yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

日本人は侍が好き

2013-06-16 06:21:43 | 文化
野球やサッカーなどで、世界で活躍することが期待される時、日本人はその合言葉としてよく「サムライ・ジャパン」と言います。つまり日本人は侍が好きなのでしょう。

以下は司馬遼太郎が「アメリカ素描」の中に書いた日本人観です。

よく繁盛している自動車のパーツ屋さん、あるいは銀座の名店の長男が東大法学部を出てしまった場合、かれは次男に店をゆずり、自分は三菱に入るなり官僚になるなりしてしまう。アメリカ人なら収入のいい生家の店や農場をつぐ。「日本人は平気で損な人生をえらぶ」こう言うアメリカ人に対して、司馬はできるだけ単純なことばをさがした。「かれらはサムライになりたいんです。」幕藩体制のころ、武士が行政官を兼ね、学問もした。藩校は町家の子弟にはひらかれていなかった。武士たちは貧しくはあっても牧民官であることと、多少の教養をもっていることの誇りのために、信じがたいほど汚職のすくない社会をつくった。商人たちはそれを見ていてお侍さんはえらいものだ、と階級や身分よりむしろ形而上的なものへ心をゆだねている人間への尊敬心に似たものをもっていたのだろう。貧を恥じぬという伝統的日本文化は江戸期ににわかにはじまったものではなく、戦国のころにすでにあった。たとえば薩摩がそうであった。そこへ上陸してきたキリシタン僧が、武士が貧しくとも平然としていることにおどろいた。さらにこの国では貧しさがときに誇りにさえなる、このあたりがヨーロッパとちがっている、という旨の報告書をローマ法王に書き送っている。明治後、そういう風が、新政府の“新士族”ともいうべき役人にうけつがれた。その後、本郷に大学ができ、法科大学が置かれて、役人はそこで養成されるようになった。やがて明治末年、大学出がふえ、供給が過剰になるころ、財閥企業が育ってきていて、最初はわずかながらその方面にゆく者がでてきた。帝大法科を卒業して住友コンツェルンに入り常務理事になった川田順もその一人である。

現代にも、「サムライ好き」の気分は伝わっているように思います。士は食わねど、天下国家のために身を捧げるといった気風。不肖、私もサムライが好きです。

 司馬遼太郎 「アメリカ素描」読売新聞社
コメント
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