、プレスしたようなクルマの残骸、捻じ曲がった橋梁、堆積した砂泥、生活の痕跡すら残さないまま街並みは消えた。
防犯のためか角ごとに立つ迷彩服の男たち、地域住民の姿は殆んど見ることがない。
二重の城壁に囲まれていた筈の田老の町は、ほぼ壊滅状態。
万里の長城にも似た世界に誇る10mの大防潮堤は、その役目を果たすことが出来なかった。
涙なくして見られないその光景は、後々まで私の脳裏に焼きついて離れることはないだろう。
旧田老町に限らず三陸沿岸各地は、世界に誇る大防潮堤群と巨大湾口防波堤を過信するあまりに、昭和三陸津波の悪夢が薄れてしまい、気持ちの中にひとつの油断があったことは事実です。
我が田舎でも、昭和を経験したはずの多くの年配者が、避難を怠って犠牲になっております。
被災地が再興するまでは、気が遠くなるような時間を必要とします。
私が生きているうちに、新しい町の完成した姿は見られないかもしれません。
しかし私に出来る限りの復興への手助けは、今後も労を惜しまず続けていくつもりでおります。
今現在は私のホームグランドでもある小本川、或いは摂待川への釣行などは、たとえ上流部だとしてもとても出来ない状況です。
夏までには被災地復興への見通しがつき、是非とも笑顔でアユ解禁に臨みたいものです。