yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

六然

2014-11-05 04:54:03 | 文学
明の崔後渠(さいこうきょ)の言葉に六然(りくぜん)があります。
崔後渠は、名は鉄。王陽明と同時代の人で学問気節の士。

    六然

自ラ処スルコト超然
  人ニ処スルコト藹然(あいぜん)
  有事斬然(ざんぜん)
  無事澄然
  得意澹然(たんぜん)
  失意泰然

 「訳」

自分自身を処するのには一向、物に捕われないようにする。
他人に対してはなごやかに、のびのび感じさせること。(藹然は草木がよく延び茂るさまです)
有事にはあっさりすること。何やらまだ足りなく思う謙虚な気持ち。
無事な時には雑念を去り清閑を楽しむ。
得意な時には淡々とした態度をとる。
失意の時には、ゆったり落ち着いていること。

安岡先生は次のように述べました。六然ができたら、それこそ真の自由人である。我々はとかく、自処紛然、処人冷然、有事茫然。無事漫然、得意傲然、失意悄然とでもいうようなことになって、ここにいうように、自分には一切捕われずに脱けきっており、人に対しては、いつもなごやかに好意を持ち、何か事があれば活気に充ち、事がなければ水のように澄んでおり、得意の時はあっさりして、失意の時もゆったりしておるということは、よほどの修練を要する。
「随処に主となれば、立処皆真。」こうならねばならぬ。

   安岡正篤 「百朝集」福村出版
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