yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

無責任の横行

2013-06-24 05:55:01 | 文化
日本には、戦前から無責任体制が横行していました。政治学者の丸山眞男氏は『日本の思想』の中で次のように分析しています。
明治憲法は天皇に大権を集中させていた。にもかかわらず、当時の政治の仕組みは、内閣や議会のほかに、元老や重臣といった「超憲法的存在」が幅を利かせ、「多頭一身の怪物」ともいわれた。誰がものごとを決めるのか、誰がその責任をとるのかをはっきりさせない。「神輿担ぎ」のように主体を欠いた、もちつもたれつ。それは「巨大な無責任」体制に陥る可能性を孕んでいた。(以下略)
そこには自己保身と組織存続至上主義が根底にあるような気がします。それは昭和の政府や軍部などの重要組織に見られ、戦後の官僚体制にまでつながっているように思われます。現代では、大相撲、柔道、日本野球機構(NPB)などのスポーツ界にまで蔓延している無責任体制です。
ころしも、アメリカ政府がネット上の個人情報を極秘に収集していたことが問題になっています。当事者のアレキサンダー国家安全保障局長官が議会で述べたそうです。「この国を危険にさらすより、あいつは何かを隠していると言われたり、世論に批判されたりすることを選ぶ」と。事の是非はともかく、自らの職務についての責任意識は確固たるものです。(朝日新聞より)
そこにすがすがしさを感じます。日本のサムライは、腹を切る覚悟をもって公務に当たっていたからこそ尊敬されてきました。2009.6.27に掲載したブログの一篇「阿南惟幾(あなみこれちか)」陸軍大将を思い起こしました。阿南大将は敗戦の責任をとって、終戦の前夜に割腹自決をしました。日本のサムライは偉かったと思います。
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